精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

日本ピースツアー 4 長岡京

2018年5月に、「補陀落渡海」の調査で、関西をまわりました。

関西では、大阪にも行きました。

基本的には、「補陀落渡海」は、和歌山県の那智から、始まっているのですが、そこだけでなく、四国の高知県足摺岬のあたりなど、複数の場所で行われていたようです。

 

 

大阪や奈良にも、その痕跡が残っているのですが、それらの痕跡は、補陀落渡海の出発地だった所もあれば、「黒潮ロード」には乗らずに、別の潮流で流れ着いた漂着地、もしくは、そもそも、補陀落渡海を計画していた陰のフィクサーである、聖徳太子の作戦会議室だった所もあると思います。

だから、私は関西地方には、これらの3タイプの場所があったと推測しています。

 

2018年に、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」という映画を観たのですが、「遣唐使船」が、日本海で嵐に遭遇して、大変な航海をやっている場面が、目に飛び込んできました。

 

学生時代、授業で習ったのは、

「遣隋使船や遣唐使船は、日本海の荒波で遭難した船が多く、無事に日本に帰国できた船は少なく、帰還率は6割くらいだった」

という話でした。

 

しかし、この話は根本的におかしな話です。

そもそも、日本を代表するようなエリートであり、将来有望な若者を、沈没する確率が、4割もある船旅に行かせるでしょうか?

 

わかりやすく、現代風に言い換えると、

「海外留学に行きませんか? そのかわり、往復の飛行機は4割くらい墜落して、乗客は全員墜落事故で死にます。それでも日本の将来のために、留学してくれませんか?」

こう言われて、その海外留学に行く学生がいるかという話です。

誰もいないと思います。

 

これが、遣唐使船です。

けっこう頑丈にできていますね。

 

そうなのです。

「遣隋使船」や「遣唐使船」も、「補陀落渡海」だったのです。

「天照派」の多くが僧侶になり、お寺を住処にしていた時に、お隣の中国にも大量に亡命していたのだと思います。

 

「日本には、もう居場所がない。大陸に行って、新天地で生まれ変わって、人生をやり直そう!」

こう思った人々が、乗船したのが、これらの船だったのだと思います。

「空海」は、その当時の天皇に頼まれて、後から、大陸に渡った亡命者たちの安否を、確認しに行ったのだと思います。

関西の神社には、このための作戦会議室も、いくつか存在していたのだと思います。

 

ご存知のように、大阪は川が多いです。

だから、「補陀落渡海」に関係していたと思われる寺や神社も、たくさんあります。

 

大阪では、いろいろ調べた結果、大阪府堺市あたりにも、これに関係していそうな寺を、いくつか見つけたので、そこにも行ってみました。

 

その中の一つの寺を紹介しますね。

着いてすぐに、門の前で記念撮影しました。

 

名前にも感動しました。

「月蔵寺」ですね。

「月」+「蔵」+「寺」=「臓寺」

つまり、日本において、「臓器のような役割をしていた大切な寺」

という意味です。

 

さらに、「青陽山」という文字にも、注目してください。

「お日様の光」、つまり、「陽」の色は、普通は、黄色や白、もしくは、オレンジや赤のイメージだと思います。

それが、「青」だと書かれているのです。

 

そうです。

太陽の光が、青くなる瞬間がありますね。

「日食」の時の「ダイヤモンリング」です。

 

つまり、この寺こそ、古代において、「天の岩戸開き」の象徴である、「日食」を暗号とするグループが集まっていた所なのです。

「青陽山」の「山」は、「領地」の意味も含みますね。

つまり、「天照派」の拠点だった所だということです。

 

おそらく、ここで、「補陀落渡海」の作戦も、練っていたのだと思います。

さらに、ここから、小舟を出したり、和歌山などからの小舟を、受け入れたりもしていたのかもしれません。

 

門の上の彫刻を見て、大感動しました~!

 

見てください!

静岡県や栃木県の「東照宮」に刻まれているものと、同じです。

 

「司馬温公の甕割り」の絵ですね。

これは、「補陀落渡海」の小舟から、僧侶を救出している場面だというのが、本当の意味です。

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こういうことが、わかってくると、お寺をまわるのが、何倍も楽しくなります。

 

門をくぐって、境内を探索しました。

庭には、「復活」の象徴である、「蘇鉄」もありました。

 

屋根の鬼瓦は、顔が鬼で、身体が蛇、つまり、「宇賀神」を表現していました。

「天照派」の始祖である、「イザナギ」ですね。

 

「小舟」の石碑も、目に飛び込んできました。

 

「この石碑があるところは、全て、補陀落渡海に関係している所である」

とは言えませんが、逆は言えます。
「補陀落渡海に関係している寺や神社には、ほぼ間違いなく、この石碑が置かれている」
こういうことです。
 
 
では、そろそろ、本格的に旅行記に突入します。
 
今月、京都府京都市伏見区、それから、長岡京市の近辺を調査してきました。
幻の都と言われている、「長岡京」に興味がわいてきたからです。
ご存じのように、「平城京」から「平安京」に遷都される間に、一時的に造られた都です。
 
最初に向かったのは、京都市伏見区久我森の宮という地域でした。
この地図を見ても、ピンときませんね。
特に何もないように見えます。

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「天照派(縄文)」のグループは、あまり目立つことを好まなかったようです。

なぜならば、派手なことをやると、「神武派(弥生)」から、目を付けられて、また弾圧や迫害をされると思っていたからです。

だから、この「ミカングループ」の歴史は、ほとんど残っていなくて、わかりにくいのです。

 

わかりやすいように、地図を90度回転させました。

住宅街の白くて細い道に、注目してください。

ついでに、赤線で補助線を描きました。

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右側を向いている「船」の絵が、わかりますか?

ハイ!

「遣隋使船=遣唐使船」ですね。

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つまり、この道路で描かれた地上絵は、「遣隋使船=遣唐使船」 の絵だったということです。

「補陀落渡海」が、西暦600年~1700年くらいの期間に、行われていたようですが、「長岡京」という都が存在していたのが、西暦784年11月11日~794年10月22日だと言われています。

そして、「遣唐使船」が運航していた期間が、630年~894年で、回数は、20回だったという説が有力みたいです。

 

そうなのです。

期間が被りますね。

この都は、「天照派(縄文)」のグループが、「神武派(弥生)」のグループから逃げるための場所だったのです。

シンプルに言うと、

「大陸への亡命の準備をするための都」

だったということです。
 
「亡命」は、逃げるだけが、目的ではなかったと思います。
「愛と平和の遺伝子を、大陸にも広げよう」
という、神の意思もあったと思うのです。
「日本の天照派の遺伝子で、地球全体を、戦争の世の中から救おう」
こういう大義もあったのです。
 
 

「大陸への亡命」の痕跡は、日本各地にあります。

2020年、新潟県の佐渡島に行った時の発見です。

「黒木御所跡」に立ち寄りました。

佐渡市泉甲にあります。

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この近辺も探索しましたのですが、その時に凄い発見がありました。

最後の最後に、地元の方の案内で、ここにフラリと立ち寄ったのです。

「国賓殿」と書かれていますね。

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中に入って、驚嘆しました。

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「オオ!!」

ここでも、大声をあげてしまいました。

わかりましたか?

「普陀落山(ふだらくさん)」と書かれていますね。

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つまり、ここでも、「補陀落渡海」が行わていたということです。

「橘」のシンボルもありました。

「聖徳太子」ですね。

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この写真を、Facebookに掲載した時に、長崎県の友人、タウリンさんが、

「補陀落渡海と普陀落渡海、補と普、この二つの漢字の違いは、なんでしょう?」

こういう問いかけのコメントが、投稿されたのですが、この質問には、凄い秘密が隠れているような気がして、それから悶々としながら、いろいろ思索していました。

 

こういう視点は、裏の日本史を、とことん知り尽くしていないと、出てこない疑問です。

私も以前から、この漢字が、二種類あることが、引っかかっていたのですが、この時、改めて再考するキッカケになりました。

 

いろいろ考えた結果、この時に、ある仮説が浮かび上がってきました。

それは、

「補陀落渡海は、国内における亡命で、普陀落渡海は、国外への亡命だったのではないだろうか?」

こういう仮説です。

 

2018年の8月に、長崎県の島原半島を調査した時に、大収穫がありました。

南島原市加津佐町本岩戸という所に、とても重要な土地が隠れていました。

 

ここに、「巌吼寺」という寺があります。

「普陀山」という山号がついています。

明らかに、「補陀落」の意味ですね。

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これと同じ名前は、お隣の中国にもあります。

「普陀山」は中華人民共和国浙江省・舟山群島にある島と書かれています。

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ここです。

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中国四大仏教名山(仏教の聖地。五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られているそうです。

年間360万人を超える観光客が訪れる、観光地でもあります。

ここも、「補陀落渡海」の場所だったと思います。

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これは、タウリンさんが発見した石碑です。

これなどは、古代史マニアからすれば、世紀の大発見です。

「南補陀」という文字が刻まれていますね。

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つまり、長崎県の島原半島でも、「補陀落渡海」が行われていたということです。

そして、それは、国内向けの「補陀落渡海」と国外向けの「普陀落渡海」、この二つがあったということです。

後者の「普陀落渡海」は、中国の舟山諸島にある、「普陀落山」に行ったのだと思います。

 

ご存じのように、中国という国は、現在でも、「黄河」と「揚子江」という大河が流れています。

位置的に、日本から流れ着いた舟は、主に、「揚子江」から、大陸の内部に向かったと思います。

その先には、当時の「長安の都」や「洛陽の都」などもありました。

さらには、最終的には、「チベット」まで行けたと思います。

このような所は、太古の昔、日本人である、「天照派」の人々が、亡命した先だったのです。

 

「一度、死んだふりをして蘇る」

これが、「天照派」でしたね。

「黄河」や「揚子江」という河は、行ったことはないのですが、「黄砂」でもわかるように、土地が、黄色の所があり、河の色も、黄色の所があるそうです。

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そこで、思い浮かんだのは、

「天照派たちが、亡命する時、この黄色の河を通って、新天地に行き、生まれ変わって、新しい生活を始める。この時の河のことも、黄泉の河や黄泉の国と呼んだのではないだろうか?」

こういう仮説です。

いつか、これも調べに、中国やチベットにも行ってみたくなりました。

 

ちなみに、「普」という文字は、「普遍的」という表現にも使われるように、「広い世界」というニュアンスもあると思います。

語源を調べると、象形文字でもあるようです。

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「太陽の光が、広くゆきわたる」

というのは、

「普く(あまねく)光」

これの意味でもありますね。

「天照派」のことですね。

 

太陽の上に、二人が立っているのは、もしかしたら、「イザナギ」と「イザナミ」かもしれません。

 面白いですね。

 

 

さて、旅行記に戻ります。

 

「遣唐使船」の地上絵の中には、意味深な神社や寺もありました。

気になった所に、行ってきました。

 

「誕生寺」という寺がありました。

「新しく生まれるための寺」

この意味ですね。

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かなり広いエリアなので、タクシーでまわりました。

着きました。

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「誕生寺」の入口です。

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本堂の前で、記念撮影です。

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手水舎に、大感動しました。

見てください!

普通は、「龍」などの口から、水が出てきますね。

それが、観音様が一人で、立っています。

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ハイ!

一人乗りの小舟、「補陀落渡海舟」ですね。

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仮説を立て、現地に向かい、こういう状況証拠を発見する瞬間が、最高にワクワクします。

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説明書きがありました。

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この辺りでは、一番大きいと思われる神社、「久我神社」もありました。

ここにも向かいました。

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着きました。

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ちなみに、繰り返しますが、「天照派」の理想郷である、「補陀落」という場所は、サンスクリット語(梵語)のポータラカ (Potalaka) の音訳です。
「そこは、ユートピアであり、「八角形の山で、ミカンなどの柑橘系の果物がある土地である」
こう言われています。
 
鳥居の前に、「八角形」がありました。

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拝殿の前で、パチリ。

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白い菊家紋です。
とても珍しいです。

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もう一度、名前に注目してください。

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日本史において、最重要なのは、

「日本には、絶対に戦わないことを誓ったグループがあった」

ということです。

そして、このグループは、「9」という数字を、シンボルマークにしています。

おそらく、勾玉の形を表現しているのだと思います。

子宮の中の「胎児」の形でもありますね。

「命を大切にする」

こういう姿勢なのだと思います。

 

「久我神社」の読み方は、「久我(こが)」と読むそうですが、私には、「久」は、「九」に見えました。

つまり、この名前の真意は、

「我らは九である」

こういう意味なのだと推測しました。

 

現在の「平和憲法」である、「憲法第九条」は、このグループの信条みたいです。

そして、これは、アルファベットの「Q」でもあるようです。

何がいいたいのか、だんだん、わかってきましたか?

 

 

 前回の記事で、

「イザナギとイザナミには、38人の子どもがいた」

と書きましたが、これをもう少し説明しますね。

 

「イザナギ」と「イザナミ」の二人が、地球に、一番最初に降臨した神様であり、人間だったようです。

場所は、現在の丹後半島だったようです。

具体的には、「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」だったそうです。

 

最初の人間である、この二人の魂は、宇宙の創造主からの分け御霊であり、宇宙から地球にやってきたそうです。

地球に到着すると、そのまま風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。

なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。
「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。

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それから、二人の魂は、巣と一緒に海に落ちて、しばらく海を漂ったそうです。

その時に、何度も何度も脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。

その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように見守っていたそうです。
昔から、世界中に、

「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」

という話がありますが、これが由来だそうです。


京都府の「舞鶴」という地名も、元々は、

「コウノトリが、舞い戻った」

ということから、できた名前だそうです。
最終的には、二人の入った巣は、舞鶴の丹生川の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら育ったそうです。

 

丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。
「久久比神社」という名前です。

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こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。

先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。

 

私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。

その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。

広い境内の中に、こういう細長い祠が二つあることに、気が付いた人も多いと思います。

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これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。

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ハイ!

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。

「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。

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2018年に、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。

見てください。

「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。

いわゆる、「八百万の神々」ですね。

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つまり、旧暦10月に、毎年、全国の「八百万の神々」が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。

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このグループは、その後も、少しづつ日本中に散らばり、歴史の表舞台には出ないで、裏から地味な活動を続けていたようです。

  

38人の子供たち、つまり、「八百万の神々」の痕跡は、日本中に、たくさん残っているのですが、このグループは、とても地味でシャイで謙虚なので、あまり表舞台には出てきません。だから、あまり大きな観光地にデカデカと、その名前が掲げられていることも、めったにありません。

ひたすら、裏方に徹するグループなのです。

 

私は、このグループの魅力に魅せられて、2018年に、日本中を調査して、まわりました。

これは、福井県福井市にある町です。

「三十八社中」と書かれていますね。

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奈良県御所市北窪にある、「高天彦神社」の境内社で、「三十八社」と書かれています。

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こちらも、奈良県にある、「三十八柱神社」です。

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滋賀県大津市にある、「石山寺」にも、「三十八社」があります。

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「イザナギとイザナミ」、「八百万の神々(38人の子供)」は、いろいろなシンボルに隠されています。

このファミリー、そして、リーダーが合わさった名前が、実は、

「観音」

この名前だったのです。

 

まず、「観」という文字です。

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わかりましたね。

「コウノトリ」+「人」=「観」

こういう意味だったのです。

つまり、

「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」=「観」

こういう意味です。

 

そして、「音」という文字です。

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最初、この象形文字の意味が、わからなくて困ったのですが、ちょっと考えたら、すぐにわかりました。

古代史マニアの間では、わりと知られていることですが、

「聖徳太子=ダース・ベイダー」

という説があります。

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つまり、「音」という象形文字は、逆さまにすると、「ライトセーバー」に見えるのです。

柄の上に、レーザー光線のような刃の部分があったと思えば、辻褄があいますね。

ブ~~~ン

という、「ライトセーバー」の独特の音が、「音」の意味だったのではないでしょうか?

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 まとめると、

「観」=「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」

「音」=「ライトセーバー(聖徳太子の剣)」

これらが、合わさった単語だというのが、私の仮説です。

つまり、「天照派」だということです。

 

「イザナギとイザナミ」のシンボルが、「目の赤いコウノトリ」だということです。

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この人類全体の親は、子供を愛しているがゆえに、「悪い子」には罰も与えます。

「悪魔崇拝の人々」が悪さをやって、最初に、「目」で苦しむのは、もしかしたら、この人類全ての親からの罰であり、呪術かもしれません。

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「出雲大社」の秘密が、「19組(38人)」の「八百万の神々」だと前述しましたが、実は、いろいろな仏像にも暗号として、この家族のナンバーが表現されています。

これは、「千手観音」ですね。

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この仏像の手は、実は、前方で合掌している腕は、4本あります。

これは、「イザナギとイザナミ」の二人の腕みたいです。

そして、右側に19本、左側にも19本で、合計38本の腕があります。

「千手観音」=「イザナギとイザナミ」+「八百万の神々(38人の子供)」

こうなるのです。

これが、大昔から続いてる、「観音信仰」の秘密だったのです。

地球で、一番最初に誕生した家族のことだったのです。

 

ここで大切なことは、「良い子」と「悪い子」の両方の親だということです。

だから、「天使」と「悪魔」の両方の親だということです。

「善」も「悪」も、両方とも仕切っているということです。

 

最近の表現をすると、現在、地球上では、「Qアノン」と「ディープステート」と呼ばれている、「善のチーム」と「悪のチーム」がいるとされていますが、両方とも、「観音」が支配しているし、管理もしているということです。

 

「観音信仰」というのは、このように、地球人の全ての親を敬うということだったのです。

繰り返しますが、「イザナギとイザナミ」の魂は、最初は、「勾玉」の形をしていたようです。

だから、「9」や「6」という数字も、そのシンボルになるようです。

そして、アルファベットの「Q」も、同じように、そのシンボルだったようです。

 

裏の歴史を調べると、この家族の子供たち、「八百万の神々」が、いろいろな戦争なども、計画して実行していた痕跡が、たくさんあります。

「八百万の神々」が、計画して実行する戦争のことを、「八百長」というのです。

地球の歴史において、プロレスで言えば、「善玉レスラー」も「悪玉レスラー」も、両方とも管理して、筋書き通りに動かす、「プロモーター」や「マネージャー」のような存在だったのです。

 

静岡県の藤枝市に、「田中城」というお城があります。

ここは、お城マニアの間では、有名な城で、とてもユニークみたいです。

 

一つ目の特徴は、日本で唯一、たった一つしかない円形のお城であるということ。
二つ目は、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、これらの4人が宿泊・滞在したことがあるお城であるということ。

三つ目は、徳川家康の死因となったと言われている、鯛の天ぷらを食べたのが、この城ということです。

 

この4人の武将が、ここの呼ばれていたということは、

「ここに、作戦本部があったかもしれない」

という仮説が立ちますね。

つまり、「日本史」というストーリーの筋書きが、ここで書かれて、この4人の武将、つまり、役者である、「プロレスラー」に、歴史を実行させた存在、「プロモーター」や「マネージャー」がいたかもしれないということです。

 

この城を見てください!

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わかりましたね?

「Q」

このアルファベットの形になっていますね。

 

そうなのです。

現在でも、地球上で起こっている出来事、戦争を含めて、災害も疫病も、政治や経済も、全て、このグループが仕切っているのです。

「観音」→「カンノン」→「クワノン」→「キューアノン」→「Qアノン」

こうなるのです。

 

ちなみに、このグループは、自分いろいろな理由で、

「直接は自分で手を下すことはしない」

という絶対ルールがあります。

 

だから、有能で愛と平和な世界を実現させそうな人を、陰からサポートするという方法をとります。

その一人が、ケネディ大統領でした。

 

アーリントン墓地にある、彼のお墓です。

「Q」の文字が、わかりますか?

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最近では、トランプを、陰からサポートしていましたね。

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「観音」のチームは、「Qアノン」だけでなく、「ディープステート」、つまり、「カバール」や「悪魔教」の親分でもあるということです。

具体的には、「天皇」が、両方のグループのトップだということです。

つまり、「八百長」をやらせているのです。

 

だから、いいのです。

「プロレス」というショーは、ご存じのように八百長ですが、これがもしも、真剣勝負だったら、毎回の試合で死人が続出します。

現在の地球上の戦争も、すべて八百長ですが、だから、地球という惑星が粉々になって吹っ飛ぶような全面核戦争は、避けることができるのです。

「八百長」が地球を守ってるのです。

その守っているグループが、「観音」なのであり、「八百万の神々」でもあり、トップは、「天皇」だということです。

 

トランプは、若いころ、「プロレス」ともビジネスで関わっています。

ハルク・ホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントに挟まれている真ん中の人物が、若い頃のトランプです。

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「マネージャー」として、リングにも上がっています。

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つまり、「観音」のグループである、「八百万の神々」から、

「この政治家は、愛と平和のグループでもあるし、八百長も得意そうだから、この男に、地球の大掃除をしてもうらおう!」

こう期待されて、ヘッドハンティングされたのかもしれないということです。

 

 

オマケの話です。

1年以上前、「新型コロナウイルス」の感染拡大の騒動が始まったのは、どこでしたか?

「武漢」でしたね。

ここは、おそらく、「神武派」の拠点だったのだと思います。

「武の漢たち」が、たくさんいたと思います。

 

そして、「コロナ」は、「天照派」のシンボルである、「日食」の時に見える、太陽の妖しい光の意味もありますね。

だから、今回の世界的な「新型コロナウイルスの騒動」も、「神武派」と「天照派」の頂上決戦だということです。

 

 

そして、「新型コロナウイルス」のことを、「COVID19」こう書きますね。

一般的には、別の意味ですが、私はこう解釈します。

「COVID19」=「CO(一緒に)」+「V(勝利)」+「IDは19」

 

これを意訳しすと、こうなります。

「一緒に勝利しましょう! 大丈夫です! 私たち、19組(38人)の八百万の神々が、陰でサポートしていますよ!」

 

ここが、正念場なのです。

世界中に散らばっている、「天照派」の人々も、今懸命に、自分たちの得意な戦い方で、戦っています。

それは…

「Stay Home (ステイホーム)」=「引きこもり」

なのです。(笑)

もうすぐ、長い闇が終わり岩戸を開き、光の世界がやってきます。

新しい時代は、もう目の前です。

 

 

話を旅行記に戻します。

 

「久我人神社」から、タクシーで、ちょっと走った所に、「観音寺」もありました。

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着きました。

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「普陀落山」と書かれていますね。
やはり、この土地は、海外向けの亡命の拠点だったのです。
「洛西観音霊場」と書かれていますが、もしかしたら、昔は、
「西に向かう場所、最終目的地は、洛陽の都」
こういう意味だったのかもしれないと、推測しました。

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貫禄がある看板ですね。

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そして、長岡京市にある、「長岡天満宮」に行きました。
ここは、知らなかったです。
こんな素敵な神社があったことを、今回、初めて知りました。
まだまだ、知らない神社、沢山ありますね。
 
着きました。

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拝殿です。

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ここは、名前のとおり、「天満宮」だから、「天神アン」の拠点です。
つまり、アヌンナキの王である、「アヌ王」の縄張りだった所です。
だから、「リンゴグループ」であり、「神武派(弥生)」ですね。
「天照派(縄文)」のグループからすると、敵になります。
 
しかし、このエリアに、二つのグループの拠点があったというのが、興味深いです。
実際には、トップ同士は、仲が悪かったかもしれませんが、下っ端の人たちは、案外、仲良くやっていたのかもしれません。
このあたりの事情も、日本的で、あまりハッキリとは、分かれていなかったかもしれないのです。
 
拝殿の文字です。
「天海宮」に見えますね。
とても興味深い文字です。

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拝殿の横に、本当の御神体がありました。

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「筆塚」と書かれていますが、これは、シュメール文明時代の「アヌ王」のロケットだと思います。

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シュメール文明の壁画に描かれているロケットです。

スペースシップというのは、その時代の人々が、ショックを受けないように、人々の集合意識が望んでいる姿で現れるので、この時代には、こういう形で、飛んでいたのだと思います。

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「長岡天満宮」の地図を、あとから見て、驚きました。

なんと、このロケットが、地上絵としても描かれていたのです。

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わかりやすいように、地図を90度回転させて、色を濃くしました。
赤線で囲っている部分の池、「ロケット」みたいですね。

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さらに、もっと凄い地上絵を発見しました。

その前に、おさらいしましょう。

 

宇宙人ファミリー、「アヌンナキ」ですが、皆、自由自在に、身体を、アクセサリーのように、変化させることができたので、あまり容姿には、こだわっていなかったかもしれませんが、父親の「アヌ王」は、背中に羽を生やした姿を、好んだそうです。


「アヌ王」の姿だと言われているものです。

ゾロアスター教の「アフラ・マスダ」でもあります。
背中から、羽根が生えていますね。
息子の一人、「エンリル」も、こういう姿を好んだと思われます。

日本では、「天狗」と呼ばれているグループです。

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「エンリル」の孫娘である、「イナンナ」も、背中から羽根を生やしている姿もありますね。

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「アヌンナキ」たちは、背中から羽を生やす姿を好んだグループが、多かったということです。

昔のヨーロッパの宗教画に描かれる、「天使」なども、このグループの存在が多いと思います。


一方で、「アヌ王」のもう一人の息子である、「エンキ」は、母親が、「蛇(龍)」の宇宙人だったために、下半身は、「蛇(龍)」だったようです。

日本では、「宇賀神」ですね。

これは、「エンキ」が、人間たちに、知恵を授けている様子の絵だそうです。

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聖書の中に出てくる、「エデンの園」で、アダムとイブに、知恵の実を食べさせた「蛇」は、「エンキ」だと言われています。

真ん中の木に、巻き付いている存在です。

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これは、中国古い絵です。
「伏羲」などと呼ばれている存在です。
彼らも、「エンキ」のグループですね。

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地球文明の歴史の中で、「エンリル」と「エンキ」という宇宙人の兄弟が、長いこと対立していたようですが、この二人の兄弟のシンボルが、二つに分けられるのです。

これは、私の独自の仮説です。


「エンリル」のグループ=「鳥(鳥類)」=「陸と空」

「エンキ」のグループ=「蛇(爬虫類)」=「海と湖(池)」

こういう流れです。

 

 

日本風にアレンジした、グループ分けです。

「エンリル」=「鶴」

「エンキ」=「亀」

 

つまり、「鶴」と「亀」のグループは、単純に、地球文明の発祥の時に分かれた、二人の兄弟グループのことだと思うのです。

一般的に言われている説で、

「伊勢神宮」=「鶴」

「出雲大社」=「亀」

というのもありますね。

これは、そういう意味だと思います。

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「かごめかごめ」の歌に出てくる、

「鶴と亀がすべった」

という歌詞は、いろいろな解釈ができますが、その中に、

「鶴と亀が総べった」

といって、

「両者が、和解したり融合した」

という意味の解釈もあります。

 

両者が融合した姿が、わかりやすく描かれている壁画が、世界中にあります。

南米の壁画です。

「龍形のロケット」に、「人間型の宇宙飛行士」が乗船して、操縦しているように見えます。

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この人間型(天使型)の「エンリル」、それから、爬虫類型の「エンキ」が、合体した姿だともいわれています。
つまり、「鶴と亀が統べった」というシンボルなのです。

 

これも、有名な壁画ですね。

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このように、太古の時代、地球を訪れていた、「アヌンナキ」の一族は、「龍(スペースシップ)」と「人間(操縦士)」という姿で、登場することも多かったようです。

 

なっ、なんと、「長岡天満宮」には、この地上絵があったのです!

まず、普通の地図です。

これでは、よくわかりませんね。

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そこで、また、90度回転させて、色も濃くしました。
赤い線で囲まれている部分が、「宇宙船」であり、青い線で囲まれている部分が、宇宙飛行士です。

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 凄いですね~!
「長岡京」という幻の都は、一時的に、「アヌンナキ」のファミリーの中での対立、「エンリル」と「エンキ」が、父親の「アヌ王」の拠点で、仲直りした場所だったかもしれません。
 
さらには、「アヌンナキ=リンゴ=神武派(弥生)」のグループと敵対する、「八百万の神=ミカン=天照派(縄文)」のグループとも、一時的に休戦状態や和解をしていた場所だったかもしれません。
可能性としては、「神武派」が、「天照派」の亡命を、手伝ったり、助けたりしていたかもしれないのです。
う~ん、謎が謎を呼ぶ、「長岡京」ですね。
 
街中には、石碑も建っていました。

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もしかしたら、私の前世では、ここで、暮らしていたかもしれません。

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まだまだ、「長岡京」は、奥が深そうです。

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次回から舞台は、奈良県に移ります。
いよいよ、裏の日本史、その禁断の扉を開きますね。
心の準備をしていてくださいね。
では、いきますよ。
 
ギッ、ギギギギギ……
 
 

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