宇宙の采配ツアー 6 香取神宮
以前に、友人とランチを食べた時に、
「そういえば、判断と決断って、どう違うのかな?」
ということが、話題になりました。
私は好奇心が旺盛で、常にいろいろなことを学んだり、考えたりしているのですが、こういうちょっとしたことでも、気になったらすぐに調べたり、周りの人に質問したりします。
こういう知的好奇心が異常に強いから、ブログなども、たくさん書けるのだと思っています。
最近は、わからないことがあっても、すぐにその場でスマホなどで調べられるので、とても便利な時代になりましたね。
調べてみると、いろいろ面白いことがわかりました。
ハッキリ定義されているわけではありませんが、だいたいのニュアンスは、下記のようです。
「判断」というのは、辞書によると、
「ある物事について、自分の考えをこうだときめること」
と書いてありました。
もしくは、
「過去から現在に起こった事柄について、きめること」
という説明をする人もいます。
ある本には、
「選ぶものの中に、正解と不正解が存在していて、その中から、正解を選ぶこと」
と書いてありました。
簡単に言うと、
「正しいか? 間違っているか?」
ということです。
これは、わかりやすいですね。
「判断」というのは、ある種の「頭の整理」だということです。
そして、この作業は、特に学校においては、義務教育の頃に鍛えられます。
正解と不正解の二つが、存在しているということは、
「選んだ後に、間違っていた場合、後悔することもある」
ということです。
漢字を見てみると、
「判」は、「半」と「二」ですね。
これは、
「二つの中から、もう半分である一つを選ぶ」
という意味です。
さらに、「断」は、「米」と「口」と「斤」ですね。
これは、
「米の入っている箱を、斤(まさかり)で壊して、取り出す」
という意味になります。
「決断」というのは、辞書によると、
「きっぱりと、きめること」
だそうです。
これは、ちょっと抽象的すぎて、わかりにくいです。
他には、
「未来に起こり得る事象に対して、きめること」
という説明もありました。
ある本には、
「正解と不正解の中から正解を選んだ後に、その後その中から、さらに自分の好きなものを選ぶこと」
と書いてありました。
シンプルにまとめると、最終的に、
「好きか? 嫌いか?」
で決めるということです。
「決断」というのは、「意思決定」であり、さらにその後に、「行動」がともなわなくてはいけないということです。
これは教育の分野だと、大学くらいから、この姿勢が求められますね。
大学に行かなくても、社会人になったら、こちらのほうを重視される機会が多くなってきます。
「決断」と言う行為が、「判断」と大きく違うところは、
「決めた後は、その後、たとえ間違っていたことがわかっても後悔しない」
という姿勢が、大切だということです。
漢字を見てみると、
「決」は、「三水(さんずい)」と「央」ですね。
これは、もともとは、
「大きな川に堤防があって、それが大雨などの増水で中央に穴があき、そこから川の水が流れ出していく」
という意味の漢字だそうです。
厚い壁を、正面から打ち破るということです。
「断」は、上記の同様の意味です。
これも思い切って、「エイヤッ!」と壊す行為ですね。
このように、生きていく上では、様々な場面で、最初に、いろいろな「判断」が、求められます。
まずは、「判断」しなくてはいけないのです。
「道徳的に、正しいのか? 間違っているのか?」
「常識的に、正しいのか? 間違っているのか?」
「法的に、正しいのか? 間違っているのか?」
どんなことも、これなしには始まらないのです。
しかし、これだけでは、まだ、「子供」の段階です。
学生時代や新入社員の頃は、これだけをやっていればいいのですが、こういう指示待ちをしているだけの状態では、社会人としては使いものになりません。
次の段階では、いろいろな「決断」が、求められます。
会社の中で、課長や部長など、ある程度の役職につくようになったら、ある程度自分の自由で、物事を決めらえる立場になります。
この時には、道徳や常識、そして、法律上問題がなければ、ある程度は、「好き嫌い」で決めてもいいのです。
このあたりが、できるようになると、「大人」です。
大切なのは、ただ単に「好き嫌い」で、決めてはダメだということです。
あくまでも、世の中に、迷惑をかけない範囲ないだったら、「OK」ということです。
同時に、その「好き嫌い」で選んだことには、その後の「行動」や「責任」も求められます。
つまり、「行動」や「責任」を伴った上での「好き嫌い」だったら、問題ないということです。
会社などの仕事は、自分の「好き嫌い」で、動かせるようになったら、面白くなってきます。
それまでは、自分の好きなことは、させてもらえないものなのです。
「判断」や「決断」のさらに上には、「英断」というものがあります。
「子供」や「大人」の段階では、これをやらなくてはいけない場面や機会は、あまりないと思います。
「英断」とは、辞書をひくと、
「きっぱりと事を決めること。またすぐれた決断」
と書いてありました。
この行為は、
「正しいか? 間違っているか? そして、好きか? 嫌いか?」
ではなく、
「最終的は、それは世の中のために、いいことなのか? 悪いことなのか?」
ということを基準に、決断するということです。
個人の「正誤」や「損得」、「好き嫌い」ではなく、「後世の歴史まで、視野に入れた決断」をするということです。
これは、
「仮にそれをやることによって、大きな損害を出したり、皆から嫌われたり、悪者になっても、それでもやる!」
という決意です。
こういうことが、求められるのは、会社の中では社長だったり、社会の中では政治家などの指導者的な立場の人が、この決断を求められることがあります。
「英断」と言う行為が、「決断」と大きく違うところは、
「自分の生きている間は、理解されないかもしれない」
と覚悟することです。
つまり、
「その時には理解してもらえなかったり、誤解されることもあるかもしれないが、50年後や100年後の未来には、きっと理解してもらえるだろう!」
と思わなくてはいけないということです。
この中の「英」という漢字は、
「すぐれている。すぐれた人」
という意味もあるようです。
「英才」や「英雄」という単語がありますね。
「英断を下す」で、「下す」という表現が多く使われることからも、わかりますが、これは、
「上の者が下の者に、命令を下す」
という行為のことです。
簡単に言うと、
「上から下に行く」
という指示や行為なのです。
「英」という漢字は、他にも、
「花。花房」
という意味もあるようです。
「石英(クオーツ)」という単語が表しているように、花開いている状態ですね。
これは、
「英断を下すことができたら、その人の人生は花開く。そして、その行為は永遠に語り継がれる」
ということかもしれません。
もしかしたら、人間というのは、指導的な立場になって、「英断」を下せるようになったら、成熟した魂、つまり、「本当の大人」になれるのかもしれません。
いつの日か、自分が、指導者的な立場になり、判断でも決断でもなく、「英断」を下さなくてはいけない場面に遭遇した時に、ニッコリ笑いながら、この行為ができるようになりたいと思っています。
歴史に名を残している偉人たちは、いろいろな場面で、「英断」を下すことができた人たちだと思います。
だから、名前が後世まで語り継がれているのです。
また前置きが長くなりましたね。
話を旅行記に戻します。
9月8日(火)は、鹿島セントラルホテルに泊まりました。
ここの天然温泉も、とてもよかったです。
朝起きてからの窓からの眺めです。
それから、翌日の9日(水)の朝に、モーニングを食べました。
ここのテラス席も、とてもいい雰囲気でした。
友人や地元の方と、合流しながら、香取神宮を目指しました。
途中で、「補陀落渡海」の小舟が漂着したと思われる場所にも、行きました。
こういう海沿いの鳥居は、補陀落渡海に関係していた鳥居が多いみたいです。
昔は、このあたり一帯は、海だったのです。
こういう石碑は、「小舟」の意味なのです。
ここに辿りついた、補陀落渡海僧たちは、香取神宮に行く前に、この場所で一休みしたのだと思います。
そして、聖徳太子が派遣した、忍者たちが助けたり、導いたりしたのだと思います。
「忍男神社」と書かれていますね。
「男の忍者たちが、西日本から小舟で亡命してきた僧を、助けた場所」
こういう意味だと思います。
ここにも、「小舟」の石碑がありました。
二つあるということは、二艘の小舟が辿りついたのかもしれません。
「香取神宮」に着きました。
皆で、参道を歩いていきました。
鳥居の近くの「神池」です。
ここで、補陀落渡海僧たちは、身体を洗ったのだと思います。
ここの手水舎で、待ち合わせしていました。
ここにも、小舟の彫刻がありました。
私には、黒潮の絵に見えます。
小舟ですね。
今回、調査の旅に同行してくれた皆さんです。
境内は、とても気持ちよかったです。
拝殿の正面の彫刻は、私には、「アヌ王」に見えます。
拝殿の横には、「鳥」の彫刻があります。
これは、「鳳凰」でもありますね。
いずれにしろ、「鳥類の神様グループ」のシンボルです。
だから、「香取神宮」は、「人=アヌ王」と「鳥=エンリル」のグループの拠点だったということです。
木の中に入りました。
とても落ち着きました。
また一つ、面白いことに、気が付きました。
「北緯36.0」が、「守護」の意味で、「鹿島神宮」が、その緯度にあるという話をしましたね。
ためしに、その相方の「香取神宮」の北緯を調べてみたら、なんと、「北緯35.8」でした。
「358」のナンバーですね。
縁起がいいことで、有名な数字ですね。
車のナンバーにも使う人が、多いことでもしられています。
ネットで調べると、だいたいこういう説明です。
「358」という数字は、「ミラクルナンバー」とも呼ばれていて、縁起が良いとされている理由です。
〇「358」は旧約聖書にも登場する、聖なる数字として知られている。
〇江戸幕府を開いていた徳川家、その初代将軍徳川家康を除いて、有名なのは、3代将軍徳川家光、5代将軍徳川綱吉、8代将軍徳川吉宗の3人です。
〇西遊記で、三蔵法師と一緒にいる3人は、「沙悟浄(さごじょう:3)」、「孫悟空(そんごくう:5)」、「猪八戒(ちょはっかい:8)」である。
〇釈迦が悟ったのは、35歳の12月8日と言われていますが、釈迦の誕生日は、4月8日で、計算すると、悟りの日は、35歳と8か月の時点となる。
〇「358」という数字が関係するのは、他にも、日本に仏教が伝来したのが、538年、空海が入滅したのが、835年となっていることや、奈良や京都のことを「みやこ(385)」ということなどと絡めて、縁起が良いと考える人もいるようです。
〇風水では「3=金運」、「5=帝王」、「8=最良の数字」といった意味合いをもつ数字で、「358」は、「良い方向への発展」を意味する数字みたいです。
なるほど、ですね。
大傑作なのが、他にも、「北緯38.5度」のあたりに、何かないかと探していたら、ありました。
成田空港です!
しかも、国際線の飛行機が、離発着する滑走路が、その緯度だったのです。
つまり、この空港から、国外に行ったり、国内に帰ってくるとき、このミラクルナンバーを通過していたのです!
さて、これが偶然だと思いますか?
まさに、「宇宙の采配」だと思います。
「香取神宮」には、いろいろな摂社もあります。
「姥山神社」にも行きました。
ここの本当に祀られている神様の正体は、「イナンナ(聖母マリア)」だと思います。
小さな祠がありました。
この近くには、「佐山神社」もあります。
漢字を分解して、見てください。
「大」+「工」+「人」+「山」
こうなりますね。
つまり、
「大工の人の山」=「イエス・キリストの縄張り」
こういう意味です。
昔、キリストが、ここに住んでいたのだと思います。
皆で、ランチを食べている場面です。
食後のデザートで、かき氷を食べてました。
「オイチイ~♡」
こう言いながら、食べている場面です。(笑)
「香取神宮」には、他にも凄い地上絵がありました。
次回は、「香取神宮」と「息栖神社」、この二つの神社のトップシークレットを初公開します。
お楽しみに!
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