精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

火の見櫓

9月12日(土)から14日(月)まで、主に熊野地方に、裏の日本史の調査に行っていました。

その時の旅行記は、また改めて書きますが、今回は、14日(月)に、京都市に立ち寄った時の調査を話をします。

今回のテーマは、「教育」です。

 

 

市内にある、「京都市学校歴史博物館」にも行きました。

f:id:tomaatlas:20200915175637j:plain

 

廃校を利用して、博物館にしているようです。

f:id:tomaatlas:20200915175657j:plain

 

入口で記念撮影です。

f:id:tomaatlas:20200915175730j:plain

 

指定された書類に、必要事項を記入すれば、展示品の撮影もOKでした。

 

寺小屋の絵です。

f:id:tomaatlas:20200915180017j:plain

 

昔の教科書です。

f:id:tomaatlas:20200915180309j:plain

 

f:id:tomaatlas:20200915180255j:plain

 

当時の京都市内の教育が、よくわかります。

f:id:tomaatlas:20200915180040j:plain

 

f:id:tomaatlas:20200915180102j:plain

 

f:id:tomaatlas:20200915180128j:plain

 

明治時代には、「番組小学校」というのが、あったそうです。

これは、1869年(明治2年)に、京都の町衆たちの手によって、住民自治組織であった「番組(町組)」を単位として、京都に創設された、64の小学校を指すそうです。

これらの小学校は、1872年(明治5年)、国家による学校制度の創設に先立つ、日本で最初の学区制小学校だったそうです。

f:id:tomaatlas:20200915175925j:plain

 

この展示会場には、とても興味深い写真が、いくつかありました。

まず、これです。

f:id:tomaatlas:20200915180212j:plain

 

あとは、これです。

f:id:tomaatlas:20200915180150j:plain

 

わかりましたか?

木造の校舎に、「火の見櫓」がありますね。

f:id:tomaatlas:20200915175752j:plain

 

場所は、「有済小学校」という学校みたいです。

そして、「学区内の火事を見張る火の見櫓」という表現に、注目してください。

これが、裏日本史において、重要な意味をもつのです。

f:id:tomaatlas:20200915175808j:plain

 

そもそも、なぜ、「学区内での火事」があったのでしょうか?

「火の見櫓」を建てるくらいだから、その火事は当時、頻繁に多発していたということです。

「その時代の日本の学校で、火事が頻発していたのは、なぜなのか?」

これが、今回のメインテーマです。

 

展示室には、関連した新聞記事も、展示してありました。

f:id:tomaatlas:20200915175900j:plain

 

現在では、日本全国において、前述した、「有済小学校」という所に、一つだけ残っているそうです。

f:id:tomaatlas:20200915175829j:plain

 

結論だけ、先に書いておきますね。

実は、これは、明治時代の「一揆」が関係しているのです。

「一揆」と言うと、江戸時代のイメージが大きいですが、明治時代の初期にも、日本国内で、多くの一揆がおきていたようです。

ザックリ分けると、3つに分類されるようです。

 

〇「血税一揆」

これは、一般には、「徴兵告諭」という本に書いてあった、「血税」という言葉を「本当に血を税として差し出す」という意味に勘違いした者、徴兵制に反対した人たちによっておこされた一揆だと言われています。

○「学制反対一揆」
フランスをモデルに作られた、「学制」に反対する人々が起こした一揆。

当時、農家の子供というのは重要な働き手であり、学校で勉強をするための学費が、自己負担だったため、農家は学制に反対したようです。
各地で、学校を焼き打ちするなど、民衆が、破壊活動を起こしたそうです。


○「地租改正反対一揆」
地租改正に、反対する一揆だったようです。

江戸時代の年貢制を改め、新しい税制を定めた地租改正でしたが、米でなく、金で税を納めたり、税率が土地の値段を基準に、定められたため、農民の負担は重かったようです。

 

実際には、これらは分かれておらず、この3つを不満とした暴動が、各地で起こっていたそうです。

ネットで調べると、だいたい、こういう内容が出てきます。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

「血税一揆」とは、新政府反対一揆のひとつであり、おもに、1873年(明治6年)に施行された徴兵令に反対するために、農民を中心として行われた一揆。

「徴兵制反対一揆」ともよばれる。

 

西日本を中心に起こり、特に激しい地域が、数カ所あったようです。

その中の一つが、「美作地方の一揆」です。

1873年5月26日、現在の岡山県北部で起きたそうです。

参加者は、

「徴兵令反対、学校入費反対、穢多非人の称廃止反対」

などを叫び、焼打ち、打毀しを行ったようです。

その対象は、官員宅、小学校、被差別部落宅などで、被害は432軒にのぼり、さらに、被差別部落では、住民29名が殺傷される事態となったそうです。

 有罪とされた人数は、26,916名だったそうです。

そのうち、懲役刑64人、15名は死罪となったとのことです。

 

二つ目です。

鳥取県の一揆が、1873年6月19日に起こったそうです。

別名を「竹槍騒動」と言い、

「徴兵令の反対、太陽暦・小学校の廃止」

などをかかげて、激烈な打毀しを展開したようです。

ある村では、洋服を着た教員や警官が、「血取人」と間違われて、襲撃されたのを発端に、各地に拡大したようです。

一揆勢は、各地の戸長宅などを打ち壊し、小学校などもその被害に遭ったようです。

鎮静後には、県側による大規模な取締りが行われ、処分されたのは1万1907人、そのうち1人が、終身刑となったとのことです。

 

三つ目です。

「西讃竹槍騒動」は、現在の香川県で、6月27日に起きたそうです。

放火された村の数は、約130村、農民側死者50名、官軍側死者2名。

この一揆のきっかけには、こういう話が、伝わっているそうです。

下高野村でのこと。

ひとり蓬髪の女が、2人の女の子を抱え、手には竹槍を持ち、どこかに飛び出していった。

この女を捕まえた住民が、

「子ぅ取り婆あが、あらわれた!」

と言って騒いだという。

そのころ、

「徴兵検査は恐ろしい。若い児をとる、生血とる」

という歌が、はやっていたのも関係していたようです。

戸長が、取調べを行おうとしたが、それを不服としたものたちが戸長に暴行、それに群集が興奮し、次第に数を増していき、2万人に達したそうです。

そして、7月6日には、ほぼ鎮圧されたそうです。

逮捕約282名、うち死刑7名、懲役刑50名など、刑に処された者は、16,839名にのぼったとのことです。

農民の要求は、

「徴兵令反対、学制反対」

だったそうです。

農民たちは、小学校、民家など、計599箇所を破壊し、そのうちの48が小学校だったそうです。

 

さらに、興味深い話がありました。

 

現在でも、「血税」という単語は、たまに使われますね。

この「血税」という表現は、フランス語の「impôt du sang」の直訳、「impôt=税、sang=血」、この言葉が、1872年11月の徴兵告論の一節に使われていて、そのために、農民が誤解して、一揆がおこったという説もあるそうです。

「徴兵告諭」の一節です。

「凡ソ天地ノ間一事一物トシテ税アラサルハナシ以テ国用ニ充ツ然ラハ則チ人タルモノ固ヨリ心力ヲ尽シ国ニ報ヒサルヘカラス西人之ヲ称シテ血税と云フ其生血ヲ以テ国ニ報スルノ謂ナリ」

これは、

「無知蒙昧な農民が、西洋人が、ひとの生き血をほしがり、政府を仲介して手に入れようとしていると勘違いした」

こういう解釈が、あったようなのです。

 

他にも、当時の西日本には、こういう話が広がっていたそうです。

「東京日日新聞(毎日新聞の前身)」の記事からです。

 

明治6年7月2日。

横浜の岸田銀次が、用があって備前国児島群田の浦を船で訪れ、上陸するやいなや大勢が集まり、騒ぎたてている。

何事かとみると、西の山際の小さな神社に、のぼりを二三たて、クロンボウのようなものが、沢山集まっている。

棒、竹槍をもつ者もいて、銀次を殺さんばかりであった。

銀次は慌てて、用のあったところへ逃げ隠れた。

すると、このうしろにあった家の母親が、小さき子をつれて、山に逃げだし、年寄りが幼な子をつれて、山の中へ逃げていき、あるいは船の中に隠れ、騒ぎは大変なものであった。

どうしたことかと、銀次がやっとわけを聞くと、

「今年(1873年)の春から、この辺の流言であるが、天朝が唐人にだまされて、唐人の言いなりとなり、日本人の種を絶やさんとし、男は18歳から20歳までを、血を抜いて弱くし、女は15歳以上を、外国にやってしまうのだ、かなりの者が、すでに血をとられてしまった」

などと言い、その血のとりかた、様子をも言いふらしている。

また、

「美作では、夜中に役人が、唐人を連れてきて、家々の番付、名前をあらため、娘がいれば、それを連れさらうのだ」

などと、馬鹿者が、おもしろがって言っている。

辺鄙の愚民は、これらの流言を信じ、上を疑う。

また、もともと政府を、うらんでいるところに、政府の布告は、漢語まじりゆえわけもわからず、わるく解釈する。

また、こういう噂もあった。

「学校学校といって、子どもを一箇所に集め、目印の旗を立て、それを見た唐人が来て、集めた子を、一度に絞め殺して、生き血をとると言う。それを避けるために、十日も前から、子どもを学校にいかすのを、止めてしまった」

とのこと。

さらに、かの合社のことを勘違いしたらしく、こう言う。

「唐人は、氏神のご威光を恐れて、子どもを取りあげられない、そのために唐人の手先となった県庁の役人が、ご神体をとりにくるという、ある村では、すでに宮も壊されたし、この村の社も壊しにくるだろう」

田の浦、大畑などの村々では、十日余りも漁を止め、農業を止め、竹槍や棒を持って田の浦明神に集まり、酒を飲みつつ、今か今かと、県の役人や唐人を待ちかまえ、見つけ次第殺すという。

銀次が上陸したのは、危うく殺されるところであった。

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

勘のいい方は、ここまで読んで、だんだん気が付いてきたと思います。

そうです。

現在の日本でも噂されている、「悪魔教」による、「子供の誘拐」、特に、「アドレノクロム」の関連の事件が、この当時から起こっていたと考えたほうが、自然だということです。

たしかに、事実を誤解したり、間違えたこともあったと思いますが、中には実際に、それが真実だったという話も、あったと思います。

 

つまり、明治時代の初期、文明開化などといわれて、世界中から、外国人が日本に入国しましたが、その中には、悪魔崇拝の悪党どもも、同時に入ってきたということです。

そして、現在のように、政府やマスコミなどと組み、巧妙な罠を仕掛けて、日本中の子供たちの誘拐や人身売買を、この頃から、小学校などで、組織的に始めたのだと思います。

それに気が付いた、日本の町や村の人々と、しばしば、対立していたのが、これらの一連の事件の水面下に、見え隠れするのです。

 

もっとシンプルに言いますね。

この当時から、国家による洗脳、戦争への誘導、子供の誘拐など、外国の悪党どもと組み、残酷な悪行をやっていた政府に、日本中の親たちが、

「私たちの大切な子供たちを守れ!」

こう叫んで、立ち上がっていたということです。

この真実を、長い歴史の中で封印して、「ただの一揆」として、ひとまとめにして隠蔽し、歴史の闇の中で誤魔化してきたのです。

 

この頃、京都をはじめとして、全国各地に、小学校が建築されたのですが、真実を知った親たちが、学校に放火する事件が、頻発してたようなのです。

これも、明治時代の頃に、ほとんどの資料が焼かれたりして、焼失しているそうです。

だから、現在では、書類が残っていなくて、まさに封印された秘史になっているようです。

よほど、当時の政府は、この全国的な大事件を、隠したかったのだと思います。

 

この史実を消さずに、残したいという少数の人々もいたようで、現在でも少しだけ、その痕跡が残っています。

前述した、「有済小学校」に、その痕跡、つまり、「火の見櫓」が残っているのです。

 

 

この日、京都在住の友人たちを誘って、そこへ行ってきました。

「京都市立有済小学校」の場所は、京都府京都市東山区大和大路通三条下る東側大黒町にあります。

f:id:tomaatlas:20200915173104j:plain

 

学校の外側からも、「火の見櫓」は見えます。

前述した博物館の写真を見てもわかるように、もともとは、木造の校舎にあったのですが、1952年(昭和27年)に、この鉄筋コンクリート造りの新校舎の屋上に、「火の見櫓」だけ移設されたようです。

f:id:tomaatlas:20200915173042j:plain

 

2004年3月に、統廃合で閉校になり、134年の歴史を閉じたそうです。

現在の建物は元校舎で、市教育委員会が、事務棟として使っているようです。

校内には、事前に事務局の許可を得ないと、入れないようです。

f:id:tomaatlas:20200915173351j:plain

 

許可を得て、校内に入りました。

昔の小学校、こんな感じでしたね。

f:id:tomaatlas:20200915173334j:plain

 

運動場には、雑草が生えています。

そして、大木もありました。

まるで、この学校を守っている御神木のようです。

f:id:tomaatlas:20200915173239j:plain


大きな榎です。

f:id:tomaatlas:20200915173306j:plain

 

「火の見櫓」の前で、記念撮影しました。

f:id:tomaatlas:20200915173127j:plain

 

 この「火の見櫓」を見ると、なんとも言えない感情が、湧きあがってきました。

f:id:tomaatlas:20200915173153j:plain



どうですか?

私の言いたいことが、だんだん、わかってきましたか?

 

現在の日本でも、当時のように、国家による洗脳、間違った方向への誘導、児童虐待が行われているのですよ。

f:id:tomaatlas:20200915180739p:plain

 

特に、ほとんど意味のない「マスク」を強要されて、苦しんでいる子供たちが、たくさんいるのです。

f:id:tomaatlas:20200915180719p:plain

 
これを黙って見ているというのは、もう親失格ですよ。

f:id:tomaatlas:20200915180801p:plain

 

私は、独身で子供もいません。

でも、もしも、自分の子供が、こういう目に遭っていたら、絶対に学校側に、苦情や文句を言いにいきます。

自分だけだったら、我慢をするかもしれませんが、愛する子供のためなら、我慢などしません。

 

そして、話し合いが平行線になり、学校側が、その態度を改めないのであれば、子供たちに、そんな学校など行かせません。

 

自分の子供がいたら、

「そんなバカな先生たちから、教わることなど、もう何もないよ! もう学校など行かなくてもいいよ。これ以上、学校に通ったら、バカになるよ。今日からは、お父さんが、お前たちに全部教えるよ。学校の授業などより、お父さんの話を聴いたほうが、100倍も勉強になるし、賢くなるよ!」

自分の胸を、ドンと叩いて、自信満々にこう言います。

 

どうして、こういう親が、出てこないのか不思議です。

学校って、そんなに偉いんですか?

いつから、親たちは、そんなに、学校の理不尽な命令に、盲目的に服従するようになったのですか?

明治時代の頃、私たちの先祖たちは、まだ、

「自分の子供は、自分が責任をもって育てる!」

こういう気概をもっていました。

今こそ、そういう、「大和魂」を取り戻す時だと思います。

 

私は、現在、セミナーや懇親会、ツアーなどで、大人向けに、「面白くて楽しくて、ためになる話」を、たくさん伝えていますが、いつの日か、私の理想とする、「学校」も、子供たち向けに、つくってみようという夢もあります。

 

それは、もう建物もなく、決まった時間帯や科目もなく、本当に楽しくて、毎日が、「遠足」のような授業になると思います。

新しい時代には、現在のような我慢を強要する、古臭い学校は、もう必要ないのだと思います。

これからは、毎日がワクワクして、

「明日も、学校に行きたい!」

子供たちが、こう言いながら、目を輝かせるような学校が、少しづつ出てくると思います。

 

今の時代は、そのための過渡期だと思います。

「マスク真理教」が支配している現在の学校は、22世紀の未来において、「学校歴史博物館」ができたら、真っ先に、

「2020年には、日本中の学校で、こんなバカな教育を子供たちに強制した、暗黒の時代でした」

こういう説明書きで、たくさんの写真が、展示されると思います。

 

 

調査の旅を終えたあと、いつものように、JR京都駅のビルの中にあるカフェで、皆で打ち上げをしました。

いろいろな話で、盛り上がりましたね。

関西、また行きますね。

f:id:tomaatlas:20200915180338j:plain

 

 

 

☆私の著書、「地球を創った魔法使いたち」の1巻~2巻も発売中です。
ぜひ読んでみたください。

https://tomaatlas.hateblo.jp/entry/2019/11/25/212315

 

 

☆記事の感想などは、下記のアドレスに、お気軽にメールくださいね。(お手数ですが、メルアドは、コピーして貼り付けてください)
toma_atlas@yahoo.co.jp

 

 

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 

 

☆ランキングにも、参加しています。

記事が面白かったら、応援クリックもお願いします。

 


スピリチュアルランキング

 


にほんブログ村

 

☆下記が、私のメインサイトの「精神世界の鉄人」のエッセイ集です。

不思議な体験談や精神世界の探求が、たくさん書いてあります。
現在は、ほとんど更新していませんが、遊びにいってみてくださいね。

http://www.tomaatlas.com/library.htm

 

 ☆フェイスブックもやっています。

www.facebook.com

 

☆インスタグラムもやっています。

www.instagram.com

 

 ☆ツイッターもやっています。

twitter.com

 

☆私が自信をもってオススメする、ヒーリンググッズの王様、「不思議なペンダント・アセンション」のサイトです。

http://triplehimawari.ocnk.net

 

☆個人セッションも、ぜひ体験してみてくださいね。

tomaatlas.hateblo.jp