鬼退治ツアー 4 大江山
去年の12月23日(水)、京都府の大江山に向かいました。
ここに、鬼伝説が沢山残っていたからです。
何度も書いているように、地球の歴史において、世界中で何度も、
「人類」 VS 「悪魔」
という構図の戦争が繰り広げられてきました。
現在も、その真っ最中です。
おそらく、今回が、最終決戦だと思います。
日本の場合、古代から、「悪魔」の呼び名は、「鬼」でした。
そして、日本においても、記録に残っているだけでも、沢山あります。
具体的に、「鬼との戦い」と記してある記録だけでも、3回あります。
いずれも、現在の京都府であり、「大江山」という土地が中心になっている戦いです。
その3回とは、シンプルに説明すると、それぞれは、こういう戦いです。
1.日子座王伝説
「古事記」や「丹後風土記残缺」(8世紀)に収められた、大江山に伝わる、もっとも古い伝説みたいです。
当時、現在の青葉山(舞鶴市〜福井県高浜町)に、「陸耳御笠(くがみみのみかさ)」という土蜘蛛がおり、人々を苦しめていたそうです。
崇神天皇の弟であった、「日子坐王(ひこいますのきみ)」は、土蜘蛛討伐の勅命を受けて、由良川筋で激しく闘ったそうです。
日子坐王率いる軍勢にひるんだ土蜘蛛は、与謝の大山(大江山)に逃げ込んだと伝わっているようです。
2.麻呂子親王伝説
聖徳太子の弟にあたる、「麻呂子親王(まろこしんのう)」の鬼退治の伝説だそうです。
この方は別名を、「当麻皇子」と名乗っていたそうです。
私と何か、関係あるのかな?
奈良県の「当麻寺」の建造にも関わっていたそうです。
ある時、
「大江山の古名・三上ヶ嶽に巣食う悪鬼、英胡・軽足・土熊を討伐せよ!」
こういう勅命を受けた麻呂子親王は、兵を率いて向かう道中、死んだ馬が生き返ったり、頭に明鏡をつけた白犬を献上されるなど、神仏の加護を受けて進んだそうです。
そして、鬼の洞窟にたどり着き、鬼たちを退治するが、土熊を見失ってしまったそうです。
しかしすぐに、犬の明鏡に照らして居場所を突き止め、岸壁に封じ込めたという伝説が残っています。
3.酒呑童子伝説
こちらは、有名ですね。
平安時代、安倍晴明が占いで、
「西山に妖鬼住み、王法を倒そうとしている」
こういうメッセージを受け取ったそうです。
その妖鬼こそ、邪法を学んで賊の頭領となり、大江山に立てこもった酒呑童子だったそうです。
すぐに、「鬼滅の刃」に出てくる、「鬼殺隊」にあたる、討伐隊が結成されたそうです。
源頼光、坂田公時、渡辺綱らの6名は、山伏の姿に変装して、住吉・八幡・熊野の神々の案内を受けながら大江山を目指し、酒呑童子の屋敷へと到着したそうです。
頼光らの姿を見て、修験者だと思った酒呑童子は、屋敷で酒宴を催して歓待したそうです。
神からもらった酒で、鬼たちを酔い潰し眠らせた討伐隊は、鬼たちを討ち、頼光は名刀「鬼切丸」で酒呑童子の首を切り落としたそうです。
今回は、1番目の「日子座王伝説」については、調査しませんでした。
2番目の「麻呂子親王伝説」、それから、3番目の「酒呑童子伝説」だけを調べました。
「麻呂子親王伝説」においては、この時の「鬼退治」のリーダーである、「麻呂子親王」が、京都府の京丹後市にある、「竹野神社」の境内に祭られています。
「斎宮神社」という名前の摂社として、本殿の横に建てられています。
ここには数年前に、2回も調査に行きました。
この摂社の祭神は、聖徳太子の弟である、「麻呂子親王」です。
今、その時の写真を見返してみて、驚嘆しました!
「オオッ!!」
思わず、大声を上げたほどです。
神社の名前の書かれた板を見てください。
わかりましたか?
そうです。
「斎」という文字は、「青鬼」の顔の象形文字になっていたのです。
「一本角」と「両目」、それから、「口」が描かれていますね。
凄いですね~!
「斎」という文字が、「青色(青色)」で、「宮」という文字が、「茶色(赤色)」になっているのが、意味深ですね。
このことから、「鬼退治」は、「赤鬼」と「青鬼」、つまり、「エンリル」と「エンキ」、この二人の兄弟の演劇であった可能性が大きいと思います。
つまり、「麻呂子親王」の正体は、「青鬼(エンキ)」であり、人間の姿に変身して、「良い人」として、「鬼退治」に向かったということです。
そして、この時は、敵側の「赤鬼(エンリル)」が、「悪い人」として、成敗される役割だったということです。
この演劇を、人間たちに見せて、いろいろな気づきや学びを与える、教育プログラムのようなものだったかもしれません。
そして、その後も、何度も役割を入れ替えながら、いろいろな劇を演じていたのかもしれません。
ある時に、その演劇であり、八百長プロレスのようなものだということに気が付いた人が、伝説として書き記し、後に絵本になって登場したのが、「泣いた赤鬼」という物語だったのかもしれません。
ここでは、今度は、「赤鬼」が「良い人」の役で、「青鬼」が「悪い人」の役になっていますね。
考えてみたら、
「人間」 VS 「鬼」
これでは、体力的に勝負になりません。
小学生と高校生では、喧嘩にならないのと同じです。
だから、実際には、
「人間に化けた鬼」 VS 「鬼」
こういう戦いだったのかもしれません。
「覆面のレスラー」 VS 「素顔のレスラー」
こういう例えもできますね。
今回は、3番目の「酒呑童子伝説」が、調査のメインでした。
「日本の鬼の交流博物館」にも立ち寄りました。
そこに向かう途中で、皆で地図を眺めている場面です。
着きました。
場所は、京都府福知山市大江町仏性寺です。
ここは、2回目ですが、今回は、自分の意識が変わっているので、前回とは違う視点で、楽しむことができました。
道路沿いには、赤鬼や青鬼がいました。
集まった参加者の皆さんと、記念撮影しました。
ちなみに、「酒呑童子伝説」の話を要約すると、だいたい、こんなかんじです。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
時は平安朝、一条天皇の頃。
西暦1000年前後、京の都は、栄えていましたが、それは、ほんの一握りの貴族たちの繁栄であり、世の中は乱れに乱れ、民衆は社会不安に、おののいていました。
そんな世の中で、酒呑童子は王権に叛き、京の都から、姫君たちを次々にさらっていたのです。
姫君たちを奪い返し、酒呑童子を退治するため、大江山へ差し向けられたのが、源頼光を頭に、藤原保昌、坂田公時、渡辺綱、ト部季武、碓井貞光ら6名です。
これが、日本史に残る、3番目目の「鬼退治」になりました。
頼光ら一行は、山伏姿に身をやつし、道中、翁に化けた、「住吉」・「八幡」・「熊野」の神々から「神便鬼毒酒」を与えられて、道案内をしてもらい、鬼退治の秘策も、教えてもらいます。
そして、途中、川のほとりで、血のついた着物を洗う姫君に出会います。
一行は、姫君より、鬼の住処を詳しく聞き、酒呑童子の屋敷にたどり着きました。
酒呑童子は、頼光一行を、血の酒と人肉で、手厚く歓待しますが、頼光たちは例の酒を、童子と手下の鬼たちに飲ませて酔い潰し、童子を返り討ち、手下の鬼共も、討ち果たします。
そして、捕らえられている姫君たちを救い出し、頼光たち一行は、都へ上がりました。
討ち取られた酒呑童子の首は、王権に叛いたものの見せしめとして、川原にさらすため、都に持ち帰られますが、途中、丹波、山城の国境にある老の坂で、急に重くなって持ち上がらなくなり、そこで葬られたといわれています。
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以上は、学問の世界では、あくまでも、「伝説」や「言い伝え」として、史実としては、認められていないようです。
表の歴史では、源頼光なども、実際には活躍してなかったことになっているようです。
これは、不思議です。
裏の歴史、つまり、「鬼退治」の伝説では、これほど細かい詳細で、この事件のあらましが、書かれているのに、史実ではないとは、どういうことでしょうか?
考えられる可能性は、どちらかが、作り話だということです。
私は、裏の歴史である、「鬼退治」のほうが、真実だと考えています。
もしくは、当時、二つの世界が、パラレルワールドとして、存在していて、どちらも真実だった可能性もあります。
ちなみに、私は、文中の話、
「翁に化けた、住吉・八幡・熊野の神々」
という3人の神様が、とても気になりました。
あとは、オマケの話ですが、この時の「鬼退治」のメンバーに、「坂田公時」がいますね。
この人物は、別名、「金太郎」です。
そうです。
熊に跨って、鉞をかついでいた男です。
この鉞も、「リンカーン」の映画に出てきたように、「鬼を狩るため」の鉞だったかもしれませんね。
山伏の姿の「鬼退治」のメンバーの人形も、近くにありました。
館内には、たくさんの「鬼」のお面などが、展示してありました。
そして、「鬼退治」の絵巻も、展示してありました。
ここにあるのは、コピーしたもので、本物は、この近くにある寺、「清園寺」にあるそうです。
凄く興味深いです。
「酒呑童子」のお面です。
海外にも、「鬼(悪魔)」はいますね。
だとしたら、全ての鬼を、日本だけの歴史と結びつけることには、無理があります。
やはり、地球全体の歴史に深く関わっている、二人の兄弟、「エンリル」と「エンキ」まで遡らないと、解けないテーマかもしれません。
こういう展示がありました。
これこそが、「鬼」の正体だと思います。
二人の鬼が、宇宙から地球を眺めていますね。
「エンリル」と「エンキ」の意味だと思います。
これを描いた人、凄いですね~!
実は、この博物館の近くに、「酒呑童子」たちの住処があったそうなのです。
皆で行こうと思っていたのですが、雪道に覆われて、歩けないようなので、次回行くことにしました。
「鬼退治」のリーダーだった、源頼光が腰かけたと言われている場所にも、行ってきました。
山道を歩いているところです。
着きました。
ここでも、記念撮影しました。
デカイ岩ですね。
「酒呑童子」の身長が、3メートルくらいだったそうですが、鬼退治のリーダー、「源頼光」も、同じくらいの身長であり、巨人だったかもしれません。
鬼の足跡もありました。
やはり、3メートル以上はあったと思います。
私の足と比べてみてください。
皆で、探索している場面です。
いろいろな話で、盛り上がっています。
ここからは、ちょっと距離がありますが、「鬼退治」に向かった、源頼光たちが持っていったと言われている酒は、この神社からだったとも言われているそうです。
ここにも、立ち寄りました。
場所は、京都市西京区です。
「樫原三ノ宮神社」という神社です。
その境内にある、「三宮天満宮」でも、皆で参拝しました。
伝承によると、前述したように、「酒呑童子」を退治した源頼光が、この地にあったという祠に供えてあった神酒を飲んで、一気に酔いつぶれたことがあったそうです。
そこである日、思いついたのが、酒を呑むのが大好きな「酒呑童子」に、この神酒を呑ませて、酔いつぶれたところを退治しようと思いつき、その作戦が成功したのだそうです。
境内の祠です。
そういえば、「薬」という文字は、「楽」という文字が入っていますね。
意味深ですね。
天井には、「鬼」の絵がありました。
ここは、「酒呑童子」の首が埋められているという首塚です。
同じく、京都市西京区です。
鳥居の前で記念撮影しました。
なぜか、友人の中井さんが、車の中から、剣を持ってきたので、皆で、それを持って遊びました。
「鬼滅の刃」ですね~!
いくぞ!
エイヤ~!!
記念撮影しました。
「酒呑童子」の首塚の前で、ポーズを決めてみました!
場所は、とてもわかりにくい所にありました。
あまり、多くの人に来てもらいたくないのかもしれません。
「首塚」という不吉な名前ですが、実際には、とてもいい氣が充満していました。
私たち一行は、この後も、大江山を探索しました。
そして、本物の「鬼退治の絵巻」がある、「清園寺」に向かいました。
そこには、凄い秘密が隠れていました。
次回に続きます。
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