2月11日(祝・火)の東京セミナー、「悪の根源」も、楽しく終了しました。
参加された皆さん、ありがとうございました。
セミナーの後の懇親会でも、いろいろな話題で、盛り上がりましたね。
セミナーの受講者の方から、チョコレートも、いただきました。
そういえば、明日は、バレンタインデーですね。
毎年、この時期に、バレンタインデーとお金の話を書くのですが、タイムリーな話題なので、再掲載しますね。
数年前から、バレンタインデーでは、本物のチョコでなくても、チョコのイラストや写真などを、メールで送ってくださる方も多く、今日も、たくさんの「チョコメール」をいただきました。
インターネットができてからは、こういうプレゼントの贈り方も生まれたのですね。
数年前に、ゴディバという会社が、
「日本は、義理チョコをやめよう」
こういうドキッとする一文を、新聞広告に載せて話題を呼びましたね。
マスコミが取材して、その狙いを尋ねると、こう答えたそうです。
「もちろん本命はあっていいけど、義理チョコはなくてもいい。いや、この時代、ないほうがいい。そう思うに至ったのです」
「まず、私たちが大切にしたいのは、バレンタインデーの主役は、『もらうひと』ではなく、『あげるひと』ではないかということです。『あげるひと』にとって、『楽しい』バレンタインデーかどうか、 それが、もっとも重要なことではないでしょうか」
ゴディバは、広告の意図をこう話したそうです。
そして、決して義理チョコの存在を否定するわけではないとも、説明したそうです。
「義理チョコをご挨拶として、知り合いの方に配るのが、自分にとっても楽しい、と考える方には、ぜひ続けていただきたいですし、そのような方のための商品開発は、続けていきます。でも、もし義理チョコが、少しでも苦痛になっている人がいるのであれば、 それは、やめてしまったほうが、いいのではないかと思います」
なるほど…、ですね。
バレンタインデーには、いろいろと苦い思い出があります。
10代の頃、異性にモテなかったのですが、その頃、この時期になると、
「ああー、またバレンタインデーかー。今年も、誰からもチョコ貰えないんだよな…」
なんて、嘆いていた思い出があります。
20代になって、ある時、
「どうすれば、バレンタインデーで、チョコをたくさんもらえるだろうか?」
を考えた結果、いいアイデアを思いつきました。
「そうだ! 今年のホワイトデーで、たくさんの女の子にキャンディーをあげればいいんだ。そうすれば、翌年のバレンタインデーで、お返しのチョコを貰えるぞ!」
そうして、チョコをもらってもいないのに、あまり親しくない女の子も含めて、たくさんのキャンディーを、たくさんの女の子にあげました。
そうしたら、案の定、翌年のバレンタインデーには、たくさんのお返しのチョコを、貰えました。
まあ、その時は、全部、義理チョコでしたけど…(苦笑)
それからは、少しづつモテるコツみたいなものがわかり、だんだん、本命チョコも貰えるようになりました。(笑)
この話は、単純なことですが、精神世界の真理が、つまっています。
精神世界で、よく言われる、
「自分の与えたものが、自分に返ってくる。与えないものは、返ってこない。返ってきたものは、自分が与えたものである」
という法則が作用しているのです。
つまり、
「人から、愛されたい!」
と思ったら、まず、
「人を愛すること」
を先にやったほうがいいということです。
このことは、案外、忘れやすいと思います。
たくさんの人が、
「人から愛されたい!」
と切望しながら、愛されていない状況に苦しんでいます。
その場合の、ほとんどの根本は、
「自分が人を愛していない」
という姿勢に、原因があることが多いような気がします。
また、いろいろな「成功哲学」の本の中にも、お金持ちなりたければ、
「先に与えること」
が大切だと書いてありますが、真実だと思います。
お金も、ちょうど、バレンタインデーのチョコのようなものなのです。
「チョコが、たくさんほしい!」
と思っているだけでは、よっぽど、ハンサムな男性でないかぎり、何もしないで、チョコがもらえることなど、まずありません。
普段から、女性に親切にしたり、助けたり、愛情を与えていて、ようやく、チョコが貰えるのです。
だから、ただ、
「お金が、たくさんほしい!」
と言っても、普段から、社会や世間に対して、何もサービスや奉仕をしていない人に、簡単にお金が集まってくることなど、まずないということです。
いつも、社会や世間に対して、よいサービスをしたり、よい商品を提供していて、ようやく、お金が入ってくるのです。
これは、「経済」の根本的な大原則です。
あるマンガで、読んだのですが、中南米では、コーヒーを販売しているカフェがたくさんあるそうです。
でも、それらのお店で販売しているコーヒーの大半は、日本円にすると、15円くらいだそうです。
一杯あたりの単価が、とても低いので、どんなに努力して販売しても、いつまでも売り上げは上がらず、そこの土地の人々は、ずーっと貧乏なままなのだそうです。
日本の大都市の高級ホテルでは、コーヒーが、一杯1000円以上します。
理屈では、中南米のカフェも、このように、一杯1000円のコーヒーを販売すれば、あっというまに売り上げがあがり、豊かになるのですが、そこそも中南米のカフェのオーナーたちは、1000円のコーヒーを飲んだことがないので、
「1000円のコーヒーには、どういう価値があるのだろう?」
こういう質問も思いつかないし、思いついたとしても、体験がないからわからないのだそうです。
豊かな体験をしないと、豊かなサービスは、提供できないということです。
「貧乏」という文字は、「貝」と「分」と「乏」の3つから、できています。
この中の「貝」は、「お金」の意味です。
大昔は、貝をお金として、使っていましたからね。
「貧乏」とは、
「貝(お金)を分ける気持ちが、乏しい状態」
という意味だそうです。
「自分は貧乏だ」
と思うと、手持ちのお金を減らさないように、ますますケチになり、人に与えなくなります。
そうすると、ますます人から嫌われ、いい仕事などを紹介してもらえなくなります。
そして、さらに貧乏になってしまうという、「貧乏スパイラル」に入ってしまうのです。
これは、ちょうど、私が10代の頃、
「自分はモテない」
と思い込んでいたために、女の子に親切にしたり、愛情を与えなかったために、ますますモテなくなり、「モテないスパイラル」に入ってしまったことと、似ています。
だから、貧乏な人が、
「お金がほしい!」
と思ったら、まずは、その少ないお金を無理してでも、誰かと分かち合おうとすると、ゆたかさへの道が、開けやすいということです。
ちょうど、昔、私がホワイトデーに、まずは、たくさんの女の子に、キャンディーを配ったようにです。(笑)
具体的には、何かのセミナーを受けにいく。
誰かを食事に誘って、おごってあげる。
少し背伸びして、いい服を買ったり、旅行に行ったりしてみる。
コンビニなどの寄付金をいれるボックスに、小銭をいれてみる。
こうやって、ちょっと意識的に、お金を社会のために出すようにすると、いい循環がはじまりやすくなるようです。
「托鉢(たくはつ)」というのは、お釈迦さまが考えたという説があるそうです。
2500年前に、お釈迦さまの仏教教団というのは、1250人が、竹林の中で合宿生活をしていたそうです。
そこに、お釈迦さまを信奉する者たちが、在家信者として、いろいろな食べ物や野菜などを持ち寄って来ていたそうです。
あるときに、お釈迦さまが、突然、神からのインスピレーションを受けて、弟子たちに、こう言ったそうです。
「明日から、托鉢というものをやりたいと思う。みんなでお椀を持って、托鉢に回ろう。だから、どこかでお椀を手に入れるように」
そして、翌朝、実際に回る前に、お釈迦さまは、こう言ったそうです。
「そういえば、言い忘れていたけれども、ひとつ重要なポイントがある。托鉢をするときに、金持ちの家を回ってはならない。金持ちの家から、お金を頂いてはならない。貧しい人々の家を回って、托鉢をしてきなさい」
弟子たちは、非常に驚いて、
「お師匠さま、それは言い間違いですよね? 今、頭の中にあるものが、2つあって、それが逆さになって言葉に出てきたんですよね。貧しい人々の家を回ってはならない、金持ちの家を回りなさい、と言いたかったのを、たまたま、お師匠さまは間違えて言ったんですよね?」
と聞いたそうです。
お釈迦さまは、
「間違って言ったのではない。もう一度言う。金持ちの家を回ってはならない。貧しい人々の家を回りなさい。それで托鉢をしてきなさい」
と言ったそうです。
弟子たちは、非常に不思議がって、
「なぜですか? お師匠さま、教えてください」
お釈迦さまは、こう言ったそうです。
「貧しい人々というのは、自分が貧しいので、人に施しができないと思い、今まで施しをしてこなかった人々だ。そのために苦しんでいる。その貧しさの苦海から救ってあげるために、托鉢行というものに出かけて行くのです」
「自分には施しをする力がないから、財力がないから施しができない」
と思って施しをしてこなかった人は、実は、
「施しをしなかったがゆえに、財が入ってこなかった」
ということを、説いたのだそうです。
「自分にゆとりがあったら、施しができるのに」
と思ってるのは、どうも違うようなのです。
「先に施しありき」
とうことですね。
「まず先に、人に喜ばれるように、自分ができる限りのことをする」
ということが、やはり、宇宙の性質であり経済の法則だと、お釈迦さまは、2500年前に説いていたのだそうです。
よく駅前などで、托鉢行をしている僧侶の方がいますが、私たちが、お金を持っていって入れると、托鉢行の僧は、
「ありがとうございます」
とは言わずに、お経を唱えて、チリーンと鳴らして、合掌して終わりです。
それを見て、
「お金を入れてあげたのに、ありがとうございますと言わないじゃないか」
と言うのは、本来の意味を知らない人なのだそうです。
チャリーンと、お金を入れた側の自分が、
「ありがとうございました」
と言うのが、正しい作法だそうです。
「私」のお金を、正しく美しく使ってもらうために、生活に差し障りのないお金を持っていって、喜んでさせていただく。
その施しをすることで、どこかから、ご褒美を頂くというのが、「喜捨(きしゃ)」ということの意味だそうです。
托鉢行をされてる方というのは、お金をもらいに来てるんではなくて、もらってあげようとして来ている。
施しをさせに来ている。
わざわざそのために、出向いて来てくださってるそうです。
そうした因果関係がわかってくると、チャリーンとお金を入れて、こちらの方から、
「ありがとうございました」
と言って帰ることが、できるようになりますね。
「托鉢」の本当の意味、こういうことだったのですね。
経済活動の根本の真理が、これに、隠れていたんですね。
お金が余っているから、喜捨をするのではなくて、先に、生活に差し障りのないお金や、これがなくても大丈夫というものを出すと、それが喜ばれる形で使われた結果として、自分のところに、返ってくるようになっているようです。
「ゆとりがあったら、施しができるのに…」
と思ってる、ゆとりのない人は、施しをしてないがゆえに、ゆとりがないんだということです。
まとめると、お金がほしければ、まずは先に、お金を出すことを考えるといいということです。
これは、お金が苦しい状態であればあるほど大切なことです。
そして、愛されたければ、まずは先に人を愛すること。
モテたければ、異性に親切にして愛情を与えること。
特にモテなくて苦しんでいる人ほど、無理をしてでも、そうすることが大切だということです。
昔の私のように、女性にモテなくて、バレンタインデーに、チョコが1個も貰えないような男性は、来月のホワイトデーに、キャンディーを50個くらい、50人の女性に配ってみてください。
そうすれば、来年のバレンタインデーには、10個くらいは義理チョコが貰えるはずです。
そこから、「モテるスパイラル」が始まるかもしれません。(笑)
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