精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

関西シリウスツアー 4 神の愛

今回は、「四天王寺」も調査しました。

ここを訪問するのは、5回目くらいですが、毎回、自分の視点が増え、進化してから行くので、同じ場所なのに、全く違う景色に見えます。

この景色が変わって見えることが、進化の目安なのかもしれません。

 

 

午前中に、JR四天王寺駅で待ち合わせして、皆でモーニングを食べました。

久しぶりに会う友人とも、再会することができました。

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それから、四天王寺に向かいました。

途中に、「熊野街道」という石碑もありました。

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まずは、四天王寺の近辺から、紹介していきますね。

近くにある、「堀越神社」です。

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ここの絵馬は、どこからどう見ても、「アヌビス」ですね。

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「黒色の動物」、「四つ足」、「馬のような頭部」、これらは、皆、「アヌビス」の意味だと解釈してもいいと思います。

今までの古代史や歴史学が、「違い」を見つけることばかりに、夢中になっていたために、本質から、どんどん遠ざかっていたのです。

「共通項」で繋げる作業を、続けていくと、凄い新発見は、どんどん生まれるものなのです。

 

ここが、古代においては、「熊野古道」の九十九箇所、その第一番の拠点だったようです。

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「熊野第一王子之宮」と書かれています。

しかも、「八咫烏」を祭っています。

「シリウス」ですね。

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前回に引き続き、「聖徳太子」の話題です。

 

聖徳太子は、世界中の様々な宗教や思想を、融合させようとしていたみたいです。

その中でも、「キリスト教」の精神、特に、「弱者救済」という価値観を、日本で最初に始めたとも、言われています。

現代的な表現だと、「社会福祉」ですね。

 

ある伝承によれば、聖徳太子は、現在の四天王寺の土地に、「四箇院(しかいん)」という施設を設置したと言われています。

「四箇院」とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四つだったそうです。

この四つが、「四天王寺」という名前の元になったという説もあるようです。

 

まず、敬田院は、寺院そのものであり、施薬院と療病院は、現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は、病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設だったようです。

施薬院、療病院、悲田院は、鎌倉時代には、寺内に存在していた記録が残っているそうです。

施薬院は後に、聖徳太子が、「勝鬘経」を講じた地だとする伝承もあるそうです。

つまり、「勝鬘院(愛染堂)」が、その故地とも伝えられているそうです。

 

そういえば、「四天王寺」の近くには、「あいりん地区」というエリアがありますね。

ご存知のように、ここは、大阪市西成区にあり、「ドヤ街」とも呼ばれています。

以前に、ここも見て回ったことがありますが、路上生活者が数多く居住していました。

そのため、治安が悪いそうです。

 

道を歩いている多くのホームレスの人たちを見て、

「どうして、ここは、こういう土地になったのかな?」

と考えていたのですが、調査してみてわかりました。

昔、ここに、「弱者救済」の施設だった、「四天王寺」があったからです。

 

おそらく、「聖徳太子(イエス・キリスト)」の母親であった、「間人皇后(聖母マリア&イナンナ)」が、ここに、愛の施設であり、日本最初の「社会福祉」の施設を設置したのが、始まりだったのです。

元々は、「愛憐地区」とも呼ばれていたそうですね。

女神である、「間人皇后」が、ここに、「愛の土地」をつくり、人々に、「神の愛」を教えたのかもしれません。

 

 

「弱者救済」については、いろいろな考え方や意見があります。 

「仏教」や「神道」、それから、「ユダヤ教」や「イスラム教」などにも、もちろん、こういう考え方はありますが、やはり、「キリスト教」に、この教えが強く表れているような気がします。

 

数年前に、素敵な番組をみました。
「こころの時代 ~宗教・人生」という番組でした。
素晴らしい内容で、引き込まれ、最後までみました。
その時のテーマが、「神は弱さの中にあり」でした。


同志社大学教授の木原活信先生という方のお話しでした。
木原先生の話を、簡単にまとめると、
「世の中は通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、その弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に多少なりともできるのではないか」
という内容でした。

木原先生は、長年、社会福祉に携わってきたそうで、その根底にあるのは、「キリスト教」の信仰だったそうです。
番組の中では、終始、
「自らの弱さを認める」
ということの重要さを、説かれていました。

私は、10代~20代にかけて、ずーっと、「強さ」を追求してきました。
それで、いきついたのが、究極の強さ比べである、「パワーリフティング」という競技でした。
その競技の選手として活躍し、いろいろな大会でも、勝ちまくっていました。
肉体もそうでしたが、精神的にも、とても強くなりました。

その時の信条は、
「人間は、強くなれば、強くなるほど、幸せになれる!」
でした。
だから、その対極にある考え方、
「人間は、弱くてもいい…」
というような人生哲学は、受け入れられませんでした。

しかし、それからあと、30代~40代で、さらに、いろいろな経験を積んでからは、
「人間って、あまり強くなりすぎても、ダメなんだな… 強すぎると、人の痛みや苦しみに、鈍感になるんだな…」
と、少し反省しました。

一時期、付き合っていた彼女から、それを何度も指摘されました。
「トーマさんは、人の痛みに鈍感ですね。私が気が付いたのは、その鈍感さは、強さからきているということです。皆、あなたほど、強くはないんですよ。誰もが、そんなに簡単に、逆境を乗り越えられたり、すぐに立ち上がることなんて、できないんですよ」
何回も言われたので、さすがに、
「そうかな…?」
と思い、自分の行いを振り返ってみると、たしかに思い当たることが、たくさんあり、それからは、なるべく、弱い立場に立たされている人の気持ちにも、配慮するようにしました。

正確には、その後、自分も、そういう弱い立場に立たせるという体験をして、初めて、そういう人たちの気持ちが、わかったということです。
さらに、自分が、「強さ」に、とても憧れて、追い求めていたのは、心の奥底に、「弱さ」があったからだとうことにも、気が付きました。

あるチャネラーさんからは、
「トーマさんは、誰よりも弱いんですよ。魂の奥底に、一番弱い部分があるから、誰よりも強くなれたんですよ。一番弱いから、一番強くなれたのです」
と、言われて、
「なるほど…」
と、思いました。

番組の中でも、木原先生が話していましたが、たしかに、人間というのは、調子のいい時や勢いのある時、なにもかもが、うまくいっているときには、
「自分は万能だ! 天才だ! 無敵だ!」
と、自信に満ち溢れているものです。
でも、人生において、こういう状況が、ずーっと続くことは、あまりないと思います。
どこかで、思ってもみなかった事態に遭遇したります、
それが病気だったり、事故だったり、事件だったりします。
その時に、絶対絶命のピンチに追い込まれ、自分の力だけでは、どうしようもないと思ったとき、初めて、
「神様、仏様、助けてください…」
という気持ちが、湧き上がってくるのです。

その時は、自然に両手を合わせて、拝むような姿になることが多いです。
場合によっては、勝手にひざまずき、首を垂れる姿勢になることもあります。
この無力感を感じた瞬間に、謙虚になり、自然に手を合わせる行為が、本来の「信仰」なのかもしれません。

人間という存在は、全てがうまくいっていて、何の問題もない時には、「神」を必要としないのです。
結果として、信仰心は、生まれないのです。

何もかも、やりつくしして、
「もうダメだ…」
と思った時に、祈りたくなるのです。
そして、そういう時こそ、本当に奇跡が起こったりするものなのです。

アメリカに住んでいた時に、特に、それを感じました。
ご存知のように、アメリカは、日本と違って、犯罪も多いです。
ある時に、真夜中に、ロサンゼルスの一番ヤバイ場所で、車が故障した時がありました。


周囲に、黒人などのギャングのような連中が、たくさんいて、こちらに近づいてくるのがわかりました。
どんなに、私が腕力が強くても、拳銃には勝てません。
「今夜、ここで、死ぬかもしれないな…」
と、覚悟した時に、目の前に車が停まりました。
やさしそうな白人のカップルでした。
「こんな時間に、そこで何をやってるんですか? 車が停まった? 危ないから、はやく、この車に乗りなさい! 家まで送っていってあげますよ」
こう言ってくれたのです。

そのカップルは、ちょうど、親戚の家に、向かうところだったようですが、住所を聞いてビックリしました。
なんと、私の家の隣の隣くらいの住所だったのです。
それで、無事に、家まで送ってもらいました。

あの時に、そのカップルの車が助けてくれなかったら、ギャングたちに撃ち殺されていたかもしれません。
その車の目的地が、私の家の近くだったなんて、
「神様が助けてくれた」
これしか考えられません。
その時は、家に着いたとたん、自然に手を合わせて、神に感謝していました。

こういう経験は、長く生きていると、誰でも、一度や二度は経験すると思います。
そして、その時だけでは、「神」に、感謝するのです。
その後は、しばらくすると、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
という格言通り、その出来事を忘れてしまいます。
まあ、それでもいいのかもしれませんが、たまには、そういうことを思い出し、神様への感謝の気持ちを忘れないようにすることも、大切だと思います。

番組の中では、他にも、心に残る話がありました。
木原先生は、ある時期に、
「どうしても、人を愛せない…」
と思って、苦しんだ時期があったそうです。
おそらく、キリスト教の「隣人愛」の教えを、実践しようとしたのだと思います。

キリストの教えでは、全ての人を愛することが、良いことだという意味の教えが、たくさんあります。
しかし、これは、本来、「理想」なのだと思います。
現実社会では、全ての人を、好きになれたり、仲良くできたり、愛することは、人間には、難しいのです。
その時に、木原先生が、気づいたのは、
「愛することができない」
という自分の本質の部分だったそうです。

それからまず、そういう自分を、愛そうと思ったのだそうです。
つまり、
「愛せないというダメな自分を、なによりも先に愛そう」
こう思ったそうです。

これは、私も悩んだことがあったので、とても共感しました。
スピリチュアルなことを、たくさん学んでいると、誰でも、大きな愛をもった人間に、なりたいと思うと思います。
しかし、世の中には、それに反して、どうしても、愛せないような酷い人間が山ほどいます。
その時に、
「自分には、こういう人たちを愛することができない。自分はなんて、ちっぽけな人間だったんだろう…」
こう思って、ショックを受けたことも、何度もあります。

その時に、まずやることは、
「なによりも先に、そういうちっぽっけな自分を、愛してあげる」
ということです。
これで、だいぶ気持ちが、楽になります。
必要以上の罪悪感に、縛られなくなるのです。
 
「愛する」を、「許す」に、言い換えてもいいと思います。
今でも、たまに、学生時代やサラリーマン時代の嫌な思い出が、蘇ってくることがあります。
魂の奥底では、全部は、まだ清算できていないのかもしれません。
未だに、
「あれはまだ、ゆるせないな…」
と思うこともあります。


そういう時は、無理やり、
「いやもう、あれは終わったんだ。ゆるしてやろう…」
と思っても、ますます、ゆるせなくなったりします。
そういう時、まずは自分から、ゆするということです。
特に、
「ゆるせないという気持ちを、自分がもってるという事実。そして、人をゆるせなくてもいいんだという気持ちを、まずはゆるそう」
と思うことです。

「ゆるせない」という自分の意識を、まずは、ゆるすということですね。
「ゆるし」は、ここからスタートすると、いいみたいです。
「ゆるせない」という醜くて、ちっぽけな自分を、まずは、ありのままに受け止め、認めてあげる。

そして、
「でも、そのままでいいんだ」
と、ゆるしてあげる。
そうすると、だいぶ気持ちが、楽になるのです。

「ゆるす」の語源は、「ゆるます(緩ます)」なのだそうです。
人を、ゆるせると、人生そのものが、ゆるくなり、呼吸も楽になり、生きやすくなります。
そして、それにはまず、ありのままの自分をゆるすのが、コツだということです。
「ゆるすと、自分の人生がゆるみ、楽になる」
ということです。

これは、逆もできると思います。
つまり、
「心がゆるむと、身体もゆるむ」
のであれば、
「身体をゆるませれば、心もゆるむ」
ということです。

身体を、温泉、マッサージ、ストレッチ、ヨガなどでゆるませると、心もリラックスできて、相手や自分など、いろいろなことを、ゆるせるようになってきます。
ぜひ、日常の中に、身体や心を、「ゆるませる」という機会を、たくさん、つくってみてくださいね。


ほとんどの大企業や大きな組織では、人間の仕事の能力だけを重視し、
「あいつは、仕事ができねえ! あいつは、使えない!」
などと、酷い言葉で、一人の人間の存在を、全否定したりします。
これは、「地獄の世界」、もしくは、「修羅の世界」です。

こういう弱肉強食の世界では、強くないと生きていけません。
これも、この世界の一面の真実だと思います。
しかし、人間は、こういう世界を変革するために、この時期に地球に生まれてきたのでは、ないでしょうか?

人間はこの地上で、様々な経験を通して、
「自分は、弱い存在だったんだ」
と、気づいた時に、初めて、神様を感じることができるようです。

ある意味、この意識が、成熟した大人の魂と、呼べるのかもしれません。
自分の中の弱さに気がつくことで、他者の弱さにも、気がつくことができます。

皆が、お互いの弱さに気がつき、全員が、それぞれの苦しみを、共感しあい、助け合い、励ましあう世界が、「神の国」と表現される社会なのだと思います。
私は、いつかは、この地上も、そういう「神の愛」に溢れた、「愛の世界」になるだろうと信じています。
 
キリスト教の「神の愛」というのは、
「一番強い者の気持ちに、目を向けるのではなく、一番弱い者の気持ちに寄り添う」
そういう愛のことみたいです。
神は、一番弱い存在を、一番かわいがってくれるのです。

人間には、そういうことはできません。
もしかしたら、今の段階では、人間はそこまで、やらなくてもいいのかもしれません。
だからこそ、その愛は、「神の愛」と、呼ばれるのです。
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「四天王寺」から、ちょっと歩いた所にある、「勝鬘院(しょうまんいん)」にも、立ち寄りました。

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ここは、2回目ですが、視点が変わった今は、前回とは違う景色に見えました。

自分が成長したことを、感じられて、嬉しかったです。

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次回に続きます。

 

 

 

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