見えない鎖
先月、福岡県でもセミナーを開催しました。
参加された皆さん、ありがとうございました。
懇親会でも、いろいろな話題が飛び交い、楽しい時間を過ごしました。
新しい出会いもあり、また九州方面に行きたくなりました。
懇親会の後、博多駅前のイルミネーションを見ながら、散歩しました。
その翌日は、スケジュール的に、あまり時間がなかったので、近くの神社に小旅行に行きました。
スマホで調べて、ピンのきたのが、ここでした。
「香推宮」という神社です。
ここは、初めて訪れたのですが、宇宙考古学的にも興味深いものが、たくさんありました。
腕の太い狛犬です。
こんな姿、初めてみました。
一本角があるので、「エンキ」ですね。
「扇塚」と書かれていました。
これは、「扇の形をしたUFO」の意味も含んでいると思います。
太古の時代、ここにも、「アヌ王」が来ていたのだと思います。
扉には、菊の紋章に、波か雲のような模様がありました。
どういう意味かな?
境内の摂社には、「鶴」のマークがありました。
シュメールの文明に登場する神々の中では、「翼」のあるグループで、「アヌ王」と「エンリル」だと思います。
ここで、オマケの話です。
日本の空には、「鶴」のマークの「JAL(日本航空)」があります。
これは、「鳥類」がシンボルである、「エンリル」のグループだと思います。
それから、もう一方には、「ANA(全日空)」もありますね。
40代以上の方は、知っていると思いますが、昭和の時代には、この会社のロゴマークには、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」が設計したヘリコプターが、尾翼に描かれていました。
宇宙考古学では有名な話ですが、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は、実は、「レプティリアン(爬虫類人)」の宇宙人でした。
だから、「ANA」は、爬虫類の宇宙人で、「爬虫類」がシンボルで、「亀」のシンボルなのです。
「エンキ」のグループです。
だから、日本の空は、
〇「エンリル」=「鳥」=「鶴」=「日本航空(JAL)」
〇「エンキ」=「爬虫類」=「亀」=「全日空(ANA)」
こうなり、「鶴」と「亀」が統べっているのです。
シュメール文明の宇宙人ファミリーが、ここでも、「エンリル」と「エンキ」の兄弟が登場するのです。
面白いですね~!
拝殿の前の扉です。
右側にある石像が、気になりました。
形が、男根型なので、「アヌ王」だと思いました。
裏側から見ると、「カラス」でした。
これは、「八咫烏」の意味だと思います。
やはり、反対側から見ても、「アヌ王」でした。
御神木が、圧倒的な存在感で境内の中心に、ドーンとそびえたっていました。
参拝しました。
小雨が降りやんだので、空を見上げると、とても綺麗な虹が出ていました。
こんなに綺麗な虹を見たのは、久しぶりでした。
「虹」というのは、「生まれ変わり」の意味もあるそうです。
「生まれ変わる」というのは、
「新しい自分に進化する」
という意味です。
そして、さらに、その「進化」の意味は、
「視点が一つ増える」
ということです。
大げさな意味で、解釈しなくてもいいのです。
その日の一日で、何か一つでも気づきがあったら、それは、もう昨日の自分とは違い、新しい自分に、生まれ変わっているということです。
それまでとは違う、そのたった一つの視点が、人生を劇的に変えるということは、よくあることです。
「生き方の自由度が、大きくなる」
と言い換えてもいいと思います。
よく学び、いろいろなことに気づく人は、毎瞬、毎瞬、生まれ変わっているのです。
ここからが、本題です。
この時期になると、いつも思うのは、人間というのは、やはり、社会的な生き物なんだということです。
たくさんの人が、自分の人生を、「義務感」で動いているのです。
例えば、こんなかんじです。
「クリスマスの夜には、愛するパートナーと、一緒に過ごさないといけない」
「大晦日までには、家を大掃除しなくてはいけない」
「年内までに、年賀状を出さなくてはいけない」
「正月は、実家に帰り、親に元気な顔を見せなくてはいけない」
「初詣に、行かなくてはいけない」
「正月は、親戚の家に、挨拶に行かなくてはいけない」
こうやって、法律で決められているわけでもないのに、自分で自分を縛り付けるのです。
人生というのは、こういう、「~しなくてはいけない」という「義務」が増えると、つまらなくなります。
反対に、「~したい!」という権利を増やすようにすると、楽しくなるのです。
朝起きて、一日のスタートを始める時に、
「ああ…、今日は、あれも、しなくてはいけない、これも、しなくてはいけない…」
こう思いながら、「義務」のことを考えて、起き上がる人と、
「よーし! 今日は、あれも、やりたいし、これも、やってみるぞー!」
こう思いながら、「権利」のことを考えて、起き上がる人では、180度違う一日を、生きるのです。
宇宙存在、「バシャール」が、昔、本の中で「豊かさ」の定義を、こう書いています。
「豊かさとは、自分がやりたいことを、やりたい時にできる才能をいう」
本当にそうだと思います。
いくら、お金や権力があっても、やりたいことを、やりたい時にできない生活をしていたら、自由ではありません。
「お金」、「時間」、「自由」
この三つのうちで、「自由」が最重要だと、私は思っています。
だから、どんなに儲かりそうなビジネスでも、どんなに給料のいい職場でも、「自由」を感じられないものであれば、魅力は感じません。
「バシャール」の本を読んでから、27年以上になりますが、この間、好きなことだけやるようにしています。
嫌いな事や我慢することは、なるべくやらないようにしてきました。
すると、人生がうまく流れ始めたのです。
「そんなことでは、生きていけないよ。人生は甘くないよ」
こう言って、説教してくる人も、たくさんいましたが、そういう人は、あれから行き詰ったり、苦しい人生を歩んでいるようです。
20世紀までは、「我慢」や「辛抱」、それから、「義務」で動くのが、よかったのかもしれませんが、21世紀は、もう流れが変わっています。
21世紀は、「好きなこと」や「「ワクワクすること」、それから、「権利」で動くと、うまく生きていける時代になっているのです。
「好きなことが、わからない…」
よく、こういう悩みを聞きますが、そういう場合、まずは、
「嫌いなことは、なんだろう?」
こう考えるのです。
すると、そちらのほうは、よくわかるのです。
例えば、先ほど挙げた、何十年も続けてきた、年末年始の慣例の中に、
「これは、やりたくないな…」
こう思っているものが、いくつかあると思います。
「義務感」で、ズルズルと続けてきたことです。
まずは、それを止めてみるのです。
「せっかく、長期の休みが取れたのに掃除なんか、やりたくないな…」
そう思ったら、年末の掃除を、やらなければいいのです。
そして、その時間を、映画を観に行ったり、旅行に行ったりすればいいのです。
この場合、全く止めるのもいいのですが、そうやって、極端な行動にはしなくてもいいのです。
「年内に、大掃除しよう!」
と思うから、きつくなるのです。
「1月3日までに、ある程度は片付けよう」
「1月10日くらいまでに、部屋を少しだけ綺麗にしよう」
こうやって、期間を延ばしたり、8割がたを片付ければ、終了でもいいのです。
「どうせ、また散らかるから、掃除も腹八分目で止めよう」
こういう考え方もあるのです。
柔軟性をもって、生きるのです。
こうすれば、人生は楽になります。
生きづらくなったり、人生で苦しんでいる人は、その大半が、「完璧主義」なのです。
「目に見えない義務」によって、自分自身を縛っているのです。
その縛りは、たとえると、「目に見えない鎖」です。
「目に見えない鎖」
これによって、自分で自分を苦しめているのです。
もうそろそろ、そういう、「ドM」で、「マゾ」の生き方は、終わりにしませんか?
「真正のマゾ」の人であれば、それでも、いいと思いますが、ほとんどの人が、いつのまにか、社会から、軽く洗脳されているような状態になっているのです。
今からでも、その流れを変えることは、すぐにできます。
「もう、この見えない鎖を外すぞー!」
こうやって、この鎖に気が付き、外そうと思えば、すぐにでも、自分で外せるようなものなのです。
その鎖には、鍵なども付いていないのです。
考えてみれば、20代の頃、ほとんど意味のない、社内の人たちへの年賀状を書くのに、物凄い時間を費やしていました。
同じ課のメンバーに手書きで、住所や氏名などを、間違えないように書くのですが、正月明けに、すぐに顔を合わせます。
しかも、半分くらいの人は、お礼も言いません。
そして、一度書いてしまったら、翌年も、その翌年も、書き続けなくてはいけなくなりました。
それが、だんだん苦痛になってきました。
引っ越しをキッカケに止めたのですが、それを止めただけで、年末に自由な時間が、とても増えました。
そして、ほとんど毎年、年末年始にかけて、一人旅ができるようになりました。
旅先から、本当に好きな友人たち数名だけに、絵葉書などを出すようにしました。
「意味のない年賀状」よりも、そういう、「味のある絵葉書」のほうが、10倍以上も、喜ばれました。
そして、正月明けは、その絵葉書の話を元に、旅のお土産話をしながら、友人たちと楽しくランチしました。
現在でも、紙の葉書による年賀状は書いていません。
こうやってブログを書いて、読みたい人だけに読んでもらっています。
それで、いいのです。
親しい友人たちは、私の年末年始のブログ記事を読んでから、メールなどで挨拶を送ってきます。
年賀状のやり取りを止めたくらいで、縁が切れるような間柄は、そもそも、本当の友人ではないのです。
人生は、長いようで短いです。
嫌いなことを、やっている時間はありません。
好きな人と、好きな時間を過ごすようにすれば、自然と幸福感を感じられるのです。
私たちの社会は、「見えない鎖」だらけです。
繰り返しになりますが、
「ワクワクすることをしよう!」
そう考える前に、まずは、
「ワクワクしないことをやめよう…」
こう考えることが、大切なのです。
自分の全身を拘束している、「見えない鎖」を、まずは、
パキーン!!
という音とともに、外すのです。
それから、本当に自分らしく生きることが、できるようになるのです。
福岡空港から羽田空港に帰る前に、短い時間でしたが、キネシオロジーの後輩である吉良さんと、久しぶりにお茶しました。
同じ、「ドクター本間キネシオロジー」を学んだ門下生です。
その席の前にあった椅子には、またまた、「象」の絵が描かれていました。
最近、「象」のシンクロが多いです。
何かあるのかな?(笑)
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札幌セミナー ~魂の設計図~
いよいよ、今度の日曜日、札幌セミナーが開催されます。
あと2名様で、申し込み締め切らせていただきます。
受講をご希望方は、お早めにご連絡ください。
いろいろな生き方の講座がありますが、
「魂(本当の自分)の今生での設計図は、どうなっているのか?」
これを知っているのと知らないのでは、やはり、生き方が違ってきます。
この機会に、ぜひ自分の人生の大まかなブループリント(青写真)を、確認してみてください。
他にも、ブログやメルマガなどのインターネット上では、書けなかったことなども、このセミナーでは話せます。
いろいろな話を深く語りあえるのを、楽しみにしています。
<札幌セミナー ~魂の設計図~>
〇日時:2018年12月16日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分
〇場所:TKP札幌カンファレンスセンター ミーティングルーム 6E
〒060-0003 北海道札幌市中央区北3条西3丁目1-6 札幌小暮ビル 6F
TEL:011-251-6202
https://www.kashikaigishitsu.net/facilitys/cc-sapporo/access/
〇内容:仕事こと、恋愛や結婚などの人間関係で悩んでいる方、そして、本当に幸せな人生を生きたいと思っている方に、オススメのセミナーです。
最初に、簡単なキネシオロジーを覚えていただき、その後、それを使って、自分の心の奥底を見つめるワークをやります。
特に、人生において大きな岐路(ターニングポイント)を迎えたと感じている方に、ぜひ受けていただきたいです。
「トーマ流の生き方講座」みたいな内容になると思います。
「運命は、決まっているのか?」
「自分が現在やってる仕事は、本当に魂が望んでることなのか?」
「ライフワークは、いつ頃見つかるのか?」
「自分が付き合っているパートナーは、本当のソウルメイト(運命の人)なのか?」
「本当のソウルメイトには、いつになったら出会えるのか?」
こういうことを、キネシオロジーで遊びながら、確認してみてください。
〇定員:12名 定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。
〇受講料:2万円
お振込み方法などは、別途メールでご連絡いたします。
〇その他:脚を上げるワークもやるかもしれないので、女性の方はズボンスタイルでお願いします。
ペットボトルの「お水」も、1本持ってきてください。(お茶やジュースは、不可です)
セミナー終了後、懇親会も予定しています。
こちらも、時間や場所などは、別途ご連絡いたします。
☆参加ご希望の方は、私、トーマまでメールお願いします。
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トーマ
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茨木市の旅
私は、昨日も喫茶店で、アイスコーヒーを飲みながら、大好きな書籍や漫画を読みふけっていました。
おそらく、今日も、そうだと思います。
何かの本で、
「人間は、18歳前後にやっていたことを、その後も一生続ける」
と書いてありました。
青春時代に、やっていたことが、本当に好きなことで、それは生涯あまり変わらないということです。
「全ての偉大なものは、青春時代につくられる。その後の人生は、注釈にすぎない」
これは、たしか、ゲーテの格言だったと思います。
つまり、それくらい、若いころにやっていたことは、自分の本質に近いということです。
大人になって、本当のワクワクが、わからなくなっている人は、
「自分は、18歳前後の頃、何が好きで、何が嫌いだったか?」
と考えてみると、そこにたくさんのヒントが、隠れているかもしれません。
私の場合は、18歳から20歳くらいまで、予備校で浪人生活してましたが、やはり、喫茶店で、アイスコーヒーを飲みながら、本や漫画ばかり読んでいました。
当時、一番好きだった漫画は、「三国志」でしたが、最近になって、ハマったのも、やはり、中国の戦国史である、「キングダム」でした。
あとは、1人旅も大好きだったし、映画や筋トレも好きでしたね。
たしかに、あまり変わってませんねー
逆に、変わったものもあります。
一番変わったのは、お酒を飲まなくなったことです。
あれだけ、大酒のみだったのに、現在は一滴も飲みません。
アルコールは、私の人生には、もう必要のないものかもしれません。
私の人生において、最も変わっていないのは、旅好きだということです。
この5年間は、おそらく今までの人生で、一番旅行した期間だったと思います。
半分以上が地方滞在で、ホテル暮らしでした。
海外は行きませんでしたが、国内をたくさんまわりました。
どこも面白かったのです。
毎回どの旅行も、どんな映画よりもドラマチックな展開になります。
今回は、大阪府茨木市での小旅行にについて書きますね。
この旅も、面白かったです。
ミニ旅行記の前に、もう少し、「旅」について書きます。
何回か書いたのですが、大切なことだと思うので、もう一度掲載しますね。
数年前の話です。
故郷の沖縄で、学生時代からの友人、T君とトライブしていた時に、私が、
「やっぱり、沖縄っていいな~」
と言ったら、彼が、
「イタルは、観光で来ているから、そう思うんじゃないかな? 同じ沖縄でも、ここで、毎日仕事して生活していたら、あまりそういうふうには思わないな…」
と言ったので、
「なるほど…」
と思いました。
学生の頃、沖縄に住んでいたのですが、学生時代は、それほど沖縄が楽しいとは、思っていませんでした。
しかし、観光で東京に行ったら、凄く楽しかった記憶があります。
その後、東京に就職して、サラリーマンとして仕事をしていたら、今度は、それほど、東京での毎日が楽しいとは、思わなくなりました。
このことから、
「場所」
という要素で、楽しさが決まるわけではなく、
「観光か? 仕事か?」
という心の姿勢という要素で、楽しさが決まっていたことが、わかりました。
なぜ、「観光」は、楽しくて、「仕事」は、楽しくないのかというと、それは、「仕事」には、「責任」や「義務」、それから、「使命感」、「しがらみ」などが存在しているからだということに、気がつきました。
これらの要素を、全部無くす必要はありませんが、なるべく少なくして、日常を、「観光」の気分で過ごせば、毎日が楽しくなると思いませんか?
「いい意味での無責任」の心理状態になれば、毎日が楽しくなるということです。
そうなのです。
観光が楽しいのは、その土地に、責任や義務がないからなのです。
遊んで帰るだけだから、楽しいのです。
「今日は、何をしなければ、いけないのか?」
という課せられた義務を、考えるのではなくて、
「今日は、何をして遊ぼうか?」
という主体的な権利で考えるから、一日が楽しいのです。
ということは…
住んでいる土地に関係なく、自分の人生の全てを、「観光」という認識に切り替えると、人生そのものが、楽しくなるということです。
簡単に言うと、人生の目的や使命を、一種の「ビザ」のようなものと、考えてみるのです。
例えば、アメリカなどの外国に入国するのは、「パスポート」と一緒に、「ビザ」があります。
この「ビザ」には、その国の学校で勉強するために入国する、「学生ビザ」、仕事をするために入国する「、労働ビザ」などがあります。
人生の目的や使命を「修行」にしたい人は、「学生ビザ」でしょう。
「奉仕」にしたい人は、「労働ビザ」です。
すでに、運命の相手が待っていて、そのパートナーと出会うことが、メインの目的である人だったら、「配偶者ビザ」かな?
でも、そうではなく、
「ただ純粋に、この世界を楽しみたい! たくさん遊びたい!」
と言う人は、「観光ビザ」にすればいいのです。
このビザは、人生の中で、きつい修行をしたり、厳しい学びをやらなくてもいいビザです。
仕事にこだわることもないし、才能を発揮する必要もありません。
外国に、「観光ビザ」で入国した場合、一生懸命、職探しをして働く必要もないし、きつい勉強もしなくてもいいです。
やることは、ただ、毎日散歩したり遊んだり、その土地の食べ物を味わったりするだけです。
「何かをしなくてはいけない」
という束縛から、完全に逃れている状態ですね。
やることは、
「その日、その瞬間、いろいろな状況を味わい楽しむだけ」
という身分です。
観光客は、いろいろなことを体験して味わうだけです。
それに、必要以上の意味づけや使命感などもちません。
だから楽しいのです。
いつの時代でもどこの国でも、その土地を一番楽しんでいるのは、旅人であり、観光客です。
旅や観光には、目的もなければ、使命もありません。
気ままに楽しくワクワク、毎日を訪れた土地で生きています。
目的や使命を持ちたい人は、もってもいいと思いますが、一方で、こういうものに、こだわりすぎて、人生がつまらなくなっていることも、多いということです。
「ワクワクすることが見つからない… 本当のワクワクがわからない…」
という人は、無意識で、「ワクワク」に、「目的」や「使命」を結びつけて、難しく考えてしまっているのです。
そういう人には、「観光」という生き方、人生哲学をススメます。
特に、これまで、がんばりすぎた人たちは、人生の折り返し地点あたりで、バケーションのように、何も考えずに、「観光して楽しむだけ」という生き方をしても、いいのではないでしょうか?
「観光ビザ」が、
「この世界で、一番多くの光を観ることができるビザ」
なのです。
「あなたの人生の目的や使命は、なんですか?」
と質問されたら、
「サイトシーイング(観光)!」
と答えたらいいのです。(笑)
さて、ミニ旅行記です。
大阪府滞在の初日は、大阪市でのセミナーの開催でした。
この日のテーマは、「魂の設計図」でした。
「キネシオロジー」を学んで、習得しながら、自分の心の奥底にある本当の気持ちを、見つめましょう!」
こういう趣旨の内容でした。
参加された皆さん、お疲れ様でした。
このセミナーを受講して、さっそく、本来の自分に気づき、いろいろと動き始めている方も多いみたいですね。
セミナー終了後に、記念撮影しました。
その日の夜は、JR大阪駅の近くで一泊して、翌日の朝から、茨木市に向かいました。
どうして、今回は、この街にしたのかというと、前日のセミナーの懇親会で、ある方から、
「大阪では、茨木市の神社にも、面白い神社がたくさんありますよ」
こういう情報を教えていただいたからでした。
ホテルからの朝の景色です。
ホテルのロビーで、友人と待ち合わせして、一緒にJR茨木駅に向かいました。
気が付いたのは、この街のシンボルマークが、「鳥」だということです。
つまり、太古の時代に「アヌンナキ」の一族の拠点だった土地だということです。
あちらこちらに、そのシンボルがあります。
「八咫烏」でもありますね。
最初は、「疣水神社(磯良神社)」という所に行きました。
「水」の文字が入っているので、「エンキ」の拠点でもあったと思います。
そして、私は、すぐに、宇宙考古学的に、「犬」も文字が入っているとから、ここは、シリウスから来た宇宙人グループである、「ゲル」の拠点でもあったと推察しました。
エジプトの「アヌビス神」に似た犬神様ですね。
鳥居の前で、記念撮影です。
ここの水、凄かったです。
その日は、身体にちょっとした切り傷があったのですが、この水を飲んだら、翌日、傷口がかなり改善されていました。
全国各地の水を飲みあるきましたが、ここまで目に見えて効果を感じたのは、ここが初めてでした。
また、飲みに行きたくなりました。
さすがに、「イボという皮膚病に効果がある」と言われている水でした。
小さな敷地ですが、境内には、とてもいい氣が流れていました。
拝殿で参拝しました。
なんと、御神体が、「ほら貝」でした!
これは前述したように、「ゲル」という犬の姿をした宇宙人が、日本では主に、山に住んでいた、「山伏」と交流したからだと思います。
奈良県の「キトラ古墳」の中にも、犬神を描いた壁画があります。
昔の日本には、こういう姿の神様がいたのです。
「山伏」という単語は、「山」と「人」と「犬」で構成されていますね。
「山にいて、人の姿をした犬神」と交流していた人たち」
という意味だと思います。
「ほら貝」を吹く音は、その犬神である「ゲル」の遠吠えに似ていたようです。
つまり、山伏たちが、ゲルに会うときの合図の音だったようです。
シンボルには、複数の意味が含まれていることが多いです。
他にも、何かに見えませんか?
私には、「ロケット」に見えました。
世界中で、太古の時代のロケットは、発見されています。
これは、有名な「キリストとUFO」の絵です。
「ほら貝」の形に似たUFOですね。
キリストが、十字架に磔になった時に、現れたといわれてるUFOが、この神社の御神体なのです。
いや~、最高に面白いですね~!
これだから、宇宙考古学は、やめられないんだよな~!
新しい発見をした後で、境内での記念撮影です。
この摂社に祀られている神様の名前も、興味深いですね。
次に向かった神社は、ここです。
「新屋座天照御魂神社」という名前です。
ここも、御祭神が興味深いです。
拝殿です。
「三つ巴」のシンボルです。
「補陀落渡海」と「天照派」ですね。
これについては、またいつか、ゆっくり書きますね。
拝殿の裏にある祠から、凄いパワーを感じました。
拝殿の隣には、小さな公園がありますが、砂場の形が、「六角形」です。
これは、「古代ユダヤ文化」のシンボルでもあります。
大陸から渡ってきたばかりのユダヤ人たちが、ここも拠点にしていたという意味だと思います。
その次に向かったのが、この神社でした。
神社の入口にあった案内板です。
先ほどの神社と同じ名前です。
入口付近には、大きな石碑もありました。
これも、「補陀落渡海舟」の意味だと思います。
鳥居の前で記念撮影しました。
ここで、この名前の文字を見たときに、ようやく意味がわかりました。
「屋」は、「土地」という意味もあるそうです。
つまり、「坐」の意味がわからなかったのですが、これも、「補陀落渡海」の意味です。
「小舟の中で、僧侶が、何十日もの長い時間座っていた」
という意味なのです。
まとめると、この神社は、
「昔、補陀落渡海舟に乗った、天照派の僧侶たちが、新しい土地を目指して、小舟の中で長い時間座って航海していた時の記念の場所であり、その行為をした人々の魂を尊ぶ所」
という意味なのだと思います。
境内です。
拝殿で参拝しました。
近くには、いくつかの摂社もありました。
「大海神」と書いてあります。
「星(大・☆)からやってきた海の神様」
という意味だと思います。
「エンキ」ですね。
その前にある石像のようなものは、「小舟」を表現していると思います。
「補陀落渡海」です。
近くにあった建築物です。
扉が三つありますね。
「宇宙からやってきた、三つの魂、植物と動物と人間」
の意味ですね。
「天照派」の拠点です。
この傍にも、面白い形をした石がありました。
私には、「エンリル」のシンボルである、「スフィンクス」、それから、「エンキ」のシンボルである、「プロビデンスの目」を合わせたシンボルに見えました。
記念撮影です。
境内にも、「補陀落渡海舟」の石碑がありました。
最後に立ち寄ったのが、この神社でした。
ここは、当初の予定にはなかったのですが、帰りの駅から近かったので、寄ったのです。
その名もズバリの「茨木神社」です。
鳥居の前で、記念撮影しました。
貫禄がありますね。
拝殿で参拝しました。
拝殿の天井近くには、「鶴(鳥)」のシンボルがありました。
そして、屋根には、「二体の狛犬」もいました。
ハイ!
これらは、「アヌ王(アフラ・マズダー)」と二人の息子たち、「エンリル」と「エンキ」の意味ですね。
やはり、この街は、「アヌンナキ」の一族の拠点だったようですね。
参拝の時に、見知らぬ女性が、私に近づいてきて、
「あのー、間違えていたら、すみません。もしかしたら、精神世界の鉄人のブログを書いているトーマさんですか?」
こう質問されたので、そうだと答えると、
「やはり、そうでしたか? いつもブログを読んでいます!」
こう言われたので、ビックリしました。
そして、
「もしも時間があったら、せっかくなので、一緒に神社参拝して、そのあと、皆でお茶しませんか?」
こう誘いました。
それから、その方に、この神社の拝殿の裏側も、案内していただきました。
境内の裏側の土地は、凄いパワースポットでした。
その日の神社を、全て巡り終えて、皆で打ち上げをしている写真です。
新しく仲間に加わった方と、ツーショットです。
なんと、この方は、去年、北海道を一緒に旅行した友人の友人でした。
奇跡的な出会いでした。
どんな出来事も、宇宙が、完璧に仕組んでいるんですね。
ご存知のように、私が旅行する時は、
「行き当たりバッチリ!!」
それから、
「一寸先は光!」
この二つをモットーに、行動します。
それが、毎回、素敵な出会いや出来事、面白いシンクロ、それから、「ミラクル(奇跡)」を、生むのです。
特に、二番目は大切です。
「一寸先は闇」だと思うから、「闇」に出くわすのです。
「一寸先は光」だと思っていれば、人生は、「光」だらけになるのです。
冒頭に書いたように、
「自分の人生は、観光ビザだ!」
と思っていれば、「光」しか見ないのです。
「闇」も、悪くはないのですが、もうそろそろ、「闇」ばかりのドロドロのレッスンには、疲れてきたんじゃないですか?(笑)
この世界においては、まだまだ、「闇」を、全く無くすことは、難しいと思います。
でも、これからの未来においては、「闇」は、極力減らし、隠し味のように使うくらいが、いいような気がします。
やはり、人間の生き方としては、「光」を全身に浴びて、軽やかに歩いていくのが、楽しいし、自然なような気がするのです。
今回も、たくさんのプチミラクルを感じた、小さな旅でした。
この旅の間に、「観た光」を、こうやって、ブログで旅行記を書き、たくさんの方たちと、分かち合うことができるのが、現在における、私の最高の喜びです。
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日本海シークレットツアー 8 宝
日本という国は、太古の時代から、大陸と交流していましたが、その中心は、「日本海」でした。
その頃は、まだ帆船だったので、ユーラシア大陸からアジアを中心に、人々が日本に来ていたようです。
そのグループが、のちに渡来人や帰化人になり、日本にも大きな影響を与えています。
日本史の舞台が、「太平洋」に移ったのは、わりと最近で幕末の頃からです。
ペリー提督の黒船がやってきて、横浜などの関東地方を拠点にしました。
アメリカ大陸から、わざわざ、大海原を越えてやってくることができたのは、19世紀にイギリスではじまった、産業革命で蒸気船が発明されたからです。
このように、日本列島は、四方を海に囲まれていて、いつの時代も、常に外国との交流をやってきています。
それは、双方にとって、有益な商取引など、ポジティブな交易もあったと思いますが、侵略や略奪などが目的で、やってくるネガティブな出来事も、たくさんあったと思います。
日本には、長い歴史によって培ってきた文化が、たくさんありますが、それによって、蓄えた富、つまり、お宝もたくさんあるみたいです。
その中でも、一番の宝物は、日本史上最大の謎だと言われている、「徳川の埋蔵金」だと思います。
旅行記の最後は、この話題です。
基本的な考えとして、埋蔵金などの宝物は、海岸線には隠さないようです。
すぐに、外国勢力の船が略奪しやすいからです。
だから、この宝も、おそらく、「日本海」からも、そして、「太平洋」からも遠い土地に、隠されているはずです。
ということは、「海なし県」と言われている内陸に、その宝はあるはずなのです。
いろいろな噂や説がありますが、今回は、私の個人的な視点と推理を、紹介しましょう。
旅行記に入る前に、まずは、「徳川家康」という人物、それから、日本の戦国時代から江戸時代あたりまで、宇宙考古学的な視点から、おさらいしておきましょう。
今から、400年以上前に、「関ケ原の合戦」がありました。
よくよく考えてみてば、不思議な戦いです。
「どうして、同じ日本人同士が、日本を真っ二つにするくらいの勢力に分かれて、権力争いを、やったのだろうか?」
学校の社会科の授業で、この戦のことを知ってから、ずーっと疑問に思っていました。
旅行記の前半でも書きましたが、再度書きます。
太古の大昔から、たくさんの宇宙人が、地球に来ていたようですが、その中でも、「ゲル」と「ぺル」が、とても大きな影響を地球の歴史に与えていたようです。
「ゲル」という宇宙人
巨人族の宇宙人で、ピラミッドなどの建設に関わった。
「アヌビス」という神様が代表的な姿です。
「ぺル」という宇宙人
一般的には、「グレイ」と呼ばれている宇宙人で、宇宙人をイメージするイラストやアニメなどにも登場するので、なじみがある方も多いと思いますが、恐竜から進化した宇宙人です。
日本では、沼地に棲む、「河童」が、まさにグレイだそうです。
グレイのように、爬虫類・両生類から進化した宇宙人は、「ペル」と、呼ばれているそうです。
最近の陰謀論では、「レプティリアン(爬虫類人)」とも呼ばれます。
ゲルとぺルは、価値観の違いから、仲は良くなかったようです。
宇宙全体の歴史まで遡ると、太古の大昔、オリオン座のあたりで、この二つのグループの大きな戦争も、あったそうです。
この二つのグループの対立が、地球において、人間の戦争にも、間接的に関係していたようなのです。
例えば、「ギリシャ」と「ペルシャ」の戦争なども、この二つのグループの争いが、関係していたようです。
日本でも、この二つの宇宙人グループの対立が、大きな争いに影響したことが、たくさんあったようです。
「ゲル」は、どちらかというと、「山地」に住んでいたそうです。
日本では、主に、「山伏」が、彼らと交流していたようです。
だから、「山」と「人」と「犬」の文字なんですね。
一方の「ぺル」は、「平地」に住んでいたそうです。
沼や池、川などに住んでいたそうです。
まれに、海などにも住んでいたグループもいたようです。
つまり、「山」で、狩猟や採集で生活していた「縄文人」は、どちらかというと、「ゲル」の支配下にあったようなのです。
そして、「平地」で、農耕で生活していた「弥生人」は、「ぺル」の支配下にあったと、推察できます。
「ゲル」 VS 「ぺル」
という構造が、日本では、
「縄文人」 VS 「弥生人」
という対立になったようです。
さらに、この対立が、
「平家」 VS 「源氏」
になっているようなのです。
調べている時に、
「どちらがゲルで、どちらがぺルなんだろう?」
とても迷ったのですが、調べているうちに、だんだんわかってきました。
おそらく、音的には、「源氏」が、「ゲ」から始まるので、「ゲル」。
「平家」は、「へ」から始まるので、「ペル」というのが、最初の流れだったのかもしれません。
しかし、詳しく調べていくと、この両者はとても複雑で、長い歴史の中では、グチャグチャに混じってしまい、見分けがつかなくなってしまう流れになっているようです。
ご存知のように、日本の将棋は、持ち駒というのがあって、味方が敵になったり、敵が味方になりますね。
ちょうど、そんなかんじで、途中からわからなくなっているようです。
大陸と違い島国は、このように白黒が付けられないことが、多いのです。
それでも、1600年の頃の「関ケ原の合戦」の時代あたりを、無理やり二つに分けてみました。
すると、「ゲル」と「ペル」のグループが、当初と入れ替わっているように感じました。
実際には複雑ですが、便宜上簡単に分けてみました。
「平」という文字が、「一」と「八」と「十」から、「一八十(いわと)」になります。
つまり、「平家」のほうが、「岩戸」つまり、「山の民」なのです。
どちらかというと、最初の頃は、主に、「山」に住んでいたのだと思います。
「源」という文字は、「三水(さんずい)」と「原」ですね。
つまり、「水」と「原っぱ」です。
「平地の民」ですね。
「源氏」のほうは、主に、「平地」に住んでいたようです。
決定的なのが、「源頼朝」の存在でした。
「源頼朝は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である」
という辞書の記述で、わかったのです。
「征夷大将軍」というのが、「夷を征伐する軍人たちの総司令官」の意味なのです。
「夷」という文字に、全ての謎を解くキーワードが、隠されていたのです。
これは、「一」と「弓」と「人」で、構成されている文字です。
「手を一杯に広げて弓を引いている人」という意味です。
「狩猟する人」という意味になり、「縄文人」になるのです。
「ゲル」のグループなのです。
混乱してきましたか?
わかりやすくまとめると、「征夷大将軍」というのは、
「縄文人(ゲル)を、やっつけるための大将」
だという意味です。
「源氏(弥生人)が、平家(縄文人)を、やっつけようとしていた」
という証拠が、「征夷大将軍」という単語なのです。
「ぺル」 → 「弥生人」 → 「源氏」
「ゲル」 → 「縄文人」 → 「平家」
簡単にまとめると、おおまかな流れですが、だいたいこういうことです。
「征夷大将軍というは、山の民である縄文人を、やっつけるための親分だった」
と覚えておけば、わかりやすいと思います。
いろいろな見方ができますが、実質的に、最後の征夷大将軍だったのは、「徳川家康」だったと言われています。
1600年の「関ヶ原」が、「縄文人」と「弥生人」の最後の決戦だったようです。
興味深いことに、日本人は、指の指紋を見れば、
「縄文系か? 弥生系か?」
というのが、わかるそうですが、ある学者が調べた結果、ちょうど、「関ヶ原」のあたりで、二つのグループの比率が、半々になるそうです。
ここが、まさに、「天下分け目の合戦」の場所だったのですね。
日本では、「ゲル」と「ぺル」のグループは、この時に、一番大きな争いをやったということです。
結果は、「ぺル(弥生人)」のグループが、「ゲル(縄文人)」のグループに、勝利したということです。
これらの話は、仮説の段階ですが、状況証拠のようなものが、少しづつ出てきています。
たとえば、「ぺル」のグループの流れだと思われる、徳川家康が晩年に、グレイタイプの宇宙人と、コンタクトしていたという記録が、残っているのです。
江戸時代後期の書物、「一宵話」の第一巻には、
「肉人なる怪物が、家康の居城であった駿府城に現れた」
という記録が残されているそうです。
書物によると、1609年(慶長14年)旧暦4月4日の朝、駿府城の庭に、異様な姿をした怪物が現れたそうです。
その怪物は、目も鼻もなく、手には指もなかったそうです。
そして、その怪物が、天に向かって指をさし何かを訴えていたそうです。
将軍が住む城のため警備は、万全なはず。
なぜこのような怪物が城に迷い込んだのか、誰にもわからなかったそうです。
困った家臣が、仕方なく、家康本人に相談したところ、
「人目のつかぬ所に、追い出しなさい」
と言ったそうです。
家康自身は、その怪物と知り合いのようで、まったく、取り乱していなかったそうです。
それから、怪物は、城から離れた小山に追い出されたそうです。
UFO研究家のあいだでは、この肉人なる怪物は、妖怪の類ではなく、グレイのような宇宙人ではなかったか、と推察されているそうです。
他にも、徳川家康は、埼玉県の伝説によると、
「森のなかで、空飛ぶ籠にのった人物に会っていた」
という話も、残っているそうです。
このことからも、徳川家康は、やはり、「ぺル」のグループだったと思うのです。
これは、若い頃の家康です。
「レプティリアン(爬虫類人)」だったといわれています。
手だけが、シェイプシフトして、色が違っている場面だという説もあります。
さらに、面白いことに、同じように、「ぺル」のグループだと思われる、イギリスのエリザベス女王が、同じグループである、徳川家康を、「関ケ原」の合戦で、後方支援していたことが、わかっているのです。
歴史学者たちの間でも、
「どうして、エリザベス女王は、家康をサポートしたんだろう?」
と、疑問に思っている人たちも、多いようですが、
「同じ宇宙人グループの仲間だったから」
と考えると、納得がいくと思います。
一説によると、「エリザベス女王」の「エリザベス」という名前の意味は、「新しいトカゲの誕生」という意味だそうです。
「ぺル」の宇宙人グループが、イギリスのエリザベス女王に、
「同じぺルのグループである日本の徳川家康を、助けに行きなさい!」
と、アドバイスしていたのかもしれませんね。
エリザベス女王1世です。
「関ケ原」の秘密が、少しづつ解けてきましたね。
同じ日本の中に、まったくルーツの異なる、二つのグループがいたということです。
この戦いは、日本人同士が、お互いを誤解しながら、戦ったわけではなく、もっと根深い問題だったのです。
日本を支配していた、二つの宇宙人グループの対立が、この戦の本質だったということです。
もう一つオマケで、面白い話をしますね。
江戸幕府の第5代将軍、徳川綱吉が、有名な「生類憐みの令」という法をつくったのは、ご存知だと思います。
学生時代、社会科の授業で、初めてこの話を聞いた時、
「なんだ? このアホな法律は? 人間よりも、お犬様が偉いなんて、綱吉って、本当のバカだったんじゃないか? 周囲の家来も、どうして止めなかったんだろう?」
素朴な疑問がわいてきました。
たくさんの人も、同じように思ったと思います。
しかし、「宇宙考古学」を学び、「ゲル」と「ペル」のことがわかったら、全ての謎が解けたのです。
つまり、江戸幕府をつくった、徳川家は、「レプティリアン(爬虫類人)」である、「ペル」のグループでした。
負けて、「長州」や「薩摩」に拠点を置いたグループは、「犬」から進化した、「ゲル」のグループです。
家康の子孫である綱吉は、家康から、
「徳川家の5代目くらいで、負けたほうの犬のグループであるゲルの勢力が、復讐しにくるかもしれないので、その頃には、彼らをサポートしている犬神を、人間以上の存在として、大袈裟に敬いなさい。そうすれば少しは、彼らの復讐心も緩和されると思います」
こういう遺言を、伝えられたのかもしれません。
だから、あれだけ、「犬」を敬ったということです。
「戦争の回避」のための法律が、「生類憐みの令」だったということです。
再び、
「ゲル」 VS 「ぺル」
という大きな戦にならないように、あの時点で、精神的な布石を打ったということです。
これは、私の考えた仮説ですが、どうですか?
辻褄があうでしょう。
関ケ原で負けた方のグループは、その後、「長州」のあたりに拠点をつくっていたようです。
その後、250年くらいして、幕末の頃に、また権力を取り戻したそうです。
これらの歴史の流れは、「シンボル」が目安になります。
あくまでも、目安にすぎないのですが、「シンボル」というのは、その意味の中に、「変わらないもの」というニュアンスを含むのです。
つまり、企業のロゴマークが、流行とともに、たまに、コロコロ変わるのに対し、キリスト教のシンボルである、「十字架」は、まず変わりませんよね?
そういうことです。
だから、これを注意深く観察すれば、ある程度のことは、わかるはずなのです。
「平家」の家紋です。
このシンボルから、「平家」は、「アゲハチョウ」が、シンボルだったことがわかります。
さらに、よく見ると、「ゲル=縄文」でもあったということが、この家紋からわかります。
チョウの頭部が、エジプトの「アヌビス」に似ているのがわかりますか?
さらに、四枚羽は、「ぺル&エル」のハイブリットである、「アヌンナキ」の一族を象徴しています。
頭部が、「ゲル」で、身体が、「ぺル」と「エル」のハイブリッドだったことから、「平家」というのは、「ゲル」を含んだ、三つのグループが混じっていた可能性が大きいです。
ただし、頭部が、「ゲル」なので、リーダーは、「ゲル」だったのかもしれません。
同じく、「関ケ原」の時に、「ゲル」のグループで、西軍の総大将だった、「毛利輝元」の家紋です。
私には、これが、三角形のピラミッドの上空に、細長い葉巻型の母船が滞空しているように見えます。
ピラミッドを建設した「ゲル」のシンボルですね。
興味深いのは、石田三成の旗に描かれている模様です。
真ん中の文字の一つが、「大」と「一」の二つの文字を組みわせて、「犬」と書かれているのが、わかりますか?
これには、様々な解釈があるそうですが、私には、そのまま、「犬神」である、「ゲル」を現しているように見えます。
「大」が、三つあるので、「三つの☆(星)」、つまり、「オリオン」のグループである、「ぺル」とも関係があったのかもしれません。
さらに、石田三成の被っていた兜です。
兜の角は、「アヌビス」の尖った耳の形に似ていますね。
動物の毛で覆われ、名前も、「黒熊」と呼ばれていたりして、思いっきり、「ゲル」を表現しています。
このことから、やはり、「西軍」の「毛利」と「石田」は、「ゲル=縄文人」のグループだったことがわかります。
一方の「源氏」は、「葉っぱ」がシンボルです。
平地で原っぱに住んでいた河童をイメージすると、いいかもしれません。
こちらは、「ぺル=弥生人」だったことがわかります。
この代表的な家紋の名前も、「笹竜胆」という名前で、「竜」の漢字が入っています。
「レプティリアン」で、「爬虫類人」ですね。
「ぺル」です。
「関ケ原」の時に、「ぺル」のグループであり、「東軍」だった、「徳川家康」と「豊臣秀吉」も、そうだったことがわかります。
家康の家紋です。
「葉っぱ」ですね。
秀吉の家紋です。
こちらも、「葉っぱ」ですね。
そして、現在は、政党に関係なく、総理大臣のポジションに着く人物が、政治的な発言をする場合、その台にも、「葉っぱ」のシンボルがあることに、気が付いた人も多いと思います。
このことから、現在、日本の政治に、陰で強い影響を与えているのは、「ぺル=弥生」のグループだということが、これでわかりますね。
意外なのは、「織田信長」です。
信長は、なんと、七種類の家紋を使い分けていたと言われています。
「葉っぱ」と「アゲハチョウ」の両方も使っていたようです。
さらに、本当の家紋だと言われている五芒星のようなシンボルも、見ようによっては、これまた、「葉っぱ」と「アゲハチョウ」の混じっているデザインにも見えます。
これです。
つまり、信長は、「ゲル=縄文」と「ぺル=弥生」との間に入って、バランスを保つ役割だった、「エル」のグループだった可能性が大きいのです。
そういえば、他の武将と違い、信長は、かなり芸術的な面にも、力を入れていましたね。まさに芸術を重んじた、「エル」の活動をしていた証拠だと思います。
なんとなく、武闘派のイメージが強いのですが、実は、いろいろなバランスを考えながら、平和な世の中を願っていたのかもしれません。
こうやって、それぞれのシンボルである、家紋や旗印などを見ると、日本の歴史の大まかな流れがわかって面白いですね。
これは、余談です。
だいぶ前に、読者の方から教えていただいたのですが、新潟県には、お祭りで、「ゲル」と「ペル」の二つの宇宙人が登場する劇のようなものがあるそうです。
「ゲル」です。
「ペル」です。
凄いですね!~
やっぱり、新潟県は、ただごとでない文化が、たくさん隠れていますね。
さて、ここから本題に入ります。
諸説ありますが、「徳川の埋蔵金」の話で、一番可能性が大きいと言われている土地が、栃木県日光市にある、「日光東照宮」です。
旅の最後は、ここでした。
東武日光駅です。
紅葉が綺麗でした。
ここが入口ですが、入場チケットをチェックしているのは、警察官かな?
それとも、制服が似てるだけで、ガードマンなのかな?
いずれにしても、他の神社や寺と比べて、とても厳重な警備だということは、間違いありません。
境内には、価値のある建造物が、たくさんあります。
この建物の彫刻を見て、驚きました。
ハイ!
青森県の岩木山に刻まれた、「マンモス」ですね~!
ここにも、いたのですね~!
有名な「三猿」です。
ここは、手水舎ですが、この天井のあたりの彫刻が、ユニークでした。
見てください!
背中から羽の生えた龍です。
この姿の神獣は、珍しいですね。
「羽」と「龍」で、「エンリル」と「エンキ」が融合したシンボルの意味だと思います。
手水舎の柱です。
豪華ですね。
ここにも、逆さになった狛犬がいました。
東照宮が、青森県の岩木神社と、深い繋がりがあることがわかりますね。
この先からが、さらに豪華な建築物が多くなります。
またもや、警察官のような係の人が、入場者を、チェックしています。
「東照大権現」ではなく、草書体では、「天照大権現」になっています。
「天照派」の拠点だったということです。
詳しいことは割愛しますが、徳川家康は、このグループだったようです。
彫刻の下のほうには、「補陀落渡海」の絵が描かれています。
やはり、この史実は、日本史において、最重要な出来事だったようです。
「キジ」ですね。
「鳥の姿をした神様」で、「アヌ王」です。
「狛犬」です。
これは、口が閉じているので、「エンキ」です。
こちらは、「エンリル」です。
凄く豪華ですね~!
近くで見ると、ため息がでるくらいです。
この鳥の正体も、「アヌ王」です。
首が曲がっているのは、「頭部が円になっている神様」の意味です。
旅行記の最初の頃に書いた、「ゾロアスター教」の最高神、「アフラ・マズダー」を思い出してください。
有名な「眠り猫」です。
この先に、「徳川家康の墓」があります。
階段を登っていくと、お墓がありました。
威厳があります。
「鶴(エンリル)」と「亀(エンキ)」が、統べっています。
徳川家康の棺が、この宝塔の下に、400年前からあると言われています。
中の設計図とかは、一切門外不出だそうで、詳しい事はわからないそうです。
宝塔の形は、八角形の形をしています。
「八」の数字は、「アヌンナキ」の一族のシンボルですね。
結論だけ言いますが、「エンリル」と「エンキ」の共通の孫娘が、「イナンナ」で、この女神は、「聖母マリア」でもあり、日本では、「稲荷神」です。
そして、その「イナンナ(聖母マリア)」の息子が、「イエス・キリスト」なのですが、数年前から、古代史マニアの間では、
「家康」=「イエス」
この仮説が、静かに囁かれています。
「いえ~ゃす」=「イエス」
だということです。(笑)
冗談みたいな話ですが、いろいろな状況証拠から、私は、家康は、イエスの生まれ変わりだったと思っています。
ここで、また余談です。
織田信長 「鳴かぬなら 殺してしまえ ほととぎす」
豊臣秀吉 「鳴かぬなら 鳴かしてみせよう ほととぎす」
徳川家康 「鳴かぬなら 鳴くまで待とう ほととぎす」
有名な俳句ですね。
戦国武将たちの性格を、よく表していると、言われています。
他にも、松下幸之助さんは、
「鳴かぬなら それもまたよし ほととぎす」
と言ったという話を、どこかで聞いたことがあります。
あと、名前は忘れましたが、あるトップビジネスマンは、
「鳴かぬなら 鳴く鳥さがせ ほととぎす」
と言ったそうですね。
この中の徳川家康の句は、ただ黙ったまま、何もしないで、待っていたわけではないと思います。
長期的な戦略を練って、周到に準備して、周りが勝手に動くように、いろいろな策略を張り巡らせて、待っていたのだと思います。
何もしないで、待っていようと思うのは、庶民の発想です。
権力者たちは、誰よりも動かないと、物事を成し得ることはないとわかっています。
運などには、頼らないのが、成功者や権力者なのです。
もし、家康が現在生きていたら、「ほととぎす」を、人工授精させたり、クローン技術まで使って、「確実に鳴くほととぎす」を、人工的に確実に創っていたと思います。
そして、どこかの山奥で養殖場みたいなものをつくり繁殖させ、それから、タイミングを見て、メディアと組んで、「ほととぎすブーム」をつくり、大儲けしたと思います。
権力をもった人たちは、ここまでやるのです。
私が、家康を評価するのは、
「戦わずして勝つ!」
という姿勢を、常にもっていたからです。
仕方なく、戦うことはあったようですが、なるべく戦いたくないと思っていて、それを、ポリシーにしていたようです。
「武将は、戦場に着いた時点で、すでに負けている。なぜなら、戦場では、生き残る可能性が、すでに50%まで、下がっているからだ。本当に賢い武将は、戦場に行かない。この戦場に行かないという戦いが、最も大切な戦いなのだ」
こういうことを、言っていたようです。
他の武将たちも、もしかしたら、そう思っていたかもしれませんが、家康は、それを明言したところが、凄いのです。
それまでの戦国武将が、
「どう戦って勝つか?」
を主眼においていたのに対し、
家康は、
「どうしたら、戦わずにすむか?」
これを重視していたのです。
日本史だけでなく、世界史上でも、こういう姿勢だということを、ハッキリと明言したのは、家康が、最初だったのではないでしょうか?
地球文明という大きな激流のなかで、
「戦って勝つのは下策。戦かわずして勝つのが上策」
この流れをつくった最初の人物が、家康かもしれません。
家康は、関ケ原の合戦の後、江戸幕府をつくりますが、その時も、敵だった武将たちを、皆殺しにしたりしませんでした。
それをやると、また恨みを買い、復讐劇が起こるからです。
そのかわり、遠方に住まわせて、「外様大名」として、「参勤交代」などを義務づけて、勢力が大きくならないようにしたりしました。
「士農工商」などの制度も、日本の権力をお金と権力が、一握りのトップに集中するような「ピラミッド型」にしないようにしたのも、外国からの侵略を、避けるためだったようです。
外国のようなピラミッド型だと、王様や貴族が、外国勢に服従してしまうと、あっという間に、国家をのっとられたからです。
日本の江戸時代は、いろいろと分散させています。
武士は、権力はあるが、金はない。
商人は、金はあるが、権力はない。
農民は、食べ物はあるが、他はない。
職人は、技術はあるが、他はない。
こういうふうに、外国勢が、どこの階級と付き合えば得なのか、さっぱりわからないようにして、侵略を防いだのです。
江戸時代が、長い間平和だったのは、こういう知略が、効果的に続いていたからみたいです。
パチンコで、絶対に勝てる方法が、あるでしょうか?
あるかもしれませんが、ほとんどが詐欺でしょう。
また、パチンコで、高級車を買ったという話は、たまに聞きますが、家を建てたという話は、あまり聞きません。
競馬などのギャンブル系は、ぜんぶそうだと思います。
長期的な期間で見れば、まじめにコツコツ稼ぐ労働以上に、儲かるギャンブルは、ないのです。
このように、パチンコや競馬などのギャンブルで、確実に勝てる方法はありませんが、絶対に負けない方法というのは、実はあるのです。
それは…
「パチンコや競馬を、やらない」
ということです。
パチンコ屋さんや競馬場に行かなければ、勝つこともありませんが、負けることもありません。
当たり前のこですが、これを知らない人が、意外と多いのです。
家康の姿勢は、こういう意味なのです。
この家康の姿勢は、現在の日本にも、しっかりと受け継がれています。
戦争に、絶対に勝てる方法があるでしょうか?
おそらく、無いと思います。
しかし、戦争に絶対に負けない方法というのは、あるのです。
そうです。
「戦争をやらない」
ということです。
この精神が、「日本国憲法 第9条」にある「戦争の放棄」なのです。
いろいろな解釈があるようですが、私は、そう思っています。
「口先だけで、平和を守れるのか?」
という議論がありますが、この精神は、
「口先だけで、平和を守ってみせる!」
という決意なのです。
ずば抜けた知性がないと、これは実行できません。
日本が、戦後いろいろありましたが、直接は戦争に関わらずに、また国内での地上戦がなかったことからも、日本人というのは、
「戦わない」
という戦いを、ずーっと続けてきたことがわかります。
その戦いは、最初に、徳川家康が始めた、戦い方だったのかもしれません。
外国人は、日本の「平和憲法」は、あくまでの建前であって、本音は、いざとなったら、戦争する気だと思っている人も、多いみたいです。
しかし、日本人の大半は、本音でも戦いたくないと思っている人が、多いと思います。
その根本的な違いは、世界史上で、大きな戦争を体験しない時期が、何百年も続いたという経験をもっている国が、少ないからだそうです。
どの国も、歴史を振り返れば、定期的に、大きな戦争を、やっているのです。
これが、日本の場合、江戸時代も、長く戦争をやっていないし、平安時代も、そうだったみたいです。
さらに、縄文時代には、もっと長いこと、大きな戦争を、やっていなかったようです。
だから、日本人のDNAの中には、
「恒久平和が、自然な状態であり、世界平和は可能である」
という確信があるのだそうです。
えっ?
徳川の埋蔵金の話は、まだですかって?
言い忘れていました。
日光東照宮の話題になってから、実は、ずーっと、徳川の埋蔵金を、写真で紹介していたのです。
この世界は、同じ景色を見ていても、どういう視点で眺めるかで、見える景色は、まったく違ってきます。
前述した徳川家康の墓の前に、立て看板があり、そこには、目立たたないのですが、
「唐銅製の宝塔」という記述があります。
そして、そこには、
「金と銀と銅の合金である」
と書かれていました。
わかりましたか?
この「合金」という表現が曲者です。
この三つの割合は、まったく書かれていないのです。
金:銀:銅=1:2:7
かもしれないし、
金:銀:銅=2:3:5
かもしれません。
しかし、ここで、想像をたくましくして、極論で考えてみてください。
もしも…
金:銀:銅=8:1:1
だったら、どうでしょうか?
もしくは、実際には表面だけ、薄く銅がメッキされていて、
本当の割合は…
金:銀:銅=10:0:0
なのかもしれません。
そうなのです。
「日光東照宮」=「徳川の埋蔵金」
だったということです!
まだ、わかりませんか?
埋蔵金など、どこにも隠してなどいなかったのです!
よく、テレビの都市伝説などでは、
「群馬県の赤城山に、徳川家康の埋蔵金がある」
と言って、そこを掘ったりしていますね。
しかし、よく考えてみてください。
20世紀から、金属探知機などは、かなり進化しました。
現在の21世紀の最先端の軍事技術があれば、軍事衛星などからでも、いろいろな国が、こんなものすぐに、探知して探し出すことはできます。
だから、「隠す」ということに意味はないのです。
どんなに隠してもバレという状況の場合、やることは、一つだけです。
堂々と、白日の下で、世界中の人々の目に見せつけるのです。
しかも、絶対に盗まれない方法で。
もう一度、この旅行記の記事を、振り返ってみてください。
そもそも、日光東照宮の土地だけで、いくらすると思いますか?
それから、世界中からやってくる観光客からの観光収入は、総額でいくらになると思いますか?
そして…
境内の中で、無数の建物に彫り込まれている、桁外れの純金の量…
もう一度、この狛犬を見てください。
この狛犬、内部もすべて純金だったら、いくらすると思いますか?
天文学的な金額ですよ~!
これだけで、ヨーロッパの小さな国が、一つ買えるくらいだと思いますよ。
こういうことに、気が付かない人のことを、昔から、「節穴」と言っています。
「節穴」とは、「本質を見抜く力がない」ことを表現していますね。
その対義語は、「物事の本質を見抜く目」のことで、「炯眼(慧眼)」と言うそうです。
ぜひ、たくさん勉強して、「炯眼(慧眼)」をもつようにしてください。
私も、5年くらい前は、何も知しませんでした。
しかし、5年間、古代史や宇宙考古学を、夢中で学んでいるうちに、どんどん視界が広くなり、いろいろなものがクリアに見えるようになりました。
おそらく、これだけの宝の山だから、警察官が常駐しているのだと思います。
それにしても、さすが、家康ですね。
「宝」というものは、ずば抜けた価値があるために、それをめぐって、周囲の人間が争うことになることが多いと思います。
現代でも、遺産相続の時に、家族や親戚の間で、喧嘩したり、裁判をしたりしますね。
それを、観光地にして、たくさんの人々を、楽しませることまで、考慮に入れていたと思います。
ここまでくると、人間ではありませんね。
徳川家康という人物は、やはり、神人だったと思います。
さらに、気が付いたことがありました。
日本中の神社や寺をまわっている私には、「日光東照宮」の参道にある石が、とても大きいことに、違和感を感じました。
手に持ってみました。
わかりましたか?
この石の大きさと重さは、殺傷能力があるものです。
つまり、昔の時代、権力者が攻めてきたときに、丸腰の僧侶たちが、戦うための武器だったのだと思います。
高い場所から、投石されたら、凄い破壊力になります。
こういうことに、気が付くのも、「炯眼(慧眼)」なのです。
このように、「日光東照宮」そのものが、とんでもない「宝」なのですが、実は、もっと凄い「宝」が、わが国には、眠っているのです。
それが、最近のマイブームの「地上絵」にも描かれていたのです。
まず、この地図を見てください。
何の変哲もない、普通の地図ですね。
樹木を無くして、地形が剥き出しになった地図です。
わかりにくいので、地上絵を、赤ペンで囲ってみました。
ジャーン!
わかりましたか?
これは、いわゆる、「レプティリアン(爬虫類人)」と言われている宇宙人だと思います。
「エンキ」で「龍神」でもあります。
私には、「河童」にも見えます。
漫画のように、歯をむき出して、顔が怒っているようにも見えます。
「亀」のグループですね。
「日本海」の辺りから、ザブンという音とともに、日本列島に上陸しているようにも見えます。
驚嘆するのは、先ほどから書いている、「日光東照宮」は、この地上絵に描かれている河童のような姿の宇宙人の「脳」に当たる部分にあるのです。
そして、左手で、関東地方のある部分を、指さしているようにも見えます。
「指先」は、茨城県の「筑波山」のあたりみたいです。
「指し示しているのは、どこだろう?」
と思って、いろいろ考えたのですが、一つ思い浮かびました。
それは、千葉県の「成田空港」ではないでしょうか?
つまり、正真正銘、本当に凄い「宝」というのは、わが国、「日本」そのものなんじゃないでしょうか?
これだけ、国民の多くが、教育水準が高く、真面目で思いやりがあり、治安のいい国というのは、世界的に見ても少ないです。
おそらく、日本は、こういう点では、世界一だと思います。
しかも、文化的に価値のある歴史遺産も、たくさんあります。
食事も美味しいので、世界中から、観光客が毎日、山のように訪れています。
そうです。
「日光東照宮」などよりも、もっと凄い財産が、私たち「日本人」なのです。
日本には、もちろん、お金や土地など、「目に見えるような財産」も、たくさんありますが、もっと凄いのは、「目に見えない財産」です。
「奪われることのない財産」が凄いのです。
これだけ、賢くて勤勉な国民が、たくさん生活していること自体が、財産であり、「宝」なのです。
これは、古代から、「ユダヤ人」たちも、こういう財産を大事にするという話を聞いたことがあります。
彼らは、長い迫害の歴史の中で、土地や家などの「不動産」も奪われ、宝石やお金などの「動産」も奪われた経験から、唯一、奪われない財産は、「知識」だという教訓を、学んだのだそうです。
それで、ユダヤ人の親は、子供の教育に情熱を注ぎ、皆、優秀になるのだそうです。
そして、その結果として、お金や土地などの「目に見える財産」も、手にするというのが、本当のユダヤ人だそうです。
つまり、「金儲け」そのものを目的にせず、「知識の獲得」を大切にするのだそうです。
私は、セミナーなどで、
「日本人は、世界一の天才民族だ!」
と主張しています。
これは、ひろがなとカタカナなどの50音、さらに、高校卒業するまでに、漢字の数が、3万くらいが、ほとんどの日本人の脳に、データバンクされているからです。
さらに、中学くらいから英語を学びますが、これは、26文字です。
平均的な日本人は、ひらがな、カタカナ、漢字、英語を、バランス良く混ぜて、物事を考えたり、会話しているのです。
これって、とてつもなく凄いことなのに、日本に住んでいると、なかなかこの凄さに、気がつきません。
5ヶ国語を、自由自在に、操っているみたいなものです。
英語など、主語と述語の順番も違うので、これを学ぶと、かなりの頭脳トレーニングになります。
だから、日本人は、頭もいいし、いろいろな細かい作業などにも、向いているのだと思います。
子供の頃、
「どうして、アメリカ人の子供って、あんなに長い夏休みが、あるのかな? いいなー」
などと思っていましたが、大人になって、ようやくわかりました。
日本人は、漢字などを含めて、覚えなくてはいけないことが、山のようにあるのです。
日本で、高校を卒業しただけで、世界全体から見たら、天才なのです。
ちなみに、「漢字」を、書いていると自然に、「絵心」が身に着くそうです。
「英語」などの「表音文字」よりも、「漢字」などの「表意文字」のほうが、絵のセンスが、磨かれるということです。
だから、日本のマンガやアニメは、世界的にもレベルが高くなるみたいです。
こういうことは、なぜか、あまり話題になりませんが、日本語って凄いのです。
だから、世界全体で考えると、
「日本語を話せる」
というのは、凄い才能なのです。
これからも、こういう日本の魅力に気が付いた外国人が、日本にたくさん来るでしょう。
そして、たくさんのお金を落としていくでしょう。
これが、本当の日本の「宝」なのです。
「文化力」という「魅力」によって、これから先も、未来永劫、ずーっと富を生み出していけるのです。
これが、本当の豊かさなのです。
経済学のような狭い領域の学問では、推し量れない富なのです。
実は、日本は、世界一豊かな国なのです。
地上絵の「河童(エンキ)」は、こういうことを、私たち現代の日本人に伝えたくって、その姿を現したのかもしれません。
「日本の本当の宝は、成田空港からやってくる無限の富だ~!」
こう叫んでいるのかもしれません。
ちなみに、日本の将棋の中では、こうなります。
「エンリル」=「王将」
「エンキ」=「玉将」
詳しいことは、省略しますが、「宝」という文字を分解すると、
「宝」=「ウ冠」+「玉」
こうなりますね。
つまり、
「宇宙から来たエンキ(玉)のもの」
こういう意味になるのです。
そのまんまですね~!(笑)
さらに、旅行記の中でも、紹介しましたが、東北地方には、「奥羽山脈」として、「八咫烏」の地上絵もありましたね。
これです。
そして、「八咫烏」と「河童」の二つの超巨大地上絵をを合わせると、こうなります。
ジャーン!
見事に、「鶴(鳥)」と「亀(爬虫類)」が統べっていますね~!
では最後に、さらなる謎解きです。
「かごめかごめ」の童謡で、
「鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ?」
というのがありますが、これです!
ジャーン!
「鶴」と「亀」の後ろにあるのは、「日本海」です。
つまり、「神の目(プロビデンスの目)」だといことです。
いや~!
最大の謎が、綺麗に解けましたね~!
日本は、やはり、地球という惑星の中で、一番の「神の国」だったのです。
ふ~~~っ!
旅行記、とうとう最後まで書きあげました。
どうでしたか?
今回も、凄い内容だったと思います。
たくさんの方に、読んでいただきたい内容です。
日本人としての誇りが湧いてくるような、ワクワクする旅行記になったと思います。
ぜひ、ここに書かれている土地にも、遊びに行ってみてくださいね。
10月頃から、友人たちと、あるプロジェクトを始めました。
これは、秋田県の「エデンの園」の地上絵から、思いついたのですが、プロジェクト名まで決まっています。
その名も、「プロジェクト・絵殿」です。
「絵の神殿を皆で、まわろう!」
というかんじで、日本中の地上絵を見つけて、そこに遊びにいくだけのプロジェクトですが、これが、楽しくてしょうがないです。
このプロジェクトに共感した方、ぜひ、どこかで、合流してくださいね。
ちなみに、
「この名前は、どこかで、誰かがすでに使っていないかな?」
と思って、検索したら、昔、すでに使っていた人物がいました。
なんと、「聖徳太子」でした。
法隆寺の近くに、「絵殿」という建物があり、太子の建築だったそうです。
う~ん、ここでもまた、聖徳太子に繋がりましたね~!
では、恒例の締めの言葉です。
今回は、これです。
「重要なものは、目には見えないんだ…」
「そうだね」
「花だっておなじなんだ。もしあなたが、ある星のある花を愛したなら、夜、星空をながめるのが楽しくなるよ。全部の星に花が咲くんだ」
「小さな王子さま(別名:星の王子様)」山崎庸一郎訳
☆3タイプの宇宙人グループ、「ゲル」と「ペル」と「エル」については、私の著書に、さらに詳しく書いてあります。
まだ読んでいない方、ぜひ読んでみてくださいね。
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日本海シークレットツアー 7 鶴と亀
新潟県にも、古代史において、たくさんの隠されてきた秘密が、たくさんあります。
しかし、古代史、その中でも、宇宙考古学的な視点がないと、読み解けないものも、たくさんあるようです。
地球の歴史というのは、地球だけで完結していないのです。
宇宙からやってきた宇宙人たち(神々)の存在のことがわからないと、チンプンカンプンなことばかりなのです。
今回、私が訪れることによって、秘密のベールに覆われていた秘密も、少しづつ世の中に認知されることになると思います。
新潟の旅の二日目は、早朝から、皆で、車二台に分乗して、いくつかの土地をまわりました。
一説によると、新潟県の二大パワースポットとして、代表的なところは、
越後の一ノ宮=彌彦神社
越後の一ノ寺=國上寺
この二つだそうです。
彌彦神社には、前日に行ったので、二日目の翌日は、「國上寺」に向かいました。
着きました。
場所は、新潟県燕市国上です。
本堂です。
歴史を感じる造りですね。
この寺は、弥彦大神の託宣により建立された、越後最古のお寺だそうです。
開山当初は修験道だったそうですが、時代の権力者によって、法相宗、天台宗、真言宗醍醐派、そして、現在は、真言宗豊山派と、複雑な系列になっているそうです。
記念撮影しました。
大きいですね。
やはり、雪国の神社や寺の建物は、大雪に耐えられるように、丈夫で大きめの屋根で造られていますね。
堂内です。
御神輿のようなものが、置かれていました。
古代史マニアの方は、すぐにわかりましたね。
「補陀落渡海」の小舟の意味ですね。
このことから、補陀落渡海舟は、日本海でも、行われていたことがわかります。
一説によると、その小舟は、京都府の籠神社の辺りから、出航していたそうです。
紅葉が綺麗でした。
ご存知、「良寛さん」です。
「清貧の思想」として有名ですね。
ただし、調べてみると、良寛さんの清貧の生き方は、それを極めていたそうです。
普通の人が、簡単にできるようなレベルではなかったそうです。
たとえば、目の前の旅人が、嘔吐したものも、
「もったいない、もったいない」
と言いながら、感謝して食べたそうです。
このことからも、質素な生き方などというのは、簡単そうに見えて、実は、大変だということがわかります。
良寛さんの絵もありました。
余談です。
自分の欲望や欲求を満たし幸福を感じるには、大きく分けて、「植物型」と「動物型」のやり方があると思います。
「植物型」というのは、自分の欲望そのものを、なるべく抑えたり、低く設定することにより、幸福感を感じることです。
これは、仏教などでいう、
「足るを知る」
という精神でもあると思います。
要するに、贅沢をせず、なるべく質素な生活をするというやり方です。
「動物型」は、逆に、欲望そのものが増大しても、それを満たすために努力して、幸福感を感じるというものです。
欧米のビジネスマンなどに、このタイプが多いです。
なるべく、たくさんのお金を稼ぎ、社会的名声なども求めるというものです。
「植物型」について考えてみましょう。
これを、究極までつきつめれば、聖書でいう、
「何を得、何を食べようと、思い煩うことなく、野に咲く百合の花のように、天から与えられたものだけで、満足して暮らそう」
という生活態度になるのですが、実際には、なかなか、この境地に達することができる人は少ないです。
もし、できれば立派だと思います。
これは、私の個人的な見解なのですが、お釈迦様など出家した後は、多分、この「植物型」の生活だったと思います。
しかし、お釈迦様の出家については、たくさんの説がありますが、私が気が付いたのは、お釈迦様は、出家する前は、「シャカ族の王子様」だったということです。
かなり贅沢な生活をしていただろうと、推察します。
こういう贅沢を、とことん経験した後だったから、「出家」は、できたのかもしれません。
別の例を上げると、「ソニー」という企業の盛田会長なども、晩年、とても質素な「植物型」の生活をしていたようですが、やはりこれも、その前に、大変な贅沢な生活を、経験したからこそ、できたのではないかという気がします。
つまり、「植物型」は、あまり、一般的なやり方ではないということです。
特に、結婚して子供が生まれると、子供は「欲望の塊」なので、
「ママ、お腹がすいたー!」
などと、四六時中主張してくるので、それを無視して、
「小欲知足」
などと言ってはいられないと思います。
子育てが終わり、静かな老境に入った人たちは、こういう人生態度も考えた方がいいかもしれません。
「内なる心の幸福」を大事にするという態度です。
ただし、基本的に、人間は、「動物」なのです。
だから、やはり「動物型」の方が、自然なのではないかという気がします。
特に、若者にはこのやり方が合っていると思います。
自分で、自分の人生を切り開き、環境を良くし、成功を夢見て、努力するという生き方です。
私自身は、現在、52歳なのですが、このくらいの年齢だと、両者の中間ぐらいがいいのかもしれません。
最近では、
「いつかは、植物型に移行したいな…」
という気持ちもあります。
でも、やはりこれは、
「自分が、いままでに、けっこう贅沢な生活を、やってきた経験があるから、そういう考えになるのではないか?」
という気もします。
「人生は、お金ではない!」
という真実を知るためには、ある程度のお金は、必要なのかもしれません。(笑)
本堂の前には、六角堂もありました。
「酒呑童子」で有名な「鏡井戸」です。
そこから、ちょっと歩くと、また案内板がありました。
「香児山」の話です。
石を畳立てるようなこの地は
天香児山命 伊夜比古の神が鎮座されたところです。
天香児山命は、只今の弥彦大明神で、
古くは社がこの地にあり、
初代二代がこの地に鎮座されておりましたが
夏になると山が浅く、水が枯れてしまうため
現在の弥彦の地に三代目から鎮座されました。
こう書かれていました。
「香児山」=「弥彦神社の神降臨の地」
こういうことですね。
私は、すぐに、
「香児(かご)」=「籠(かご)」
これを連想しました。
「香児山」=「籠をもった神様の領地」
結果として、こうなるのです。
そうです。
「籠をもった神様」といえば、シュメール文明の一族、「アヌンナキ」です。
もう一度、「アヌ王」の絵です。
鳥の姿にシェイプシフト(変身)した姿です。
「鳥の姿をした神様たちが居た場所」のことを、「鳥居」というのだと思います。
「香児山」=「弥彦神社の神降臨の地」=「アヌンナキの領地」
やはり、こうつながるのです。
「五合庵」に着きました。
案内板によると、良寛さんが、47歳頃から約20年間、過ごした草庵だそうです。
気持ちのいい空間でした。
そして、吊り橋を渡り、展望台&公園へ向かいました。
見晴らしが、最高でした。
この寺の近くに、「乙子(おとご)神社」という名前の神社があったので、ここにも立ち寄りました。
おそらく、元々の意味は、「巳子神社」で、ここも、「蛇の子供の神社」の意味で、「アダムとイブ」を祀っていたのだと思います。
「己」という文字の形は、英文字の「Z」や「N」の文字に似ていますね。
これは、シュメール文明に出てくる、「エンキ」のシンボルマークです。
「亀」の彫刻ですね。
ちなみに、「鶴」が、羽の生えた鳥の神様で、「エンリル」です。
そして、「亀」が、爬虫類の神様で、「エンキ」です。
「獅子」である、「エンリル」の彫刻もありました。
他にも、「狛犬」である、「ゲル」の意味も含んでいると思います。
ここから、北の方角に、海岸線をドライブしました。
同行していただいた、地元の友人、安川さんから、
「この場所から、弥彦神社の神様が、新潟の地に上陸したと言われてます」
こう教えていただきました。
皆で、車を降り、海岸線を散歩しました。
日本海を眺める景色の中に、小さな突起物がありました。
これが、その上陸した記念碑のようなものだそうです。
こうやってみると、巨人が仰向けに寝転んでいるように見えます。
突起物が、「オヘソ」ですね。
頭部に、「目」や「鼻」や「口」もあります。
胸元のあたりに、「スフィンクス(ライオン)」が置かれています。
これが、全体像です。
お腹が膨れていて、満足そうに昼寝をしていますね。
右手のあたりには、波打ち際に、「ムチ」のようなかんじで、ちいさな岩が並んでいます。
「目」がギョロッと見開いていますね。
「スフィンクス」も、ちゃんと、「耳」がありますね。
わかりましたか?
「目がギョロッとしている」
「ライオンを抱いている」
「右手に鞭を持っている」
そうです。
シュメール文明の神であり、太古の時代に地球の最高神だった、「アヌ王」です。
これは、「ギルガメッシュ」という王様で、「アヌ王」の生まれ変わりだと言われています。
そして、この「アヌ王」の岩の近くに、また小さな岩が、二つ並んでいます。
そうなのです!
ここは、「日本海」における、「新潟県」と「佐渡島」を表現しているのです。
つまり、「アヌ王」と「エンリル」と「エンキ」の三人の親子です。
もう一度、この写真を見てください。
三頭の親子のドラゴンたちでしたね。
太古の昔から、この海岸には、岩によって、この三人の親子が形作られて、祀られていたのです。
ここから、さらにちょっと北上したところに、凄い岩がありました。
見えてきました。
凄いですね~!
思わず、
「おお!」
と叫びました。
私には、これは、シリウスからきた宇宙人、「ゲル」に見えました。
ちゃんと「耳」と「目」と「鼻」もあります。
岩から出ている植物が、「尻尾」にも見えます。
「犬」の姿の宇宙人ですね。
この辺りは、太古時代、「ゲル」の縄張りだったところだと思います。
以前にも紹介しましたが、この機会に、再度書いておきます。
「新潟県」には、他にも、面白い地上絵があります。
今回は、時間の関係で、行けなかったのですが、新潟県の南側になります。
まずは、普通の地図です。
次に、むき出しの地図です。
わかりましたか?
右側に、「ヘビ」がいるのが、わかりますか?
「エンキ」ですね。
オリオンから来た、「ペル」という宇宙人グループでもあります。
「アヌンナキ」の一族では、「エンキ」ですね。
日本では、「蛇神信仰」に関係しています。
「アラハバキ」という神様の正体が、これだと思います。
左側の「佐渡島」は、「N」や「Z」の文字に似ていますね。
シュメール文字で、「エンキ」のシンボルです。
「ペル」、別名では、「グレイ」も、エジプト文明の頃、人間と頻繁に交流していたようです。
シリウスから来た宇宙人グループ、「ゲル」。
それから、オリオンから来たグループ、「ペル」。
さらに、プレアデスから来たアヌンナキのグループ、「エル」」
新潟県には、これらの3タイプの宇宙人グループの痕跡が、ハッキリと残されているのです。
ここまで、ハッキリしているのは、新潟県が一番かもしれません。
一説によると、神社の数が一番多いのも、新潟県だそうです。
新潟県のあたりに住んでいた古代の人々は、とても心がやさしくて、宇宙から来た全ての神々を、平等に敬っているうちに、気が付いたら、いつのまにか、たくさんの神社が建っていた。
こういうことかもしれませんね。
この新潟県南部にある「ヘビ」の地上絵は、日本の古代先住民の神様である、「アラハバキ」でもあると思います。
「アラハバキ」について調べると、たくさんの解釈があります。
それだけ、歴史が古く、たくさんの側面がある神様ということです。
ここでは、シンプルで、わかりやすい説を、一つだけ紹介しておきます。
「アラハバキ」は、「まつろわぬモノ」と解釈された時代もあったようです。
ある学者によると、「アラ」は、「顕れる」の意味だったそうです。
そして、「ハバキ」の「ハハ」は、「蛇」の古語であって、「ハハキ」とは、「蛇木(ははき)」あるいは、「竜木(ははき)」だったようです。
古来、祭りの場で、直立する樹木を、蛇に見立て、これを置いていた時代もあったようです。
つまり、「蛇神」だったということです。
「アヌンナキ」の一族で、「蛇」のグループの「エンキ」ですね。
岐阜県の「位山」にある、「エンキ」の像です。
これも、「エンキ」です。
日本名は、「宇賀神」です。
古代の中国にもいました。
下の絵は、「伏羲氏と女媧図」という古代の中国の伝説に登場する神様です。
この二人の神様は、「伏羲」と「女媧」という兄妹です。
シュメールの神々では、「エンキ」と「ニンフルサグ」です。
「コンパス」と「定規」を持っていることに、注目してください。
ちなみに、これは、「設計」の意味です。
太古の昔から、いろいろな建築物を造る時に、この道具を使ったので、この二つが、シンボルになっているそうです。
他にも、「アラハバキ神」は、もともとは、「三位一体」だったとの説もあります。
「アラハバキ三神(荒吐三神)」とも、呼ばれていたそうです。
さらに、その三神は、
「天神」ー「地神」ー「荒吐神」
に、分けられたとも言われています。
「シュメール神話」に、この三神を当てはめると、こうなるようです。
「天神」=「アヌ王(天神アン)」
「地神」=「エンキ」
「荒吐神」=「エンリル」
「天神」の名前は、「ティンギル(天狗)」→「トンカル」→「トカル(東日流)」→「ツガル(津軽)」
と変化したという説もあるそうです。
そういえば、縄文時代の日本の共通語は、東北弁で、その中でも特に、津軽弁だったという話も、聞いたことがあります。
ここで、「新潟」という土地名に隠された暗号を、読み解いてみましょう。
一つ目の「新」は、訓読みでは、「あら」とも読みますね。
「アラハバキ」の「アラ」の音でもあると思います。
「顕れる」の意味も含んでいますね。
さらに、
「新」=「立(辰)」+「木」+「斤」
「辰」は文字通り、「龍」ですね。
これに、「木」が加わると、「龍の木」の意味になり、前述したように、「蛇木(ははき)」あるいは、「竜木(ははき)」になります。
そして、「斤」というのは、重さの単位です。
尺貫法の質量の単位ですね。
この世界の物事を、計測するときにつかうモノサシであり、「コンパス」と「定規」と同じ意味になります。
だから、「新」という文字には、「アラハバキ」という神様の意味が隠されているのです。
言い換えると、この神様は、「ヘビ」や「亀」などの「爬虫類」のグループであり、「エンキ」のグループのことなのです。
二つの目の「潟」という文字です。
「潟」の右側のつくりに、注目してください。
調べると、これは、専門的には、会意兼形声文字といわれていて、
「氵(水)」+「舄」
つまり、「流れる水」の象形と「かささぎ(鳥)」の象形から、
「かささぎが飛来してくるひがた」
の意味で、
「潟」
という漢字が成り立ったそうです。
「鵲(かささぎ)」です。
「カラス」の仲間です。
「舄」は、「烏(カラス)」の象形文字だったということです。
これをさらに、私なりに紐解いてみましょう。
シンプルに解釈してみますね。
「潟」=「三」+「舄(カラス)」=「三本足のカラス」=「八咫烏」
こうなるのです!
つまり、「新潟」には、「新しい八咫烏」という意味もあり、「アヌ王」がこの土地で、何か新しい計画を立てて、始めた場所だったという意味にもなるのです。
いや~!
面白いですね。
全部まとめますね。
「新潟」には文字の中に、二つ神々のグループの意味が、含まれているということです。
最初の「ヘビ」、つまり、「爬虫類」のグループは、「エンキ」と「ニンフルサグ」になります。
下半身が「ヘビ」の「蛇神」であり、「龍神」のグループです。
このグループは、日本では、「亀」のグループだと思います。
日本では、「アラハバキ」でもあります。
神社でいえば、「出雲大社」が、このグループの本部だった所です。
もう一方の「鳥」、「鳥類」のグループは、「アヌ王」と「エンリル」になります。
背中から翼を生やした、「鳥神」で、「天使」のグループです。
このグループは、「鶴」のグループです。
基本的には、この派閥が、「八咫烏」になります。
「伊勢神宮」が、ここの本部だった所です。
つまり、「かごめかごめ」の歌詞の中にある、
「鶴と亀が統べった場所」
それが、「新潟」なのです。
う~ん、新潟県、凄すぎますね~!
もしかしたら、太古の時代、異なった価値観である、「エンリル」と「エンキ」の二つのグループが、初めて和解して仲直りした、「愛の聖地」が、ここだったのかもしれません。
旅行記に戻ります。
私たちの一行は、「七面大王女岩屋」という所にも立ち寄りました。
日蓮聖人の像もありました。
ここには、巨大な一枚岩が、むき出しになっています。
写真からも、その巨大さがわかると思います。
洞窟のような空間もあり、祠がありました。
洞窟の中は、とても気持ちのいい氣が充満していました。
案内板です。
おそらく、ここも、太古の時代は、「世界樹」があって、その大木の化石が、この巨岩なのだと思いました。
見てください!
「柱状節理」ですね。
私たちは、この洞窟の後、気になってきた地名である、「胎内市」に向かいました。
読者の方から、教えていただいたのですが、「胎内」は、アイヌ語の「タイナイ(清い川の流れ)」の説があるそうです。
その街にある、これまた、ユニークな名前の「乙宝寺」にも立ち寄りました。
「ヘビの宝の寺」
という意味ですね。
入口です。
山門の前で、記念撮影しました。
なんと、「三十八」の数字が!
聖なるナンバーですね。
ここにも、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちが来ていたのだと思います。
ちなみに、
「イザナギ」=「エンキ」
「イザナミ」=「ニンフルサグ」
こうなります。
仁王像です。
この仁王像は、前述した海岸沿いの「アヌ王」の岩に、そっくりですね。
おそらく、「アヌ王」だと思います。
ギョロリとした大きな目が、「アヌ王」に見えます。
この建物は、私の目には、UFOに見えました。
暗くなってくると、下の黒い部分は見えなくなり、暗い空間の中で、朱い部分は、きっと浮き上がって見えると思います。
三重塔です。
「天照派」のシンボルですね。
これも、UFOだと思います。
太古の時代、こうやって、白い噴煙を上げながら、ここに着陸したのだと思います。
ちゃんと、三本足になっていますね。
口の開いている狛犬であることから、「八咫烏」の中でも、「エンリル」のグループだと思います。
「エンキ」の拠点の寺に、「エンリル」が訪れている場面ですね。
「鶴」と「亀」が統べっていますね。
本堂です。
境内を散歩しました。
「六角堂」です。
この建物も、UFOの意味だと思います。
こうやって、空中に浮かんでいたのだと思います。
ここの近くの摂社です。
「八所神社」という名前です。
「八」という数字は、「アヌンナキ」の一族のシンボルです。
珍しく、3本の注連縄です。
ハイ!
「アヌ王」ー「エンリル」ー「エンキ」
この3人の親子の龍神ですね。
ここでも、記念撮影しました。
「三つ巴」のシンボルマークです。
「天照派」であり、「イザナギ」と「イザナミ」、つまり、「エンキ」と「ニンフルサグ」のグループの拠点だったということです。
この日の最後は、「西奈弥羽黒神社」に向かいました。
ちょうど、「越後平野」の地上絵、つまり、「龍神」の絵の中で、「頭」にあたる土地です。
「村上」は、「村神」であり、反対にすると、「神の村」という土地名です。
「西奈弥羽黒神社」という名前も凄いです。
「西」は、「酉(鳥)」の文字に似ていますね。
さらに、「西の方角の土地」である、「シュメール」も意味しています。
「奈という文字には、なんと、「野生のリンゴ」という意味もあるのです。
「弥」は、御存じのように、「三頭のドラゴン」を表しています。
「羽黒」は、「カラス」ですね。
全部の意味を合わせると、この神社は、
「シュメール文明からやってきて、エデンの園でリンゴを栽培していた、八咫烏(アヌンナキ)の拠点」
という意味になります。
着きました。
階段を登っていきました。
拝殿で参拝しました。
凄い彫刻ですね。
何の絵かな?
私には、「日本海の荒波」に見えました。
太古の昔、日本海でも、大きな天変地異があったのだと思います。
裏山に行きました。
見てください!
明らかに、「ロケット」ですね~!
これは、シュメール文明の遺跡に描かれていた絵です。
遠くで、ロケットが飛んでいますね。
レバノンで発見された古代のコインにも、ロケットと発射台のような絵が刻まれていました。
どうして、この時代の宇宙船が、こういうクラシックな形をしているかというと、宇宙人たちというのは、その時代の地球人たちの集合意識を読んで、人々がショックを受けないように、彼らの好みに合わせて、宇宙船の姿を変えるからなのだそうです。
この時代の人々には、いろいろな理由から、「ロケット」の姿に見えたのだと思います。
記念撮影しました。
近くには、「八角形」の石碑もありました。
「アヌンナキ」のシンボルですね。
このロケットの正面には、山をカッティングして造ったと思われる、「メノラー」が形づくられていました。
これには、大感動でした~!
やはり、ここも、太古の時代、地球を支配していたシュメールの神々、「アヌンナキ」の一族の拠点だったところだったのです。
そして、「鶴(アヌ王&エンリル)」と「亀(エンキ&ニンフルサグ)」の二つのグループが統べった、「愛の聖地」でもあったのです。
綺麗な夕日を眺めながら、最後に皆で記念撮影しました。
お疲れ様でした~!
日本海側の旅行の最終地は、「栃木県」でした。
ここは、日本海からは、少し離れていますが、こういう内陸にある、「海なし県」と呼ばれている所には、古代から、かならず、宝物が隠されているものなのです。
なぜなら、海側に近いと、外国から来たグループに、船から簡単に、宝を略奪される可能性があるからです。
ここには、なんと、本当に「徳川埋蔵金」があったのです。
また、日本史の秘密の扉を開けちゃいますね。
次回、「日本海シークレットツアー」、感動のフィナーレです。
ギッ、ギギギギギ…
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日本海シークレットツアー 6 彌彦神社
「日本海」をネットで調べると、興味深いことがわかります。
以下は、ウィキペディアからの記事です。
中国における古称は、「鯨海(けいかい)」であった。
古代の日本では、「北海」と呼んでいた。
「日本書紀」の垂仁天皇2年是年条に、朝鮮半島から来た都怒我阿羅斯等が、穴戸(長門)を出て海路を迷ったあげく、「北海をまわって出雲国を経て」越の笥飯浦(現在の敦賀)に至ったという話がある。
「日本海」が、初めて見えるのは、イタリア出身の宣教師マテオ・リッチが、北京で作った「坤輿万国全図」で、1602年に刊行された。
日本では、1802年(享和2年)に、蘭学者山村才助が、「訂正増訳采覧異言」で初めて用いた。
英語では、「Sea of Japan」、または、「Japan Sea」。
ラテン語では、「Mare Iaponicum(マレ・ヤポーニクム)」。
フランス語では、「mer du Japon」、ドイツ語では、「Japanisches Meer」、ロシア語では 、「Японское море 」であり、いずれも、「日本海」を意味する。
現在、国連および国際的な海図の大半は「日本海」という表記を使用しており、国際的に、これが一般的である。
海図上の名称の基準になっている、「国際水路機関 (IHO)」 の「大洋と海の境界」(1953年)においても、「Japan Sea」の名称を用いている。
このことからわかるように、国際的にも、「日本海」という海の名前は、ほぼ常識的な見解みたいです。
しかし、中国の一部の地図では、「中国海」と表記されたり、韓国の一部の地図では、「韓国海」と表記された地図もあるという話も、聞いたことがあります。
このように、世界中、どこの国も、
「自分の国が、世界の中心だ」
と思っている傾向があります。
だから、日本史を調べるときも、
「自分たち日本人も、日本中心に偏りすぎているのではないだろうか?」
こういう疑問をもちながら、常に謙虚な気持ちで、古代史の探求をしなくてはいけないのです。
まあ、そういうことを考慮に入れても、日本という国は、やはり凄い国なのです。
ここで注目したいのは、古代において、お隣の中国が、現在の「日本海」のことを、「鯨海(けいかい)」と呼んでいたという史実です。
「鯨の海」ということですね。
この場合、素直に「鯨」だと解釈することもできますが、もっと想像を広げて、「鯨に似た生物」という可能性も考えてみましょう。
つまり、太古の時代に、地球の海を、我が物顔で泳ぎ回っていた、「海竜」の存在です。
おそらく、古代において、日本海には、こういう姿の海竜たちが、泳ぎ回っていたと思います。
そうです。
古代の中国人たちは、おそらく、「日本海」のことを、「龍海」の意味で、「鯨海」と呼んでいたのだと思います。
「ドラゴンの海」だったということです。
西洋人たちが、昔、大航海時代などで使っていた地図には、あちらこちらに、「ドラゴン」、つまり、当時の恐竜の生き残りのような巨大生物、つまり、海竜たちが、描かれています。
こんなかんじです。
中央のあたりを、拡大したものです。
これもそうです。
左上のあたりを、拡大しました。
私は、以前は、これは、何かの飾りのような絵だと思っていました。
しかし、命懸けで後悔する船乗りたちが、命の次に大切にしていた地図に、そんな飾りのような絵は、必要ありません。
ここに描かれている海竜たちは、
「このあたりの海域には、ドラゴンが出没するから、気を付けてください!」
こういう意味の絵だったと思います。
現代の日本でいえば、山の中に、
「熊出没注意!」
と書かれた標識がありますね。
ああいう注意書きのような絵だったと思うのです。
そうなのです。
「日本海」というのは、古代においては、「海竜」が、たくさん生息していて、その時代の古代人たちは、彼らを、「龍神」だとして、敬ったり、崇めたりしていたのだと思います。
「日本海」の海底には、他にも、このような絵が、地形のような形で刻まれています。
わかりにくいと思うので、赤ペンで囲ってみました。
龍神が、「佐渡島」を大切そうに、握っているのがわかりますか?
「佐渡島」=「ドラゴンボール」
だったのです。
やはり、この島も、とても大切な聖地だったのですね。
これも、地上絵です。
「新潟県」の正真正銘、真実の姿です。
わかりましたか?
新潟県内の「越後平野」の部分が、水色になっているエリアです。
「ネッシー」のような「海竜」の形になっていますね。
しかも、頭部に当たる土地の名前が、「村上」です。
これは、「村神」であり、「神の村」の意味ですね。
さらに、「弓」の形にも見えますね。
まとめると、
「越後平野」=「海竜(ネッシー)」=「弓」
こうなります。
しかも、「佐渡島」のあたりが、二頭の子供の「海竜」にも見えます。
だから、「新潟県」とは、「三頭の海竜(ドラゴン)」が描かれた土地だということです。
私は、いろいろな理由から、この三頭は、古代のおいて、地球の支配者だった3人の神様(宇宙人)である、「アヌ王」、それから、その二人の息子たち、「エンリル」と「エンキ」の意味だと思っています。
意味深な地名も、新潟には、たくさんあるのです。
たとえば、「胎内市」という土地もあります。
これは、「母親のドラゴンの胎内にある土地」という意味でしょう。
面白いですね!
さて、旅行記に戻ります。
新潟県を訪れるのは、久しぶりでした。
何度か書いていますが、父の仕事の関係で、私は、0歳~2歳までの2年間、新潟市に住んでいました。
姉と妹は、新潟市で生まれています。
さらに、社会人になってすぐの正月旅行では、佐渡島にも行ったことがあります。
このように、新潟県とは、深い縁があるのです。
今回の旅では、ずーっと行きたかった、「彌彦神社」にも行くことができました。
この神社が、御神体とする「弥彦山」が見えてきました。
近くには、ピラミッドだと思われる小山もありました。
鳥居は、とても大きいです。
正式には、「彌彦神社(いやひこじんじゃ)」という名前だそうですが、「弥彦神社」とも書き、さらに、「やひこじんじゃ」とも呼ばれているそうです。
「弥彦」という神社の二つの文字を、分解してみましょう。
まずは、「弥」です。
「弥」=「弓」+「三」+「人」
これの意味は、「弓のような形をした三人の人」になり、拡大解釈をすると、「竜の姿をした三人の神様」の意味です。
つまり、「アヌ王」と「エンリル」と「エンキ」です。
一方の「彦」です。
「彦」=「立」+「三」+「人」
これの意味も、「立(辰)のような形をした三人の人」になり、これまた、「竜の姿をした三人の神様」となり、同じ意味になります。
「弥彦神社」=「三頭の龍の神社」
こうなるのです。
鳥居の前で、記念撮影しました。
私が小さく見えますね。
これだけ大きな鳥居があるというのは、日本において、とても大切な神社だということです。
ここから車で、ちょっと走ったところに、「一の鳥居」という本当の入口があります。
案内板です。
「彌彦神社」の「彌」の文字も分解してみると、「弓」と「繭」ですね。
「彌」=「弓」+「繭」
ということで、
「弓(龍)の繭」=「ドラゴンボール」
という意味になります。
凄い神社名ですね~!
境内は、とても良い氣が充満していました。
「玉の橋」という橋です。
参道を歩いていきました。
この日は、「菊祭り」が開催されていて、多くの人たちが、参拝に来ていました。
ここは、見逃したのですが、後から、友人から教えていただきました。
境内には、「絵馬殿」という建物があり、この中には、この彫刻もあるそうです。
ジャ~ン!
「ワニ」ですね。
つまり、この神社は、「海竜」も、御神体だということです。
太古の時代、ここも、恐竜天国だったと思います。
そして、龍神たちが、物質化して肉体をもち、様々な恐竜たちが、暮らしていたのだと思います。
想像すると、ワクワクしてきますね~!
「随神門」です。
ここには、両側に、二人の神様が祀られていました。
もうわかりましたね?
この神様の正体は、実は、どうでもいいのです。
本当の御神体は、この二人が持っている「弓」です。
つまり、「龍神」を祀っているのです。
その横には、直立している姿の狛犬がいました。
これも、「エンリル」と「エンキ」の意味だと思いますが、この二体は、やけに背筋が伸びている姿勢から、シリウスからの宇宙人グループである、「ゲル」の意味も含んでいると思いました。
拝殿に着きました。
後方には、御神体の「弥彦山」が見えます。
記念撮影しました。
境内には、たくさんの摂社や末社もありました。
この日は、秋の始まりを感じさせる、とても 綺麗な景色でした。
ここにある摂社には、ユニークな名前の神様も、祀れていました。
私の個人的な解釈です。
これは、「蛇の子供」という意味だと思います。
つまり、「エンキの子供」になり、「アダムとイブ」のことだと思います。
そして、この日の最後に立ち寄ったのが、ここです。
「宝物殿」です。
入口は、「パルティノン神殿」のデザインでした。
ご存知のように、古代史において、これは特別な形の建築物です。
どうやら、ここが元々は、本殿があった場所だったみたいです。
つまり、「彌彦神社」の本当の本殿は、この建物なのです。
天皇陛下と皇后陛下の両陛下も、こちらを訪問していたのですね。
建物の中は、撮影禁止だったので、残念ながら写真は無いのですが、この建物の2階の奥には、とてつもないものが、展示されていました。
それは、日本における、歴代の天皇の肖像画です。
しかも、一人や二人じゃありません。
なんと、初代の神武天皇あたりから、127人の肖像画が、全て飾られていたのです!
イメージです。
再度、書いておきますが、大昔の書物で、日本の天皇の姿を書きしるした書物には、初代から16代くらいまでは、龍の姿、もしくは、龍と人間の混血を思わせるような姿だったようです。
初代の神武天皇などは、
「身長が3メートル以上あって、角が二本あって、体には鱗があった」
と記述されているようです。
日本の天皇家は、「龍神」の家系なのです。
この部屋では、友人たちと長時間、歴代の天皇家について、肖像画を見ながら、いろいろなことを語りました。
特に、「雄略天皇」と「武烈天皇」について、とても興味深いこともわかり、面白かったです。
この二人は、とても残虐なことをやった、史上最悪の天皇という説もありますが、やはり、現在の皇室からも嫌われていたことも、わかりました。
詳しい内容は、「長くなるので、割愛させていただきます。
それにしても、「伊勢神宮」や「出雲大社」にも、こんな凄い部屋はありませんでした。
このことからも、この神社が、日本において、とても大切な神社であることがわかります。
まだ行ったことのない方、ぜひ、ここの宝物殿の奥にある「歴代の天皇家の部屋」を訪れてみてください。
凄いですよ~!
神社の参拝が終わった後、空を見上げると、「神の目(プロビデンスの目)」の雲が、出現しました。
夜は、新潟県在住の友人たちと、懇親会をしました。
美味しい料理と、楽しいおしゃべりで、最高の夜でした。
次回も、新潟県をまわった話題です。
お楽しみに!
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日本海シークレットツアー 5 八咫烏
旅行記も、この記事から、一気に佳境に突入します!
その前に、「アヌンナキ」の一族についても、もう一度、おさらいしておきましょう。
太古の時代、地球を訪問した宇宙人のグループは、たくさんいたようです。
その中でも、一番、地球の歴史に深く関わったのは、何度も紹介している、「アヌンナキ」の一族です。
学者によって意見は違いますが、古代の神話や伝説、そして、聖書などに登場する、「神々」や「妖精」などを、「宇宙人」とおきかえて翻訳すると、自然な文章になることが多いそうです。
実際、聖書などのヘブライ語の、「Elohim(エロヒム)」という単語は、本来、
「el(天)」+「im(人間の複数形)」=「天より地に降りし者たち」
つまり、
「天空より飛来した人々」
という意味で、れっきとした、人間の複数形なのです。
「他の惑星からUFOで、この地球にやってきた人たち」
ということです。
その中でも、特に、「Anunnaki(アヌンナキ)」という宇宙人の名前は、古代シュメール語で、
「anu(天空)」+「na(~から)」+「ki(地球)」
これも、
「天より地に降りてきた」
という意味で、全体として、「エロヒム」と、同じ意味なのです。
「エロヒム」=「アヌンナキ」
だということです。
あと、エジプトの最高神、「ラー」も、ギリシャ語では、「天空の光」という意味だそうです。
おそらく、光り輝くUFOに乗っていただろうと、推測されます。
「アヌンナキ」のグループは、どちらかというと、「ペル」、別の表現では、「レプティリアン(爬虫類人)」のグループに属すると思いますが、この一族は、シェイプシフト(変身)の能力があるために、いろいろな姿形になるので、この一族を論じる時には、話が複雑になります。
一説によると、「二ビル」という名前の惑星から、50万年前くらいに、地球にやってきたとも言われています。
「アダムとイブ」などの人類創世にも、関わった神様です。
「アヌ王(天神アン)」という男性の神様から、地球人類の歴史は、主に始まっているのです。
彼が、地球の計画書みたいなものを作成して、そのプラン通りに歴史は動いているのです。
だから、「his story(彼の物語)」なのです。
この二語を組みわせた造語が、「history(歴史)」だということです。
「歴史」の秘密は、そのまま、文字に表現されていたのです。
そのまんまなのです。
素直に解釈すればいいだけの話です。
「アヌンナキ」の一族の王、「アヌ王(天神アン)」だそうです。
「シュメール文明」の遺跡から、発見された粘土板の絵です。
背中から、翼が生えていますね。
「アヌ王」だと言われています。
この存在が、「天使」の源流かもしれません。
次の写真は、鳥の姿にシェイプシフトした時の姿だと言われています。
同じく、「アヌ王」です。
なぜか、「桶」のようなものを持っていますが、これは、「地球の王」のシンボルだと言われています。
こちらも、「アヌ王」だと言われている壁画です。
正面から見た姿ですね。
彼は、「ゾロアスター教」の最高神、「アフラ・マズダー」でもあったみたいです。
これは、「シュメール文明」の粘土板に描かれている絵です。
この空を飛んでいる物体も、そうだと思います。
上空を飛んでいるのが、父親の「アヌ王」で、下の二人が、「エンキ」と「エンリル」だと思います。
日本の神社に置かれている、「狛犬」の原型です。
聖書の中では、キリストが、洗礼者であるヨハネから、バプテスマ(洗礼)を受けるとき、天から聖霊が降りてきたと言われています。
この絵では、キリストの頭上に、「白い鳥」がいるのが、わかりますね。
ついでに、その白い鳥の右下にも、「黒いカラス」のような存在があることにも、注目していてください。
宇宙考古学の視点では、この場面に対して、とてもユニークな解釈をすることができます。
「この白い鳥、さらに、黒いカラスは、アヌ王だったのではないだろうか?」
つまり、「アヌ王=アフラ・マズダー」が、「鳥」の形に、シェイプシフトして、さらに、サイズを小さくして、キリストの頭上に現れたのではないかということです。
何が言いたいかというと、
「特別な人を洗礼する場合、地球の真の王である、アヌ王自らが、宇宙からやって来て、次の地球の王になる人物を、直接、任命していたのではないだろうか?」
ということです。
たとえば、神武天皇にも、歴史上の最重要な場面で、「鳥」がやってきました。
「八咫烏」と呼ばれている鳥ですね。
上の「キリストの洗礼」の場面にいる、「黒いカラス」のような物体と、似ていませんか?
同じ存在だったのではないですか?
だとしたら、「アヌ王」、「キリスト」、「神武天皇」これらの三者は、同じ魂のグループだということになります。
下記の写真は、北極上空を通過しながら、地球軌道を移動している謎の巨大人工衛星です。
謎の物体は、「"Black Knight" Satellite" ブラック・ナイト・サテライト(黒騎士の衛星)」と名づけられているそうです。
この人工衛星の存在は、1960年から確認されているそうです。
有名な科学者、ニコラ・テスラも、この存在を知っており、この衛星とコンタクトをしていたようです。
NASAによって提供された、「黒騎士の衛星」の写真です。
「アヌ王」の乗っていたUFOなんじゃないですか?
もしくは、「アヌ王」が、UFOの形に、シェイプシフトしているんじゃないでしょうか?
ケネス・アーノルドという人が、目撃したUFOです。
1947年6月24日に目撃して、「空飛ぶ円盤(フライングソーサー)」という言葉にもなりましたね。
そして、この日は、現在でも世界中で、「UFOの記念日」になっています。
もしかしたら、このUFOも、「アヌ王」が、シェイプシフトしたUFOだったのかもしれません。
福岡県の「竹原古墳」に描かれている壁画を、わかりやすく描き直した絵です。
この絵は、宇宙考古学的に最重要な絵です。
口を開けている龍が、「エンリル」で、口を閉じている龍が、「エンキ」です。
神社にある、二体の「狛犬」ですね。
そして、下半身の大きな女性が、二人の兄弟の妹である、「ニンフルサグ」だと言われています。
両側には、「メノラー」がありますね。
そして、遠くの「黒い三日月」のような物体が、「アヌ王」が、シェイプシフトしたUFOだと思います。
「黒い三日月」に、注目してください。
SF映画、「メッセージ」の中に出てきますね。
地球の支配者である、「アヌ王」が、「黒い半月型のUFO」に、シェイプシフトした存在を、表現していると思います。
映画の中では、雲の中から出てきてましたね。
「雲の中から、出てきた神様」
こう言えば、すぐにわかりますね。
「出雲大社」ですね。
「出雲」に祀られている神様は、このUFOと縁が深い神様だということです。
このUFOを、「神」と崇めている宗教は、世界中に、たくさんあります。
有名なのは、旧約聖書の中で、「モーゼ」が、
「あなたのお名前は、なんと言うのですか?」
と、神に質問した時に、返ってきた答えが、
「わたしは、有って有る者です」
という返答だったと言われています。
全地を創った神の御名は、「有る」なのです。
神は、全ての存在の根源ですから、その御名が、「ある」や「存在する」であることは、ピッタリで、ふさわしいのかもしれません。
「出雲大社」のシンボルマークにも、これが書かれています。
「有」という文字は、「大」と「月」から構成されていますね。
わかりましたね。
「大きな月」という意味です。
「出雲大社」の本当の御神体は、このUFOなのです。
つまり、古代の地球で、絶対的な支配者だった、「アヌ王」だということです。
大阪の「住吉大社」にも、御神体として祀られていました。
多くの神社にある、「鏡」も、このUFOが支えているのが、わかりますね。
これは、「熊野本宮大社」の御社殿に入る前の門です。
ここに、飾られている「しめ縄」に注目してください。
ハイ!
「ゾロアスター教」の最高神、「アフラ・マズダー」ですね。
「八咫烏」の正体も、「アフラ・マズダー」であり、「アヌ王」だったということです。
「アヌ王」=「アフラ・マズダー」=「八咫烏」=「黒い半月型のUFO」
こういうことです。
これは、江戸時代に、奈良県で発掘された、「等彌神社の土偶」です。
年代測定では、二千年前の物だと言われているそうです。
「アヌ王」のグループが、スペースシップから、宇宙服を着て降り立った姿だとも言われています。
この土偶に似た神様の仏像が、同じく奈良県内に、もう一体にあります。
興福寺にある、「迦楼羅(かるら)」の像です。
一般的な説明では、インド神話に登場する炎に包まれた聖なる鳥、「ガルダ」が前身とされていますが、宇宙考古学的な解釈では、「迦楼羅」という日本の神様は、「ホルス」というエジプトの神様と、同一神だと言われています。
これは、古代エジプトのシンボルで、「ホルスの目」です。
古代エジプトでは、非常に古くから、太陽と月は、「ハヤブサ」の姿であり、「天空神ホルスの目」、だと考えられていたそうです。
つまり、別名は、「プロビデンスの目」でもあり、「神の目」でもあります。
「隼」です。
ここでも、こういう等式が成り立ちます。
「隼」=「迦楼羅」=「ホルス」
エジプトの遺跡の壁画に描かれた「ホルス」の別の絵です。
これは、「スカラベ」です。
「アメリカ合衆国の国章」です。
コンセプトが同じだということから、これらは、同一神だと見なすことができます。
シルエットが似ていることから、同じ神様が、シェイプシフト(変身)しているのだと考えるのです。
ここまで紹介した神様を、全部まとめますね。
「アヌ王」=「アフラ・マズダー」=「八咫烏」=「黒い半月型のUFO」=「等彌神社の土偶」=「迦楼羅」=「隼」=「ホルス」=「スカラベ」=「アメリカの国章」
ここでも、見事にまとまりましたね。
このように、古代史を勉強したり、調査したり、考察する時には、「違い」を見るのではなく、「共通点」に着目するのです。
そして、数学の「因数分解」のように、「共通項」をまとめる作業をすると、シンプルになり、その本質がわかるのです。
ここでの神々の「共通項」は、「翼」だということです。
「翼が生えている」という「共通項」に着目して、まとめたのです。
太古の時代において、地球の最高神だった、「アヌ王」という存在は、このように、その活動の痕跡が、日本にもたくさん残っているのです。
さて、ここからが本題です。
ここで、もう一度、「日本海」の中心にある、「大和灘」を見てください。
実は、ここに、地球上最大の「鳥」の地上絵があるのです。
わかりやすいように、赤ペンで輪郭を描いてみました。
ジャーン!
わかりましたか?
「鷲」のような存在が、「日本海」の中心を頭部にしています。
「大和灘」が、「目」です。
「九州」から「北海道」まで、「両翼」を広げています。
「伊豆諸島」のあたりが、「尾羽」にあたると思います。
「鳳凰」にも見えますね。
さらに、「伊豆半島」と「三浦半島」と「房総半島」が、この鳥の足の部分だと見なすと、三本足になり、「八咫烏」になります。
私には、こちらのほうが、しっくりくるので、この地上絵を、「八咫烏」だと思っています。
つまり、
「日本列島」=「アヌ王」=「八咫烏」
こうなるのです。
「日本列島」の正体は、古代において、地球の最高神だった、「アヌ王」つまり、「八咫烏」でもあったのです。
凄いですね~~~!!!
他にも凄い話があります。
「八咫烏」の地上絵は、なんと、日本列島においては、他にも、東北地方に刻印されていたのです。
まずは、「東北地方」を中心にしたエリアの普通の地図を見てください。
これだと、この地図は、なんの変哲もありませんね。
次に、樹木を剥ぎ取り、剥き出しになった地形の地図です。
ジャーン!
わかりましたか?
これも、わかりやすいように、赤ペンで輪郭を描きました。
どうですか?
ちゃんと、脚も三本あるように見えますね。
「八咫烏」です。
つまり、東北地方の日本海に、この超巨大な「八咫烏」の地上絵が存在することから、太古の時代において、ここに、地球の最高神だった、「アヌ王」の本部があったということが推測されるのです。
ご存知の用意、「奥羽山脈」とは、東北地方の中央部を、青森県から栃木県にかけて南北に延びる日本最長の山脈ですが、この山脈そのものが、ウルトラサイズの超超巨大地上絵だったのです!
「奥羽」とは、
「地面の奥のほうに、羽が隠れている」
という意味もあるし、
「東北地方全体を覆う羽」
の意味もあるのかもしれません。
さらには、
「王の羽」
の意味も含んでいるのかもしれません。
いや~、凄まじい地上絵ですね~!
日本の古代史というのは、このように、私と私の友人たちのチームが、多くの地上絵を発見したことにより、今、大革命が起こっているのです!
この超巨大な「八咫烏」の地上絵の「目」に当たる位置に、「鳥海山」があります。
「日本海の文明圏の中で、特に鳥の神様の山(なわばり)だったエリア」
こういう意味なんじゃないかな?
「鳥海山」です。
航空写真です。
実は、この山の形そのものも、「八咫烏」になっています。
超巨大な「八咫烏」の地上絵の相似形になっているのですね。
わかりますか?
左側を向いて、飛んでいるように見えます。
ちゃんと目もありますね。
こんなかんじで飛んでいますね。
つまり、日本列島において、「八咫烏」の地上絵が、ちょうど、ロシアの「マトリョーシカ人形」のように、相似形になって刻まれているということです。
「日本列島全体の八咫烏」 > 「東北地方全体の八咫烏」 > 「鳥海山の八咫烏」
こんなかんじで、祖父母と両親と孫のような関係になっているのです。
では、旅行記に戻ります。
今回の旅では、この山の近くまで行ってきました。
一日中雨だったのですが、この写真を撮るときだけ、晴れました。
記念撮影しました。
心が洗われるような雄大な眺めでした。
レンタカーのナンバーが、「1789」で、なぜか、「フランス革命」の数字でした。
考えてみたら、この歴史的な大事件は、地球の人間の中で、「エンキ」の側のグループが、「エンリル」の側のグループに対して、
「渡したにも、もっと自由を与えてください!」
と主張して起こした革命でした。
現在の最先端の宇宙考古学では、こういう解釈になっています。
詳しいことは、別の機会に書きますね。
この山の近くには、「鳥山大物忌神社」とう神社があり、そこにも立ち寄りました。
着きました。
案内板です。
階段を登っていきました。
拝殿でも参拝しました。
ついでに、恒例の記念撮影です。
もう一つの神社、「鳥海山大物忌神社 藤岡口ノ宮」にも行きました。
案内板です。
拝殿が、とても大きいのに、ビックリしました!
太古の時代に、巨人族が訪れていたのかもしれません。
境内の摂社で、「風神社」というそうです。
「風の神様」といえば、「アヌ王」の正当な後継者だった、息子の「エンリル」ですね。
彫刻がありました。
これは、もちろん、「八咫烏」の意味ですね。
「ライトセーバー」もありました。
「アヌ王」の剣を、地面に垂直に刺した様子ですが、一般的には、ただの石塔だと思われています。
そして、この神社の隣は、お寺もありました。
「龍頭寺」という名前です。
ここが、「八咫烏」の頭の部分だとわかっていたということですね。
ちなみに、「龍」=「鳳凰」です。
特に、違いはありません。
同じ神様が、別の形の神獣に、シェイプシフト(変身)しただけです。
このあたり一帯のことを、「上寺」というそうです。
「上」は、「神」の意味も含みます。
つまり、この土地は、「神の寺」だということです。
案内板です。
入口です。
この時から、雨が激しくなってきましたが、本堂の彫刻が、「ゾロアスター教」の最高神、「アフラ・マズダー」でになっているのが、わかりますか?
そして、その下には、鷲のような姿の「八咫烏」がいますね。
もう一度、「アフラ・マズダー」の姿です。
父親である「アヌ王」、それから、二人の息子である「エンリル」と「エンキ」です。
「アヌ王(八咫烏)」の下には、ユニークな姿の仁王像も立っていました。
「エンリル」と「エンキ」ですね。
上記のシュメールの絵画と同じコンセプト、「父親」と「二人の息子」ですね
巨大な仏像でした。
当初の予定では、山の近辺の神社で参拝した後は、「鳥海山」の頂上まで行くつもりでした。
しかし、風雨が強くなって、見晴らしが悪くなったので、山の頂上まで行くのは、今回は、断念しました。
その代わり、「鳥海山」の麓にある、「丸池様」という池に行ってきました。
池そのものが、御神体だそうです。
案内板です。
「丸池神社」というそうですね。
小さいけど、貫禄がありました。
池の周囲は、不思議な空間でした。
この近くの天然温泉にも行きました。
古代において、地球の王だった「アヌ王(八咫烏)」の地上絵でもある、「鳥海山」から流れてきた地下水が、湧いてできた温泉です。
そう考えると、感激も数倍にアップしました。
この温泉の待合室には、「鳥海山」の絵も飾ってありました。
これは、山形県側から見た景色だそうです。
そして、秋田県側からの景色だそうです。
この日に泊まったホテルのパンフレットに、面白いことが書かれていました。
やはり、このあたりの土地には、「八咫烏」の伝説が、たくさん残っているようですね。
今回は、スケジュールの関係上、「出羽三山」の一つ、「羽黒山」にだけ行ってきました。
ハイ!
もうわかりましたね。
「羽の黒い神様のいる山」といったら、「カラスの神様」しかいませんね。
「八咫烏」の本拠地です。
入口の近くに、「アヌ王」のシンボルの形の石碑が建てられていました。
「出羽三山神社」です。
「羽が生えている三人の神様」の意味だと思います。
もしくは、「羽が生えていて、三本足の神様」の意味もあるのかもしれません。
「八咫烏」ですね。
私は、「月山神社」が、「月の神様」の意味で、「アヌ王」だと思っています。
半月の形のUFOですね。
「出羽神社」が、「背中から羽の出ている神様」で、「エンリル」だと思います。
さらに、「湯殿山神社」は、「水の中のほうが暮らし易い神様」という意味で、「エンキ」だと思います。
つまり、シュメール神話に出てくる「アヌンナキ」の父親、それから、二人の息子、「エンリル」と「エンキ」を祀っている神社なのです。
ちなみに、この3人の神様を、日本の神様に当てはめると、こうなると思います。
「造化三神」です。
「アヌ王」=「天御中主神」
「エンリル」=「高皇産霊神」
「エンキ」=「神皇産霊神」
鳥居を抜けて、境内に入りました。
雨の中、記念撮影です。
「八咫烏」がいました。
ここの拝殿にも、「アフラ・マズダー」がいました。
「八咫烏」ですね。
「アヌンナキ」の三神です。
合同で祀られています。
深い意味がわかると、神社参拝も、数倍面白くなりますね。
拝殿の近くには、「相撲の土俵」もありました。
ここにも、人類発祥の地だった、「エデンの園」があったかもしれませんね。
境内には、「羽黒山東照宮」と書かれた摂社もありました。
「徳川家康」も、いろいろと、深く関わっている神社だったみたいですね。
記念撮影です。
他にも、たくさんの摂社がありました。
これらを見ていると、この神社が、とてつもなく深い歴史を隠してきた神社だったことがわかります。
この神社からの帰り際には、「八咫烏」の形の雲も、空に出現しました。
大感動でした。
次回から舞台は、新潟県に移ります。
お楽しみに!
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