天皇シークレットツアー 6 達磨
8月下旬の二日間、新潟県の佐渡島に、調査に向かいました。
実は、新潟県には、幼少の頃、2年間住んでいたことがあります。
当時、父が新潟大学病院に、勤務医として勤めていたのです。
だから、新潟県は、私の故郷の一つでもあります。
25歳の頃にも、正月に、新潟市と佐渡島に、一人旅で行ったことがあります。
その時、雪山で道に迷い、引き返そうとしたときに、車が崖から落ちそうになって、とても怖い思いをした体験があります。
今回は、あれから、約30年ぶりの佐渡島でした。
新潟市から、フェリーで向かいました。
海風を感じながらの船旅、最高でした。
佐渡島の両津港に着いて、地元の方たちと、作戦会議をしました。
ご存じのように、この旅は、「38度ライン」の調査がメインの目的です。
だから、なるべく、このライン沿いにある、神社や寺をまわりました。
そして、直感で、面白いそうだと思った場所にも、フラリと立ち寄ったりという、いつものよううな、「行き当たりバッチリ」と旅でした。
まずは、気まぐれで立ち寄った所から、紹介しましょう。
新潟県在住の友人から、紹介された寺です。
「長谷寺」という名前です。
ここにある、「ウサギ観音」を見たかったのです。
マスクをしていました。
「ウサギ」の姿は、いろいろな解釈ができます。
正面から見ると、二本角の鬼にも見えます。
「白狐」である、「イナンナ(稲荷)」にも見えますね。
この石像は、「イナンナ」の身体の中に、「仏様」、つまり、「エンリル」がいるようにも見えます。
「白石城」と同じコンセプトですね。
また、「ウサギ」の横顔は、「長頭人間」にも見えます。
詳細は省きますが、日本だと、七福神の中の神様、「福禄寿」ですね。
「モーゼ」でもあります。
やはり、これらの神々の正体も、「エンリル」です。
「エンリル」が、「鳥の神様のグループ」で、「エンキ」が、「爬虫類の神様のグループ」でしたね。
だから、この「ウサギ観音」は、同時に、「天使」の意味もあります。
このように、一つのシンボルからは、複数の神様の意味に、解釈できるのです。
古代史においては、答えは、一つではないのです。
長い年月を経たものには、同時に複数の意味が、込められていることが多いのです。
「38度ライン」の下には、金脈があるのではないかと、旅行記の最初の頃に書きましたね。
この島には、まさに、その金脈があるのです。
「佐渡金山」という場所です。
ここは、1601年に、山師3人により開山されたと伝えられています。
1603年には、徳川幕府直轄の天領として、佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ、江戸幕府の財政を支えたそうです。
ここは、トンネルの中に入って、いろいろ見学できます。
蝋人形で、当時の仕事の様子を再現しています。
とても面白いです。
トンネルの中は、10℃くらいで寒かったです。
トンネルを出ると、外は酷暑でした。
「間ノ山搗鉱場(あいのやまとうこうば)」という場所です。
「間の山」という名前は、「愛の山」とも読めますが、同時に、「魔の山」とも読めますね。
意味深な名前ですね。
そして、行きたかった念願の場所に着きました。
ここに来るのは、初めてです。
「北沢浮遊選鉱場跡地」という遺跡です。
記念撮影しました。
北沢浮遊選鉱場跡は、1937年に建設され、当時は、東洋一の浮遊選鉱場と呼ばれていて、もともとは、発掘された鉱石を、より分けるための施設だったそうです。
「浮遊選鉱法」という、銅に適用されていた採掘の技術を、金や銀にも応用し、世界で初めて、その実用化に成功した場所と言われています。
最近では、
「天空の城ラピュタみたいだ!」
こういう感想も多く、宮崎アニメのファンも、よく訪れるそうです。
敷地内にある建物です。
「50メートルシックナー」と呼ばれているそうです。
ネットで調べると、いろいろな情報が出てきますが、宇宙考古学を学んでる私には、たしかに、これらの施設は、平安時代に始まり、江戸時代や明治時代、それから、昭和の時代まで、金や銀の採掘が行われていたと思いますが、実際には、もっともっと大昔から、ここで、金の採掘が行われていたと感じるのです。
これは、なんとなくの勘からくるものです。
何度も書いていますが、宇宙人である、「アヌンナキ」は、惑星ニビルに住む宇宙人でした。
これは、冥王星の外側、太陽系の一番端をまわっていると、言われています。
約50万年前に、彼らの母星である、惑星ニビルの大気が、宇宙空間に流出して、絶滅の危機に瀕したようです。
その時に、黄金の粒子で、大気が流出しないようにシールドをはり、その危機から脱したそうです。
しかし、その後も黄金が、まだまだ大量に必要になったようです。
そこで、アヌンナキたちは、黄金の含有量が多い惑星を探し回り、地球にたどり着き、地球で黄金の採掘を始めたと言われています。
その時に、地上に舞い降りたのが、「アヌ王」、それから、二人の息子、「エンリル」と「エンキ」だったようです。
それから、しばらくしてから、二人の息子の共通の孫娘である、「イナンナ」も、登場しています。
この四人が、地球の四天王です。
日本の「天皇家」も、半分は、この宇宙人にルーツがあります。
旅行記の冒頭でも紹介した、「リンゴグループ」であり、神武天皇を初代天皇だとする、「神武派」は、この流れです。
「力と支配」の一族ですね。
この一族が、必要に応じて、人間を間引きしたり、人口調整したりしていたようです。
現在の「人口削減計画」と言われているものを行っているのも、この一族です。
縄文時代には、「アヌンナキ」は、日本では、「アラハバキ」と呼ばれていたそうです。
「荒く、はばく」
つまり、
「荒っぽく、掃除する」
この意味の神様グループだったようです。
だから、戦争を起こすこともれば、平和にすることもあり、生贄を捧げることも要求することもあり、天候を動かして、災害を起こしたりもしたそうです。
「荒ぶる神々」
こうも呼ばれ、人々から、恐れられていたようです。
さらに、地球においては、金の採掘ができる場所は、同時に、「エデンの園」のような所でもありました。
そして、その場所は、古代の地球においては、「人間牧場」や「人間養殖場」でもあったのです。
「人間」を、地球外からやってくる宇宙人たちに、今話題になっている、「アドレノクロム」を提供する場所でもあったのです。
ただし、ここで重要なことは、ここでいう、「人間」とは、厳密にいうと、「人間」ではありません。
見た目は、人間に似ていますが、旧約聖書に書いてある、「アダムとイブの創造」のように、土から創った、「土人形」だったのです。
つまり、意識はあるけど、魂が入っていない存在であり、「アンドロイド」だったのです。
太古の昔から、「アドレノクロム」は、宇宙人たちの御馳走だったようです。
ただし、古代においては、「人間」のものではなく、土から魔法によって創られた、「アンドロイド」のものを、常用していたようです。
だから、太古の昔から、「天皇家」は、「アドレノクロム」を常用していたということです。
これは、現在に始まったことではないのです。
「イナンナ(稲荷)」は、「聖母マリア」でもありましたね。
そして、その息子が、「キリスト」になります。
一説によると、古代において、「キリスト」は、世界中をまわり、日本にも何度も訪れたり、滞在していたようですが、何度目かの来日の時、青森県の八戸の港から、上陸した時があったそうです。
「八戸」という地名にも、「イナンナ」のシンボルである、「八」が入っていますね。
その時に上陸した地名からとったと思うのですが、その後、しばらくは、
「八戸太郎天空」
と名乗っていたそうです。
短く略して、ニックネームのように、
「八太郎」
と名乗ったこともあったようです。
「八幡太郎義家」の肖像画です。
「白馬」に乗っていますね。
これは、「キリスト」のシンボルです。
そして、ツインレイのような存在だった存在に、「イスキリ」という名前の弟がいたそうです。
二人で、陰と陽の関係だったと思います。
日本においては、昔、この弟の「イスキリ」が、「石切り」である、「フリーメイソン」のリーダーだったとも言われています。
あくまでも、私個人の推測ですが、おそらく、こういう関係だったと思います。
〇「エンリル」=「狛犬の阿」=「キリスト」
〇「エンキ」=「狛犬の吽」=「イスキリ」
古代の日本において、兄である「キリスト」が、善人たちから慕われ、彼らを導ていたと思います。
そして、同時に、弟である「イスキリ」が、悪人たちから恐れられ、彼らを統率していたのだと思います。
これも、もちろん、現在の天皇家のルーツの一つです。
青森県には、「キリスト」と「イスキリ」の兄弟墓もあります。
さらに、「キリスト」が、「八戸太郎天空」を名乗って、日本中を行脚していた時、二人の弟子がいたそうです。
一人が、「大平太郎坊(おおひらたろうぼう)」という名前で、二人目が、「金笠太郎坊(かねかさたろうぼう)」という名前だったそうです。
「金笠」の「金」、それから、「大平」の「平」、この二人の名前の文字を合わせて、「金平(こんぴら)」と呼ばれていたそうです。
この二人が、「金刀比羅宮」、つまり、「こんぴらさん」の始まりだったようです。
「キリストの二人の弟子を祀った聖地」
ということです。
調べてみると、やはり、「金刀比羅宮」の祭神は、「大物主命」であり、「大国主神」の和魂でもあるそすですね。
「大物主命」=「大国主命」=「キリスト」
ということです。
その二人の弟子、「金」と「平」が、「こんぴらさん」の名前の始まりだったということです。
昭和の時代、国民的人気ドラマだった、「水戸黄門」、この話は、大昔、「キリスト」が、実際に二人の弟子を連れて、日本中に愛を説いてまわった旅行を、江戸時代風にアレンジしたドラマだったとも言われています。
「水戸黄門」=「キリスト」
「助さん」と「格さん」が、「二人の弟子・金平(こんぴら)」」
こういうことです。
この機会に、もう一度、キリストの弟である、「イスキリ」について、おさらいしていきましょう。
まず、「サンタクロース」についてです。
一般的なイメージでは、クリスマスにプレゼントを運んでくる、親切なオジサンですが、裏の歴史を調べると、これほど怖い存在はありません。
ヨーロッパの周辺では、起源を調べると、子供をさらいに来る、「人さらい」だったようです。
ドイツの「サンタクロース」です。
「クランプス」という名前の怪物です。
この存在が、日本に渡ってきたのが、秋田県で有名な「なまはげ」だったそうです。
これらが、本来の「サンタクロース」なのです。
大晦日の夜に、
「泣く子はいねがー! 親の言うこど聞がね子はいねがー!」
などと叫びながら、地域の家々を巡り、子供を震え上がらせます。
親が子供にかわって、謝ったりする伝統行事ですね。
ヨーロッパでは、「クランプス」と「サンタクロース」が、一緒に歩き回る祭りがあるそうです。
古代のヨーロッパの「サンタクロース」は、だいたい、「ブラックサンタ」と呼ばれる、別の「人さらい」の「サンタ」を連れて歩いていたようです。
この赤い帽子を被っているほうの「サンタ」は、「良いサンタ」で、隣の黒ひげが、「悪いサンタ」だそうです。
しかし、いつの時代も、善人面しているほうが、「極悪」だったりするのです。
モデルになったのは、「ミラの聖ニコライ」と言われている人物で、別名が、「シンタクロース」だったともいわれています。
これが、「シンタクロース(ミラの聖ニコラ)」だと言われている人物の絵です。
真ん中で、「十字架」の描かれたマフラーのようなものを、身にまとっている白髪の老人です。
説明分には、
「無実の罪の三人を死刑から救う」
こう書いてあるそうです。
しかし、「赤い靴」と「ゾンビ」の記事で紹介したように、この三人の罪人たちの正体は、間違いなく、「悪魔教」の信者たちです。
特に、左側の罪人を見てください。
「赤い靴」を履いていますね。
来ている服、つまり、女装しているように見える服装は、殺した女の子の服かもしれません。
しかも、悪魔教の信者特有の目になっていますね。
「アドレノクロム」の禁断症状で出てくる、目の周りの黒い痣もあります。
「サンタクロース」の起源であり、実在のモデルである、「シンタクロース(ミラの聖ニコラ)」という人物は、悪魔教の信者を、死刑から救った、彼らのヒーローなのです。
つまり、「悪魔の中の悪魔」であり、一番の大ボスだったということです。
「サンタクロース」が、「人さらい」の集団である、「悪魔教」の大ボスだったのです。
「良いサンタ」は、「極悪のサンタ」だったのです。
日本では、1900年に、教材などに登場したそうです。
その名前は、「北國の老爺 三太九郎」という名前だったそうです。
絵を見てください。
起きたばかりの子供が、怖がっていますね。
暖炉に、「赤い靴」がぶら下がっていることに、注目してください。
これは、私の推測ですが、「サンタ」は、日本にやってきたときは、悪魔であり、狂人の集団であり、全てが真逆の価値観だったので、子供をさらった後に、お礼のプレゼントとして、「赤い靴」を、その家に置いていったのではないでしょうか?
そのくらい、
「悪事を働くことは、いいことだ」
こう信じている人間たちなのです。
「クリスマスイブに、サンタが家にやってきて、プレゼントを置いていく」
この話は、彼らが、子供を誘拐しやすくするために、でっち上げた作り話だった可能性が大きいです。
つまり、クリスマスイブに、この格好をして、どこかの家に、外人が不法侵入しようとしても、近所の人々も警官も、
「ああ、お父さんが変装して、子供たちを驚かそうとしているんだな…」
こう思うのです。
これは、「ハロウィーン」というイベントも、そうみたいです。
この日の夜に、見知らぬ人の家を、子供がまわり、行方不明者が続出するのは、どこかの家の悪魔教の信者の家で、拉致され誘拐されていた可能性が大きいのです。
こういう悪魔たちは、価値観が正反対みたいです。
普通の人々は、相手が喜んだり、健康になったりすると、魂が喜ぶのですが、悪魔たちは、その真逆で、相手が苦しんだり、殺したりうと、魂が喜ぶそうです。
ある調査によると、アメリカの場合、全体の人口の1%が、こういう魂の持ち主だそうです。
日本は、とても少ないと思います。
おそらく、アメリカの1割以下、つまり、全体の人口の0.1%以下だと思います。
「赤い服を全身にまとったオジサン」
このコンセプトを共通項にして、歴史上の人物を探ってみると、ある一人が浮かび上がってきます。
この方です。
「達磨大使」であり、キリストの弟子の一人でもある、「トマス」です。
ネットで調べると、こういう記事が出てきました。
わかりやすいように、箇条書きしますね。
〇達磨大使の正体は、イエス・キリストの弟子、トマスだった。
〇ダルマのモデルは、禅宗の開祖となるインドの僧侶・ダルマ大使である。
〇ダルマは「七転八起」として縁起ものとしてしられているが、聖書にも、「正しい者は七度倒れてもまた起き上がる(箴言24章16節)」と記述されている。
〇達磨大師は、南インド出身であり、南インドは、キリスト教のトマスが宣教していた地である。
〇達磨大師の命日は、10月6日であり、ギリシャ正教会は、10月6日をトマスの召天日(命日)と定めている。
〇トマスはイエス・キリストの12使徒のうちの1人であり、トマスの発音がアラム語の「双子」の発音に近いため、「トマスは、イエス・キリストの双子だった」という説もあります。
ここで、「トマスはイエス・キリストの双子だった」という箇所に、注目してください。
そうです。
日本では、「イスキリ」になるのです。
さらに、特筆すべきことは、達磨大師がモデルとなった「ダルマ」には、丸くて手足がないそうです。
その理由を、ネットで調べてみました。
あるサイトに、こう書かれていました。
「このような姿になった理由は、達磨大師が、9年というあまりにも長い間、洞窟で壁に向かって、座禅を組んでいたため、手足が腐ってなくなってしまったのだ」
わかりましたか?
そうなのです。
生きながら、どんどん身体が腐っていく病気は、「ゾンビ」なのです。
つまり、「アドレノクロム」の禁断症状だったということです。
だから、「達磨=トマス」は、晩年には、人肉を食べた副作用で、「ゾンビ」になっていたということです。
京都の「天龍寺」という寺の入り口には、バーンとデッカく、「達磨」が置かれています。
「赤い服」を見にまとっていますね。
「達磨=トマス」ですね。
この寺の御神体であり、祭神のような存在は、「達磨」だったのです。
そして、「ハドリアヌス6世」という人物です。
昔のローマ教皇の服装は、「達磨=トマス」のファッションだったのです。
まとめます。
こういう等式になります。
「イスキリ」=「トマス」=「達磨」=「サンタクロース」=「ローマ教皇」
では、旅行記に戻ります。
私たちは、ここの敷地内を、しばらく歩きまわって調査しました。
そして、調査している時に、ここの隣の高い場所に、何かありそうだと感じました。
ここを見下ろしているような場所ですね。
そこで車で、その場所まで行ってみました。
着きました。
ここから、下界がよく見えます。
ここから見下ろすと、まさに、「天空の城 ラピュタ」です。
下から見えていたのは、この寺の山門でした。
「総源寺」という名前です。
「全ての源を総べる寺」という意味ですね。
凄い名前ですね~!
本堂の扉を開けて、ビックリしました!
見てください!
そこには、「達磨」がいたのです!
そうです。
ここは、太古の昔、「エンキ」であり、「イスキリ」でもあった、宇宙人(神様)が、金を採掘して、同時に、土人形(アンドロイド)たちを、管理していた場所でもあったのです。
次回は、いよいよ、佐渡島の「38度ライン」を探索した話です。
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