精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

島原半島ワクワクツアー 9 自分探し

島原の旅では、連日、美味しい物ばかり食べましたが、郷土料理も食べてみました。

いろいろな土地を訪れた時、その土地の料理を食べるのも、旅の醍醐味ですね。

 

これは、「具雑煮」という料理だそうです。

島原市で、松下先生とタウリンさんと一緒に食べました。

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ネットで調べると、こういう説明がありました。

この具雑煮は、寛永14年(1637年)の島原の乱の時、一揆軍の総大将であった天草四郎が、約37000人の信徒たちと籠城した際、農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海から、いろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦ったといわれています。

材料は、山芋、ゴボウ、レンコン、白菜、椎茸、鶏肉、蒲鉾、焼きあなご、卵焼き、春菊、もち等10数種類の具が、ふんだんに使われています。

島原の雑煮というのは、昔は、大なべに近辺で取れる野菜や魚などを、大量に入れて煮込むのが特徴でした。

また、だしの取り方は、各家庭で違いますが、カツオだし、いりこ、かしわ、あご、こんぶなどがよく使われています。

料理自体は、きわめて単純なものですが、このだし汁にごぼう、しいたけ、かしわ(鶏肉)、焼アナゴなどの10数種類の具の煮汁がうまく調和し、うまみを出していきます。

 

とても美味しかったです。

次回に行った時も、食べたいですね。

 

 

 

2014年の春から、本格的に古代史や宇宙考古学を学び始めて、国内だけですが、ありとあらゆる土地に、直接行って、この目で、いろいろなことを、確かめて、検証してきました。

 

最初の頃は、純粋に歴史の裏側や古代史の奥深さに、感激していました。

それから、その歴史の裏側には、どうやら、宇宙人だとか神々だとか呼ばれていた存在がいたことを、確信して、その存在たちの正体を知ることにも、夢中になりました。

しかし、だんだん、それらの気づきを通り越した後、自分の内側に目を向けるようになってきたのです。

 

スピリチャルを学ぶ人たちは、いきなり、自分自身を深く知るために、ヒプノセラピーを受けたり、チャネリングやリーディングで、自分のガイドや前世を見てもらったりする人が多いと思いますが、なぜか、私自身は、そういうことは、あまり興味がなく、

「そういうことは、無理して思い出したり、教えてもらわなくても、必要な時に、完璧なタイミングでわかるだろう…」

こう思っていました。

 

宇宙存在である「バシャール」も、本の中で、こう説いていました。

「前世や来世を思い出すたったひとつの方法は、今この人生を、100%生きることである」

つまり、

「前世を思い出したら、この人生をより充実して生きられるのではなく、最高に充実した人生を生き切った時、本当のワクワク人生を生き始めた時、ご褒美のように、自然に自分の前世などを、思い出すことができる」

こういう意味なのだと思います。

 

 

私は、子供の頃から変わっていました。

そもそも、赤ちゃんの頃から、今のような大人の意識があり、なんでも知っていました。

0歳の頃からの記憶があります。

2歳の頃に、初めてUFOや宇宙人だと思われる存在とコンタクトしています。

それからも、いろいろな不思議な体験をたくさんやりました。

大人になってからも、夢などが簡単に叶ったり、とても面白い人生を生きています。

大変なことや苦しいことも、山ほどありましたが、それも、なんとか乗り越えて、幸せに生きています。

 

記憶力もよくて、子供の頃の家族や友人たちとの会話なども、細かいことまで、全部おぼえています。

しかし、この記憶力のよさも、たまに裏目に出て、嫌な思い出や傷つけられた言葉なども、忘れることができなかったいして、苦しむことがあります。

そういう時は、そのネガティブな出来事を、ポジティブに解釈して、こうやって、ブログ記事にして書き、たくさんの人たちと体験を共有すると、皆も喜ぶし、自分自身も癒されます。

私のブログを書き続けている原動力は、これだと思っています。

 

さて、こういう変わった男なのですが、子供の頃から、自分の魂の奥底に、もう一人の自分がいることに、気が付いていました。

その存在は、とても賢く、いろいろなことを見渡していて、ここぞという時に、的確なアドバイスを、さりげなく無意識化に送り込んでくれるのです。

 

今でも、こうやって、ブログを書く時やセミナーなどで語る時には、たまに、この存在が、「セミコンシャスチャネリング(半変性意識状態)」のようなかんじになって、的確な話をすることがよくあります。

普段の私は、直接会ったことがる方は、知っていると思いますが、冗談好きで面白い、ただの普通の男です。

ただし、たまに凄く賢い存在と繋がることもできるのです。

 

適切なたとえではないかもしれませんが、子供頃大好きだった、「ウルトラマンシリーズ」で、普段は、普通の地球人の男性が、いざという時には、ウルトラマンに変身するような、そんな感覚が、子供の頃からあったのです。

 

「この奥底にいる存在の正体は、誰なのだろうか?」

去年の秋あたりから、たまに考えるようになりました。

 

 

今回の島原半島の旅で、これがわかったのです。

 

それは、松下先生と、あるバーで食事をしていた時に、松下先生が、友人の凄い能力をもった方から、教えていただいたそうです。

松下先生いわく、

「トーマさんの前世は、聖徳太子だったそうですよ」

こう言われたのです。

 

今までにも、いろいろな霊能者から、たくさんの前世を教えていただいたのですが、それらの多くは、歴史上の有名人が多かったのですが、今一つピンときませんでした。

部分的には、モチロン、合っているとは思うのですが、なんとなくボンヤリと、

「そうかな…?」

と思う程度だったのです。

 

しかし、「聖徳太子」と言われた時に、素直に、

「やっぱり…」

と思えたのです。

実は、今年の春に、奈良県を旅していた時に、そのことに、薄々気が付いていました。

特に、「補陀洛山 松尾寺」を訪れた時に、

「昔、ここに住んでいたことがある」

と確信したのです。

その時に、なんとなく、聖徳太子の記憶と繋がったような気がしたのです。

 

ただし、以前に書いたように、私は、「前世」という単語は、狭い意味の表現になるので、あまり好きじゃありません。

実際には、「生まれ変わり」や「前世」という現象は、「アカシックレコード」というデータバンクのようなところがあり、そこに、過去に生きていた人、現在生きている人、それから、未来に生まれてくる人などの全ての情報があり、そこから、誰でも自由に必要なだけ、繋がることができるという認識をもっています。

だから、私以外にも、「聖徳太子」の情報を繋がっている人は、山ほどいるだろうと思います。

ためしに、キネシオロジーを使って、

「どの程度、聖徳太子と繋がっているかな?」

と思って調てみると、「83%」と出ました。

この結果は、私には納得の数値でした。

 

「前世」という単語は、「指導霊」や「ガイド」という表現に置き換えてもいいかもしれません。

自分を導いてくれている神霊ですね。

いずれにしろ、自分の魂の奥底にいる、「もう一人の自分」のことです。

 

考えてみれば、私のやっている活動、

「宇宙的な視点から人類史を見直し、さらにわかりやすい表現に変換して、たくさんの人々に届ける」

これをやっていた人物は、過去の歴史の中に、それほど多くはいません。

まさに、聖徳太子がやっていた仕事なのです。

 

現在は、教科書からも、「聖徳太子」の名前も消されそうになっていますね。

今は、「厩戸皇子」と呼ばれたりすることも多いそうですね。

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 もしかしたら、聖徳太子の霊が、学校の教科書から消されそうな真実の歴史を、私のブログを通して、広く日本人に伝えようとしているのかもしれません。

 

 

 

これらの写真は、今年になって行った旅行の時のものです。

振り返ってみると、やはり、無意識的に聖徳太子と縁のある寺や神社で参拝していました。

 

 茨城県取手市の「八坂神社」です。

「三つ巴」のシンボルですね。

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境内には、「聖徳太子神社」という摂社がありました。

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聖徳太子の石像です。

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ここから、車でちょっとの所に、「子安神社」がありました。

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ここにも、聖徳太子がいました。

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最近、神奈川県にある、「佐波神社」にも行きました。

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一説によると、実際には、聖徳太子はここで生まれて、その後、現在の奈良県に向かったそうです。

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 「サバジンジャ」とカタカナで書かれているのを見て、「サムハラジンジャ」と音が似ていると思いました。

つまり、「シャンバラ」です。

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この神社の近くには、「寒川神社」もあります。

ここも、カタカナ表記にすると、「サムカワジンジャ」ですね。

またもや、音が似ていますね。

これは、今年の冬に参拝した時の写真ですが、「三つ巴」がシンボルですね。

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まとめると、

「シャンバラ」=「サムハラ神社」=「佐波神社」=「寒川神社」

こうなるのです。

 

「佐波神社」の拝殿です。

ここでも、参拝しました。

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このシンボルを見てください!

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これは、 大阪府南河内郡太子町にある、「叡福寺」にある「聖徳太子御廟」の彫刻です。

上記のシンボルは、「雲の上の三体の仏様」を表現していたのですね。

「三つ巴」は、これを簡略化したものかもしれません。

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2017年12月に、この寺を訪れたのですが、その時に驚嘆しました。

なんと、「聖徳太子が世界樹の上を飛んでいる絵」が、本堂に置かれていたのです。

この時から、聖徳太子とは深い縁で結ばれていると、確信していました。 

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ここからは、最近の話です。

8月4日(土)に、東京都八王子市のお祭りに行ってきました。

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太鼓と笛の音が、街中に鳴り響いていました。

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旅行記の中でも書きましたが、聖徳太子が、「補陀落渡海」という大プロジェクトのリーダーでした。

そして、その後、「神輿」が全国のお祭りで作られて担がれるようになります。

神輿というのは、そもそも、補陀落渡海の小舟を形にしたものみたいです。

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補陀落渡海舟です。

四隅に、鳥居があるのがわかりますか?

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驚いたことに、この祭りのパンフレットによると、この祭りでは、19の山車が出てくるそうです。

そうです。

「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、19組で38人の子供たちです。

つまり、「八百万の神」が勢揃いして、その神々に感謝するのが、この祭りの本当の意味なのです。

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7月28日(土)には、仲のいい友人と一緒に、神奈川県真鶴町で、毎年開催される、「貴船まつり」にも行ってきました。

やはり、「神輿=補陀落渡海舟」ですね。

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太鼓と笛の音と共に、神輿が担がれ、たくさん人が祭りを楽しんでいました。

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興味深いのは、この祭りでは、いったん、この神輿を海に入れて、それから、再び、岸に上げるという行為をするのです。

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まさに、補陀落渡海を表現しているのですね。

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この石でできたオブジェも、補陀落渡海の舟を表現していると思います。

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記念撮影しました。

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祭りなので、身体に刺青を入れた、いわゆる「ヤンチャな人たち」もいたのですが、そういった、ヤクザだとかカタギだとか、性別や年齢、職業に関係なく、皆が、楽しそうに神輿を担いでいるのを、しばらく見てきたら、急に目から意味不明の涙が溢れてきました。

この光景が、「愛と平和」の象徴に心底思えたのです。

そして、意味不明の涙が出てくるときは、だいだいにおいて、前世のトラウマの解消であることが多いです。

 

日本という国家が、「天照派」と「神武派」という二つのグループに、真っ二つに分かれて、弾圧したり、いがみ合ったり、憎しみ合った歴史が、現代では嘘のように、消え去っています。

どこかで、

「この世界の出来事の全ての万能薬は、時間である」

という話も聞いたことがあります。

そうかもしれません。

 

1400年くらい前に、聖徳太子は、こういう世界を望んでいたのだろうと思ったら、涙が出てきたのです。

「もしかしたら、自分の心の奥底に隠れていた聖徳太子の意識が、嬉し涙を流したのかな?」

こう思ったら、私の心の中で、囁くような小さな声が、

「そうですよ…」

という言葉を発したような気がしました。

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今回の島原半島の旅は、このように、私にとって特別な旅でした。

古代史や宇宙考古学の探求の先には、いわゆる、「自分探し」があったということに、ようやく気が付きいたのです。

 

子供の頃から、私を導いてくれていたウルトラマンのような存在の正体は、聖徳太子だったのですね。

大感動でした。

今までの人生の中でも、ここまで感動したことは、あまりありません。

最近の出来事の中で、一番心が震えた出来事でした。

 

 

 

最後にもう少しだけ、聖徳太子について書いておきましょう。


「日本」という国は、政情不安定な諸外国に比べると、民主主義がまだ正常に機能していると思います。
そして、その根底には、
「日本国民の道徳や常識などが、流れているから」
というのが、理由の一つのような気がします。

 

ところで、この日本人の「道徳」や「常識」というものの正体は、なんでしょうか?
その根本的な核には、何が、あるのでしょうか?

これについて、考えてみましょう。

「道徳」と「常識」と一口に言いますが、もっと具体的に言うと、それは、ほんどの日本人が、

「こんなことは、あたりまえだよ。誰でも知っているよ。皆そう思っているよ」

とボンヤリと考えている、共通認識の思想だと定義しましょう。

「これが、いつ、どこで、誰が考えた思想なのか?」

ということです。

 

まず、社会学的な視点から考えると、「道徳」や「常識」というのは、その個人が、所属しているコミュニティの規則の影響を受けます。

会社だったら、「社則」などです。
会社であれば、その会社が、仕事をしている市や町や村などの「条例」の影響を受けます。
そして、その市や町や村は、もちろん、「法律」の影響を、受けるのです。
さらに、その法律の最上位にあるのが、日本の場合、「憲法」になります。

 

「憲法」→「法律」→「条例」→「社則」→「常識」→「道徳」

会社勤めをしている人だったら、こういう流れで、思想的な影響を受けているということです。

 

簡単に言うと、「道徳」というのが、日本人の心の根底に、根づいているのですが、その源流は、「憲法」だということになります。

小学校や中学校の頃、社会科の時間に習いましたが、私たちが、現在影響を受けているのは、それまでの「大日本国帝国憲法」に変わって、1946年から施行された、「日本国憲法」です。
ただ、これは、まだまだ、日本人の心の奥底までは、深く浸透していないようです。

 

ある本に書いてあったのですが、心の奥底、つまり、魂まで深く思想が浸透するには、1000年以上の長い年月が、かかるのだそうです。
だから、「道徳」、つまり、日本人の心の源流というのは、1000年以上前の昔の思想にあるということがわかります。

 

結論から先に言うと、私個人が、いろいろ勉強した中で、一番日本人の心に、魂レベルまで、深い影響を与えてる思想は、「十七条憲法」だと思っています。

実は、この「十七条憲法」、日本の歴史において、まだ一度も、法的に廃案になったことがなく、今でも、有効な「憲法」なのだそうです。

 

「大日本帝国憲法」は法的に、すでに無効になっているそうですが、なぜか、この「十七条憲法」は、現在の「日本国憲法」と同時並行で、動いていたのだそうです。

「十七条憲法」を、いちいち取り上げる学者や知識人は、あまりいませんが、それは、いちいちとりあげなくてもいいくらいに、日本人の心に浸透しているからなのです。
つまり、「道徳」というものに形を変えて、日本人の心に、根づいてしまっているのです。

 

ネットで検索したら、「十七条憲法」の面白い現代語訳を見つけました。
わりやすい内容なので、紹介しますね。

 

「十七条憲法現代語訳」

第1条 お前ら、仲良くしてる?
第2条 仏様とお経と坊さんは、大切にしろよ。
第3条 天皇陛下の詔勅は、謹んで受けろ。
第4条 役人は、礼儀と身分を、わきまえろ。
第5条 人を裁く奴は、賄賂とかに、惑わされんなよ。
第6条 DQN(非常識な人)は叩け。いいことしろ。
第7条 役人は、ちゃんと、自分の仕事をしろ。
第8条 役人は、朝早く出勤して、夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに、帰るなよ。
第9条 信用は、大切だぞ。
第10条 他人が、何か間違ったことしても、あんまり怒るなよ。
第11条 功績や過ちは、ハッキリさせて、賞罰とかその辺、きっちりさせろよ。
第12条 役人は、住民から搾取しちゃ、ダメだろ。
第13条 役人ども、おまえらは、同僚が何やってるかは、きっちり知っておけよ。
第14条 役人は、他の市とかの方が、給料高いからって、妬んだりすんな。
第15条 役人どもは、自分のことばっかり考えてないで、国のために、働けよ。
第16条 国民に、何か課すときは、必ず、時期とか空気読んでやれよ。
第17条 重要事項は、会議して決めろ。ひとりで、コソコソやんなよ。

 

当時の役人向けに、書かれたものらしいのですが、私たち、現代の日本人が、

「こんなこと常識ですよね。こういうことは、皆、知ってますよね」

というようなことが、たくさん書いてあるのではないでしょうか?

 

この現代語訳に書かれている、
「第1条 お前ら、仲良くしてる?」
というのは、

「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
現代風に訳すと、
「和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい」

ですね。

「和の精神」です。

 

つまり、「日本の心」、いわゆる、「道徳」というものの源流を辿っていくと、そこには、今から、1400年以上前の「十七条憲法」があり、「聖徳太子」という人物の存在が、とっても大きかったことがわかります。

聖徳太子は、未来の日本のことを、真剣に考えた大思想家だったようです。
そして、日本人の生き方の指針となる書物を書こうと、世界中の思想を研究したようです。

仏教は、もちろんですが、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教、バラモン教などの宗教から、グノーシス主義やギリシャ哲学なども、いろいろ研究した痕跡も、あるようです。
世界中の思想をとりいれて、日本独自の思想をつくりだそうと考えたようです。

 

現在、日本の「精神世界」がやっているようなことを、1400年以上前に、すでにやっていたのですね。

そして、日本人に一番いいのは、「仏教」だという結論になったようです。

 

それから、「十七条憲法」のもとになるような、「三経義疏(勝鬘経・維摩経・法華経)」という書物を、書いたようです。

これは、女性も悟ることができるという、「勝鬘経」と、在家も悟ることができるという、「維摩経」と、すべての人が悟ることができる、「法華経」の三つから成立している書物らしいです。

 

聖徳太子は、この中でも、「維摩経(ゆいまぎょう」という経典を最重視したそうです。

この経典は、だいたいこういう話だそうです。

 

昔、維摩という名前の在家の資産家が、インドにいたそうです。
出家したお坊さんではないのですが、仏教の真髄を知っていたようです。

維摩という人は、お金持ちでもあったのですが、毎日、大酒を飲んで、色街に行って、遊んだり、博打を打ったりもしていたそうです。
いわゆる、「遊び人」ですね。

 

当時、お釈迦様には、たくさんのお弟子さんがいたそうですが、その中でも、特に優れた能力をもつ弟子や知恵のある弟子などで構成されていた、「十大弟子」といわれる、10人の高弟がいたようです。

お釈迦様の十大弟子というからには、凄い能力者や知恵者ばかりだったようですが、この維摩と議論などをしても、皆、絶対に勝てなかったそうです。

智恵第一といわれていた、文殊菩薩という弟子でも、維摩とディスカッションして、敗れるくらいだったそうです。

 

十大弟子たちは、いつも不思議で、

「どうして、私たちは、あなたに勝てないのですか?」

と聞いていたようです。

その時に、維摩は、いつも、

「俺は、もう悟りを開いているから、遊びほうけてもいいんだ。オマエラは、まだ悟りを開いていない未熟者だから、そんな苦しい修行など、やっているんだ」

と笑って、答えていたそうです。

 

お釈迦様は、この維摩の位を、十大弟子たちよりも、高位に置いていたという説も、あるようです。

さらに、他の説によると、実は、維摩は、とても高い高次元から、たまたま、一時的にこの世界に、遊びにきていた存在だったという説も、あるようです。
神様が、ちょっと、維摩という人物の肉体を借りて、遊んでいたということですね。

 

聖徳太子は、おそらく、この維摩のライフスタイルを、未来の日本人の理想像だと、考えたのかもしれません。

つまり、

「もっと、人生を楽しみなさい。大いに遊びなさい。この世界は、基本的に、皆、遊びにきているんですよ。修業は、その過程にすぎないのですよ。ある程度、修業が終わったら、うんと遊びなさい。でも、世間からナメられるような弱くて、ダメな遊び人には、ならないでくださいね。たとえ、普段は遊んでいても、有事の際などには、それに対応でき、また皆からも慕われ、尊敬されるような、そういう遊び人を目指しなさい」

こういう願いを、未来の日本人に、託したのではないでしょうか。

 

この経典は、宗教団体は嫌がって、あまり信者に教えたがらないようですが、とても興味深い経典らしいです。

圧倒的な知恵や実力を、身に付けた上で、ひたすら人生を楽しむ。
そして、遊ぶ。
いいですね…。

 

日本人の心の奥底にある、「道徳」。
つまり、「日本の心」には、「十七条憲法」が、かなり大きな影響を、与えているようです。
そして、さらに、その奥には、聖徳太子が重視した「維摩経」があったようです。

その教えの核には、圧倒的な実力を身に付けた上での、「遊び心」があったようです。

「仕事もしっかりやって、大いに遊ぶ」

ということです。


考えてみれば、「遊ぶ」という行為の中には、すべてのヒーリングの要素が、入っています。
「癒し」の効果、「励まし」の効果、「学び」の効果、「発散」や「浄化」や「成長」の効果など万能薬です。

 

「日本の心」の奥底にある原動力は、どうやら、「遊び心」みたいです。

これを言い換えると、

「ワクワクすることをしなさい」
というバシャールと同じメッセージを、伝えているのです。



2016年の秋に、比叡山を訪れた時に見た「維摩居士坐像」です。

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2016年の秋に読んだ本の中に、面白いことが書かれていました。

前述したように、
「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ(和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい)」
という、「十七条憲法」の中でも、最重要な個所ですが、これの解釈が他にもあったという話です。

「和の精神」ですが、この冒頭の漢字である、「和」というのは、一般的には、「ワ」と読みますね。
これは、いわゆる、「音読み」であり、昔の「隋」や「唐」の文化に、合わせたニュアンスになっていると思います。

この本の作者は、その著書の中で、
「この漢字を、本来の日本語表現で、素直に発音したらどうか?」
と、提案していたのです。
具体的には、「やわらぎ」と読んでみよう。
こう書いてあったのです。
「当時の日本人は、おそらく、やわらぎと読んでいただろう」
というのです。
そうだと思います。

こちらの「訓読み」での読み方のほうが、日本人には、自然でしっくりくると思います。
「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」


書家で詩人の「相田みつを」の言葉にも、こういうのがありましたね。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと、すぐに壊れてしまう。しかし、どちらかが、柔らかければ、大丈夫だ。柔らかい心を持つことが大切である」
東日本大震災の時、テレビのCMでも、よく流れていましたね。

「硬いもの」と「硬いもの」がぶつかると、互いに力の逃げ場がなくなって、破損してしまいます。

人が、自分の意見や主張を、かたくなに守ろうとした時、目の前に、もう一人、同じように、自分の価値観を、かたくなに守ろうとする人間がいたら、お互いが、真っ正面からぶつかり合い、双方の力の逃げ場がなくなって、互いが互いを破壊しようとする力が、働くと思います。
口論、ケンカ、いわゆる、「争い」です。

 

争いに発展すると、お互いが、心身に大きなダメージを受けることもあるでしょうし、もしそれを免れたとしても、お互いの信頼は見事に崩れ去ることでしょう。
そして、その究極が、「戦争」なんだと思います。

でも、相田みつをさんが言うように、どちらかが、「硬い状態」ではなく、「柔らかい状態」だったとしたら、たとえ、ぶつかったとしても、力の逃げ場があることになるので、どちらも、大きな損傷を被らずにすむと思います。

だとしたら、真っ先に、自分の心を、その「柔らかい状態」になればいいのです。
そして、それができるのが、日本人であり、その延長線上に、「世界平和」があるのだと思います。
「聖徳太子」が、未来の私たちに向けて、本当に伝えたかった最重要メッセージは、これだったのだと思います。


「島原半島ワクワクツアー」、今回で最終回です。
この旅行記も、とても面白い内容になりました。


一緒に、いろいろな所をまわってくれた方々、ありがとうございました。

松下先生とタウリンさんに、スペシャルサンクスです。
また、おしゃべりしましょうね。

 

 


では、いつものように、恒例の最後の一言です。
以前にも、旧ブログで書いたのですが、もう一度、この一文で締めくくりますね。

 


「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
by 聖徳太子

 

 

 

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島原半島ワクワクツアー 8 切支丹

私たち一行は、超マニアックな島原半島ツアーを、ワクワクしながら楽しみました。

おそらく、ここまでディープな旅は、他にないだろうというくらいの内容でした。

会話の内容が、凄すぎるのです。

ここまで、歴史を深読みしながら、神社仏閣巡りをしているグループは、少ないと思います。

 

島原半島には、あちらこちらに、「天照派」のシンボルが、たくさんあり、それが目に留まりました。

「三つ巴」や「鬼瓦」などを見るたびに、この土地は、「愛と平和」の聖地なのだと確信しました。

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島原半島を旅していると、名もないような小さな寺にも、とても興味深い石像があったりします。

 

ここも、ちょっと立ち寄った寺ですが、面白い仁王像が立っていました。

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まわしをしめていて、明らかに力士の姿ですね。

つまり、この辺りも、「人類創世」の場所だった可能性があるということです。

口が開いているので、「エンリル」ですね。

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こちらは、口が閉じているので、「エンキ」ですね。

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 興味深いポーズだったので、不思議に思っていたら、タウリンさんが、

「これは、踊っている姿の埴輪なんじゃないですか?」

というユニークな発言をしたので、笑ってしまいました。

そうかもしれませんね。

だとしたら、「人類創世」には、「踊り」も関係しているということです。

いろいろ想像したら、またワクワクしてきました。

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同じポーズをして、おどけています。(笑)

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この仁王像の視線の先に、この山があります。

なんと、名前が「富士山」です。

山頂には、「富士山神社」もあるそうです。

標高は173.5mで、日本一小さい富士山とも言われているそうです。

「不死山」でもあり、「プロビデンスの目」でもあるので、「エンキ」の意味ですね。

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この寺の奥には、「イザナギ」と「イザナミ」の石像もありました。 

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本堂です。

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さらに、寺の奥には、奥宮のように、小さな祠がありました。

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狛犬もいました。

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祠の一つには、「聖徳太子」だと思われる石像もありました。

この人物も、馬小屋の近くで生まれたことから、同じ馬小屋で生まれた、「キリスト」と同じ魂のグループだと思っています。 

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「普賢山 龍照寺」というお寺にも行きました。

場所は、南島原市です。

「不動明王」がいたので、一緒に記念撮影しました。

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ちなみに、「不動明王」は、「エンリル」です。

旅行記の始めの頃に書きましたが、このグループは、「ライオンのような顔」が特徴なのです。

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そして、人間に関与するのが好きで、過保護でお節介焼きです。
その代り、生殺与奪の権も握っていて、いざというときには、なんでもやる怖い存在でもあったようです。

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基本的には、「お寺」という所、そして、「宗教」のほとんどは、この「エンリル派」です。

教義や教えがあり、それで、人間を具体的に導きます。

 

 

一方で、「エンキ」は、「下半身がヘビ(龍)」なのが、特徴でしたね。

「宇賀神」とも呼ばれていて、いわゆる、「龍神様」です。

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そして、人間には、ほとんど関与せずに、わりとクールで放任主義です。
ただし、ここぞという時には助けてくれる、やさしい存在だったようです。

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基本的には、「神社」は、この「エンキ派」です。
教義や教えなど何もなく、参拝しても、うんともすんとも言ってきません。

人間にとっては、遠くでやさしく見守っている、祖父母のようなかんじです。

 

 

ここにも、「亀の神様」がいました。

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 そして、「空海」の仏像と絵がありました。

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しかし、私の目には、この絵は、「写真」に見えました。

おそらく、宇宙人や未来人と呼ばれている存在だった「空海」が、当時、現在のスマホのようなもので、自撮りした後に、それを何かのアプリで、「水墨画モード」に設定して、いかにも絵画であるかのように、加工したように感じました。

 

さらに、この顔は、耳がほとんど見えませんね。

だとしたら、ここで面白い仮説が浮かび上がってきます。

そうです。

法隆寺に置いてある、「レプティリアン(爬虫類人)」の正体は、シェイプシフトする前の「空海」だったのではないでしょうか?

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もしも、そうだとしたら、例の「亀の神様」の正体も、「空海」でもあったということになります。

いや~、面白いですね~!

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さらに、「イナンナ(聖母マリア)」に抱かれている存在、「キリスト」でもあったということになります。

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まとめますね。

「キリスト」=「聖徳太子」=「空海」

この三者は、同じ魂のグループだったということです。

「愛と平和」の使者だったということです。

おそらく昔、違う時代に、三人とも何かの使命で、島原半島をまわっていたと思います。

 

 

前回書いた記事に、「従是南補陀境内」という文字が刻まれた石碑を紹介しましたが、それがある海岸を歩いていたら、この松の木がありました。

松の木の先が、地面に埋もれています。
その松の木が、まるで鳥居のようになっているのです。
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そして、その近くの道端に、「切支丹墓碑」と刻まれた石碑がありました。

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今回、この文字を見て、ようやくこの単語の深い意味がわかりました。
キリスト教徒だから、「クリスチャン」と言えばいいのに、どうして、「キリシタン」という呼び方だったのかが、わかったのです。

 

訛っていたわけではないのです。
この文字に意味があったのです。
「丹生家の支流から、切り離された一族」
これが、「切支丹」という表現だったのです。
「本当の天皇家」という意味です。

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「キリスト教徒」でもあったが、同時に、「丹生家(天皇家)」でもあったということです。

 

 

 

南島原市加津佐町本岩戸という所に、とても重要な土地が隠れていました。

例の「切り株」、すなわち、「世界樹」ですね。

形が、完全にテーブルマウンテンですね。

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この山の近くに、「巌吼寺」という寺があります。

ひっそりと目立たないように、ある神様が、ここに鎮座していたのです。

「普陀山」という山号がついています。

明らかに、「補陀落」の意味ですね。

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これと同じ名前は、お隣の中国にもあります。

ウィキペディアによると、「普陀山」は中華人民共和国浙江省・舟山群島にある島と書かれています。

中国四大仏教名山(仏教の聖地。五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られているそうです。

年間360万人を超える観光客が訪れる、観光地でもあります。

ここも、「補陀落渡海」の場所だったと思います。

 

この石碑の側面には、こういう文字も刻まれてます。

 「人の一生普陀山」

と書かれているのかな?

興味深い言葉ですね。

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皆で、記念撮影しました。

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急な階段を登っていきました。

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「亀に乗ったお坊さん」の石像がありました。

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とても深い意味がありそうですね。 

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これも、「空海」だと思います。

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空には、龍雲が出ていました。

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「三つ巴」と「菊花紋」が組み合わさった特別な模様の瓦です。

これがあるところは、特別な聖地です。

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ここの本堂には、貫禄のある文字が、掲げられていました。

「天皇」を意味する、「皇」の文字が光っていますね。

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境内にある祠の中には、「不動明王」と「空海」がいました。

今、気が付いたのですが、「扇」は、「アヌ王」がシェイプシフトしたUFOのシンボルかもしれません。

同時に、「天狗」のシンボルでもあり、それは、「猿田彦」も意味しています。

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これは、「お釈迦様」かな?

この聖人も、「キリスト」と同じく、「愛と平和」のグループですね。

「扇」というのは、同時に、「天狗」のシンボルでもあり、それは、「猿田彦」も象徴しています。

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この立て札に、驚愕しました!

見てください!

「さるの墓」と書かれていますね。

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この立て札の近くに、また階段があり、皆で、そこを登って行きました。

 

そして、神殿のような所がありました。

見てください、これが、「さるの墓」だそうです。

ちょっと考えれば、わかりますが、猿一匹のために、ここまで、立派な墓を建てますか?

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「猿(申)」=「猿田彦(天狗)」=「キリスト」なのです。

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そうなのです。

ここは、「キリストの墓」なのです。

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 「キリストの墓」は、全国に何カ所かありますが、全部本物だと、私は思っています。

そして、ここもそうなのです。

正確には、「お墓」ではなく、「新しい肉体に生まれかわり、復活した場所」だったと思います。

 

ここでは、プチミラクルもありました。

私たちが、ここに入った途端、セミやカエルが、一斉に鳴きだし、合唱のように、その声が、その空間で響き渡ったのです。

「カエル」=「蘇る」=「キリスト」

この意味を思い出しました。

「キリスト」の神霊が、私たちを歓迎してくれたのだと思いました。

 

考えてみれば、「切支丹(キリシタン)」の聖地に、「キリストの墓」がないほうが、おかしいのです。

以前から、

「島原には、どこかに、キリストの墓が、あるんじゃないかな?」

と思っていたのですが、ここにあったのです。

 

 

他にも、面白いところがありました。

ここです。

「大黒天磨崖仏」という所で、場所は、雲仙市小浜町雲仙にあります。

鳥居を抜けて、しばらく歩きました。

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詳しいことは、割愛させていただきますが、「大黒天」と「大国主命」は、「キリスト」でもあります。

ここにも、「キリスト」の痕跡が残っていたのです。

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着きました。

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案内板です。

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ここの岩の集まった所です。

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ありました!

記念撮影しました。

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タウリンさんとも、またもやツーショットです。

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この岩絵は、どうみても、ソフトクリームを食べているようにしか、見えません。

面白いのは、ここの来る前に、松下先生とタウリンさん、それかから私の3人でソフトクリームを食べていたのです。

もしかしたら、私たち3人の意識が、過去に飛んで、この岩に、「大黒天(キリスト)」の絵を彫ったのかもしれません。

だとしたら、

「同じ波長のグループは、一緒に集まる」

という波長の法則からすれば、私たち3人も、そして、この旅行記を読んでいる方も、皆同じ「愛と平和」のグループだということになります。

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この「ソフトクリームを食べている大黒天」をよく見ると、頬っぺたのあたりから、「天使の羽」が生えているのが見えますね。

これって、どこかで見ませんでしたか?

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ハイ!

「フランシスコ・ザビエル」の周りを、彼を守護するように飛んでいた天使たちですね。

この天使の正体は、「大黒天」であり、「キリスト」だったということです。

いろいろな悪い説もありますが、広い視点から眺めれば、彼も、なんだかんだ言って、本物の「キリスト」のグループだったのだと思います。

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「シャンバラ」について考える時、私はいつも、第二次世界大戦中に、チベットの「ポタラ宮」をナチスが襲った話を思い出します。

 

一説によると、ヒットラー総統は、この宮殿の地下に、「シャンバラ」という地底王国に続くメインゲートがあったと思っていたそうです。

そこから、「シャンバラ」に入ろうとしたそうです。

結果的には、チベットの僧侶たちが、危機感をもち、その入口を爆破して、誰も入れないようにしたとのことです。

 

旅行記の中でも書いたように、「ポタラ」の名は、観音菩薩の住むとされる「補陀落」のサンスクリット語名、「ポータラカ」に由来するそうです。

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私には、「江戸幕府と切支丹」の攻防戦が、「ナチスとチベット」の攻防戦と似ているように感じるのです。

どちらも、「ユートピア」である、「補陀落」と「ポタラ」が関係していますね。

やはり、「島原(シマバラ)」の地下にも、「シャンバラ」があったのかもしれませんね。

 

「切支丹(キリスト教徒)」というのは、もしかしたしら、実は、太古の昔に、絶対平和主義の「シャンバラ」の住人が、地上に出てきたグループの子孫だったのかもしれません。

 

「シャンバラ」の想像画です。

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次回、「島原半島ワクワクツアー」、感動のフィナーレです。

 

 

 

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島原半島ワクワクツアー 7 八百万の神

最近、「友人」や「仲間」という言葉の意味や定義について考えています。

「これに当てはまる人たちは、自分にとって、どういう存在なんだろう?」

こう思うのです。

 

20代の頃、最初に入社した職場で、歳も同じくらいで、同じセクションだったこともあり、ほとんど毎日一緒にランチを食べていた友人がいました。

2年以上もの間、お昼時に一緒に、おしゃべりしていたのです。

しかし、私が当時から、不思議な出来事が好きで、UFOやバシャール、死後の世界、幽霊、ネッシーや雪男、超古代文明、それから、筋トレの話をしたいのに対して、その友人は、野球、サッカー、パチンコ、競馬、社内恋愛、車など、私が、全く興味のない話題をやるのです。

 

そこでお互いに、話が合わないことがわかったので、だんだん天気の話やニュースや仕事の内容など、当たり障りのない、無難で浅い話ばかりするようになったのです。

それでも、惰性でダラダラと、おしゃべりしていました。

とてもいい人だったのですが、あれ以来、まったく付き合いはありません。

今でも、もしも道端で会ったら、会釈してちょとだけ昔話をするかもしれませんが、数分の会話で終わりだと思います。

喧嘩もしなかったのですが、心が通い合うことが、まったく無かったのです。

 

こういう付き合いの人たちは、学生時代も、他の職場でも、たくさんいました。

結局、自分に合わなくて不本意な仕事を選び、毎日、適当な仕事をしていれば、周囲に集まってくる人たちも、そういう人たちになるのです。

自分が、本来の道から外れて、中途半端で適当な生き方をしていたら、そういう波長の人間関係を、無意識に構築してしまうということです。

 

一方、自分が本当にやりたい仕事を始めると、もちろん大変ですが、毎日ワクワクしながら、自分の魂を輝かせるので、同じようにワクワクしながら、輝いている人たちばかり、やってきます。

 

今回の島原半島の旅では、それを特に感じました。

会う人たちは、皆、初対面なのに、初めて会った感じがしないのです、わずか数時間で、家族や兄弟姉妹のように、仲よくなったのです。

そして、「心の交流」ができました。

「心の交流」というと、「本音で語りあう」ということです。

礼節やマナーを心掛けるという前提条件の下で、言いたいこと言い合う、本音トークができるのが、本当の意味での「友人」なんだと思います。

 

私だけでなく、たくさんの人たちが、今、これを心底求めていると思います。

世の中の人々は、皆、もう偽物には、ウンザリしているのです。

全てにおいて、本物をだけを追い求めているのが、現代なのです。

そして、商品でもサービスでも、人間関係でも、本物に触れると、魂の奥底から、喜びがこみ上げてくるのです。

 

 

 

前回の「補陀落渡海」の続きですが、「熊野」を中心にして、ここから、全国に小舟に乗って、「天照派」の人々は、新天地を求めて亡命していたようです。

その中の一部は、西日本や九州、沖縄、場合によっては、朝鮮半島や中国にも、亡命していたようなのです。

 

「遣隋使船」や「遣唐使船」なども、それだった可能性があります。

つまり、「天照派」の日本人が、表向きは、海難事故に遭って海の藻屑となったという話にして、実際には、隋や唐で帰化人として、新生活を始めていたのかもしれません。

もしかしたら、遠くのヨーロッパまで行ったグループもあったのかもしれません。

 

だから、鎖国の時代に、日本にやってきた外国人の中には、先祖が日本人だった商人や宣教師もいたのかもしれません。

遠くの日本に、あれだけの距離を航海して来るというのは、よっぽどの理由じゃないと、できないと思います。

私には、彼らは、ただの金儲けや侵略目的だけじゃなかったような気がするのです。

 

 

私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。

 

その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。

広い境内の中に、こういう細長い祠が、二つあることに気が付いた人も多いと思います。

ほとんど、何も書かれていません。

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これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。

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ハイ!

「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。

日本の本当の天皇家ですね。

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最近、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。

見てください。

「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。

いわゆる、「八百万の神」ですね。

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つまり、旧暦10月に、毎年、全国の八百万の神々が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。

「愛と平和」のグループですね。

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どうやら、このグループが、九州地方にも移動したようなのです。

そして、そのグループの拠点が、「島原半島」だったようなのです。

 

だから、表向きは、「キリスト教徒」の姿をしていたのですが、おそらく、実際には、魂的には、「天照派」だったと思います。

つまり、「大丹生家」や「丹生家」であり、本物の「天皇家」です。

「補陀落渡海」に関わった人々であり、同時に、「シャンバラ」とも関係あったと思います。

だから、「島原(シマバラ)」=「シャンバラ」でもあったと思うのです。

 

 

 

旅行記に戻ります。

 

島原半島の旅でも、「補陀落渡海」の痕跡を、いくつも見つけました。

私たち一行は、タウリンさんの案内で、ある海岸に行きました。

 

これは、タウリンさんが発見した石碑です。

古代史において、新たな時代が始まるくらいの大発見です。

この砂浜は、古代において、「補陀落渡海」が、なんらかの方法で行われていた証拠です。

「従是南補陀境内」

こう書かれていますね。

「日本の南側において、補陀落渡海が行われていた土地」

こういうニュアンスなのかもしれませんね。

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タウリンさんと記念撮影しました。

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この石碑の近くには、小さな鳥居もありましたが、もしかしたら、そこが、「補陀落渡海」の小舟が、行き来していた所だったかもしれません。

 

そして、場所から推測して、おそらく、関西から「補陀落渡海」の小舟が流れ着いた場所というよりは、ここから小舟に乗って、コッソリと「隋」や「唐」に向かった所だったような気がします。

 

 

 

私たちは別の日に、「雲仙」にも行きました。

そして、「温泉神社」にも立ち寄りました。

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拝殿で参拝しました。

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こちらも、有名な「雲仙地獄めぐり」の場所です。

ここでは、昔、キリシタンたちが、拷問をされた所でもあるそそうです。

彼らにとっては、文字通り、「地獄」の場所だったと思います。

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そんな歴史も、現在では跡形もなくなり、今は、のどかな温泉町になっています。

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記念撮影しました。

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「温泉神社」から歩いてちょっとの場所に、「満明寺」という寺があり、そこにも立ち寄りました。

 

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狛犬の下には、「三つ巴」のシンボルがありました。

「天照派」の拠点だった証拠です。

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 「満」の文字の中に、「人」という文字が、二つあるのを、発見しました。

これは、「イザナギ」と「イザナミ」を表現していると思います。

「明」の文字は、「日」と「月」ですね。

この二つで行われる天体ショーは、「日食」ですね。

「太陽が隠れた後、また蘇る」

という意味で、やはり、「天照大御神」の「岩戸開き」を意味しています。

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本堂の中には、「補陀落渡海」の小舟を思わせる木製の台のようなものが、置かれていました。

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そして、見てください!

大感動しました。

本堂の前には、キッチリ、38人の石像が置かれていました。

ここにも、日本の神々のルーツである、「八百万の神」が、勢揃いしていたのです。

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寺の奥には、「行基」の石像もありました。

このお坊さんも、「天照派」のグループだったと思います。

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「行基」という名前には、「基」と「行」という文字が入っていますね。

もしかしたら、「基督(キリスト)の行いをした人」という意味かもしれませんね。

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寺の前にも、石像がいくつか並んでしました。

よく見ると、後から、頭部がすげかえられている痕跡があります。

元の頭部の顔に、本当の「八百万の神」の顔が、刻まれていたのかもしれませんね。

どんな顔だったんだろう?

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寺の横の空き地には、「相撲の土俵」のような跡がありました。

ここも、太古の時代、「人類創世」の舞台だったかもしれません。

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また、これを見ていたら、UFOマニアの私は、
「もしかしたら、これも、ミステリーサークルで、たまにUFOが発着している所なのかな?」
こう思って、ワクワクしてきました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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島原半島ワクワクツアー 6 補陀落渡海

初めて読む方も多いと思うので、「補陀落渡海」の話も、再度、簡単に書いておきますね。

細かい話をすると、話が長くなりすぎるので、要点だけを書いておきます。

 

一説によると、古代の日本は、ある期間、二つのグループが存在していたそうです。

ハッキリとした名前がついていたわけではありませんが、ここでは、わかりやすいように、「天照派」と「神武派」という名前で呼びますね。

 

旅行記の最初のほうで、シュメール文明の頃から、地球を支配していた宇宙人の一族である、「アヌンナキ」の話をしましたね。

その続きの話だと思ってください。

 

今から50万年前に、中近東を拠点に活躍していた、この家族は、父親の「アヌ王」、それから、二人の息子、「エンリル」と「エンキ」がいたという話をしましたね。

実は、この時に、もう一人、娘がいたそうです。

その娘は、二人の兄弟の妹になるのですが、「ニンフルサグ」という名前だったそうです。

 

それから、いろいろな出来事があって、「アヌ王」と「エンリル」は、地球の表の王様となって、地球の政治を治めるような仕事をしていたそうです。

一方の「エンキ」と「ニンフルサグ」は、裏の王様のようなかんじになって、アフリカで、遺伝子操作の実験に没頭して、たくさんの動物を、創ったそうです。

その時に、人間も創ったそうです。

ちょっと前に、

「人間の遺伝子を遡ると、アフリカの一人の女性に、辿り着く」

という学説がありましたが、この女性が、「ニンフルサグ」だそうです。

 

シュメール文明の粘土板に描かれている絵です。

左が、「ニンフルサグ」で、右が、「エンキ」です。

中央にあるのは、「生命の樹」だと言われています。

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実は、このファミリーが、中近東に降り立つ前、もっと太古の時代に、「エンキ」と「ニンフルサグ」は、すでに、宇宙の根源からダイレクトに、やってきてたようなのです。

それは、実に720万年前の出来事だったそうです。

 

詳しいことは、思いっきり省きますが、この二人が、日本人の始祖でもあるのです。

「エンキ」=「イザナギ」

「ニンフルサグ」=「イザナミ」

魂的には、こうなるそうです。

 

日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」の正体も、古代シュメール文明の「アヌンナキ」の一族だったようです。

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 結論だけ、先に言いますね。

「天照派」と「神武派」の二つのグループの構成は、こうなっていたようです。

 

 〇「天照派」=「イザナギ(エンキの魂)」と「イザナミ(ニンフルサグの魂)」
「自由」と「知恵」と「愛」のグループ

〇「神武派」=「神武天皇(アヌ王&エンリルの魂)」
「平等」と「力」のグループ

 

太古の日本においては、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に日本の国造りをしたそうですが、これは、絶対平和主義のグループで、本当に「愛の存在」だったそうです。

 

それに対して、後から、日本の土地にやってきた、「神武天皇」は、大陸からやってきた渡来人や帰化人のグループと組んだ、「権力志向の存在」だったそうです。

そして、かなりの長期間にわたって、「神武派」が「天照派」を弾圧したり圧政下におくということを、続けていたそうです。

 

 

「愛の存在」である「イザナギ」と「イザナミ」は後に、38人の子供を生んだそうです。
この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。

38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。


この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」の称号を名乗り、後に、「天皇家」になったそうです。

ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。

この頃から、「天皇」という称号が、生まれたそうです。

念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。
「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。

 

しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。

 

 

さて、「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。

その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。

 

きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。
この天皇のグループは、権力志向だったようです。
「神武天皇」は、シュメール文明の神様の中では、「アヌ王」と「エンリル」の二人の魂が融合したような存在だったと、私は思っています。


「天照派」のグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。

 

そして後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。
さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。
権力によって、人々を平等に統治するという考え方ですね。

これらの推測は、私個人の感覚的なもので、科学的な根拠があるわけではありありません。

 

また私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。

国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。


この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、

〇「天照派」=「理想主義」
〇「神武派」=「現実主義」

こうなると思います。

 

現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。

具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。

これも、いろいろな見方ができるので、

「どの意見が正しいか?」

というのは、とても難しい問題なのです。

 

私が面白いと思ったのは、前述したように、「天照派」の人々は、古事記の「天照大神」とは、直接は関係ないのが、やはり、性格が似ているのです。

つまり、このグループは、

「絶対に戦わない」

という共通の姿勢があるのです。


古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。

ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。
要するに、「引きこもった」ということです。

本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。

 

たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。

「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」

こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。

 

おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。
生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。


それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。
怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。


この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。

現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。
そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。

私は完全に、「天照派」ですね。
あなたは、どのタイプですか?(笑)

 

 

「天照派」の話を続けます。

ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。
それから、1500代も、この系統は続いたそうです。

それぞれの平均寿命も長く、3000歳くらいまで生きたそうです。

 

そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。

繰り返しますが、「古事記」の話とは、別の話です。

 

それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。

部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。

 

 

古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。

とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。

 

何かに腹を立てて、怒っても、相手に仕返ししたり、怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。
本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。

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何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を、殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。

 

現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。
社会に対して、無言の抗議をしているのです。


ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。

「どうして、学校に来なくなったんだろう?」

「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」

「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」

こう思っていると思います。


これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。
口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。

「静かな怒り」

なのです。


これは、政府に対してもそうです。

あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。

ただ単に、

「投票に行かない」

という無言の抗議行動をします。

 

引きこもってしましまった人々が、世の中に出てくるようにするには、怒ってもダメだし、なだめたり、おだててもダメです。

「天照大神」を、天岩戸から出そうと思ったら、皆で、裸踊りをするくらいの宴会を、やらなくてはいけないのです。

 

つまり、

「ワクワクすること」

これが、世の中に、たくさん出てきた時に、引きこもっている人たちも、隙間から、外の世界を覗きこみ、岩戸から出たくなるのです。

「世の中は面白い! ワクワクすることで溢れている!」

私の旅行記は、一貫して、そう主張しているのです。
だから、天岩戸の中に、引きこもっているような人たちに、特に読んでいただきたいのです。

 

もう一度まとめますね。

「神武派」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。


「神武派」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派」を弾圧していたようです。

 

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。


一つ目は、「賀毛神社」です。
ここは、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。

「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」

ということです。

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二つ目は、ここからすぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。
ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

だそうです。

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この二つの神社には、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前があるのが、興味深いです。

 

調べてみると、古代の日本は、最終的には、

「奈良」=「天照派」=「南朝」

「京都」=「神武派」=「北朝」

こうなったそうです。

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということがわかって、納得しました。

 

歴史に登場する、「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。

「空海」は、うまく助けていたようです。
「天照派」の一部を四国に逃がして、四国八十ハ箇所に見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。

 

徳島県美馬市にある、「神明神社」です。
正式には、「磐境神明神社」 というそうです。
ここで、「天照派」の一部は、匿われていたそうです。
「いなべ」という土地から逃げてきた一族だったので、ここでは、「忌部(いんべ)」と呼ばれていたそうです。
神殿が、独特な形をしています。

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「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

 

ここで、これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。


こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。

 

もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。

「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。

日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。


「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。

「蛇の道は蛇」

「毒を以て毒を制す」

こういう諺もありますね。

「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。


だから、私の中では、

「神武派」=「ジャイアン」
「天照派」=「のび太」

こういう解釈になっています。(笑)

 

大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。

その教授が言っていました。

「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」

「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。


つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。

一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。

どちらも偏っていたのです。

 

英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。

つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。

 

「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。

お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。

 

「競争」という行為自体は、中立なのです。
それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。

 

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

 

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。
下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

 

そこで、ある時期に、

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒に、お祭りでもやらないか?」

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。


そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。


そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。

それが、「葵祭」だったのです。

日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。


「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもあわるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。

つまり、

「向日葵」=「太陽」

ということです。

「葵祭」というのは、

「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」

こういう願いを込めた儀式だったそうです。

 

数年前に京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。

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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。

「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」

ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。

 

 

「神武派」と「天照派」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。

 

おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。

そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。

陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。
当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。

 

「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、

「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」

こういう法律をつくり、乞食の立場に追いやったそうです。

それで仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで質素な生活を始めた人々も、多かったようです。

 


「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ移動していったようです。

特に、前述の奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に逃げていたようです。

 

「熊野」を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。

一般的には、「王子」とは、「熊野権現の御子神」だと、考えられているようです。


昔から、不思議だったのですが、そもそも、どうして、「熊野」というのでしょうか?
この土地に、たくさんの「熊」が生息している「野山」というわけでも、なさそうです。

調べると、元々は、「熊」という文字は、「畏」だったそうです。

「畏れ多い」 

という表現で使いますね。

つまり、「熊野」という土地は、「畏の」という意味で、

「畏れ多い神々の住む聖地」

という意味だそうです。

 

「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。
それらは、総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。

一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。
しかし、、実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。

 

ここからは、私の想像です。

おそらく、このエリアには、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。
そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。
99のグループに、分かれていたのだと思います。

 

しかし、よくよく考えてみてば面白い話です。

歴史上、いつの時代も、どこの国でも、「王様」は一人だけです。
そして、「王子様」も、数人くらいしかいなくて、「王様」の椅子を狙って、王子様同士で、喧嘩したり、戦争することになると、だいだい決まっています。

また、「王子」という単語も、日本的ではありません。
中国などの大陸での称号ですね。

 

おそらく、「天照派」の人々は、絶対平和主義だったから、そもそも争わなかったのだと思います。
そして、「王座を狙う」などという椅子取りゲームにも、興味がなかったのだと思います。


99人も王子様がいたのならば、それから先の時代に、少なくする方向ではなかったと思います。
もっと、もっと多くしようと思っていたと思います。

 

最終的には、99人どころか、999人、9999人、99999人…
こんなかんじで、日本全国、全ての人々が、「王子」の身分になるような国家を目指したのではないでしょうか?

つまり、現代の「国民主権」や「民主主義」を、この時代に、思い描いていたのではないでしょうか?

 

そして、そんな彼らが、夢を見て、最初に、実現させたのが、天下泰平だった、「江戸時代」だったのではないでしょうか?

現代は、いつでも美味しいものが、食べれれて、皆が、飛行機や新幹線で、いろいろなところに、旅行に行けますね。
まさに、「国民皆王子」の時代ですね。

 

この時代に、未来の「民主主義」を思い描いた、99人の王子たちのことを、イメージしていたら、目から涙が出てきました。

 

 

絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で閉塞状態になっていたようです。

 

陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。

そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。

 

それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。

「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」

ある時、こう決意したのだと思います。

 

海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。


そんなとき、一人の救世主が現れます。

「聖徳太子」

この人物が、助けたのです。
聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。

救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。

 

私は、「聖徳太子=キリスト説」を主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。

聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。

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彼らにとっては、「西日本」は、まるで監獄にいるように、不自由な土地でした。

そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。
よいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!

 


熊野地方には、日本史における、最重要な寺があります。

「補陀落山寺」という小さなお寺です。
「世界遺産」でもある重要な場所です。

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「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。

私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。
あるキッカケで知ったのです。


ネットで調べると、こういう説明が出てきます。


「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「華厳経」には、インドの南端にあると、説かれているそうです。

「観音信仰」の流布とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。
チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。

日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。
そして、この信仰を広げたのが、前述した、聖徳太子だったのです。

日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。

記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。
熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。

聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは行われていたそうです。


チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。
そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために迫害されていますね。
日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。

 

「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「シャンバラ」があると言われていますね。

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「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。

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これもネットで調べると、こういう説明が出てきます。


那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して船出したと伝えられています。

補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が刻まれています。
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうです。

渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。

渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に乗りこんだそうです。


説明は、さらに続きます。


渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には外から釘が、打ちつけられたそうです。

渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。

渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。

船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。


こう書かれています。
これが、一般的な認識です。

 

 

渡海僧が乗りこんだ船を復元したものが、境内にある建物のなかに展示されています。

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奇妙な形をした小さな船です。
船の上には屋形が、作られています。
その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。

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人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋があり、ここに僧侶が一人だけ入り、外からは釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。

もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。
だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。

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さて、ここからが、いよいよ本番です!

 

「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。

しかし、よく考えてください。

こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?
ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?

ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。


勘の良い方は、もうわかりましたね。

そうです。

「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!

「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま、沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」

というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!


本当のことは、隠されていました。

実際には、こうだったようです。

途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。

「よ~し! 行ってこ~い!」

こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。


すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。

そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで、運んでくれたのです。

ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。

 

そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。

そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。

 

黒潮です。

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「西日本」 ⇒ 「東日本」

これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは驚きですね。
しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。


私たちは、歴史においては、必ず、「民族大移動」という大人数でのイメージがありますが、それは大陸の話です。

聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。

 

その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1000年間くらい続いていたそうです!

これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を、広げていくという活動を、していたのだと思います。

目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。

 

 

 房総半島の痕跡です。


「補陀落渡海」の僧侶たちが、「西日本」から、「小舟」で辿り着いた場所に、行ってきました。

ここには、

「玉依姫という名前の神様が、陸に上がってきた場所」

という伝説が残っています。

 

場所は、千葉県の「九十九里浜」です。

もうわかりましたね。

「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」

こういう意味だったのです!


さらに、この「九十九里」という漢字を分解すると、

「九」+「十」+「九」+「十」+「口(くに)」+「土」

となり、意味は、

「三十八の国土」

という意味になります。

 

着く場所が、どうして港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?

砂浜だからいいのです。

砂浜だと、大きな船は接岸できません。
沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。
砂浜という地形は、小舟じゃないと上陸できないのです。

大きな船が接岸できる港だったら、すぐに追っ手に見つかってしまいます。
このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。


昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。
「浜鳥居」という名前だそうです。

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「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、このルートを歩いたようです。

「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」

大まかな地図です。

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房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。
あるグループは、ここを定住の地に決めたようです。

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拝殿で参拝しました。
黒色は、珍しいと思います。
いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。

 

そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、

「うわ~~!!」

と、大声で叫んでしまいました。

「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。

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大感動でした~!
やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。

 

 

房総半島の南端、館山市には、「那古寺」というお寺があるのですが、ここの山号が、「補陀落山」なのです。
明らかに、和歌山県の「補陀落山寺」と関係ありますね。

 

ここにも行きました。

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 ここでも、たくさんの痕跡を見つけて、感動しました。


このように、特に、「東日本」の海岸沿いに、「補陀落渡海」を思わせる名前の寺や神社が、たくさんあるのです。

 

そして、実は、熊野から遠く離れた九州、今回の旅メインの土地、「島原半島」にも、「補陀落渡海」の痕跡が、たくさん残っていたのです。

 


次回は、その話題です。
お楽しみに!

 

 

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島原半島ワクワクツアー 5 世界樹

去年の春に初めて知ってから、それに魅了されて虜になり、それ以来、夢中になって、その痕跡を辿りました。

それが、「世界樹」の存在です。

生まれてから今までに、驚いたことは、山ほどありますが、その中でも、これは、一番かもしれません。
あれ以来、これらの岩たちが、私には、植物の化石に見えるのです。



ここで、初めての読者のために、「世界樹」の話も再度書いておきますね。

地球という星は、「惑星」ですね。
「惑星」とは、英語では、「planet」です。

これは、ある本で読んだのですが、もともとは、
「plant(植物)」と「network(ネットワーク)」
という二つの単語を、組みわせた合成語だそうです。
つまり、地球という星は、元々は、
「植物たちが生い茂り、相互に意思疎通をやっていた土地」
という意味だそうです。

その衝撃は、2017年の4月。
最初は、出張先のホテルで見た動画が、キッカケでした。
ウクライナの科学者の方が作成したそうですが、それを見て、ビックリ仰天したのです。
「この地球に山や森は存在しない(前編)」
このタイトルの動画です。

動画では最初に、「切り株」が登場します。
これが、この地球の全ての謎を解く、鍵になります。

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植物というのは、年月が経つと、だんだん石化してしまうそうです。
堅くなり、石になり、それから、石炭になったり、環境が整えば、ダイヤモンドになるものもあるようです。

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さて、この山を見てください。
アメリカのワイオミング州北東部に存在する岩山です。
「デビルズタワー」と呼ばれています。

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1906年に米国初のナショナル・モニュメントに指定されたそうです。
高さは、約386メートルだそうです。


1977年に、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画、「未知との遭遇」で、巨大UFOの降りる場所として描かれ、有名になりましたね。

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クライミングする人たちです。
人が、小さく見えますね。

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こうやって、登っているみたいです。

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話は変わりますが、自然界において、「六角形」という形は、とても多いようです。
これは、雪の結晶です。

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蜂の巣も、六角形ですね。

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そして、植物の中には、六角形をベースに、フラクタル幾何学の模様の形で、成長するものも多いようです。

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植物の中には切り取ると、細胞がこのように、六角形になっているものも多いです。

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これは、何かの苔の細胞だそうです。
六角形ですね。

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もちろん、そうじゃない形の細胞も、たくさんありますよ。

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もう一度、「デビルズタワー」の壁面を見てください。
表面が、薄く剥がれていることが、わかると思います。

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これは、植物の膜が剥がれているのに似ていると、動画の中では解説されていました。

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そうです。
この山は、岩山ではなく、太古の昔、超超超巨木だったのです!!
木の表面が、石化していたのが、あの模様だったのです!

 
樹木というのは、下の方が、こうなっていますよね?

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デビルズタワーの下部です。

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つまり、これは、超超超巨大な「切り株」だったということです!

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上空から見た姿です!
まさに、「切り株」ですね~!

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これは、「デビルズタワー」ではありあませんが、その近くにある、同じような山の頂上だそうです。
「六角形」で、構成されていますね。
植物の細胞が、石化した証拠です。

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では、この「切り株」、もしも伐られていなかったら、どれほどの高さだったのでしょうか?

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コンピューターで、解析した結果、なんと、6千メートルの高さの超超超巨木だったことが、わかったそうです。
左下の小さな岩山が、「切り株」である、「デビルズタワー」です。

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こういう超超超巨木の痕跡は、世界中に、山ほどあります。

有名なアイルランドにある、「ジャイアンツ・コーズウェイ」です。
縦に、約8キロにわたって、4万本の六角形の柱が存在しているそうです。
植物の六角形の細胞が石化したと考えたほうが、自然ですね。

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火山活動や溶岩などのによる現象だと、既存の学者たちは、考えているようですが、その説には、かなり無理があります。

これらが、火山の溶岩でできた地形です。

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そして、一方で、これらが、「ジャイアンツ・コーズウェイ」の岩です。
明らかに違いますね。

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この形の地形は、他にも、世界中に山ほどあります。

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太古の昔、超超超巨木だった樹木が石化して、「切り株」のような状態になったと思われる岩山は、皆、サイズが違うだけで、「切り株」だと思います。

 

実は最近、他の可能性もわかってきたのですが、それは、この記事の最後に書きますね。

今の時点では、とりあえず、この単語を使っています。

 


南米のギアナ高地にある、「テーブルマウンテン」ですね。
これらも、「切り株」です。

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太古の超超超巨木の中には、スパーンと伐ったもの以外にも、このように、ボキンと折ったような樹木が、石化したものもあると思います。
これなども、そうだと思います。

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ボキンと折られていますね。

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これらも、ボキンと何者かが、折ったと思います。

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どうですか?
このように、地球という惑星には、太古の昔は、超超超巨木だったのに、現在は石化して、岩山や山だと思われる形になって、存在しているものが、たくさんあるみたいなのです。

世界中の神話や伝説に、「ジャックと豆の木」のような話は、たくさんあります。
これらが、全て真実の話だったということです。
凄すぎるんじゃないですか~!!


まさに、プラント(植物)のネットワークであり、
「植物たちが生い茂り、相互に意思疎通をやっていた土地」
だったのです。
「プラネット」
これが、昔の地球の真実の姿だったのです。

太古の昔、超古代文明の地球の姿は、そういうかんじだったみたいです。
超超超巨木が、地球上には、無数に生えていたんだと思います。

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さて、これらの「切り株」について、素朴な疑問です。
どうやって育ったのか?
幹や枝があったならば、その根はどうなっていたのか?
花は咲いたのか?
種は、どのくらいの大きさで、どういう形だったのか?
そもそも、誰が、どうやって伐ったのか?
その目的は、何だったのか?
こういうことを、わかる範囲で、一緒に少しづつ考えていきましょう。

 

「超超超巨木」は、昔から、「世界樹」と呼ばれていて、世界中に神話や伝説あります。
これは、北欧神話における、「ユグドラシル」という世界の中心にあったと言われている大木です。

英語では 、「World tree」、日本語では、「世界樹」や「宇宙樹」と訳されることが多いそうです。

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中国の伝説にも、「扶桑樹」という巨木の話があります。
その巨木の生えている土地を「扶桑国」と呼び、それは、我が国「日本」のことだったみたいです。

「ウィキペディア」によると、中国においては、「扶桑樹」とは、はるか東海上に立つ、巨木だったそうです。
そして、そこから太陽が昇るとされていたようです。


古代、中国などの人々は、不老不死の仙人が棲むという、ユートピア、「仙境=蓬莱山」にあこがれ、さらに、太陽が毎朝、若々しく再生してくるという生命の樹、「扶桑樹」に、あやかろうとしたようです。

古代の中国人は、
「蓬莱山に棲む仙人のように長生きし、扶桑樹に昇る太陽のように若返りたい」
と強く願って、蓬莱山と扶桑樹への憧憬を、つのらせていたそうです。
そして、その場所は、「東海の島」だったと言われているのです。
「日本」ですね。
お隣の中国では日本のことを、「巨木の国」という表現で認識していたのです。
日本はまさに、「木の国」だったのです。


「これだけのウルトラ級の巨木だったら、地面の下の根っこは、もっと凄かったのではないか?」
という疑問が、すぐに、わいてきたのでですが、この説を唱えている科学者の動画に、興味深い仮説が述べられていました。
「太古の時代、世界中にあった世界樹の根っこの痕跡が、洞窟なんじゃないか?」
というのです。

植物の根のイラストです。

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外国にあるどこかの洞窟です。

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なるほど…、ですね。



日本にも、明らかに「切り株」だと思われる所が、30カ所以上あります。

 

あの動画を見た後、最初は直接、アメリカの「デビルズタワー」に「切り株」を見に行こうかと思いました。
しかし、いろいろな事情で海外に行くのは、今の時期は難しいことがわかって、
「国内にも、デビルズタワーのような切り株はないかな?」
と思っていたら、すぐに思い浮かんだのが、熊野にある「楯ヶ崎」でした。

そこで去年の6月に、さっそく行ってきました。


最初は、この「千畳敷」という所に行くといいと思います。
ここから、「楯ヶ崎」が見えます。
「楯ヶ崎」という岩山は、基本的には登山はできません。

真っ先に、ここの岩肌を見ました。
「六角形」ではありませんが、明らかに、太古の時代、超巨大植物の細胞だった部分が、化石化していると思われる模様でした。
「やっぱり、ここは大昔、細胞だったみたいだったな…」
と思いました。

なんでもそうですが、インターネットだけの情報では真実はわかりません。
やはり直接、現地へ行き、自分の目で見て手で触り、自分の頭で考えることが、大切なのだと実感しました。

 

同行してくだった山本さんが、さっそく、ここの頂上に登りました。
手を広げているのが、山本さんです。

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続いて、辻田さんも頂上に登りました。
この岩々が元々は、超巨大な植物の一部だったと思うと、何ともいえない気持ちになり、じわじわと感動がこみ上げてきました。

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私は、途中までしか登りませんでしたが、大迫力の景色を楽しみました。
辻田さんと私が、登っている場面です。
上から、岩肌を見ると、「細胞」だということが、よくわかりますね。

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遠くに、「楯ヶ崎」が見えてきました。
やはり、この岩々は、「細胞」です。
歩いていると、それを実感することができました。


念願の目的地に着き、大感動でした~!!
写真では、わかりにくいですが、実物は凄い迫力です。
高さ約80メートル、周囲約550メートルだそうです。
近づいて行くと、威厳と威圧感を感じます。
昔、神武天皇がここから、熊野に上陸したという言い伝えもあるようです。

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他にも昔、聖徳太子が馬に乗って、天空を駆け抜け、この岩までやってきたという説もあります。

一般的には、富士山と言われていますが、それよりも、「デビルズタワー」や「楯ヶ崎」の形に似ていますね。

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アメリカの「デビルズタワー」が、約400メートルで、その超巨大木の推定の高さが、6千メートルだったそうですから、単純計算して、高さが5分の1の「楯ヶ崎」は、太古の昔は、その高さは約1200メートルだったということです!
とてつもない超巨木が、昔ここにあったのですねー!

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「楯ヶ崎」をバックに、記念撮影しました。

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ここから、少し歩いた所に、もっとよく見えるポイントがあるというので、そこまで、移動しました、
たしかに、よく見えます。
そして、半端じゃないエネルギーが、バンバン伝わってきました。
この岩肌を見てください。
色が、茶色ですよね。
この色も、元々は、樹木だったと思ったら納得します。

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前述したように、中国の伝説にも、「扶桑樹」という巨木の話があり、日本を「扶桑国」と呼び、「巨木の国」だと認識していた話も書きましたね。
では、我が国日本では、どうだったのでしょうか?

私の古代史を学ぶ基本姿勢として、
「全くの荒唐無稽で、バカバカしく、事実ではなかったようなことは、歴史の記録として残りにくい。逆に、何かの記録が、神話や伝承として残っていれば、その中には、必ず事実の一部が含まれている」
これを信条にしています。

ということは…
日本にも、「超超超巨木」である、「世界樹」や「扶桑樹」の神話はあるはずなのです。

しばらく考えたら、思い浮かびました。
「高天原」です。
これについては、具体的な絵などの描写が、ほとんどないので、イメージしにくいのですが、言葉にそのまま表現されています。


「高い天の上にある原っぱ」
と書いてあるのです。
つまり、よく描写されている、「アマテラス」や「スサノオ」などが住んでいたという場所は、「雲の上」というよりは、
「雲を突き抜けるほど高い、超超超巨木の上にあった、超超超巨大な葉っぱの上」
に住んでいたのではないでしょうか?


日本の神々は、「扶桑樹」と呼ばれていた巨木の上に、原っぱのようにデカイ、超超超巨大な葉っぱの上を、歩いたり飛び回って生活していたと、考えられませんか?

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だとしたら、それまで、なんとなく抽象的で、ボヤッとしたようなイメージだった神々の世界が、急に具体的で身近に感じてきますね。
こういう世界は、「超超超巨大な葉っぱの上」だったのかもしれません。


そして、ある時期に、その原っぱの上で生活してた神々の一部が、地上に降りてきたのだと思います。
それが、「天孫降臨」です。

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雲の上の超超超巨木の上の「高天原」に、神々が住んでいたのだと思います。
日本中のたくさんの土地で、同じような出来事があったのだと思います。
「扶桑樹」は、太古の時代、日本中にたくさんあり、その巨木の上の全てに、神々が住んでいたのだと思います。


これに気が付いたのは、去年の春だったのですが、
「うわーーー!!!」
叫んで、大感動で一人でブルブル震えてしまいました。
もちろん、学問的には仮説の段階ですが、その時、私の脳内では、具体的なイメージが湧き上がってきて、その場面がリアルに感じられたのです。

「高天原」や「天孫降臨」の神話は、高次元や異次元の話ではなく、この世界で起こっていた、現実レベルでの出来事だった可能性が、出てきたということです!
これは、もう今までの古代史が、ひっくり返りますね~!
ワクワクしてきますね~!



九州には、「高千穂峡」がありますが、ここにも明らかに、「植物の細胞の化石」だと思われる巨岩があります。
去年の夏に行った時の写真です。


この川岸の岩も、「柱状節理」だと思いますが、大きさが桁外れです。
おそらく、太古の時代には、ここにも、超超超巨木がそびえ立っていたのだと思います。

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こういう形も、元々巨木だった植物の化石だと考えると、納得しますね。
「切り株」の痕跡だと思います。
学者の先生がたは、こういう形も、火山や溶岩で説明するのかな?
これなども、明らかに、巨木の細胞部分が、化石化したものだと思います。
「高千穂峡」では、ここが特に印象に残りました。

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旅行記に戻りますね。

 

今回の島原半島の旅では、松下先生の案内で、いくつかのパワースポットにも行きました。

「江里神社」というところにも、立ち寄りました。

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「世界樹」まではいきませんが、ここにも大きな樹がありました。

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 記念撮影です。

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 島原半島は、湧き水が湧いている所が多いです。

「ワクワク」という単語は、元々は、「湧く湧く」だったという話を聞いたことがあります。

つまり、泉のように、自然発生的に生まれてくる感情みたいです。

パワースポットのほとんどは、湧き水があるとことです。

だから、身体も心も、ワクワクして元気になるのかもしれませんね。

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「そうめん流し」も食べました。

水がいいせいでだと思いますが、とても美味しかったです。

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ここは、タウリンさんから、教えていただいた所です。

「加津佐 温泉神社」という名前だそうです。

ネットで調べると、ここは、「筑紫国魂神社」、「四面宮」と称して、地元では、「お四面さま・お四面さん」と呼ばれて、親しまれているようです。

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鳥居には、「四面宮」と書かれていました。

おそらく、シュメール文明における、「エンキ」が関係していると思います。

「エンキ」のシンボルが、「4」の数字でもあるのです。

そういえば、「遺伝子(DNA)」も、4種類の塩基(えんき)からできていますね。

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拝殿で参拝しました。 

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「菱形(◇)」のシンボルがありました。

これも、「エンキ」の象徴です。

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拝殿からも、裏山には登れますが、正式な入口は、この鳥居からみたいです。

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裏山に登る手前に、小さな鳥居と祠がありました。

中に祀られているのは、「お稲荷さん(イナンナ)」でした。

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これを見て、驚きました!

なんと、ここにも、「世界樹」があったのです。

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これを見ていたら、太古の昔、島原半島全体が、世界樹だったような気がしてきました。

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これも、植物の細胞が、化石化したものかもしれません。

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記念撮影しました。

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島原半島には、このような形の山もあります。

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最近になって、タウリンさんから送られてきた写真です。

上記の山の裏側だそうです。

完全に、「柱状節理」の岩ですね。

間違いなく、「世界樹認定」です。

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島原半島からちょっと離れた場所、大分県にも、その名もズバリ、「伐株山」という山があります。

「伐株山(きりかぶさん、きりかぶやま)」は、大分県玖珠群(くすぐん)玖珠町(くすまち)にある、標高685.5メートルの山です。
別名で、「切株山(きりかぶさん)」と表記されることもあるそうです。
この山は、前述した、アメリカの「デビルズタワー」の386メートルよりも、はるかに高くて大きいのです。

 

上記の山に、形がソックリですね。
文字通り、「切り株」の形をした山ですね。
去年行った時に、記念撮影しました。

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さて、ここからが本題です。

 

実は、「切り株」の正体、つまり、そのファイナルアンサーが、とうとうわかったのです。

ずーっと考え続けていた謎が、ようやく解けたのです。

それは、まったく意識していなかった意外な場所でのことでした。

 

先月、友人たちと行った、東京都上野にある、国立博物館での出来事でした。

「縄文特別展」を見学しに行った時です。

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皆で、ランチを食べている場面です。 

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以前にも書きましたが、大切だと思うので、再度書きます。

 

これは、人類最古の文明と言われている、「シュメール文明」の粘土板に描かれた、「アヌンナキ」のファミリーが、人間を創っている場面です。
どうやって、やったのかは、わかりません。
このあたりからは、「科学」ではなく、「魔法」の話なのです。
抱かれている小さい人間が、「アダム」だと言われています。

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シュメール神話によれば、
「神様は、粘土をこねて人間を創った」
と言われています。

そして、人類創造の理由が、

「神々が働かなくてもよいように、労働者として人間は創造された」
と、明記されています。

 

太古の昔、つらい農作業や、治水事業に従事していた宇宙人たち(神々)からは、不平不満が絶えなかったそうです。
「こんなに俺たちを働かせやがって、どういうつもりだ、コンチクショー」
と怒っていたようです。

神話によると、原初の母なる女神、「ナンム」は、この事態を深く憂慮していたが、当時、
「神々の中でも、頭ひとつ抜けた知恵者」
と評判の高かったエンキは、そうともしらずに、眠りこけていたそうです。

 

あるとき、ナンムがエンキを、たたき起こして言ったそうです。
「息子よ、起きなさい。あなたの知恵を使って、神々が、つらい仕事から解放されるように、身代わりをつくりなさい」

母の言葉に、あわてたエンキは、粘土をこねて、人間を創ったそうです。
おかげで、神々に代わって、人間が働くようになり、宇宙人たち(神々)は、めでたく労働から解放されたとのことです。

 

エンキの父、「アヌ王」、それから、その兄、「エンリル」も、これには大喜びしたようです。
その後、宇宙人たち(神々)は祝宴を開き、したたかにビールを痛飲して、人類創造を祝ったというのが、その内容です。

「旧約聖書」の中でも、
「主なる神は、土(アダマ)の塵で、人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた」

と書かれています。
さらに、
「神は、人をエデンの園に住まわせ、人々がそこを耕し守るようにされた」
とあります。

神は土で人間を創造して、働かせたのです。


シュメール神話の人類創造ストーリーは、旧約聖書にも継承されているのです。

太古の昔、人間は働くために創造されたようです。
文明発祥の地の古代人たちが、世界中で、そう書き記しているところからすると、それは本当なのでしょう。


「土人形」には、外国では、そのままズバリ、「ゴーレム」という単語がありますが、日本の「埴輪」や「土偶」などもそれに含まれます。

「埴輪」などは、特にそうだったと思います。
「埴輪」に「生命の源」を吹き込んで、「弥生人」などは創られたのかもしれないと、私は推測しています。

 

この日、常設展の会場にも立ち寄りました。

これは、弥生時代の「埴輪」ですね。

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そしてこれが、この日のメインの目的で行った、「縄文展」で展示してあった有名な「火焔型土器」です。

展示会場では、写真撮影は禁止されていたので、これは、別の所からの画像をお借りしました。

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最初は、これを見ても、なんとも思わなかったのですが、しばらく見ていると、じわじわと、何かの感情がこみ上げてきました。

そして、どこからか、インスピレーションが降りてきて、ついに気が付いたのです。

 

心の準備はできていますか?

 

いいですか?

 

いきますよ!

 

縄文時代に作られたと言われている、「火焔型土器」です。

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これを、逆さまにして見てください!

ジャーン!

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わかりましたか?

 

これです。

「デビルズタワー」に代表される、「切り株」という形の山の正体です。

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そうなのです。

この土器たちは、「苗」だったのです!

弥生時代に、埴輪から、人間、ニワトリ、馬などの土人形から、魔法によって、「動物」を創っていた存在たち、おそらく、「エンキ」のグループだと思いますが、その前の時代、縄文時代には、なんと、同じ方法で、土でできた土器から、「植物」も創っていたのです。

 

モチロン、全ての植物ではありませんよ、

別の方法で、自然発生的に生まれた植物もあったと思います。

しかし、一部の植物、おそらく、現在の神社にあるような「御神木」と呼ばれているような神木は、こうやって創られたのではないでしょうか?

 

日本で創られれた縄文土器が、植物の苗になり、地球全体に、たくさん植えられたのかもしれません。

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最初に縄文土器を作り、それをズボッと土に埋めてから、最初の呪文で、大きな山のような「切り株」のような超超超巨木を創り、それから、次の呪文で、雲を突き抜けるように成長させ、「ジャックと豆の木」のような超超超巨木に成長させた。

こういう作業を、太古の時代、神々がやっていたのかもしれません。

 

ちょうど、宮崎アニメの「となりのトトロ」のようなかんじだったかもしれません。

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だとしたら、前述した「デビルズタワー」は、「切り株」ではなく、成長する前に、なんらの理由で、それを止められた超巨大な「苗」だったということです。

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いや~!!!

凄い時代になりましたね~!!!

科学者の説よりも、マンガやアニメで描かれていた世界が、事実だということが、どんどんわかってきたということです。

 

私は、これに気が付いてからは、あまりのショックで、数日間ほど、頭がフラフラして、仕事ができなくなりました。

 

 

 次回に続きます。

 

 

 

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島原半島ワクワクツアー 4 平和の光

今回の島原の旅は、島原市内にある、「松下ひふ科」の院長である、松下先生の主催で開催されました。

松下先生とは、私が、たびたび紹介しているヒーリンググッズの王様、「不思議なペンダント・アセンション」の発明家さんとの御縁によって、出会いました。

やはり、本物思考の方は、このペンダントに、辿り着きますね。

 

 

島原の旅は、だいたい下記のようなスケジュールでした。

 

7月20日(金)

長崎空港に昼過ぎに着きました。
タウリン(田浦)さんが迎えに来てくれました。
いくつかの神社をまわった後、夜は、島原の若き天才イタリアンのいる、「ぺシコ」という店で、松下先生とで2人で食事しました。

料理を食べていると、一つの名作の映画を観ているような気持になる、素晴らしい作品ばかりでした。

私は自分で、かなりのグルメだと思っていますが、今までに食べたことのなくらいの素敵な料理でした。

松下先生は愛の人で、ひたすら与えるという姿勢を、人生の中で続けている素晴らしい方でした。

この与えっぱなしの人は、アメリカで出会った、私のキネシオロジーの師匠、本間先生と出会って以来でした。

医療に関する姿勢も、このお二人には、共通するものがあり、久しぶりに本格志向のドクターに出会えて、嬉しかったです。


その後、タウリンさんのバー、「スーノ・ルーノ」に行き、3人でいろいろ語りました。

ここは、「ヒーリングパブ」でもあり、タウリンさんが、心が傷ついた人たちのカウンセリングをする場でもあるそうです。

 

21日(土)

午前中に2時間、島原市内にあり、地元で、「ゴットハンド」という呼ばれているという、宇土さんのお店に行きました。

「シャンティー」という名前です。

体験しましたが、素晴らしい技術でした。

今までに、いろいろなマッサージを体験しましたが、ピカイチでした。


それから、午後3時から、「松下ひふ科」の2階にあるセミナールームで、「地球文明」というタイトルで、セミナーを開催しました。

建物は、美術館かと思うほど、オシャレな外観で、しかも、最強の風水に基づいて建築されているそうで、待合室に入ったとたんに、元気になりました。

受付のスタッフの方々も、素敵な人ばかりで、とてもいい氣が建物内に充満していました。

この空間のエネルギーのせいなのか、セミナーでは、いつもとは違う内容も話しました。


夜は、「味遊」という居酒屋で懇親会をしました。

ここでも、いつもとは違う話をしました。

 

22日(日)

セミナーの参加者たちと、島原のパワースポットをまわりました。

 

23日(月)

松下先生とタウリンさんと私の3人で、島原半島のディープな旅をしました。

 

24日(火)

長崎空港までタウリンさんに、送っていただきました。

 

 

 

島原半島は、ご存知のように、「隠れキリシタン」の歴史で有名です。

今回の旅では、この悲しい歴史も、見てまわりました。

 

「本光寺」というお寺です。

昔、ここでも、激しい戦闘が行われた歴史があるそうです。

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 あとから番地を知って、驚きました。

「島原市本光寺町3380番地」と記載されているのです。

これは、「補陀落渡海」に関わった「天照派」と呼ばれているグループのシンボルナンバーである、「3」と「38」が組み合わさっていますね。

ここも、彼らの拠点だったみたいですね。

 

さらにネットで調べると、興味深い事実がわかりました。

あるサイトに、こう書かれていました。

 

瑞雲山本光寺は、三河国額田郡深溝村(現在の愛知県幸田町付近)にあったと伝えられています。

そして、三河地方を中心に、三十七ヶ寺の末寺を持っています。

 

つまり、本寺と37の末寺を合わせると、ここでも、「38」の数が出てくるのです。

やはり、「天照派」が関わっていますね。

この話は、旅行記の後半で詳しく書きますね。

 

旅のメンバーとの記念撮影です。

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この寺の奥のほうには、お墓があるのですが、ここは、私には合わないエネルギーだったみたいで、早々と切り上げました。

 

他にも、これもネットで調べて、わかったのですが、このお寺では、1988年に、なんと、あの「混一疆理歴代国都之図」が発見されていたそうなのです。

旅行記の冒頭で紹介した、「邪馬台国」の話に出てきた、この地図です。

不思議な縁ですね。

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この寺では、展示物の中にあった、この家紋にも目が留まりました。

どの家の家紋だったか、名前は忘れましたが、不思議な模様ですね。

「天照派」のシンボルマークである、「三つ巴」が九つで組み合わされています。

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「出雲大社」の柱の構造とも似ていますね。

下記は、2000年に、出雲大社境内から発掘された、「宇豆柱(うづばしら)」と称される巨大な柱の設計図のようなものです。

出雲地方も、「天照派」と関わりの深い土地ですね。

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この社殿ですね。

伝説の巨大な建造物は、いろいろな説があるのですが、「宇宙考古学」では、やはり、UFOの発着場だったのではないかと、言われています。

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ここの階段の上には、実は元々は、お社はなくて、宇宙人たちのスペースシップが停泊して、この階段を、宇宙人たちが、人間の前に神々として、ハリウッドのレッドカーペットのように、優雅に下りてきたのではないかというのです。

それは、前回の記事で紹介した、「釜」の形のUFOだったかもしれません。

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これは、出雲地方で出土した土器です。

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下記の模様が、描かれていたそうです。

出雲の社殿ですね。

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こうやって調べていくと、太古の時代において、「島原半島」は、「出雲地方」とも関わりが深かったようですね。

 

 

 

この日は、「原城」にも行きました。
最近、世界遺産に登録されたそうですね。

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着きました。

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これは、「地蔵尊塔」といわれている石碑だそうです。
島原の乱では、3万人以上のキリシタン・農民が命を落とし、原城一帯で後に多くの遺骨が出土されたそうです。

散乱していた遺骨を敵・味方の区別なく拾い集めて、その霊をなぐさめたのが、この「ホネカミ地蔵」とのことです。

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 16歳で島原の乱の総大将となった、天草四郎の墓碑だそうです。

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大人気番組だった、「オーラの泉」の美輪明宏さんの前世が、天草四郎だったと言われていますね。

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この十字架は、何かを伝えたがっているようにかんじました。

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 皆で、海を眺めながら、いろいろなことを考えている場面です。

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島原城にも行きました。

天守閣からの眺めです。

陸側です。

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海側です。

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昔、長崎には、外国からの船が、たくさん寄港していたのですね。

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これも、それらの船を表現した模型だと思います。

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有名なフランシスコ・ザビエルですね。

天使の姿が、妙に気になりました。

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これは、キリシタンの弾圧を表現した絵だそうです。

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「聖母マリア(イナンナ)」と「キリスト」ですね。

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「十字架」の模様が刻まれていますね。

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これは、「河童の手」だそうです。

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やはり、ここには昔、「レプティリアン(爬虫類人)」である「河童」が、たくさんいたのだと思います。

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城内には、北村西望さんという彫刻家の作品が、 たくさん置かれていました。

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長崎市内にある、「平和公園」を彫った方なのですね。

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 余談です。

 

去年、長崎市にある「平和公園」にも行きました。
「平和記念像」の前で、記念撮影しました。

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「世界平和」の祈りを捧げた後に、「平和公園」の地図を、ふっと見たら驚きました!
見てください!

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わかりませんか?
ここだけ、拡大しますね。

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そうです。
公園の形そのものが、「原爆」になっているのです。
これに気がついて、衝撃を受けました。
写真は、原子爆弾の「リトルボーイ」です。

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あとで、友人たちに話したら、皆、驚いていました。
地元、長崎の人たちも、気がつかなかったそうです。

ここが爆心地です。

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この場所は緑が多く、しかも、その緑が「♡(ハート)」の形で、そこをとり囲んでいます。

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日本人は、素晴らしいです。
これだけ酷いことをされても、復讐という選択を選ばなかったのです。
この行為を「愛」で包み込もうとしている姿勢が、この「爆心地」の地図から、伝わってきました。
複雑な思いも、もちろんありますが、素直に感動しました。

 

有名な「一本柱鳥居」です。
原爆の爆風で、こうなったそうです。

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この時、長崎市では、どうしても行きたいエリアがあったので、そこにも行きました。

まずは、ここです。
「大浦天主堂」です。

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「妙行寺」です。

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「大浦諏訪神社」です。

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この三か所の意味が、わかりましたか?
「大浦天主堂」-「妙行寺」-「大浦諏訪神社」
つまり、
「教会」-「寺」-「神社」
言い換えると、
「キリスト教」-「仏教」-「神道」
ここの狭いエリアには、三つの異なった宗教が、仲よく共存しているのです。

立て札にも、書かれていました。
このエリアのことを、「祈りの三角ゾーン」というそうです。

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素晴らしいですねー
中近東などでは、未だに、
「ユダヤ教」ー「キリスト教」-「イスラム教」
この三つが、憎しみ合って、戦争をしている状態です。
世界中でも、この長崎市のように、三つの異なった価値観が、仲良くしている所は、珍しいと思います。


以前、どこかで誰かかが、呟いていました。
「俺は、右翼でもないし、左翼でもない。仲よくだ!」
こういう「仲よく(中翼)」の精神が、世界を平和にしていくんですよね。(笑)
ここから、「宗教戦争」が、すこしづつ無くなっていったらいいですね。


「世界平和」
この人類の長年の夢は、やはり、「日本」から始まると思います。
特に、被爆地である、「長崎」や「広島」、それから、激戦地だった、「沖縄」など、こういうところから、「平和の光」は広がっていくと思います。

今回の島原半島の旅で、特にそれをかんじました。

 

 

島原半島をドライブ中に、突然、不思議な雲が出現しました。

一瞬だけ、長崎県に、また原爆が落とされて、「きのこ雲」が出たのかと思いました。

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すると、その横から、「亀の神様」の形の雲が出現して、その「キノコ雲」を食べるような動きをしました。

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私には、この雲は、「亀の神様」をシンボルにしている「エンキ&イナンナ」のグループが、
「私たちが、もう絶対に核戦争は許しませんから、安心してください」
と、人間にメッセージを伝えているように感じました。

 

 

「島原半島ワクワクツアー」、まだまだ続きます。

次回も、お楽しみに!

 

 

 

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島原半島ワクワクツアー 3 亀の神様

雲仙市国見町にある、「烏兎(うと)神社」にも行きました。

ネットで調べると、俗称は、「お天さん」だそうです。

 

ちなみに、「兎」という文字は、草書体にすると、「兜」という文字に似ています。

「兎」=「兜」

これが、暗号のようになっているようです。

だから、ここの本当の祭神は、

「兜を被った烏の神様」

という意味だと思います。

つまり、「アヌンナキの一族」を意味しています。

 

さらに、これらの名前と地名から、

「ここは、天神アンことアヌ王が、雲の上から仙人ように、国を見渡していた場所であり、たまに、カラスの姿に似たUFOに乗って、やってきた場所でもある」

こう解釈しました。

 

鳥居です。

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鳥居の上には、「亀」の姿がありました。

よく、壁に「ウミガメ」が飾られていたりしますね。

あれと同じですね。

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境内には、大きな日本の杉があります。

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拝殿で参拝しました。

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「烏」の文字です。

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やはり、祭神は、「八咫烏」ですね。

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興味深い石像もありました。

まるで、「ガメラ」ですね~!

背中に背負っている御椀が気になりますね。

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記念撮影しました。

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これは、面白いシンクロだと思いました。

今年になってから、私がまわった神社には、なぜか、「亀」の石像が置かれている所が多かったのです。

これは、宇宙から、

「そろそろ、亀の神様について、真剣に考えなさい。その神様の正体を、突き止めなさい!」

こういうメッセージが届いているのだと思います。

 

これは、最近訪れた神社です。

千葉県我孫子市にある、「北星神社」です。

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拝殿から伸びる参道は、正確に、「北西」の方角を指していました。

だから、「北星(北西)神社」というのかもしれません。

どうして、そこを向いているのかは、まだわかりません。

現在、調査中です。

 

拝殿は、「プロビデンスの目」の形になっていました。

これは、「エンキ」のシンボルですね。

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そして、この神社の狛犬が、なんと、「亀」なのです。

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愛嬌がありますね。

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「亀の神様」と記念撮影です。

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以前に、テレビで面白い番組を放映していました。

島根県松江市の「月照寺」に伝わる、「人食い大亀の伝説」でした。

 

昔、松平家の藩主が亡くなった後、亀を愛でていた藩主を偲んで、「大亀の石像」をつくった。

ところが、この大亀が、夜になると城下で暴れ、人を食らうようになった。

困り果てた住職が深夜、その大亀に説法をすると、大亀は涙を流して住職にこう頼んだという。

「わたしにも、この奇行を止められません。貴方にお任せいたします」

そこで、亡くなった藩主の功績を石碑に彫り込み、その石碑を大亀の背中に背負わせて、この地に封じ込めたと云う。

 

だいたいこういう伝説だそうです。

 

これが、その大亀の石像です。

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島原半島の石像、千葉県我孫子市の石像、松江市の石像、これらの三体の亀の石像は、おそらくルーツは、同じだと思います。

 

では、この「亀の神様」の正体は、なんでしょうか?

いろいろ考えたのですが、ようやく、可能性のある話にいきつきました。

 

私の脳内にある膨大なデータの中では、これがヒットしました。

これは、奈良県の「法隆寺」にある仏像ですが、お坊さんの恰好をした、「レプティリアン(爬虫類人)」です。

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別の画像です。

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大阪市の「正圓寺」にも、同じような仏像があります。

伝承によると、この世の世の終わりに、人々を救いに来る救世主だそうです。

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「アヌンナキ」の一族の中の「爬虫類」のグループですね。

「エンキ」や「イナンナ」だと思います。

 

もう一度、「イナンナ」だと思われる像です。

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「河童」でもあったと思います。

九州地方にも、河童伝説は多いみたいです。

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まとめると…

「亀」=「レプティリアン(爬虫類人)」=「エンキ&イナンナ」=「河童」

 こうだったと思います。

 

つまり、この神社は、「アヌンナキ」の一族の中の「鳥」のグループを、表で祭り、同時に、裏では、「爬虫類」のグループも、祀っているということです。

「アヌ王&エンリル」=「鳥」

「エンキ&イナンナ」=「爬虫類」

この二つのグループが、同じくらい崇められていた聖地だということです。

 

ここの奥宮にも行きました。

いくつかの石像がありました。

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これは、「不動明王」に見えます。

「エンリル」ですね。

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これは、「神武天皇」にも見えるし、「聖徳太子」にも見えます。

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ひととおり見た後に、帰ろうとしたら、拝殿の横に、何かが置かれていました。

これです。

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ただの「釜」ですね。

しかし、私は、宇宙考古学の膨大な知識あるので、これの意味がわかりました。

実は、これが、この神社の正真正銘、本物の御神体なのです。

これを、逆さまにもしてみました。

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ここからが、面白い話に展開していきます。

前述した「大亀の石像」のある島根県松江市には、「神魂(かもす)神社」という凄い名前の神社があります。

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ここの御神体が、ユニークなのです。

これです。

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なんと、「鉄の釜」なのです。

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これは、ただの「釜」ではなく、伝承によると、「天照大御神」が、「大国主大神」へ使者を送った話がありますが、その使者である、「天穂日命」が乗ってきた舟だというのです。

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つまり、天からやってきた神々の乗り物が、これだったというわけです。

明らかに、UFOですね~!

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どうして、こういうクラシックな形なのかというと、宇宙人たちは、その時代のその土地の人々の集合意識を読んで、彼らが、ショックを受けないように、彼らが望んでるUFOの姿で、出現するからです、

 

これは、奈良県の「東大寺」にある「鉄湯船」というもので、鎌倉時代に、僧侶たちは、これで、温室に蒸気を集めて、汗と汚れを落とす修行をやっていたそうです。

もしかしたら、これも元々はUFOで、内部から宇宙エネルギーを放射していたかもしれないと想像したら、楽しくなってきますね。

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江戸時代に目撃されて、話題になった、「うつろ舟」というのも、これだと思います。

明らかに、人間の姿にシェイプシフトした、「イナンナ」が乗ってきたUFOですね。

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茨城県の「竪破山」という山には、この形のUFOの残骸だと思われる、「甲岩」という名前の巨石があります。

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この形のUFOは、日本中に痕跡が残っています。

島原半島から、わりと近くにある、大分県の「宇佐神宮」にも、これの痕跡が残っています。

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去年の秋に、ここを訪れて、本殿の周りをウロウロしていたら、拝殿の近くに、御神体の写真が飾られていました。

その写真に、目が釘付けになりました。

そして、

「うわーー!!」

と、大声を上げしまいました。

この写真です!

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わかりましたか?

明らかに、「UFO」ですね。
これが、UFOじゃなかったら、何なんでしょうか?

いろいろ調べると、「アヌ王」が、「神武天皇」に生まれ変わって、最初に、九州に来た時に乗っていた、スペースシップみたいです。

 

「宇佐神宮」の正真正銘、本物の御神体は、「UFO」だったのです。

このUFOの形をした石は、模して作ったものではなく、本物のUFOが、役目を終えたので、石化したのだと思います。


興味深いのは、これとそっくりな石が、最近のロシアでも発見されているのです。

この石は、意思をもっているかのごとく、微妙に動きます。

しかも、反重力のエネルギーも確認されているそうです。

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スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが、遭遇したUFOにも似ていますね。

やはり、プレアデス系の宇宙人グループである「アヌンナキ」の一族ですね。

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どうですか?

このように、宇宙考古学だと、古代史の核心に、かなり具体的に迫ることができるのです。

 

 

さて、ここでもう一度、先ほどの「亀の石像」に目を戻してみましょう。

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すると、背中に背負っている「御椀」は、「UFO」だということがわかりますね。

そして、「亀」は、「僧侶の姿をしたレプティリアン」であり、「エンキ&イナンナ」だということがわかります。

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太古の時代、ここに、「釜」の形をしたUFOから、レプティリアンの姿をした、エンキやイナンナの宇宙人グループが、降臨したということですね。

つまり、「亀の神様」の正体は、「アヌンナキ」の一族の中の「レプティリアン(爬虫類人)」のグループだということです。

 

 

 

この神社から、車でちょっとの距離の場所に、「岩戸神社」もあります。

場所は、雲仙市瑞穂町です。

 

最初の鳥居です。

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案内板です。

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この鳥居の近くにも、「亀」の形をした岩がありました。

島根県松江市の「月照寺」に伝わる大亀と同じように、何かの石碑が、背中に背負わされていますね。

ここでも、同じ出来事があったのかな?

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二つ目の鳥居です。

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参道を歩いていくと、御神体の岸壁と拝殿が見えてきました。

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記念撮影しました。

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これが拝殿です。

後ろの岸壁が、御神体だそうです。

私には、この岸壁は、「世界樹」の化石に見えました。

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この洞穴は、一説によると、「縄文人たちの居住区跡」とのことでしたが、私には、もっと古い時代のものに感じました。

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同行していた、タウリンさんが、

「私は、ここの洞穴には、もしかしたら、大昔、地底王国である、シャンバラに続くルートがあったような気がするんですよ」

こう言ったので、なるほど…、と思いました。

さらに続けて、

「私は、島原は、シャンバラの音が訛ったもので、もともとは、ここに、シャンバラの入口があったかもしれないと、思っています」

これを聞いて、私の中で、今まで学んできたことの全てが、パチンと繋がったような気がしました。

 

たしかに、アルファベット表記にすると、文字が似ていることが、よくわかります。

「シャンバラ」を、サンスクリット語での表記にすると、「Sambhala」みたいです。

「島原」を英語の表記にすると、「Shimabara」です。

似ていますね~!

 

もしも、そうだとしたら、私がこれまでに、ずーっと追い求めてきた事柄が、どんどん繋がってきます。

 

具体的には…

「島原」=「シャンバラ」=「サムハラ」=「ユートピア」=「ニライカナイ」「ポタラ」=「補陀落」=「世界樹」

こうやって、またもや、「補陀落渡海」や「世界樹」に繋がったのです。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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