精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

関西シリウスツアー 9 明日香村

前回の続きです。

 

法隆寺の調査の後、八木駅の近くのホテルで、泊まりました。

それから朝起きて、朝食を食べました。

ホテルのレストランからの景色です。

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奈良県の「明日香村」が、今回の調査の旅の最終地でした。

考えてみれば、2014年の夏、私の本格的な宇宙考古学の調査は、ここから始まっていました。

だから、6年以上ぶりに、この地を調査することになったのです。

6年の間には、私の視野も、さらに広がり、より宇宙的な視点で、いろいろ見ることができるようになりました。

 

 

午前10時に、参加者の皆さんと、八木駅で待ち合わせしました。

なんと、集まった人数、合計15名でした!

それから、近くのファミレスで、作戦会議をしました。

その時の記念撮影です。

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では、そろそろ、「明日香村」のトップシークレットを、世界初公開しますね。

 

それは、2週間ほど前、マンションのリビングルームで、ある本の地図を眺めていた時に、発見した地上絵でした。

「明日香村」の地図でした。

 

最初に見たのは、普通の航空写真でした。

これでは、サッパリわかりませんでした。

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 次に、この写真の地図を見ました。

そこには、こういう地図が、描かれていました。

 

ジャ~~~ン!!!

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「オオオッ!!!」

部屋の中で、一人で、大声を上げてしまいました。

わかりましたか?

 

いつものように、赤ペンで、補助線を描きますね。

「ヘルメット」と「目」と「口」を描きました。

「ヘルメットを被っている人物」が、右側を向いている横顔が、わかりましたか?

「向原寺」が、「鼻」です。

「甘樫丘」が、「口」ですね。

「石川池」のあたりが、「角」にも見えますね。

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この地上絵は、さらに広範囲に広がっていました。

全体像です。

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 「ヘルメットを被った人物」は、他にも、「羽」と「身体」と「腕」、それから、「手の平」までありました。

これも、赤ペンで、補助線を描きます。

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もうわかりましたね。

そうなのです。

地球の王であり、「アヌンナキ」のリーダー、「アヌ王」の地上絵だったのです。

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「アヌ王」の腕と手の先にはある木の実のようなものは、「松果体」だともいわれています。

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だとしたら、右側の緑色の部分が、それに当たりますね。

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手に、「松果体」も持っています。

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地図では、「松果体」の位置にあるのは、「耳成山(みみなしやま)」です。

これも、赤ペンで、補助線をいれました。

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ちなみに、全体の像、その地図の上部の緑色のエリアは、「橿原神宮」です。

「八咫烏」でしたね。

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もう一度、その航空写真です。

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「橿原神宮」=「八咫烏」

思い出しましたか?

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つまり、そのエリア全体が、

「明日香村」=「アヌ王」&「八咫烏」

こういう地上絵になっていたのです!

ちなみに、詳細は割愛しますが、何度も紹介しているように、

「神武天皇」&「八咫烏」

この意味にもなります。

 

 

では、この地上絵を直接、現地調査した時の体験談です。

まずは、「口」の部分、「甘樫丘」の近くにある駐車場に、車を駐車して、歩くことにしました。

ここでも、パチリ。

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歩くコースは、なんと、

「アヌ王の横顔を一周」

こういう超贅沢なコースです。

地球の王の頭部を、歩いてまわるのですよ。

凄くないですか?

 

最初は、「鼻」の部分に相当する場所に行きました。

「向原寺」という寺でした。

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ここは、昔、「推古天皇」と「聖徳太子」が、一緒に仕事をしていた土地だそうです。

近くには、古代の遺跡もあり、その建物は、やはり、「北北西に20度」で傾いているそうです。

「シリウス信仰」ですね。

 

境内には、仏像の記事が展示されていました。

「観音菩薩像」の頭部だそうです。

「夢違観音」という名前だそうです。

 

この仏像の意味は、後からわかりました。

これについては、後述しますね。

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この寺の裏には、神社もありました。

「甘樫座神社」という名前です。

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意味深な石碑もありました。

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皆で、エネルギーを感じている場面です。

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そして、いよいよ、「目」に相当する場所に行きました。

前述したように、そこは、小さいけど、「池」になっていました。

「これほどの地上絵だから、何か神社や祠などがあるだろな?」

こう思っていたら、それらしきものは、見当たりませんでした。

 

ただし、いくつかの石碑や仏像がありました。

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その時、数人の参加者の方たちが、

「あれっ? あれは、なんですか?」

こう言って、池の中を指さしました。

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皆で、

「うわ~!」

と声を上げました。

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そこには、「鳥居」と「十字架」を合わせたような不思議な形のものがありました。

これは、全国を調査してまわっている私も、初めてみる形でした。

しかも、水の中というのが、とても意味深でした。

 

そして、「角」の部分に相当する場所に着きました。

ここには、「孝元天皇陵」がありました。

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看板です。

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祈りを捧げました。

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皆で、またまた、パチリ。

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それから、住宅街を抜けて、歩きました。

地上絵的には、この近辺の住宅街は、「アヌ王」の「脳」にあたります。

 

それから、「八咫烏神社」でも、参拝しました。

ここを訪れるのも、2回目でした。

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ここの石が気になりました。

「烏帽子」に見えますね。

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道中、不思議な古墳もありました。

頂上になぜか、六角形の「円盤」のようなものが、置かれていました。

皆で、それを見物している場面です。

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この「UFO(円盤)」は、何だったのかな?

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「天武天皇陵」&「持統天皇陵」にも、立ち寄りました。

綺麗に掃除されていました。

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近くでの記念撮影です。

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もう一度、「アヌ王」の「頭部」です。

ここを、一周歩いたのです。

距離にして、約8.3キロだったようです。

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普段、運動不足なので、足首のあたりを痛めてしまい、この日は、これを周った後、同じファミレスで、打ち上げをして、解散しました。

とっても楽しい調査旅行でした。

参加された皆さん、ありがとうございました。

 

 

いつものことですが、調査旅行を終えた後に、気がついたり、発見することも、多いのです。

今回も、東京に戻った後に、繋がったことがありました。

 

それは、こういうことでした。

「明日香村」の地上絵が、さらに謎解きできたのです。

やはり、日本の都市は、ここから始まったみたいです。
飛鳥寺から藤原宮、平城京、平安京、鎌倉、江戸。
この流れは、ここからです。

 

「都」が、「光」の象徴だとすれば、ここが、「光の源」になります。

だから、「光源(こうげん)」の土地になるのです。

「明日香村」=「光源」

こうなります。


だから、この地上絵には、「孝元(こうげん)天皇」の陵があるのです。
そして、「向原(こうげん)寺」にあった菩薩にも、角のような部分がありましたね。

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「烏帽子」にも見えます。
「耳」も、あるようで無いですね。

そして、もしかしたら、地上絵の「角」の部分は、この仏像の「頭部の飾り」かもしれません。


縄文土偶にも、宇宙飛行士にいますね。
頭部が似ていますね。

また、これも、耳がないですね。

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さらに地上絵で、「松果体」にあたる山の名前は、「耳成山(みみなしやま)」ですね。

そこの頂上には、昔、「推古天皇耳成行宮」もあったようです。

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八咫烏神社にあった石も、「烏帽子」に似ていましたね。
さらに、「聖徳太子」も、烏帽子を被っていましたね。

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いや~、見事に繋がりましたね〜!

 

 

さて最後に、この話をしておきましょう。

 

数年前ですが、素敵な動画を見つけました。
京都で行われた、「TEDx Talks」というイベントでのスピーチです。

この素晴らしいスピーチをしたのは、現役のお坊さんである、松山大耕さんという方です。

松山さんは、日本の禅宗の教えを広めるべく、世界中を飛び回っている方だそうです。
お寺に生まれながら、中学・高校時代は、カトリックの学校に通ったという異色の経歴の持ち主だそうです。


そして、そのことを、大学の留学時代に訪れたアイルランドで、ある女性に話したら、こう言われたそうだ。
「なぜ、あなたの国では、そんなことができるの? アイルランドで、そんなことをしたら、殺されても文句言えないわよ」
カトリックとプロテスタントという、血で血を洗う対立の歴史を持つ、アイルランドでは、自分の信じる宗教以外に属する学校に通うのは、考えられないと言われたそうです。

このことをキッカケに、日本の宗教について、いろいろ考えてみたそうです。
その結果、日本は、世界でも珍しい、とても寛容な宗教観を持っていることに、改めて気がついたそうです。

よく、こう言われますね。
「日本人は、クリスマスを祝い、除夜の鐘をつき、神社に初詣に行く」
普段は意識していませんが、このような複数の宗教を、同時に受け入れる寛容性は、やはり、世界では珍しく、寛容な宗教観だそうです。

ご存じのように、世界では、現在でも、「宗教戦争」が、頻繁に起きています。
「日本で、そういったことが、ほとんどないのは、日本人が、いろいろなものを、柔軟に取り入れ、受け入れることができるからなのではないか? だとしたら、それは、どうしてなのか?」
松山さんは、これを、とことん考えたそうです。

仏教の中でも、こうした特徴は、日本の仏教に独特のもので、インドでは、戒律を守り、経典を学習し、瞑想の修行をすることが、重視されるそうです。

インドの仏教徒からは、しばしば、
「日本の仏教は、もはや、仏教ではなくなってしまった」
と言われることもあるそうです。

しかし、松山さんは、そうした意見に対して、こう語っています。
「私は、日本とインドの仏教の違いというのは、カレーに似ていると思っています。インドでは、非常にスパイシーで辛いカレーを、みなさん召し上がります。カレーも、インドが発祥の地なんです」


続けて、
「インドの方が、日本の甘くてまろやかなカレーを召し上がったら、これはカレーじゃないと、おっしゃるかもしれません。確かに調理法、具材は違うかもしれませんが、ルーに、お肉や魚、そして、野菜を入れて煮込んで、ご飯やパンと一緒にいただく。このスタイルはインドでも日本でも、共通しています」


要するに、日本の仏教もインドの仏教も、表面が違うだけで、根底に流れている思想や哲学は、同じということです。

「違っている部分を見るのではなく、お互いの共通項を認識しよう」
ということですね。

松山さんは、さらに続けます。
「海外では、根底が同じであるにも関わらず、考え方の異なる宗派同士が対立し、たくさんの戦争が起きています。宗教において、自分たちの教義を忠実に守ることは、大切なことですが、世の中には、もっと大切なことがあります。それは、信じる宗教が違っていても、お互いを尊重し、そして仲良くするということです」

最後に、こう言って締めくくります。
「私は、日本人の寛容性のある宗教観を、世界に伝えたいと思います。そうすれば、世界は、もっとよくなると、私は強く信じております」
そのとおりですね。

「日本料理が、美味しい!」
「いや、フランス料理のほうが、美味しい!」
「違う! 中華料理が、世界一だ!」
「何を、言っているんだ! イタリア料理こそ、最高の料理だ!」
こう言って怒鳴り合い、喧嘩しながら料理を食べたら、せっかくの料理が台無しです。

「どれが、一番美味しい料理か?」
なんて、どうでもいいのです。
大切なことは、いろいろな料理を、尊重して味わいながら、皆で、その時間を共有して、ニコニコと楽しく会話することです。


「お互いを尊重し、仲良くする」
これからの世界では、こういう寛容の精神が、見直されてくるでしょう。
その潮流のリーダーシップをとるのは、日本です。
「宗教戦争」というのは、基本的に、「寛容」の精神が足りないから、起こるのです。
日本人が、ごく自然に、さりげなくやっていることが、外国人にはできないということが、実はたくさんあるのです。

これからは、商品やサービスだけでなく、このような素晴らしい、「日本の精神」も、どんどん海外に、輸出していったらいいと思います。

 

 

「明日香村」には、古墳が沢山あります。

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古墳マニアの私には、たまらない聖地です。

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もう一つ、オマケの話です。

 

 

日本人の「道徳」や「常識」というものの正体は、なんでしょうか?
その根本的な核には、何が、あるのでしょうか?
これについて、考えてみましょう。

「道徳」と「常識」と一口に、言いますが、もっと具体的に言うと、それは、ほんどの日本人が、
「こんなことは、あたりまえだよ。誰でも知っているよ。皆、そう思っているよ」
とボンヤリと考えている、共通認識の思想だと定義しましょう。

「これが、いつ、どこで、誰が考えた思想なのか?」
ということです。


まず、社会学的な視点から考えると、「道徳」や「常識」というのは、その個人が所属しているコミュニティの規則の影響を受けます。

会社だったら、「社則」などです。
会社であれば、その会社が仕事をしている市や町や村などの「条例」の影響を受けます。
そして、その市や町や村は、もちろん、「法律」の影響を受けるのです。
さらに、その法律の最上位にあるのが、日本の場合、「憲法」になります。

「憲法」→「法律」→「条例」→「社則」→「常識」→「道徳」
会社勤めをしている人だったら、こういう流れで、思想的な影響を、受けているということです。

簡単に言うと、「道徳」というのが、日本人の心の根底に、根づいているのですが、その源流は、「憲法」だということになります。

小学校や中学校の頃、社会科の時間に習いましたが、私たちが、現在、影響を受けているのは、それまでの「大日本国帝国憲法」に変わって、1946年から施行された、「日本国憲法」です。
ただこれは、まだまだ、日本人の心の奥底までは、深く浸透していないようです。

 
ある本に書いてあったのですが、心の奥底、つまり魂まで、深く思想が浸透するには、1000年以上の長い年月が、かかるのだそうです。
だから、「道徳」、つまり、日本人の心の源流というのは、1000年以上前の昔の思想にあるということがわかります。

結論から先に言うと、私個人が、いろいろ勉強した中で、一番日本人の心に、魂レベルまで深い影響を与えてる思想は、「十七条憲法」だと思っています。

実は、この「十七条憲法」、日本の歴史において、まだ一度も法的に廃案になったことがなく、今でも、有効な「憲法」なのだそうです。

「大日本帝国憲法」は、法的にすでに無効になっているそうですが、なぜか、この「十七条憲法」は、現在の「日本国憲法」と同時並行で動いていたのだそうです。

「十七条憲法」を、いちいち、取り上げる学者や知識人は、あまりいませんが、それは、いちいちとりあげなくても、いいくらいに、日本人の心に浸透しているからなのです。
つまり、「道徳」というものに形を変えて、日本人の心に、根づいてしまっているのです。

 
ネットで検索したら、「十七条憲法」の面白い現代語訳を見つけました。

わりやすい内容なので紹介しますね。


「十七条憲法現代語訳」
第1条 お前ら、仲良くしてる?
第2条 仏様とお経と坊さんは、大切にしろよ。
第3条 天皇陛下の詔勅は、謹んで受けろ。
第4条 役人は、礼儀と身分を、わきまえろ。
第5条 人を裁く奴は、賄賂とかに、惑わされんなよ。
第6条 DQN(非常識な人)は叩け。いいことしろ。
第7条 役人は、ちゃんと、自分の仕事をしろ。
第8条 役人は、朝早く出勤して、夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに、帰るなよ。
第9条 信用は、大切だぞ。
第10条 他人が、何か間違ったことしても、あんまり怒るなよ。
第11条 功績や過ちは、ハッキリさせて、賞罰とかその辺、きっちりさせろよ。
第12条 役人は、住民から搾取しちゃ、ダメだろ。
第13条 役人ども、おまえらは、同僚が何やってるかは、きっちり知っておけよ。
第14条 役人は、他の市とかの方が、給料高いからって、妬んだりすんな。
第15条 役人どもは、自分のことばっかり考えてないで、国のために、働けよ。
第16条 国民に、何か課すときは、必ず、時期とか空気読んでやれよ。
第17条 重要事項は、会議して決めろ。ひとりで、コソコソやんなよ。

当時の役人向けに、書かれたものらしいのですが、私たち、現代の日本人が、
「こんなこと常識ですよね。こういうことは、皆、知ってますよね」
というようなことが、たくさん書いてあるのではないでしょうか?

 

この現代語訳に書かれている、

「第1条 お前ら、仲良くしてる?」

というのは、
「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」

現代風に訳すと、

「和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい」
ですね。
「和の精神」です。


つまり、「日本の心」、いわゆる、「道徳」というものの源流を辿っていくと、そこには、今から、1400年以上前の「十七条憲法」があり、今回の旅行記のメインテーマである、「シリウス信仰」、具体的には、「聖徳太子」という人物の存在が、とっても大きかったということがわかります。

 

以前に読んだ本の中に、面白いことが書かれていました。

〇「聖徳太子 本当は何がすごいのか」 田中英道 著 育鵬社 1500円」

 

前述したように、

「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ(和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい)」

という、「十七条憲法」の中でも、最重要な個所ですが、これの解釈が他にもあったという話です。

 

「和の精神」ですが、この冒頭の漢字である、「和」というのは、一般的には、「ワ」と読みますね。

これは、いわゆる、「音読み」であり、昔の「隋」や「唐」の文化に、合わせたニュアンスになっていると思います。

 

この本の作者、田中先生は、その著書の中で、

「この漢字を、本来の日本語表現で、素直に発音したらどうか?」

と、提案していたのです。

具体的には、「やわらぎ」と読んでみよう。

 こう書いてあったのです。

 

「当時の日本人は、おそらく、やわらぎと読んでいただろう」

というのです。

そうだと思います。

 

「訓読み」での読み方のほうが、日本人には、自然で、しっくりくると思います。

「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」

 

書家で詩人の「相田みつを」の言葉に、こういうのがありましたね。

「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと、すぐに壊れてしまう。しかし、どちらかが、柔らかければ、大丈夫だ。柔らかい心を持つことが大切である」

東日本大震災の時、テレビのCMでも、よく流れていましたね。

 

「硬いもの」と「硬いもの」が、ぶつかると、互いに力の逃げ場がなくなって、破損してしまいます。

人が、自分の意見や主張を、かたくなに守ろうとした時、目の前に、もう一人、同じように、自分の価値観を、かたくなに守ろうとする人間がいたら、お互いが、真っ正面からぶつかり合い、双方の力の逃げ場がなくなって、互いが互いを破壊しようとする力が、働くと思います。

 

口論、ケンカ、いわゆる、「争い」です。

争いに発展すると、お互いが、心身に大きなダメージを受けることもあるでしょうし、もしそれを免れたとしても、お互いの信頼は見事に崩れ去ることでしょう。

そして、その究極が、「戦争」なんだと思います。

 

でも、相田みつをさんが言うように、どちらかが、「硬い状態」ではなく、「柔らかい状態」だったとしたら、たとえ、ぶつかったとしても、力の逃げ場があることになるので、どちらも、大きな損傷を被らずにすむと思います。

 

だとしたら、真っ先に自分の心を、その「柔らかい状態」になればいいのです。

そして、それができるのが、日本人であり、その延長線上に、「世界平和」があるのだと思います。

「聖徳太子」が、未来の私たちに向けて、本当に伝えたかった最重要メッセージは、これだったのだと思います。

 

「聖徳太子」が跨っている馬は、「黒駒」という愛馬ですが、これも、愛犬の「雪丸」と同じように、「シリウス文明」からやってきた宇宙人、「ゲル」だと思います。

つまり、「アヌビス」の化身だったと思います。

いざという時には、天を駆け抜ける、「ペガサス」のような神獣になったのだと思います。

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今回の「アヌ王」の地上絵をまわりながら、気が付いたのは、この絵には、「アヌ王」だけではなく、他にも、

「八咫烏」、「天使」、「菩薩」、「十字架」、「天皇」、「神社」、「寺」、「UFO」、「古墳」、「松果体」

こういうキーワードが、たくさん散りばめられていました。

特筆すべきは、現在、世界中の陰謀論で、悪く言われている、「悪魔」の象徴である、「松果体」も、このエリアの地上絵に、含まれているということです。

 

もしかしたら、これらが、「違う」というのは、人間のモノサシであって、本当の創造主である、「神」の視点で見れば、「同じ」という認識かもしれません。

 

これからは、こういうことも、人間が進化するごとに、だんだん、わかってくるのかもしれません。

その時はまた、この地球が、違う視点から、全く違う景色に見えるのかもしれませんね。

 

最後にもう一度、「明日香村」の地図です。

どうですか?

最初に見たのと、全く違う地図に見えるのではないですか?

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「アヌ王」の身体の中で、「飛鳥寺」が建築され、「アヌ王」の見つめる視線の先に、「藤原京」があります。

そこから、「平城京」、「平安京」、「鎌倉」、「江戸」、こうやって、日本の街は、発展してきました。

 

今回、私たちの調査団が、この日本の都市の始まりの地である、「明日香村」から、新しい「光源」を、地球全体に広げたような気がしました。

「新生・日本」、そして、「新生・地球」、今から楽しみですね。

 

 

ふーっ!

「関西シリウスツアー」は、今回で最終回です。

どうでしたか?

今回も、とてもユニークな視点から、地球の歴史を紐解けたと思います。

さあ、次は、どこに行こうかな?

どこか、面白そうな土地があったら、教えてくださいね。

調査に向かいます!

 

 

では、いつものように、恒例の最後の一言です。

今回は、もう一度、この一文で締めくくります。

 

「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」

by 聖徳太子

 

 

 

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