「化石」の話題、大反響ですね~!
さて、その「化石」の延長線上にあるのが、なんといっても、「地上絵」です。
この地上絵は、超巨大生物の化石たちよりも、さらに巨大です。
前回書いたように、この世界が、「神様の夢の中」だと仮定すれば、全てが説明できます。
つまり、神様の脳内では、「生物」と「無生物」の境目もありません。
「植物」と「動物」と「人間」の区別もないのです。
また、「過去」と「現在」と「未来」の境界線も無いです。
それから、「人間」と「彫刻」と「絵画」も、同じだと認識しています。
だから、地上絵などは、マンガやアニメのような画風だったりするのです。
「神様」というのは、とても自由自在な存在だと、改めて思うのです。
私が、去年から本気で研究と調査をしている「地上絵」の話題です。
まず、沖縄本島を南北逆にしてみてみましょう。
これは、普通の地図です。
次は、ちょっとむき出しの地形の地図です。
これでも、まだよくわかりませんね。
これで見ると、現代になって、埋め立てた土地、大昔から存在している古いサンゴ礁の島の土地と、大きく分けて、2種類の土地があることがわかります。
大昔からある部分は、数千年前~数万年前にできたと思われますが、詳しい年代は、わかりません。
さらに、細かい部分のわかる地図です。
これだと、むき出しの地形が、よくわかると思います。
この中の真ん中のあたりに、「地上絵」があるのが、わかりますか?
まだ、わかりませんか?
では、わかりやすいように、赤ペンで囲ってみますね。
その部分を、さらに拡大します。
さらに拡大して、黒ペンで囲ってみました。
ジャ~~~ン!!!
すっ、凄すぎるんじゃないですか~~!!
私が、これの第一発見者だと思いますが、これに気が付いた時に、
「うわ~~~~!!!」
と大声を張り上げてしまいました!
私の仲間内では、「マッチョマン」と名付けたのですが、この絵が、沖縄本島の中部に描かれていたのです。
まるで、アメリカのボディービルダーのような絵ですね。
この「マッチョマン」が、琉球王国の「守護神」だったのです。
超巨大な地上絵として、とうとう、現代の私たちの前に、姿を現したのです。
ちなみに、これは、若き日のシュワルツェネッガーが、「ダブルバイセップス」というポーズをしている写真です。
まさに、こんなかんじですね。
しかも、顔は、「レプティリアン(爬虫類人)」です。
「イナンナ=聖母マリア=稲荷」の写真です。
奈良県の法隆寺にある石仏です。
大阪市の「正圓寺」にある秘仏です。
世の中の終わりに、人類を救済しに来るといわれている救世主の姿だそうです。
首里城にある、琉球王国の国王が使っていた印鑑です。
「マッチョマン」の地上絵に描かれている顔とソックリですね。
おそらく、同一神だと思います。
「琉球王国の守護神」の姿、衝撃的ですね~!
まさに、「龍神」と「人」が、合体したような姿です。
シュメール文明の神々の「アヌンナキ」の一族、そのファミリーの中でも、「エンキ」や「イナンナ」のグループだと思います。
面白いのは、服装が、思いっきりアメリカンなのです。
ジーンズに、Tシャツ姿なのに驚きます。
これにも、深い意味が隠されているのです。
ここからは、私の個人的な解釈になります。
おそらく、この「守護神」は、数千年~数万年前に、未来がわかっていたのだと思います。
つまり、第二次世界大戦の「沖縄戦」も、完璧に予測していたのだと思います。
見てください!
沖縄戦における、米軍の上陸地点です。
これも、わかりやすいように、南北を逆転させていますが、今だからわかることですが、米軍が、「鉄の暴風」と呼ばれている凄まじい艦砲射撃をやったのが、この「マッチョマン」なのです。
しかし、この「マッチョマン」は、そんなことを、あざ笑うかのように、存在しているように見えます。
まるで、
「カモ~ン、ベイビ~!」
と叫んでいるようです。
もう一度、「マッチョマン」の地上絵です。
私は、この地上絵を見ていると、沖縄戦において、この琉球王国の「守護神」が、アメリカ軍も日本軍も、沖縄に呼んで、そこで戦争をさせたような気がするのです。
全てが、この神様の掌の上で、転がされていたように感じるのです。
つまり、わざと沖縄本島を、一時的に地獄にしたのではないかと思うのです。
それは、人間の狭い了見では、とうてい推し量れない、地球規模の大いなる計画があったのかもしれません。
つまり、「地獄」を体験しないと、対極にある「天国」は、わからなかったのかもしれないのです。
そこで、とても魂が成熟していて、本当の愛と勇気と知恵をもった、琉球王国の末裔たちに、地球を天国にするために、この試練を与えたのかもしれません。
「この沖縄の地から、本当の地上天国をつくりはじめなさい! 沖縄から世界平和を実現させるように動き始めなさい!」
こう言っているように思うのです。
そして、なんと、米軍基地の建設も、どうやら、この神様の想定の範囲内だったようなのです。
沖縄では、小学校の社会科の時間に、黒船で有名な「ペリー提督」が、日本の浦賀沖よりも先に、沖縄に来ていたことを習うので、沖縄の人からすれば、当たり前の話なのですが、沖縄以外の人に、その話をすると、
「えー? ペリーって、沖縄に最初に来ていたんですか?」
と、ビックリされます。
それどころか、日本の「幕末」というのは、沖縄から始まったと言っても過言ではないくらい、「琉球」が最重要地だったことを、歴史マニアの方も、案外知りません。
ちょうどいい機会なので、沖縄から始まった幕末の話を紹介します。
まず、この絵です。
首里城の建物の中に掲げてある絵です。
ペリーが、黒船で沖縄に上陸して、首里城に登城した時の様子です。
繰り返しになりますが、このペリー提督は、当時のアメリカの「フリーメーソン」の最高位の人物です。
「エンキ」のグループですね。
この時に、ペリーは、沖縄本島を測量してまわっています。
その時から、米軍基地を置くことは計画していたのです。
現在の沖縄の基地問題は、戦後から始まっていたわけではないのです。
この頃からです。
江戸時代後期で西暦では、1853年です。
私は、いろいろ調べた結果、ペリーは、オリオンの宇宙人グループ、「ぺル」のエージェントのような人物だったと思っています。
同時に、琉球王国の「守護神」からも、メッセージを受けて、動かされていたとも推測しています。
「ここに、普天間基地を建設しなさい!」
こう命令されていたように思うのです。
これは、状況証拠になるかは、わかりませんが、紹介しておきます。
下記のエリアに、薄っすらと斜めに直線がありますが、これが、「普天間飛行場」の滑走路です。
驚嘆するのは、ちょうど、「マッチョマン」が履いているジーンズの布を継ぎ合わせている箇所が、そうなのです。
このことから、「マッチョマン」が、わざとここに、自分のファッションを完成させるために、基地を建設したように思うのです。
オマケの話です。
「マッチョマン」のイチモツの辺りに、現在はありませんが、「真栄原社交街」という赤線地帯がありました。
これも、興味深い事実です。
男性の神様って、やはり、秘め事が好きなのかな?(笑)
もっと面白い話をしましょう。
「マッチョマン」の顔の部分を拡大しました。
すると、目の部分に当たる所に、「沖縄県立博物館」があることに気が付きました。
建物の航空写真です。
屋上の部分に、このような建造物があります。
通気口だと思いますが、何かに似てませんか?
ハイ!
「プレアデス星団」ですね。
「プレアデス」の宇宙グループの中に、「二ビル」という星も含まれます。
つまり、「アヌンナキ」の一族の母星です。
いやー、見事にすべてが繋がりましたね。
あと、これは、この博物館に展示してある石板です。
有名な「沖縄のロゼッタストーン」です。
描かれている絵の中には、明らかにUFOだと思われるものがありますね。
スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが目撃したUFOですね。
これは、御存じのように、「神武天皇」のスペースシップでもありました。
これも、博物館の中に展示してある石像です。
「沖縄の守護神」だそうです。
「龍神」ですね。
「神武天皇」でもあり、「アヌ王」でもあります。
これも、那覇市の壺屋で見かけた、シーサーです。
これも、「沖縄の守護神」だと思います。
もう一度、地上絵です。
この地上絵は、おそらく、全長40キロくらいのエリアにまたがっています。
南は、那覇市から、北は、北谷のあたりまでです。
簡単に40キロと書きましたが、これが、石像で垂直に立てると、富士山の高さの10倍以上になります。
凄まじい建造物です。
もしかしたら、太古の時代、まだ地球上が、高次元の空間に包まれていた頃は、この地上絵も生きていて、動いていたかもしれませんね。
実は、この地上絵を発見したとき、直感的に、
「あっ! これは、自分のことだ!」
こうも思ったのです。
つまり、私が学生時代に、筋トレを始めたばかりの頃、よく、ジーンズとTシャツ姿で、「ダブルバイセップス」のポーズをやっていたのです。
実家では、よくバカなことばかり、やっていたので、母親から、「カバ!」と呼ばれていました。
この「マッチョマン」の顔が、「カバ」にも似ているので、笑ってしまいました。
さらに、私が、筋トレをやっていた場所が、宜野湾市と那覇市と中城村なのですが、この地上絵の中に、すっぽりと入るのです。
しかも、なんと、私が生まれたのは、那覇市の開南という所なのですが、ここは、ちょうど、「マッチョマン」の「脳」の部分なのです。
このことから、
「自分は、この守護神の申し子なのかな…?」
とも、思えてきました。
この「守護神」は、未来において、第一発見者が、私、トーマになるということまで、見通していたのかもしれないということです。
これに気が付いた時には、ゾ~ッとして、全身に鳥肌が立ちました。
「現代の現状は、古代の神々において、全て決められていたのだ!」
このことに気が付いたのです。
しかし、これは、運命に縛られるという意味ではありません。
逆説的ですが、
「運命は決まっていたとうことに気が付いた瞬間から、全ての運命から自由になれる」
こういうパラドックスになっているような気もするのです。
これは、科学的な根拠があるわけではなく、なんとなくの感覚からくるものです。
次に、二つ目の地上絵を紹介します。
これは、沖縄本島の南部にあります。
普通の地図です。
わかりやすいように、東を上にしています。
同じエリアで、地形がむき出しの地図です。
この中の地上絵が、わかりますか?
わかりやすいように、赤ペンで輪郭を描きました。
「獅子(ライオン)」です。
ちゃんと、顔の部分が白くなっていて、タテガミもありますね。
もう片方は、相方の「一角獣(ユニコーン)」です。
こちらも、ちゃんと、目や角、前脚や後脚、それから、尻尾もあります。
尻尾のあたりに、「斎場御嶽」があります。
こうなるのです。
ジャ~ン!
凄いですね~!
旅行記の最初に書いたように、これは、天皇家の古い紋章にある、「獅子(ライオン)」と「一角獣(ユニコーン)」の図柄と同じです。
ちなみに、天皇家のこの紋章は、既に平安時代にあったそうです。
京都御所の清涼殿にある、天皇の座の前には、今でも、一角獣と獅子がいるようです。
この地上絵が、沖縄本島にあったというのは、世紀の大発見です!
もしかしたらは、沖縄の地上絵のほうが歴史が古く、日本の天皇家の紋章は、そのあとの可能性もあるのです。
しかも、ユニークなのは、この絵柄が、どこかしら、アメリカ的な文化を感じさせ、ディズニーアニメのような感じがするのが、面白いです。
古代において、地上絵を描いた神々は、現在の沖縄が、アメリカの文化の影響を受けることまで、予めわかっていたかのような絵です。
旅行記の最初に、おさらいしたように、この2頭の神獣は、シュメール文明において、地球の表の王だった「エンリル」、それから、裏の王だった「エンキ」ですね。
さらに笑えるのは、このエリアの地名です。
このエリアにおいて、2頭の中間地帯、つまり、2頭が、ぶつかる場所があるのですが、そこに、「東風平(こちんだ)」や「具志頭(ぐしちゃん)」という地名があります。
私の想像です。
昔、「東風平(こちんだ)」に新たにやってきた人々が、その土地の神々に、こう質問したのだと思います。
「この土地には、どういう意味があるんですか?」
それに、神々が、こう答えたのかもしれません。
「それは、獅子と一角獣という、2人の王様が、コチン!と頭突きしながら、衝突するところだ!」
そこで、人々は、
「そうか、ここは、コチン!の所なんだ」
それで、現在の「コチンだ!(東風平)」という地名になったのかもしれません。(笑)
「具志頭(ぐしちゃん)」という地名も、似たような話かもしれません。
これも、この場所で、「獅子(エンリル)」と「一角獣(エンキ)」という、2人の王様が、
グッシチャ~~~ン!!!
と、ぶつかった。
こういう意味なんじゃないでしょうか?(笑)
まあ、これらの話は、半分は冗談なので、読み飛ばしてくださいね。(笑)
この二人の王様の地上絵は、中間地帯には、「奥武島(おうじま)」や「玉城(たまぐすく)」、それから、「玉泉洞」という地名、つまり、「王」を連想させる土地があります。
そうです。
これは、「獅子」である「エンリル」、それから、「一角獣」である「エンキ」の父親であり、「王の中の王」であった、「アヌ王」の拠点だったのです。
今回の旅行でも、「奥武島(おうじま)」にも、立ち寄りました。
「奥武観音堂」です。
鳥居に、「日食」のシンボルが刻まれています。
「天照派」の拠点でもあったということですね。
拝所の中には、「ウマ」の絵が飾られていました。
この島は、ちょうど、「ユニコーン(一角獣)」の耳飾りのような位置にあるので、とても意味深だと思いました。
地上絵を知っている人が、飾ったのかもしれませんね。
近くには、このような聖域もあります。
この日は、皆で、ランチを食べました。
場所は、南城市にある、「海の見える山小屋 山の茶屋・楽水」というお店でした。
とても美味しかったです。
記念撮影しました。
途中で、「斎場御嶽(せーふぁーうたき )」にも立ち寄りました。
駐車場から、神の島である、「久高島」を眺めました。
ここでも、記念撮影しました。
大人の遠足、最高ですね~!
この日は、「ガンガラーの谷」にある、洞窟カフェでもお茶しました。
ここは、ちょうど、「ユニコーン」の地上絵の「目玉」にあたります。
「エンキ」の拠点だったということです。
これらの「鍾乳洞」は、もしかしたら、この巨大な地上絵である、「ユニコーン」という神獣の「視神経」だったかもしれません。
こうやって、考えたり想像しながら観光すると、最高に楽しいです。(笑)
一方、相方の「ライオン(獅子)」の地上絵も、いろいろ探ってみました。
直感で、「ライオン」の地上絵の「心臓」のあたりに行ってみました。
「エンリル」の拠点ですね。
そこには、「南山城跡」がありました。
ここは、初めて立ち寄りました。
「南山神社」という神社もありました。
場所は、沖縄県糸満市大里です。
入口です。
初めて感じるエネルギーでした。
ガジュマルが凄いです。
鳥居の前で、記念撮影です。
拝所がありました。
変わった瓦がありました。
「タコ入道」のような姿をしていますが、れっきとした、「エンリル」と「エンキ」のシンボルです。
奥のほうに、長細い拝所もありました。
「南山城跡」と刻まれています。
三つの石です。
「植物」と「動物」と「人間」のシンボルですね。
境内は、とても広いです。
両側には、小学校と中学校があります。
拝所の横に、なにやら、シンボルマークがあるのを、発見しました!
なんと、またもや、「三つ星」でした。
「ジョン万次郎」の家紋でもあり、私の実家の家紋でもあります。
もう片方の塀にも刻まれていました。
凄いですね~!
大感動でした!
地底王国だと言われている、「シャンバラ」のシンボルでもあります。
拝所にも、三つの石が、両側に置かれていました。
間違いなく、ここは、「天照派」であり、「八百万の神々」の拠点でもあった聖地だということです。
素晴らしい発見をした後、また、皆で記念撮影しました。
この日は、奥武山公園にある、「沖宮」でも参拝しました。
ここも大好きな神社です。
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