数日前からネット上では、
「トランプが、 緊急放送を部分的に始めた!」
こういう噂が広まっていますね。
どこまで本当かは、知りませんが、こういう噂が流れていること自体、新しい時代の流れが始まっている証拠だと思います。
今後の展開が、気になりますね。
「新型コロナウイルス」の騒動が始まってから、そろそろ、1年半くらいになりますが、私は、よほどのことがないかぎり、ノーマスクです。
先日、いつも行くカフェで、初めてオーナーから、
「トーマさんは、そういえば、一度もマスクしていませんが、何かの主義とかポリシーでやっているのですか?」
こういう質問をされました。
「当たり前の生活をしていて、不思議がられる世の中になったな…」
こう思いながらも、無駄な喧嘩など、極力やりたくないので、
「特になにもありませんよ。マスク着用は、義務でもなく、法律で決まっているわけでもなく、罰則もないですよね? ただの慣習ですよね? 皆がやってるから、これが理由ですよね? だとしたら、マスクしたい人は、着ければいいし、マスクしたくない人は、付けなければ、いいだけの話じゃないですか?」
ニッコリと笑いながら答えたら、オーナーも、ニコニコ笑いながら、頷いていました。
その後は、大勢の客がいる時は、相変わらずマスクを着けていますが、店内の客が、私だけになったら、オーナーも、マスクを外すようになりました。
そうなのです。
マスクなどは、やりたい人はやって、やりたくない人はやらなければいいだけの話です。
それ以上でも、それ以下でもありません。
私は、電車の中などでも、常にノーマスクですが、何も言われたことはありません。
ただし、友人の中には、文句を言われたという人も、何人かいます。
「ノーマスクの文句を言われた時、何かいい返答はないかな?」
こう思っていたら、先日、ツイッターで、面白い意見がありました。
「ノーマスクの時に、文句を言ってくる人がいたら、『ワクチンをうったから、大丈夫です!』と、こう言い返したらいいのでは?」
なるほど…、ですね。
たしかに、現在、嘘だらけの世の中で、その嘘を信じている人たちに、真実の話をしても、真逆のエネルギーなので、反発するだけです。
だったら、嘘を信じている人たちは、嘘の話で、納得してもらうほうが、いいのかもしれません。
これが、本当の「噓も方便」なのかもしれません。
「論破」することが目的ではないのであれば、「嘘」も、時には、いい解決法になるのかもしれません。
何事にも段階があります。
一般の人々に、いきなり、「悪魔崇拝」の話をしても、ただの都市伝説だという認識をされて終わりです。
だから、「マスク」の話になっても、正論をふりかざしたり、真実を伝えようとしても無駄です。
そういう時は、
「マスクって、苦しくないですか? せめて、周囲に誰もいなくて、一人だけの時には、外した方が健康にはいいのではないですか?」
こう言って、相手の健康を気遣った意見を言ったほうが、喧嘩にならずにすみます。
むしろ、さらに仲良くなれるかもしれません。
そして、もしも相手が、いろいろ質問してきたら、現実的なデータを見せながら、説明してあげればいいのです。
たとえば、「大阪府」のことが話題になったとします。
そしたら、相手の目の前で実際に、「大阪府」の公式サイトを、スマホで見せてあげてください。
誰でも見れるサイトです。
トップページには、こういう項目があります。
「新型コロナウイルス感染症患者の発生および患者の死亡・変異株PCR検査(スクリーニング検査)における養成の判明について」
それの「詳細状況はこちらへ」をクリックします。
これは、昨日、5月14日(金)現在のデータですが、
「5月13日 新型コロナウイルス感染症患者の発生及び死亡について」
この項目を、クリックします。
すると、このページが表示されます。
表を見ると、
「本日の死亡者、33名」
こうなっているのがわかります。
この数字も、どれだけ本当なのか、疑わしいのですが、テレビ報道よりは、マシだと思います。
しかし、よくよく、その内訳を見てみると、その33名という数値は、4月3日~5月12日までの、39日間の累計の数値だということがわかります。
だから、一日の平均は、0.84名だということです。
しかも、そのほとんどが、70代以上の高齢者で、他の病気や老衰だった可能性もあるのです。
この状況は、まさに文字通り、「さざ波」なのです。
それどころか、これではもう、「無風」です。(笑)
いいですか?
常にこうやって、自分で調べる癖をつけることが、なによりも大切になってくるのです。
現在の状況をみてわかるとおり、99.9%以上の人たちは、自分で調べようとせず、テレビや新聞の報道を、鵜呑みにしているだけなのです。
これも、最近のニュースです。
「大阪で50人死亡」
こういう報道でしたね。
「大阪 死者50人(過去最多)」
こう書かれています。
しかし、先ほどの「大阪府」の詳細のページを、その日に調べてみると、こうなっています。
この50名も、4月23日~5月6日までの累計だったとがわかります。
どれだけ大袈裟で、大嘘の詐欺なのか、これでよくわかったと思います。
しかもやはり、死亡者の大半は年寄です。
私は、この数値も、いい加減でテキトーな数字だと思っていますが、話半分に聞いても、テレビが大嘘の報道をやっていることは、これで明白だと思います。
昨日、5月15日(土)の報道も、同じですね。
死亡者が、42人だと脅かして、煽っていましたね。
産経新聞の記事です。
ハイ!
4月26日~5月14日までの期間、その累計の死者です。
しかも、老人ばかりです。
ワンパターンで単純、子供だましの詐欺です。
コロナで怯えている、家族や友人に、このデータを見せてみては、いかがでしょうか?
まあ、テレビしか信じない人たち、こういう話をやっても、馬の耳に念仏だと思います。
人間は、見たものを信じるのではなく、信じたいものを見るのです。
逆に言えば、信じたくないものは見えないのです。
では、本題に入ります。
まずは、これを読んでみてください。
奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に、自分の足を繋いでいる鎖の自慢を、お互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。
そして、鎖に繋がれていない自由人を、嘲笑さえする。
だが、奴隷達を繋いでいるのは、実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして、奴隷はどこまでも、奴隷に過ぎない。
過去の奴隷は、自由人が、力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも、譲り渡すことはなかった。
その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは、反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか、彼らは、奴隷であることの中に、自らの唯一の誇りを見い出しさえしている。
by リロイ・ジョーンズ
1968年、NYハーレムにて
アメリカの作家に、「アミリ・バラカ」という人物がいます。
別名が、「エバレット・リロイ・ジョーンズ」だったそうです。
社会運動の活動家としても、知られていたようです。
上記の話は、とても示唆に富んでいますね。
具体的な例もあげましょう。
たとえば、ブラック企業に勤める会社員が、
「ウチの会社は、理不尽な残業が多く、うんざりだ!」
こう呟いたとします。
すると別の誰かが、こう言います。
「ウチの会社なんかは、もっと酷い、先月の残業は、100時間を超えた」
すると今度は、別の誰かが、
「ウチは、120時間も超えてるぞ!」
と言い出す人も現れます。
いかに自分の会社の労働環境が劣悪かを、自慢しあうのです。
彼らは、苦しい思いをして、我慢をした結果として、貰う給料にこそ価値があると、洗脳されているのです。
やがて、やりがいを持って働く優良企業の社員や、自由に生きる人たちをも、馬鹿にしだしたります。
リロイ・ジョーンズは、別の機会に、現代の奴隷についても言及していたようです。
それによると、
「現代の奴隷は、自ら進んで奴隷服を着る。そして、自分が奴隷であるということにも気がつかずに、そのことを誇りにさえ思っている」
こう言ったそうです。
つまり、現代の日本社会において、残業時間の自慢をしている人たちは、「奴隷の鎖自慢」になっているということです。
私が言いたいことが、だんだんわかってきたと思います。
そうなのです。
現在、「マスク」の自慢が始まっているのです。
「私のマスクは、こんなにオシャレなのよ!」
「このマスクを着けると、息が苦しくないんですよ!」
「私は、最近から、二重マスクにしました」
こんなかんじです。
「二重マスク」など、「鎖を二倍に増やした」ということなのですが、こんなこともわからないくらい、洗脳されているのです。
「マスク」というのは、昔の欧米諸国では、「奴隷」の象徴だったそうですね。
ご主人様に、口答えをした奴隷は、こうやって、口元を拘束され、一定期間食事ができないようにしたそうです。
その間は、このマスクの拘束具の隙間から、水を飲むことしかできかったそうです。
ご存じのように、こうやって、自分の意識ではなく、他人に行動を束縛され、コントロールされる人のことを、「奴隷」と言います。
代表的なのは、アメリカの黒人奴隷ですね。
奴隷船です。
その時代の前には、アメリカ大陸に移住してきた白人たちは、最初は、インディアンたちを、奴隷にしようとしたみたいですが、誇り高い彼らは、
「奴隷になるくらいなら、戦って死を選ぶ!」
こういう姿勢を見せたので、奴隷にするのを諦めて、虐殺したそうです。
その後、仕方がないので、アフリカまで行き、黒人を奴隷にしたという経緯があるそうです。
この時の奴隷たちは、首から木製の名札のようなものを、ぶら下げていたそうです。
その名札には、その奴隷の名前が書かれていたそうですが、興味深いことに、そのアルファベットの文字は全部、大文字だったそうです。
たとえば、普通、「山田太郎」という名前であれば、
「Taro Yamada」
こう書かれるはずですよね。
それを、全部が大文字で、
「TARO YAMADA」
だったそうです。
全ての文字が大文字、それが、「奴隷」の象徴だったそうです。
そうです。
現在でも、私たちの財布の中に入っている、プラスチックのカード、「クレジットカード」のルーツが、これなのです。
もちろん便利な道具なので、私も使いますが、これの月末の支払いに振り回されている人たちは、やはり現代の奴隷なのです。
逆にいえば、振り回されずに、自分が主導権を握って、効率よく適切に使っていれば、奴隷ではありません。
これは、当時の奴隷たちの皮膚に刻印された焼印です。
どうですか?
こういう歴史、知っていましたか?
こういうことを知っているのと、知らないで生活をしているのでは、社会を見る目が、全く違うと思います。
私たちは、学校教育などで、こういう真実を、全くといってもいいほど教えてもらえなかったのです。
ちなみに、古代の中国では、
「民」という文字は、「目を針で刺されて、盲目になった人々」
こういう意味だったそうです。
現在でも、「民」という文字は、象形文字として、その意味が隠されています。
さらに、「奴隷」という文字の語源は、こういう文字だったそうです。
「奴」という文字です。
「隷」という文字です。
さらに、古い文字では、こうなっていたそうです。
「奴隷」という文字は、いろいろな意味に解釈できるので、あえて細かい解釈はしませんが、いずれにしても、古代においては、「生贄」や「悪魔崇拝」とも、関係していたことは明白ですね。
他にも、こういう知識も紹介しておきます。
「家族」というのは、基本的には、とてもいいものだと思います。
お盆や正月に実家に帰って、自然体の自分に戻って、ほっとすることも多いですね。
家族の仲がよくて、それぞれがお互いを尊重して、自由に生きられる家庭なら、素晴らしいのですが、逆に、「家庭」が、束縛の源になり、不自由で苦しんでいる人もいると思います。
英語の「 family 」の語源を調べると、その歴史は、 15 世紀に遡り、ローマ人が使っていたラテン語の「 famulus(奴隷、召し使い)」が語源だそうです。
「famulus 」が、「 familia(召し使い、および親族と召し使いを含む世帯メンバー)」に変わり、そして 「family 」となったそうです。
「family 」が、「血縁がある」「一緒に住んでいる」 の意味で使われ始めたのは、17 世紀からだったそうです。
「家族=奴隷」
この二つの単語が同じ意味だった時代も、あったのですね。
人間というのは、やはり、社会的な生き物なのです。
たくさんの人が、自分の人生を、「義務感」で動いているのです。
例えば、年末年始など、こんなかんじです。
「クリスマスの夜には、愛するパートナーと、一緒に過ごさないといけない」
「大晦日までには、家を大掃除しなくてはいけない」
「年内までに、年賀状を出さなくてはいけない」
「正月は、実家に帰り、親に元気な顔を見せなくてはいけない」
「初詣に、行かなくてはいけない」
「正月は、親戚の家に、挨拶に行かなくてはいけない」
こうやって、法律で決められているわけでもないのに、自分で自分を縛り付けるのです。
人生というのは、こういう、「~しなくてはいけない」という「義務」が増えると、つまらなくなります。
反対に、「~したい!」という権利を増やすようにすると、楽しくなるのです。
朝起きて、一日のスタートを始める時に、
「ああ…、今日は、あれもしなくてはいけない、これもしなくてはいけない…」
こう思いながら、「義務」のことを考えて、起き上がる人と、
「よーし! 今日は、あれもやりたいし、これもやってみるぞー!」
こう思いながら、「権利」のことを考えて、起き上がる人では、180度違う一日を、生きるのです。
宇宙存在、「バシャール」が、昔、本の中で「豊かさ」の定義を、こう書いています。
「豊かさとは、自分がやりたいことを、やりたい時にできる才能をいう」
本当にそうだと思います。
いくら、お金や権力があっても、やりたいことを、やりたい時にできない生活をしていたら、自由ではありません。
「お金」、「時間」、「自由」
この三つのうちで、「自由」が最重要だと、私は思っています。
だから、どんなに儲かりそうなビジネスでも、どんなに給料のいい職場でも、「自由」を感じられないものであれば、魅力は感じません。
「バシャール」の本を読んでから、30年くらいになりますが、この間、好きなことだけやるようにしています。
嫌いな事や我慢することは、なるべくやらないようにしてきました。
すると、人生がうまく流れ始めたのです。
「そんなことでは、生きていけないよ。人生は甘くないよ」
こう言って、説教してくる人も、たくさんいましたが、そういう人は、あれから行き詰ったり、苦しい人生を歩んでいるようです。
20世紀までは、「我慢」や「辛抱」、それから、「義務」で動くのが、よかったのかもしれませんが、21世紀は、もう流れが変わっています。
21世紀は、「好きなこと」や「「ワクワクすること」、それから、「権利」で動くと、うまく生きていける時代になっているのです。
「好きなことが、わからない…」
よく、こういう悩みを聞きますが、そういう場合、まずは、
「嫌いなことは、なんだろう?」
こう考えるのです。
すると、そちらのほうは、よくわかるのです。
例えば、先ほど挙げた何十年も続けてきた、年末年始の慣例の中に、
「これは、やりたくないな…」
こう思っているものが、いくつかあると思います。
「義務感」で、ズルズルと続けてきたことです。
まずは、それを止めてみるのです。
「せっかく、長期の休みが取れたのに掃除なんか、やりたくないな…」
そう思ったら、年末の掃除を、やらなければいいのです。
その時間を、映画を観に行ったり、旅行に行ったりすればいいのです。
この場合、全く止めるのもいいのですが、そうやって、極端な行動にはしなくてもいいのです。
「年内に、大掃除しよう!」
と思うから、きつくなるのです。
「1月3日までに、ある程度は片付けよう」
「1月10日くらいまでに、部屋を少しだけ綺麗にしよう」
こうやって、期間を延ばしたり、8割がたを片付ければ、終了でもいいのです。
「どうせ、また散らかるから、掃除も腹八分目で止めよう」
こういう考え方もあるのです。
柔軟性をもって、生きるのです。
こうすれば、人生は楽になります。
生きづらくなったり、人生で苦しんでいる人は、その大半が、「完璧主義」なのです。
「目に見えない義務」によって、自分自身を縛っているのです。
その縛りは、たとえると、「奴隷の鎖」であり、「目に見えない鎖」です。
これによって、自分で自分を苦しめているのです。
もうそろそろ、そういう、「ドM」で、「マゾ」の生き方は、終わりにしませんか?
「真正のマゾ」の人であれば、それでも、いいと思いますが、ほとんどの人が、いつのまにか、社会から、軽く洗脳されているような状態になっているのです。
今からでも、その流れを変えることは、すぐにできます。
「もう、この見えない鎖を外すぞー!」
こうやって、この鎖に気が付き、外そうと思えば、すぐにでも、自分で外せるようなものなのです。
その鎖には、鍵なども付いていないのです。
考えてみれば、20代の頃、ほとんど意味のない、社内の人たちへの年賀状を書くのに、物凄い時間を費やしていました。
同じ課のメンバーに手書きで、住所や氏名などを、間違えないように書くのですが、正月明けに、すぐに顔を合わせます。
しかも、半分くらいの人は、お礼も言いません。
そして、一度書いてしまったら、翌年も、その翌年も、書き続けなくてはいけなくなりました。
それが、だんだん苦痛になってきました。
引っ越しをキッカケに止めたのですが、それを止めただけで、年末に自由な時間が、とても増えました。
そして、ほとんど毎年、年末年始にかけて、一人旅ができるようになりました。
旅先から、本当に好きな友人たち数名だけに、絵葉書などを出すようにしました。
「意味のない年賀状」よりも、そういう、「味のある絵葉書」のほうが、10倍以上も、喜ばれました。
そして、正月明けは、その絵葉書の話を元に、旅のお土産話をしながら、友人たちと楽しくランチしました。
現在でも、紙の葉書による年賀状は書いていません。
こうやってブログを書いて、読みたい人だけに読んでもらっています。
それで、いいのです。
親しい友人たちは、私の年末年始のブログ記事を読んでから、メールなどで挨拶を送ってきます。
年賀状のやり取りを止めたくらいで、縁が切れるような間柄は、そもそも、本当の友人ではないのです。
人生は、長いようで短いです。
嫌いなことを、やっている時間はありません。
好きな人と、好きな時間を過ごすようにすれば、自然と幸福感を感じられるのです。
私たちの社会は、「奴隷の鎖」だらけです。
それは、目に見えないので、よけい質が悪いものです。
意識しないで惰性で生きていると、気が付いたら、その「鎖」を自慢するようになるのです。
これこそが、「奴隷根性」というものなのです。
現在、マスクしながら、一日中、他人の目を気にしながら、ビクビクしながら生きている人は全員、「奴隷」なのです。
自分の全身を拘束している、「見えない鎖」を、まずは、
パキーン!!
という音とともに、外すのです。
それから、本当に自分らしく生きることが、できるようになるのです。
「奴隷の鎖自慢」、そろそろ、やめませんか?
これからは、もう完全に、「自由人」だけの楽しい社会になると思います。
新しい時代は、「義務」で生きる時代ではなく、「権利」で生きる時代なのです。
そのためにやること、その第一歩は、
「マスクを外すこと」
これなのです。
「マスク」=「奴隷の鎖」
こういうことです。
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