「あなた方の中で、罪を犯したことのない者が、最初の石を投げなさい」
by イエス・キリスト
「ヨハネによる福音書 8章3〜11節」
お待たせしました~!
「新型コロナウイルス」の感染拡大の話題です。
しかし、ご存じのように、ただの最新情報ではなく、その水面下に隠れて進行中の出来事の報告です。
最近書いた記事、「青人の秘密」、「ファティマ第三の予言」、「赤い靴」、「ゾンビ」など、これらの四つの記事の続編になるので、まだ読んでいない方は、先に過去記事から読んでください。
そうでないと、意味がわからないと思います。
今日の昼間、近所の駅前を散歩していたら、赤十字の車が停車して、献血をしていました。
どうやら、血に飢えた人々が、大量に出てきて、その供給が間に合っていないようですね。
世の中の真相を知ると、こういう裏読みも、できるようになります。
冒頭の言葉は有名ですが、知らない方のために、簡単に説明しておきます。
聖書の中に、姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、イエスと律法学者たちが、対決する場面があります。
旧約の律法では、姦通罪は、石打ちの死刑にされることになっていました。
皆で、その罪びとに、石を投げて殺すという残酷な刑です。
判断を求められたイエスは、
「あなたたちの中で、罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」
と言いました。
すると、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に、石を投げることができなかったという逸話です。
ここで、コロナ騒動の水面下の最新情報を、いくつか、紹介しておきますね。
まず、おさらいです。
ご存じのように、このウイルス騒動は、完全なるフェイク情報です。
これは、わかる人にはわかります。
世の中の本質を見抜ける人たちは、いつの世の中でも、少数派ですが、存在しています。
本質の見抜き方ですが、まず、情報を二つに分けます。
「一次情報」と「二次情報」です。
「一次情報」というのは、自分が体験したことで、「自分軸」です。
目や鼻や耳や口や手、つまり、五感で感じた経験です。
これは、自分が経験したことなので、「直接情報」であり、何よりも強力です。
「二次情報」というのは、自分以外の他人が経験したことで、「他人軸」です。
「間接情報」であり、自分にとっては、真実ではありません。
今回の「新型コロナウイルス」の場合、まず、騒動が始まってから、何か月も、東京や大阪や名古屋などで、このウイルスに感染して、道端で、バタバタ倒れる人がいるかどうか、ずーっと探していますが、未だに、一人も見ていません。
友人や知人にも、
「直接、患者を肉眼で見たら、教えてくださいね」
こう言っていますが、これも、未だに、誰からも報告がありません。
それなのに、「二次情報」である、テレビや新聞、雑誌などのメディア、それから、インターネットでは、
「感染拡大で、世界中が大変なことになっている!」
と、連日、大騒ぎしています。
ここで、本当に賢い人たちは、何かがおかしいと、感じていると思います。
ただ、ここで、
「二次情報の大半が、コントロールされているのではないか?」
ここまで、疑うことができる人は、とっても少ないです。
私が中学1年生頃、「口裂け女」という都市伝説が、全国で流行りました。
あれも、「二次情報」である、
「誰かが、昨日、見たらしい!」
こういう噂が、一人歩きして、全校で大騒動になりました。
今回のコロナ騒動も、これの規模が大きくなったようなものだと思います。
友人の中では、
「でも、近所の病院では、本当に感染者が出たみたいですよ」
こう反論してくる人もいるのですが、
「いや、今は、あなたが見たのか? こう質問しているのですよ」
こう答えています。
ほとんどが、又聞きであり、「間接情報」なのです。
もちろん、本当に死亡している人もいますが、何度も書いているように、それは、「悪魔教」の信者が、逮捕されて処刑されているのです。
こういう本当のことを報道すると、大パニックになるから、
「コロナに感染して死亡した」
こういうことにして、お茶を濁しているのです。
今は、世界中が「情報戦」という戦争状態なのです。
こういう時は、「一次情報」だけを、事実だと認識して、「二次情報」や「三次情報」は、参考意見として、保留にするくらいが、ちょうどいいのです。
「たとえ、世界中の人が、あると言っても、自分の目で見るまでは、それは、自分にとっては、今の時点では、ないのだ」
これくらいの姿勢でいいのです。
「自分軸」が、とても大切なのです。
今、起こっている出来事の真相は、
「悪魔教の信者たちの大量逮捕」
これです。
地球上に、5000年前から存在した、「悪魔崇拝主義者」といわれている人々が、大量に捕まり、処刑されているのです。
彼らは、いろいろな名称で呼ばれています。
「闇の権力」や「ハザールマフィア」、「偽ユダヤ」、「ユダヤ系金融財閥」、「カバール」、「ディープステート」、「影の政府」、「悪魔崇拝主義者」、「ルシフェリアン」などです。
私は、「悪魔教」という表現を使っていますが、全部、同じような意味です。
最近では、だんだん、この「新型コロナウイルス」の騒動が、フェイクだということに気が付く人も、増えてきていますね。
「市民レポーターたちの逆襲」という動画でも、いろいろなフェイクが、暴露されているので、ぜひ見てくださいね。
防護服を着ている人を撮影している人が、まったく、無防備ですね。
アメリカとイタリアの病院の写真が、同じスタジオで、撮影されています。
アメリカと並ぶ、超大国のロシアは最近、政府が正式に、
「世界中で報道されているコロナ騒動は、フェイクだ!」
こう発表しています。
プーチン大統領曰く、
「現在のロシアの感染者は、たったの6名だ」
だそうです。
これも大袈裟で、本当は0名かもしれせん。
プーチンが、
「コロナのバカ騒ぎも、そろそろ、いい加減にしませんか?」
CIAに、こう言っているのです。
このように、ロシアだけでなく、ベトナムなど、アメリカのCIAの傘下に入っていない国では、
「感染者など、一人もいない!」
こう主張している国も、山ほどあります。
アメリカやヨーロッパ、中国、そして、日本など、CIAにメディアを完全にコントロールされている国だけが、大騒ぎしているだけです。
世界中で、感染拡大しているわけではないのです。
ちなみに、ロシアは、プーチンが大統領に就任してすぐに、ロシア国内に巣くっていた、「悪魔教の根絶」を徹底的にやったので、現在、アメリカを中心に行われている、「悪魔教の大量逮捕」を、もうやる必要がないから、静観しているのです。
まあ、これは、大パニックを防ぐための「優しい嘘」なので、このままでもいいと、私は思っています。
しかし、このブログを読んでいる読者の方々は、真実を求めていると思うので、これから真実の話をします。
このマップを見てください。
これは、アメリカにある、「悪魔教」の拠点です。
特に、子供の誘拐や人身売買に関わっている、悪質な所ばかりです。
そして、これが、現在、アメリカで、「新型コロナウイルス」の感染者が多いといわれている地点です。
両者の地点は、かなり一致していると思いませんか?
これが、核心です。
これ以外の話は、全部ピント外れです。
先週の時点で、主に、ニューヨークとロサンゼルス、フロリダで、約35000人の子供たちが、救い出されたそうです。
いい時代になりましたね。
これは、有名な「月刊プレイボーイ」を創刊した人物の豪邸に、警察の捜査が入った写真だそうです。
地下を掘り起こしていますね。
もしかしたら、この地下からも、大量の子供たちの骨が、見つかるかもしれませんね。
創刊者のヒュー・ヘフナーです。
そういえば、シンボルマークが、「ウサギ」でしたね。
面白いのは、表の報道でも、たまに真実が、ポロリと漏れだすことがあるのです。
今、ネットで話題になっている画像です。
「中国本土の死者の約8割が亡くなる」
と書いてありますね。
これは翻訳するときに、つい本当のことが、伝わってしまったのだと思います。
「死者の2割は、死んだ後、また生き返った」
こう言っているのです。
つまり、「ゾンビ」だったということです。
さて、そろそろ、本題に入っていきますね。
先日、友人たちと都内で、裏の歴史の調査をしました。
超大反響だった、「赤い靴」の記事でも書きましたが、童謡・「赤い靴」は、特別な唄でした。
その唄を作詞した、「野口雨情」のお墓にも、立ち寄りました。
場所は、「小平霊園」です。
皆で、記念撮影しました。
本名は、「野口英吉」という名前だったようです。
奥様の名前が、「つる」だったようです。
墓石には、「楠木正成」の家紋が刻まれていました。
このことから、「南朝」の血筋で、「天照派」だったことがわかりました。
私の友人の間では、今、密かに、「野口雨情」と「志村けん」さんは、同じ魂、つまり、生まれ変わりだったのでは?
こう噂しています。
どことなく、似ているような気もしますね。
この墓から、車でちょっと走った隣の街で、志村けんさんは、生まれ育ったようです。
そうです。
東村山市です。
今回の調査では、そこにも立ち寄りました。
志村けんさんの実家にも、立ち寄りました。
実家の前でも、記念撮影しました。
仮の仏壇の前で、手を合わせてきました。
皆から、愛されていたことが、よくわかりますね。
私は、どうしても気になることがあると、必ず現地調査に向かいます。
最近の特に若者は、スマホだけで調べて、全てをわかったような気になる人が多いような気がします。
しかし、現地に行って、直接肉体で感じたこと、特に肉眼で見たものは、スマホの情報などとは、比べ物にならないくらいの真実を伝えてくれるのですよ。
やはり、「一次情報」が、これからは、より価値をもつ時代になるのです。
実家に行くと、それまでの推測が、確信に変わりました。
志村さんは、悪魔教とは、とても深く関わっていたけど、魂までは売らず、マイケルジャクソンのように、彼らと戦っていたと思います。
志村さんやマイケルのように、莫大な財力があれば、彼らの言いなりにならずに済むのかもしれません。
そういえば、「チンパンジー」は、「猿田彦」、つまり、「イエスキリスト」のシンボルですね。
二人とも途中から、自分の魂に、「キリスト」の意識が宿ったことを、知ったのだと思います。
そういえば、昭和の時代に流行った、「ヤンマーファミリーアワー 飛べ! 孫悟空」という人形劇で、志村けんさんは、「孫悟空」の声優役で、登場していましたね。
「猿=キリスト」ですね。
さらに、「志村けん」という名前は、「死の村に剣を刺す」、こういう意味だったかもしれません。
「ゾンビたちと戦う男」
という意味だったのかもしれません。
氏名は、使命なのです。
八王子市にも行きました。
そこの街で一番古いといわれている、「子安神社」にも行きました。
拝殿の前で、記念撮影しました。
境内には、「橘社」という摂社もありました。
もちろん、御神体は、橘寺を拠点にしていた、「聖徳太子」です。
この方も、「馬小屋」に関わる生誕で有名ですね。
「キリスト」の意識をもっていた人物だと思います。
「聖徳太子」という人物は、世界中の様々な宗教や思想を、融合させようとしていたみたいです。
その中でも、「キリスト」の精神、特に、「弱者救済」という価値観を、日本で最初に始めたとも、言われています。
現代的な表現だと、「社会福祉」ですね。
ある伝承によれば、聖徳太子は、現在の四天王寺の土地に、「四箇院」(しかいん)」という施設を設置したと言われています。
「四箇院」とは、敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四つだったそうです。
この四つが、「四天王寺」という名前の元になったという説もあるようです。
まず、敬田院は、寺院そのものであり、施薬院と療病院は、現代の薬草園及び薬局・病院に近く、悲田院は、病者や身寄りのない老人などのための社会福祉施設だったようです。
施薬院、療病院、悲田院は、鎌倉時代には、寺内に存在していた記録が残っているそうです。
施薬院は、後に、聖徳太子が、「勝鬘経」を講じた地だとする伝承もあるそうです。
つまり、「勝鬘院(愛染堂)」が、その故地とも伝えられているそうです。
そういえば、「四天王寺」の近くには、「あいりん地区」というエリアがありますね。
ここは、大阪市西成区にあり、「ドヤ街」とも呼ばれています。
以前に、ここも見て回ったことがありますが、路上生活者が数多く居住していました。
そのため、治安が悪いそうです。
以前、道を歩いている、多くのホームレスの人たちを見て、
「どうして、ここは、こういう土地になったのかな?」
と考えていたのですが、あとでわかりました。
昔、ここに、「弱者救済」の施設だった、「四天王寺」があったからです。
おそらく、「聖徳太子=イエス・キリスト」の母親であった、「間人皇后(聖母マリア&イナンナ)」が、ここに愛の施設であり、日本最初の「社会福祉」の施設を設置したのが、始まりだったのです。
元々は、「愛憐地区」とも呼ばれていたそうですね。
女神である、「間人皇后」が、ここに、「愛の土地」をつくり、人々に、「神の愛」を教えたのかもしれません。
「弱者救済」については、いろいろな考え方や意見があります。
「仏教」や「神道」、それから、「ユダヤ教」や「イスラム教」などにも、もちろん、こういう考え方はありますが、やはり、「キリスト教」に、この教えが、強く表れているような気がします。
先日の裏の歴史の調査では、皆で、お茶しながら、情報交換しました。
最高に楽しく、至福の時間です。
数年前に、素敵な番組をみました。
「こころの時代 ~宗教・人生」という番組でした。
素晴らしい内容で、引き込まれ、最後までみました。
その時のテーマが、「神は弱さの中にあり」でした。
同志社大学教授の木原先生という方のお話しでした。
木原先生の話を、簡単にまとめると、
「世の中は、通常、強いこと、物事を行う能力の高いことが、評価される。しかし、人間は、もともと弱い存在であり、その弱さを認め合うことで、生きやすい世の中に、多少なりともできるのではないか」
という内容でした。
木原先生は、長年、社会福祉に携わってきたそうで、その根底にあるのは、「キリスト教」の信仰だったそうです。
番組の中では、終始、
「自らの弱さを認める」
ということの重要さを、説かれていました。
私は、10代~20代にかけて、ずーっと、「強さ」を追求してきました。
それで、いきついたのが、究極の強さ比べである、「パワーリフティング」という競技でした。
その競技の選手として活躍し、いろいろな大会でも、勝ちまくっていました。
肉体もそうでしたが、精神的にも、とても強くなりました。
その時の信条は、
「人間は、強くなれば強くなるほど、幸せになれる!」
でした。
だから、その対極にある考え方、
「人間は、弱くてもいい…」
というような人生哲学は、受け入れられませんでした。
しかし、それからあと30代~40代で、さらにいろいろな経験を積んでからは、
「人間って、あまり強くなりすぎても、ダメなんだな… 強すぎると、人の痛みや苦しみに、鈍感になるんだな…」
と、少し反省しました。
一時期、付き合っていた彼女から、それを何度も指摘されました。
「トーマさんは、人の痛みに鈍感ですね。私が気が付いたのは、その鈍感さは、強さからきているということです。皆、あなたほど、強くはないんですよ。誰もが、そんなに簡単に逆境を乗り越えられたり、すぐに立ち上がることなんて、できないんですよ」
何回も言われたので、さすがに、
「そうかな…?」
と思い、自分の行いを振り返ってみると、たしかに思い当たることが、たくさんあり、それからは、なるべく弱い立場に立たされている人の気持ちにも、配慮するようにしました。
正確には、その後自分も、そういう弱い立場に立たせるという体験をして、初めて、そういう人たちの気持ちが、わかったということです。
さらに、自分が、「強さ」に、とても憧れて、追い求めていたのは、心の奥底に、「弱さ」があったからだとうことにも、気が付きました。
あるチャネラーさんからは、
「トーマさんは、誰よりも弱いんですよ。魂の奥底に一番弱い部分があるから、誰よりも強くなれたんですよ。一番弱いから一番強くなれたのです」
と、言われて、
「なるほど…」
と、思いました。
番組の中でも、木原先生が話していましたが、たしかに、人間というのは、調子のいい時や勢いのある時、なにもかもが、うまくいっているときには、
「自分は万能だ! 天才だ! 無敵だ!」
と、自信に満ち溢れているものです。
でも、人生において、こういう状況が、ずーっと続くことは、あまりないと思います。
どこかで、思ってもみなかった事態に遭遇したります、
それが、病気だったり、事故だったり、事件だったりします。
その時に、絶対絶命のピンチに追い込まれ、自分の力だけでは、どうしようもないと思ったとき、初めて、
「神様、仏様、助けてください…」
という気持ちが、湧き上がってくるのです。
その時は、自然に両手を合わせて、拝むような姿になることが多いです。
場合によっては、勝手に、ひざまずき、首を垂れる姿勢になることもあります。
この無力感を、感じた瞬間に、謙虚になり、自然に手を合わせる行為が、本来の「信仰」なのかもしれません。
人間という存在は、全てがうまくいっていて、何の問題もない時には、「神」を、必要としないのです。
結果として、信仰心は、生まれないのです。
何もかも、やりつくしして、
「もうダメだ…」
と思った時に、祈りたくなるのです。
そして、そういう時こそ、本当に奇跡が起こったりするものなのです。
アメリカに住んでいた時に、特にそれを感じました。
ご存知のように、アメリカは日本と違って、犯罪も多いです。
ある時に、真夜中に、ロサンゼルスの一番ヤバイ場所で、車が故障した時がありました。
周囲に、黒人などのギャングのような連中が、たくさんいて、こちらに、近づいてくるのがわかりました。
どんなに、私が腕力が強くても、拳銃には勝てません。
「今夜、ここで死ぬかもしれないな…」
と、覚悟した時に、目の前に車が停まりました。
やさしそうな白人のカップルでした。
「こんな時間に、そこで何をやってるんですか? 車が停まった? 危ないからはやく、この車に乗りなさい! 家まで送っていってあげますよ」
こう言ってくれたのです。
そのカップルは、ちょうど、親戚の家に、向かうところだったようですが、住所を聞いてビックリしました。
なんと、私の家の隣の隣くらいの住所だったのです。
それで無事に、家まで送ってもらいました。
あの時に、そのカップルの車が助けてくれなかったら、ギャングたちに撃ち殺されていたかもしれません。
その車の目的地が、私の家の近くだったなんて、
「神様が助けてくれた」
これしか考えられません。
その時は、家に着いたとたん、自然に手を合わせて、神に感謝していました。
こういう経験は、長く生きていると誰でも、一度や二度は経験すると思います。
そして、その時だけでは、「神」に感謝するのです。
その後は、しばらくすると、
「喉元過ぎれば、熱さを忘れる」
という格言通り、その出来事を忘れてしまいます。
まあ、それでもいいのかもしれませんが、たまには、そういうことを思い出し、神様への感謝の気持ちを、忘れないようにすることも、大切だと思います。
番組の中では、他にも、心に残る話がありました。
木原先生は、ある時期に、
「どうしても、人を愛せない…」
と思って、苦しんだ時期があったそうです。
おそらく、キリスト教の「隣人愛」の教えを、実践しようとしたのだと思います。
キリストの教えでは、全ての人を愛することが、良いことだという意味の教えが、たくさんあります。
しかし、これは、本来、「理想」なのだと思います。
現実社会では、全ての人を、好きになれたり、仲良くできたり、愛することは、人間には、難しいのです。
その時に、木原先生が気づいたのは、
「愛することができない」
という自分の本質の部分だったそうです。
それからまず、そういう自分を、愛そうと思ったのだそうです。
つまり、
「愛せないというダメな自分を、なによりも先に愛そう」
こう思ったそうです。
これは、私も悩んだことがあったので、とても共感しました。
スピリチュアルなことを、たくさん学んでいると、誰でも大きな愛をもった人間に、なりたいと思うと思います。
しかし、世の中には、それに反して、どうしても愛せないような酷い人間が山ほどいます。
その時に、
「自分には、こういう人たちを愛することができない。自分は、なんて、ちっぽけな人間だったんだろう…」
こう思って、ショックを受けたことも何度もあります。
その時に、まずやることは、
「なによりも先に、そういうちっぽっけな自分を、愛してあげる」
ということです。
これで、だいぶ気持ちが、楽になります。
必要以上の罪悪感に、縛られなくなるのです。
「愛する」を、「許す」に、言い換えてもいいと思います。
今でも、たまに、学生時代やサラリーマン時代の嫌な思い出が、蘇ってくることがあります。
魂の奥底では、全部は、まだ清算できていないのかもしれません。
未だに、
「あれはまだ、ゆるせないな…」
と思うこともあります。
そういう時は、無理やり、
「いやもう、あれは終わったんだ。ゆるしてやろう…」
と思っても、ますます、ゆるせなくなったりします。
そういう時は、まずは自分から、ゆするということです。
特に、
「ゆるせないという気持ちを、自分がもってるという事実。そして、人をゆるせなくてもいいんだという気持ちを、まずはゆるそう」
と思うことです。
「ゆるせない」という自分の意識を、まずはゆるすということですね。
「ゆるし」は、ここから、スタートするといいみたいです。
「ゆるせない」という醜くて、ちっぽけな自分を、まずはありのままに受け止め、認めてあげる。
そして、
「でも、そのままでいいんだ」
と、ゆるしてあげる。
そうすると、だいぶ気持ちが楽になるのです。
「ゆるす」の語源は、「ゆるます(緩ます)」なのだそうです。
人を、ゆるせると、人生そのものが、ゆるくなり、呼吸も楽になり、生きやすくなります。
そして、それにはまず、ありのままの自分をゆるすのが、コツだということです。
「ゆるすと、自分の人生がゆるみ、楽になる」
ということです。
これは、逆もできると思います。
つまり、
「心がゆるむと、身体もゆるむ」
のであれば、
「身体をゆるませれば、心もゆるむ」
ということです。
身体を、温泉、マッサージ、ストレッチ、ヨガなどで、ゆるませると、心もリラックスできて、相手や自分など、いろいろなことを、ゆるせるようになってきます。
瞑想なども、いいと思います。
ぜひ、日常の中に、身体や心を、「ゆるませる」という機会を、たくさん、つくってみてくださいね。
「子安神社」には、「木花之開耶姫」も祭られていました。
「聖母マリア」でもありますね。
ほとんどの大企業や大きな組織では、人間の仕事の能力だけを重視し、
「あいつは、仕事ができねえ! あいつは、使えない!」
などと、酷い言葉で、一人の人間の存在を、全否定したりします。
これは、「地獄の世界」、もしくは、「修羅の世界」です。
こういう弱肉強食の世界では、強くないと生きていけません。
これも、この世界の一面の真実だと思います。
しかし、人間は、こういう世界を変革するために、この時期に、地球に生まれてきたのでは、ないでしょうか?
人間は、この地上で、様々な経験を通して、
「自分は、弱い存在だったんだ」
と、気づいた時に初めて、神様を感じることができるようです。
ある意味、この意識が、成熟した大人の魂と呼べるのかもしれません。
自分の中の弱さに気がつくことで、他者の弱さにも気がつくことができます。
皆が、お互いの弱さに気がつき、全員がそれぞれの苦しみを、共感しあい助け合い、励ましあう世界が、「神の国」と表現される社会なのだと思います。
私は、いつかは、この地上も、そういう「神の愛」に溢れた、「愛の世界」になるだろうと信じています。
キリスト教の「神の愛」というのは、
「一番強い者の気持ちに、目を向けるのではなく、一番弱い者の気持ちに寄り添う」
そういう愛のことみたいです。
神は、一番弱い存在を、一番かわいがってくれるのです。
人間には、そういうことはできません。
もしかしたら、今の段階では、人間は、そこまで、やらなくてもいいのかもしれません。
だからこそ、その愛は、「神の愛」、もしくは、「キリストの愛」と、呼ばれるのです。
冒頭の言葉を、もう一度思い出してください。
「あなた方の中で、罪を犯したことのない者が、最初の石を投げなさい」
現在、5000年という長い長い間、地球上で隠れていた、「悪魔教」の実態が、白日の下に晒されています。
ご自分で、いろいろ調べて、初めて彼らの実態を知り、ショックを受けている方も多いと思います。
「ゆるせない!」
こう思っている人も多いと思います。
私もそうです。
ここで提案です。
彼らを、「十把一絡げ」にするのではなく、いくつかの段階に分けて考えてみませんか?
彼らの中には、同じ人間とは思えないほど、冷酷非道な人々もいます。
本当の外道であり、悪魔です。
しかし、悪魔教の信者の中には、ちょっとした好奇心で、数回だけ、悪魔教の儀式に参加しただけという人も、たくさんいると思います。
そして、例の「アドレノクロム」という麻薬のようなもので、中毒にされ、「ゾンビ」にされた人々も、多いと思うのです。
彼らには、まだ良心も残っているし、人間らしさもあります。
こういう弱い人々は、ゆるしてあげてもいいのではないでしょうか?
何よりも大事なのは、今、「悪魔教」との最終決戦で、ちょうど、人類が勝ったところですが、この「悪魔」たちを、どこまで許せるかが、もしかしたら、地球における、人類の卒業試験かもしれません。
彼らを、ゆすることができれば、地球は、次の段階にいけるような気がします。
そして、さらに、大事なことは、その時に、
「ゆるせない自分を感じたら、そのゆるせない自分を、まず最初に、ゆるしてあげる」
こういうことだと思います。
それが、まさに、「キリストの愛」なのだと思います。
友人から送られてきた写真です。
先日の「スーパームーン」の時に撮ったら、「十字架」が写っていたそうです。
地球には、「キリストの愛」が、宇宙から注がれているのかもしれません。
「キリストの愛」とは、
「異なった価値観を、融合させること」
でもあるのです。
「悪魔」との融合、この一番難しい試験が、今、神様から、私たちの目の前に出されているのです。
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