ここでもう一度、復習です。
古代において、「ミトラ教」の地下の神殿で行わていた儀式の絵です。
この宗教には、多くの宗教の源のような思想体系があるようです。
特に、「キリスト教」や「密教」の原型とも言われている古い宗教です。
正面の大きな絵は、「ミトラ教」のシンボルの絵ですが、実は、正面に大きく飾るようなものは、大して意味がなかったりします。
ちょっとわかりにくいですが、部屋の中央に祭司のような男性がいて、いくつかの場所に、煙のようなものが、もくもくと上がっています。
その「小さな炎」が、「アヌ王」だそうです。
それから、左側に飾ってあるシンボルが、「ライオン」で、御存じのように、「エンリル」の象徴です。
もう一方の右側に飾ってあるのが、「プロビデンスの目」で、「エンキ」の象徴です。
「一角獣(ユニコーン)」だけでなく、このシンボルも、そうなのです。
三角形の真ん中に、「・」が打ってありますね。
有名な「片目」のシンボルです。
ご存知のように、エジプトの「スフィンクス」と「ピラミッド」は、この2人の神様(宇宙人)の象徴です。
太古の時代、地球を支配していた王たちです。
この二人の神様が、神社の入口に置かれている、二頭の狛犬でもあります。
「エンリル」が、口を開けた「阿」のほうで、「エンキ」が、口を閉じた「吽」のほうです。
面白い話があります。
「アヌ王」は、地球において、歴史上の様々な人物に、生まれ変わったようなのですが、日本では、「神武天皇」としても、生まれていたようなのです。
そして、沖縄には、「神武天皇」が、9歳くらいまで住んでいたという伝説が、口伝で残っているのです。
「神武天皇」は、特に幼少期の頃、沖縄本島の北部のあたりを、拠点にしていたようです。
「伊是名島」や「伊平屋島」のあたりで、幼年期を過ごしたともいわれています。
「伊是名ピラミッド」のあたりで、生まれたという伝承も、沖縄には残っているのです。
このピラミッドです。
ここは、歴代の琉球王国の王族の墓です。
伝承によると、「神武天皇」は、沖縄から九州に向かったのだそうです。
九州への行軍は、那覇市の与儀十字路から、始まったとも言われています。
私は、いろいろな状況証拠から、九州へは、海を航海する船ではなく、やはり、UFOに乗って、飛んでいっただろうと考えています。
これは、世界遺産にも登録された、沖縄本島の北部にある、「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」です。
「今帰仁」と書いて、「なきじん」と読むのですが、
「どうして、こういう読み方をするだろう?」
と思って調べてみました。
すると、「今帰仁(なきじん)」という地名の由来は謎で、学者たちによる定説が、まったくないそうです。
ということは、古い沖縄の言葉よりも、さらに古い時代の言葉の可能性があるということですね。
そこで、最初は、「泣き人」や「亡き人」なのかと思って、いろいろ考えていたのですが、シックリきませんでした。
しばらくして、閃きました。
「なきは、ナキで、じんは、神だったんじゃないかな…?」
「なき」は、「アヌンナキ」の「ナキ」だったんじゃないかということです。
「じん」は、「神」ですね。
「今帰仁(なきじん)」=「ナキ神」=「アヌンナキの神」
という等式が、成立するかもしれないと思ったのです。
「今帰仁城跡」=「太古の時代に、アヌンナキが治めていた場所」
かもしれないということです。
「神武天皇」は、その後、九州を拠点にしたようですが、大分県の「宇佐神宮」にも、彼の正体が、「アヌ王」だったという痕跡が残っています。
この神宮の本殿の周りをウロウロしていたら、拝殿の近くに、御神体の写真が飾られていました。
その写真に、目が釘付けになりました。
そして、
「うわーー!!」
と、大声を上げしまいました。
この写真です!
わかりましたか?
明らかに、「UFO」ですね。
これが、UFOじゃなかったら、何なんでしょうか?
間違いなく、「神武天皇=アヌ王」が、沖縄から九州に来た時に乗っていた、スペースシップだと思います。
「宇佐神宮」の正真正銘、本物の御神体は、「UFO」だったのです。
この「UFO」の形をした石は、模して作ったものではなく、本物のUFOが、役目を終えたので、石化したのだと思います。
興味深いのは、最近、これとそっくりな石が、ロシアでも発見されているのです。
スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが、遭遇したUFOにも似ていますね。
「プレアデス系」の宇宙人グループですね。
これも、「今帰仁城跡」の写真です。
城壁は、ペルーの「マチュ・ピチュ遺跡」にも、似ている気がします。
旅行記に戻ります。
私たち一行は、南部の海岸にある、「浜川御嶽」にも立ち寄りました。
沖縄の神様、「アマミキヨ」が、ここから沖縄に上陸したといわれています。
「アマミキヨ」は、日本の本土でいえば、「イザナミ」のような神様です。
記念撮影しました。
旅の途中でランチもしました。
窓からの海の眺めも最高で、料理もとても美味しかったです。
店の一角は、天然の岩盤がむき出しになっています。
ここで、皆で記念撮影しました。
店内には、素敵な絵が、飾られていました。
「玉泉洞」のエリア内にあるカフェでも、お茶しました。
ここは、洞窟の中にカフェがあるのです。
「玉泉洞」の「玉」は、「アヌ王」の意味かもしれません。
沖縄といえば、「ガジュマル」ですね。
今回、久しぶりに「玉城城」に行きました。
子供の頃以来だと思います。
「玉城城(たまぐすくぐすく、たまぐすくじょう)」は、沖縄県南城市にある城(グスク)跡で、1987年(昭和62年)に、国の史跡に指定されたそうです。
この「丸い穴」は、何だと思いますか?
そうです。
長野県で出土された、縄文土器です。
そして、この首の部分の「丸い穴」が、「アヌ王」のシンボルなのです。
この土器は、「アヌ王」も表し、同時に、「神武天皇」や「聖徳太子」も表しているともいわれています。
つまり、この三者は、同一人物だということです。
ここで、いったんまとめますね。
前回の記事で、「獅子」と「一角獣」の地上絵を紹介しましたが、その両者の中間のエリアには、二人の父親である「アヌ王」のシンボルが刻まれた、「玉城城」があるということです。
ここに、シュメールの神々であり、古代において、地球の支配者だった、親子三人のトライアングルがあるということです。
「玉城城」には、他にも興味深いものがあります。
写真では、ちょっとわかりにくいかもしれませんが、「獅子(ライオン)」です。
「エンリル」ですね。
やはり、相方の「エンキ」もいました。
「プロビデンスの目」です。
大感動でした~!
ここには、ミニサイズですが、エジプトのように、「スフィンクス」と「ピラミッド」が建造されていたのです。
太古の時代における、地球の支配者たちを祀っている、凄い聖地だったのです!
この近くにある、「具志川城(ぐしかわぐすく、ぐしかわじょう)」にも立ち寄りました。
場所は、沖縄県糸満市喜屋武です。
「喜屋武」は、「きゃん」と読みます。
城跡は、1972年5月15日に、国の史跡に指定されたそうです。
ちょっと歩いて、海岸線を見ると、すぐに凄い景色が目に飛び込んできました。
岩が、「スフィンクス」の形にカッティングされています。
横顔や腕がわかりますか?
小さな目もありますね。
「エンリル」です。
全体像です。
お尻や脚もありますね。
右を向いて、うつ伏せになっています。
横側の部分は、同時に、「ピラミッド」の形をしています。
「エンキ」ですね。
「スフィンクス」と記念撮影しました。
別の方角の海岸線です。
下には、また、3人の地球の支配者がいました。
獅子舞の獅子が、二頭いますね。
口を開けている岩です。
「エンリル」と「エンキ」です。
この男根やキノコの形に見える岩は、「アヌ王」のシンボルです。
ここから、ちょっとはなれたところに、「平和の塔」もあります。
戦勝中は、沖縄戦が終結に近づいた頃、那覇方面から南部に戦線が移り、人々もそれに連れて、サトウキビ畑が広がるこの南部地域に、追い詰められたそうです。
周辺の海は、米艦隊が襲来して砲撃を開始、人々は、最後にはこの崖から飛び降りる事しか出来なかったそうです。
ここは、こういう、とても悲しい歴史を秘めた場所でもあります。
現在の平和の世を感じ、感謝しながら、記念撮影しました。
ここから、面白い形をした岩が見えました。
まるで、「子犬」のような形ですね。
「そうか! 子犬の岩があるから、キャンキャン鳴いて、喜屋武(キャン)という地名なのか!」
こう言って、皆で笑いました。
「神武天皇(アヌ王)」は、沖縄に滞在中は、よく沖縄本島の上空をUFOで飛び回っていたとも言われています。
その時代、「神武天皇」の皇居は、現代では、沖縄県島尻郡八重瀬町にある、「南部工業高校」の土地にあったそうです。
今回の旅では、そこにも向かいました。
すると、その近辺に、「沖縄最古のシーサー」とも呼ばれている、「富盛の石彫大獅子」というのがあることを知り、急遽、そこに行きました。
場所は、沖縄南部の八重瀬町富盛地区です。
なんと、「中間の御嶽」と書かれていました。
「獅子」と「一角獣」の地上絵のちょうど中間の地点です。
昔の人々は、このことを、知っていたのですね。
「勢理城(ジリグスク)」とも呼ばれているそうです。
もしかしたら、「ジリグスク」の名前が、のちに、「シュリグスク」になり、さらに、ここから、引っ越した王族たちが造った城が、現在の「首里城」なのかもしれません。
階段をのぼると、そこは、見晴らしのいい高台になっていました。
貫禄のあるシーサーがいました。
これが、沖縄最古のシーサー、「富盛の石彫大獅子」ですね。
口が開いているので、「エンリル」ですね。
記念撮影しました。
後ろに見えているのが、太古の時代、神武天皇の皇居があったといわれている、南部工業高校です。
ここに、神武天皇が住んでいたそうです。
だとしたら、この高台は、古代においては、神武天皇が、何かの神事を行う、「神殿」だったのだと思います。
見てください、この木の形を!
これは、自然のものだと思いますが、「アヌ王」のシンボルでもありますね。
大きなガジュマルの前で、パチリ。
このガジュマルの横にある所が、聖なる「神殿」だったところだと思います。小さな階段もありますね。
おそらく、ここが、「神殿」だった跡だと思いますが、突き出した部分に入ると、今までに感じたことのない、凄まじいエネルギーが、身体を包みました。
背骨のあたりまで、ビリビリしました。
この「突き出しの部分」は、合計で三つありました。
「三つの突き出し部分」をもつもの、どこかで見かけませんでしたか?
ハイ!
そうです。
天皇家の紋章に描かれている、「三つの頭をもつ部分」です。
やはり、ここが、太古の時代には、「皇居」であり、「神殿」だったのです。
同行していただいた、千晶さんと二人で、テーブルに腰掛けました。
なんか、前世でも、ここで、おしゃべりしていたような気がしました。
とても綺麗な夕日を眺めながら、ぼーっとしていました。
いつまでもいたいと思うほど、気持ちのいい氣が充満していました。
最高のパワースポットでした。
次回から、旅の舞台は、沖縄本島の中部に移ります。
ここに、琉球王国最大の秘密が隠れていました。
少しずつ、二つ目の扉を開いていきますね。
お楽しみに!
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