精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

東京シリウスツアー 2 死

東京での「シリウス」の調査、最初は、渋谷から始めました。

ご存じのように、ここには、知らない人はいない、超有名な待ち合わせ場所に、「忠犬ハチ公」がいます。

 

よく見てみると、「黒い犬」ですね。

しかも、1頭だけです。

つまり、「アヌビス」の意味だったということです。

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しかも、「忠犬」も、もしかしたら、

「宙犬」=「宇宙からやってきた犬神」

この意味かもしれません。

さらに、「ハチ公」という文字も、「ハ」と「公」を重ね合わせると、「△(ピラミッド)」の象形文字になります。

 

だとしたら、「渋谷」も、「シリウス」の文明の拠点だった土地かもしれません。

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こうやって視点が変わると、同じ景色が、全く違って見えてくるから面白いです。

 

 

私たちは、渋谷にある、「宮益御嶽神社」に行きました。

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初めて訪れる神社です。

こんな神社が、街中にあったのですね。

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やはり、「ヤマトタケル」が祭られていました。

「大鳥大社」に祭られている神様ですね。

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鳥居の前で、パチリ。

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「オオカミ」の狛犬です。

もちろん、「アヌビス」と「シリウス」の意味ですね。

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意味がわかると、神社仏閣巡り、10倍楽しくなります。

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拝殿には、古代エジプトにおいて、これも、「死を司る神」だった、「スカラベ」が彫られていました。

二匹が、「三つ巴」のシンボルを守護しているように見えます。

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「スカラベ」です。

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「スカラベ」の神様です。

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この「菊花紋」の意味は、「一つ目」かもしれません。

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これは、「巨石」ですね。

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そして、これは、「ロケット」だと思います。

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前回書いたように、「シリウス」から、地球に不時着したロケットだと思います。

エジプトの壁画にも、「アヌビス」の背後に、それらしき物体が描かれています。

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調査がひと段落して、調査に参加してくださったメンバーの方たちと、神社の近くのカフェで、おしゃべりしました。

いろいろな話題が飛び交い、毎回、大盛り上がりです。

至福の時です。

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5年くらい前から、私の周囲で、何名かの友人や知人が亡くなりました。

病気や交通事故の方もいれば、他の複雑な理由で、亡くなった方もします。

それまで会おうと思ったら、会えた人が、ある日を境に会えなくなるというのは、やはり、寂しいものです。

 

 

前回、「アヌビス」という神様が、「冥界と死を司る神」であり、「シリウス」の影響を強く受けている神社や寺は、特に「死」について考える場所であると書きましたね。

今回も、その「死」について考えてみましょう。

 

いつも思うのですが、学校での教育でも、家庭での教育でも、本当に大切なことは、子供に教えていないという現状があります。

これは、現代において、その中でも、特に戦後に著しい傾向だと思います。

 

大人が、子供に教えなくてはいけない、一番大切なことは、

「人生を、どう生きるのか?」

ということだと思います。

つまり、「人生哲学」のようなものです。

こういう核心を突かずに、

「テストで、いい成績をとって、いい学校に入れば、いい就職先に入れて、いい結婚ができる」

このような薄っぺらなことだけを教える教師や親が、まだまだ多いのが現代社会だと思います。

 

そして、「人生哲学」を説くには、その対極にある、

「死んだら、どうなるのか?」

これが、わからないと、本質的な話ができないのです。

「死んだらお終いだ…」

こういう世界観をもって生きている人と、

「死んだ後にも、新しい別の世界が待っている!」

こう信じて生きている人では、生き方が全く違ってくるのです。

そして、この一番大切な「死」について、本当に理解している大人が、とても少ないのです。

 

私は、幸いなことに、23歳の頃に、ある教師に出会い、その方から、

「死とは、どういうことなのか? 何の意味があるのか? 死んだらどうなうのか?」

ということを、教えていただきました。

それからは、人生観や世界観が、180度変わりました。

 

人生において、「幸福」の問題を考える時、どうしても避けて通れない問題に、「老い」と「死」の問題があります。

この中でも、特に、自分なりの答えを、なるべく早く、もっておいた方がいいのが、「死」についてだと思います。

これをクリアにしておかないと、本当の幸福感は、もてないと思うのです。

 

 

私が、最初に「死」を意識したのは、小学校低学年の頃でした。

夜寝ている時に、自分が死んだ夢を見たのです。

家の前で、自分の遺体が棺おけの中に入れられ、友達が泣きながら見ているのがわかりました。

とても悲しくなって、ワンワン泣いて、涙を流しながら、目が覚めた覚えがあります。

とてもクリアで、明確な夢でした。

 

その後、20歳の頃、8年間飼っていた、「ヤマト君」という雄の犬がいたのですが、ヤマト君が病気で死んだ時、とても悲しくて、また泣きました。

ヤマト君は、私が精神的にまいっていた時、人間不信に陥って孤独だった時、一番の大親友でした。

いつも、一緒にランニングをしたり、小学校の校庭で、私が鉄棒で懸垂したり、逆立ち歩きしたりしている時、ヤマト君だけが応援してくれていました。

私の一番最初のトレーニングパートナーであり、コーチでした。

犬っていいですね。

たまに、人間よりも彼らのほうが、霊的に優れているのではないかと、思うこともあります。

 

また、ちょうどそれと同じ頃、隣の家の床屋さんのおじさんが、夜、酒に酔って、

「チクショウー! チクショウー! コンチクショウメー!」

と気違いのようにわめいているのを、夜見たことがありました。

子供の頃から、よく髪を切ってもらって、とてもやさしくしてもらったおじさんの、あまりの変わり果てた姿に、ビックリしました。

あんなに温厚で、紳士だったおじさんが、怒鳴りちらし、電信柱などを殴っていたのです。

 

それから、1ヶ月ほどして、そのおじさんが、癌で亡くなったと知り、なんともいえない気分になった覚えがあります。

たぶん、医者から癌の告知を受けたのだろうと思います。

「死の恐怖」が、人間をあんなに苦しめるものだということが、そのおじさんが取り乱している姿を見て、よくわかりました。

 

お釈迦様も、よく弟子たちと、「死」について、議論していたようですが、あまり詳しくは話してくれなかったという説が、有力だそうです。

 

ある日、お釈迦様のところへ、

「息子が死んだ」

と言って、嘆き悲しんでいる母親がやってきて、この苦しみを和らげてくれるように、頼んだことがあったそうです。

すると、お釈迦様は、ただ、

「それでは、死人が一人もでなかった家を探してきなさい」

という宿題を出したそうです。

 

その母親は、言われたとおり、いろいろな家を訪ねるのですが、どの家も、

「おじいさんが、去年死んだ」

「お母さんが、3年前に死んだ」

などという答えが返ってきて、その時にようやく、その母親は、

「そうか、死というものは、どの家でも起こる、きわめて当たり前のことだったのだ。誰にでも、訪れることだったのだ。私の息子だけではなかったのだ」

ということを悟り、お釈迦様のこの宿題に、感謝したのだそうです。

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そうなのです、

「死」は、きわめて当たり前のことであり、日常茶飯事の出来事なのです。

ヤマト君と床屋のおじさんの死の後、1年経った、21歳の頃、私は今度は、祖母の死を目の当たりにしました。

私は、この祖母と仲良しでした。

 

その頃、祖母は67歳だったのですが、病気がちで、いつも病院と家の入退院を繰り返していました。

その後、家に帰ってきて、自宅療養していていました。

その間、母がずっと介護していたのですが、排泄器官が悪くなり、すぐに大小便を垂れ流すようになり、母も私たち家族も、皆、介護に疲れ果てていました。

「もう、このままでは、私のほうが、ノイローゼになってしまうよ…」

母が、毎日こう言って、苦しんでいました。

 

だんだん、頭もボケてきて、いろいろなことを言うようになりました。

「ねえ、どうして、この家に川が近づいてくるの? 一日ごとに、川の流れる音が、大きく聞えるようになっているよ」

「どうして、去年死んだ犬のヤマト君が、部屋の中のに入ってくるの? 私のベッドの周りで、元気に走り回っているよ」

こんなことを言うようになりました。

でも、今考えると、ボケていたというよりは、本当に見えたり、聞えたりしていたのだろうと思います。

 

「昨日、死んだ私のお父さんが、迎えに来たよ…」

こんなことを話していたある日、急に、祖母は息をひきとりました。

救急車が来た時には、もう完全に心臓が停止していました。

とても安らかな死に顔でした。

すぐに死後硬直が始まり、遺体が固くなったのには、驚いたのですが、それ以外は、眠っているような顔でした。

 

親戚を呼び、通夜が行われ、私は一晩中、祖母の遺体と部屋で一緒にいました。

酒を飲みながら、歌を歌ったりして、一晩明かしました。

いろいろな思い出が蘇ってきました。

「イタル、男は文武両道だよ。頭だけ良くてもダメだ。体だけ丈夫でもダメだ。学問もやって、体も鍛えて、はじめて本当の男なのだよ。文と武は両輪のごとしだよ。忘れないでね」

私に、口癖のように、いつも言っていました。

今でも、この言葉は、私のライフスタイルに、強い影響を及ぼしています。

 

翌日、火葬場に行く時、家の前で、近所の人がたくさん集まって、私たちが棺おけを運ぶのをみていたのですが、

「あれ? この場面、以前にも一度体験した気がするぞ…」

という「デジャブ」を体験しました。

もしかしたら、私が子供の時に見た、「自分が死んだ夢」と何か関係があったかもしれません。

 

火葬場で遺体を焼き、煙突から、祖母の遺体が煙とともに、空に上っていくのを、ボンヤリ見ていました。

「ああ、この煙の細かい粒子が、また海や土に降りてきて、魚の口に入ったり、植物の肥料になったりするんだな…」

などと考えていました。

自然界の摂理を少しだけ垣間見たような気がしました。

 

それから一週間ぐらいの間、家の中で夜、祖母の杖の音が、ずーと聞えていました。

歩き回っているようでした。

それから一週間目の夜に、私の部屋に、人が入ってくる気配がしました。

「あっ、おばあちゃんだな…」

とわかりました。

とてもやさしい波動を感じたからです。

私の体をやさしく触り、どこかに行くのがわかりました。

 

また、四十九日の前日、夢の中で祖母に会いました。

とてもクリアな夢でした。

「ほーら、見なさい、イタルがやっぱり、一番最初にここに来ると思っていたよ」

もう一人、知らないおばあさんがいて、その人に、私のことを紹介しました。

祖母は、とても艶やかな紫色の着物を着て、幸せそうでした。

「あばあちゃん、そんなに元気だったら、こっちの世界でも、100年以上は、生きられそうだな!」

こう言って、祖母の膝を触りました。

その触った感触は今でも覚えています。

あの場所が、いわゆる「あの世」という場所だったのではないかと思っています。

 

私は、祖母にも、犬のヤマト君にも、また会えるだろうと信じています。

再会が、今から楽しみです。

 

「死」というものは、やはり、魂の成長の一つのプロセスに過ぎないと思っています。

昆虫が、さなぎから成虫になるようなものかもしれないと、私は考えています。

 

今は、死に対する不安はほとんどありません。

今も幸せだし、死後もやはり幸せだろうと、思っています。

「自分が元いた場所に、戻るだけの行為」

これが、私の考える「死」の定義です。

 

 

昔、「死」について、さらにユニークな考えを本で読みました。

1972年に、「アポトーシス」という現象が発見されたそうです。

これは、細胞が自殺するという現象だそうです。

 

ある種のたんぱく質が、生命体の全身のために、特定の細胞に、「死んでください」という指令をだすことが、科学的に確認されたのだそうです。

その指令を受けた細胞は、みずからの命を絶つそうです。

 

例えば、体が傷ついた時、その傷口には、潰れた細胞があるのですが、二通りの潰れ方があるそうです。

一つは、血管が萎縮して、血液が回らずに輪郭が崩れて死んでいく細胞。もう一つは、輪郭を維持しながら、秩序正しく死んでいく細胞。

この後者の「秩序正しく死んでいく細胞」が、遺伝子の指令で死ぬ細胞なのだそうです。

「全身のために、これらの細胞は、死んだほうがいい」

と遺伝子が判断して、指令をだし、これを受けて細胞が死ぬのだそうです。

 

例をあげると、おたまじゃくしの尻尾の細胞が死ぬ時は、この指令がでているそうです。

「尻尾の細胞」が死ぬことによって、「おたまじゃくし」という全身が、「カエル」という全身に変身するのだそうです。

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よく、「生き甲斐」について、私達は考えますが、逆の「死に甲斐」について考えてみることによって、より世の中が、明確に見えてくることもあると思います。

「全ての死は、人類全体の発展、進歩のためなのではないか?」

と、一度、大きな視点で考えてみるのも、いいのではないでしょうか?

枯葉が落ちて、それが、その木の養分になるように…

 

 

別の本の中で、「死」について、興味深い表現が書かれていました。

要約すると、

「私達の世界は、人生老死号という名前がついた列車に乗って、皆で旅をしているようなもの」

だというのです。

 

老いと死に向かって、まっしぐらに進んでいく列車で、各駅停車で、駅に着くたびに、新しい乗客を乗せて走っていく列車なのだそうです。

「新しい乗客」が、新しく生まれてくる「赤ちゃん」だそうです。

 

この列車に終着駅はなく、どこまでも走り続けるそうです。

誰がどこで降りるかというと、じっと耳をすましていると、神様の声が聞こえてきて、それぞれが、

「私は、皆さんと一緒に、楽しい旅をさせていただきました。私は、次の駅で降ります。では!」

と皆にお礼を言って、各駅で降りていくのだそうです。

 

降りる人がいるから、誰かが、降りる人の席に座れる。

立ったままの人もいるが、立っている人も、一人でも降りれば、それだけストレスが、小さくなるという話です。

 

乗る人だけだったら、確かに大変です。

満員電車になってしまいます。

ここでの「各駅停車」が、「生死」なのだそうです。

 

人類は、地球上において、長い長い歴史の中、常に生まれて老いて、それから、死んでいくという行為を、繰り返してきています。

それは、あたかも、人類全体が、古い細胞をそぎ落として、新しい細胞が生まれてくるという、新陳代謝を繰り返し、成長し続けている、「大いなる超生命体」のようなものなのかもしれません。

 

この話を書いていたら、久しぶりに、アニメの「銀河鉄道999」が、頭に浮かんできました。(笑)

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今回の調査中は、このように、「生と死」について、いろいろなことを考えながら歩いていました。

 

 

次回に続きます。

 

 

 

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