栃木ヒストリーツアー 3 橘
栃木県には、何度か行っているのですが、今回の旅のキッカケは、私が主催して開催している、「悪の根源」の東京セミナーでした。
いつものパターンなのですが、セミナーの後の懇親会では、いろいろな話題が出ます。
各地からやってきた方々から、地元の話題を聴くのも、楽しみの一つです。
その時に、栃木県在住の方から、
「よかったら、栃木県をまわりませんか? 車で案内しますよ」
こう誘われたのが、今回の旅行のスタートになりました。
いくつか、まわったのですが、時系列ではなく、順不同で紹介しますね。
旅行中、昼間の月を見て、不思議な気持ちになりました。
よく考えてみたら、「月」というのは、不思議な存在です。
「地球」から見れば、「太陽」は、「昼間」は、唯一輝いていて、自分の存在感を、派手で強烈にで、アピールしているように見えます。
そして、「夜間」になると、「星」が瞬き始めますね。
昼間は、ほとんど姿を見せない星々ですが、数からすれば、無限大です。
地味だけど、宇宙の勢力図で見ると、太陽など話になりません。
そして、「月」ですが、この衛星は、なぜか、「昼間」も「夜間」も、同時に存在しているのです。
「地球」という惑星からは、ほとんど、いつでも見えている存在が、「月」なのです。
だから、ちょうど、
「太陽」-「月」-「星」
というかんじで、三者は、不思議なバランスで、存在しているのです。
そういえば、「太陽信仰」や「星信仰」という言葉はありますが、「月信仰」という言葉は、あまり聞きませんね。
一般的には、「月」も「星信仰」に入れて考えたりしますが、もしかしたら、別枠にして、考えたほうがいいかもしれません。
「かぐや姫」は、「月」に関する伝説ですが、これも、不思議な話ですね。
ここは、栃木県栃木市にあり、太平山南麓にある、「大中寺」です。
この寺に伝わる七不思議の伝説でも、有名だそうです。
私の目に留まったのは、この彫刻でした。
ほとんどの人は、サラリと流すと思いますが、よく考えてみてください。
栃木県は内陸の土地で、海がありませんね。
しかし、これは、明らかに、海の波が描かれています。
つまり、小舟で太平洋の荒波を渡ってきたグループの土地だということなのです。
このように、この土地にまで、「補陀落渡海」の痕跡は、今でも残っているということです。
「太平山神社」にも立ち寄りました。
ここは、2回目の訪問ですが、今回は、また違った視点で、いろいろなものを、眺めることができるようになっていました。
人間は、視点が変わると、それまでとは、全く違う景色が見えるようになるのです。
御神石です。
パワーを感じました。
「足尾山神社」という摂社です。
片足だけの石が置かれていました。
そうです。
片足というのは、「下半身が蛇」ということです。
つまり、「足が尾」という意味です。
「宇賀神」であり、「エンキ」であり、「イザナギ」のことです。
こうやって、片膝を立てていたり、片脚で立っている神様は、皆、そうだと思います。
昔の人々は、下半身が蛇の神様を遠くからみて、「片足立ちをしている」と思ったのだと思います。
ここにも、蛇神がいました。
境内の摂社には、あちらこちに、「波」の絵が描かれています。
さすが、「補陀落渡海」の終焉の地ですね。
「星宮」という摂社です。
ここが、本当の本殿かもしれません。
「星」という文字が、草書体で書かれていますが、私には、なんとなく、「龍」と「人」の絵に見えます。
こういう長細い摂社は、旧約聖書の「ノアの箱舟」の意味も含んでいるそうです。
見晴らしのいい場所から景色を見ていたら、「ミカン」が目に飛び込んできました。
「ミカン」は、「橘」でもありましたね。
「天照派」の憧れるユートピアに、咲き乱れているといわれてる、柑橘系のフルーツですね。
この「ミカン」を見て感動しました。
私は、しばらく、このミカンを、ボーッと見つめていました。
本物の古代史がわかると、神社仏閣巡りが、10倍以上も楽しくなるのです。
何回か書いたのですが、これも再掲載です。
私は現在、地球における古代史を、2つのグループに分けて考えています。
一つ目は、「リンゴ」をシンボルにしたグループです。
これは、シュメール文明から始まる、「アヌンナキ」のグループで、エデンの園で、アダムとイブにリンゴを与え、ニュートンに、万有引力の法則をリンゴで気づかせ、資本主義の権化である、ビッグアップルというニューヨークの街をつくりあげ、アップルコンピューターを世界に広げています。
権力や支配のグループです。
拠点は、中近東から欧米諸国のエリアです。
「エデンの園」です。
「日の丸」は、実は、この「リンゴ」の象徴みたいです。
一般的には、「太陽」の意味だと言われていますが、私は、「リンゴ」の意味も含んでいると思います。
日本の天皇家では、「北朝」の系統で、どちらかというと、「山の民」であり、「弥生人」ですね。
「リンゴ」です。
「日の丸」です。
「太陽」の意味もあります。
このグループの生き方や人生観は、だいたいこうなります。
一言で、その特徴を言い表すと、「未来型」。
「成功型」と言っても、いいと思います。
未来に夢や目標をもって、それに向かって努力したり、がんばったりしながら生きていくやり方です。
どちらかというと、客観的な視点での生き方です。
これは、ポジティブシンキングの人に、多いと思います。
年齢で言えば、10代~20代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、まだまだ未熟だ」
と思って、がんばって成長する時期です。
あるアンケート調査によると、アメリカ人の90%は、このタイプだそうです。
二つ目は、「ミカン」をシンボルにしたグループです。
これは、日本の丹後半島から始まる、「イザナギ」と「イザナミ」のグループで、「補陀落山」を信仰しています。
この信仰は、インドやチベットや中国にもあり、「ポータラカ」などの名前のユートピアを夢見ています。
沖縄のニライカナイも、そうだと思います。
その理想郷は、八角形の建物があり、「橘(ミカン)」などの柑橘類の果物が咲き乱れていると言われています。
裏天皇だった、聖徳太子の家紋も、「橘」ですね。
愛と平和のグループです。
拠点は、日本を始めとしたアジア諸国です。
あとは、絶対平和主義の地底王国、「シャンバラ」も、このグループみたいです。
「菊花紋」は、実は、この「ミカン」のグループの象徴みたいです。
一般的には、「菊の花」の意味だと言われていますが、私は、「ミカン」の意味も含んでいると思います。
日本の天皇家では、「南朝」の系統で、「海の民」であり、「縄文人」です。
「ミカン」です。
「菊花紋」です。
「月」や「星」の意味もあります。
生き方や人生観は、こうです。
「現在型」です。
「幸福型」と言っても、いいと思います。
特に、夢や目標など持たずに、現在に幸せを感じながら、肩の力を抜いて自然体で生きていくやり方です。
主観的な視点での生き方です。
これは、バランスのとれた人に多いと思います。
年齢で言えば、50代~60代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、ある程度成長したから、あとは人生を楽しもう」
と思って、肩の力を抜いて、自然体で生きていく姿勢です。
日本人の60%は、このタイプだそうです。
この両者をシンプルにまとめると、こうなります。
〇「リンゴのグループ」=「日の丸」=「太陽」=「アヌンナキ」=「力と支配」=「山の民(弥生)」=「日本陸軍」=「神武派(北朝)」=「未来型(成功型)」
〇「ミカンのグループ」=「菊花紋」=「月&星」=「イザナギとイザナミ」=「愛と平和」=「海の民(縄文)」=「日本海軍」=「天照派(南朝)」=「現在型(幸福型)」
日本には、大昔から、2つの天皇家が存在していますが、この流れだと思います。
この2つのグループ分けは、私のオリジナルですが、この分類の方法で、現代の地球、そして、日本の社会が、スッキリと読み解けそうです。
生き方の話を、もう少しやっておきますね。
世間一般の大半の人々は、この二つの混じった、「ハイブリッド型」だと思います。
ハッキリ分かれているわけではなく、混じっているのです。
「成幸型」と言っても、いいと思います。
例えば、アメリカで生まれ育った帰国子女やアメリカ留学などを経験した日本人などは、この成功型と幸福型が混じった、「ハイブリッド型」になりやすいようです。
あるときは、努力して頑張りたくなったり、また、ある時は、「このままでいいや」と思って、自然体になったりと、この二つの型の間を揺れ動くかんじです。
年齢で言えば、30代~40代の人たちは、これが、多いと思います。
「成功も幸福も、両方ほしい」
と思う生き方です。
別に、どの生き方が、いいとか悪いとかいうのはありません。
ただ、それぞれの特徴を把握しておくと、いろいろな問題がスッキリすると思います。
いろいろな本を読んだり、講演会を聴いて、気がついたのですが、上記の3つの生き方の区別をつけないで、自分の生き方を探そうとして、混乱している人が多いような気がします。
例えば、話の噛み合わない典型的なパターンを例としてあげますね。
「生き方」の講演会で、その先生が人生経験豊富な50代の「幸福型」の人だとします。
そして、たまたま野心を持っている20代の「成功型」の人ばかりが、生徒として参加したとします。
そこで、先生が、
「人生は、あきらめることも大切です」
「毎日、感謝して、生きていくだけでいいのです」
「目標や夢など、もたなくてもいいのです」
「足るを知ることが、大切なことです」
「努力や我慢など、やめてください」
「そのままのあなたで、いいんですよ」
などという講演をすると、20代の若い人たちの心には、響かないという状態になってしまいます。
こういう話の内容は、50代の人向けの話なのです。
逆のパターンもあります。
「ビジネス」のセミナーで、その先生がベンチャー企業の社長で、若い20代の「成功型」の人だとします。
そして、人生経験豊富な50代の「幸福型」の人ばかりが、生徒として参加しました。
そこで、先生が、
「夢は必ず叶う!」
「一緒に、億万長者を目指しましょう!」
「目標や夢を、明確に設定しましょう!」
「日々、精進しましょう!」
「努力の先に、栄光が待っています」
「最後まで、諦めない人が成功します!」
こういう講演をすると、50代の人たちには、まったく響きません。
これは、20代向けなのです。
精神世界の業界でも、このように、先生と生徒で価値観が合わないために、話が噛み合わない場合が、けっこうあります。
精神世界で、「先生」と呼ばれるような人たちは、年齢では、50歳以上が多いです。こういう人たちは、半世紀以上の様々な人生経験を通して、幸福型になるのですが、若いころは、やはり、成功型だった人が多いです。
でも、自分が現在は、幸福型の価値観になったために、いまさら、成功型の生き方は、すすめにくくなっている場合が多いのです。
しかし、10代~20代の若い人たちのほとんどは、まだまだ未熟だし、成長の途中です。
この段階で、幸福型の教えを説かれても、ピンとこない場合が多いのです。
収入でいえば、ほとんどの本が、ベストセラーになったり、頻繁に講演活動をしているような先生たちは、年収なども、1000万円以上です。
そういう、すでに豊かになっている先生が、
「がんばらなくてもいいです。目標などももたなくてもいいです。お金が全てではありません」
と説いても、年収が100万円くらいの若者には、ピンとこなくて当然なのです。
これは、先生が間違ったことを言っているわけではなく、単に世代や収入の違いによって、価値観が合わなくなっているということです。
こういうことを意識して、本を書いたり講演をしている先生はいいのですが、そうでない先生もけっこういて、それで生徒や読者たちが、混乱するというパターンが多いような気がします。
30代~40代の先生だと、いわゆる、「ハイブリッド型」が多いので、こういうことを意識できるみたいですが、50歳以上の先生は、ひたすら、「幸福型」の生き方ばかりを主張して、「成功型」の生き方を、否定する人が多いような気がします。
私自身は、現在52歳です。
ただし、30代の頃、アメリカ留学なども経験して、アメリカ型の価値観もよく知っています。
だから、自分では自分のことを、「成功型」と「幸福型」が混じった、「ハイブリッド型」だろうと思っています。
私は、どちらの長所も短所も、両方とも、ある程度理解しています。
「成功型」の長所は、「人生にハリがでる」ということです。
目標や夢をもつと、生きがいが生まれ、毎日が充実しやすくなります。
ただ、短所としては、エゴが増大しやすくなったり、夢が実現しなかった場合、喪失感や失望感が、強く襲ってくる場合も多いということですね。
「幸福型」の長所は、「人生が、楽に生きられるようになる」ということです。
日々の生活に、ただ感謝して生きると、毎日が自然に生きられるので、とても楽に生きられるようになります。
短所としては、自分だけの幸せに目がいきすぎて、視野が狭くなったり、向上心がなくなったり、世界が小さくまとまってしまうということも、あるということです。
10代~20代の若者は、「成功哲学」や「願望実現法」などの本を読む人が、多いみたいです。
逆に、50代~60代の人たちは、「幸せになる方法」や「感謝の心」の本を読む人が、多いみたいです。
あと、30代~40代の人たちは、両方のジャンルを読む人が多いと思います。
「生き方」や「ビジネス」について、本を読んだり、講演会やセミナーに参加する時には、上記のようなことを、しっかりと意識して話を聴いたり、考えたりすると、思考が整理しやすくなると思います。
「成功」も「幸福」も両方大事です。
若者は、どちらかというと、最初は、「成功」のほうを追い求めたほうが、後からいい結果に、なりやすいような気がします。
ある程度年齢配の方は、自然に、「幸福」を求める生き方になると思います。
そして、30代~40代の方は、この2つが混じった、「ハイブリッド型」が、いいと思います。
豊かさも幸せも、両方ゲットするという選択ですね。
最近では、この生き方のことを、「成幸」という造語で表現することも、あるみたいです。
「成幸」
いい言葉ですね。
そういえば、「陰陽」のシンボルも、ハッキリと二分されているわけではなく、「陰」の中にも「陽」があり、「陽」の中にも「陰」があります。
それは、自然界でも、神様が表現しています。
たとえば、「リンゴ」は、「太陽」の意味もありますが、そのリンゴをカットすると、その中には、「星」の形が出てきます。
「ミカン」は、「月&星」の意味もありますが、「太陽」が夕陽になる時、「オレンジ色」になります。
このように、この世界では、「光」と「影」、つまり、「陽」と「陰」は、表裏一体であり、分けられないことが多いのです。
「天照派」は、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫であり、絶対平和主義で愛のグループでしたね。
このグループは、「橘」などの柑橘類をシンボルにした、「ミカングループ」です。
地球文明においては、アジアを拠点にしたグループで、ユートピア信仰です。
このグループは、「ミカン」が御神体なのです。
古代史においては、聖徳太子などが、リーダーだったみたいです。
聖徳太子の生誕地は、奈良県の「橘寺」とも言われています。
家紋は、「橘」です。
「天照派」は、海と山では、「海の民」でしたね。
ここからが面白いのですが、なんと、この天照派の生き方やポリシーを描いたマンガが、どうやら、「サザエさん」だったみたいです。
「橘」のシンボルと、「サザエさん」のシルエットが、ソックリですね〜!
「サザエさん」です。
「橘」の紋です。
そっくりですね~!(笑)
さらに、登場人物の名前も、皆、「海」に関係ある名前ばかりです。
しかも、サザエさんの話の中には、泥棒と押売りくらいで、強盗や殺人などの凶悪犯罪は、あまり出てこないです。
ひたすら、平和な町が舞台になっていますね。
このマンガは、「天照派」の理想の世界を描いた作品でもあったと思います。
そういえば、縄文土偶にも、「サザエさん」がいましたね。(笑)
さらに、この家紋は、実はディズニーのキャラクター、「ミッキーマウス」のシルエットとも似ています。
両耳と鼻が、三つの頂点を持つ「橘」ですね。
履いているパンツも、見つめているのも星ですね。
ちゃんと、両手も広げていますね。
面白いのは、アメリカ大陸も、「リンゴ」と「ミカン」の二つのグループに分けられるのです。
東海岸には、「ビッグアップル」の「ニューヨーク」があります。
そういえば、どちらかというと、東海岸は、ビジネス色が強く、成功を目指している人が多いですね。
そして、西海岸のカリフォルニア州には、「オレンジカウンティ」があり、「ディズニーランド」があります。
逆に、西海岸は、リゾート色が強く、幸福を感じている人が多いような気がします。
もしかしたら、「ディズニーランド」は、「陸」で「神武派」かもしれません。
一方の「ディズニーシー」は、「海」で「天照派」かもしれないのです。
この推測が正しければ、「ディズニー」は、裏の日本史からの逆輸入だということになります。
いや〜、こういう空想を広げるのは、とても楽しいですね~!
オマケです。
絶対平和主義の地底王国、「シャンバラ」の想像画です。
チベットの「ポタラ宮殿」の地下に、この地底王国に続くメインゲートがあるとも言われています。
そういえば、「島原」も迫害の歴史がありますが、現在の「チベット」も中国から迫害されていますね。
もしかしたら、「絶対平和主義」というのは、対極の「究極の悪」を引き寄せるのかもしれません。
「シャンバラ」は、「三つ星に丸」が、シンボルマークみたいです。
愛と平和の王国の象徴が、これみたいなのです。
神社や寺でも、たまに目にしますね。
日本において、「三つ星に丸」の家紋は、とてもユニークなシンボルみたいです。
一般的には、この家紋の星が指すのは、北極星で、北極星を神格化した「妙見菩薩」への信仰に由来しているそうです。
最近、調べている、「妙見信仰」とも、ここで繋がりました。
また、「三つ星」は大将軍と左右将軍を表していて、将軍星ともいわれているとのことです。
さらには、オリオン座の三つ星とも関わっているようです。
つまり、「バシャール」の文明ですね。
昔、ヨーロッパの探検隊が発見したと言われている、シャンバラの入口です。
シャンバラ王国では、このシンボルが、いたるところに描かれているそうです。
聖母マリアでもあり、イナンナでもあると思います。
出雲大社の柱も、どうやら、このシンボルと関係しているみたいです。
熊野の玉置神社のシンボルも、似ていますね。
千円札にも、似たようなシンボルがあります。
ミッキーマウスのシルエットも、そうですね。
奈良県吉野にある、天河大辨財天社にも、似た形があります。
これは、有名なUFOコンタクティー、アダムスキーが出会ったUFOの底部にある、反重力装置ともいわれていますね。
ナチスが製造したUFOも、この装置を使っていたそうですね。
「ナチス」は、熊野の「那智」とも関係していましたね。
アダムスキーは、ダライ・ラマ14世の前の代、13世と交流がありましたね。
ダライ・ラマ13世です。
後ろの壁に描かれている曼荼羅は、「シャンバラ」の絵だそうです。
どうですか?
面白い流れですね。
これらは、今までに私が探求していた、宇宙考古学と古代史、さらには戦争などの「悪の根源」とも、見事に全てが繋がるのです。
その最重要なキーワードが、「橘(ミカン)」、そして、「三つ星」のシンボルなのです。
次回に続きます。
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栃木ヒストリーツアー 2 補陀落渡海
前回の続きです。
古代の日本列島の中で、「天照派」のグループは、常に、「神武派」の追っ手から、ひたすら逃げていたそうです。
関西地方からは、奈良県の吉野、それから、和歌山県の熊野の奥地に逃げたようです。
「熊野」は、今までに、5回ほど訪れていますが、この土地を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。
一般的には、「王子」とは、「熊野権現の御子神」だと、考えられているようです。
昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?
この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。
調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。
「畏れ多い」
という表現で使いますね。
つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、
「畏れ多い神々の住む聖地」
という意味だそうです。
「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。
それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。
一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。
しかし、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。
ここからは、私の想像です。
おそらく、このエリアには、「八百万の神々」、つまり、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。
そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。
99のグループに、分かれていたのだと思います。
よくよく考えてみてば面白い話です。
歴史上、いつの時代も、どこの国でも、「王様」は一人だけです。
そして、「王子様」も、数人くらいしかいなくて、「王様」の椅子を狙って、王子様同士で、喧嘩したり、戦争することになると、だいだい決まっています。
また、「王子」という単語も、日本的ではありません。
中国などの大陸での称号ですね。
おそらく、「天照派」の人々は、絶対平和主義だったから、そもそも争わなかったのだと思います。
そして、「王座を狙う」などという椅子取りゲームにも、興味がなかったのだと思います。
99人も王子様がいたのならば、それから先の時代に、少なくする方向ではなかったと思います。
もっと多くしようと思っていたと思います。
最終的には、99人どころか、999人、9999人、99999人…
こんなかんじで、日本全国、全ての人々が、「王子」の身分になるような国家を目指したのではないでしょうか?
つまり、現代の「国民主権」や「民主主義」を、この時代に思い描いていたのではないでしょうか?
そして、そんな彼らが夢を見て、最初に、実現させたのが、天下泰平だった、「江戸時代」だったのではないでしょうか?
現代は、いつでも美味しいものが、食べれれて、皆が、飛行機や新幹線で、いろいろなところに、旅行に行けますね。
まさに、「国民皆王子」の時代ですね。
この時代に、未来の「民主主義」を思い描いた、99人の王子たちのことをイメージしていたら、目から涙が出てきました。
絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、ある時期から、関西を中心にした西日本では、閉塞状態になっていたようです。
陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。
そもそも、仮に東日本に行っても、当時は、大半の土地は、荒れた僻地だったので、行ってもそこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。
それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。
「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」
ある時、こう決意したのだと思います。
しかし、海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。
そんなとき、一人の救世主が現れます。
「聖徳太子」
この人物が助けたのです。
聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが始まったのです。
救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。
私は、「聖徳太子=キリスト説」を主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。
聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。
彼らにとっては、「西日本」は、まるで監獄にいるように、不自由な土地でした。
そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。
よいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!
熊野地方には、日本史における、最重要な寺があります。
「補陀落山寺」という小さなお寺です。
「世界遺産」に指定されています。
「補陀落渡海寺」と書かれています。
「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで知られているそうです。
私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。
ネットで調べると、こういう説明が出てきます。
「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「華厳経」には、インドの南端にあると、説かれているそうです。
「観音信仰」の流布とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。
チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。
日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。
そして、この信仰を広げたのが、聖徳太子だったのです。
日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。
記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。
熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。
聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは行われていたそうです。
チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。
そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために迫害されていますね。
ここも、日本の「天照派」と同じルーツだと思います。
「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「シャンバラ」があると言われていますね。
この写真は、2018年に、この寺を訪れた時のものです。
「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。
これもネットで調べると、こういう説明が出てきます。
那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して船出したと伝えられています。
補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が刻まれています。
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうです。
渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。
渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に乗りこんだそうです。
説明は、さらに続きます。
渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には外から釘が、打ちつけられたそうです。
渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。
渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。
船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。
こう書かれています。
これが、一般的な認識です。
渡海僧が乗りこんだ船を復元したものが、境内にある建物のなかに展示されています。
これらの写真も、2018年の写真です。
奇妙な形をした小さな船です。
船の上には屋形が、作られています。
その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。
人が一人だけ入ることができる、テントのような小屋があり、ここに僧侶が一人だけ入り、外からは釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。
もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。
だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。
さて、ここからが、いよいよ本番です!
「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。
しかし、よく考えてください。
こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?
ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?
ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。
勘の良い方は、もうわかりましたね。
そうです。
「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!
「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って太平洋の彼方に行き、そのまま沈没して海の藻屑となり、即身成仏する」
というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!
本当のことは、隠されていました。
実際には、こうだったようです。
途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から突き放したようです。
「よ~し! 行ってこ~い!」
こう叫んだかどうかはわかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。
すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。
そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは大きな河のような流れで、「東日本」まで、運んでくれたのです。
ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。
そして当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏にいろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前にその場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中からその僧侶を助けたのだと思います。
そして、その背後で、この秘密の脱出劇を計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。
黒潮です。
「西日本」 ⇒ 「東日本」
これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは驚きですね。
しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのもビックリです。
私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは大陸の話です。
聖書には、そう書かれていますが、日本では全く状況が違い、秘密裏に一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。
その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!
これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を東日本に逃がし、そこで、おそらく現地の女性と結婚して、子孫を広げていくという活動をしていたのだと思います。
目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。
お寺の隣には神社もあり、この神社の鳥居で、「補陀落渡海」の儀式は行われていたようです。
昔は、この鳥居までが海岸線で、ここが波打ち際だったようです。
以前に行った時の写真です。
鳥居の横にある案内板です。
「浜の宮王子社跡」と書かれていますね。
ある時期、99番目で最後の「王子神社」だったそうです。
この寺と神社の近くにある浜辺です。
「補陀落渡海」に乗って、東日本を目指した僧侶たちのことを想像すると、なんともいえない気持ちになりました。
一方で、東日本にある、房総半島の痕跡です。
2018年の春に、「補陀落渡海」の僧侶たちが、「西日本」から、「小舟」で辿り着いた場所に、行ってきました。
ここには、
「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」
という伝説が残っています。
そうです。
38人の子供たちの長女の子孫たちですね。
場所は、千葉県の「九十九里浜」です。
これも、もうわかりましたね。
「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」
こういう意味だったのです!
さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、
「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」
となり、意味は、
「三十八の国土」
という意味になります。
着く場所が、どうして港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?
砂浜だからいいのです。
砂浜だと、大きな船は接岸できません。
沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。
砂浜という地形は、小舟じゃないと上陸できないのです。
大きな船が接岸できる港だったら、すぐに追っ手に見つかってしまいます。
このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。
昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。
「浜鳥居」という名前だそうです。
これは、熊野の「浜の宮王子社跡」から名付けたと思います。
「補陀落渡海」によって、「九十九里浜」に上陸した後、辿り着いた僧侶たちは、このルートを歩いたようです。
「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」
大まかな地図です。
房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。
あるグループは、ここを定住の地に決めたようです。
拝殿で参拝しました。
黒色は、珍しいと思います。
いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。
そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、
「うわ~~!!」
と、大声で叫んでしまいました。
「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。
大感動でした~!
やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。
このように、絶対平和主義の「天照派」の子孫たちが、西日本から、「小舟」で、東日本に移住してきて、つくりあげたのが、「江戸」という町なのです。
だから、「江戸時代」が、260年くらい平和だったのです。
江戸時代に、「お伊勢参り」というのが流行りましたね。
「一生に一度は伊勢詣」
昔は、こう言われたらしいですね。
他にも、「熊野詣」もありましたね。
「伊勢へ七度熊野へ三度」
とも言われていたそうです。
実は、あれの本当の意味は、大いなる里帰りだったのです。
そして、日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に結婚式を挙げたのが、「伊雑宮」だっったのです。
そして、熊野から、「補陀落渡海」で、東日本へ亡命してきたのです。
江戸時代の人々は、DNAの中に、その記憶があり、その記憶が騒いだのかもしれません。
「本当のお父さんとお母さんの故郷に帰りたい! 自分の魂のルーツに帰りたい!」
この気持ちが、「お伊勢参り」や「熊野詣」だったのかもしれません。
伊勢から始まった、生粋の日本人である、「天照派」の人々が、熊野の那智から、小舟で関東に流れ着いて、「江戸時代」をつくりあげ、そして、天下泰平になった頃、故郷の伊勢に、また帰りたくなった。
こう想像したら、またまた、じわじわと、感動の波が湧き上がってきました。
繰り返しましますが、「江戸時代」が、なぜあれほど長い期間、大きな戦争がなかったかというと、この町の人々の遺伝子が、絶対平和主義の「天照派」だったからだというのが、真相だと思います。
そして、徳川家康を始めとする徳川幕府は、これを知っていたということです。
「徳川家康」は、「天照派」のリーダーだったようです。
「徳」は、「十九(とく)」だと思います。
つまり、19組で38人のグループである、「八百万の神々」の子孫だということです。
「川」は、横にすると、「三」で、「三つ巴」の意味だと思います。
関東に、「小舟」で流れ着いた、「天照派」が拠点にしていたと思われる神社や寺は、山ほどあります。
たとえば、東京都品川区にある、「鹿嶋神社」の境内には、大きな石碑があり、その横には、「ミカン」の木が植えてありました。
「橘」ですね。
そういえば、聖徳太子の生まれた場所も、「橘寺」でしたね。
実は、補陀落信仰の中には、
「理想郷である、補陀落山には、橘の木がある」
という信仰があるのです。
ここは、間違いなく、「補陀落信仰」の聖地なのです。
「天照派」のグループが、
「ここが、自分たちの探し求めていた、理想郷だ!」
と言っているのです。
最初に大きな拠点にしたと思われる土地も、東京にあります。
ここから、江戸時代が、始まったと思われる所です。
西日本から小舟に乗って、少しづつ長期間にわたって、東日本の地に移住してきたパイオニアたちの子孫は、長男の名前が、「別雷尊」でしたね。
覚えていますか?
これは、生まれた時に、身体が、「丹生」という宇宙エネルギーで、輝いていて、まるで、身体に雷が落ちた時のように、発光していたから、この名前だったそうです。
現代風の表現では、「凄いオーラの持ち主」というかんじですね。
「天照派」のグループは、関東地方において、いくつの地点から上陸したようですが、ある時期に、東京のある場所で、一堂に会する機会があったと思われます。
なんと、その場所は、「浅草寺」だったようです!
ここにも、今月の上旬に行ってきました。
有名な「雷門」です。
「昔は、このあたりに、よく雷がよく落ちたから、雷門というのかな?」
私は長年、そう思っていたのですが、違うのです。
38人の子供の長男だった、「別雷尊」の名前から、これは名付けられたのだと思います。
「別雷尊のグループの拠点だった場所」
それが、「雷門」の場所なのだと思います。
「天照派」のグループの本部が、おそらく、ここにあったのだと思います。
ここの参道を歩いていて、一番驚いたのが、これです。
最初の「雷門」の次の門です。
なっ、なんと!
デ~ンと大きく、「小舟町」と書かれているではないですか~!
人目もはばからず、
「うわーー!!」
と大声を上げてしました!
今までに、これの意味に気が付いた人が、どれくらいいたんだろう?
ジャ~~ン!!
見てください!
「小舟に乗って、関東にやって来た人々が住んでいた町」
こう言っているのです。
実は、日本国内において、隠している秘密などないのです。
歴史の秘密は、どうどうと、目の前に提示しているのです。
問題は、
「それの意味を、正しく解釈できるかどうか?」
だったのです。
ここが、補陀落信仰の最終地、「観音菩薩」のいる聖地だったのです。
境内には、「補陀落渡海」のシンボルが、たくさんあります。
本堂の横には、表から見ると、「人の群れ」を思わせる彫刻があります。
しかし、裏から見ると、「波」に見えますね。
「黒潮」が、この寺の本当の御神体なのだと思います。
遠くの看板が、私には、「橘(ミカン)」に見えます。(笑)
ここにもありました。
表から見ると、ただの石碑です。
しかし、裏側から見ると、「黒潮」と「小舟」に見えますね。
歴史の真実というものは、こうやって、隠されているのです。
石碑の傍には、「カエル」がいます。
「蘇る(ヨミガエル)」で、「復活」のシンボルです。
しかも、脚がないですね。
下半身が蛇の神様、「エンキ」です。
日本では、「イザナギ」や「宇賀神」、それから、「龍」や「ヒルコ」の意味もあります。
面白い写真が撮れました。
遠くには、三つの塔がありますね。
もしかしたら、この角度から見るのが、正式なのかもしれません。
もちろん、「植物」と「動物」と「人間」の「三つ巴」の意味です。
「スカイツリー」が、「人間」の象徴なんじゃないかな?(笑)
手前は、「プロビデンスの目」ですね。
これも、「エンキ」や「イザナギ」の意味です。
これは、余談です。
境内にある「薬師堂」の前を通った時に、あることに気が付きました。
「薬師堂」の文字を見て、ビックリしました!
見てください、「薬」という文字を!
上の「×」の文字は、「人」に見えますね。
この「人」文字が二つあり、その下に、「楽」という文字があります。
「二人の人」は、「自分」と「仲のいい人」意味だと思います。
楽は、楽しいこと、つまり、ワクワクすることだと思います。
だから、「薬」の本来の意味は、
「自分一人だけでなく、誰か仲のいい友人と一緒に、ワクワクするような楽しいことをして遊ぶのが、一番の薬である」
ということなのです。
昔、何かの漫画で、余命2年だと、癌告知された男の子がいたのですが、「どうせ死ぬんだったら、病院で寝ているよりも、南米のアマゾン川流域で、冒険の旅をしてから死にたい」と言って、アマゾン川に旅しに行き、2年後に帰ってきて検査したら、癌が完治していたという話がありました。
まさに、そういうことだと思います。
もしかしたら、これからの医療は、病気になったら、楽しい旅に出かけるという治療が、流行るかもしれませんね。
浅草の近くに、「日本橋小舟町」という名前の街もあります。
ここは、現在は、東京都中央区の地名になっていて、昔は、日本橋区にあたる日本橋地域内だったそうです。
地名に、「日本」がついている所は、それほどたくさんはありません。
この近くには、日本銀行もあります。
江戸時代において、日銀の敷地内には、「銀座」ではなく、「金座」という土地があったのですが、ここで、金を造っていたそうです。
「お金を造る」という一番大切な仕事をやっていたのが、どうやら、小舟で江戸に辿りり着いた人々の子孫たちだったようなのです。
さらに、聖徳太子が忍者を使って、隠れて連絡をとりあっていた頃から、ここに、「手紙」の文化が生まれたようです。
日本の郵便の発祥の地も、このあたりです。
2018年の写真です。
日銀を始めとした、銀行の発祥の地でもあります。
まさに、ここが、「日本」の発祥だったのです。
「邪馬台国」や「大和」や「倭」ではなく、「日本」という共同体が形作られたのが、ここだったのかもしれません。
「小舟町」=「日本」
もしかしたら、こう言ってもいいくらい、「補陀落渡海」で東日本に向かった僧たち、つまり、「天照派」の人々であり、愛と平和の一族、そして、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫である本当の天皇家、彼らが、「日本」の礎を固めたのだと思います。
「古代において、日本という国は、小舟から始まった!」
この驚愕の史実は、これから、少しづつ広がっていくかもしれませんね。
ここからが、今回の栃木ツアーの話題になってきます。
このように、「補陀落渡海」の痕跡は、関東地方にはたくさん残っています。
最終的には、和歌山県の熊野から渡海したグループは、栃木県の日光のあたりで落ち着いたようです。
東日本においては、「天照派」が、「黒潮ロード」に乗って、小舟で漂着した場所が、
「千葉県」&「茨城県」&「神奈川県」&「東京都」&「静岡県」
主に、この5ヵ所だったようです。
それから、「埼玉県」を通って、北関方面の「群馬県」と「栃木県」に向かったのが、大きな流れだったようです。
京都の「丹後」から始まり、関西を経由して、和歌山県の「熊野」から、小舟で、「東日本」を目指した「天照派」のグループの主なルートをシンプルに書くと、赤線のようなルートになります。
さらに、特筆すべきことがあります。
私は、「補陀落渡海」を調べていて、
「九十九里浜のあたりから、日光まで歩いて移動した時は、大変な道のりだったに違いない」
と思っていたのですが、実際には、小舟で流れに逆らいながらも、上流へと向かうことができたようです。
もしかしたら、追い風の時には、とても楽に行けたかもしれません。
現在の千葉県銚子市のあたりから、栃木県日光市まで、古代においては、「香取浦」という大きな湾と無数の川があり、なんと、太平洋から、「日光」のあたりまでは、「鬼怒川」を使って、舟で一気に行くことができたようです。
「熊野」 ⇒ 「日光」
この間は、小舟で行けたということです。
1000年前の想像図だそうです。
「補陀落渡海」の僧たちが後に、「補陀落寺」を建てた場所は、この川沿いが多いですね。
こうやって、地形で推測すると、かなり正確な歴史が把握できますね。
2018年に、補陀落渡海について、本格的な調査を始めたのですが、宇都宮市内をまわっていたら、この神社の名前が目に飛び込んできました。
「二荒山神社」という名前の神社です。
「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」と発音するそうです。
もうわかりましたね。
「補陀洛山寺(ふだらくさんじ)」=「二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)」
こうなるのです。
この神社は、和歌山県の「補陀洛山寺」と、完全に繋がっているのです。
つまり、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の「補陀洛山寺」の僧侶たちは、小舟で、「黒潮ロード」を渡って来て、関東の地へ上陸した後、栃木県宇都宮市にある、「二荒山神社」にも、辿り着いたということです。
この神社の拝殿の近くの灯篭の中に、不思議なシンボルがありました。
なんと、神紋が、「菊の三つ巴」です!
私は、いろいろ調べた結果、この神紋が、日本の古代史において、最重要なシンボルだと思っています。
この神紋は、「三つ巴」と「菊花紋」が、合わさっていますね。
「日本という国家の中枢や奥底には、天照派のグループがいますよ」
こういう意味だと思います。
凄いシンボルですね~~!!
それから、しばらくして、別の日に、栃木県日光市にも行きました。
ここにも、同じ名前の神社があります。
「二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)」
という神社です。
有名な「日光東照宮」の隣にある神社です。
ここにも、「三つ巴」がありました。
ここも、和歌山県熊野のお寺と、密接に繋がっているのです。
だから、こうなります。
「熊野 補陀洛山寺」=「宇都宮 二荒山神社」=「日光 二荒山神社」
一説によると、「日光」という名前は、弘法大師空海が、この地を訪れた際に、「二荒」を、「にこう」と読み、「日光」の字を当て、この地の名前にしたとも言われています。
「補陀洛」→「二荒」→「日光」
こうなったそうです。
和歌山県の「補陀落山寺」、それから、栃木県の二つの「二荒山神社」が見事に繋がりましたね。
やはり、「天照派」のグループが、終の棲家に選んだ土地が、ここだったのです。
ここで、メインのグループは、ここで居住を始めたと思います。
そして、大切なことは、「日光」という太陽の光は、古代において、いったん、ここで隠れるのですが、「日食」が、暗くなったあと、再び輝きだすように、そして、「天の岩戸開き」の天照大神が、籠ったあとに、再び顔を出すように、日本という国は、「不死鳥」というのが、シンボルマークでもあり、特性なのです。
「外国から、どんなに叩かれても、戦争で負けても、経済が悪くなっても、必ず復活する」
これが、「日本」という国の底力なのです。
そして、それを裏で支えているのが、裏の古代史に登場する「天照派」の人々なのです。
新時代になった、「令和」では、「丹の光」を放つ日本が、再び浮上してくると思います。
次回から、いよいよ、本格的な栃木の旅行記が始まります。
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栃木ヒストリーツアー 1 八百万の神々
5月25日(土)と26日(日)の二日間、栃木県を旅していました。
その時の旅行記です。
初めて読む方も多いと思うので、古代における裏の日本史の話も再度、簡単に書いておきますね。
本格的な旅行記に入る前に、今までの知識を、おさらいしておきましょう。
一説によると、古代の日本は、ある期間、二つのグループが存在していたそうです。
ハッキリとした名前が、ついていたわけではありませんが、ここでは、わかりやすいように、「神武派」と「天照派」という名前で呼びますね。
「神武派」は、今から50万年前に地球では、中近東を拠点に、「アヌンナキ」という宇宙人の一族が活躍していましたが、そこから流れてきた大陸のグループです。
日本では、神武天皇が、そのグループのリーダーだったようです。
「天照派」は、もっと太古の時代に、すでに宇宙の根源からダイレクトに、日本にやってきてたグループです。
それは、720万年前の出来事だったそうです。
このグループのほうが、古くから地球にいたのです。
イザナギとイザナミが、このグループのリーダーです。
日本人の始祖ですね。
イザナギとイザナミの話をやっておきます。
宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。
太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。
それから、そのエネルギーは、「丹生」という「丹生遺伝子」になり、それが宇宙の子宮の中で、「植物」、「動物」、「人間」の三つに分かれるそうです。
太古の大昔、最初に、「植物の丹生」、次に、「動物の丹生」、そして最後に、「人間の丹生」が降り立ったそうです。
「植物」と「動物」が、降り立った場所は、京都府与謝郡だったそうです。
肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。
最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。
なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。
「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。
それから、その「零迦児」は、巣と一緒に海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。
その時に、何度も何度も脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。
その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように見守っていたそうです。
昔から、世界中に、
「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」
という話がありますが、これが由来だそうです。
京都府の「舞鶴」という地名も、元々は、
「コウノトリが、舞い戻った」
ということから、できた名前だそうです。
おそらく、「零迦児の入った巣」を海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて舞鶴の地へ運んだのだと思います。
最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら育ったそうです。
丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。
「久久比神社」という名前です。
こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。
先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。
この「零迦児(むかご)」は、「双子の魂」だったそうです。
今風の表現だと、アニメの「君の名は。」でも使われた、「ツインレイ」ですね。
この二人が、純粋な「日本人の始祖」になるのです。
二人は、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。
それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。
「瓢箪(ひょうたん)から駒」
という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。
天橋立から、ちょっと離れた「冠島」で、「零迦児」は完全な人間の姿になったそうです。
何かの用事で、ここに行ったのか、もしくは、ここで人間になる儀式をやったのかもしれません。
「冠島」です。
「籠神社」です。
「眞名井神社」の入口にある石碑です。
「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も表現しているのだと思います。
入口の石柱を見て感動しました。
「匏宮大神宮」と書かれていますねー!
前述したように、最初に、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、地球に誕生した、「イザナギ」と「イザナミ」のことが、書かれているのです。
入口にあったこの祠にも、私は目が留まりました。
見てください!
「桃」の形の彫刻に感動しました。
これは、「カプセル」が、本当の意味だと思います。
結論だけ、先に言いますね。
「天照派」と「神武派」の二つのグループの構成は、こうなっていたようです。
〇「天照派」=「イザナギ」と「イザナミ」
「自由」と「知恵」と「愛」のグループ
〇「神武派」=「神武天皇」
「平等」と「力」と「支配」のグループ
太古の日本においては、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に日本の国造りをしたそうですが、これは、絶対平和主義のグループで、本当に「愛の存在」だったそうです。
それに対して、後から、日本の土地にやってきた、「神武天皇」は、大陸からやってきた渡来人や帰化人のグループと組んだ、「権力志向の存在」だったそうです。
そして、かなりの長期間にわたって、「神武派」が「天照派」を弾圧したり圧政下におくということを、続けていたそうです。
「イザナギ」と「イザナミ」は、38人の子供を生んだそうです。
この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。
38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。
この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」の称号を名乗り、後に、「天皇家」になったそうです。
ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。
この頃から、「天皇」という称号が、生まれたそうです。
念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で意味も違うそうです。
「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。
さて、「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。
その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。
きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。
この天皇のグループは、権力志向だったようです。
「天照派」のグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「愛」のグループだったと思います。
そして後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。
さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。
権力によって、人々を平等に統治するという考え方ですね。
私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。
国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。
この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、
〇「天照派」=「理想主義」
〇「神武派」=「現実主義」
こうなると思います。
現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。
具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。
これも、いろいろな見方ができるので、
「どの意見が正しいか?」
というのは、とても難しい問題なのです。
私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないのが、やはり、性格が似ているのです。
つまり、このグループは、
「絶対に戦わない」
という共通の姿勢があるのです。
古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。
ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。
要するに、「引きこもった」ということです。
本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。
たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。
「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」
こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。
おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。
生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。
それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。
怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。
この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。
現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。
そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。
私は完全に、「天照派」ですね。
あなたは、どのタイプですか?(笑)
生粋の日本人というのは、本来争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。
とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。
何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かにその場を立ち去ったり、無言になったり無視するという態度をとります。
本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で抗議するのです。
何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。
現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。
社会に対して、無言の抗議をしているのです。
ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。
「どうして、学校に来なくなったんだろう?」
「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」
「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」
こう思っていると思います。
これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。
口に出して反論したり、抗議したりしないのです。
「静かな怒り」
なのです。
これは、政府に対してもそうです。
あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。
ただ単に、
「投票に行かない」
という無言の抗議行動をします。
引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。
「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。
つまり、
「ワクワクすること」
これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。
「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」
私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。
だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。
もう一度まとめますね。
「神武派」に代表される武闘派、それから、「天照派」に代表される穏健派、古代の日本には、この二つのグループが存在していたようです。
「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。
このグループは、穏健派の「天照派」を、徹底的に弾圧していたようです。
「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには重要な神社が、二つあります。
一つ目は、「賀毛神社」です。
ここは、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。
「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」
ということです。
二つ目は、ここからすぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。
ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。
「鴨神社」=「元・下鴨神社」
だそうです。
この二つの神社には、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前があります。
この2人の子孫が、「大丹生家」といって、天皇の直系です。
残りの36人は、「丹生家」といって、天皇の守護にあたるサポートグループだったそうです。
調べてみると、古代の日本は、最終的には、
「奈良」=「天照派」=「南朝」
「京都」=「神武派」=「北朝」
こうなったそうです。
そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。
「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということがわかって、納得しました。
歴史に登場する、「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。
「空海」は、うまく助けていたようです。
「天照派」の一部を四国に逃がして、四国八十ハ箇所に見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。
徳島県美馬市にある、「神明神社」です。
正式には、「磐境神明神社」 というそうです。
ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。
「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。
「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。
ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。
こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。
もしも、日本の国土に穏やかなグループである、「天照派」だけが住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。
「神武派」は、まだ弾圧したりしただけですが、「元」の軍隊が日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり虐殺されていたかもしれません。
日本にも、「神武派」のような武闘派は必要だったのです。
「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。
「蛇の道は蛇」
「毒を以て毒を制す」
こういう諺もありますね。
「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。
だから、私の中では、
「神武派」=「ジャイアン」
「天照派」=「のび太」
こういう解釈になっています。(笑)
大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。
その教授が言っていました。
「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」
「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。
つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん賢く強くなって、権力を握ったグループだったのだと思います。
一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。
どちらも偏っていたのです。
英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。
つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。
「ライバル」という単語が、それほど悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。
お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。
「競争」という行為自体は、中立なのです。
それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。
ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。
それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。
考えてみればわかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。
下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。
そこで、ある時期に、
「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒にお祭りでもやらないか?」
「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。
そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。
それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
つまり、
「向日葵」=「太陽」
ということです。
「葵祭」というのは、
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
以前に京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。
おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。
そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で閉塞状態になっていたと思います。
陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には見張りがいたと思います。
当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。
前述した「天武天皇」は特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、
「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」
こういう法律をつくり、乞食の立場に追いやったそうです。
それで仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで質素な生活を始めた人々も多かったようです。
「天照派」の人たちは、そうやって虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ移動していったようです。
私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。
その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。
広い境内の中に、こういう細長い祠が二つあることに、気が付いた人も多いと思います。
これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。
ハイ!
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。
「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。
2018年に、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。
見てください。
「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。
いわゆる、「八百万の神々」ですね。
つまり、旧暦10月に、毎年、全国の「八百万の神々」が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。
このグループは、その後も、少しづつ日本中に散らばり、歴史の表舞台には出ないで、裏から地味な活動を続けていたようです。
現代でも、このグループが、「裏天皇」などと呼ばれていて、日本を陰で動かしているのだと思います。
もう少し、この38人の神様、つまり、「八百万の神々」のグループについて、説明しておきますね。
基本的には、このグループは、権力欲や金銭欲などが全くなく、宇宙から地球にやってきた、
「植物」-「動物」-「人間」
この三者が、バランスよく回転しているだけで、地球という惑星は、うまく循環するという考え方です。
だから、この世界観で動いているのです。
それが、多くの神社にあるシンボル、「三つ巴」なのです。
数年前に訪れた寺があります。
福井県の鯖江駅から、車で30分くらいの所にあります。
場所は、福井県丹生郡越前町です。
やはり、「丹生」がつきますね。
「大谷寺(おおたんじ)」という名前のお寺です。
これは、「丹」が、後に、「谷」になったそうです。
そいえば、沖縄県の地名にも、「読谷(よみたん)」や「北谷(ちゃたん)」がありますね。
これも、もともとは、「丹」の意味だったようです。
「大谷寺」は、宇宙考古学的には、「星から来た丹の寺」という意味ですね。
そして、「丹」の文字は、「エンキ(イザナギ)」のシンボルでもあります。
そうです。
「プロビデンスの目」の象形文字です。
気が付いていましたか?
門をくぐり、拝殿で参拝しました。
参拝していると、住職さんの奥様が現れて、中に入れてくださり、いろいろなお話を聴かせてくださいました。
とても勉強になりました。
建物の中には、いろいろな仏像も置かれていました。
記念撮影しました。
真ん中が、この寺に深い関わりのある、秦澄大師というお坊さんで、両脇が、お弟子さんだそうです。
以前にも何度か書きましたが、大切なことなので再度書きますね。
宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。
太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。
そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。
そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。
このお寺の中には、なんと、上記の宇宙における、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元を表現している仏像が、置かれているのです。
本当は、実物が見たかったのですが、普段は非公開だそうです。
頻度はわかりませんが、定期的に御開帳しているのだそうです。
その秘仏の写真が飾ってあったので、その写真を紹介しますね。
最初のものは、「十一面観世音菩薩」で、「太陽の真光」であり、「人間」を表現しているそうです。
そして、「人間」とは、具体的には、「人祖」である、「イザナギ」と「イザナミ」の二人のことなのだそうです。
次のものは、「聖観世音菩薩」で、「芒種のエネルギー」であり、「植物」だそうです。
最後のものは、「阿弥陀如来」で、「丹」であり、「動物」みたいです。
宇宙における、「人間」と「植物」と「動物」の生命の根源ですね。
そして、その深い意味を、当時の権力者たちに、気づかれないように、泰澄大師は、そっと、この秘仏たちの形の中に紛れ込ませて、後世に伝えたようなのです。
どうですか?
お寺の仏像も、意味がわかると、面白さが、数倍になると思いませんか?
次回に続きます。
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大阪セミナー ~悪の根源~
昨日は用事で、ディズニーランドの近くに行ってきました。
JR舞浜駅の辺りで、ブラブラしていたら、ミッキーマウスのシルエットを発見しました。
うーん、やはり、三つ星のシンボルですね〜
もしかしたら、「ミッキー」は、「三木」で、
「三木」=「三」+「十」+「八」=「38」
かもしれません。
「マウス」は、日本語の音にすると、「ネズミ」の他に、「口」にもなりますね。
「口」は、「国」の意味ですね。
だとしたら、
「ミッキーマウス」=「38人の神様の国」=「八百万の神々の国」
こうなります。
こういう暗号の解読、最高に楽しい作業です!
これは、地底王国といわれている、「シャンバラ」の絵です。
「三つ星」がシンボルですね。
この絵の背景にある、お城や塔が、ディズニーランドなのかもしれません。
「シャンバラ」を描いた曼荼羅です。
ディズニーランドです。
もしかしたら、このテーマパークは、リトル・シャンバラをイメージして設計されたのかもしれません。
<セミナー・悪の根源の感想>
前回の大阪セミナーの受講生から、素敵な感想をいただきました。
こちらでも、シェアしますね。
〇Hさん(女性)
トーマさん、こんにちは!
大阪の悪の根源セミナーに参加させて頂いた、Hです。
感想をメールさせてもらっていいとブログに書いてあったので、思いきって、セミナーの感想をメールさせて頂きました。m(_ _)m
セミナーから1ヶ月近く経ってしまいましたが、お時間のある時にでも、読んで頂ければ幸いです。(*^v^*)
セミナーに参加させてもらったのは、
人の迷惑になる様な事ばっかりする人たちが存在するのは、なんでだろう?
と不思議に思っていて(笑)、ときに「悪」と呼ばれるものの事を、もっと知りたい、と思ったからです。
セミナーでの、たくさんの情報や証拠とともに考察されたトーマさんのお話は、たった3時間の講座なのに、すごく深く理解できました。
戦争や宗教の、今まで疑問に思っていたり、分からないままだった部分に、トーマさんがお話下さったアヌンナキ家族の事や、りんご派・みかん派をあてはめていくと、どんどんつじつまが合っていくので、「世界の歴史や世界の形って、こういう事だったんだ!」と、深く納得する事ができました。
そして、一番印象的だった、最後の「戦争を起こしていたのは、愛のグループだった」と聞いて、
「やんちゃなグループ」と「攻撃できないグループ」を、2つの違う性質のエネルギーだと考えると、
『最初にやんちゃなグループがもうひとつのグループにちょっかいを出して、攻撃できないグループはしばらく耐えるけど、最後に耐えられなくなったら、遠回しに戦争をしかける』の繰り返しは、
「エネルギー的に回っているなぁ、循環構造なのかな」と気がついて、そして、この地球には時間があるから、2次元的にぐるぐる回るだけじゃなく、
「この循環は、螺旋構造になるんだ!!」と気がつきました。
「螺旋構造」って、そういえば前にネット等でよく見かけた(けど、今まで理解できていなかった、)
宇宙のエネルギーの構造が、螺旋構造だ、とか、マヤの時間の考え方も、螺旋構造だ、とか、宇宙を表現したとされる曼陀羅も、螺旋で回る、って聞いた事があるのと、同じなのかな?
だとしたら、地球人最大の課題でもある「戦争」でさえも、元々ある地球のエネルギー的螺旋構造の運動でできる「表現のひとつ」なだけなのかもしれないΣ(0д0)と思いました。
「愛と悪」や「戦争」等の大きいテーマについては、「悪の存在意義」みたいな物があるんじゃないか、と想像していましたが、(「悪の存在意義」は、あるにはあると思うのですが、)
「両極的なエネルギーが互いに刺激しあって、ダイナミックな出来事が起こる(その中のひとつの現象に戦争がある)、この地球に、個々人が、それを体験しに来たくて、地球(そういう現象が起こるパラレルワールド)に来ているだけ、本当にただそれだけなんだなぁ」と、自分が今まで抱いていた「悪」に対するイメージより、もっとシンプルな答えが見つかって、目からウロコで、ビックリしました。(笑)
関西弁でしか表現できなくて恐縮ですが(汗)、
「この世の世界を作った神さんたちは、ようこんな過激な世界(地球)を作ったもんやな~」と改めて思いました。(笑)
少し前にトーマさんがブログで「次元が違うと、問題の解決方法が変わってくる」と書かれていたように、今までは、たぶん3次元の世界の中だけで理解しようとしていたから、うまく理解できずにいたんだなぁ、と思います。
もっと大きい視点から世界を見ると、シンプルすぎてビックリする事実を知る事ができますね!
今回、こんな大きい視点から物事を考える機会を下さって、本当にありがとうございました!m(_ _)m
悪の根源セミナーは、びっくり仰天な情報満載で、迫力満点でした~!(*^o^*)
懇親会を含め、有意義な時間を過ごさせて頂きました!(*^v^*)
ありがとうございました!m(_ _)m
令和になりましたが、新しい時代は、争いごとが減って、いい時代になればいいですね。(*^v^*)
それでは、乱文にて失礼いたしました。m(_ _)m
Hさん、ありがとうございました。
今年の春に、私の寝室にある本棚の中から、一冊の本を手に取り、久しぶりにパラパラと読みました。
だいたい、家には、常時1000冊くらいの本があるのですが、半年くらいで3割くらいは、古本屋さんに売りに出します。
どうしても手放したくない本は、そのまま残しますが、30年以上、手元に置いてある本は少ないです。
その中でも、今から30年以上前、22歳の頃に手に入れた本があります。
〇「新戦争論 平和主義者が戦争を起こす」
という本です。
著者である、小室直樹先生の主張を、シンプルにまとめますね。
戦争というのは、複雑なメカニズムから生じている。
だから、その構造を科学的に解明し、具体的な対策をとらなくてはいけない。
それなのに、いつの時代にも、どこの国にも、平和教と呼びたくなるような盲目的な信者がいて、
「平和! 平和!」
と念仏のように唱えて祈っていれば、戦争が無くなると思っている。
このように、戦争というものを過小評価して、現実をしっかり見ない人々が、戦争が無くならない一番の原因になっている。
これを読んで、
「なるほど…」
と思いました。
17年くらい前に東京で、ある講演会に行った時の話です。
その講師の方は、外国人だったのですが、「精神世界の人たち」のことを、英語で、「ニューエイジャー(ニューエイジの人たち)」と表現していました。
そして、開口一番、
「ニューエイジャーたちは、どうして、何千年やっても、まったく効果がないとわかっている平和の祈りなんていうのを、まだやっているんだ? いまだに無くなっていないのは、それには効果がないということなのに、どうしてわからないんだ? 」
こう言ったのです。
その会場にいた多くの人たちが、そうだったように、私も平和の祈りを、よくやっていたので、一瞬、ムッとしましたが、
「そうか、ムッとするのは、それが本当のことで、核心を突いている発言だからなんだよな…」
こう思いなおしました。
そのあと、その講師の方は、
「では、どうしたらいいのか?」
こういう具体的な対策を、いくつか述べたので、
「なるほど!」
と感心しました。
そうなのです。
文句を言ったり、悪口や陰口は、子供でもできるのです。
政治など、何かについて、否定的な意見を述べるときは、必ず代替案を提案するのが、大人の議論なのです。
スピリチュアル業界は、どちらかというと、「文系」や「芸術系」が多いような気がします。
抽象的で感覚に物事をとらえたり、認識する姿勢の人が多い気がします。
もちろん、それは素晴らしいのですが、それ以外にも、「理系」や「体育系」のように、具体的で現実的な思考や行動も、同じように大切だと思います。
要するに、私が言いたいのは、「戦争」については、社会科学的な分析が大切だということです。
これをやらないで、ただの感情論で、戦争や陰謀などを語っている人が多いのです。
物事を深く知らないで、いろいろなことを語るというのは、ちょうど、車の機械的な構造、それから、交通に関する法律を学ばず、つまり、運転免許を持たないで、公道を運転するようなものです。
こういう危険極まりないことをやっている人が、とても多いのです。
だから、交通事故が多発するのです。
小室先生が言いたかったことも、そういうことだと思います。
前置きが長くなりましたが、大阪でも再度、「悪の根源」のセミナーを開催することが決まりました。
関西在住の方、ぜひ聴きにきてくださいね。
私、トーマが、「究極の戦争論」を語ります。
衝撃すぎる内容に、今から心の準備をしておいてくださいね。
再受講の方も、大歓迎です!
<大阪セミナー ~悪の根源~>
<満員御礼! 予約申し込み締め切らせていただきました。ありがとうございました!>
〇日時:2019年7月14日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分
〇場所:TKPガーデンシティPREMIUM大阪駅前 4階 シクラメン
〒530-0002 大阪府大阪市北区曽根崎新地2-3-21 axビル 4F
https://www.kashikaigishitsu.net/facilitys/gcp-osaka-ekimae/access/
〇内容:この世界の悪について、古代史から現代までの流れを話します。
とてもユニークな戦争論になると思います。
「地球文明」というセミナーでは、宇宙人のたちの話がメインでしたが、このセミナーでは、闇の人類史を主に語ります。
〇定員:10名 定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。
〇受講料:2万円
お振込み方法などは、別途メールで、ご連絡いたします。
〇その他:セミナー終了後、懇親会も予定しています。
こちらも、時間や場所などは、別途、ご連絡いたします。
☆参加をご希望の方は、私、トーマまでメールお願いします。
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最近、メールが返信できないことが増えています。
3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから送信してみてください。
トーマ
toma_atlas@yahoo.co.jp
PS この世界は、「光と闇」の陰陽で、構成されています。
そして、その闇には、いろいろな種類があるようです。
しかし、「究極の光」と同様に、「究極の闇」は、やはり、「愛」だったのです。
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思いやり
お笑いコンビ、南海キャンディーズの山里亮太さんと、それから、女優の蒼井優さんの入籍を発表した会見を、テレビで見た方も多いと思います。
見ていて、心があたたかくなるような素敵な会見でしたね。
芸能界の恋愛や結婚の話は、ドロドロした愛憎劇のような話が多いのですが、今回の話題は、心温まる話題でした。
特に、山里亮太さんが、蒼井優さんのご両親に、結婚の承諾をもらいに行った時の話は、大笑いしました。
蒼井さんのお父様、山里亮太さんよりも、笑いのセンスがあるのかもしれませんね。
時代とともに、恋愛や結婚のスタイルも、変わってきます。
最近になって、ある友人と話をしていて、気が付いたことがあります。
昭和の時代には、男性が女性の家に行き、両親に結婚の承諾をもらうために挨拶に伺う時には、どちらかというと、
「娘さんを、私にください。必ず幸せにしてみせます!」
というように、男気や決意などを、アピールすることが多かったような気がします。
しかし、平成の時代になり、世の中が変化してきました。
核家族化が進み、一人っ子が増えたのですが、両親と子供の仲がいい家庭が増えたようです。
30歳や40歳を過ぎても結婚しない独身者が、増えたのには、いろいろな理由がありますが、その中の一つの要因として、
「家族の仲がよく、幸せな家庭である」
というのがあります。
つまり、わざわざ結婚して、幸せにならなくても、実家に住みながら、両親を過ごしているだけで、もう十分に幸せな若者が増えたのです。
実家に住んでいれば、家賃もかからないし、子供の頃から食べなれている、母親の美味しい食事が、毎日食べられれば、特にこの環境を変えたくないという若者は、男女ともに増えるでしょう。
こういう状況に、世の中が変化しているのに、いまだに、男性の中には、無意識ですが、
「父親から娘を奪うぞ!」
という対決の姿勢で、結婚の挨拶に向かう人もいるようです。
こういう気合を入れている姿勢が、その女性の家族から、一番嫌われるのだそうです。
これも無意識ですが、そういう気合の入った男性は、その家族からは、敵だと認識されるそうです。
せっかく幸せで安定している家庭の生活を、かき乱されると感じるそうです。
では、どうすればいいのでしょうか?
その友人曰く、
「幸せな家庭で育っている女性の家に、結婚の挨拶に向かう時には、楽しそうだから、私も仲間に入れてくださ~い! と言えばいいのですよ。敵対しないで、仲間に加わるいう姿勢が、これからの時代には、大切だと思います」
こう言いました。
これを聞いて、
「なるほど…」
と思いました。
イメージでいえば、アニメの「サザエさん」のマスオさんのような、やわらかいかんじの男性ですね。
山里亮太さんがプロポーズをしてから、蒼井優さんのご両親に挨拶して、入籍を決めるのが、ここまでスムーズに流れたのは、おそらく、これだと思います。
つまり、山里亮太さんは、初めから、ずーっと終始一貫して、蒼井優さんや御両親と、対決しない姿勢だったのだと思います。
「その楽しそうな家庭に、お仲間として加えていただけますか?」
こんな姿勢だったのかもしれません。
蒼井さんも、結婚を決めた理由として、
「やさしさで決めました」
と答えていましたね。
そのやさしさとは、具体的には、「思いやり」なのだと思います。
どんな人に対しても、常に相手が不快にならないように、相手の立場になって物事を考えることができる能力ですね。
あたりまえのことですが、幸せな恋愛や結婚をしている人たちは、皆、「思いやり」の心をもっている人ばかりなのです。
特に、新しい時代、「令和」の世では、これが大切になってくると思います。
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生まれ変わりツアー 7 カーネーション
四国お遍路である、「第38番札所 蹉陀山 補陀落院 金剛福寺」というお寺にも、立ち寄りました。
場所は、土佐清水市足摺岬です。
「38番」という数字が、意味深ですね。
何度も書いているように、この数字は、イザナギとイザナミの最初の子供たち、「38人」の数です。
そして、この子供たちが、八百万の神々の正体でもあります。
この寺は、ネットで調べると、「第37番岩本寺」からの距離が約88キロで、遍路の中でも最長距離だそうです。
ここも、去年から集中して調べている、「補陀落渡海」の拠点だった所です。
なんでも、聖徳太子の頃は、熊野の那智が拠点で、空海がそれを引き継ぎ、その後は、足摺岬が、補陀洛信仰の拠点になったそうです。
入口です。
鬼瓦ですね。
「大丹生家」であり、「天皇家」のシンボルでもありますね。
三つの葉っぱの模様の紋もありますね。
「補陀落」と書かれていますね。
「天照派」の拠点だった所だということです。
亀の石像がありました。
「妙見信仰」のシンボルですね。
記念撮影しました。
境内は、「天国」をイメージして、庭造りをしたのだと思います。
「補陀落渡海」のシンボルでもある、「蘇鉄」がありました。
「蘇り」の意味ですね。
この寺から、目と鼻の先で、歩いていける距離に、「足摺岬」があります。
そして、この岬に、「ジョン万次郎像」が建っているのです。
38番の寺から近いということは、38人の子供たち、つまり、八百万の神々とも深い関係にあるということですね。
万次郎とのツーショットです。
最強のツーショットですね!
なぜか、万次郎の像の輪郭に、不思議な光の線がが、ボヤ~ッと浮きあがっています。
万次郎がやりたかったこと、そして、やり残したことを、これから、私が引き継いでやっていこうと思っています。
左手には、コンパスを持っているそうです。
そして、右手には、三角定規を持っています。
ここで、「コンパス」と「定規」のことを、復習しておきましょう。
ご存知のように、日本人の始祖は、イザナギとイザナミですが、この二人の兄妹が、日本の国土も創り、日本人のルーツですね。
シュメール文明では、エンキとニンフルサグになります。
右が、エンキで、左が、ニンフルサグだそうです。
真ん中の木は、「生命の樹」と言われていて、人類創世に関わっているそうです。
そして、この二人の夫婦であり姉妹は、古代の中国にも登場しています。
この二人の神様は、伏羲と女媧という兄妹です。
つまり、日本もシュメールも中国も創始者は、皆、同一神だったということです。
上にある、花模様のシンボルマークは、「菊の紋章」ですね。
コンパスと定規を持っていることに、注目してください。
ご存知のように、コンパスと定規は、秘密結社、「フリーメーソン」のシンボルです。
これは、「設計」の意味です。
念のために言っておきますが、一般的な陰謀論では、悪く言われることが多いですが、別に悪い組織でもなんでもないですよ。
古代中国の神話の時代に、すでに、「フリーメーソン」が、存在していたのです。
これが、最古の「フリーメーソン」だと思います。
創始者は、「イザナギとイザナミ」でもあり、「エンキとニンフルサグ」でもあり、「伏羲と女媧」でもあったということです。
以前に、伊勢の旅行に行った時に、ある場所で見つけたのですが、目立たない場所に、ひっそりと置かれていました。
「コンパス」と「定規」ですね。
これは、「伊勢神宮」の内宮や外宮の大切な扉を開く時に使う、「カギ」なのだそうです。
つまり、コンパスと定規を手にしている、ジョン万次郎は、地球の文明を創造した創始者である神々から、直々に地球の世直しをするように派遣された、愛と平和のエージェントだったということです。
今回の旅では、初めて、「ジョン万次郎記念館」にも行ってきました。
館内では、いろいろな模型や絵で、万次郎の生涯を、わかりやすく説明していました。
ジョン万次郎が、無人島である鳥島で、ホイット・フィールド船長に助けられたときの場面です。
アメリカで撮影された、ジョン万次郎とホイット・フィールド船長の写真だそうです。
ここで、ジョン万次郎と私を、比べてみましょう。
同じなのは、「三つ星」の家紋だけではなかったのです。
万次郎
姉二人、妹一人、兄一人、5人の兄弟姉妹。
私
妹二人、姉一人、弟一人、5人の兄弟姉妹。
万次郎
息子が医学博士でした。
私
父が医学博士でした。
万次郎
土佐の町で漁師だった。
私
18歳の頃、「土佐の一本釣り」というマンガを読み、本気で漁師になり、土佐に住みたいと思った。
万次郎
16歳でアメリカに渡り、日本人初のホームステイをする。
クリスチャンでもあったが、同時にフリーメーソンのメンバーとも交流があった。
私
30歳でアメリカに渡り、ロサンゼルスでホームステイをする。
アメリカのホームステイ先の家庭は、クリスチャンでしたが、同時に先祖はフリーメーソンのトップでした。
万次郎
ゴールドラッシュの時、カルフォルニアで、「ゴールド」を採掘して大金を稼いだ。
私
カルフォルニアの「ゴールドジム」で、筋トレをして、パワーリフティングの大会で、優勝した。
万次郎
妻の名前が、「鉄」でした。
私
ネット上でのニックネームが、「鉄人」です。
万次郎
日本とアメリカの異質な二国を繋げるために、懸け橋になり動いていた。
私
現在、霊界や現界、それから、宇宙文明と地球など、異質な価値観をもつ世界を繋げようと動いています。
万次郎
ハワイも、活動の拠点にしていた。
私
仕事の関係で、たまたまハワイに2回行った。
万次郎
沖縄では、沖縄の人々と楽しく交流していた。
私
沖縄で生まれ、青春時代を沖縄で過ごした。
どうですか?
凄いシンクロ率ですね~!
ここまで一致すれば、怖いくらいに縁を感じますね。
これで、まったく関係ないなんて言ったら、逆に不自然だと思います。
間違いなく、私の魂の一部は、万次郎と繋がっているのです。
土佐清水市にある、ジョン万次郎の故郷の村にも行ってきました。
石碑が建っていました。
記念撮影です。
近くには、こういう石碑もありました。
この記念碑の裏には、万次郎をサポートしていた神様の祠がありました。
見てください!
朱い色の祠で、「お稲荷さん」ですね。
つまり、「聖母マリア」だったということです。
中には、「大黒天」が置かれていました。
つまり、「イエス・キリスト」だったということです。
全部、繋がりますね。
最近、万次郎の生家が復元されたというので、ここにも見学に行きました。
トイレです。
昔の自分が、ここで、いつも用を足していたと思ったら、なんともいえない、不思議な気持ちになりました。(笑)
家の内部も公開されていました。
家族との記念写真だそうです。
今回の旅で、一番衝撃を受けたのが、これでした。
その家の玄関に、こんなものが置かれていたのです。
万次郎の足跡を辿って、いろいろ見ても、今一つピンとこなかったのですが、この言葉が目に飛び込んできたときに、瞬時にわかりました。
「ああ…、昔、母が口酸っぱく、この小言を言っていたな… 懐かしいな…」
魂の奥こそから、なんともいえない不思議な感情が、じわ~と湧き上がってきました。
それから、またすぐに、
「万次郎のお母さんは、現在の自分の母でもあるな… やはり、また再会して、親子の関係を続けているんだな…」
こう理解しました。
これは、理屈ではありません。
直感で確信したことです。
私の中の魂が、そう思っているのです。
現在でも、実家に帰ると、現在の母も、
「ちゃんと戸締りした?」
と、よく言います。
母親の愛は、変わらないのです。
そもそも、誰が、
「万次郎、戸締りしとけや 母より」
なんて書いて、そこに置いたのでしょうか?
もしかしたら、これも、聖母マリアからのサポートだったのかもしれません。
「母と子」の絆は、永遠なのかもしれません。
おそらく、この深い縁で結ばれた間柄は、親子になったり、兄弟や友人、上司と部下、先生と生徒、こうやって、役割を変えながら、何度も何度も、出会いを繰り返しているのだと思います。
子供の頃から思っていたことですが、もしも、人が死んだら、そこで無になり、お終いであれば、それは、いくらなんでも非情すぎるのではないでしょうか?
それまでの努力や築いてきたものが、全部無駄になるということです。
なによりも、それまで、あんなに仲良くなり、楽しく過ごしていた家族や友人たちと、二度と会えなくなるなんて、もしも、それが本当であれば、生きてくのが辛くなるだけだと思います。
昔から、多くの人々が、この世の理不尽さを嘆いて、
「神も仏もあるものか~!」
と叫んできました。
しかし、そうではないのです。
全知全能であり、人知の及ばないほどの大きな愛をもっている神が、そんな無慈悲で、無意味なことなど、やるわけがないのです。
神も仏も、実在するのです。
そして、人間がつかないくらいの大きな愛で、サポートしているのです。
今の時代、家族や友人が亡くなるという体験をして、悲しい気持ちになる人も、多いと思います。
その時に、知っておいてもらいたいことがあります。
「死は永遠の別れではなく、一時的に離れるだけである。愛し合っている人同士は、きっとまた、いつかどこかで、ベストなタイミングで、ベストな関係で再会することができる」
今回、この旅行記を書いたのは、このことを、声を大にして伝えたかったからです。
最近知った面白い気づきを、ここで紹介しますね。
「カーネーションという花は、十字架にかけられたキリストを見送った聖母マリアが、その後、落とした涙の後に生じた花」
だという言い伝えがあります。
また、ご存知のように、「生まれ変わり」のことを、英語で、
「リーインカーネーション(reincarnation)」
と言いますね。
この単語を調べると、
「re(再)+in(中へ)+carnate(肉体)+-tion(名詞化)」
こういう単語の構成だそうです。
「再び肉体に(魂が)入ること」
つまり、「輪廻転生」という意味ですね。
この時の「reincarnation」の「-carnation」は、「花のカーネーション(carnation)」と全く同じスペルです。
これは、偶然でしょうか?
日常会話を、英語で行う人たちも、この2つの単語の意味の関連性は、あまり考えないかもしれませんね。
しかし、1文字と違わない偶然を調べてみると、やはり関係があることがわかりました。
英語の「carnation」の名の由来は、一般的に、二つの説があるそうです。
「coronation(冠飾り)」が転訛したという説、それから、ラテン語の「肉(carn)」の意味に由来するものです。
学者たちは、後者が有力と考えている人が多いようです。
後者は元々、「カーネーション」の淡いサーモンピンクのような色が、「肉体(ラテン語でcarn)」の色に似ていたことから、この名が付いたという説です。
つまり、花の色が、「肉体(carn)」の色に似ているから、「カーネーション(carnation)」という単語が生まれたということです。
ちなみに、「カーニバル(carnival)」という単語も同じ、「carn」に由来しているそうです。
つまり、「カーネーション」は、「肉色の花」の意味なのです。
面白いですね。
「輪廻転生(reincarnation)」、それから、「カーネーション(carnation)」は、語源が同じという仮説に基づけば、面白いことに気が付きます。
そうなのです。
前世から今生に再び、自分が生まれ変わってきた時、いきなり、自分の赤ちゃんの肉体が空間に、パッと出現したわけではなく、まずは、今世での母親の肉体、その中の子宮の中で、母親の肉体を借りて、胎児の肉体を創り、それから、その乗り物である胎児に魂が入り、この世界に誕生するのです。
だから、
「再び(re)」 +「中へ(in)」+「カーネーション=肉体(carnation)」=「reincarnation(生まれ変わり)」
こういう方程式が、単語の中に入っているのです。
母の日に、母親に、「カーネーション」をプレゼントするのは、
「今世に生まれ変わってきた時に、あなたの肉体を、一時的に借していただきました。ありがとうございました!」
こういう意味だったのです。
「カーネーション」という花束を贈る行為に、こんな深い意味があったなんて、初めて知りました。
旅行記に戻ります。
5月23日(木)の 旅の最終日、飛行場に行く前に、「土佐神社」でも、参拝しました。
拝殿です。
金属の部分が、「北」という文字に見えますね。
「北斗七星」や「北極星」などの「星信仰」であり、「妙見信仰」でもありますね。
「十」の形が、「十字架」にも見えます。
地元の方に、案内していただきました。
ありがとうございました。
境内を皆で、散歩したのですが、とても素敵な神社でした。
記念撮影です。
「茅の輪くぐり」ですね。
私には、「スターゲート」に見えました。
「土佐神社」は、拝殿と本殿の建物を上空から見ると、「トンボ」の形になっているそうです。
私には、別の意味も思い浮かびました。
この形が、十字架にも見えることから、閃いたのです。
「土佐」という文字を、分解すると、
「十」+「ノ」+「人」+「大」+「工」=「十字架の人で大工」=「イエス・キリスト」
こうなります。
つまり、「土佐」という土地は、古代の日本において、キリストが住んでいた聖地なのです。
「土佐」は、私にとって、魂の故郷です。
また行きますね。
最終日には、JR高知駅の近くの幕末の志士たちの石像の前でも、記念撮影しました。
これは、オマケの話題です。
先日、東京都の江東区にある、ジョン万次郎の敷地跡に行きました。
明治時代だと思いますが、7000坪もあった広大な敷地は、現在は、北砂小学校という学校になっていました。
案内板です。
校庭です。
学校名を見てください!
「北砂」の文字は、「土砂」で「土佐」の意味ですね。
そして、「土佐」は、元々は、「十三(とさ)」だったという説もありますね。
「十三(とさ)」は、文字をズラすと、「八三」で、「38」でもあります。
さらに、その校章も、「船の舵」の形にもなっていますね。
校章の上部には、「星」のシンボルもあります。
やはり、万次郎は、ミカンのグループであり、愛と平和のグループ、「天照派」のリーダーだったみたいですね。
もう一つ、オマケです。
「輪廻転生」という現象は、人間がイメージするように、時間が一方だけに流れているな3次元的な世界観では、説明できない、壮大な現象だと、旅行記の最初に書きましたね。
どうやら、同じ幕末の時代に、万次郎と同じ魂をもった人物が、何人か活躍していたようなのです。
双子の魂の意味で、「ツインレイ」や「ツインソウル」という表現をしてもいいと思います。
同じ志をもった仲間、「ソウルグループ」のメンバーでもあったと思います。
冒頭に書いたように、去年あたりから、イザナギとイザナミの38人の子供たちの子孫が、日本や世界を、本当に動かしていることを突き止めました。
この38人の神様が、現代でも、歴史の節目に、さりげなく暗号のように現れます。
幕末の時代、ジョン万次郎の他にも、アメリカと日本の間で活躍した日本人が、何人かいました。
その一人が、仙太郎という人物です。
広島県出身のこの人物も、万次郎のように漂流して、アメリカに助けられて、後に、黒船のペリー提督に同行して、日本に来ています。
ペリーの通訳という、歴史の大転換期の最重要人物ですね。
アメリカでのニックネームが、「サム・パッチ」だったそうです。
先日、裏の日本史の調査を兼ねて、この人物の墓参りにも行ってきました。
場所は、東京都文京区大塚にある、「本伝寺」です。
「本当のことを伝える寺」という名前ですね〜
「船の舵」のシンボルなど、明らかに天照派ですね。
そして、見てください!
死んだ後の名前が、「サム・パッチ」の音を、日本語にしたという、「三八君」になっています。
うーん、やはり、日本という国家は、八百万の神の国だったのですね〜
ふ~っ!
「生まれ変わりツアー」は、今回で最終回です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
いかがでしたか?
いつもは、宇宙考古学や古代史の内容がメインですが、この旅は、私の個人的な旅で、自分の魂のルーツを探る旅になりました。
旅行記を読みながら、ワクワクしていただけたら、とても嬉しいです。
まだまだ、書き足りないこと、あとは、ブログでは公開できない内容なども、山ほどありますが、そういう秘密の話は、現在、私が全国で開催している、「悪の根源」というセミナーで、全て公開しています。
歴史の闇に興味のある方、ぜひ受講してくださいね。
では、いつもように、最後の締めの文章です。
今回は、これで終わりたいと思います。
娘のエイミイが、3歳の誕生日を過ぎて、間もなくのことだった。
彼女は、私の所へかけてきて、私の足に抱きついた。
彼女は、私を見上げて言った。
「パパ、私はパパのことを、4000年も前から愛しているのよ」
私は、娘の小さな顔を見つめた。
深い幸せが、私の心と体と魂を包み込んだ。
by ブライアン・L・ワイス博士
「前世療法」
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生まれ変わりツアー 6 聖母マリア
5月22日(水)の朝、爽やかに目が覚めました。
人は、毎朝生まれ変わっていますが、この日は、特別に気持ちよく起きました。
足摺岬から見えた風景です。
太平洋が、朝焼けに染まっていますね。
地球って、やっぱり素晴らしい惑星ですね。
ホテルのロビーまで、私のブログの読者で地元の方たちと、待ち合わせしていました。
それから、皆で、ホテルの近くにある、「唐人駄馬」という巨石群を見に行きました。
実は、この巨石群は、12年くらい前にも、友人たちと訪れたのですが、その時は、なぜか道に迷ってしまい、そこに辿り着けなかったのです。
だから、ここは初訪問になりました。
着きました。
案内板です。
皆で、登っていきました。
巨石に手を当てると、脳内で古代の場面が見えました。
シリウスから来た宇宙人ゲルが、この巨石を積み上げている様子でした。
世界中に置かれている巨石群は、太古の時代に、シリウスからやってきた宇宙人ゲルが、自分たちのテレパシーの増幅装置として、巨石を置いたという話を聞いたことがあります。
おそらく、その場面だろうと思います。
凄い巨石が、ゴロゴロ並んでいます。
見晴らしが、最高でした。
太平洋が見えますね。
記念撮影です。
空が凄いことになっていました。
他にも、面白い雲が、どんどん出現しました。
これは、下半身が蛇のエンキが、手から、元気玉を、放出しているようにも見えます。
ちゃんと指までありますね。
これは、「不死鳥」だと思います。
鳥が大きく羽を広げていますね。
「蘇り」や「生まれ変わり」の象徴です。
今回のメインテーマですね。
真ん中の顔の部分を拡大しました。
鳥の横顔が見えますか?
ちゃんと、目やトサカもありますね。
この場所で、皆で、しばらく、おしゃべりしたりして、遊んでいたのですが、後で気が付いたら、一瞬、時間が30分ほど、飛んでいました。
もしかしたら、この空白の時間に、どこか、異次元空間に行っていたのかもしれません。
不思議な体験でした。
ここから、ちょっと離れたところにも、面白い場所がありました。
とても広い広場になっています。
遠くに、前述した巨石群が見えます。
巨石群を拡大しました。
ここで、面白いものを、発見しました。
見てください!
石でできたテーブルに、椅子の石が、三つあります。
隣には、小さなストーンサークルがあります。
想像を膨らませてみました。
あるUFOコンタクティーの方から聞いた話です。
UFOのほとんどは、3人で操縦するそうです。
3人の意識を合わせて、共同で操縦するそうなのです。
だとしたら、この三つの椅子は、宇宙人たちが座る操縦席なのではないでしょうか?
何かの任務を終えた宇宙人たちが、ここへきて椅子に座り、肉眼では見えない母船に乗り、そこから、また彼らの母星に、帰還するのではないでしょうか?
つまり、ここの広大な広場は、目に見えないけど、超巨大なスペースシップが停泊していて、この空間は、その内部なのではないでしょうか?
特別な呪文のようなものを唱えたら、その母船の内部に、景色がパッと切り替わるのではないでしょうか?
そんな空想をしながら、ここを散歩しました。
実は、この唐人駄馬という巨石群の場所は、ジョン万次郎が、子供の頃、よく遊んでいた所なのだそうです。
万次郎は、現代でいう宇宙人コンタクティーだった可能性が大きいです。
おそらく、そうだったと思います。
だとしたら、万次郎の数奇な運命も、最初から、宇宙的な視野から練り上げられた、神々による壮大な計画だったということです。
つまり、宇宙人たちが、地球をよりよくするために、愛と平和のために派遣した、エージェントだったということです。
おそらく本人は、若いころは、そんなことは知らずに、ただガムシャラに生きていたと思います。
そして、晩年になってから、自らの正体や使命に、改めて気が付いたのだと思います。
万次郎が、普通の人間ではなく、神々から協力にサポートされていた状況証拠が、いくつかあります。
これは、万次郎が14歳の時に嵐に遭い、黒潮で無人島に漂着した時の話です。
ご存知のように、「鳥島」という無人島で5か月間、アホウドリの卵などを食べて、サバイバルしていたのですが、最近、万次郎本人の意識から、直接教えてもらったのですが、この島は特別な神の島でした。
「鳥島」の上空からの航空写真です。
島の地図です。
万次郎たちが上陸した地点が、赤い矢印で示されています。
何かに、そっくりではないですか?
そうです。
エジプトの女神、「ハトホル」です。
エジプト神話で、天空と愛の女神ですね。
「スフィンクス」でもあると思います。
愛と豊穣の女神なので、「イナンナ」であり、「聖母マリア」でもあり、日本では、「稲荷神」です。
神奈川県の箱根白山神社には、「ハトホル」の岩が、御神体で置かれています。
これですね。
ちゃんと、目や鼻や口までありますね。
写真を水平にすると、顔がよくわかると思います。
「ハトホル」ですね。
これからわかるように、万次郎は、「聖母マリア」のサポートを、特に受けていた人物だと思います。
偶然、漂着したと思っていた鳥島という無人島は、実は、「ハトホル=聖母マリア」の化身だったのです。
万次郎を、大きな愛で、受けとめていたのです。
さらには、一見、自然現象に見えた、「嵐」も「黒潮」も、「聖母マリア」の化身だったということです。
ここで、シュメール文明の女神、「イナンナ」について、ちょっとだけ復習しておきましょう。
「イナンナ」の壁画です。
ヘルメットを被っていますね。
日本では、「縄文のビーナス」ですね。
世界中の「女神伝説」の主役は、ぜんぶ、この「イナンナ」だったのではないかとも、言われています。
様々な時代に、タイムトラベルしていき、そこの土地に合わせた姿で、「女神」となって、人間をサポートしてた痕跡が、残っているのです。
高度な宇宙人は、自分の姿を、洋服やアクセサリーみたいに、自由自在に変えられるのです。
これが、一番有名な「イナンナ」の像ですね。
「いかり肩」や「逆三角形の頭」や「細長い目」という共通項があります。
さらに、「子供を抱いている」のが特徴です。
「イナンナ」は、今から、2000年くらい前に、中近東にも現れたようです。
その時の人物が、「聖母マリア」なのです。
この聖母マリアが、「イエス・キリスト」を産み、「キリスト教」を広めたようです。
この時は、シンボルは、ヘルメットではなく、布を頭から被っています。
そして、長年の間に、地球人類の間に、彼女を慕う人々が増えてきて、世界中の「マリア信仰」に繋がったとも言われています。
同様に、「子供を抱いている」や「布を被っている」という共通の特徴がある「慈母観音」も、「イナンナ」だと思います。
コンセプトが似ている存在は、皆、同じ神様なのです。
前述のシュメール文明の石像を、もう一度見てください。
「イナンナ」の顔、「キツネ」に、そっくりではないですか?
昔の日本人で、「イナンナ」を見た人は、他にピッタリ当てはまる動物がいなくて、一番姿が似ている、「キツネ」だと認識して、それが全国に広まったんじゃないかな?
「稲荷(いなり)=イナンナ」
音も、そっくりですね。
昔から、日本の各地で、
「狐の嫁入りを見た!」
という目撃談がありますが、それは、「イナンナ」が、部下を引き連れて歩いていたのを、たまたま、目撃したんじゃないでしょうか?
これは、あるお祭りで、女性がキツネのお面を被って、花嫁衣裳を着ている姿です。
「イナンナ」が、上記のような素の顔で、頭からヘルメットのようなものを被って歩いていたら、こういう姿なんじゃないでしょうか?
そもそも、もしも、「動物霊」が、それほど偉い存在なのであれば、なぜ、「キツネ」と、いつも、ペアで登場する、「タヌキ」の神社が、極端に少ないのでしょうか?
なぜ、「狐の婿入り」の姿は、見た人がいないんでしょうか?
こう考えていくと、
「お稲荷さん=イナンナ」
この説は、かなり状況証拠が整っているように思えてきます。
また昔から、
「稲荷=イエス・キリスト」
こういう説もありましたね。
たしかに、十字架にかけられた時のキリストの名前は、「INRI」ですね。
これは、読み方によっては、「イナリ」と発音するそうです。
この名前は、母親である「聖母マリア」の本名なのです。
「イナンナ」
これが、その名前の真意だったのです。
「イナンナ」のグループには、息子である、「キリスト」も含まれるのです。
さて、ここからが面白い話になります。
驚愕の真実が、最近わかりました。
先週、ジョン万次郎の本を読んだ時に、気がついたことです。
なんと、万次郎は死ぬ間際に、わざわざ、「孀婦岩」に船で行っています。
やはり、なにかを知っていたみたいです。
子孫の方たちは、
「万次郎は、死ぬ間際に、久しぶりに、捕鯨でもしたくなって、その島の付近に行ったのではないでしょうか?」
と、本などで述べていますが、違うと思います。
この島は、万次郎が漂着した「鳥島」の隣にあります。
東京から、かなり遠いです。
よほどの理由がないと、ここまでは来ないと思います。
海底には、2000メートルくらいの岩がそびえ立ち、さらに、その先の海上には、約100メートルのオベリスクのような岩が、切り立っています。
この「孀婦岩」は、別名、「ロトの妻」といって、旧約聖書の名前が、地名についています。
「ソドムとゴモラ」の話ですね。
つまり、古代核戦争の話です。
日本列島の中で、旧約聖書の地名がついていいる土地は、この島だけみたいです。
去年、伊豆大島に行った時に知ったのですが、実は、この島には大変な秘密があります。
絶対に、ある角度からの写真は公開されていないのです。
この写真が世間に知られると、日本中がパニックになるからです。
18世紀に、この島を訪れた西洋人たちも、「観音様」のような彫刻だと記述していたそうですね。
しかし、実際は、もっと凄いです。
日本という国家の正体は、「聖母マリアとキリスト」が、サポートしている国だったのです。
この高さ100メートルくらいの岩は、なんと、反対側の隠された側面には、「聖母マリアとキリスト」の彫刻がされているのです!!
これは、イメージ画像ですが、まさに、こういう彫刻が刻まれていのです!
万次郎は、やはり、イナンナであり、稲荷神でもある、「聖母マリア」の存在からのサポートを、受けていた人物だったのです。
「キリスト意識」を持った人物の一人だったということです。
ここでの「キリスト意識」という言葉の意味は、特定の個人の意識ではなく、
「決して死なない、蘇る永遠の魂」
という意味です。
「神意識」と言い換えてもいいかもしれません。
万次郎は死ぬ間際に、「聖母マリア」に、お世話になったお礼を言いに行ったのだと思います。
「キリスト意識(神意識)」は、いろいろな時代に様々な土地に、必要に応じて出現していますが、その意識が、特に人々に伝えたいメッセージは、おそらく一言で表現すると、「愛」だったのだと思います。
昔は、現在のように、学問も広く普及していなかったので、人々が神々に、
「愛って何ですか?」
こう質問した時に、
「聖母マリアとキリスト」、つまり、「母と子」の像を見せて、
「愛とは、親子の結びつきのことですよ」
と、やさしく説いたのだと思います。
そして、その「愛」の真意は、人間が想像するような狭い意味の「愛情」の意味ではなく、死別しても、また何度も再会する広い意味の「永遠の愛」のことだと思います。
次回、「生まれ変わりツアー」、感動のフィナーレです。
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