宇宙考古学の話を、今までにたくさんやってきましたが、主にシュメール文明を中心に文献を読んだり、インターネット上で、情報収集をやっていました。
理由は、文字としての記録がキチンと残っているから、検証しやすいということです。
この文明は、「アヌンナキ」という宇宙人の一族が、発展させた文明だったようです。
有名なエデンの園も、このシュメール文明の近くにあったようです。
エデンの園は、遺伝子の実験場のような所で、特に大きな施設がシュメールのあたりにあったようです。
ただし、ここだけでなく、小規模のものは、世界中にたくさんあったみたいです。
日本でも、沖縄、青森、長野、広島、岐阜など、複数の場所に存在していたようです。
「エデンの園」が、地名として現在でも、ハッキリと残っているのは、現在のイラクの「Elidu(エリドゥ)」と呼ばれているところです。
「Elidu(エリドゥ)=「Eden(エデン)」
ということですね。
ここが、地球上で最大のエデンの園だったという説が、かなり有力みたいです。
こんなかんじの建物の中で、アダムとイブは創られて、育てられていたのではないかと言われています。
この建物の中の想像画だそうです。
現在のエデンの園ですが、凄いことがわかってきています。
人工衛星からの写真で見ると、なんと、太古の昔に、エデンの園があったと思われる場所が、まるで核攻撃を受けたように、跡形もなく、吹っ飛んだ痕跡が残っているのです。
広島や長崎のような核爆弾を、投下されたとしか思えない放射線状の模様が、地面に刻まれているようです。
「古代に、神々が核戦争をした」
という記述は、世界中の神話にありますが、どうやら、事実らしいことが、わかってきているようです。
現在のイラクにある、「エデンの園」です。
砂漠だけで、何もありません。
中心地だったと思われる場所には、小さな砂の丘が、ちょっとした記念碑のように、造られているくらいです。
この写真を見ると、なんともいえない気持ちになりますね。
さらに、「楽園追放」の話ですが、これには様々な説があるのですが、最近、面白い説が出てきたようです。
それは、
「アダムとイブが、追放された場所は、エデンの東である。そこは、エデンの園から、東へ19キロの場所にある神殿だった」
という説です。
その神殿とは、ここです。
有名な「ウル」の「ジグラット」です。
ここが、「エデンの東」だったのです。
ちなみに、「ピラミッド」と「ジクラット」の違いは、
「人が、神殿に昇るための階段があるか?」
だということです。
エデンの園について、詳しく書いてみます。
ご存知のように、聖書によると、アダムとイブのいたエデンの園には、「知恵の樹」と「生命の樹」の二種類の樹があったそうです。
「この二つの木の実は、けっして食べてはいけない!」
ここの管理人であった、地球の王様、エンリルは、アダムとイブに、こういう厳しい命令を出していたそうです。
実は、ここからが、人間の歴史のスタートなのです。
「歴史」という文字を分解してみますね。
「歴」=「木」+「木」+「人」+「止」
「史」=「出来事の記録」
つまり、「歴史」とは、
「二つの木の前で立ち止まった人からの記録」
という意味なのです。
当時、父親であるアヌ王から、息子の一人である、エンリルが、「エデンの園」の管理を任されていたようなのです。
その時に、下半身が蛇のエンキが、木に巻きつきながら、アダムとイブに、「知恵の実」である、「リンゴ」を食べるように勧めたようです。
エンリルが怒った理由は、「知恵の実」を食べた人間が、「生命の実」までも食べて、「永遠の生命」を得ると、
「唯一絶対の神である、自分たちの地位が、脅かされると思ったから」
とも言われています。
「人間が、神と等しき存在になるのを恐れたため」
だということです。
簡単に言うと、人間は、二つの樹のうちの一つ、「知恵の実」は食べたので、この先、「アヌンナキ」の宇宙人ファミリーたちと同じくらいの知能のレベルまで、到達できる可能性があるということです。
遺伝子の中に、「宇宙人たち(神々)」の知能の情報が入っているということです。
しかし、一方で、人間は、「生命の実」は、まだ食べていません。
「永遠の生命」は、得られていないということです。
そのせいで、
「ある歳になったら死んでしまう」
という、「寿命」という期限があったのです。
つまり、ある程度賢くなっても、すぐに年老いて死んでしまうため、いつまでたっても、神と同レベルの賢さまで、到達できなかったということです。
こういう状況が、「エデンの園」の追放から、ずーっと続いていたということです。
さて、この下半身が蛇の神様、「エンキ」、日本では、「宇賀神」は、日本の皇室とも、深く関わっています。
簡単に表現すると、「ヘビ(コブラ)」ですね。
ご存知のように、5月8日に、新しい天皇陛下は、皇后となられた雅子さまとともに、皇居の宮中三殿で、即位の礼と大嘗祭の中心的な儀式の期日を、皇室の祖先や神々に伝える儀式に臨まれたようですね。
テレビでも、連日報道されていたので、この場面を見た方も、多いと思います。
天皇陛下が即位後、宮中祭祀に臨まれるのは、この日が初めてだったそうです。
この時に、雅子様の髪型が、「おすべらかし」という髪型に結って、歩いている場面も、記憶に残っていると思います。
「おすべらし」という単語は、知らない人も多いと思います。
私もファッションには疎いので、最近になって、その意味を知りました。
平安時代の貴族女性の髪形だったそうですね。
「お雛様の髪形」だと言えば、わかりやすいと思います。
ほとんどの人は、正面しか見ないと思いますが、これが後姿です。
わかりましたか?
この黒くて長い髪、何かに似ていませんか?
これは、「カツラ」かな?
この写真を見ると、すぐにわかると思います。
ハイ!
わかりましたね。
「コブラ」です。
日本の「皇室」も、「ヘビ(コブラ)」と深い関わりがあるということです。
もう一度、雅子様の後ろ姿です。
エジプトの「ツタンカーメン」の黄金のマスクを見てください。
「おすべらし」の髪形に、似ていませんか?
後姿です。
典子さまの髪形は、古代のエジプトで、「ツタンカーメン」がやっていたファッションだったということです。
つまり、日本の皇室も、エデンの園に現れた、「ヘビ(コブラ)」を崇めているということです。
シュメールの神である、「エンキ」を、とても大切にしているのです。
これは、前述した儀式の時の新天皇陛下です。
ここで気が付いたのは、陛下の被っている帽子のようなものも、もしかしたら、「ヘビ(コブラ)」かもしません。
上下を逆さまにしてみると、よくわかります。
「ヘビ(コブラ)」が、鎌首を立てているようにも見えますね。
ここで、思い出したのは、日本の神話の中における、「ヒルコ」の存在です。
いろいろな文献には、「ヒルコは、双子だった」
という記述があるそうです。
それぞれ、「ヒルコ」と「ヒルメ」というそうです。
その双子の正体は、シュメール文明では、「エンキ」と「ニンフルサグ」だったのかもしれません。
日本では、「イザナギ」と「イザナミ」ですね。
もう一度、エジプトの「ツタンカーメン」のマスクです。
「コブラ」のような姿のヘビが、おそらく、「ヒルコ」の正体だと思います。
そして、隣にいる「アヒル」のような存在が、「ヒルメ」なのかもしれません。
「ヒルコ」は、現代でも、UMAである、「ツチノコ」として、私たちの前に、たまに姿を現したります。
ツチノコは、エデンの園に現れた「蛇」でもあります。
つまり、「エンキ」だということです。
さらに、この「ヒルコ」の形は、「勾玉」の形でもあるし、「生命」の根源の形でもあります。
語源的には、「虫」という感じの原型でもあるみたいです。
蛇の「マムシ」という名前は、ここからきているようです。
魚類も爬虫類も両生類も、鳥類も哺乳類も、この世界に生まれ出たときは、全て同じ形です。
だから、この形は、「命」を表現しているのです。
長野県県立博物館にある、縄文土器です。
明らかに、「ツチノコ」ですね。
やはり、このUMAは、縄文時代から日本に存在していたのです。
一方で、これは、沖縄の首里城に展示してある、琉球王国の国王が使っていた印鑑です。
「ツタンカーメン」の仮面にある、「アヒル」の姿にソックリですね。
これは、「ヒルメ」だと思います。
福岡県の沖ノ島で発見されたものです。
「ヒルメ」ですね。
これが、「ドラゴン」の原型でもあったかもしれません。
土で創った、「ドラゴン」と「人間」のハイブリッドの存在だったかもしれません。
長野県立博物館には、「ヒルメ」の縄文土器もあります。
「アヒル」のような外観ですね~!
一説によると、「ヒルコ」と「ヒルメ」の双子は、こういう系統になるそうです。
〇「ヒルコ」=「銅鐸の文化」=「出雲」=「スサノオ」
〇「ヒルメ」=「銅鏡の文化」=「伊勢」=「アマテラス」
「ヒルコ」のほうが、九州を中心にした邪馬台国で、「ヒルメ」のほうが、関西を中心にした邪馬台国だったのだと思います。
そして、両者とも、しばしば人間の姿に変身して、「スサノオ」や「アマテラス」になったのだと思います。
ただし、この場合、あまり細かいことは考えなくもいいと思います。
「ヒルコ」と「ヒルメ」は双子で、ツインレイの魂なので、名前などは、どちらでもいいということです。
人間の悪い癖は、名前などでカテゴリー別に分けることに、執着することです。
もう一度、「ツタンカーメン」の仮面です。
今年になってから、熊本県の「トンカラリン」に行った時の写真です。
このエリアの頂上付近にある神社です。
「菅原神社」と書かれています。
本殿のあたりに、「菅原大神」の名前がありました。
ご存知のように、「菅原道真」は、「学問の神様」として有名ですね。
詳しいことは割愛させていただきますが、この神様の正体です。
「菅原道真(菅原大神)」=「学問の神様」
「エンキ(宇賀神)」=「知恵の神様」
共通項をまとめると、こうなります。
「菅原道真(菅原大神)」=「エンキ(宇賀神)」
岐阜県の位山にある、「エンキ」の像です。
頭部が人間で、身体はヘビですね。
太古の昔、「トンカラリン」を拠点にしていたのは、蛇神である、「エンキ」だったのです。
こんな小さな穴は、人間が歩いて移動できません。
しかし、アナコンダのような大蛇の姿であれば、移動しやすいのです。
「宇賀神」です。
「トンカラリン」のエリアの全体の断面図です。
横穴を移動した後、垂直に昇ります。
その上が、「菅原神社」の本殿なのです。
ちなみに、エジプトのピラミッドとは、同じ穴の大きさで、同じ傾斜角度です。
同じ神様だったということです。
この穴から、蛇神である、「エンキ(宇賀神)」が、狭いトンネルを通って、移動していたということです。
トンネルの出入口です。
そして、頂上の神社の本殿に出るときには、シェイプシフトして、神主のような姿の人間になっていたのだと思います。
この神社の本殿です。
この神社には、他にも秘密がありました。
この瓦を見てください!
これは、「ヒルコ」を表現していると思います。
トサカがあるほうが、「ヒルメ」で、トサカの無いのが、「ヒルコ」かもしれません。
こういう瓦は、ここだけでなく、日本中にありますね。
わかりましたか?
天皇皇后両陛下の帽子のようなものに、似ているのではないですか?
つまり、大切な儀式の時には、天皇皇后両陛下の頭に、「ヒルコ」と「ヒルメ」という双子の神様が乗っかっているということです。
お二人の帽子の正体は、「ヒルコ」と「ヒルメ」だったということです。
何度も書いていますが、日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」の最初の子供は、38人いたそうです。
そして、その中の最初の長男と長女だけは、別格で、この2人が、「大丹生家」で、天皇の直系だったそうです。
つまり、「イザナギ」と「イザナミ」の遺伝子を、100%受け継いだのは、この2人だったということです。
他の36人は、「丹生家」と呼ばれ、天皇のサポートの役割をしていたそうです。
この別格の2人の正体が、「ヒルコ」と「ヒルメ」だったのかもしれません。
そして、現代でも、大切な儀式の時には、歴代の天皇皇后両陛下の頭上に君臨しているのかもしれません。
平成の時代の天皇皇后両陛下です。
お二人からは、とても大きな愛を感じた方も多かったと思います。
無条件の愛であり、神の愛でした。
東日本大震災の時に、特にそれを感じましたね。
まさに、全ての日本人のお父様とお母様である、「ヒルコ」と「ヒルメ」の化身だったのだと思います。
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