沖縄ライトツアー 1 てぃんさぐぬ花
大変長らくお待たせいたしました~!
いよいよ、去年の年末、故郷の沖縄を旅した時の旅行記を、書きはじめますね。
今回も、凄まじい内容です。
琉球の新たな真実の歴史を、初公開することになります。
メインテーマは、「光」です。
どうして、このテーマなのかは、最終回に書きます。
ご存知のように、私の旅行記は、時系列ではなく、テーマごとのストーリー構成になっているので、実際にまわった順番ではなく、時間は前後しています。
宇宙考古学の旅は、いつもは、私が個人的な興味で行く場所を探して、それから目的地に行くのですが、今回は、ちょっと違いました。
去年の11月に、都内のザ・キャピトルホテル 東急で、マイアさんという方と会ったのです。
そして、その時に、
「沖縄を光で浄化する旅に、一緒に出かけませんか?」
こう提案されたのです。
ちょうど、いろいろな事情で、沖縄の実家の両親にも会いたかったので、一緒に沖縄に行くことになりました。
初対面の方と、いきなり旅行に行くことになったのは、この時が、生まれて初めてでした。
神様事というのは、時間に関係なく、やるときはやるものだと思いました。
12月23日の早朝、羽田空港から、那覇空港に向けて飛び立ちました。
ここから、5日間の不思議な旅が始まりました。
那覇空港で、マイアさんと合流して、レンタカーに乗り、最初は、沖縄本島の北部に向かいました。
神様の声を聴きとり、いろいろな奇跡を起こす、マイアさん、それから、宇宙考古学者である私、トーマの不思議な旅が始まりました。
那覇市内です。
「ガジュマル」です。
この木を見ると、
「沖縄に帰ってきたんだな~!」
と感じます。
那覇市の寄席宮十字路付近です。
私の母校、真和志小学校です。
このピンク色の花の木は、「トックリキワタ」だとか、「トボロチ」という名前の木です。
沖縄に、たくさんあります。
満開の時には、このように、鮮やかで綺麗なピンクの花が見られます。
実は、この木は、私の父が南米から沖縄に種を持ち込み、繁殖させた木なのです。
図鑑にも、父の名前が載っています。
私も、子供の頃、この木の苗を、庭で大事に育てた記憶があります。
家族全員で、名護市のあたりまで赤土をとりに行って、車のトランクが土の重さで、ギシギシという音をたてながら、那覇市の家まで帰り、それから、その土を植木鉢の中に入れたりしたのが、懐かしい思い出です。
だから、この木は、私の家族の思い出の木でもあるのです。
ある程度、苗が大きくなったら、いろいろな学校や施設に寄付して、それから、数年おきに、家族で、それを見るツアーなども父の運転でやりました。
「トボロチツアー」と、父は呼んでいました。
あの頃からテーマを決めて、旅をするというスタイルを、やっていたのですね。
私は、現在、53歳です。
いままでの53年間を、振り返ってみました。
いろいろな思い出が、蘇ってくるにですが、やはり、自分の人格形成に両親の影響が、思っていたよりも大きいことが、わかりました。
現在、私は、文章を書くのが好きで、こうやって、ブログというかたちで、情報発信して、いろいろな考え方を、たくさんの人とシェアしていますが、これは母親の影響が、大きいと思います。
母は若いころ、地元の沖縄で、アナウンサーだったのですが、私が、現在、こうやって文章で、なるべくわかりやすく、情報や考え方を、たくさんの人に届けるという姿勢は、母から受け継いでいると思います。
また、キネシオロジーによる個人セッションやセミナーでは、たくさんの人の心と身体を癒して、元気づけるのですが、これは父親の影響が大きいと思います。
父は若いころ、沖縄で外科医だったのですが、抽象的でわかりにくい精神世界を、科学的で合理的に解釈して、それを、たくさんの人の幸せのために生かそうという努力は、父から受け継いでいると思います。
このように、現在自分がやっている仕事や特技、趣味などが、かなり両親の影響を受けていることに、改めて驚いています。
「自分が何をしていいのか、わからない…。自分に合った仕事がわからない…。」
という方は、ぜひ自分の両親の仕事や特技、趣味、性格などを、もう一度見直してみるといいと思います。
大きなヒントが、けっこう隠れていると思いますよ。
昔のことを思い出すと、いろいろと面白いことに気がつきました。
子供の頃、母から、いろいろな人生哲学を教えてもらったのですが、一番印象に残っているのは、
「イタル、お母さんはね、イタルには、人の心の痛みがわかるような、やさしい人間に、なってもらいたいと、思っているんだよ。この世界で、一番大切なことは、やさしさだよ。ぜひ、やさしい人間になってね…」
と、やさしい眼差しで語った後に、急に厳しい表情で睨みつけるように、
「でも、この世界には、悪い人間や恐ろしい人間、酷い人間もたくさんいる。そういう人間には、絶対に負けるな!」
と強い口調で、言ったことです。
小学校の低学年の頃だったと、思うのですが、この母の言葉が、やけに印象に残っています。
「やさしい人間に、なりなさい」
というのは、どこの家庭でも学校でも教えると思うのですが、我が家の教育方針の中には、
「悪い人間に負けるな」
という教えも、あったようなのです。
これは先祖代々なのか、両親の人生哲学なのか、よくわからないのですが、たしかに、家では、そういう教育が一貫してあったみたいです。
「悪い人間に勝て」
ではなくて、
「悪い人間に負けるな」
という表現が、母らしいと思いました。
「勝たなくてもいい。ただ負けるな」
という意味だったと、思います。
そういえば、子供の頃、やたらと、「刑事もの」のテレビ番組をみせられました。
一番、最初にみた記憶があるのが、「刑事君」ですね。
あとは、「夜明けの刑事」や「明日の刑事」。
「太陽にほえろ」、「Gメン75」、「噂の刑事、トミーとマツ」、「刑事コロンボ」などなど。
こういう刑事ドラマは、積極的にみせられた記憶があります。
その後、20歳くらいの時に、母から、
「あのね、お父さんもお母さんも、イタルが子供の頃、あまりにも、心がやさしすぎて心配だったのよ。あなたは人がよすぎて、人を疑ったり嫌ったりする要素が、ほとんどなかったの。純粋すぎたの。これではあまりにもバランスが悪すぎる。お人好しのまま大人になったら、悪い人間に、絶対に酷い目に遇わされる。だから、世の中の悪というものを教えるために、考えた教育のやり方が、刑事ドラマをたくさんみせるという方法だったのよ」
という話を、聞かされて、
「そうだったのか…」
とビックリしたおぼえがあります。
たしかに、刑事ドラマには、酷い悪人がたくさんでてきますね。
また、そういう人への対処法などもでてきます。
「自分の両親って、ここまで、考えて子育てをしていたのか…」
と思って、なんともいえない、複雑な気持ちになりました。
同時に、感謝の気持ちも湧いてきました。
父からも、いろいろなことを学びました。
まず、思い出すのは、これも、小学校の頃だったのですが、私が、こういう質問をしたことがあります。
「ねえ、お父さん、前から聞こうと思っていたんだけど、お父さんは、この世の中から、病気が全く無くなってしまって、お父さんの病院に、患者さんが誰も来なくなって、貧乏になってしまうのと、反対に、この世の中が、もっと病気だらけになって、お父さんの病院に、患者さんがたくさんやってきて、お金持ちになるのと、どっちが嬉しい?」
今、考えたら、小学生で、こういう質問をする自分も、かなり変わった子供だったと思うのですが、父も変わっていました。
「うーん…。うーん…」
としばらく、うなり、下をうつむいたまま、難しい表情で長時間熟考した後、ニッコリ、笑って、
「うん。世の中が、病気だらけになって、金持ちになったほうが、お父さんは、嬉しい。」
と言ったのです。
「ええっ?」
と驚いてしまいました。
予想外の答えだったので、ビックリしたまま、いろいろと複雑な感情が、こみあげてきたおぼえがあります。
「なんだ。お父さんって、立派なお医者さんだと、周囲の大人は言っているけど、案外、金儲け主義の人だったんだな…。ガッカリだな…」
子供心に、けっこう傷つきました。
ただ、父の方は、嬉しそうな顔をして、
「イタルは、こういう質問をするようになったんだな…。将来は、哲学者になるかもしれないな…」
と言ったのも、覚えています。
その後、いつもの年と同じように、正月に、家に年賀状が、たくさん届いたのですが、そこで、ある事実に気がつきました。
自分には、学校の友人、数名からしか、年賀状が届かないのですが、父には、何百通もの年賀状が届いていたのです。
まあ、親戚や友人の年賀状もあったのですが、9割くらいは、病院の患者さんからでした。
「先生の手術のおかげで健康になりました。ありがとうございました。」
というような「感謝」と「お礼」の年賀状ばかりでした。
「あれっ? お父さん、実は、たくさんの人を幸せにして、感謝されるような素晴らしい仕事を、やっていたんだなー。やっぱり、お父さんって凄いんだなー。」
と、やはり、見直しました。
「お金=愛」
「お金=信用」
というような現在の私の金銭哲学は、間違いなく、この時の父親の影響から、きていると、思います。
子供の頃に、お金に対して、ポジティブな考えを持つことができたのは、とっても、よかったと、思っています。
あと、父は、60歳を過ぎてからは、
「患者を、薬漬けにする、西洋医学は、もう駄目だ…」
と開業していた病院を辞めて、漢方薬などの東洋医学を、最初から学び始めました。
今でも、沖縄の実家の庭には、たくさんの植物が植えてあります。
まあ、これが、私の小学校の頃の意地悪な質問のせいなのか、どうかは今でも、わかりません。(笑)
父は、こういうことも、よく言っていました。
「お父さんはね、仕事において、大切なことは、信用だと思ってる。信用さえあれば、どんなに借金していても、いくらでも返せるし、どんな苦境に立っても、跳ね返せる。でもね、信用を無くしたら、どんな仕事でも、すぐに駄目になるよ。仕事というのは、お金を大切にするのではなく、信用を大切にするんだよ。そうすれば、お金なんか、勝手についいてくるよ」
これも、現在の私に、大きな影響を与えた教えです。
もう一つは、
「お父さんはね、人生において、一番大切なことは、『まずは、やってみよう!』という姿勢だと思うよ。なにか、やってみたいことがあったら、いろいろ考えるのもいいけど、この『まずは、やってみよう!』という姿勢が必要だよ」
これは、シンプルだけど、とても大事な人生哲学だと思います。
そうですよね。
なんでも、まずはやってみないことには、はじまりません。
だから、
「まずは、やってみよう!」
というのは、本当に人生で一番大切な姿勢だと思います。
とりあえず、一歩だけ踏み出す。
これから、人生は動き出すんですよね。
皆さんも、時間があるとき、子供の頃両親が、いろいろ教えてくれた数々の教訓など、思い出してみると、いいですよ。
特に、苦しい人生を歩んでいる最中には、素晴らしい気づきが、たくさん見つかると思います。
だって、この世界で自分のことを、一番愛している人からの、アドバイスなのですから。
沖縄の代表的な民謡、「てぃんさぐぬ花」の話です。
「てぃんさぐ」は、「ホウセンカ(鳳仙花)」のことで、沖縄では、古くから、ホウセンカの汁を、爪に塗って染めると、「マジムン(悪霊)除け」の効果があると信じられていたそうです。
この民謡の歌詞は、親や年長者の教えに従うことの重要性を説く、教訓歌となっています。
特に、
「てぃんさぐの花を、爪の先に染めるように、親の教えを、心に染めなさい」
と強調しています。
沖縄では、昔から、
「一番神様のメッセージを、自分に伝えてくれるのは、自分の親である。なぜならば、この世で一番、自分を愛してくれる存在は、親だからである」
という考えかたがあったそうです。
てぃんさぐぬ花や
爪先(ちみさち)に染(す)みて
親(うや)ぬ寄事(ゆしぐとう)や
肝(ちむ)に染(す)みり
(標準語訳)
ホウセンカの花は
爪先に染めなさい。
親の言うことは、
心に染めなさい。
素晴らしい詩ですね。
次回に続きます。
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