天皇シークレットツアー 7 戦いを終わらせた日
続きの話です。
だんだん、旅行記も佳境に入ってきましたね。
私たちは、佐渡島の「38度ライン」の近辺をまわりました。
東側には、「長安寺」という寺もありました。
場所は、佐渡市久地河内です。
この時には、「長安の都」というイメージしか、湧いてこなかったのですが、その意味は、旅の最後でわかりました。
これについては、旅行記の最後に書きますね。
それから、私たちは、島の西側にも行きました。
島の西側、佐渡市沢根という場所の近辺にも、その地点がありました。
小さな神社です。
屋根には、やはり、「三つ巴」のシンボルがありました。
「天照派」ですね。
「野坂会館」という建物と一緒になっています。
拝殿の中には、沢山の人形が置かれていました。
これは、「空海」だと思います。
拝殿の横には、「秋葉山」と書かれた石碑がありました。
この名前が、元々の神社名だったのかもしれません。
「秋」は、「禾」と「火」ですね。
これは、「神」と「日」の意味でもあります。
だから、「日の神」で、「天照大御神」の意味も含んでいます。
「キリスト」の意味でもあります。
そして、「葉山」は、天皇の御用邸ですね。
意味深ですね。
記念撮影しました。
ここから、車でちょっと走った場所に、面白い名前の寺があったので、そこにも、立ち寄りました。
「瑠璃山 曼荼羅寺」
凄く意味深な名前ですね~!
「瑠璃」は、松田聖子の唄、「瑠璃色の地球」で有名ですね。
「地球」の意味だと思います。
そして、「曼荼羅」は、「宇宙(世界)」の意味ですね。
だから、この寺は、
「宇宙から見た地球での位置」
この意味です。
つまり、「38度ライン」、そのままの意味です。
その石碑の近くには、小さな「イザナギ」と「イザナミ」の石像もありました。
二人と、スリーショットです。
本堂の前で、記念撮影しました。
そして、屋根を見て、大感動しました~!
わかりましたか?
そうです。
ここにも、「38度ライン」を表現していると思われる、シンボルが出てきたのです。
そして、本堂の扉を開けてみました。
見てください!
ここの目の前にも、御神体が飾られていました。
もちろん、あのシンボルです!
またまた、大感動して、
「うわ~~!!」
と、大声を上げました。
やはり、昔から、この「38度ライン」を知っている人たちが、佐渡島にも、その目印として、寺や神社を創建していたのです。
人工衛星などもない時代です。
人間ではありません。
神々です。
ここから、さらにちょっと車で走った所には、「二見神社」という神社もありました。
案内板です。
鳥居の前には、三つの石が置かれていました。
これは、「植物」と「動物」と「人間」という、「三つ巴」の魂を表現しています。
拝殿です。
拝殿の横には、七福神がいました。
「エンキ(恵比寿)」と「キリスト(大黒天)」もいました。
ここから、さらに車で行った所に、「橘」という地名があります。
「ミカングループ」の拠点だったと思います。
同時に、昔は、「橘寺」の「聖徳太子」をリーダーにした、「天照派」の縄張りだったと思います。
そこから、もう少し、海岸線を走ると、「38.00度」のあたりになります。
有名な「夫婦岩」がある地点です。
場所は、佐渡市高瀬の辺りです。
そこの地点には、お稲荷さんがありました。
「イナンナ(聖母マリア)」ですね。
「事毘平神社」と書かれています。
「ことひらじんじゃ」と読むそうです。
思い出しましたか?
そうです。
前回の旅行記の中で紹介した、「こんぴらさん」ですね。
太古の昔、「キリスト」が、「八戸太郎天空」を名乗って、日本中を行脚していた時の二人の弟子の名前ですね。
一人が、「大平太郎坊(おおひらたろうぼう)」という名前で、二人目が、「金笠太郎坊(かねかさたろうぼう)」という名前だったそうです。
「金笠」の「金」、それから、「大平」の「平」、この二人の名前の文字を合わせて、「金平(こんぴら)」でしたね。
そして、その横には、「八房の梅」という名前の場所もありました。
「八」は、「イナンナ(聖母マリア)」のシンボル数でもあるし、前述した、「八戸太郎天空(キリスト)」の数字でもありますね。
つまり、ここには、昔、「イナンナ(聖母マリア)」と「キリスト」、それから、その二人の弟子が住んでいたということが、推察できるのです。
凄い聖地なのです。
そして、この神社の目の前に、いよいよ、「38度ライン」の国内における、最西端の場所があるのです。
見てください、この景色です!
「夫婦岩」です。
記念撮影しました。
最初は、この岩の形の意味に、気が付かなったのですが、だんだん、わかってきました。
そして、またまた、
「うわ~~~!!!」
と車の中で、大声をあげて叫んでしまいました。
地元の方たちに案内してもらっていたのですが、気が付いた時に、車を停めて、バックしてもらい、再度、撮影しました。
いきますよ、
いいですか?
ジャ~ン!
わかりましたか?
拡大した写真です。
そうです。
「ルルドの泉」の「聖母マリア」です!
「白」と「青」の二色まで同じですね。
これは、「空」と「海」の意味かもしれません。
これは、「空」と「海」の意味かもしれません。
「空」=「鳥類の神様グループ」=「エンリル」=「狛犬の阿」
「海」=「爬虫類の神様グループ」「エンキ」=「狛犬の吽」
まさに、この両者の神様を統合した、「イナンナ(聖母マリア」のシンボルですね。
もしかしたら、フランスの「ルルドの泉」の「聖母マリア」は、ここの真似をしたのかもしれません。
この岩のほうが、はるかに歴史が古いと思います。
そして、もしかしたら、この岩のアートを彫刻したのは、文字通り、「空海」だったかもしれません。(笑)
「聖母マリア」の岩絵の横には、「エンキ(恵比寿)」だと思われる形の岩もありました。
わかりますか?
左横を向いていますね。
そして、この岩から、ちょっと北へ、150メートルくらいの位置には、この岩があります。
遠くから、写真で撮影したので、わかりにくいと思います。
最初は、「エンキ(恵比寿)」に見えたのですが、後から、この岩の正体は、「キリスト(大黒天)」に見えてきました。
「ライオン」の顔にも見えるので、「エンリル(不動明王)」であるかもしれません。
いろいろな神様の複合体にも見えます。
そして、この岩の位置が、ドンピシャの「38.00度」のライン上なのです。
そうです。
日本における、「北緯38度」のラインの最先端が、この岩なのです。
「エンリル(不動明王)」と「エンキ(恵比寿)」、それから、「イナンナ(聖母マリア)」と「キリスト(大黒天)」、「キリストの二人の弟子」、オールスターが、勢ぞろいの聖地だったのです。
大切なことは、「38度ライン」の最先端、つまり、「ミカングループ」である、「天照派」の聖地に、相手方である、「リンゴグループ」の神々、
神武派」の神々、「アヌンナキ」の一族も、大集結していた痕跡があるということです。
だとしたら、この二つのグループは、敵でもあるけど、状況によっては手を組み、味方になることもあるということですね。
まさに、「好敵手(ライバル)」だったということです。
佐渡島にある、国内最西端の聖地、そのさらに西には、朝鮮半島があります。
そこにも、「38度ライン」があり、この半島を、真っ二つに横切り、二つの国を分けているのです。
これも何度か書いていますが、大切な話なので、この機会に再掲載しますね。
数年前に、愛知県半田市に行くことができました。
どうして、ここを訪れたかったかというと、日本の戦後史において重要な土地だからです、
半田市の中でも、どうしても訪れたかった場所がここです。
ここは、半田市の中でも、何もない土地です。
どうして、何もないか、わかりますか?
どこかに、似ていませんか?
そうです。
東日本大震災の後の東北地方です。
どうして、風景が似ているのか、わかりますか?
その理由を、これから書いていきます。
愛知県半田市は、戦前、戦中、戦後と、日本の軍事や経済に一番影響を与えた、最重要地点なのです。
半田市には、「中島飛行機の工場」がありました。
ここでは、1400機もの世界最高水準を誇る戦闘機がつくられ、戦争初期、日本は快進撃をつづけていました。
特に、「疾風(はやて)」と呼ばれていたゼロ戦は、当時、世界一の飛行機で、たくさんのアメリカの戦闘機を、撃ち落としていたので、アメリカ軍の脅威になっていたそうです。
戦後、「月光仮面」という番組で、
「疾風のように現れて、疾風のように去ってゆく…」
という歌が流行りましたが、このゼロ戦のことだという説もあるようです。
しかし後に、アメリカの物量作戦にあい、戦局が不利になると、国は戦闘機の2.5倍の増産に踏み切ったのです。
熟練工が出陣するなか、学徒が全国から集められ半田に送られ、戦闘機の製造にあたりました。
「お国のために…」
という思いで、学徒動員の生徒たちは、劣悪な労働環境の中、味噌汁と御飯だけという食事で、毎日12時間以上の長時間労働に従事したそうです。
「生産戦士」という呼び名で持ち上げられて、軍の無謀な生産計画を担ったそうです。
これだけ優秀な戦闘機を製造していた工場ですから、アメリカ軍による凄まじい空襲も受けています。
アメリカからすれば、なんとしても潰したい場所だったのです。
そんな中、1944年年12月7日の夜、午後1時36分に、 M7.9という関東大震災に匹敵する地震が東海地方を襲ったのです。
最大の被害に遭ったのは、半田市の中島飛行機の工場でした。
当時の現場にいた人の証言によると、非難しようとした人々の上に、壁が崩れ落ちてきたそうです。
「 くるしい、たすけて、おかあさん…」
生き埋めになった生徒たちの声が、あちらこちらから、聞こえてきたそうです。
とても凄惨な光景だったようです。
学徒96人を含む、153人が亡くなったそうです。
ただし、この時の死者の数は、記録されていないだけで、実際には、もっとすごい数の人々が、この地震で亡くなったと言われています。
数万人という説もあります。
この大地震については、以前にもブログで紹介しましたが、やはりこれも、当時のアメリカ軍からの攻撃だったようです。
「人工地震」だったということです。
詳しいことは省略しますが、2011年8月には、NHKでも、この出来事がテレビで放映されていました。
「封印された大震災~愛知・半田」という番組名でした。
これは、「終戦記念日特集」ということで、NHKスペシャル番組が全国ネットで放映されたのです。
これを観た方も、多かったと思います。
おそらく、動画は削除されてないと思いますが、凄い内容でした。
よほど、この出来事は知られたくないようで、当時も箝口令が敷かれて、国民に隠されたみたいですが、現代でもあれ以来、これを報道するメディアは、ほとんどありません。
戦争が終わってから、当時の中島飛行場の工場にいた、生き残った技術者たちは、「自動車」の生産を始めたそうです。
それは、戦後に、GHQが、
「日本人には、もう二度と戦闘機や戦艦などは、作らせないぞ…」
と思って、これらの製造を法律で禁止したからです。
日本人の技術者が飛行機を製造していたら、絶対に墜落しない飛行機を作っていたかもしませんが、それができなかったので仕方なく、自動車の製造に取り掛かったそうです。
それが、現在の「富士重工」という会社だそうです。
「スバル」という自動車で有名ですね。
「昴」、つまり、「プレアデス」という名前の会社です。
この会社以外にも、当時の技術者たちは、「トヨタ自動車」、「本田技研」、「ヤマハ発動機」などに、就職したそうです。
だから、日本の自動車産業は、東海地方のあたりで盛んだったんですね。
誰も言わないので、私がここで書いておきますが、この歴史的な出来事で、一番大切なことがあります。
それは、家族や友人などを、アメリカに殺された、この技術者たちが仕返しをしなかったということです。
とても悔しくて、頭に血がのぼっていたとは思いますが、
「あれは、戦争だったから、仕方ないかもしれない…」
こういう冷静で、客観的な視点もあったのだと思います。
これは、愛知県半田市だけじゃなく、当時の日本全体が、そういう複雑な気持ちを抱えたまま、終戦記念日を迎えたのです。
軍事的な仕返しを、やらなかったということです。
復讐すれば、その憎しみの連鎖は、永遠に続くということを、心の奥底で知っていたのだと思います。
では、何をしたのかというと、それが前述したように、「自動車の生産」だったということです。
「日本人の優秀さを、世界中に見せつけてやるぞ!」
戦闘機が作れなくなった技術者たちが、夜寝るのを忘れるくらい、猛烈に働いたのです。
それが、日本の「高度経済成長」に繋がったのです。
1980年代後半には、世界第2位の経済大国になりました。
ある計算によると、瞬間的には、世界第1位になったこともあったそうです。
これが、どういう意味か、わかりますか?
「戦争で負けても、世界一豊かな国になることができる!」
こういう姿を、世界中に見せつけたということです。
世界史上最高の国の姿を、日本は、世界中に見せつけたということです!
「負けて勝つ!」
こういう高等な戦略を、世界史上初めて、地球上で体現して見せた国が、「日本」なのです。
第二次世界大戦において、日本の戦いは、1945年に一度負けて、1980年代に世界経済で、トップになるところまでの大計画だったということです。
おそらく、そのために、わざと負けたのだと思います。
もしかしたら、「プロジェクト フェニックス(不死鳥)」というような名前の計画だったのかもしれません。
「日本軍」は、「アメリカ軍」や「連合国軍」なんぞ、眼中になかったということです。
もっと壮大で、地球規模の高次元の戦いをやっていたのです。
日本は、「戦争」という名の本当の悪魔と、戦っていたのです。
そして、地球の歴史が始まって以来初めて、その戦いに勝ったのです!
数千年~数万年間の世界の歴史の中では、
「戦争に勝った国が豊かになれる。戦争に負けた国は、皆殺しにされるか奴隷にされ、永遠に貧乏なままになる」
これが常識だったのです。
それを長い歴史の中で、日本が初めて、その流れを変えたのです。
要するに、
「戦争で勝つことには、意味がない」
これを教訓として、世界中の人に教えたのです。
「戦争」を無力化したのです。
これが、「愛」です。
そして、「知恵」です。
そして、それが始まったのが、日本の「愛知」という土地だったということです。
「自分を傷つけた相手に、復讐するエネルギーがあったら、もっと別のことに、労力を注ごう! 日本中、そして、世界中の人を豊かにするために働こう!」
これが、戦後の日本人の精神だったのです。
何千年も、宗教戦争をやっている国々とは違うのです。
これが、「本当の愛」だと思います。
愛知県だけでなく、日本中に、こういう話は、山ほどあります。
日本は、古代から現代まで、「神の愛」を、ずーっと実践してきた国なのです。
「神の愛」とは、「愛」と「知恵」を兼ね備えているということです。
そして、「プロジェクト フェニックス(不死鳥)」が成功したのは、直接原因は、前述したように、日本国民が、ガムシャラに働いたせいですが、間接原因としては、ご存じのように、「朝鮮戦争の特需」がありました。
日本の天皇家を陰でサポートしている、「天照派」であり、「38人の神様たち」、「八百万の神々」も、動いていたということです。
もちろん、「神武派」である、「エンリル」や「エンキ」、そして、「イナンナ」と「キリスト」のグループも動いていました。
人間だけじゃなく、多くの神々も、協力した結果の大成功だったのだと思います。
もちろん、この時には、多くの貴重な命も失われました。
いろいろ調べた結果、あの時点では、あの選択肢が、一番マシな方法だったような気がします。
大切なことは、このプロジェクトの真偽や善悪の議論よりも、もう二度と同じ過ちを繰り消さないように、決意することだと思います。
もう一つ別の話をします。
「国防」についてです。
ご存知のように、日本でも、アメリカでも、実際に政治を動かしているのは、政治家ではありません。
彼らは、将棋の駒のような存在で、それを動かしている将棋の名人のような存在がいます。
素人が、名人たちの将棋を見ても、
「どうして、そこに、その駒を置くんだろう?」
と、意味がサッパリわからないように、政治も素人には、本当の動きは、わからないようになっています。
最近、辞任した安倍さんの政権は、わりと長期政権になっていましたが、戦後、特に昭和の時代は、日本の政府は、首相をコロコロ変えるのがお家芸でした。
「どうしてこんなに、コロコロと首相が交代するんでしょう?」
というような感想も、多かったみたいです。
国家がらみで、なにか非常識で非合理的だと、思われることが行われる時、だいたい、その奥底には、「国防」が関係していることが多いみたいです。
ある本に書いてあったのですが、日本の場合、外国からのいろいろな圧力や嫌がらせなどには、昔から正面から戦わずに、「肩すかし」のような技で、攻撃を避ける戦法を、好んで使っていたそうです。
つまり、昭和の時代は、首相をコロコロ変えることにより、アメリカやロシア、中国などの大国からの攻撃を、避けてきたようです。
「もうそろそろ、日本の首相を手なずけて、飼い犬にできるぞ」
というふうに大国が思ったところで、また首相を変えれば、また最初から懐柔策を考えなければならないのです。
最近でも、首相は変わりませんが、適当な頃合いを見て、失言や異性問題などで、問題にしてから、「解散総選挙」などをやって、大臣クラスを総入れ替えすることは、よくあります。
あれも、外国からの圧力、具体的には、アメリカのCIAなどの脅迫などから、逃げているのだと思います。
わざと、どうでもいいことを問題にして、首にしているのだと思います。
大臣たちを、暗殺などから守るためです。
こうやって、日本は、外国からの政治的な圧力から、逃げて逃げて逃げまくってきたようです。
まさに、「天照派」の戦い方ですね。
たしかに、本当に情けない部分もありますが、一部では、
「ワザと情けなくしている」
ということもあるのです。
大国と正面からぶつかるのではなく、逃げることによって、日本国民を戦争から守ってきたということです。
たとえば、私が沖縄で中学校に通っていた頃、学生服に坊主頭が、校則でした。
「どうして、いまどき、学生服に坊主頭なんだろう? こんなことしても、学力が上がるわけでもないし、日本という国家は、どうして、こういう理不尽なことをするんだろう?」
と思っていました。
しかし今考えると、あれは「国防」であり、外国に対するデモンストレーション(威嚇行為)なのです。
「平和憲法の国だからといって、あんまりナメないでくださいよ。いざとなれば、いつでも、戦前の軍国主義に戻れるんですよ。この中学生たちは、いつでも戦えるんですよ」
という視覚効果を、狙ったものだそうです。
そういえば、最近は少なくなりましたが、当時の女子学生も、大半はセーラー服でしたよね。
このセーラー服も、もともとはイギリス海軍の軍服です。
あとは、ほとんの日本人が、不思議に思っていると思いますが、
「どうして、中学と高校の6年間も英語を習っているのに、ほとんどの人が、英語が、ベラベラと喋れるようにならないんだろう?」
という素朴な疑問です。
これも、「国防」が関係しているそうです。
日本の国家の方針として、明治時代くらいから、
「国民のほとんどが、英語がベラベラ喋れるようには、ならないようにしよう!」
という意図や戦略があったようです。
つまり、当時の世界情勢を見た場合、国民の大半が、英語がしゃべるようになった国は、イギリスやアメリカに、いいように植民地化されて、その後、搾取されるようになっているという現実があったからです。
だから、
「国民のほとんどが、ほどほどに、英語がわかるレベルくらいにしておいて、本当に英語が必要な人材は、少数だけ専門教育をして、外国との交渉に役立ってもらおう!」
こういう政策を選んだのだそうです。
どうですか?
ほとんどの評論家は、教育の問題を、「教育」だけの視点から論じていますが、こういう問題に、「国防」の視点をいれると、また新しく見えてくるものが、あるのではないでしょうか?
日本の経済状態のことにも、言及しておきましょう。
これも、ほとんの評論家は、「経済」だけの視点から論じていますが、この問題に、「国防」の視点を入れると、いろいろと見えてくるものもあります。
これも、ある本で読んだのですが、現在、日本の国家の方針で、
「あまり経済状態を、よくしないようにしよう」
という意図が、あるようなのです。
もちろん、自然に悪くなっている部分もあるし、政治家や官僚などがダメだから、悪くなっている部分もあるのですが、一部には、
「ワザと経済を悪くしよう」
という動きが、あるようなのです。
これは、悪意をもってやっているわけではなく、善意からみたいです。
つまり、これだけ、世界経済が混乱して、戦争や貧乏で、苦しんでいる国が多い中で、日本だけが、あまりにも成功しすぎて、裕福になりすぎると、外国から、戦争やテロを、吹っかけられる危険性が、高まるからなのだそうです。
「私たち日本という国も、苦しんでいるんですよ。そんなにいい国ではありませんよ。戦争なんかで侵略してきても、あまり旨みはありませんよ」
こういうアピールをやる必要が、あるということです。
ちょうど、田舎の金持ちの家が、周囲の貧乏な家からの嫉妬を避けるために、わざと粗末な家に住み、子供たちにも質素な服を着せ、お小遣いもあまり与えないようにするようなものかもしれません。
ギャングばかりの街で、金持ちが羽振りのよさそうな格好をして、
「もし襲われても、絶対にやり返しませんよ」
などと言ったら、どういうことになるか、想像してみてください。
1980年代の日本は、経済がトップクラスで、平和憲法をアピールしていましたが、こんなに危ない状況だったのですよ。
アメリなどは、経済を世界一になれば、同時に、世界一強い軍隊も配備します。
しかし、日本は、世界知豊かになった時にも、平和憲法で、軍隊をもたないと、主張していたのです。
超危険な状態、それが、バブルの頃だったのです。
考えてみれば、日本人は、
「自分たちの国は、ダメな国だ…」
と思い込んでいますが、これは逆に、相当心に余裕がないとできない行為です。
本当にダメな国などは、
「自分たちの国は、素晴らしい国だ!」
と思い込もうとしていますね。
日本の場合は、このように、
「敵を欺くには、まずは味方から」
というように、国家が国民を、
「いかにも、ダメな国に住んでいるかのように思わせる」
という政策に、うまく乗せているようです。
1980年後半に、日本は世界第二位の経済大国になりました。
しかし、その後すぐに、公務員や大企業の会社員が、「週休二日制」や「フレックスタイム制」を導入しています。
また、「ゆとり教育」も始まりました。
これも、
「世界第一位の経済大国なんかになったら、外国から、戦争やテロを吹っかけられる。そろそろ、日本人もブレーキをかけたほうがいい。これ以上がんばると危ない」
という「国防」を目的とした政策だったようです。
国民のほとんどが、高校を卒業しているような賢い人々の国で、皆が朝から晩まで、真面目に働いたリしたら、簡単に世界経済で、トップになってしまうのです。
しかも、武器を持たない丸腰が、ポリシーで、
「やられても、やりかえさない」
こんなことを、世界中に、アピールしていたのです。
これは、
「襲ってください!」
と、言っていたようなものです。
だから、国民全体を、わざとあまり賢くしないように、授業も、
「円周率は、3.14ではなく、3でいい」
とかいいだしたのです。
他にも、あまり働きすぎないように、休日も増やしています。
今、振り返って考えてみれば、当時は、本当に危険な状態だったのです。
特に、「JAL123便」の事件があってから、経済至上主義をやめたみたいです。
経済なんかよりも、国民の命のほうが大事だからです。
現在では、たくさんの方が知っている事実ですが、あれは航空事故などではありません。
アメリカ軍に、撃墜されたのです。
つまり、1990年代以降は、日本の政策として、わざと経済をダメするという方針に切り替えたのです。
あえて経済を、世界ランクの30位から外に落としたのです。
日本は世界史上、これも初めて、経済的な発展を捨てることに成功したのです。
22世紀には、
「日本と言う国が、世界で初めてお金の呪縛から、いち早く脱出した」
と、後世の歴史家たちに、評価されるかもしれません。
では、日本人が、「経済的な成功」の代わりに、何を得ることにしたのかというとそれが、「幸せ」だったようです。
バブルが弾けた後、日本人は無意識的に、「成功の時代」から「幸福の時代」に、移行したのだと思います。
2006年に、日本の政治や経済などを、影で大きく動かしている人物と会って、いろいろなお話を、うかがう機会に恵まれました。
その時にその人物から、興味深い話を聴きました。
1980年代に日本も、「国防」について真剣に検討したことがあったそうです。
当時は、戦車やミサイルなどの戦いから、レーガン大統領の「スターウォーズ計画」のようなレーザーによる、宇宙規模での戦争に、移行する可能性が出てきた頃でしたね。
金融戦争も始まりそうだったし、ウイルスなどの生物兵器、地震兵器など、いろいろな戦争の可能性も出てきました。
情報戦争の可能性から、日本にも、CIAなどの情報局をつくろうという動きもあったようです。
さらに、アメリカやロシア、中国などは、その頃から本腰をあげて、超能力者たちを、戦争に使う戦略を考えていたようです。
「外国に負けずに日本も、超能力部隊を自衛隊などに設置しよう!」
という動きも、あったようです。
「これからは、超能力戦争だ!」
と、意気込んでいた軍事関係者も、日本にけっこういたそうです。
しかし、日本のトップの超能力者たちが、一カ所に集められ、政府の要人と長期間、いろいろと話しあった結果、最終的には、
「超能力を、戦争などのネガティブな行為に使うのはやめよう!」
という結論になったようです。
なんでも、ミーティングしている最中に、全員が同時に、「アトランティス時代」の前世の記憶が、蘇ってきたのだそうです。
「アトランティスの頃の大破壊を、また、繰り返してはいけない!」
その場にいた全員が、それを瞬時に悟ったのだそうです。
これは、おそらく、日本を守護している神々が、それをやったのだと思います。
これは、アトランティス大陸が、津波で滅びる場面の想像画だそうです。
こういうビジョンを、見たのだと思います。
では、「超能力部隊」」の代わりに、何を始めたかというと、マンガやアニメなどを使って、大人ではなく、世界中の若者や子供たちに、メッセージを届けようという戦略にしたそうです。
マンガやアニメの内容や歌などに、「平和」、「勇気」、「協調」、「愛」などをいれて、若者たちの心から、変えるという方針にしたのだそうです。
「超能力」などの最先端技術ではなく、もっと強力な「愛」を使うことに決めたのだそうです。
その人物から、この話を聴いてとても感動しました。
あれから、30年くらいの年月が経ちましたが、日本のその戦略は、ボクシングのボディーブローみたいに、じわじわと効いてきています。
現在、世界中の政治家たちが、子供時代に、日本の漫画やアニメで育ったので、魂が「愛」のモードになっている人が、たくさん誕生しているのです。
「愛による国防」
もしかしたら、これからは世界でも、これが流行るかもしれません。
そして、その後に、「国防」など必要のない、本当に平和な地球の姿が待っているような気がします。
最後に、もう一つだけ書き加えておきます。
「第二次世界大戦では、日本は負けていない」
という解釈もあるそうです。
というのは、日本の第二次世界大戦において、そもそもの「戦争目的」は、
「欧米列強から、アジアの国々を解放する」
というのが、目的だったわけで、そのために、「大東亜共栄圏」という構想を、計画しています。
そして、戦後アジアは、欧米諸国の植民地から、解放された状態になったわけだから、日本の戦争目的は、達成されたということなのです。
「負けた」
というのは、あくまでも、
「アメリカなどの国に負けた」
というだけの話で、日本は、
「自国が掲げた戦争目的は果たした。だから、あの戦争は成功だった」
という解釈もできるのです。
繰り返します。
「戦争というのは、戦争目的を達成すれば、戦争に勝ったことになる」
ということです。
日本は、戦争には勝っているのです。
ただ単に、アメリカに負けたというだけの話です。
だから、8月15日は、「敗戦記念日」と言わずに、「終戦記念日」という名前になっているそうです。
「戦いを終わらせた日」
これが、1945年の8月15日なのです。
世界史の中で、初めて、
「戦うことに、意味がない」
という流れをつくった、歴史的にも、素晴らしい日なのです。
もしかしたら、この日は、22世紀には、西暦のように、「BC」や「AD」などの記号で、区切られることになる、世界的な記念日になるかもしれませんね。
1945年8月15日正午に、ラジオ放送された、昭和天皇による終戦の玉音放送を聴く人たちです。
参考資料です。
日本が、経済成長や軍事力などの競争を卒業して、「成功の時代」から、心の安定などの「幸福」の時代に、目標を移している、わかりやすい資料があります。
世界中の国の「平均寿命」です。
平均寿命というのは、その国の「幸福度」を、かなり正確に反映していると思います。
つまり、
「幸せな人は、長生きする」
というシンプルな傾向が、あるということです。
2018年現在のデータです。
男女平均は日本が、世界1位です。
日本人女性は、世界1位です。
日本人男性は、第2位です。
ちなみに、アメリカは34位で、中国は50位です。
どうですか?
経済成長率なんかよりも、こちらのほうが、凄いと思いませんか?
あと、参考までに、世界の平均寿命は、世界全体では男女平均が72.0歳、男性が69.8歳、女性が74.2歳となっているようです。
データがない国を除くと、最も寿命が短い国はレソトで、男女の平均が52.9歳。
日本とは、30年くらいの差がありますね。
次回、「天皇シークレットツアー」、衝撃と感動のフィナーレです。
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