いよいよ、本格的に、「北緯38度線」を調査した話題です。
私たち一行は、山元町の中にある、このライン沿いを、車で走りました。
すると、このラインに近づくにつれて、明らかに凄い体感がありました。
手足が、ビリビリしたり、体温が上がって、温泉に入ったみたいに、ポカポカしてきました。
今後は、このラインを、「38度ライン」と呼びますね。
ちなみに、「山元町」の旗には、このシンボルが描かれています。
明らかに、この町を、特別なラインが横切っているということを示していますね。
私たちは、「38度ライン」の最東端に向かいました。
ここは、日本だけでなく、おそらく、地球全体にとっても、陸上では、もっとも東側になる地点だと思います。
地図では、ここになります。
面白いのは、ちゃんと、海から上陸してくるような道があったことです。
太古の昔、ここから、38の神様、つまり、「八百万の神々」が上陸したのかもしれません。
海岸の堤防で記念撮影です。
なんと、目の前には、「ミステリーサークル」のような奇妙な跡がありました。
なんですかね?
このサークルの延長線上に、古墳のようなものがありました。
「38度ライン」の東端である始まりには、この古墳が、3つありました。
特に、2つの古墳の間が、ドンピシャの「30.00度」になっていて、まるで、参道の脇に、狛犬が2体置いてあるようなかんじになっています。
「狛犬」ではなく、「狛古墳」ですね。
この2つの古墳の間の距離は、400メートルくらいでした。
地図では、「線」ですが、実際の幅は、400メートルくらいなのかもしれません。
「38度ライン」に一番近い古墳です。
円墳ですね。
小雨の降る中、頂上にのぼりました。
この古墳から、もう一つの古墳を見ました。
遠くに、古墳がありますね。
この間には、ソラーパネルが、たくさん置かれていました。
そして、この古墳から、歩いていける距離には、小さな神社がありました。
ちょうど、「38度ライン」が、通過するようになっています。
両脇には、旗を揚げるポールがありますね。
こういうものがある所は、天皇家が、お忍びでお祈りをしに来た時に、国家掲揚するためのものだそうです。
「神明社」と書かれていました。
祠の前で、記念撮影です。
なんと、隣のお寺は、「海蔵寺という名前ですが、どうやら、山号は、「補陀落山」となっているようです。
大感動しました~!
やはり、最需要な場所には、「補陀落渡海」の痕跡が残っていました。
「補陀山」と書かれていますね。
入口付近には、立派な蔵もありました。
意味深なシンボルですね。
目の赤い狛犬です。
「コウノトリ」の意味だと思います。
「イザナギ」と「イザナミ」を暗示しています。
山元町は、2011年の東日本大震災で、凄い被害を受けた町でもあります。
本堂の前にあったものは、私には、マイブームの「フラットアース」に見えました。
似ていますね。
本堂前で、パチリ。
宮城県での調査を終えた後、JR山下駅で、一旦解散しました。
それから、JR仙台駅にあるカフェで、打ち上げをしました。
この後、JR仙台駅周辺を、ブラブラ散歩してから、ホテルに戻りました。
この駅の周辺を歩いたのは、本当に久しぶりでした。
それから、翌日は、宮城県白石市に向かいました。
もちろん、「38度ライン」に沿っての調査です。
ここにも、面白い土地がありました。
「苅田嶺神社」という神社にも立ち寄りました。
山門です。
拝殿です。
やはり、このシンボルがありました。
これは、おそらく、「38度ライン」を通る、3つのエネルギーラインを表現しているのだと思います。
「白鳥大明神」と書かれていますね。
「白」という文字は、「白寿」という表現があるように、数字の「99」の意味です。
つまり、旅行記の前半で紹介したように、「天照派」の中の「99のグループ」の意味です。
「九十九王子神社」や「九十九里浜」を通ってきた一族ですね。
おそらく、昔、この土地にも住んでいたのだと思います。
「白石」
この名前は、
「99の意志」
この意味かもしれません。
つまり、「愛と平和のグループ」である、「天照派」の人々が、この土地で、「愛と平和」という自分たちの理想郷をつくろうとしたのかもしれません。
立派な鏡がありました。
本殿の裏には、石碑もありました。
「日本武尊」とも関係していますね。
「ヤマト」ですね。(笑)
白石市の「38度ライン」には、そのままズバリ、「宮(三八)」という名前の土地もありました。
その町の寺にも、立ち寄りました。
「三谷寺」という名前でした。
「イザナギ」と「イザナミ」ですね。
これは、その親子を表現しているのかもしれません。
99組の一族の意味かもしれません。
「菊家紋」もありました。
「ミカン」のグループであり、「天照派」ですね。
本堂です。
本堂の横には、「天満宮」がありました。
これは、「天神アン」の意味だと思います。
シュメール神話では、「アヌ王」であり、「エンキ」や「ニンフルサグ」の父親です。
「八咫烏」でもあります。
それから、今回の目的地の一つである、「白石城」に着きました。
井戸がありました。
ワシントンDCにある、「オベリスク」みたいですね。
「アヌ王」のシンボルでもあります。
ここは、城の中に入れて、しかも、天守閣までのぼれます。
最高に面白いのは、この天守閣を、「38.00度」のラインが、ドンピシャで通過しているのです。
「凸」のようなマークが、「白石城」です。
こんな凄いラインが、天守閣を通っていることが、偶然だと思いますか?
違うと思います。
完璧に計算したうえで、設計され、築城されたのだと思います。
だとしたら、この城を建築したのは、やはり、人間ではなかったということになります。
ネットで調べてみると、白石城が、いつ頃、誰の手によって造られたのか、はっきりしたことはわかっていないそうです。
ただし、確実に言えることは、日本には、まだ、「北緯38度」という概念がない頃に、造られていたということです。
もしかしたら、日本における、本当の「皇居」は、ここなのかもしれません。
誰でも入城できる、「皇居」です。
見てください!
この瓦を!
感動しますね~!
天守閣です。
素晴らしいエネルギーが流れていました。
景色も最高です。
城の中には、意味深な旗が、たくさんありました。
古代ユダヤだと思います。
「釣鐘」みたいな形ですね。
これは、おそらく、古代インドのUFOだと思います。
この武将の後ろにも、ありますね。
ちなみに、「白石市」の「シンボル(旗)」でもあるようです。
多くの寺には、このような釣鐘がありますね。
宇宙考古学的な解釈をすれば、この釣鐘は、太古の時代、インドで、核戦争をやった宇宙人グループが乗っていた、UFOの形と似ていることから、それを模した形の可能性も考えられます。
「アヌンナキ」のグループみたいです。
この時の核戦争で、地球上に核爆弾を、108発投下したという説もあります。
大晦日に鳴らす鐘の音は、これからきているという話もあります。
「同じ過ちは、もう二度と繰り返さないぞ!」
こういう誓いを、毎年の最後に行う儀式が、「除夜の鐘」だということです。
わりと最近では、ナチスが、これと同じ形のUFOを製造していたみたいです。
「インド」という土地は、太古の昔、「イナンナ」が治めていた国でもあったようです。
「インド」や「伊勢」など、頭文字が、「I」から始まる土地は、「イナンナ( INANNA)」の土地だったそうです。
「福島アースツアー」でも書きましたが、もう一度書きますね。
福島県の旅では、郡山市にある、「高屋敷稲荷神社」にも立ち寄りました。
境内には、「白狐社」という摂社がありました。
拝殿です。
この文字を見ていたら、「白虎隊」と繋がりました。
ここで、「お稲荷さん」のことも、簡単に、おさらいしておきましょう。
シュメール文明の石像です。
「イナンナ」だと言われています。
「レプティリアン(爬虫類人)」ですね。
子供を抱いています。
「聖母マリア」の正体も、この宇宙人だったようです。
ちなみに、陰謀論などで言われているような悪い存在ではありません。
「イナンナ」の顔、「キツネ」に、そっくりではないですか?
昔の日本人で、「イナンナ」を見た人は、他にピッタリ当てはまる動物がいなくて、一番姿が似ている、「キツネ」だと認識して、それが全国に広まったんじゃないかな?
「稲荷(いなり)=イナンナ」
音も、そっくりですね。
昔から、日本の各地で、
「狐の嫁入りを見た!」
という目撃談がありますが、それは、「イナンナ」が、部下を引き連れて歩いていたのを、たまたま、目撃したんじゃないでしょうか?
これは、あるお祭りで、女性がキツネのお面を被って、花嫁衣裳を着ている姿です。
「イナンナ」が、上記のような素の顔で、頭からヘルメットのようなものを被って歩いていたら、こういう姿なんじゃないでしょうか?
そもそも、もしも、「動物霊」が、それほど偉い存在なのであれば、なぜ、「キツネ」と、いつも、ペアで登場する、「タヌキ」の神社が、極端に少ないのでしょうか?
なぜ、「狐の婿入り」の姿は、見た人がいないんでしょうか?
こう考えていくと、
「お稲荷さん=イナンナ」
この説は、かなり状況証拠が、整っているように思えてきます。
日本で、一番勢力のある神様、「お稲荷さん」の正体は、地球の支配者であった、「イナンナ」でもあったのです!
特に、「白い狐」の姿の「お稲荷さん」は、「イナンナ」だと思います。
「白虎隊」というのは、「白狐隊」の意味も、隠されていたのかもしれません。
つまり、この隊には、霊的な存在として、「お稲荷さん」が背後についていたと思うのです。
「イナンナ」という女神は、「愛の女神」でもありますが、同時に、「戦闘の女神」でもあったのです。
「聖母マリア」でもあるのですが、この女神は、一般的なイメージでは、「やさしい神様」のイメージですが、同時に、「戦いの神様」でもあるのです。
そして、根源のルーツを探ると、この女神は、「ニンフルサグ」や「イザナミ」とも関係しています。
もちろん、今回のメインテーマである、「天皇家」のルーツの一つでもあります。
「聖母マリア」のソウルグループが、太平洋戦争を仕切っていたという状況証拠は、たくさんあります。
歴史を調べると、聖フランシスコ・ザビエルが、日本に初めて上陸した日が、1549年8月15日で、聖母被昇天の祭日だったそうです。
このように、上陸した日まで決まっていたのです。
これも、別に悪気があったわけではなく、ザビエル本人は、
「聖母の保護のもとに置けば、日本国民は、幸せになれると思った」
と記述しているそうです。
太平洋戦争が始まったのは、1941年12月8日ですね。
この日は、「無原罪の聖マリアの祭日」という記念日でした。
太平洋戦争が終わったのが、1945年8月15日です。
この日は、「聖母マリアの被昇天の祭日」です。
戦後のサンフランシスコ講和条約の調印の日は、1951年9月8日です。
この日は、「聖母マリアの誕生日」だそうです。
戦争などの本当の黒幕は、人間ではなかったのです。
「稲荷=聖母マリア=イナンナ」という女神だったのです。
私は、いろいろな状況証拠から、この結論は、間違いないと確信しています。
これは、絶対悪ではありません。
神の視点では、深い理由があって起こした戦争だったみたいです。
「白石城」の城内には、昔の城の地図もありました。
私は、この地図を見て、
「うわ~~!!」
と大声をあげてしまいました。
見てください!
城の敷地のエリア、緑色で囲まれた部分が、「白い狐」になっていますね。
左側を向いているのが、わかりましたか?
ちゃんと、「細い目」や「耳」や「口」もありますね。
しかも、城壁の形は、「エンリル」のシンボルになっています。
つまり、「白石城」は、「イナンナ」の拠点だったということです。
繰り返しますね。
「白石城」の秘密を解くキーワードは、「イナンナ(白狐)」であり、「稲荷」だということです。
この城にいた時は、まだ、この意味がわかりませんでした。
しかし、この城の後に向かった先に、その答えが待っていました。
次回から、旅行記は、佳境に突入します。
お楽しみに!
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