瀬戸内ピースツアー 6 戦艦大和
いよいよ、「戦艦大和」の秘密に迫ります。
呉市を探索していた時、以前に読んだ本のことを思い出しました。
「戦艦大和」の話でした。
その本に、いいエピソードが載っていたので紹介します。
ちょっと前に劇場公開された映画、「男たちの大和/YAMATO」の大ヒットは、記憶に新しいと思います。
著者が、その本に書いていたのですが、知人が、この映画に関係していて、おもしろい話を教えてくれたそうです。
映画の中の話です。
戦艦大和は出撃して沈められてしまうのですが、その出撃前、乗船予定の兵士全員に、休暇が与えられたそうです。
その休暇で、みんな、田舎へ帰ったのですが、もちろん、戻って来たときに負けてしまうことは、目に見えていました。
そのときは、もう日本全体が敗色濃厚な時期だから、大和も出撃して沈むことは、みんなわかっていたのです。
それでも、全員が戻ってきた。
その兵士たちの中に、少年兵というのがいました。
少年兵というのは志願兵で、20歳になって兵役課される前に志願して、兵隊になった若者です。
18歳や19歳、さらには、15歳や16歳で志願する者までいたようです。
300人以上いた少年兵も、やはり、休暇のあと戻ってきた。
みんな揃って戻ってきて、みんな揃って沈められてしまった。
そういうストーリーでしたね。
さて、いいエピソードというのは、この映画に登場する少年兵のエキストラに、応募した若者たちの話です。
応募してきたのは、1500人以上。
もちろん、「茶髪にピアス」の「ごくあたりまえ」の若者たち。
この「茶髪にピアス」が、四次選考、五次選考と、すすむにつれて、自発的にショートカットにしてきたそうです。
最終的に、採用されたエキストラは、百数十名。
撮影が始まると、一ヶ月ほどの実戦訓練で、演技もきびきびとし、顔つきまでが変わってたそうです。
そんな若者たちの中のひとりの話。
ある日、学校の先生に、
「日本とアメリカは、本当に戦争をしたのですか? 戦艦大和なんて、本当にあったのですか?」
と聞くと、先生は、
「あったよ。日本は戦争に負けて、何もかも失ったんだ」
と答えたそうです。
彼は、その事実に驚いて、先生が言うような「日本が失ったもの」を探してみたそうです。
でも、自分の周囲を見ても、日本には何でもあります。
何を失ったのか、さっぱり、わからなかったそうです。
それでも、いろいろ考えて、一つの答えらしきものを得たそうです。
「やっと、わかりました。失ったものは、『道徳』です」
態度が立派になったばかりか、日本人の失ったものが、『道徳』という精神的な価値であることまで、覚るに至った「大和」の若者。
「おまえら、まるで生まれ変わったようだな」
とのプロデューサーの言葉に、彼らは口々に、こう答えたそうです。
「自分と同じ年の人が、こんなふうに死んでいったのかと思うと、おろそかな演技は、できません」
どうですか?
なんか、いろいろと考えさせられるエピソードでは、ないですか?
最近、戦争の資料館や記念館などに、足を運ぶ若者が増えているそうですが、これは、彼らが、戦争に興味をもっているわけではなくて、純粋に、
「当時の若者たちは、何を考えて、何をしたかったのだろうか?」
ということを、知りたいのだと思います。
これは今回の旅ではなく、2019年の春に訪れた時の写真です。
広島県呉市の「大和ミュージアム」です。
「大和ミュージアム」の入口付近です。
「ポセイドン」という神様の正体は、「エンキ」です。
「亀」の神様でもあります。
10分の1のスケールで造られた、「戦艦大和」です。
「菊花紋」が船首にありますね。
「橘」で、「ミカン」のグループですね。
これも、例の「人間魚雷・回天」です。
では、そろそろ真相を書いて行きますね。
「悪の根源」のセミナーでも話していますが、「戦艦大和」は、「天照派」である「日本海軍」が、アメリカ軍と組んで、ワザと沈没させたようです。
目的はなんと、「愛と平和」のためだったようです。
「真珠湾攻撃」と同様に、「大和の沈没」は、筋書きのある「八百長」だったということです。
「天照派」は、「妙見信仰」のグループで、亀や龍の上に、菩薩や観音様がのっている仏像や絵画が、シンボルでしたね。
戦艦大和の沈没地点は、鹿児島県の屋久島沖ですが、この海底にも、超巨大な絵があります。
地上絵ではなく、海底絵です。
その絵は、「龍」です。
わかりますか?
「目」も二つありますね。
「戦艦大和」は、ちょうど、その龍の首の辺りに沈没しているのです。
「戦艦大和」=「妙見菩薩」
「龍の海底絵」=「龍」
あとで気がつきましたが、「戦艦大和」の航路も、「北斗七星」の形に似ていますね。
これも、「妙見信仰」のシンボルでしたね。
さらに面白いのは、2012年5月の皆既日食の時には、日食のラインが、大和の沈没地点の近辺を、通っているのです。
これは、偶然だと思いますか?
「日食」も、「天照派」のシンボルでしたね。
「いったん暗くなり、そのあと明るくなる」
つまり、
「いったん死んでから、再び生まれ変わる」
これが、彼らの生きざまであり、戦い方なのです。
そうなのです。
前回書いたように、「人間魚雷・回天」と同様に、「戦艦大和」は、それの超巨大版の「補陀落渡海」をやったようなのです。
「補陀落渡海」は、大昔から、小舟だけでなく、わりと大きな船でも行われていました。
ご存知のように、 「熊野」を中心にして、全国に小舟に乗って、「天照派」の人々は、新天地を求めて亡命していたようです。
その中の一部は、西日本や九州、沖縄、場合によっては、朝鮮半島や中国にも亡命していたようなのです。
「遣隋使船」や「遣唐使船」なども、それだった可能性があります。
つまり、「天照派」の日本人が、表向きは、
「海難事故に遭って、海の藻屑となった」
という話にして、実際には、隋や唐で帰化人として、新生活を始めていたようなのです。
以前に、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」という映画を観たのですが、「遣唐使船」が、日本海で嵐に遭遇して、大変な航海をやっている場面が、目に飛び込んできました。
学生時代、社会科の授業で習ったのは、
「遣隋使船や遣唐使船は、日本海の荒波で遭難した船が多く、無事に日本に帰国できた船は少なく、帰還率は6割くらいだった」
という話でした。
しかし、この話は根本的におかしな話です。
そもそも、日本を代表するようなエリートであり、将来有望な若者を、沈没する確率が、4割もある船旅に行かせるでしょうか?
わかりやすく、現代風に言い換えると、
「海外留学に行きませんか? そのかわり、往復の飛行機は4割くらい墜落して、乗客は全員墜落事故で死にます。それでも日本の将来のために、留学してくれませんか?」
こう言われて、その海外留学に行く学生がいるかという話です。
誰もいないと思います。
これが、遣唐使船です。
けっこう頑丈にできていますね。
そうなのです。
「遣隋使船」や「遣唐使船」も、「補陀落渡海」だったのです。
「天照派」の多くが僧侶になり、お寺を住処にしていた時に、お隣の中国にも大量に亡命していたのだと思います。
「日本には、もう居場所がない。大陸に行って、新天地で生まれ変わって、人生をやり直そう!」
こう思った人々が、乗船したのが、これらの船だったのだと思います。
「空海」は、その引率者としての役割もあったのかもしれません。
だから、日本中にある寺や神社には、このための作戦会議室も、いくつか存在していたのだと思います。
もしかしたら、大陸に亡命した、「天照派」の日本人の中には、遠くのヨーロッパまで行ったグループも、あったのかもしれません。
だから、鎖国の時代に、日本にやってきた外国人の中には、先祖が日本人だった商人や宣教師もいたのかもしれません。
遠くの日本に、あれだけの距離を航海して来るというのは、よっぽどの理由じゃないと、できないと思います。
私には、彼らは、ただの金儲けや侵略目的だけじゃなかったような気がするのです。
そういえば、有名なフランシス・ザビエルなどは、髪は金髪じゃなくて、黒髪ですね。
先祖は、日本人だったのかもしれませんね。
「戦艦大和」は、超巨大な「補陀落渡海船」だったということです。
もちろん、実際に沈没した後、海で溺れ死んだ兵隊も、たくさんいたと思います。
しかし、その中の一部、おそらく、海軍の上層部は、亡命したのだと思います。
その中の若者の一部は、彼ら上層部の息子だったかもしれません。
沈没した後、もしかしたら、船底に、「人間魚雷・回天」が、たくさん積まれていて、南西諸島やフィリピン、インドネシアなどに、逃亡したのかもしれません。
そして、30~50年後に、ほとぼりが冷めた頃に、本人や子供たちや孫たちが、日本の帰国して帰化するという筋書きだったのかもしれません。
これは、「戦艦大和」と同じように、長崎県で建造されていた、「戦艦武蔵」も、まったく同じだと思います。
考えてみたら、「大和」も「武蔵」も沈没してから発見されるまで、かなりの時間がかかっています。
本来ならば、戦後、アメリカ軍が、日本に来た時に、すぐに調査に入り、引き揚げると思います。
それなのに、今でも、徹底的な調査はされていません。
そうなのです。
GHQやCIAも、この八百長をグルでやっていたということです。
この二つの戦艦は、「戦うための戦艦」ではなく、「逃げるための戦艦」だったということです。
さて、ここからが、本題です。
「戦艦大和」と「戦艦武蔵」には、もっと凄い秘密があるようです。
「何のために逃げたのか?」
という理由には、国外逃亡だけじゃなく、もっと凄い秘密があったのです。
今回の旅では、「戦艦大和」が建造されていた所にも、行ってきました。
ここです。
凄い景色で、圧倒されます。
「戦艦大和」の巨大さがわかります。
写真の隠された建物の中で、建造されていたそうです。
戦時中は、ここは、付近の住民たちは、まったく見ることができなかったそうです。
どの家も、この海側が見える窓は開けることも、禁じられていたそうです。
さらに、呉駅によそ者が着いたら、特高警察などが、その不審な人たちを尾行して張りつき、一挙手一投足を、細かくチェックされるというくらい、用心深く秘密に管理されていたそうです。
では、この超巨大戦艦の船内には、それほど秘密にする必要のあった、何が隠されていたのでしょうか?
だんだん、わかってきましたね。
広島の「戦艦大和」の中に、隠されていたと思われるものです。
長崎の「戦艦武蔵」の中に、隠されていたと思われるものです。
「戦艦を秘密に建造していた場所」
この話は、ダミーなのです。
そんなのは、どんなに隠しても、すぐにバレます。
実際には、
「その戦艦の船内で、原子爆弾を製造していた」
これが本質であり、日本の国家機密だったのです。
そして、終わった後に、その爆弾を製造した痕跡を消すために、海底深く沈没させ、証拠隠滅を謀ったのです。
もちろん、沈没させたアメリカ軍もグルです。
建造したところには、記念碑のようなものも建っていました。
これを見ていたら、なんともいえない感情が湧き上がってきました。
次回からは、舞台は広島市に移ります。
さらなる秘密に迫ります。
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