精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

天皇のナンバー・38

古代における裏の日本史の話を、簡単に書いておきますね。

 

一説によると、古代の日本は、ある期間、二つのグループが存在していたそうです。

ハッキリとした名前がついていたわけではありませんが、ここでは、わかりやすいように、「天照派」と「神武派」という名前で呼びますね。

 

私の旅行記などで何度も、シュメール文明の頃から、地球を支配していた宇宙人の一族である、「アヌンナキ」の一族の話をしましたね。

 

今から50万年前に、中近東を拠点に活躍していた、この家族は、父親の「アヌ王」、それから、二人の息子、「エンリル」と「エンキ」がいたそうです。

そして、もう一人、娘がいたそうです。

その娘は、二人の兄弟の妹になるのですが、「ニンフルサグ」という名前だったそうです。

 

それから、いろいろな出来事があって、「アヌ王」と「エンリル」は、地球の表の王様となって、地球の政治を治めるような仕事をしていたそうです。

一方の「エンキ」と「ニンフルサグ」は、裏の王様のようなかんじになって、アフリカで、遺伝子操作の実験に没頭して、たくさんの動物を、創ったそうです。

その時に、人間も創ったそうです。

ちょっと前に、

「人間の遺伝子を遡ると、アフリカの一人の女性に辿り着く」

という学説がありましたが、この女性が、「ニンフルサグ」だそうです。

 

シュメール文明の粘土板に描かれている絵です。

左が、「ニンフルサグ」で、右が、「エンキ」です。

中央にあるのは、「生命の樹」だと言われています。

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実は、このファミリーが、中近東に降り立つ前、もっと太古の時代に、「エンキ」と「ニンフルサグ」は、すでに、宇宙の根源からダイレクトに、やってきてたようなのです。

それは、720万年前の出来事だったそうです。

 

詳しいことは、思いっきり省きますが、この二人が、日本人の始祖でもあるのです。

「エンキ」=「イザナギ」

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

魂的には、こうなるそうです。

 

日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」の正体も、古代シュメール文明の「アヌンナキ」の一族だったようです。

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「天照派」と「神武派」の二つのグループの構成は、こうなっていたようです。

 〇「天照派」=「イザナギ(エンキの魂)」と「イザナミ(ニンフルサグの魂)」
「自由」と「知恵」と「愛」のグループ

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王&エンリルの魂)」
「平等」と「力」と「支配」のグループ

 

太古の日本においては、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に日本の国造りをしたそうですが、これは、絶対平和主義のグループで、本当に「愛の存在」だったそうです。

それに対して、後から、日本の土地にやってきた、「神武天皇」は、大陸からやってきた渡来人や帰化人のグループと組んだ、「権力志向の存在」だったそうです。

そして、かなりの長期間にわたって、「神武派」が「天照派」を弾圧したり圧政下におくということを、続けていたそうです。

 

そして、「イザナギ」と「イザナミ」は後に、38人の子供を生んだそうです。
この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。

38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。

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この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」の称号を名乗り、後に、「天皇家」になったそうです。

ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が、生まれたそうです。

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で意味も違うそうです。
「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

 

「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。
この天皇のグループは、権力志向だったようです。
「神武天皇」は、シュメール文明の神様の中では、「アヌ王」と「エンリル」の二人の魂が融合したような存在だったと、私は思っています。


「天照派」のグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「愛」のグループだったと思います。

そして後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。
さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。
権力によって、人々を平等に統治するという考え方ですね。

 

私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。


この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

〇「天照派」=「理想主義」
〇「神武派」=「現実主義」

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

これも、いろいろな見方ができるので、

「どの意見が正しいか?」

というのは、とても難しい問題なのです。

 

私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないのが、やはり、性格が似ているのです。

つまり、このグループは、

「絶対に戦わない」

という共通の姿勢があるのです。


古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。
要するに、「引きこもった」ということです。

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。
生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。


それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。
怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。


この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。
そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

私は完全に、「天照派」ですね。
あなたは、どのタイプですか?(笑)

 

 

生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かにその場を立ち去ったり、無言になったり無視するという態度をとります。
本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で抗議するのです。

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何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。
社会に対して、無言の抗議をしているのです。


ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

こう思っていると思います。


これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。
口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

「静かな怒り」

なのです。


これは、政府に対してもそうです。

あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。

ただ単に、

「投票に行かない」

という無言の抗議行動をします。

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

「ワクワクすること」

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

私の旅行記では、一貫して、そう主張しているのです。
だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

もう一度まとめますね。

「神武派」に代表される「武闘派」、それから、「天照派」に代表される「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが存在していたようです。


「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

このグループは、穏健派の「天照派」を、徹底的に弾圧していたようです。

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。


一つ目は、「賀毛神社」です。
ここは、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。

「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」

ということです。

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二つ目は、ここからすぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。
ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

だそうです。

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この二つの神社には、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前があるのが、興味深いです。

 

調べてみると、古代の日本は、最終的には、

「奈良」=「天照派」=「南朝」

「京都」=「神武派」=「北朝」

こうなったそうです。

 

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということがわかって、納得しました。

 

歴史に登場する、「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

「空海」は、うまく助けていたようです。
「天照派」の一部を四国に逃がして、四国八十ハ箇所に見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。
正式には、「磐境神明神社」 というそうです。
ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。
「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。
神殿が、独特な形をしています。

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「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。
こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に穏やかなグループである、「天照派」だけが住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

「神武派」は、まだ弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり虐殺されていたかもしれません。

日本にも、「神武派」のような武闘派は必要だったのです。


「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

「蛇の道は蛇」

「毒を以て毒を制す」

こういう諺もありますね。

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。


だから、私の中では、

「神武派」=「ジャイアン」
「天照派」=「のび太」

こういう解釈になっています。(笑)

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

その教授が言っていました。

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。


つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん賢く強くなって、権力を握ったグループだったのだと思います。

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

どちらも偏っていたのです。

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

 

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。
それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみればわかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。
下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒にお祭りでもやらないか?」

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。


そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。


そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。

それが、「葵祭」だったのです。

日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。


「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。

つまり、

「向日葵」=「太陽」

ということです。

「葵祭」というのは、

「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」

こういう願いを込めた儀式だったそうです。

 

以前に京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。

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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。

「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」

ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。

 

 

「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で閉塞状態になっていたと思います。

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には見張りがいたと思います。
当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「天武天皇」は特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

こういう法律をつくり、乞食の立場に追いやったそうです。

それで仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで質素な生活を始めた人々も多かったようです。

 
「天照派」の人たちは、そうやって虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ移動していったようです。

 

私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。

その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。

広い境内の中に、こういう細長い祠が二つあることに、気が付いた人も多いと思います。

ほとんど何も書かれていません。

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これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。

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ハイ!

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。

「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。

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2018年に、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。

見てください。

「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。

いわゆる、「八百万の神々」ですね。

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つまり、旧暦10月に、毎年、全国の「八百万の神々」が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。

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このグループは、その後も、少しづつ日本中に散らばり、歴史の表舞台には出ないで、裏から地味な活動を続けていたようです。

現代でも、このグループが、「裏天皇」などと呼ばれていて、日本を陰で動かしているのだと思います。

  

 

そして、旅行記で何度も書いているように、聖徳太子の時代から、熊野地方から関東地方に、「補陀落渡海」という儀式で、表向きは死んだことにして、西日本から東日本に、黒潮を利用して、秘かに亡命したという裏の日本史があるのです。

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熊野の「補陀洛山寺」には、その痕跡が残っていますが、そこには、現在の令和の時代の新天皇が、若いころに訪れた写真も、ちゃんと飾ってありました。

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このように、38人の子供たち、つまり、「八百万の神々」の痕跡は、日本中に、たくさん残っているのですが、このグループは、とても地味でシャイで、謙虚なので、あまり表舞台には出てきません。だから、あまり大きな観光地に、デカデカと、その名前が掲げられていることも、めったにありません。

ひたすら、裏方に徹するグループなのです。

 

しかし、私は、このグループの魅力に魅せられて、ら2018年に、日本中を調査して、まわりました。

 

これは、福井県福井市にある町です。

「三十八社中」と書かれていますね。

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奈良県にも、いくつか、痕跡があります。

奈良県御所市北窪にある、「高天彦神社」の境内社で、「三十八社」と書かれています。

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こちらも、奈良県にある、「三十八柱神社」です。

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滋賀県大津市にある、「石山寺」にも、「三十八社」があります。

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面白い記事です。
昭和3年11月10日の「昭和天皇の即位の礼」の時、身分の高い方達は、京都御所まで車で送迎されたようですが、その車のナンバーが、「乙 三八」だったようです。
これは、「昭和天皇」が、「天照派」だったという状況証拠になりますね。
「乙」は、蛇の意味もありますね。

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私が、定期的に開催しているセミナー、「悪の根源」でもお伝えしていますが、このグループは、究極の愛の存在であり、平和のグループでもありますが、同時に、世界中の戦争にも関わっています。


さらに彼らは、北緯38度線のライン上でも、いろいろな活動をやっていたようです。
例えば、北朝鮮と韓国の境にある軍事境界線、38度線は、日本にもあります。

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このラインが通過する街が、仙台市と山形市です。
仙台の意味は、「先代」ですね。
山形の意味は、「三つの鳥居のある山」です。

 

このラインを基準にして、日本列島の植物たちの生態系などは、大きく違っているそうです。

自然や気候などにも、関わっているラインです。

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そして、ご存知のように、この2つの街から西に伸びるラインが、朝鮮半島を分断しています。
このことから、朝鮮戦争や戦後の特需、それから、北朝鮮の建国にも、彼らか関わっていた可能性があることが、わかります。

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考えてみれば、日本の戦後の高度経済成長は、このラインが原因でしたね。

ということは、日本の経済は、裏で、このグループが動かしているということですね。

 

これは、読者の方から教えていただいた情報です。

新聞記事を読んでみてください。

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太平洋戦争の時、B29の爆撃の爆弾は、

「大きな親爆弾の中に、38発の子爆弾が入っていた」

と書かれていますね。

これも、何か関係しているのかもしれません。

 

 

他にも、日本で大ヒットするドラマや映画などにも、このナンバーが、暗号のように隠されています。


わかりやすい例をあげると、「3年B組金八先生」です。‍
「3B」というクラスも、「38」の意味だと思いますが、「3」と「八」で、「38」のナンバーが入っていますね。

さらに、この黒板の日付も、3月18日(金)になっていますね。(笑)

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そういえば、金八先生の尊敬する人物も、天照派のリーダーだった、坂本龍馬でしたね。
北辰一刀流の免許皆伝であり、剣の達人なのに、一度も剣を使わなかった、愛と平和の使者でしたね。

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学校の近くにも、補陀落渡海の舞台でもあった、荒川の土手がありましたね。
内容も、最初から最後まで、「愛による教育」が、メインテーマでしたね。️

 

 

このように、日本の歴史において、大切な時期には、暗号のように、「38」のナンバーが、チラチラと顔をのぞかせるのです。

 

そしてこれは、極めつけの話です。

大阪セミナーの時に、参加者の方から教えていただきました。

 

令和の時代の新天皇は、少年時代には、御所で友達を集めて、草野球をしていたそうです。

当時は百貨店で、子供用の各球団のユニホームが販売されていて、新天皇は、読売ジャイアンツの末次利光選手のファンで、「背番号38番」のユニフォームを着ていたそうです。

 

末次選手です。

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でも、それは、表向きの理由だと思います。

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本当の理由は、

「自分が、38人の子供たち、八百万の神々の直系である」

という隠れたメッセージだったと思います。

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大感動ですね~!

新天皇は、「裏天皇」が「表の天皇」になって出てきた人物だったのです。

これからの新時代は、表も裏もなく、表裏一体になるのです。

愛と平和、そして、統合の時代です。

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これは、オマケの話です。

 

あくまでも、私の個人的な感覚によるものですが、新天皇である、「徳仁親王」は、「エンキ」の魂のような気がします。

そして、弟さんの「秋篠宮文仁親王」は、「エンリル」のように感じます。
「清子内親王」であった、現在の「黒田清子」さんは、「ニンフルサグ」だと思います。

 

私は、この新天皇の妹さんである黒田清子さんが、正真正銘、本当の裏天皇でもある、「天照派」のリーダーだと思っています。

何度も書いているように、このグループは、なるべく表に出ないようにして、生涯を終えるのです。

だとしたら、皇族から民間人になって、地味に暮らしているこの方こそ、まさに、「八百万の神々」の生き方をされている方なのです。

 

あっ、そうそう、大事なことを書き忘れるところでした。

この黒田清子さんには、天皇のナンバーが、しっかりと名前に刻まれています。

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そうです。
愛称が、「サーヤ」でしたね。
「サーヤ(38)」です。
「真の天皇」だということです。

 

どうですか?

面白いでしょう。

これが、天皇家の秘密なのです。

このファミリーのシンボルは、「38」という数字なのです。

 

 

 

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