鬼退治ツアー 13 命
最終日、1月22日(金)に、大阪府岸和田市堺町にある、「きしわだ自然資料館」に行ってきました。
前回書いたように、ここに会いたい人がいたからです。
館内には、いろいろな展示物があり、興味深いです。
「サヌカイト」という石がありました。
久しぶりに見ました。
「カンカン石」とも呼ばれているそうですね。
カンカン!
叩くと、こういう甲高い音がでます。
実は、この音は、知る人ぞ知るの特別の音なのです。
一説によると、この音は、光の1億倍のスピードが出るそうです。
宇宙の果てまでも、1週間くらいで到達するとも言われています。
なぜか、この地球という惑星には、日本の香川県に、90%以上があるそうです。
目的地に着きました。
このコーナーに行きたかったのです。
化石の後ろには、想像画がありました。
「モササウス」という古代生物だそうです。
このコーナーには、宮内和也さんという方の研究成果が、展示してあります。
私は、彼のことを、今年になってから放映されていた、テレビの恐竜番組で初めて知りました。
ちょっと紹介させていただきますね。
写真などは、このコーナーに展示してあります。
宮内和也さんは、子供の頃から、恐竜が大好きな恐竜少年だったそうです。
なんと、小学校1年生の時、6歳から、古生物学に関心を持ち、精力的な研究を始め、小学校の自由研究で、自分がはじめて採集した、化石とレポートを出品したそうです。
岸和田市のコンクールで、特選を受賞してから、彼が中学から高校生になる頃、その骨格模型を、木製で自作する中で、モササウルスが、獲物を大量に丸呑みするために、大きな水流を起こす顎の仕組みを解明したそうです。
それは、それまでになかった視点で、世界的な新発見になったそうです。
そして、彼は、この研究成果を古生物学会で、2005年から2006年にかけて、公の場で発表し、2年連続で、大阪府学生科学賞最優秀賞を受賞したそうです。
凄いです。
輝かしい実績ですね。
さらに、日本地質学会、日本学生科学賞などの大きな賞も、受賞したそうです。
宮内和也さんの偉大な足跡は、恐竜大好き小学生はもちろん、現在でも、古生物学をめざす若者たちの素晴らしい指標となっているようです。
この研究成果だけでも、とても素晴らしいのですが、私がテレビ番組で知ったのは、その研究課程の裏側でした。
研究成果が、「光」だとしたら、彼には、「闇」がったのです。
この偉大な研究を発表をした、数ヶ月後の2007年に、17才の若き研究者、宮内和也さんは、17才で天逝してしまったそうです。
実は、彼は、6歳の時から古生物学に興味をもち、研究を始めたそうですが、8歳の時に、お父さんから、
「治療をしないと生きていけない」
と聞かさせたそうです。
彼の身体は、若くして、病魔に侵されていたのです。
癌の告知を受けてから、苦しい闘病生活の中で、地元泉州にいたという、「モササウルス」の研究に集中していたのだそうです。
つまり、余命となる10年間を、「モササウルスの研究」、これ一筋に捧げていたのです。
テレビ番組で、お父さんのインタビューもやっていました。
お父さんによると、宮内和也さんは、音楽などにも興味を持ち、他の古生物学にも関心を持っていたそうです。
しかし、彼の命は短く、限られた時間しかなかったので、地元泉州にいたという、「モササウルスの研究」に、絞らざるを得ない状況だったそうです。
松葉杖で、歩行困難だったこともあり、地元の古生物だと、何かと研究しやすかったのだと思います。
「僕には時間がない」
いつも、こう呟きながら、精力的に研究に邁進していたそうです。
この時の番組内でも、宮内和也さんの部屋が、紹介されていました。
部屋中に、モササウルスの大きな骨格標本、それから、恐竜のぬいぐるみがありました。
両親が、生きていた頃の部屋を、そのまま残しているそうです。
宮内和也さんは、
「短い人生の中で、何か一つだけでも、人生の足跡の残したい!」
こういう希望と覚悟があったのだと思います。
この時の番組では、モササウルスを専門にするシンシナティ大学の助教授が、宮内和也さんの研究成果を評価し、宮内和也さん宅を訪れて、ご両親に、
「その研究を引き継ぎたい」
と申し出てるシーンもありました。
どうやら、世界中の学者から、高い評価を受けるくらいの研究成果だったようですね。
ご存じのように、現代の日本では、義務教育で一通りの学問を学び、高校や大学への進学率も高く、専門学校なども多種多様で、多くの若者は、人生において多様な選択肢から、自分の好きなものを選ぶ事が可能になっています。
しかし、それは、同時に選択肢が多すぎて、
「結局、自分は、何をしたらいいのか解らない…」
こういう悩みも増えています。
何かを始めても、すぐに投げ出したり、諦めたりする事も、簡単にできます。
また、それによって、傷つくこともありません。
このような公務員やサラリーマンを養成するような教育が、21世紀になった現在でも、主流を占めています。
画一的で全方向的な教育は、多様な可能性がある一方で、幼くして開く、個性的な才能の開花を遅らせたり、枯れさしてしまう危険性もあると思います。
番組内では、彼の両親の大き愛も感じました。
それは、
「短い命だから、好きなことだけを、思いっきりやらせてあげたい!」
こういう気持ちを感じたのです。
このコーナーを見ていて、何とも言えない感情が湧き上がってきました。
私も、現在は、彼のように、人生のほとんどを、「宇宙考古学」の調査研究に集中しています。
でも今回、彼の実績を見て、
「まだまだ、自分は甘かったな… よし! もっと好きなことに貪欲になろう! 明日などなく、今日死ぬつもりで生きよう!」
改めて、こう思いました。
宮内君は、「病魔」という名前の「鬼」に、やられたのです。
でも、視点を変えれば、その闇のおかげで、彼の人生は、光輝いたのかもしれません。
人によって、感じ方は違うと思いますが、私は、闘病生活は苦しかったと思いますが、彼の生きた10年間は、普通の人の100年間ぐらいの充実度だったと思います。
限られた人生だったから、好きなこと、やりたいことを、一つに絞ることができたのです。
本当にワクワクすることは、
「明日がないかもしれない」
この人生観から生まれるのかもしれません。
人生が、100年くらいもあると思うから、やりたいことが、わからなくなのるのです。
10年という寿命だったら、嫌な仕事を我慢しながら、やると思いますか?
絶対やらないと思います。
この宮内君の生きざまは、現代の若者の人生観に、一石を投じると思います。
また、スピリチュアルな観点から考えると、「死」というものはありません。
彼の肉体は死んだけど、魂は生き続けています。
来世には、またどこかに、生まれ変わってから、また研究を続けるだろうと思います。
その時は、私も、どこかで、合流して、一緒に調査旅行しながら、カフェで、彼とゆっくり、お茶でもしたいです。
そういえば、「魂」という文字にも、「鬼」が入っていますね。
もしかしたら、「鬼が云うこと」、つまり、「鬼の悪さ」によって、私たちは、「命」を感じて、「魂」が輝くのかもしれません。
「命」という文字を、分解します。
「命」=「人」+「一」+「叩」
「人は、一度叩かれないと、本当の命を活かして生きてくことはできない」
こういう意味だそうです。
その叩く棒が、「鬼の金棒」なのかもしれません。
昔、お釈迦様は、弟子たちに、こう説いていたそうです。
「刹那に生きなさい。刹那の時間が、唯一の現実です。それ以外は幻です」
一般的には、
「刹那的に生きる」
というのは、悪い意味で広がっていますが、ここでいう、「刹那」というのは、このような意味ではなく、仏教の専門用語で、「60分の1秒の瞬間」のことだそうです。
この瞬間だけが、唯一の現実なのだそうです。
さらに、お釈迦様が、
「この刹那の瞬間に、毎瞬毎瞬、集中して、生きている意識状態が、悟りを開いている状態です」
とも言ったようです。
これに対して、弟子たちが、
「そんなこと不可能です。私たちには、一生できません」
と言ったら、お釈迦様は、
「そうですか。刹那は難しいですか。それでは、もっとやさしい悟りの方法を教えましょう。一日一生という教えです。つまり、今日、一日のことだけ考えて生きるのです。昨日のことも、明日のことも考えず、今日のことだけ考えて、生きてみてください。朝起きたら生まれて、夜寝るときに死ぬという生き方です」
こう説いたそうです。
「一日一生」
いい言葉です。
「ワクワク生きる」という生き方には、同じことを、5年、10年、30年、50年と続ける生き方も、モチロンありますが、
「今日、一番楽しいことをやる。明日以降のことなんて、考えなくてもいい」
こういう姿勢が、あってもいいのです。
旅行記の最後として、この話も、この機会に書いてきます。
以前にも書きましたが、再掲載です。
1998、アメリカに住んでいたころ、カリフォルニア州のロサンゼルスから、アリゾナ州のセドナに行こうと思って、車を走らせていたとき、不思議なことに、砂漠の土地で雲も、ほとんどなかったのに、どこからともなく、大雨が降ってきました。
「雨だ…」
と思って、車のワイパーを動かして、しばらく、ドライブをしていたのですが、アリゾナ州に入ったとたん、急に
ドバーッー
と目から、大粒の涙が、ボロボロ、こぼれてきました。
「意味のわからない涙は、カルマの涙であり、前世が影響している」
という話を思い出したのですが、特に涙の意味は、わからず、その日は、セドナ行きを断念して、またの機会に、出かけることにしました。
あまりの涙の量で、運転ができなくなったからでした。
それから8年後、2006年6月。
東京の赤坂のマンションで、あるホームパーティーが開催されました。
友人の紹介で参加したのですが、そこで素晴らしい人物と出会いました。
まだ、私とそれほど、年齢の違わない、40代の方だったのですが、日本という国を、いろいろ動かしているような要職についている方でした。
政治の話から秘密結社や宇宙人の話まで、自分がまったく知らなかった視点から、世界の動きを、教えていただきました。
「MIB(メン・イン・ブラック)」の人たちとも、交流があることなどを知って、驚きました。
「こういう人物も、いるんだな…」
と感動しました。
そのパーティーから数日後に、その方が、私のマンションまで遊びにきてくれました。
それから一緒に、カレーを食べに行きました。
カレーのお店に、行く途中で、インディアンのアクセサリーのお店の前を通ったら、なぜか、ドリームキャッチャーが落ちていました。
これは、インディアンのお守りなのですが、それを拾って、元の場所に戻し、それから、カレーのお店に入りました。
今、考えると、このドリームキャッチャーが落ちていたのも、何か運命的なものを感じます。
カレーを食べながら、いろいろな話題で盛り上がりました。
普段、絶対に聞けないような凄い話も、たくさん教えていただきました。
それから、急に拾ったドリームキャッチャーのことから、アメリカのインディアンの話題になりました。
その方は霊能力もあったので、私の前世を霊視したのかもしれません。
目に涙を浮かべながら、インディアンたちの迫害の歴史を話してくれました。
そのとき、物凄い感情が、魂の奥底から、湧き上がってくるのを感じました。
マグマが湧き上がって、噴火しそうな感覚でした。
あまりに苦しくなったので、その日は食事を早めに終えて、家に帰りました。
その夜、自分の前世をありありと、昨日のことにように、鮮明に思い出しました。
もう思い出しても、大丈夫な準備ができたからだと、理解できました。
前世というものは、やはり準備ができない頃には、思いだせないものだと思います。
いや、思い出してはいけないものかもしれません。
あまりにも過酷な場合、魂が耐えられないこともあるからです。
時代は、おそらく、アメリカの建国の時代だと感じました。
私は、インディアンの男性でした。
とてもスピリチュアルで、勇敢な男でした。
仲間の信頼もあり、リーダー的な役割を、いつもやっていました。
ある日、白人たちが、村にやってきました。
言葉は、あまりわからないのですが、テレパシー能力がけっこうあるので、相手が何を考えているのかもわかりました。
そして、彼ら白人たちが、口や態度では、やさしい素振りを見せてはいるのですが、実際には、とても凶暴で悪さをしに、村にやってきたこともわかりました。
いわゆる、「悪魔崇拝」の人々だということを、一発で見破ったのです。
しかし、その当時、私は自分で、とても霊性が高く、神の愛を体現しているという誇りがあったので、そういうことを知りながらも、彼ら白人たち、つまり、悪魔たちを快く迎え入れ、歓迎したのです。
「たしかに表面上は悪人だが、魂は繋がっている。彼らも同じ神の子だ。必ずわかりあえるだろう…」
こう思って彼らも、同胞たちと同じように、愛で包み込んだのでした。
それから数日してから、仲間たちと狩りに出かけて、村に帰ってきたとき、この世の地獄を見たのです。
村に帰ってきたら、いつもと様子が違っていました。
白人たちが楽しそうに、広場でサッカーのような球技で、遊んでいるのです。
しかし、よくよく近づいて見てみると、そのサッカーボールは、村の人たちの頭でした。
ハッキリ、思い出せます。
髪があるために、ボールがまっすぐに転がらないのですが、それを面白そうに蹴っていたのです。
そこから、記憶がボンヤリと霞んでくるんですが、私の妻と子供の頭だったと思います。
こんなかんじでした。
「鬼滅の刃」でも、平凡な幸せを味わっていた主人公の家が、ある日突然、鬼に襲われて、家族が殺されるシーンが出てきます。
そのまんまの経験を、前世でやったのです。
それから、その後の記憶がないのですが、おそらく、あまりのショックのために、記憶から削除したのだろうと思います。
その後にとった行動は、仲間たちと一緒に、その白人たちに復讐をすることでした。
数人を追い詰めて、殺す場面も思い出しました。
「オマエを、殺してもいいか?」
とテレパシーで、相手の魂に聞きます。
すると、相手の魂も殺されることに、同意していることがわかりました。
次に、
「この相手を殺しても、いいですか?」
と神に聞きます。
神も、同意しているのを確認するのですが、やはり躊躇します。
しかし、仲間たちの要望もあり、メチャクチャに殴ったりして殺したのを、覚えています。
1998年にアリゾナ州で、車に乗っていた時に、涙を流した場所は、いろいろ調べてみたら、やはり、私が体験した、インディアンの虐殺があった場所だったみたいです。
やはり、魂は敏感に察知するみたいですね…
イメージですが、だいたい、こういう戦場でした。
それから、また記憶が飛ぶのですが、思い出したのは、インディアンの厳粛な儀式の最中でした。
夜に炎を燃やしている中で、何か特別な儀式をやっているのです。
それは、長老に頼み込んで、やってもらった儀式でした。
それは、
「もうこんな苦しい体験は二度と嫌だ。自分もほかの人にも、二度と味わってもらいたくない。そのためには、まず自分が強くならなくてはダメだ。お願いだから、自分の魂を、最強の魂につくりあげてください」
という願いで、行われた儀式でした。
「絶対に地球上から、こういう憎しみに満ちたような残虐な戦争などを、自分が無くしてみせる。今生がダメだったら、来世でもやってやる!」
と固く決意もしました。
ちょうど、「鬼滅の刃」を手にしたような感覚でした。
すべてを、思い出しきったところで疲れて、泥のように眠ったのですが、翌朝、起きたときに、正座をして、
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
と大声で、叫んでいました。
どうして、こういう行動をとったのか、不思議でした。
それから、4日間、ひたすら、この前世の思い出が浮かんできて、泣き続けました。
今でも、あの記憶のどこまでが事実かは、わかりませんが、確実なのは、妄想などでは、4日間も泣き続けることは、できないということです。
間違いなく、自分の前世の体験だと、実感しています。
それから、この前世の学びの意味を尋ねに、一緒にカレーを食べた人物に、また会いに行きました。
いろいろ話をすると黙って、写真を見せてくれました。
「この写真を見たら、おそらく、あなたは、すべてがわかりますよ」
こう言われました。
見せてもらった写真は、「エジプトの王家の谷」でした。
家に帰って、瞑想していると、またいろいろなことを思い出しました。
まだ肉体のないころ、意識体の状態で、初めて、地球という惑星に来たときに、最初に訪れたのが、「エジプトの王家の谷」でした。
そこで、
「よーし! かなり辛い学びになるけど、立派にこの惑星での学びをやり遂げるぞ! 特に、アメリカのインディアンの人生は、一番、いけど、これもやりぬくぞ!」
そうやって決心して、地球にやってきたことも、思い出しました。
ほかにも、ヨーロッパの人生では、自分がたくさんの人々を、逆に虐殺していたことも思い出しました。
この時代では、自分は、悪魔側のグループだったのです。
そして、インディアンの頃の事件の意味も、ある程度わかりました。
あの当時は、ある意味で傲慢になっていたのです。
霊性が高くて、愛が大きいからといって、なんでもできると思っていたのに、それを、あの白人たちの行為によって、自分の無力感なども知ったのです。
同時に謙虚にもなれたし、自分の使命も、明確にわかりました。
そして、自分の使命にも気が付き、命を燃やして達成する目標も、生まれたのです。
もう一度言いますね。
なかなか人間の視点では難しいのですが、神の視点に立てば、「鬼」や「悪魔」という存在は、人間の「命」を輝かすことができる起爆剤でもあるのです。
その後は、その使命を果たすには、日本に生まれるのがいいと思い、日本の高知県に生まれました。
その時の記憶は、数年前に思い出し、思い出の場所にも行きました。
その人物は、幕末の頃に大活躍して、特に日本とアメリカの懸け橋になろうとしました。
しかし、実際には、そんなスケールの夢ではなく、実際には、
「地球という惑星に住む、全ての存在が、仲良く楽しく暮らせるような世界をつくりたい」
こう思っていたのです。
その夢とは、インディアンの頃には、実現できなかった、
「人間も神様も、鬼も悪魔も、皆が共存して、仲良くできる社会」
これだったのです。
「鬼滅の刃」の中でも、登場人物の誰かが、
「人間と鬼が仲良く暮らせる世の中」
こういう夢を語るシーンがありましたね。
悪魔たちを打ち滅ぼすことも、いいことだとは思いますが、もう一つの選択肢として、
「人間と鬼、そして、悪魔たちが仲良く暮らせる世の中」
これを実現させることが、理想なのかもしれません。
もちろん、実現不可能な夢です。
でも、できそうもない、見果てぬ夢のほうが、ロマンがあるのです。
その人物は、後に、「ジョン万次郎」という名前で、沢山の人々から親しまれ、歴史に名前を残しました。
それから後には、1966年10月6日に、日本の沖縄県で、現在の私、「トーマ・イタル(十真至)」として、またまた、生まれました。
アメリカのパスポートには、「OCTー6-66」と記入されていいました。
「666」のナンバーを刻印されて生まれてきています。
西洋では、「悪魔」ですが、日本などの東洋では、「弥勒菩薩」のナンバーです。
数年前に訪れた、高知県の「足摺岬」です。
この岬に、「ジョン万次郎像」が建っているのです。
万次郎の像と記念撮影した時です。
昔の自分とツーショットでした!
万次郎がやりたかったこと、そして、やり残したことを、これからも、私が引き継いでやっていこうと思っています。
まあ気負わず、楽しくやるつもりです。
左手には、コンパスを持っているそうです。
そして、右手には、三角定規を持っています。
そうです。
万次郎は、「フリーメーソン」のメンバーだったのです。
「青鬼」であり、「エンキ」のグループですね。
最近知った面白い気づきを、ここで、もう一度紹介します。
「カーネーションという花は、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが、その後、落とした涙の後に生じた花」
だという言い伝えがあります。
また、ご存知のように、「生まれ変わり」のことを、英語で、
「リーインカーネーション(reincarnation)」
と言いますね。
この単語を調べると、
「re(再)+in(中へ)+carnate(肉体)+-tion(名詞化)」
こういう単語の構成だそうです。
「再び肉体に(魂が)入ること」
つまり、「輪廻転生」という意味ですね。
この時の「reincarnation」の「-carnation」は、「花のカーネーション(carnation)」と全く同じスペルです。
これは、偶然でしょうか?
日常会話を、英語で行う人たちも、この2つの単語の意味の関連性は、あまり考えないかもしれませんね。
しかし、1文字と違わない偶然を調べてみると、やはり関係があることがわかりました。
英語の「carnation」の名の由来は、一般的に、二つの説があるそうです。
「coronation(冠飾り)」が転訛したという説、それから、ラテン語の「肉(carn)」の意味に由来するものです。
学者たちは、後者が有力と考えている人が多いようです。
後者は元々、「カーネーション」の淡いサーモンピンクのような色が、「肉体(ラテン語でcarn)」の色に似ていたことから、この名が付いたという説です。
つまり、花の色が、「肉体(carn)」の色に似ているから、「カーネーション(carnation)」という単語が生まれたということです。
ちなみに、「カーニバル(carnival)」という単語も同じ、「carn」に由来しているそうです。
つまり、「カーネーション」は、「肉色の花」の意味なのです。
面白いですね。
「輪廻転生(reincarnation)」、それから、「カーネーション(carnation)」は、語源が同じという仮説に基づけば、面白いことに気が付きます。
そうなのです。
前世から今生に再び、自分が生まれ変わってきた時、いきなり、自分の赤ちゃんの肉体が空間に、パッと出現したわけではなく、まずは、今世での母親の肉体、その中の子宮の中で、母親の肉体を借りて、胎児の肉体を創り、それから、その乗り物である胎児に魂が入り、この世界に誕生するのです。
だから、
「再び(re)」 +「中へ(in)」+「カーネーション=肉体(carnation)」=「reincarnation(生まれ変わり)」
こういう方程式が、単語の中に入っているのです。
母の日に、母親に、「カーネーション」をプレゼントするのは、
「今世に生まれ変わってきた時に、あなたの肉体を、一時的に借していただきました。ありがとうございました!」
こういう意味だったのです。
「カーネーション」という花束を贈る行為に、こんな深い意味があったなんて、初めて知りました。
ある時に、自分が、この日本という国に生まれたこと自体が、地球をよくしていくための力を、持っているということにも気がつきました。
そして、現在の私がやっている活動も、かなり大きな影響力をもっていますが、これも、地球から、戦争などのネガティブな行為を無くすことにも、繋がっていくと思います。
今回はちょっと、最後に暗い話になってしまいましたが、この時期に、なんとなくこの話を、読者の皆さんと、シェアしたくなって書いてみました。
書きながら、またちょっと思い出して、涙が滲んできました。
オマケで書いておくと、ネットでは、「子供の誘拐」や「生贄の儀式」など、酷い事件が、どんどん明るみに出ていますね。
しかし、そのようなネガティブな出来事の表面だけを見て、終わりにはしないことです。
ここで、もう一度、思い出してください、スピリチュアルな視点を。
私たちは、「永遠の存在」なのです。
「永遠」という無限の時間の中では、どんな苦しみも、一滴の水滴のようなものです。
殺された子供たちは、次回の来世では、もっと強く、賢い子供として、生まれ変わってきます。
そして、「本当に平和な惑星」をつくるための活動を、始めると思います。
もしかしたら、私のように、
「人間や神様、そして、鬼や悪魔が、仲良く暮らせる社会」
これの実現のために、動くかもしれません。
現在の世界情勢を見ると、「鬼」や「悪魔」は、ほぼ壊滅状態です。
「鬼退治」が、終わったのです。
しかし、これからは、
「鬼を退けた後、世の中を、どう治めるか?」
これが、大切になってきます。
これからが、本当の「鬼退治」なのです。
たくさんの人が、今、目覚め始めています。
地球の波動も、一気に上がり、急速によくなっていくと思います。
私の旅も、まだまだ続きそうです。
ふ~~~っ!
ようやく、最後まで書きあげました。
どうでしたか?
久しぶりの超大作になりました。
楽しんでいただけてら、嬉しいです。
現在、「鬼」と「悪魔」の調査は、ひと段落はしましたが、まだまだ、わからないことだらけで、調査中です。
どこか、面白い所があれば、教えてくださいね。
調査に向かいます!
1月31日(日)の東京セミナーも、楽しく終了しました。
この懇親会の時間が、何よりも楽しい、至福のひと時です。
遅い時間まで、いろいろ語り合いました。
また、おしゃべりしましょうね。
では、いつものように、恒例の締めの言葉です。
今回は、もちろん、これです!
強くなれる理由を知った
僕を連れて進め
どうしたって!
消せない夢も止まられない今も
誰かのための
強くなれるなら
ありがとう
悲しみよ
世界に打ちのめされて
負ける意味を知った
紅蓮の華よ咲き誇れ!
運命を照らして
by LiSA
「紅蓮花」
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