いつものように、本格的な旅行記に入る前に、いくつかの古代史を、おさらいしておきましょう。
私は、古代史を学んでいるうちに、「エンキ」と「ニンフルサグ」、つまり、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の神様は、アフリカから、テレポーテーションで、瞬時に、日本にやってきたいうなイメージを、勝手にもっていました。
しかし、どうやら、この二人が、日本に登場したのは、別の方法だったみたいです。
もっと、ドラマチックで、感動的な演出をしながら、我が国には、登場したようなのです。
「アヌンナキ」の一族たちは、世界中に、その痕跡が残っていますが、それぞれの国の歴史や文化、それから、その土地の人々の価値観に合わせて、姿形を変えたり、メッセージを伝えたりしていたようなのです。
では、日本では、どうだったのでしょうか?
今回は、「日本人の始祖」の話題です。
ある本によると、宇宙には、生命を創る元のエネルギーのようなものがあり、それは、「丹(に)」と呼ばれているそうです。
太陽で創られ、「植物」と「動物」と「人間」の三つの生命の元になっているそうです。
そして、宇宙空間にあり、目に見ない、「障壁賀」という、宇宙の子宮のような所があり、ここに、「生(しょう)」と呼ばれる別のエネルギーのようなものが、充満しているそうなのですが、ここで、二つが合体するそうです。
そして、「丹生(にしょう)」というエネルギーが、生まれるそうです。
「丹(に)」+「生(しょう)」=「丹生(にしょう)」
「丹生」とは、「丹生遺伝子」の意味で、生命そのものを表現するのだそうです。
このエネルギーが生まれた後、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中では、「植物」、「動物」、「人間」の三つに、区分けされるそうです。
太古の大昔、最初に、「植物の丹生」が、地球に降り立ち、次に、「動物の丹生」が、最後に、「人間の丹生」が、降り立ったそうです。
三つとも、月を経由して、地球に来たそうです。
最初に、「植物の丹生」が降り立ったのが、現在の日本の京都府与謝郡峰山町にある、「藤社(ふじこそ)神社」だそうです。
それから、「動物の丹生」が降り立ったのが、同じく京都府与謝郡峰山町の「比沼麻奈為(ひぬまない)神社」だそうです。
太古の昔は、「与謝郡」と「与謝の海」を合わせた場所を、「与謝津(よさかい)」と言って、ここだけが、地球上で唯一、生命を導き育てることが、許されていた場所だったそうです。
そもそも、「丹波」のように、「丹」がつく土地は、
「丹(に)の波動を出している土地」
という意味なのだそうです。
凄い土地だったのですね~!
奈良県吉野村に、「丹生 川上神社」があり、ここには、「上社」、「中社」、「下社」の三つがありますが、これらは、それぞれ、「植物」、「人間」、「動物」が、祀られているそうです。
川上村にある、「丹生 川上神社」の「上社」には、2016年の春に行きました。
この神社に、これほど深い意味があったとは、知りませんでした。
「植物」の元が、祀られていたのですね。
肝心の「人間の丹生」が降り立った場所ですが、それが、現在の「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」なのだそうです。
720万年前の話だそうです。
最初の「人間の丹生」は、「零迦児(むかご)」として、風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。
それは、なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。
私は、これは偶然ではなく、神々の演出だったのだと思います。
「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。
それから、その、「零迦児」は、巣と一緒に、海に落ちて、しばらく、与謝海を漂ったそうです。
その時に、何度も何度も、脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。
その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように、見守っていたそうです。
昔から、世界中に、
「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」
という話がありますが、これが由来だそうです。
「舞鶴」という地名も、元々は、
「コウノトリが、舞い戻った」
ということから、できた名前だそうです。
おそらく、「零迦児の入った巣」を、海に漂っている途中で、危なくて見てられなくなり、口で咥えて、舞鶴の地へ運んだのだと思います。
最終的には、「零迦児の入った巣」は、舞鶴の「丹生川」の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら育ったそうです。
丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。数年前の旅では、この神社にも立ち寄りました。
「久久比神社」という名前です。
「鵠(くぐい:コウノトリの古称)」が、名前の由来だという説もあるそうです。
全国で唯一、「コウノトリ」にゆかりのある神社だそうです。
記念撮影しました。
こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。
先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。
「零迦児(むかご)」は、「双子の魂」だったそうです。
今風の表現だと、アニメの「君の名は。」でも使われた、「ツインレイ」ですね。
この二人が、純粋な「日本人の始祖」になるのです。
「イザナギ」と「イザナミ」なのです。
この話、最高に面白いですね~!!
中近東を拠点にした、「アヌ王」のファミリーは、50万年前に、故郷である、「二ビル星」から、UFOでやってきたそうですが、その「アヌ王」の息子と娘になる、「エンキ」と「ニンフルサグ」の二人が、それよりも古い、720万年前に、なんと、宇宙の根源からダイレクトに、日本の丹後半島に、降臨していたということです。
二人は、月を経由してやってきて、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、成長したようです。
それからも、何度か脱皮を繰り返して、人間として成長したそうです。
「瓢箪(ひょうたん)から駒」
という表現の語源は、このあたりに由来しているそうです。
私はこの話を知ってすぐに、子供の頃大好きだったアニメ、「星の子チョビン」を思い出しました。
このアニメは、この話が、元ネタだったのかもしれませんね。
「繭」の姿をした、宇宙から来た王子様が、大活躍するストーリーでしたね。
一説によると、天橋立から、ちょっと離れた、「冠島」で、「零迦児」は、完全な人間の姿になったそうです。
何かの用事でここに行ったのか、もしくは、ここで人間になる儀式をやったのかもしれません。
「冠島」です。
最近では、この島の海底に、「海底神殿」が発見されています。
太古の時代、この辺りで、いったい何があったんでしょうね?
この話を知ったら、無性に、「籠神社」と「眞名井神社」に行きたくなり、ここにも、数年前の夏、ここにも行ってきました。
「眞名井神社」です。
記念撮影です。
この「三つ巴」の紋章は、「植物」と「動物」と「人間」の遺伝子も、表現しているのだと思います。
入口の石柱を見て、大感動しました。
見てください!
「匏宮大神宮」と書かれていますねー!
前述したように、最初に、「匏(ひさご)」、つまり、「瓢箪(ひょうたん)」に似た、「繭(まゆ)」のような姿の生物として、地球に誕生した、「イザナギ」と「イザナミ」のことが、書かれているのです。
ちなみに、以前に訪れた時には、この石柱はなかったような記憶があります。
おそらく、新しく建てれたのだと思います。
「そろそろ、真実の古代史を、人間に教えてもいい頃だろう」
と、神々が、判断したのかもしれないということです。
「イザナギ」と「イザナミ」が、「日本人の始祖」だという話まで、やりましたね。
その二人ですが、最初の頃は、中近東にあった、「エデンの園」に住んでいた、もう一組の人祖である、「アダム」と「イブ」のように、周囲には、植物と動物以外には誰もいないという環境で、二人っきりの童児と童女として、寄り添いながら、生きていったそうです。
小鳥たちや小動物たちしか、遊び相手はいなかったのです。
密生した桧の樹が、音を出して、きしみながら発火した時に、それを見て、火の起こし方を学び、魚や肉も、生よりも火で焼いたほうが、美味しく食べれれることを知ったそうです。
それから、火の傍にあった粘土が、形をつくっているのを見て、素焼きをつくることも、学んだそうです。
ある日のこと、小鳥やリスが交尾をしているのを見て、童女の方が、顔を赤らめたそうです。
それから、童女は童児に、
「これからは、寝屋を別にしましょう」
と言ったそうです。
お互いに、異性を意識するようになったということです。
童児も、それに同意して、それがきっかけで、二人は別々の場所で暮らすことになったそうです。
童女のほうは、自分の発言を、後に凄く後悔して、自分を責め続けたそうです。
しかし、永遠の別れというわけでもなく、二人の約束は、
「ある程度の年齢になったら、また再会しよう!」
というものだったそうです。
現在の福井県小浜市にある、遠敷川の「鵜瀬」で、二人は一旦、涙の別れをしたそうです。
童女のほうは、その後、現在の滋賀県の琵琶湖にある、「竹生島」で初潮を迎えたそうです。
後世、成人した女性を守る、「弁天様」は、ここから発生しているそうです。
そういえば、多くの祠は、池の中にあったり、赤い鳥居や赤い祠、赤い橋などですね。
あれは、童女(イザナミ)が、琵琶湖に囲まれた竹生島で、赤い血を流したことが、始まりだそうです。
しかも、「ニンフサグ」でもあり、母親は、「竜(蛇)」の姿の宇宙人でもあったから、「龍神様」も、同時に祀られたりしているのですね。
なるほど…、ですね。
それから、童女は、滋賀県犬上郡多賀町のあたりで、しばらく暮らしたそうです。
有名な「多賀大社」の近くだったそうです。
そこで、麻の皮が丈夫なことを知って、そこで、自分の身体を保護する麻衣を編み出し、それを身に纏ったそうです。
これが、人類の衣服の始まりだそうです。
西洋の「アダム」と「イブ」が、「イチジクの葉っぱ」で性器を隠した話よりも、より高度ですね。(笑)
この話を知ってから、さっそく、「多賀大社」にも行ってきました。
「多賀大社」の「多」は、二つの勾玉であり、「イザナギ」と「イザナミ」を表現しているような気がします。
そこから、後に、多くの日本人が、生まれたわけですから。
鳥居の前のお店に、「しゃもじ」がありましたが、これも、「前方後円墳」の形であり、「アヌ王」のシンボルでもありますね。
よく見ると、拝殿の形は、「プロビデンスの目」で、「エンキ=イザナギ」のシンボルになっていますね。
「イザナミ」は、その後は、三重県の員弁、それから、三重県の麻生田でも、3年間ほど生活していたそうです。
ここでは、ひたすら麻織物を織っていたそうです。
それから、「イザナギ」と再会を約束していた場所、現在の伊勢市宮後町にある、「伊勢神宮」の外宮の別宮、「月夜見宮」に行ったそうです。
二人は、お互いに成長した姿で、久しぶりの再会をしたそうです。
そしてここで、結婚式を挙げたそうです。
これが、人類初の結婚式、つまり、「人祖の結婚式」になったそうです。
2017年の初夏に、ここにも行きました。
ここは、そういう所だったのですね。
そこでは、「イザナミ」が、麻生田で織った、「白妙」を二人とも纏って、誓いの言葉を、神に述べたそうです。
「絶対に争ったり、殺し合ったりせずに、助け合います」
というのが、その誓いの言葉だったそうです。
現在でも、天皇が結婚する時にやる、「大嘗神祇祭」という儀式では、これをやるそうです。
この誓いの言葉の理由は、最初の人祖である、この二人が、「人間の元」の状態で、地球に来る前に、その宇宙の根源のような世界、宇宙の子宮である、「障壁賀」の中が、とても調和がとれていて、争いごとの全くない、素晴らしい世界だったために、必然的に、その理想の世界を、この現実世界でも再現しようと思ったようです。
考えてみたら、現在の日本の「平和憲法」は、この時に、すでに出来上がっていたのですね。
「イザナギ」と「イザナミ」は、結婚したあと、滋賀県に向かったそうですが、その滋賀への旅の途中、現在の三重県いなべ市にある、「饗庭神社」で、人類初となる、最初の妊娠に気がついたそうです。
ここにも、去年の11月末に、行ってきました。
貫禄のある拝殿と階段です。
それから、イザナミは、自分が子供の頃に住んでいた滋賀県犬上郡多賀町のあたりが、とても気に入っていたので、そこでの定住を決めたようです。
やはり、「多賀大社」のあたりです。
二人は老化もせず、若い身体のまま、数千年生きたそうです。
そして、その間に、子供を、たくさん産んだようなのです。
子供たちは、男女合わせて38人いたそうです。
男児が19人、女児が19人だったそうです。
38人の子供たちの話は、また後ほど、ゆっくり書きますね。
38人の子供たちが、ある程度育ち、それから、さらに、その38人も、たくさんの子供を産み、大勢の子孫に恵まれたそうです。
それで、ある程度、落ち着いた頃を見計らって、二人は、元来た天に戻ることにしたそうです。
その場所は、滋賀県米原市にある、「醒ヶ井」という所にある、「武奈山」と「比婆山」を、二人のお墓に決めたそうです。
この二つの山は距離にして、3キロくらい離れているそうです。
最初に、「イザナギ」が、「武奈山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。
それから、本質である霊体は、
プシュー!
と、天高く飛びあがり、そのまま、「金星」に向かって、天に飛んでいったそうです。
しばらくして、今度は、「イザナミ」が、「比婆山」の頂上にある墓に入り、肉体は、そこに埋めたようです。
それから、また霊体が、
プシュー!
と、「イザナギ」の後を追うように、同じく、「金星」の方角に飛んで行ったそうです。
この話を知ったので、さっそく、この二人の墓まで、行ってみることにしました。
それにしても、「人祖」である、「イザナギ」と「イザナミ」のお墓があったことすら、知りませんでした。
本当の古代史というのは、本当に、巧妙に隠されてきたのですね。
私の友人たちに訊いても、知っている人は、とても少なかったです。
さて、この滋賀県の旅では、2人の方が同行してくれたのですが、3人でそのお墓に向かいました。
しかし、途中から道が狭くなり、時間も夕方になっていたので、途中で行くのを諦めました。
この写真は、「比婆山」にある、「イザナミ」の墓を目指した時に、諦めて引き返した時の写真です。
私の服を、夕日がオレンジ色に染めているのが、わかりますね。
後から、詳しい人から、教えていただいたのですが、この先は、ヒルやマムシなども生息していて、とても危険だそうです。
また、四輪駆動の車じゃないと登れない坂道もあり、素人が行けるような所ではないそうです。
たしかに、ここから先は、大変そうでした。
「家相」などを見るときに、「丑寅」の方向、すなわち、「東北」を、「鬼門」にしたり、「未申」の方向、すなわち、「南西」を、「裏鬼門」として、トイレなどを配置しないように工夫したり、お祓いしたりしますね。
これは、元々は、この「イザナミ」と「イザナミ」の二人の墓、つまり、「人祖の墓」を、「貴門」と呼び、ここを日本の基準点にしたことから、始まっているのだそうです。
凄い場所だったのですね~!
私たち3人は、この山の頂上に行くのは、諦めたのですが、山から下りてきたら、道路も走っていて、橋が架かっている、素敵な神社を見つけました。
後から知ったのですが、この神社の拝殿が、「イザナギ」と「イザナミ」の二人の墓を向いていて、山の頂上まで行かなくても、ここから参拝できるようになっているとのことでした。
「調宮(ととのみや)神社」という名前で、多賀大社の御旅所として、知られているそうです。
拝殿で参拝しました。
「日本人の始祖」の墓に手を合わせることができる、素晴らしい神社です。
拝殿の奥のほうに、巨石がありました。
どうですか?
「日本人の始祖」の話、最高に面白いですね。
次回に続きます。
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