精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

堺フェニックスツアー 9 カーネーション

5月9日(日)の東京セミナー、「悪の根源」も、楽しく終了しました。

参加された皆さん、ありがとうございました。

 

東京セミナーの様子です。

写真の中で、私の着ているTシャツは、堺市のお土産屋さんで買った、「古墳Tシャツ」です。(笑)

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今年になってからは、内容が、ちょっと変わり、より身近な社会問題である、介護問題などにも言及しています。

それが、現在の国際的な陰謀とも結びつき、その衝撃の結論に、毎回、皆さん、絶句しています。

 

特に、コロナやワクチンの真相には、全員、口がきけなくなり、しばらく、シーンとなりますね。

ほとんどの人が、これの目的が、「人口削減」や「超監視社会」だと思っているようですが、真実は全く違います。

もっと奥深い理由が、そこにはあるのです。

地球全体の未来に関わることですが、ブログでは書けません。

こういうブログで書けないことを、全開で語れるのが、セミナーなのです。

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懇親会です。

セミナーも、楽しいですが、いろいろな話題の飛び交う、この食事会は、最高に楽しいです。

真実を知った後は、皆さん、晴れ晴れとした笑顔になります。

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懇親会では、ある参加者から、質問がありました。

それは、

「これから先の未来は、どういう社会になると思いますか?」

こういう質問でした。

私は、すかさず答えました。

「どういう社会になるか? ではなくて、どういう社会にするのか? そう考えたほうがいいですよ。受動的な生き方ではなく、これからは、能動的な生き方が、より大切になってきますよ。自分の人生は、積極的に自分が切り開いていくものですよ」

続けて、

「どんな世の中になるか? こう考えるよりも、どんな世の中になっても、生きていけるような逞しい人間になることを、優先させてくだささい。そして、もっと大切なことは、どんな世の中になっても、どんな状況でも、幸せや感謝を感じることができる人間になることが、一番大切です」

こう言いました。

 

そうなのです。

これからは、今まで以上に、

「どう生きるか?」

この答えを、各々がシッカリと持つべき時代に突入したのです。

 

 

5年くらい前から、私の周囲で、何名かの友人や知人が亡くなりました。

病気や交通事故の方もいれば、他の複雑な理由で、亡くなった方もします。

それまで会おうと思ったら、会えた人が、ある日を境に会えなくなるというのは、やはり、寂しいものです。

 

いつも思うのですが、学校での教育でも、家庭での教育でも、本当に大切なことは、子供に教えていないという現状があります。

これは、現代において、その中でも、特に戦後に著しい傾向だと思います。

 

大人が、子供に教えなくてはいけない、一番大切なことは、

「人生を、どう生きるのか?」

ということだと思います。

つまり、「人生哲学」のようなものです。

こういう核心を突かずに、

「テストで、いい成績をとって、いい学校に入れば、いい就職先に入れて、いい結婚ができる」

このような薄っぺらなことだけを教える教師や親が、まだまだ多いのが現代社会だと思います。

 

そして、「人生哲学」を説くには、その対極にある、

「死んだら、どうなるのか?」

これが、わからないと、本質的な話ができないのです。

「死んだらお終いだ…」

こういう世界観をもって生きている人と、

「死んだ後にも、新しい別の世界が待っている!」

こう信じて生きている人では、生き方が全く違ってくるのです。

そして、この一番大切な「死」について、本当に理解している大人が、とても少ないのです。

 

私は、幸いなことに、23歳の頃に、ある教師に出会い、その方から、

「死とは、どういうことなのか? 何の意味があるのか? 死んだらどうなうのか?」

ということを、教えていただきました。

それからは、人生観や世界観が、180度変わりました。

 

人生において、「幸福」の問題を考える時、どうしても避けて通れない問題に、「老い」と「死」の問題があります。

この中でも、特に、自分なりの答えを、なるべく早く、もっておいた方がいいのが、「死」についてだと思います。

これをクリアにしておかないと、本当の幸福感は、もてないと思うのです。

 

 

私が、最初に「死」を意識したのは、小学校低学年の頃でした。

夜寝ている時に、自分が死んだ夢を見たのです。

家の前で、自分の遺体が棺おけの中に入れられ、友達が泣きながら見ているのがわかりました。

とても悲しくなって、ワンワン泣いて、涙を流しながら、目が覚めた覚えがあります。

とてもクリアで、明確な夢でした。

 

その後、20歳の頃、8年間飼っていた、「ヤマト君」という雄の犬がいたのですが、ヤマト君が病気で死んだ時、とても悲しくて、また泣きました。

ヤマト君は、私が精神的にまいっていた時、人間不信に陥って孤独だった時、一番の大親友でした。

いつも、一緒にランニングをしたり、小学校の校庭で、私が鉄棒で懸垂したり、逆立ち歩きしたりしている時、ヤマト君だけが応援してくれていました。

私の一番最初のトレーニングパートナーであり、コーチでした。

犬っていいですね。

たまに、人間よりも彼らのほうが、霊的に優れているのではないかと、思うこともあります。

 

また、ちょうどそれと同じ頃、隣の家の床屋さんのおじさんが、夜、酒に酔って、

「チクショウー! チクショウー! コンチクショウメー!」

と気違いのようにわめいているのを、夜見たことがありました。

子供の頃から、よく髪を切ってもらって、とてもやさしくしてもらったおじさんの、あまりの変わり果てた姿に、ビックリしました。

あんなに温厚で、紳士だったおじさんが、怒鳴りちらし、電信柱などを殴っていたのです。

 

それから、1ヶ月ほどして、そのおじさんが、癌で亡くなったと知り、なんともいえない気分になった覚えがあります。

たぶん、医者から癌の告知を受けたのだろうと思います。

「死の恐怖」が、人間をあんなに苦しめるものだということが、そのおじさんが取り乱している姿を見て、よくわかりました。

 

 

お釈迦様も、よく弟子たちと、「死」について、議論していたようですが、あまり詳しくは話してくれなかったという説が、有力だそうです。

 

ある日、お釈迦様のところへ、

「息子が死んだ」

と言って、嘆き悲しんでいる母親がやってきて、この苦しみを和らげてくれるように、頼んだことがあったそうです。

すると、お釈迦様は、ただ、

「それでは、死人が一人もでなかった家を探してきなさい」

という宿題を出したそうです。

 

その母親は、言われたとおり、いろいろな家を訪ねるのですが、どの家も、

「おじいさんが、去年死んだ」

「お母さんが、3年前に死んだ」

などという答えが返ってきて、その時にようやく、その母親は、

「そうか、死というものは、どの家でも起こる、きわめて当たり前のことだったのだ。誰にでも、訪れることだったのだ。私の息子だけではなかったのだ」

ということを悟り、お釈迦様のこの宿題に、感謝したのだそうです。

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そうなのです、

「死」は、きわめて当たり前のことであり、日常茶飯事の出来事なのです。

ヤマト君と床屋のおじさんの死の後、1年経った、21歳の頃、私は今度は、祖母の死を目の当たりにしました。

私は、この祖母と仲良しでした。

 

その頃、祖母は67歳だったのですが、病気がちで、いつも病院と家の入退院を繰り返していました。

その後、家に帰ってきて、自宅療養していていました。

その間、母がずっと介護していたのですが、排泄器官が悪くなり、すぐに大小便を垂れ流すようになり、母も私たち家族も、皆、介護に疲れ果てていました。

「もう、このままでは、私のほうが、ノイローゼになってしまうよ…」

母が、毎日こう言って、苦しんでいました。

 

だんだん、頭もボケてきて、いろいろなことを言うようになりました。

「ねえ、どうして、この家に川が近づいてくるの? 一日ごとに、川の流れる音が、大きく聞えるようになっているよ」

「どうして、去年死んだ犬のヤマト君が、部屋の中のに入ってくるの? 私のベッドの周りで、元気に走り回っているよ」

こんなことを言うようになりました。

でも、今考えると、ボケていたというよりは、本当に見えたり、聞えたりしていたのだろうと思います。

 

「昨日、死んだ私のお父さんが、迎えに来たよ…」

こんなことを話していたある日、急に、祖母は息をひきとりました。

救急車が来た時には、もう完全に心臓が停止していました。

とても安らかな死に顔でした。

すぐに死後硬直が始まり、遺体が固くなったのには、驚いたのですが、それ以外は、眠っているような顔でした。

 

親戚を呼び、通夜が行われ、私は一晩中、祖母の遺体と部屋で一緒にいました。

酒を飲みながら、歌を歌ったりして、一晩明かしました。

いろいろな思い出が蘇ってきました。

「イタル、男は文武両道だよ。頭だけ良くてもダメだ。体だけ丈夫でもダメだ。学問もやって、体も鍛えて、はじめて本当の男なのだよ。文と武は両輪のごとしだよ。忘れないでね」

私に、口癖のように、いつも言っていました。

今でも、この言葉は、私のライフスタイルに、強い影響を及ぼしています。

 

翌日、火葬場に行く時、家の前で、近所の人がたくさん集まって、私たちが棺おけを運ぶのをみていたのですが、

「あれ? この場面、以前にも一度体験した気がするぞ…」

というデジャブを体験しました。

もしかしたら、私が子供の時に見た、「自分が死んだ夢」と何か関係があったかもしれません。

 

火葬場で遺体を焼き、煙突から、祖母の遺体が煙とともに、空に上っていくのを、ボンヤリ見ていました。

「ああ、この煙の細かい粒子が、また海や土に降りてきて、魚の口に入ったり、植物の肥料になったりするんだな…」

などと考えていました。

自然界の摂理を少しだけ垣間見たような気がしました。

 

それから一週間ぐらいの間、家の中で夜、祖母の杖の音が、ずーと聞えていました。

歩き回っているようでした。

それから一週間目の夜に、私の部屋に、人が入ってくる気配がしました。

「あっ、おばあちゃんだな…」

とわかりました。

とてもやさしい波動を感じたからです。

私の体をやさしく触り、どこかに行くのがわかりました。

 

また、四十九日の前日、夢の中で祖母に会いました。

とてもクリアな夢でした。

「ほーら、見なさい、イタルがやっぱり、一番最初にここに来ると思っていたよ」

もう一人、知らないおばあさんがいて、その人に、私のことを紹介しました。

祖母は、とても艶やかな紫色の着物を着て、幸せそうでした。

「あばあちゃん、そんなに元気だったら、こっちの世界でも、100年以上は、生きられそうだな!」

こう言って、祖母の膝を触りました。

その触った感触は今でも覚えています。

あの場所が、いわゆる「あの世」という場所だったのではないかと思っています。

 

私は、祖母にも、犬のヤマト君にも、また会えるだろうと信じています。

再会が、今から楽しみです。

 

 

「死」というものは、やはり、魂の成長の一つのプロセスに過ぎないと思っています。

昆虫が、さなぎから成虫になるようなものかもしれないと、私は考えています。

 

今は、死に対する不安はほとんどありません。

今も幸せだし、死後もやはり幸せだろうと、思っています。

「自分が元いた場所に、戻るだけの行為」

これが、私の考える「死」の定義です。

 

 

では、旅行記に戻ります。

 

私たちは、いよいよ、調査旅行の最終目的地である、「親の鳥」の地上絵、その「頭部」に向かいました。

その頭部は、「大浜公園」という名前の公園になっていました。

左側の緑色のエリアです。

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着きました。

「目」に当たる位置には、「相撲場」がありました。

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そして、「鼻」の位置には、「体育館」がありました。

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これが、園内マップです。

「鳥」の横顔にも見えますね。

「口」のあたりには、「野球場」と「ひょうたん池」があります。

そして、「鶏冠」のあたりには、「灯台」があります。

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広場のような所には、「藤棚」がありました。

アニメの「鬼滅の刃」で、有名になりましたね。

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綺麗でした。

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やはり、園内には、「お稲荷さん」がありました。

「イナンナ」ですね。

「聖母マリア」でもあり、「イシス」でもあります。

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そして、その神社の前には、沢山の犬の銅像がありました。

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最初は、意味がわからなかったのですが、後から、わかりました。

愛知県の「豊川稲荷」の狐たちの意味だと思います。

つまり、ここは、見た目は、「公園」ですが、実際には、「稲荷神社」であり、「地球の女神」の拠点だということです。

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記念撮影しました。

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さらに、この神社の近くには、猿の檻がありました。

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普通の人には、意味がわからないと思いますが、宇宙考古学を学んでいる人たちには、これのキーワードの意味が、わかります。

「猿田彦」=「猿」=「イエス・キリスト」

こうなるのです。

だから、ここの猿たちは、「キリスト」の象徴なのです。

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「聖母マリア(イナンナ)」と「キリスト」が、表向きは公園に見せた、稲荷神社の御神体なのです。

 

そのまま、タクシーで帰ろうかと思ったら、なぜか、タクシーの運転手さんが、

「ぜひ、灯台を見てきてください!」

こういうので、私たちは、疲れた足を引きずるようにして、徒歩で、灯台に向かいました。

 

海が見えてきました。

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旅の最終地、「旧堺灯台」です。

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灯台の近くに、地元では有名な「巨大壁画」がありました。

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この絵の意味の解読に、時間がかかりました。

最初は、ヨーロッパからの宣教師や幕末の黒船など、海外からの外国人たちが、堺にやってきたことを、表現しているだけだと思っていました。

普通に眺めていれば、それだけの絵に見えます。

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しかし、視点を変えて、この街が、シュメール文明やエジプト文明などの影響を受けていて、地球の王族である、「アヌンナキ」の聖地であり、この場所は、その「不死鳥」である地上絵の「鶏冠」の部分でもある。

このことを、考慮した時に、それだけの単純な意味ではないと確信しました。

 

そして、右側の「上陸」の場面を見た時、

パチ~ン!

私の頭の中で、こういう音が聞こえて、閃いたのです!

船底から、動物たちが出てきて、上陸していることに、注目してください。

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ハイ!

「ノアの箱舟」

この意味だったのです!

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そうなのです。

だから、「百舌鳥八幡神社」や「大仙陵公園」には、「オリーブの葉を咥えた鳩」があったのです。

 

一説によると、「ノアの箱舟」は、一隻ではなく、数十隻あり、大洪水の後は、世界中に散って、それぞれの土地に、生き残った人間や動物たちが、上陸したとも言われています。

だとしたら、この巨大壁画を描いた画家は、それをチャネリングしてから、描いたのではないでしょうか?

つまり、その中の一隻は、太古の時代、大阪府堺市に、上陸していたのではないでしょうか?

 

そして、もしかしたら、「古い世界」から、「新しい世界」へ移行した時の土地が、その境目の土地ということで、「堺(さかい)」という名前になったのかもしれません。

もしくは、「新しい世界」の意味で、「世界(せかい)」がという言葉が、いつの日か、訛って、「堺(さかい)」になったのかもしれないと、いろいろ想像しました。

 

ここで、もう一度、シュメール文明の時の、地球における二人の兄弟、「エンリル」と「エンキ」の話です。

左の人間の姿の宇宙人が、「エンリル」です。
右の下半身がヘビの姿の宇宙人が、「エンキ」です。

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身体の下半分が、龍(蛇)だった「エンキ」が、聖書の中で、「アダム」と「イブ」に、知恵を授けた、「ヘビ」です。

 

旅行記の最初の方で、「ノアの大洪水」も、この二人の兄弟喧嘩が、原因だったという仮説を紹介しましたね。

詳しいことは、割愛させていただきますが、太古の時代には、地球の歴史の全てに、この兄弟が関係していたようです。

 


当時、「エンリル」のほうが、父親である「アヌ王」から、「エデンの園」の管理を、任されていたようなのです。

メインの場所は、現代の「イラク」のあたりだったみたいです。

ここが、本店のような所だったみたいです。


「エデンの園」は、遺伝子の実験場のような所だったそうです。
さらに、一カ所ではなく、世界中に支店のような箇所が、たくさんあったみたいです。
日本にも、沖縄、青森、長野、広島、岐阜など、複数の場所に存在していたようです。

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これは、岐阜県高山市の「位山」にある像です。
「宇賀神」などとも呼ばれていますが、「エンキ」です。

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「エンキ」が、木に巻きつきながら、「アダム」と「イブ」に、「知恵の実」である、「リンゴ」を食べるように、勧めている場面です。

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この行為に対して、「エンリル」が、激怒したようです。
それで、「アダム」と「イブ」を、エデンの園から、追い出したようです。
これが、有名な「楽園追放」の話です。
「追い出した神」が、「エンリル」です。

 


「エデンの園」には、「知恵の樹」と「生命の樹」の2種類の樹があったそうです。
「エンリル」が怒ったのは、「知恵の樹の実」を食べた人間が、「生命の樹の実」までも食べて、「永遠の生命」を得ると、
「唯一絶対の神である、自分たちの地位が、脅かされると思ったから」
とも言われています。
「人間が、神と等しき存在になるのを、恐れたため」
だということです。

簡単に言うと、人間は、2つの樹のうちの一つ、「知恵の樹の実」は、食べたので、この先、「アヌンナキ」の宇宙人ファミリーたち、「エンリル」や「エンキ」と同じくらいの知能のレベルまで、到達できる可能性があるということです。
遺伝子の中に、「宇宙人たち(神々)」の知能の情報が、入っているということです。

しかし、一方で、人間は、「生命の樹の実」は、まだ食べていません。
「永遠の生命」は、得られていないということです。
そのせいで、
「ある歳になったら死んでしまう」
という、「寿命」という期限があったのです。
こういう状況が、「エデンの園」の追放から、ずーっと続いていたということです。

「生命の樹」は、メソポタミア文明の粘土板などにも、よく描かれています。

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こうやって描かれることも、多いですね。

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しかし…、しかしですよ。
実は、人間は、「生命の樹の実」を食べなくても、「永遠の生命」を身につけることに、成功したのです。


それは、特に、1980年代あたりから、アメリカあたりで、大きなムーブメントとして、始まりました。
「ニューエイジ」や「精神世界」と呼ばれる業界の動きです。
最近の日本では、「スピリチュアル」という表現が、使われることが多いですね。

この時期から、自分の中の「神性」に気が付いた人々が、爆発的に増えたのです。
つまり、
「自分という存在は、輪廻転生を繰り返す、永遠の存在であり、肉体は、一時的に借りている、仮の乗り物にすぎない」
こういうことに、たくさんの人が、気が付き始めたのです。

アカデミー賞を受賞した女優、「シャーリー・マクレーン」の活躍も、大きかったと思います。

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さらに、エドガー・ケイシーのリーディングも、広く認められ、前世療法などの催眠術により、自分の前世を思い出して、もともと、「永遠の生命」だったことに、気が付くという形で、もう一つの樹の実である、「生命の樹の実」を食べたのと、同じような状態になったのです。

他にも、同時進行のように、1980年代から、アメリカでも日本でも、先進国において、宇宙人による、人間とのコンタクトも、爆発的に多くなりました。
その中では、UFOに拉致されて、その中で、いろいろな金属を、インプラントされたりして、遺伝子操作をされた人も、多かったようです。

これは想像ですが、「エンキ」のグループが、そういうかたちで、人間に、「生命の樹の実」といわれていた、「情報」を、「DNA」の中に、組みこんだのではないでしょうか?
それから、「知恵の樹の実」と「生命の樹の実」の2つの情報を、遺伝子に備えた、「神と等しき存在」になれる可能性を秘めた人間たちが、大量に発生したのではないでしょうか?

「誘拐」や「拉致」というネガティブな事件だと思われていたことが、実は、準備ができた人間から、少しづつ本当に自由な存在、つまり、「神の仲間入り」をするように、ポジティブなサポートをしていたのかもしれません。
さりげなく、「進化」を施していたということです。

私なども、宇宙人とのコンタクト体験もあるし、ある時期から、自分の前世も自然に思い出しました。
それ以降、人生観や世界観も、大きく変わりました。
視点も、3次元的な時間や空間に縛られない、とても自由な発想で、物事を考えることが、できるようになったのです。
肉体にも、あまり執着がなくなり、現世での出世欲や金銭欲なども、薄くなってくる。
こういう意識状態になったのが、広い意味での「宇宙人」なのです。

「ただ生まれてきて、食事をして働いて、子供をつくって、死ぬだけだ」
こういう、何の目的意識も、もたない人間は、宇宙人たちからは、「人間ではない」という扱いで、見られるのです。


「今世の目的は、生きている間に、いろいろな体験を積んで、霊性や神性の発達をすること」
これに気が付いてから、ようやく、私たちも、宇宙人たちと、同じ土俵に立てるし、対等な扱いをうけるようです。
現在、そういう人間が、加速度的に増えています。
地球上が、宇宙人だらけになるのも、もうすぐだと思います。

20世紀には、
「宇宙人が、地球に侵略してくるぞー!」
と思っている人が多くて、宇宙人は、どちらかというと、恐怖の対象でした。
でも、21世紀になって、本当のことが、わかってきました。
「私たちが、宇宙人であり、神だったのだ…」
こういう真実に、気がつくというのが、宇宙人問題の核心だったのです。

コンピューターを自由自在に操作して、宇宙開発にも乗り出し、遺伝子も操作して、新たな生命も生み出せる、このような知能を兼ね備えてきたのが、現在の人類なのです。

さらに、
「肉体は、一時的なものであり、魂の部分は決して死なない、永遠の存在である」
このことにも、気がついたのです。
この存在が、「神」じゃなかったら、何なのでしょうか?
もちろん、「神」とは言っても、新参者で一番下っ端の神です。
これからも、新しく学ぶべくことは、まだまだ山ほどあるでしょう。

こういうことに、気がついた人類から、「宇宙人たち(神々)」の仲間入りをしていくのです。
そこで、ようやく、私たちの惑星である、地球を自主的に任されることになるのです。

それまでは危なすぎて、宇宙人たちが、管理してあげる必要があったのです。
これが、「陰謀論」の核心でもあります。
「支配」ではなく、「安全のための管理」をしていたのが、地球を統治していた宇宙人たちだったのです。

その主な一族が、「アヌンナキ」のファミリーだったのです。


そして、そろそろ、彼らから人間に、地球の統治権を、バトンタッチされる時期にきているということです。

「人類が神になる日」は、いきなり、全ての人にパッと訪れるわけではありません。
それは、1人1人に、ベストなタイミングで、訪れるでしょう。
全ての人類が、そうなる日も、それほど遠くないと思っています。
今から、楽しみです。

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ここで冒頭でも書いたように、もう少し、「死」について考えてみましょう。

 

「死というものが、終わりではなく、永遠の生命である魂の一時的な休息にすぎない」

私は、このことを、1991年の春、23歳の時に、ある教師から教えていただきました。

あの時の大感動は、人生で一番のギフトだったと思います。

今でも、たまに、あの日の感動を思い出すこともあります。

 

これを知った人間は、最強になります。

「死」というのが、それほど怖くなくなり、また悲しくもなくなるからです。

自分の人生において、最悪の出来事は、「死」です。

でも、それを乗り越えた視点を持てると、本当に何も怖くなくなるのです。

そして、それから、本当の人生が始まるのです。

 

今回の旅のテーマは、「フェニックス」ですが、そもそも、「人間」という存在が、「フェニックス(不死鳥)」なのです。

「人間」=「フェニックス(不死鳥)」

こうなるのです。

「人間」という存在は、永遠の存在であり、「不死鳥」のように、何度でも蘇るのです。

これから、家族や友人や知人など、亡くなる経験をする方も多いでしょう。

でもまた、いつか必ず、どこかで再会できるのです。

 

 

1997年の春に、その教師と再会しました。

アメリカ留学に行く直前だったのですが、その時に、皆でお茶した時のことです。

 

その先生が、お茶を飲みながら、ニヤニヤ、ニヤニヤ、思い出し笑いをしていました。あまり楽しそうなので、不思議に思った私は質問してみました。

「先生、いったい何が可笑しいのですか? 何か楽しいことでもあったのですか?」

 

すると先生は、楽しそうに笑いながら、こう答えたのです。

「オイ、聞いてくれよ。もうすぐ、私の父親が癌で死ぬんだよ」

ビックリして、言葉を失ってしまいました。

「ええっ! せ、せっ、先生、お父様が癌ですか? それのどこが楽しいんですか?」

私があまりにも、うろたえているのを見ても、先生はニコニコしながら、こう静かに答えました。

「私はね、今の父親のことが大好きなんだ。心の底から愛しているんだ。だから、次も、今の父親の子供として生まれることを、もう今から決めているんだ」

こう話はじめました。

 

それから続けて、

「次に生まれるとき、また日本人かどうかは知らないけど、ただ生まれるだけじゃ面白くないから、オギャーと泣きながら生まれた瞬間に、『オヤジ、久しぶりだなー!!』と叫んでやろうと思っているんだ。そのときに、オヤジがビックリして、目を丸くしている顔を想像しただけで、可笑しくって、今からもう、笑いが止まらないんだ。オヤジ、驚くぞー。フフッフ、見てろよー!」

こう言ったのです。

 

「やっぱり、この先生には勝てないなー。さすが、自分がマスターと仰いだだけのことはあるな…」

こう思って苦笑しました。

「精神世界」も、ここまで極めたら、人生がハッピーになるかもしれませんね。(笑)

 

 

以前にも書きましたが、いい話なので、もう一度再掲載です。

先日の5月9日(日)は、「母の日」でしたね。

それに関する話題です。

 

「カーネーションという花は、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが、その後、落とした涙の後に生じた花」

だという言い伝えがあります。

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また、ご存知のように、「生まれ変わり」のことを、英語で、

「リーインカーネーション(reincarnation)」

と言いますね。

 

この単語を調べると、
「re(再)+in(中へ)+carnate(肉体)+-tion(名詞化)」

こういう単語の構成だそうです。
「再び肉体に(魂が)入ること」

つまり、「輪廻転生」という意味みたいです。

この時の「reincarnation」の「-carnation」は、「花のカーネーション(carnation)」と全く同じスペルです。

これは、偶然でしょうか?


日常会話を英語で行う人たちも、この2つの単語の意味の関連性は、あまり考えないかもしれません。
しかし、1文字と違わない偶然を調べてみると、やはり関係があることがわかりました。


英語の「carnation」の名の由来は、一般的に、二つの説があるそうです。
「coronation(冠飾り)」が転訛したという説、それから、ラテン語の「肉(carn)」の意味に由来するものです。

 

学者たちは、後者が有力と考えている人が多いようです。

後者は元々、「カーネーション」の淡いサーモンピンクのような色が、「肉体(ラテン語でcarn)」の色に似ていたことから、この名が付いたという説です。

つまり、花の色が、「肉体(carn)」の色に似ているから、「カーネーション(carnation)」という単語が生まれたということです。

ちなみに、「カーニバル(carnival)」という単語も同じ、「carn」に由来しているそうです。

つまり、「カーネーション」は、「肉色の花」の意味なのです。

面白いですね。


「輪廻転生(reincarnation)」、それから、「カーネーション(carnation)」は、語源が同じという仮説に基づけば、面白いことに気が付きます。

 

そうなのです。

前世から今生に再び、自分が生まれ変わってきた時、いきなり、自分の赤ちゃんの肉体が空間に、パッと出現したわけではなく、まずは、今世での母親の肉体、その中の子宮の中で、母親の肉体を借りて、胎児の肉体を創り、それから、その乗り物である胎児に魂が入り、この世界に誕生するのです。

 

だから、

「再び(re)」 +「中へ(in)」+「カーネーション=肉体(carnation)」=「reincarnation(生まれ変わり)」

こういう方程式が、単語の中に入っているのです。

 

母の日に、母親に、「カーネーション」をプレゼントするのは、

「今世に生まれ変わってきた時に、あなたの肉体を、一時的に借していただきました。ありがとうございました!」

こういう意味だったのです。

 

「カーネーション」という花束を贈る行為に、こんな深い意味があったなんて、初めて知りました。

素敵な話ですね。

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全ての調査を終えて、皆で、ホテルのレストランで、打ち上げをしている場面です。

楽しかったですね~!

また、やりましょう。

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「堺フェニックスツアー」は、今回が最終回です。

今回も、面白い旅行記になりました。

さて次は、どこに行こうかな?

 

 

 

では、恒例の締めのコーナーです。

今回は、これです。

私が、あらゆるスピリチャルな書籍を読んだ中で、一番好きなのが、この場面なのです。

 

 

娘のエイミイが、3歳の誕生日を過ぎて、間もなくのことだった。
彼女は、私の所へ、かけてきて、私の足に抱きついた。
彼女は、私を見上げて言った。
「パパ、私は、パパのことを、4000年も前から、愛しているのよ」
私は、娘の小さな顔を見つめた。
深い幸せが、私の心と体と魂を包み込んだ。

「前世療法」

著者:ブライアン・L・ワイス博士 

翻訳:山川鉱矢・山川亜希子

 

 

 

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