精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

坂本龍馬の暗殺

7月12日(日)の大阪セミナー&懇親会も、楽しく終了しました。

毎回思うのは、沢山の人たちが、こういう真実の話を本音で、しかも、お互いの意見を尊重しながら、楽しくポジティブに語り合う場を、熱望していたのだなということです。

このセミナーは毎回、大感動の嵐なのですが、年内は、ほとんど毎週、全国の主要都市で開催する予定です。

まだ受講されていない方、ぜひ受けてみてくださいね。

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翌日、東京に帰る直前に、JR大阪駅近くのヒルトンホテルのカフェで、友人たちとお茶しました。

短い時間でしたが、久しぶりに会う方もいて、昔話に花が咲いたりしました。

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ここでまた復習しておきましょう。

セミナーでも、毎回話していますが、私は現在、地球における古代史を、2つのグループに分けて考えています。

 

一つ目は、「リンゴ」をシンボルにしたグループです。

これは、シュメール文明から始まる、「アヌンナキ」のグループで、エデンの園で、アダムとイブにリンゴを与え、ニュートンに、万有引力の法則を、リンゴで気づかせ、資本主義の権化である、ビッグアップルというニューヨークの街をつくりあげ、現在は、アップルコンピューターで、「AI(人工知能)社会」を世界に広げています。
権力や支配のグループです。

拠点は、中近東から欧米諸国のエリアです。

 

「エデンの園」です。

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「日の丸」は、実は、この「リンゴ」の象徴みたいです。

一般的には、「太陽」の意味だと言われていますが、私は、「リンゴ」の意味も含んでいると思います。

日本の天皇家では、「北朝」の系統で、どちらかというと、「山の民」であり、「弥生人」ですね。

 

「リンゴ」です。

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「日の丸」です。

「太陽」の意味もあります。

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このグループの生き方や人生観は、だいたいこうなります。
一言で、その特徴を言い表すと、「未来型」。

「成功型」と言っても、いいと思います。
未来に夢や目標をもって、それに向かって努力したり、がんばったりしながら生きていくやり方です。

どちらかというと、客観的な視点での生き方です。
これは、ポジティブシンキングの人に、多いと思います。
年齢で言えば、10代~20代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、まだまだ未熟だ」
と思って、がんばって成長する時期です。
あるアンケート調査によると、アメリカ人の90%は、このタイプだそうです。

 

二つ目は、「ミカン」をシンボルにしたグループです。

これは、日本の丹後半島から始まる、「イザナギ」と「イザナミ」のグループで、別名、「八百万の神々」とも呼ばれています。

「補陀落山」を信仰しています。
この信仰は、インドやチベットや中国にもあり、「ポータラカ」などの名前のユートピアを夢見ています。
沖縄のニライカナイも、そうだと思います。
その理想郷は、八角形の建物があり、「橘(ミカン)」などの柑橘類の果物が咲き乱れていると言われています。
裏天皇だった、聖徳太子の家紋も橘ですね。
愛と平和のグループです。

拠点は、日本を始めとしたアジア諸国です。

あとは、絶対平和主義の地底王国、「シャンバラ」も、このグループみたいです。


「菊花紋」は、実は、この「ミカン」のグループの象徴みたいです。

一般的には、「菊の花」の意味だと言われていますが、私は、「ミカン」の意味も含んでいると思います。

日本の天皇家では、「南朝」の系統で、「海の民」であり、「縄文人」です。

 

「ミカン」です。

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「菊花紋」です。

「月」や「星」の意味もあります。

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生き方や人生観は、こうです。

「現在型」です。
「幸福型」と言っても、いいと思います。
特に、夢や目標など持たずに、現在に幸せを感じながら、肩の力を抜いて自然体で生きていくやり方です。
主観的な視点での生き方です。
これは、バランスのとれた人に多いと思います。
年齢で言えば、50代~60代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、ある程度成長したから、あとは人生を楽しもう」
と思って、肩の力を抜いて、自然体で生きていく姿勢です。
日本人の60%は、このタイプだそうです。

 

この両者をシンプルにまとめると、こうなります。

〇「リンゴのグループ」=「日の丸」=「太陽」=「アヌンナキ」=「力と支配」=「山の民(弥生)」=「神武派(北朝)」=「未来型(成功型)」=「日本陸軍」=「陸のグループ」

〇「ミカンのグループ」=「菊花紋」=「月&星」=「イザナギとイザナミ」=「愛と平和」=「海の民(縄文)」=「天照派(南朝)」=「現在型(幸福型)」=「日本海軍」=「海のグループ」

 

日本には大昔から、二つの天皇家が存在していますが、この流れだと思います。

二つのグループ分けは、私のオリジナルですが、この分類の方法で、現代の地球、そして、日本の社会が、スッキリと読み解けそうです。

 日本は、太古の時代から、常に、「二本立て」なのです。

だから、「日本(二本)」という国名なのです。

 

もう少し補足説明しておきます。

「陰陽」のシンボルも、ハッキリと二分されているわけではなく、「陰」の中にも「陽」があり、「陽」の中にも「陰」があります。

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それは、自然界でも、神様が表現しています。

たとえば、「リンゴ」は、「太陽」の意味もありますが、そのリンゴをカットすると、その中には、「星」の形が出てきます。

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「ミカン」は、「月&星」の意味もありますが、「太陽」が夕陽になる時、「オレンジ色」になります。

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このように、この世界では、「光」と「影」、つまり、「陽」と「陰」は、表裏一体であり、ハッキリとは分けられないことが多いのです。

 


面白いのは、アメリカ大陸も、この「リンゴ」と「ミカン」の二つのグループに分けられるのです。

 

東海岸には、「ビッグアップル」の「ニューヨーク」があります。

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「リンゴ」の拠点です。

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そして、西海岸のカリフォルニア州には、「オレンジカウンティ」があり、「ディズニーランド」があります。

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「ミカン」の拠点ですね。

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さらにシンプルにまとめると、「リンゴ」のグループが、「神武派」であり、「武闘派」です。

「陸のグループ」と言ってもいいと思います。

それから、「ミカン」のグループが、「天照派」に代表される、「穏健派」になります。

こちらは、「海のグループ」です。

古代の日本には、この二つのグループが、存在していたのです。

 

日本の歴史を、少しだけ書いておきます。


「神武派(リンゴ)」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。

このグループは、穏健派の「天照派(ミカン)」を弾圧していたようです。

 

「天照派」は、三重県いなべ市が拠点だったようですが、ここには、重要な神社が、二つあります。


一つ目は、「賀毛神社」です。
ここは、京都にある、「上賀茂神社(賀茂別雷神社)」の元の神社だそうです。

「賀毛神社」=「元・上賀茂神社」

ということです。

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二つ目は、ここからすぐ近くに、「鴨神社」という神社もあります。
ここは、京都の「下鴨神社(賀茂御祖神社)」の元の神社だそうです。

「鴨神社」=「元・下鴨神社」

だそうです。

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この二つの神社には、「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の長男と長女の名前、「別雷尊」と「玉依姫」の名前があるのが、興味深いです。

 

古代の日本は、最終的には、

「京都」=「神武派」=「北朝」

「奈良」=「天照派」=「南朝」

こうなったそうです。

そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。

「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったようです。

 
「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。

 

ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。

それは、時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。

 

考えてみればわかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。
下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。

そこで、ある時期に、

「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒にお祭りでもやらないか?」

「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。


そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「賀毛神社」を真似て、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。

それから、「鴨神社」も真似て、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。


そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。

それが、「葵祭」だったのです。

日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。


「向日葵(ひまわり)」という単語を見ても、わかるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。

つまり、

「向日葵」=「太陽」

ということです。

「葵祭」というのは、

「この世の中の全ての人々が、愛の光で包まれますように…」

こういう願いを込めた儀式だったそうです。

 

数年前に京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。

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あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派」と「神武派」の二つのグループを表現しているそうです。

「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」

ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。

 

 

さて、ここかがら本番です。

 

その後の歴史でも、とても複雑な経緯をたどるのですが、江戸時代の終わり、幕末の頃の日本も、この二つのグループに分かれていました。

二つのグループとも、身分は、「武士」だったのですが、最終的にはこうなったようです。

念のために、もう一度言いますが、ハッキリとは分かれていません。

だいたいの目安です。

 

〇「リンゴのグループ」=「神武派」=「北朝」=「陸のグループ」=「上級武士」

〇「ミカンのグループ」=「天照派」=「南朝」=「海のグループ」=「下級武士」

 

日本の幕末でも、この両者は、対立していたようです。

幕末の大騒動は、いろいろな理由や原因がありますが、その中の一つとして、威張って傲慢になった、上級武士たちに対して、下級武士たちが、不満を持ち、いったん、その古いシステムを壊し、新しい社会を構築したいと切望していたのも、大きな流れだったようです。

 

「坂本龍馬」や「勝海舟」、「西郷隆盛」、「ジョン万次郎」などは、「天照派」であり、「海のグループ」だったようです。

どちらかといえば、穏健派であり、

「なるべくなら、戦いはしたくない」

という方針だったようです。

 

「菊花紋」と「月&星」がシンボルでもあり、「現在型(幸福型)」であるから、権力志向ではなく、出世などにも興味がない人たちの集まりだったようです。

特に、「勝海舟」などは、海のグループが、小舟に乗って、西日本から東日本に亡命していた裏の日本史を表現する、「補陀落渡海」の名前が、そのまま付いています。

「舟にのって、海を渡ったグループを勝たせた男」

こういう意味ですね。

 

 

さて、いつものように、現地取材に行きました。

今年の3月です。

場所は、京都市東山区清閉寺霊山町にある、「京都霊山護国神社」です。

ここに、「坂本龍馬の墓」があるのです。

 

着きました。

観光地になっていて、ちゃんと鳥居もあります。

ここに来るのは、2回目ですが、今回はまた新たな発見がありました。

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看板がありました。

「坂本龍馬」と「中岡慎太郎」の二人が、埋葬されているようです。

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墓の前で、記念撮影しました。

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二人の墓です。

仲良く並んでいます。

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どうして、二人仲良く並んでいると思いますか?

ほとんどの人は、

「二人が同じ日に、何者かに襲われて、二人とも死んだからだろう?」

こう思うと思います。

 

有名な「近江屋事件」ですね。

これは、ウイキペディアに書いてある文章です。

 

近江屋事件は、江戸時代末期の1867年12月10日に、坂本龍馬と中岡慎太郎、山田藤吉の3人が、京都河原町通 の近江屋において、殺害された事件。

実行犯については、諸説あるが、江戸幕府の組織である、京都見廻り組によるものという説が有力である。

 

私も個人的に、とても興味のある事件だったので、長年いろいろ調べてきました。

そして、とうとう、ファイナルアンサーに辿りつきました。

詳しいことは、長くなるので割愛させていただきますが、結論だけ言うと、「坂本龍馬の暗殺」、その真犯人は、なんと、この「中岡慎太郎」でした。

 

その理由は、当時、もちろん、二人は、大の仲良しであり、親友でもあったのですが、お互いの背後にある組織の価値観の違いから、しばしば、意見が対立することもあったようです。

そして、ある時期から、慎太郎の背後の組織から、

「どうしても、龍馬を殺せ!」

こう命令されて、どうしようもない状況に、追い込まれていたそうです。

 

これは推測ですが、親友でもある龍馬とは、なるべくなら、殺し合いなどやりたくなったので、最後の説得をしに、近江屋に行き、龍馬と二人だけで鴨鍋を食べたようです。

そして、食べながら討論になったようですが、最終的には意見は割れて、説得は失敗に終わったようです。

ご存じのように、龍馬も、北辰一刀流の免許皆伝であり、剣の達人です。

しかも、常にピストルも持っていました。

 

そもそも、その龍馬が心を許し、その間合いに入れる人も、ほとんどいなったのですが、その中でも、龍馬よりも、剣の腕が上だというのは、その当時は、ただ一人だけだったようです。

それが、「中岡慎太郎」です。

 

話し合いが決裂した後、居合の達人だった慎太郎が、食事の最中に、龍馬を至近距離から、ズバッと斬ったようです。

そしてその後、責任を感じたのか、自らも切腹したというのが、真相みたいです。

 

二人は、親友でもあったのですが、最大のライバルでもあったのです。

二人の像もありました。

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 記念撮影しました。

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ここで、驚いた史実があります。

 

ご存じのように、龍馬は、「海援隊」という組織をつくって、そのリーダーとして活躍していましたね。

これも、名前が、そのまま表現されています。

つまり、「海のグループを応援する部隊」だったということです。

「海のグループ」=「天照派」=「ミカンのグループ」

こうでしたね。

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今年になってから知ったのですが、なんと、一方の慎太郎は、「陸援隊」という組織をつくり、リーダーだったそうです!

「陸のグループを応援する部隊」だったということです。

「陸のグループ」=「神武派」=「リンゴのグループ」

こうなるのです!

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わかりましたか?

 

もう一度、最初に紹介した、日本の二大グループを書きますね。

〇「リンゴのグループ」=「日の丸」=「太陽」=「アヌンナキ」=「力と支配」=「山の民(弥生)」=「神武派(北朝)」=「陸のグループ」

〇「ミカンのグループ」=「菊花紋」=「月&星」=「イザナギとイザナミ」=「愛と平和」=「海の民(縄文)」=「天照派(南朝)」=「海のグループ」

 

そうなのです。

「近江屋事件」というのは、地球における2大グループのトップ同士が、二人きりで、タイマンを張ったという大事件だったのです。

この時の1対1の決闘により、日本、そして、世界の未来が決まったのです。

もっと言うと、トツプ同士で、決着をつけたおかげで、大量の死者を出すこともなく、被害を最小限度に抑えられたのです。

だから、この二人の墓がある所は、「護国神社」という名前がついているのです。

この決闘により、それ以外の戦で流れるはずだった、多くの無駄な血を防いだということです。

 

 

ほとんどの人は、見逃がしていると思いますが、龍馬と慎太郎の墓の前には、二人の名前が書かれています。

 

「海援隊 隊長 坂本龍馬」と書かれています。

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「陸援隊 隊長 中岡慎太郎」と書かれています。

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前述したように、二人の墓のある所は、同時に、「京都霊山護国神社」という名前の神社でもあります。

 

ここには、あからさまには、祭神の名前は紹介されていませんが、おそらく、この二人が、祭神なのだと思います。

そして、二人だけでなく、全ての幕末の志士たちも、神様として祀っているのだと思います。

死んだ後の人間を、神として祀るのは珍しいようです。

徳川家康など、とても少ないです。

ここでは、家康と同じように、龍馬と慎太郎が祀られているのです。

それは、二人が、「天照派=ミカンのグループ=海」と「神武派=リンゴのグループ=陸」の代表選手だったからです。

 

この神社の拝殿の前にある、二つのシンボルを見た時、目から涙が出てきました。

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そうなのです。

これは、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂(盛砂)」と同じ意味なのです。

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龍馬の側です。

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家紋です。

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慎太郎の側です。

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慎太郎の家紋ですが、どことなく、龍馬の家紋とも似ていますね。

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どうですか?

地球規模の壮大な歴史から眺めた日本の幕末、それから、「坂本龍馬の暗殺」、これらは、壮絶なストーリーだと思いませんか?

 

これからは、日本史を考える時には、宇宙考古学の視点、そして、地球規模の歴史が、大切になってくると思います。

今までに、この視点で幕末を考えた人は、あまりいなかったと思います。

この新境地を、これからも皆で、広く深く探っていきましょう。

 

 

その日の懇親会です。

JR京都駅の中にあるカフェで、皆で打ち上げを兼ねて、お茶しました。

いろいろな歴史の話を、ワクワクしながら、語り合っている場面です。

楽しかったですね~!

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