日本ピースツアー 4 長岡京
2018年5月に、「補陀落渡海」の調査で、関西をまわりました。
関西では、大阪にも行きました。
基本的には、「補陀落渡海」は、和歌山県の那智から、始まっているのですが、そこだけでなく、四国の高知県足摺岬のあたりなど、複数の場所で行われていたようです。
大阪や奈良にも、その痕跡が残っているのですが、それらの痕跡は、補陀落渡海の出発地だった所もあれば、「黒潮ロード」には乗らずに、別の潮流で流れ着いた漂着地、もしくは、そもそも、補陀落渡海を計画していた陰のフィクサーである、聖徳太子の作戦会議室だった所もあると思います。
だから、私は関西地方には、これらの3タイプの場所があったと推測しています。
2018年に、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」という映画を観たのですが、「遣唐使船」が、日本海で嵐に遭遇して、大変な航海をやっている場面が、目に飛び込んできました。
学生時代、授業で習ったのは、
「遣隋使船や遣唐使船は、日本海の荒波で遭難した船が多く、無事に日本に帰国できた船は少なく、帰還率は6割くらいだった」
という話でした。
しかし、この話は根本的におかしな話です。
そもそも、日本を代表するようなエリートであり、将来有望な若者を、沈没する確率が、4割もある船旅に行かせるでしょうか?
わかりやすく、現代風に言い換えると、
「海外留学に行きませんか? そのかわり、往復の飛行機は4割くらい墜落して、乗客は全員墜落事故で死にます。それでも日本の将来のために、留学してくれませんか?」
こう言われて、その海外留学に行く学生がいるかという話です。
誰もいないと思います。
これが、遣唐使船です。
けっこう頑丈にできていますね。
そうなのです。
「遣隋使船」や「遣唐使船」も、「補陀落渡海」だったのです。
「天照派」の多くが僧侶になり、お寺を住処にしていた時に、お隣の中国にも大量に亡命していたのだと思います。
「日本には、もう居場所がない。大陸に行って、新天地で生まれ変わって、人生をやり直そう!」
こう思った人々が、乗船したのが、これらの船だったのだと思います。
「空海」は、その当時の天皇に頼まれて、後から、大陸に渡った亡命者たちの安否を、確認しに行ったのだと思います。
関西の神社には、このための作戦会議室も、いくつか存在していたのだと思います。
ご存知のように、大阪は川が多いです。
だから、「補陀落渡海」に関係していたと思われる寺や神社も、たくさんあります。
大阪では、いろいろ調べた結果、大阪府堺市あたりにも、これに関係していそうな寺を、いくつか見つけたので、そこにも行ってみました。
その中の一つの寺を紹介しますね。
着いてすぐに、門の前で記念撮影しました。
名前にも感動しました。
「月蔵寺」ですね。
「月」+「蔵」+「寺」=「臓寺」
つまり、日本において、「臓器のような役割をしていた大切な寺」
という意味です。
さらに、「青陽山」という文字にも、注目してください。
「お日様の光」、つまり、「陽」の色は、普通は、黄色や白、もしくは、オレンジや赤のイメージだと思います。
それが、「青」だと書かれているのです。
そうです。
太陽の光が、青くなる瞬間がありますね。
「日食」の時の「ダイヤモンリング」です。
つまり、この寺こそ、古代において、「天の岩戸開き」の象徴である、「日食」を暗号とするグループが集まっていた所なのです。
「青陽山」の「山」は、「領地」の意味も含みますね。
つまり、「天照派」の拠点だった所だということです。
おそらく、ここで、「補陀落渡海」の作戦も、練っていたのだと思います。
さらに、ここから、小舟を出したり、和歌山などからの小舟を、受け入れたりもしていたのかもしれません。
門の上の彫刻を見て、大感動しました~!
見てください!
静岡県や栃木県の「東照宮」に刻まれているものと、同じです。
「司馬温公の甕割り」の絵ですね。
これは、「補陀落渡海」の小舟から、僧侶を救出している場面だというのが、本当の意味です。
こういうことが、わかってくると、お寺をまわるのが、何倍も楽しくなります。
門をくぐって、境内を探索しました。
庭には、「復活」の象徴である、「蘇鉄」もありました。
屋根の鬼瓦は、顔が鬼で、身体が蛇、つまり、「宇賀神」を表現していました。
「天照派」の始祖である、「イザナギ」ですね。
「小舟」の石碑も、目に飛び込んできました。
「この石碑があるところは、全て、補陀落渡海に関係している所である」
「天照派(縄文)」のグループは、あまり目立つことを好まなかったようです。
なぜならば、派手なことをやると、「神武派(弥生)」から、目を付けられて、また弾圧や迫害をされると思っていたからです。
だから、この「ミカングループ」の歴史は、ほとんど残っていなくて、わかりにくいのです。
わかりやすいように、地図を90度回転させました。
住宅街の白くて細い道に、注目してください。
ついでに、赤線で補助線を描きました。
右側を向いている「船」の絵が、わかりますか?
ハイ!
「遣隋使船=遣唐使船」ですね。
つまり、この道路で描かれた地上絵は、「遣隋使船=遣唐使船」 の絵だったということです。
「補陀落渡海」が、西暦600年~1700年くらいの期間に、行われていたようですが、「長岡京」という都が存在していたのが、西暦784年11月11日~794年10月22日だと言われています。
そして、「遣唐使船」が運航していた期間が、630年~894年で、回数は、20回だったという説が有力みたいです。
そうなのです。
期間が被りますね。
この都は、「天照派(縄文)」のグループが、「神武派(弥生)」のグループから逃げるための場所だったのです。
シンプルに言うと、
「大陸への亡命の準備をするための都」
「大陸への亡命」の痕跡は、日本各地にあります。
2020年、新潟県の佐渡島に行った時の発見です。
「黒木御所跡」に立ち寄りました。
佐渡市泉甲にあります。
この近辺も探索しましたのですが、その時に凄い発見がありました。
最後の最後に、地元の方の案内で、ここにフラリと立ち寄ったのです。
「国賓殿」と書かれていますね。
中に入って、驚嘆しました。
「オオ!!」
ここでも、大声をあげてしまいました。
わかりましたか?
「普陀落山(ふだらくさん)」と書かれていますね。
つまり、ここでも、「補陀落渡海」が行わていたということです。
「橘」のシンボルもありました。
「聖徳太子」ですね。
この写真を、Facebookに掲載した時に、長崎県の友人、タウリンさんが、
「補陀落渡海と普陀落渡海、補と普、この二つの漢字の違いは、なんでしょう?」
こういう問いかけのコメントが、投稿されたのですが、この質問には、凄い秘密が隠れているような気がして、それから悶々としながら、いろいろ思索していました。
こういう視点は、裏の日本史を、とことん知り尽くしていないと、出てこない疑問です。
私も以前から、この漢字が、二種類あることが、引っかかっていたのですが、この時、改めて再考するキッカケになりました。
いろいろ考えた結果、この時に、ある仮説が浮かび上がってきました。
それは、
「補陀落渡海は、国内における亡命で、普陀落渡海は、国外への亡命だったのではないだろうか?」
こういう仮説です。
2018年の8月に、長崎県の島原半島を調査した時に、大収穫がありました。
南島原市加津佐町本岩戸という所に、とても重要な土地が隠れていました。
ここに、「巌吼寺」という寺があります。
「普陀山」という山号がついています。
明らかに、「補陀落」の意味ですね。
これと同じ名前は、お隣の中国にもあります。
「普陀山」は中華人民共和国浙江省・舟山群島にある島と書かれています。
ここです。
中国四大仏教名山(仏教の聖地。五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られているそうです。
年間360万人を超える観光客が訪れる、観光地でもあります。
ここも、「補陀落渡海」の場所だったと思います。
これは、タウリンさんが発見した石碑です。
これなどは、古代史マニアからすれば、世紀の大発見です。
「南補陀」という文字が刻まれていますね。
つまり、長崎県の島原半島でも、「補陀落渡海」が行われていたということです。
そして、それは、国内向けの「補陀落渡海」と国外向けの「普陀落渡海」、この二つがあったということです。
後者の「普陀落渡海」は、中国の舟山諸島にある、「普陀落山」に行ったのだと思います。
ご存じのように、中国という国は、現在でも、「黄河」と「揚子江」という大河が流れています。
位置的に、日本から流れ着いた舟は、主に、「揚子江」から、大陸の内部に向かったと思います。
その先には、当時の「長安の都」や「洛陽の都」などもありました。
さらには、最終的には、「チベット」まで行けたと思います。
このような所は、太古の昔、日本人である、「天照派」の人々が、亡命した先だったのです。
「一度、死んだふりをして蘇る」
これが、「天照派」でしたね。
「黄河」や「揚子江」という河は、行ったことはないのですが、「黄砂」でもわかるように、土地が、黄色の所があり、河の色も、黄色の所があるそうです。
そこで、思い浮かんだのは、
「天照派たちが、亡命する時、この黄色の河を通って、新天地に行き、生まれ変わって、新しい生活を始める。この時の河のことも、黄泉の河や黄泉の国と呼んだのではないだろうか?」
こういう仮説です。
いつか、これも調べに、中国やチベットにも行ってみたくなりました。
ちなみに、「普」という文字は、「普遍的」という表現にも使われるように、「広い世界」というニュアンスもあると思います。
語源を調べると、象形文字でもあるようです。
「太陽の光が、広くゆきわたる」
というのは、
「普く(あまねく)光」
これの意味でもありますね。
「天照派」のことですね。
太陽の上に、二人が立っているのは、もしかしたら、「イザナギ」と「イザナミ」かもしれません。
面白いですね。
さて、旅行記に戻ります。
「遣唐使船」の地上絵の中には、意味深な神社や寺もありました。
気になった所に、行ってきました。
「誕生寺」という寺がありました。
「新しく生まれるための寺」
この意味ですね。
かなり広いエリアなので、タクシーでまわりました。
着きました。
「誕生寺」の入口です。
本堂の前で、記念撮影です。
手水舎に、大感動しました。
見てください!
普通は、「龍」などの口から、水が出てきますね。
それが、観音様が一人で、立っています。
ハイ!
一人乗りの小舟、「補陀落渡海舟」ですね。
仮説を立て、現地に向かい、こういう状況証拠を発見する瞬間が、最高にワクワクします。
説明書きがありました。
この辺りでは、一番大きいと思われる神社、「久我神社」もありました。
ここにも向かいました。
日本史において、最重要なのは、
「日本には、絶対に戦わないことを誓ったグループがあった」
ということです。
そして、このグループは、「9」という数字を、シンボルマークにしています。
おそらく、勾玉の形を表現しているのだと思います。
子宮の中の「胎児」の形でもありますね。
「命を大切にする」
こういう姿勢なのだと思います。
「久我神社」の読み方は、「久我(こが)」と読むそうですが、私には、「久」は、「九」に見えました。
つまり、この名前の真意は、
「我らは九である」
こういう意味なのだと推測しました。
現在の「平和憲法」である、「憲法第九条」は、このグループの信条みたいです。
そして、これは、アルファベットの「Q」でもあるようです。
何がいいたいのか、だんだん、わかってきましたか?
前回の記事で、
「イザナギとイザナミには、38人の子どもがいた」
と書きましたが、これをもう少し説明しますね。
「イザナギ」と「イザナミ」の二人が、地球に、一番最初に降臨した神様であり、人間だったようです。
場所は、現在の丹後半島だったようです。
具体的には、「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」だったそうです。
最初の人間である、この二人の魂は、宇宙の創造主からの分け御霊であり、宇宙から地球にやってきたそうです。
地球に到着すると、そのまま風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。
なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。
「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。
それから、二人の魂は、巣と一緒に海に落ちて、しばらく海を漂ったそうです。
その時に、何度も何度も脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。
その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように見守っていたそうです。
昔から、世界中に、
「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」
という話がありますが、これが由来だそうです。
京都府の「舞鶴」という地名も、元々は、
「コウノトリが、舞い戻った」
ということから、できた名前だそうです。
最終的には、二人の入った巣は、舞鶴の丹生川の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら育ったそうです。
丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。
「久久比神社」という名前です。
こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。
先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。
私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。
その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。
広い境内の中に、こういう細長い祠が二つあることに、気が付いた人も多いと思います。
これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。
ハイ!
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。
「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。
2018年に、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。
見てください。
「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。
いわゆる、「八百万の神々」ですね。
つまり、旧暦10月に、毎年、全国の「八百万の神々」が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。
このグループは、その後も、少しづつ日本中に散らばり、歴史の表舞台には出ないで、裏から地味な活動を続けていたようです。
38人の子供たち、つまり、「八百万の神々」の痕跡は、日本中に、たくさん残っているのですが、このグループは、とても地味でシャイで謙虚なので、あまり表舞台には出てきません。だから、あまり大きな観光地にデカデカと、その名前が掲げられていることも、めったにありません。
ひたすら、裏方に徹するグループなのです。
私は、このグループの魅力に魅せられて、2018年に、日本中を調査して、まわりました。
これは、福井県福井市にある町です。
「三十八社中」と書かれていますね。
奈良県御所市北窪にある、「高天彦神社」の境内社で、「三十八社」と書かれています。
こちらも、奈良県にある、「三十八柱神社」です。
滋賀県大津市にある、「石山寺」にも、「三十八社」があります。
「イザナギとイザナミ」、「八百万の神々(38人の子供)」は、いろいろなシンボルに隠されています。
このファミリー、そして、リーダーが合わさった名前が、実は、
「観音」
この名前だったのです。
まず、「観」という文字です。
わかりましたね。
「コウノトリ」+「人」=「観」
こういう意味だったのです。
つまり、
「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」=「観」
こういう意味です。
そして、「音」という文字です。
最初、この象形文字の意味が、わからなくて困ったのですが、ちょっと考えたら、すぐにわかりました。
古代史マニアの間では、わりと知られていることですが、
「聖徳太子=ダース・ベイダー」
という説があります。
つまり、「音」という象形文字は、逆さまにすると、「ライトセーバー」に見えるのです。
柄の上に、レーザー光線のような刃の部分があったと思えば、辻褄があいますね。
ブ~~~ン
という、「ライトセーバー」の独特の音が、「音」の意味だったのではないでしょうか?
まとめると、
「観」=「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」
「音」=「ライトセーバー(聖徳太子の剣)」
これらが、合わさった単語だというのが、私の仮説です。
つまり、「天照派」だということです。
「イザナギとイザナミ」のシンボルが、「目の赤いコウノトリ」だということです。
この人類全体の親は、子供を愛しているがゆえに、「悪い子」には罰も与えます。
「悪魔崇拝の人々」が悪さをやって、最初に、「目」で苦しむのは、もしかしたら、この人類全ての親からの罰であり、呪術かもしれません。
「出雲大社」の秘密が、「19組(38人)」の「八百万の神々」だと前述しましたが、実は、いろいろな仏像にも暗号として、この家族のナンバーが表現されています。
これは、「千手観音」ですね。
この仏像の手は、実は、前方で合掌している腕は、4本あります。
これは、「イザナギとイザナミ」の二人の腕みたいです。
そして、右側に19本、左側にも19本で、合計38本の腕があります。
「千手観音」=「イザナギとイザナミ」+「八百万の神々(38人の子供)」
こうなるのです。
これが、大昔から続いてる、「観音信仰」の秘密だったのです。
地球で、一番最初に誕生した家族のことだったのです。
ここで大切なことは、「良い子」と「悪い子」の両方の親だということです。
だから、「天使」と「悪魔」の両方の親だということです。
「善」も「悪」も、両方とも仕切っているということです。
最近の表現をすると、現在、地球上では、「Qアノン」と「ディープステート」と呼ばれている、「善のチーム」と「悪のチーム」がいるとされていますが、両方とも、「観音」が支配しているし、管理もしているということです。
「観音信仰」というのは、このように、地球人の全ての親を敬うということだったのです。
繰り返しますが、「イザナギとイザナミ」の魂は、最初は、「勾玉」の形をしていたようです。
だから、「9」や「6」という数字も、そのシンボルになるようです。
そして、アルファベットの「Q」も、同じように、そのシンボルだったようです。
裏の歴史を調べると、この家族の子供たち、「八百万の神々」が、いろいろな戦争なども、計画して実行していた痕跡が、たくさんあります。
「八百万の神々」が、計画して実行する戦争のことを、「八百長」というのです。
地球の歴史において、プロレスで言えば、「善玉レスラー」も「悪玉レスラー」も、両方とも管理して、筋書き通りに動かす、「プロモーター」や「マネージャー」のような存在だったのです。
静岡県の藤枝市に、「田中城」というお城があります。
ここは、お城マニアの間では、有名な城で、とてもユニークみたいです。
一つ目の特徴は、日本で唯一、たった一つしかない円形のお城であるということ。
二つ目は、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、これらの4人が宿泊・滞在したことがあるお城であるということ。
三つ目は、徳川家康の死因となったと言われている、鯛の天ぷらを食べたのが、この城ということです。
この4人の武将が、ここの呼ばれていたということは、
「ここに、作戦本部があったかもしれない」
という仮説が立ちますね。
つまり、「日本史」というストーリーの筋書きが、ここで書かれて、この4人の武将、つまり、役者である、「プロレスラー」に、歴史を実行させた存在、「プロモーター」や「マネージャー」がいたかもしれないということです。
この城を見てください!
わかりましたね?
「Q」
このアルファベットの形になっていますね。
そうなのです。
現在でも、地球上で起こっている出来事、戦争を含めて、災害も疫病も、政治や経済も、全て、このグループが仕切っているのです。
「観音」→「カンノン」→「クワノン」→「キューアノン」→「Qアノン」
こうなるのです。
ちなみに、このグループは、自分いろいろな理由で、
「直接は自分で手を下すことはしない」
という絶対ルールがあります。
だから、有能で愛と平和な世界を実現させそうな人を、陰からサポートするという方法をとります。
その一人が、ケネディ大統領でした。
アーリントン墓地にある、彼のお墓です。
「Q」の文字が、わかりますか?
最近では、トランプを、陰からサポートしていましたね。
「観音」のチームは、「Qアノン」だけでなく、「ディープステート」、つまり、「カバール」や「悪魔教」の親分でもあるということです。
具体的には、「天皇」が、両方のグループのトップだということです。
つまり、「八百長」をやらせているのです。
だから、いいのです。
「プロレス」というショーは、ご存じのように八百長ですが、これがもしも、真剣勝負だったら、毎回の試合で死人が続出します。
現在の地球上の戦争も、すべて八百長ですが、だから、地球という惑星が粉々になって吹っ飛ぶような全面核戦争は、避けることができるのです。
「八百長」が地球を守ってるのです。
その守っているグループが、「観音」なのであり、「八百万の神々」でもあり、トップは、「天皇」だということです。
トランプは、若いころ、「プロレス」ともビジネスで関わっています。
ハルク・ホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントに挟まれている真ん中の人物が、若い頃のトランプです。
「マネージャー」として、リングにも上がっています。
つまり、「観音」のグループである、「八百万の神々」から、
「この政治家は、愛と平和のグループでもあるし、八百長も得意そうだから、この男に、地球の大掃除をしてもうらおう!」
こう期待されて、ヘッドハンティングされたのかもしれないということです。
オマケの話です。
1年以上前、「新型コロナウイルス」の感染拡大の騒動が始まったのは、どこでしたか?
「武漢」でしたね。
ここは、おそらく、「神武派」の拠点だったのだと思います。
「武の漢たち」が、たくさんいたと思います。
そして、「コロナ」は、「天照派」のシンボルである、「日食」の時に見える、太陽の妖しい光の意味もありますね。
だから、今回の世界的な「新型コロナウイルスの騒動」も、「神武派」と「天照派」の頂上決戦だということです。
そして、「新型コロナウイルス」のことを、「COVID19」こう書きますね。
一般的には、別の意味ですが、私はこう解釈します。
「COVID19」=「CO(一緒に)」+「V(勝利)」+「IDは19」
これを意訳しすと、こうなります。
「一緒に勝利しましょう! 大丈夫です! 私たち、19組(38人)の八百万の神々が、陰でサポートしていますよ!」
ここが、正念場なのです。
世界中に散らばっている、「天照派」の人々も、今懸命に、自分たちの得意な戦い方で、戦っています。
それは…
「Stay Home (ステイホーム)」=「引きこもり」
なのです。(笑)
もうすぐ、長い闇が終わり岩戸を開き、光の世界がやってきます。
新しい時代は、もう目の前です。
話を旅行記に戻します。
「久我人神社」から、タクシーで、ちょっと走った所に、「観音寺」もありました。
着きました。
シュメール文明の壁画に描かれているロケットです。
スペースシップというのは、その時代の人々が、ショックを受けないように、人々の集合意識が望んでいる姿で現れるので、この時代には、こういう形で、飛んでいたのだと思います。
「長岡天満宮」の地図を、あとから見て、驚きました。
なんと、このロケットが、地上絵としても描かれていたのです。
その前に、おさらいしましょう。
宇宙人ファミリー、「アヌンナキ」ですが、皆、自由自在に、身体を、アクセサリーのように、変化させることができたので、あまり容姿には、こだわっていなかったかもしれませんが、父親の「アヌ王」は、背中に羽を生やした姿を、好んだそうです。
「アヌ王」の姿だと言われているものです。
ゾロアスター教の「アフラ・マスダ」でもあります。
背中から、羽根が生えていますね。
息子の一人、「エンリル」も、こういう姿を好んだと思われます。
日本では、「天狗」と呼ばれているグループです。
「エンリル」の孫娘である、「イナンナ」も、背中から羽根を生やしている姿もありますね。
「アヌンナキ」たちは、背中から羽を生やす姿を好んだグループが、多かったということです。
昔のヨーロッパの宗教画に描かれる、「天使」なども、このグループの存在が多いと思います。
一方で、「アヌ王」のもう一人の息子である、「エンキ」は、母親が、「蛇(龍)」の宇宙人だったために、下半身は、「蛇(龍)」だったようです。
日本では、「宇賀神」ですね。
これは、「エンキ」が、人間たちに、知恵を授けている様子の絵だそうです。
聖書の中に出てくる、「エデンの園」で、アダムとイブに、知恵の実を食べさせた「蛇」は、「エンキ」だと言われています。
真ん中の木に、巻き付いている存在です。
これは、中国古い絵です。
「伏羲」などと呼ばれている存在です。
彼らも、「エンキ」のグループですね。
地球文明の歴史の中で、「エンリル」と「エンキ」という宇宙人の兄弟が、長いこと対立していたようですが、この二人の兄弟のシンボルが、二つに分けられるのです。
これは、私の独自の仮説です。
「エンリル」のグループ=「鳥(鳥類)」=「陸と空」
「エンキ」のグループ=「蛇(爬虫類)」=「海と湖(池)」
こういう流れです。
日本風にアレンジした、グループ分けです。
「エンリル」=「鶴」
「エンキ」=「亀」
つまり、「鶴」と「亀」のグループは、単純に、地球文明の発祥の時に分かれた、二人の兄弟グループのことだと思うのです。
一般的に言われている説で、
「伊勢神宮」=「鶴」
「出雲大社」=「亀」
というのもありますね。
これは、そういう意味だと思います。
「かごめかごめ」の歌に出てくる、
「鶴と亀がすべった」
という歌詞は、いろいろな解釈ができますが、その中に、
「鶴と亀が総べった」
といって、
「両者が、和解したり融合した」
という意味の解釈もあります。
両者が融合した姿が、わかりやすく描かれている壁画が、世界中にあります。
南米の壁画です。
「龍形のロケット」に、「人間型の宇宙飛行士」が乗船して、操縦しているように見えます。
この人間型(天使型)の「エンリル」、それから、爬虫類型の「エンキ」が、合体した姿だともいわれています。
つまり、「鶴と亀が統べった」というシンボルなのです。
これも、有名な壁画ですね。
このように、太古の時代、地球を訪れていた、「アヌンナキ」の一族は、「龍(スペースシップ)」と「人間(操縦士)」という姿で、登場することも多かったようです。
なっ、なんと、「長岡天満宮」には、この地上絵があったのです!
まず、普通の地図です。
これでは、よくわかりませんね。
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