1月22日(金)に、和歌山県和歌山市での調査の後、大阪府岸和田市に立ち寄りました。
ここが、「鬼」をテーマにした旅の最終地になりました。
この街は、「だんじり祭り」でも有名ですね。
「岸和田だんじり会館」に行きました。
大迫力の映像なども見られて、面白かったです。

岸和田城にも行きました。
思ったよりも大きかったので、ビックリしました。
こんな凄い城が、大阪にはあったのですね。

「悪魔」という言葉は、「亜」の「心」に「魔」がさすという状態を、表現した言葉だそうです。
「亜」は、漢和辞典を調べてみると、もともと家を建てる時に、四角く穴を掘った時の穴の象形文字だそうで、その意味は、「下に隠れたもの」、「二番目のもの」、「上から抑圧されたもの」という意味があるそうです。
従って、「悪」いう文字には、「抑圧された心」、「歪んだ心」、「欲求不満の心」、「孤独な心」などの意味があるそうです。
「社会から抑圧され歪んだ心に、魔が入り込んでこんできて、それが表面に悪として、出現したもの」
これが、「悪魔」という言葉の意味なのだそうです。
深いですね。
今回、「鬼」や「悪魔」というものについて、徹底的に考えながら旅しました。
常に、素朴な疑問がわきあがっていました。
それは、
「この世界を創った創造主、つまり、本当の神は、どうして、鬼や悪魔という存在を創ったのだろうか?」
ということです。
いろいろな考えたのですが、それは、
「人間を、謙虚にするため」
だったかもしれません。
調子にのって、傲慢になりそうになった人間に、
「調子にのらないでくださいね。あなたたちよりも、もっと賢い存在など、いくらでもいるのですよ」
こういうことを、教えるためかもしれません。
他にも、
「人間を、強くするため」
という目的もあったのかもしれません。
「そんなに弱かったら、すぐに殺されますよ。天敵の鬼や悪魔に対抗できるくらいの強さを身につけないと、この世界では生きていけませんよ」
こういうスパルタ教育のように、そして、厳しい父親のように、人間の強敵として、鬼や悪魔を創ったのかもしれません。
人間にとって、乗り越えなければいけない、「試練」として、これらの存在を創ったのではないかということです。
昔から、この世界のネガティブな出来事は全て、「鬼」や「悪魔」の仕業だという考え方もあったようです。
たとえば、天候や災害なども、「風神」と「雷神」という二人の鬼の仕業だとも言われていました。

上の方の白色の肌の鬼は、「二本角」なので、「エンリル」ですね。
下の方、緑色の鬼は、「一本角」なので、「エンキ」ですね。
この二人の兄弟が、人間に、「試練」を与える役割だったのかのしれません。
現代では、1970年代くらいから、人間の科学でも、気象や地震なども操作できるようになったようですが、昔は、ずーっと、この兄弟がやっていたのかもしれません。
さらに、「病魔」という文字にも、「魔」が入っているように、これも、そうだったかもしれません。
これは、身体的な病気もそうですが、精神的な病気も、そうだと思います。
「魔」という文字を分解してみましょう。
「魔」=「人」+「木」+「木」+「鬼」
「二本の木」は、エデンの園にあった、「生命の樹」と「知恵の木」だと思います。
だとしたら、こういうことです。
「エデンの園にあった二本の木、その前で立ち止まって、その実を食べようかどうか迷った、アダムとイブが、人間の始まりである。そして、それを見ていたのが、二人の鬼(悪魔)、エンリルとエンキである。この時に、人間の心の中に、魔が入りこんだ」
どうですか?
漢字の一文字に、これだけのストーリーが込められていたのです。
もしかしたら、人間という存在は、長い長い地球史の中で、常に、鬼や悪魔と戦うことで、強くなったり、賢くなったりすることができたのかもしれません。
さらには、国際的な「戦争」や「紛争」だけじゃなく、もっと小さな規模、学校や職場での「いじめ」も、私は、その奥底には、「鬼」や「悪魔」の存在も隠れていると考えています。
私も人生の中で、「鬼」や「悪魔」から攻撃なんじゃないかと思われる、ネガティブな出来事が、何度もありました。
最初は、中学2年生の頃の「いじめ」でした。
この時は、いじめてくる相手が、同じ人間だとは思えなかったのです。
「どうして、こんな残酷なことが、平気でできるんだろう?」
こう思っていました。
「いじめ」には、いろいろな原因がありますが、スピリチャル的には、「集団憑依説」というのもあります。
つまり、「悪霊」という存在が、グループで、いじめる側に憑依して、いじめる相手を追い詰めて、遊んでいるという仮説です。
私は、自分の体験からも、この可能性もあると思っています。
あの時に、いじめられたおかげで、身体を鍛えることができました。
「このままでは、殺される!」
こういう恐怖心が、私の眠っていた魂に、カチッとスイッチを入れてくれたのです。
あのいじめの経験がなかったら、その後、パワーリフティングという競技の選手になり、いろいろな大会で活躍して、素晴らしい人たちと出会うという、素敵な思い出もできなかったと思います。
だから、今では、あのいじめ地獄には、感謝しています。
まあ、二回同じ体験をするのは、嫌ですけどね。
高校3年生の時には、「悪霊」と思われる存在ともコンタクトして、苦しい体験もしました。
以前に書きましたが、この機会にも、再掲載します。
私が17歳の時の話です。
高校1、2年は、それほど問題なく、平凡に過ぎていったのですが、高校3年生になってから、状況が変わりました。
高校3年になったとたん、今までのんびりしていた私も友人達も、皆、大学受験という現実に直面させられ、いろいろと、将来に対して、悩んだり考えさせらるようになってしまいました。
そして、いろいろなストレスが重なり、精神を病んでしまいました。
人と目があったり、話をするのが怖くなりました。
だんだん無口になり、引きこもりをするようになりました。
家族の誰とも話をしなくなり、食事以外は、部屋に一人で閉じこもるようになってしまいました。
「コンプレックス」、「不信感」、「怒り」、「嫉妬」、「悲しみ」、「虚無感」などのネガティブな思念や感情で、自分の精神が一杯になっていくのを、感じていました。
成績がその頃から、急激に悪くなり、物事を記憶することができなくなってきました。高校3年の夏休みが明けた頃は、もう学校の全ての科目で、赤点をとるようになりました。
夜、ずーと起きて、悩みまくり、昼間の授業中に居眠りをするという、極めて不規則で不自然な生活をするようになりました。
そのうち、だんだん人の声などの幻聴が聞こえるようになり、たくさんの妄想もわいてきました。
「魔境」というのは、「何が出てくるかわからない、恐ろしい世界」や「悪魔の住む世界」という意味があるそうです。
当時、私が体験したのは、まさにそういう世界でした。
その頃、だんだん妄想が激しくなり、皆が自分のことを馬鹿にしていると感じたり、皆が自分の噂ばかりしていると思い込むようになりました。
部屋で、一人で何故か、「コックリさん」などの遊びをやるようにもなっていました。どんどんネガティブになっていく自分がいました。
最初は、囁くような声だった幻聴も、だんだんハッキリと声が、聴き取れるようになっていました。
幻聴が酷くなってきたのですが、自分の精神がおかしくなったとは、思いませんでした。
それどころか、
「自分は、とうとう超能力者になったのだ。神の声が聴こえるようになった」
こう思い込むようになりました。
妄想も酷くなり、誰かに常に尾行されているような気がして、登下校は、タクシーに乗るようになりました。
さらに運転手が襲ってきたら、反撃してやろうなどと考えていました。
そして、ついに、自分の家に、盗聴器が仕掛けられていると思い込み、天井裏などを、探すようになりました。
だんだん被害妄想になり、誰かに殺されるのではないかと思い始めました。
幻聴は、最初は、たわいのないお喋りだったのですが、だんだん私のことを馬鹿にするようなことを言ったり、命令をするようになりました。
その一方で、自己顕示欲を煽るようなことを言ったり、誉めたり、いろいろなことを言ってきました。
「オマエは、世界の王になる人間だ。手始めに、この近所に住んでいる、県知事に会って来い」
と言われて、本当に夜中に、知事の家の前まで行ったこともありました。
さらに、
「オマエが、本当の神になるには、オマエの母親を殺さなくてはいけない」
こんなことまで、命令するようになってきました。
さすがに、
「これは、おかしい。神がこんなこと、命令するわけがない」
こうも思うのですが、なにせ神経が普通ではない、狂気の状態なので、つい人を殴りたくなったり、殺したくなってくるのでした。
たまらず夜、家の塀などを蹴ったり、殴ったりして、自分の中の凶暴性を抑えていました。
夜中、気が付いたら、街中を夢遊病者のように、歩き回っていたこともありました。
公衆電話から、真夜中に友人に電話したり、もうムチャクチャでした。
風呂場で洗面器に水を溜め、顔を突っ込み、自殺しようとしたりしました。
このまま生きていると、人を殺しそうで、恐くなったのでした。
一番酷い時は、私の家の周りに、数百万人の人数が来ているのを感じました。
「オイ! イタル、出て来い! こっちへ来いよ!」
大勢の人の声が聞こえるのですが、雨戸を開けると、シーンとした誰もいない夜の町です。
「ワー! ウワー! ワッー!」
と叫びながら、部屋で転げまわっていました。
そうすることで、なんとか正気を保とうとしました。
とても苦しく、つらい日々でした。
「悪い声」と「善い声」が、自分の近くで争っているのも分かるようになりました。
その頃、妹が、階段を人魂が昇っていき、二階の私の部屋に入っていくのを目撃したりするようになりました。
とうとう、学校にも予備校にも行けなくなり、本当に一日中、部屋に閉じこもるようになりました。
人を殺したくなる衝動と自殺の衝動が、交互に襲ってくるのでした。
最初、両親は、ただ私が元気がなくなり、病気になったと思っていたようですが、夜中に外に飛び出したり、友人の家から、
「お宅の息子さんが、夜中に電話をかけてきたのですけど、大丈夫ですか?」
こういう電話があったりして、とうとう精神が病んでいるということに、気がついたようでした。
私は、まだその時は、気が付かず、
「何か不思議なことが、この世界で始まったらしい」
ぐらいに思っていました。
ある朝、父が厳しい顔をして、
「これから病院に行くぞ!」
こう言い、車に乗せられ、病院に連れて行かれました。
そこは、「精神科」でした。
沖縄県那覇市の郊外に、その医院はありました。
両親に付き添われ、その精神科の治療室に入りました。
なんでも、その先生は、父の友人の精神科医だということでした。
その部屋は、心地よいクラシック音楽が、小さな音で、流れていました。
私のボロボロになった心と体には、とてもやさしい音楽でした。
癒されました。
S先生という小柄のオジサンでした。
白衣を着け、笑顔で迎えてくれました。
ニコニコしていて、私には、仏さまに見えました。
「初めまして。どうしましたか?」
やさしい笑顔で、こう聞いてきました。
私が、一部始終を話すと、ニコニコ笑いながら、全ての話にうなずきながら、静かに聴いてくれました。
「まだ、その声は、聞こえますか? 男性ですか? 女性ですか? なんと言っているのですか?」
こう聞かれて、私が、
「男性と女性、両方です。ずーと、僕を馬鹿にしたことを、言ってきます」
こう言うと、静かに私の目を見つめて、
「そうですか…。わかりました。とりあえず、今日は、精神安定剤をあげるので、しばらく、これを飲んで、眠ってください。よく眠れると思います」
こう言ってきました。
その目と声に、とても安心しました。
「この先生だったら、この地獄から、救ってくれる。もしかしたら、もう死なずにすむかもしれない」
こう思い気持ちが楽になりました。
その後、検査室で、心理学のテストをいくつか受けました。
その夜は、半年ぶりぐらいに、ぐっすり眠れました。
すこしづつ、精神がよくなってきました。
学校には、週に1~2回ぐらい登校し、なんとか、お情けで卒業できました。
卒業式のことは、あまり覚えていません。
卒業後、週に1回だけ、S先生の所へ、治療に行きました。
いつもニコニコ笑って、やさしく話を聴いてくれました。
「君は、少し社会性がないようだ。もう少し、自分のことだけでなく、周りの人たちに気を配り、社会と交わるようにしなさい。そうしないと、また同じことを繰り返すことになりますよ」
こうアドバイスを受けたので、以前から興味のあった、「空手」を習いに、空手道場にも入門しました。
子供から老人まで、道場の中で、雑巾がけをやったり、礼儀作法を教えてもらったり、素晴らしい人生学校でした。
私には、こういう生活が欠けていたのでした。
集団で一緒に汗を流すということは、素晴らしいことだということを、本当に学びました。
「精神病」、「幻聴」、「多重人格」などと、「超常現象」、「テレパシー」、「チャネリング」などの明確な境界線というものは、今でもよくわかりません。
もしかしたら、同じ現象を違う角度から見たりしているだけなのかも知れません。
強いて違いをあげるならば、「現実との整合性」だと思います。
例えば、
「あなたの家の庭を、掘ってみてください。きっと、埋蔵金がみつかるでしょう」
こういうメッセージを受け取った時に、埋蔵金が見つからなければ、「精神病」。
もし、埋蔵金が見つかれば、「チャネリング」なのかもしれません。
とにかく、目に見えない存在からのメッセージも、「間違ったもの」や「悪いもの」もあるので、常に自分の意識は、「ON」にして、自分で判断するようにしたほうがいいということを、その経験から学びました。
それから、約半年間、S先生には、お世話になりました。
その間、私は、酒びたりの最低の生活をしていました。
最低の人間でした。
治療が始まって半年後、いつものように、S先生の治療を受けていたとき、最初、いつものように、ニコニコ微笑んで、話を聴いていた先生が、急に豹変して、私に向かって、
「オマエは、甘えているんだー! 何をいい年して、甘えているんだー! 世の中を舐めるんじゃないよ! オマエは!」
こう大声で、怒鳴りました。
ビックリしました。
その時の表情は、一生忘れないと思います。
まさに、「鬼の形相」だったのです!
そして、急に怒りが湧いてきました。
「なんだ、この城間先生も、結局、自分のことを、心の中では馬鹿にしていたのか。いままでの笑顔は全部、嘘だったんだ。父の息子だからって、義理で付き合ってくれていたんだ」
こう思い怒って、治療室から飛び出しました。
受付でお金を払い、
「こんな医院、もう二度と来るもんか! 馬鹿にしやがって!」
こう言って、それから、もう二度とその医院には行きませんでした。
それから一年後、S先生は本を書いたようで、偶然書店で、その城間先生の本を見つけました。
購入して、喫茶店で読みました。
その本には、
「この本を、私が知り合った全ての患者にささげる…」
こう冒頭に書いてありました。
さらに、ぱらぱら読んでいると、
「私は患者が、もう大丈夫だ。この患者は、もう立派に社会人として、社会で活躍していける。こう思ったら、わざと酷い言葉を浴びせて、関係を断ち切ることにしています。そうでもしないと、患者がいつまでも、独り立ちできないからです。涙をのんで、いつも怒鳴りつけていました」
こう書かれていました。
ようやく先生の気持ちがわかりました。
親鳥は、子供が一人前になったと思ったら、完全なタイミングで、巣から落とすと言われています。
落とさないと、いつまでもたっても飛べなくて、蛇などの外敵に食われてしまうし、早く落としすぎると、飛べなくて、地面に叩きつけられ、死んでしまうので、本当にそのタイミングは、完全なのだそうです。
S先生も、「完全なタイミング」で、私を再び社会に、送り返してくれたのでした。
その時、アイスコーヒーを飲んでいました。
「正常に考えることができる。眠れる。呼吸ができる。生きている」
心身ともに、健康になっている自分に気が付きました。
涙がたくさん出てきました。
「生きている」ということが、これほど幸せなことだということに、生まれて初めて気がつきました。
感謝で、体中が一杯になりました。
私が、声をあげて泣いているので、その喫茶店のお客さんやウエイトレスが、心配して見ていました。
その時のアイスコーヒーの味は、今でも覚えています。
そして、私は今でも、アイスコーヒーの一杯で、最高の幸福感を感じることができます。
人生というものは、「当たり前のこと」に気が付き、思い出すことが、目的なのかもしれませんね。
そして、そのための配役として、「鬼」や「悪魔」という存在がいるのかもしれません。
そのために、人間を、断崖絶壁から突き落とすのです。
精神が病む体験をしなければ、「精神世界」について、学ぶこともなかったでしょう。
あの体験のおかげで、膨大な書籍を読み、とても賢くなるっことができました。
だから、あの苦しい体験も、自分を成長させるために、自分が選んだ、「試練」だったのだと思っています。
人生で起こる出来事には、やはり意味があるのだと思います。
また、私が気が付いたのは、
「解決できない問題は起きない。解決できる能力や準備ができたから、問題というのは起こるのだ」
ということです。
私の精神が、そういう出来事にも、耐えられるぐらい強くなったから、また、そういう悪魔とも闘えるぐらい強くなったから、そういう現実が起こったのだと思います。
日本でも、いろいろな青少年の犯罪が起こっていますが、たくさんの犯罪が、私と同じような状況で起こっているのではないかと思います。
私自身は、それらの犯罪の全てが理解できるし、また許せます。
自分も、一歩間違えたら、今ごろまだ、刑務所の中だったかもしれません。
現在、同じような状況で苦しんでいる人物、またそういう人が身近にいる人に、
「諦めないでください。必ず善くなります。そして、人生なんて、いつからでもやり直せる」
こう声を大にして言いたいです。
人間というのは、やはり、「社会的な動物」なのだと思います。
私が病んで、家で療養していた頃、よく友人達が、お見舞いに来てくれました。
その時の嬉しかったこと。
友情というもののありがたさが、よく分かりました。
やはり、「孤独」というものは、よくない状態かもしれません。
英語で、「地獄」のことを、「Hell」と表現するのですが、語源は、「包み隠す国」という意味だそうです。
自分の内側に閉じこもると、そういう状態に陥りやすくなるという意味だと思います。あの頃の私は、答えを外側の世界に見つけられず、それで閉じこもって、内観していたのですが、ちょっと度がすぎたようです。
ちなみに、「悪」を英語で、「Evil」というのですが、語源が、「度を越えた」という意味だそうです。
先人達の知恵とは、凄いものですね。
個人でも、団体でも、「閉じこもる」と邪な考えが湧いてきたり、内側で争ったりし始めるようです。
やはり、常に、「オープン」な状態にしていないと、個人も団体もおかしくなるようです。
現在は、「地球」そのものが、「監獄」のようになっています。
いろいろなしがらみで、外枠をつくり、心理的な閉塞状態になっているのです。
「戦争」なども、これが大きな要因になっているような気がします。
「監獄」の中で、「囚人」や「看守」などが、喧嘩している状態です。
これを突破するには、何度も繰り返すようですが、やはり「精神世界」が、カギになると思います。
「精神世界」を知ることによって、この外枠から外に出られるのです。
「悪」というものについてですが、これは、「諸刃の剣」でもあると思います。
悪く使えば、身を滅ぼしますが、よい使い方を覚えれば、これほど強い味方もないと、私は思っています。
昔、漫画に、「デビルマン」という作品がありました。
この話の中で、主人公の不動明が、「悪魔」に憑依されて、急に強くなる場面がありますが、自分の体験と比べて、似ていると思いました。
また、「悪魔」に憑依されても、最後まで、「本当の優しさ」を失わないという話でもあるのですが、そうかもしれません。
私自身は、「悪魔」というものは、やはり、「神」でもあると思っています。
人間にとって、「厳しい父親」のような存在かもしれません。
とことんまで、「ネガティブ」な行為をさせることによって、深い「気づき」を与えようとしているのかもしれません。
面白いことに、「悪」の意の「Evil」は、スペルを逆にすると、「Live」になります。これは、「活気のある」や「はつらつとした」、「生きる」、「本物の」、「人生を楽しむ」などの意味があります。
私自身も、「魔境」をのりこえた後、「本当に生きている」、「はつらつと、楽しく生きている」と、自分の人生を実感できるようになりました。
現在の私の心の中にも、「悪魔」がいると思います。
でも、それは、今では、私の「生命力」として、人生を逞しく生きていく上での「原動力」になっているようです。
こんなもの、一度闘って、勝ってしまえば、なんでもない存在です。
さて、旅行記に戻ります。
岸和田市では、「岸城神社」にも行きました。

拝殿の前です。

「ヒイラギ(柊)」という植物も、「藤の花」と同じように、鬼が嫌うものだといことを、最近知りました。
基本的に、ギザギザの形の葉は、「鬼」や「悪魔」が嫌うと言われているそうです。
「ヒイラギ」は、クリスマスツリーにも使われるそうですね。
この神社にも、それがありました。
ここは、節分祭りでも有名だそうですね。

ギザギザの葉を見て、大感動しました。

「ヒイラギ」が取り囲んでいるスペースには、「鬼瓦」が置かれていました。

ここには、「鬼封じ」のために、何かの結界があるのかもしれません。

このスペースに、とても深い意味があると思いました。

この結界からは、近くの「岸和田城」の天守閣も見えました。

調べてみると、「鬼封じ」には、他にも、「南天」、「ツバキ」、「もみの木」なども効果があるといわれているそうです。
「岸城神社」から、車でちょっと走った所に、「夜疑(やぎ)神社」という名前の神社があったので、そこにも行ってきました。

「夜道は、全ての人を疑って歩きなさい」
こういう意味かもしれませんね。

「やぎ」とは、「山羊」でもあると思います。
そうです。
西洋の「悪魔」です。
これを、封じ込めるための神社かもしれません。
西洋の代表的な悪魔、「バフォメット」です。
山羊の姿ですね。

前述した、「岸城神社」は、東洋の「鬼」を封じ込めたり、排除するために、「ヒイラギ」が植えられているのかもしれません。
そして、一方の「夜疑神社」は、西洋の「悪魔」の封じ込めや排除が目的で、創建されたのかもしれません。
だとしたら、岸和田という土地は、特別な場所だということです。
昔のある時期、これだけ魔物いたということは、何か重要な宝物のようなものが、隠されているということなのです。
「鬼」も「悪魔」も、「エンリル(赤鬼)」と「エンキ(青鬼)」でしたね。
そして、その二人の兄弟を制御できるのは、父親の「アヌ王(八咫烏)」や共通の孫娘、「イナンナ(稲荷神)」、そして、共通の妹、「ニンフルサグ(弁財天)」でしたね。
この神社の鳥居の前には、やはり、「弁財天」がいました。

そして、拝殿の前での記念撮影です。

境内や周辺には、「鬼除け」や「悪魔除け」の植物が、咲き乱れていました。
この神社は、特別です。
何かあります。
「モミの木」です。
これも、クリスマスツリーに使われますね。

「ヒイラギ」かな?


「南天の木」だと思います。

本殿の裏にも、「モミの木」が植樹されていました。
これも、御神体だと思います。

同行した友人たちから、これは、「ツバキ」だと教えてもらいました。
本殿の裏に植えられていました。

ギザギザの葉ですね。
もしかしたら、「悪魔」たちの攻撃、「ゾンビ病」の特効薬かもしれません。
また、「椿(ツバキ)」は、「唾(つばき)」による伝染病を防ぐ効果もあるのかもしれません。

神社の奥にある場所にも、たくさん植えられていました。

この神社の拝殿の前には、「イスノキ」がありました。
境内では、この樹木が一番古いそうです。
とても硬い木で、家具などに使われるそうです。
とくに、「イスノキ」の木刀は、「示現流」の剣術で使われてることで、有名らしいです。
ただ硬いからではなく、鬼が嫌う成分を含んだ木材だからかもしれません。
つまり、これで作った木刀も、「鬼滅の刃」だということです。
拝殿の90度の位置に、摂社がありました。
だいたい、ここに置いてあるものも、御神体になります。

見てください!

わかりましたね。
「鬼滅の刃」に出てくる、「禰豆子」の口に挟まれている竹です。

大感動でした~!

調査旅行が終わった後、皆で打ち上げしました。
美味しい中華料理を食べました。

実は、岸和田市には、どうしても会いたい人物がいました。
この街を訪れた目的の一つは、その人に会いたかったからというのが、メインの目的でした。
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