「日本海」をネットで調べると、興味深いことがわかります。
以下は、ウィキペディアからの記事です。
中国における古称は、「鯨海(けいかい)」であった。
古代の日本では、「北海」と呼んでいた。
「日本書紀」の垂仁天皇2年是年条に、朝鮮半島から来た都怒我阿羅斯等が、穴戸(長門)を出て海路を迷ったあげく、「北海をまわって出雲国を経て」越の笥飯浦(現在の敦賀)に至ったという話がある。
「日本海」が、初めて見えるのは、イタリア出身の宣教師マテオ・リッチが、北京で作った「坤輿万国全図」で、1602年に刊行された。
日本では、1802年(享和2年)に、蘭学者山村才助が、「訂正増訳采覧異言」で初めて用いた。
英語では、「Sea of Japan」、または、「Japan Sea」。
ラテン語では、「Mare Iaponicum(マレ・ヤポーニクム)」。
フランス語では、「mer du Japon」、ドイツ語では、「Japanisches Meer」、ロシア語では 、「Японское море 」であり、いずれも、「日本海」を意味する。
現在、国連および国際的な海図の大半は「日本海」という表記を使用しており、国際的に、これが一般的である。
海図上の名称の基準になっている、「国際水路機関 (IHO)」 の「大洋と海の境界」(1953年)においても、「Japan Sea」の名称を用いている。
このことからわかるように、国際的にも、「日本海」という海の名前は、ほぼ常識的な見解みたいです。
しかし、中国の一部の地図では、「中国海」と表記されたり、韓国の一部の地図では、「韓国海」と表記された地図もあるという話も、聞いたことがあります。
このように、世界中、どこの国も、
「自分の国が、世界の中心だ」
と思っている傾向があります。
だから、日本史を調べるときも、
「自分たち日本人も、日本中心に偏りすぎているのではないだろうか?」
こういう疑問をもちながら、常に謙虚な気持ちで、古代史の探求をしなくてはいけないのです。
まあ、そういうことを考慮に入れても、日本という国は、やはり凄い国なのです。
ここで注目したいのは、古代において、お隣の中国が、現在の「日本海」のことを、「鯨海(けいかい)」と呼んでいたという史実です。
「鯨の海」ということですね。
この場合、素直に「鯨」だと解釈することもできますが、もっと想像を広げて、「鯨に似た生物」という可能性も考えてみましょう。
つまり、太古の時代に、地球の海を、我が物顔で泳ぎ回っていた、「海竜」の存在です。
おそらく、古代において、日本海には、こういう姿の海竜たちが、泳ぎ回っていたと思います。
そうです。
古代の中国人たちは、おそらく、「日本海」のことを、「龍海」の意味で、「鯨海」と呼んでいたのだと思います。
「ドラゴンの海」だったということです。
西洋人たちが、昔、大航海時代などで使っていた地図には、あちらこちらに、「ドラゴン」、つまり、当時の恐竜の生き残りのような巨大生物、つまり、海竜たちが、描かれています。
こんなかんじです。
中央のあたりを、拡大したものです。
これもそうです。
左上のあたりを、拡大しました。
私は、以前は、これは、何かの飾りのような絵だと思っていました。
しかし、命懸けで後悔する船乗りたちが、命の次に大切にしていた地図に、そんな飾りのような絵は、必要ありません。
ここに描かれている海竜たちは、
「このあたりの海域には、ドラゴンが出没するから、気を付けてください!」
こういう意味の絵だったと思います。
現代の日本でいえば、山の中に、
「熊出没注意!」
と書かれた標識がありますね。
ああいう注意書きのような絵だったと思うのです。
そうなのです。
「日本海」というのは、古代においては、「海竜」が、たくさん生息していて、その時代の古代人たちは、彼らを、「龍神」だとして、敬ったり、崇めたりしていたのだと思います。
「日本海」の海底には、他にも、このような絵が、地形のような形で刻まれています。
わかりにくいと思うので、赤ペンで囲ってみました。
龍神が、「佐渡島」を大切そうに、握っているのがわかりますか?
「佐渡島」=「ドラゴンボール」
だったのです。
やはり、この島も、とても大切な聖地だったのですね。
これも、地上絵です。
「新潟県」の正真正銘、真実の姿です。
わかりましたか?
新潟県内の「越後平野」の部分が、水色になっているエリアです。
「ネッシー」のような「海竜」の形になっていますね。
しかも、頭部に当たる土地の名前が、「村上」です。
これは、「村神」であり、「神の村」の意味ですね。
さらに、「弓」の形にも見えますね。
まとめると、
「越後平野」=「海竜(ネッシー)」=「弓」
こうなります。
しかも、「佐渡島」のあたりが、二頭の子供の「海竜」にも見えます。
だから、「新潟県」とは、「三頭の海竜(ドラゴン)」が描かれた土地だということです。
私は、いろいろな理由から、この三頭は、古代のおいて、地球の支配者だった3人の神様(宇宙人)である、「アヌ王」、それから、その二人の息子たち、「エンリル」と「エンキ」の意味だと思っています。
意味深な地名も、新潟には、たくさんあるのです。
たとえば、「胎内市」という土地もあります。
これは、「母親のドラゴンの胎内にある土地」という意味でしょう。
面白いですね!
さて、旅行記に戻ります。
新潟県を訪れるのは、久しぶりでした。
何度か書いていますが、父の仕事の関係で、私は、0歳~2歳までの2年間、新潟市に住んでいました。
姉と妹は、新潟市で生まれています。
さらに、社会人になってすぐの正月旅行では、佐渡島にも行ったことがあります。
このように、新潟県とは、深い縁があるのです。
今回の旅では、ずーっと行きたかった、「彌彦神社」にも行くことができました。
この神社が、御神体とする「弥彦山」が見えてきました。
近くには、ピラミッドだと思われる小山もありました。
鳥居は、とても大きいです。
正式には、「彌彦神社(いやひこじんじゃ)」という名前だそうですが、「弥彦神社」とも書き、さらに、「やひこじんじゃ」とも呼ばれているそうです。
「弥彦」という神社の二つの文字を、分解してみましょう。
まずは、「弥」です。
「弥」=「弓」+「三」+「人」
これの意味は、「弓のような形をした三人の人」になり、拡大解釈をすると、「竜の姿をした三人の神様」の意味です。
つまり、「アヌ王」と「エンリル」と「エンキ」です。
一方の「彦」です。
「彦」=「立」+「三」+「人」
これの意味も、「立(辰)のような形をした三人の人」になり、これまた、「竜の姿をした三人の神様」となり、同じ意味になります。
「弥彦神社」=「三頭の龍の神社」
こうなるのです。
鳥居の前で、記念撮影しました。
私が小さく見えますね。
これだけ大きな鳥居があるというのは、日本において、とても大切な神社だということです。
ここから車で、ちょっと走ったところに、「一の鳥居」という本当の入口があります。
案内板です。
「彌彦神社」の「彌」の文字も分解してみると、「弓」と「繭」ですね。
「彌」=「弓」+「繭」
ということで、
「弓(龍)の繭」=「ドラゴンボール」
という意味になります。
凄い神社名ですね~!
境内は、とても良い氣が充満していました。
「玉の橋」という橋です。
参道を歩いていきました。
この日は、「菊祭り」が開催されていて、多くの人たちが、参拝に来ていました。
ここは、見逃したのですが、後から、友人から教えていただきました。
境内には、「絵馬殿」という建物があり、この中には、この彫刻もあるそうです。
ジャ~ン!
「ワニ」ですね。
つまり、この神社は、「海竜」も、御神体だということです。
太古の時代、ここも、恐竜天国だったと思います。
そして、龍神たちが、物質化して肉体をもち、様々な恐竜たちが、暮らしていたのだと思います。
想像すると、ワクワクしてきますね~!
「随神門」です。
ここには、両側に、二人の神様が祀られていました。
もうわかりましたね?
この神様の正体は、実は、どうでもいいのです。
本当の御神体は、この二人が持っている「弓」です。
つまり、「龍神」を祀っているのです。
その横には、直立している姿の狛犬がいました。
これも、「エンリル」と「エンキ」の意味だと思いますが、この二体は、やけに背筋が伸びている姿勢から、シリウスからの宇宙人グループである、「ゲル」の意味も含んでいると思いました。
拝殿に着きました。
後方には、御神体の「弥彦山」が見えます。
記念撮影しました。
境内には、たくさんの摂社や末社もありました。
この日は、秋の始まりを感じさせる、とても 綺麗な景色でした。
ここにある摂社には、ユニークな名前の神様も、祀れていました。
私の個人的な解釈です。
これは、「蛇の子供」という意味だと思います。
つまり、「エンキの子供」になり、「アダムとイブ」のことだと思います。
そして、この日の最後に立ち寄ったのが、ここです。
「宝物殿」です。
入口は、「パルティノン神殿」のデザインでした。
ご存知のように、古代史において、これは特別な形の建築物です。
どうやら、ここが元々は、本殿があった場所だったみたいです。
つまり、「彌彦神社」の本当の本殿は、この建物なのです。
天皇陛下と皇后陛下の両陛下も、こちらを訪問していたのですね。
建物の中は、撮影禁止だったので、残念ながら写真は無いのですが、この建物の2階の奥には、とてつもないものが、展示されていました。
それは、日本における、歴代の天皇の肖像画です。
しかも、一人や二人じゃありません。
なんと、初代の神武天皇あたりから、127人の肖像画が、全て飾られていたのです!
イメージです。
再度、書いておきますが、大昔の書物で、日本の天皇の姿を書きしるした書物には、初代から16代くらいまでは、龍の姿、もしくは、龍と人間の混血を思わせるような姿だったようです。
初代の神武天皇などは、
「身長が3メートル以上あって、角が二本あって、体には鱗があった」
と記述されているようです。
日本の天皇家は、「龍神」の家系なのです。
この部屋では、友人たちと長時間、歴代の天皇家について、肖像画を見ながら、いろいろなことを語りました。
特に、「雄略天皇」と「武烈天皇」について、とても興味深いこともわかり、面白かったです。
この二人は、とても残虐なことをやった、史上最悪の天皇という説もありますが、やはり、現在の皇室からも嫌われていたことも、わかりました。
詳しい内容は、「長くなるので、割愛させていただきます。
それにしても、「伊勢神宮」や「出雲大社」にも、こんな凄い部屋はありませんでした。
このことからも、この神社が、日本において、とても大切な神社であることがわかります。
まだ行ったことのない方、ぜひ、ここの宝物殿の奥にある「歴代の天皇家の部屋」を訪れてみてください。
凄いですよ~!
神社の参拝が終わった後、空を見上げると、「神の目(プロビデンスの目)」の雲が、出現しました。
夜は、新潟県在住の友人たちと、懇親会をしました。
美味しい料理と、楽しいおしゃべりで、最高の夜でした。
次回も、新潟県をまわった話題です。
お楽しみに!
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