先日、仲のいい友人が、関西から東京に来たので、一緒に都内にある「明治神宮」に参拝に行きました。
ここを訪れるのは、久しぶりでした。
入口の鳥居の前で、記念撮影しました。
その後、近くの竹下通りを散歩しました。
ここを訪れるのも、10年以上ぶりだと思います。
20代の頃、ここで、よくクレープを食べました。(笑)
1990年代には、タレントのお店が、たくさんあったのですが、時代の変化なのか、現在は、ほとんど見かけませんでした。
景色も、だいぶ変わりましたね。
近くの「東郷神社」という神社でも参拝しました。
有名な東郷平八郎を祀っている神社です。
ここを訪れたのは、今回が初めてでした。
人物像をネットで調べると、「ウィキペディア」には、こう記載されていました。
東郷 平八郎(とうごう へいはちろう)
弘化4年12月22日(1848年1月27日)- 昭和9年(1934年)5月30日)は、日本の幕末から昭和時代初めの武士(薩摩藩士)、海軍軍人。
最終階級は、元帥海軍大将。
日清戦争では「浪速」艦長として高陞号事件に対処。
日露戦争では、連合艦隊司令長官として指揮を執り、日本海海戦での完勝により、国内外で英雄視され、「陸の大山、海の東郷」「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」と呼ばれた。
各地の東郷神社に名を残す。
位階は従一位、勲位は大勲位、功級は功一級、爵位は侯爵。
やはり、凄い人物なのですね。
旗も、ユニークなデザインですね。
境内には、ユニークな形の狛犬もいました。
石で作られた魚雷がありました。
境内はけっこう広いです。
このデザインの紋は、初めて見ました。
記念撮影です。
黒潮を意味する黒色の砂利が、敷き詰められていて、補陀落渡海をやった「天照派」だということもわかりました。
最近、やけにこの形が気になります。
「海の宮」という摂社です。
拝殿に対して、90度にあるので、ここが御神体になります。
ここには、三種の神器を意味する物も置かれていました。
左から、
「草薙剣」ー「八咫鏡」ー「八尺瓊勾玉」
こう並べられているのが、わかりますか?
日本という国は、古代から、「海の民」と「陸の民」という二つの異なった民族が、対立したり和解したりしながら、国造りをしてきたという流れがあります。
最近は、この史実を発見して、いろいろと調べているので、その視点で見ると、この神社は、とても興味深い所でした。
現在、開催中の「悪の根源」でも話していますが、日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たちが、38人いたそうですが、この子供たちの子孫のグループが、「海の民」であり、「天照派」なのです。
一方で、「神武天皇」の子孫のグループが、「陸の民」であり、「神武派」です。
ハッキリ分かれているわけではありませんが、便宜上、ザックリと二つに分けると、いろいろな歴史の秘密が、見事に謎解けるのです。
「三十八」という数字は、いろいろな所に、暗号のように仕掛けられています。
たとえば、ほとんどの神社に、「杉」の木がありますね。
この漢字を分解すると、
「三」+「十」+「八」=「杉」
こうなります。
つまり、
「日本中にある、神社の大半は、海の民である天照派の縄張りなんですよ」
さりげなく、こう主張しているのです。
この38人の子供たちは、「三(み)八(や)子(こ)」で、日本における、「都」の始まりだとも言われています。
19組の男女で、38人だったそうです。
だから、先ほどの「海の宮」は、「海の三八(みや)」になるのです。
「38人の海のグループ」
という意味です。
出雲大社にも、19組の神様を祀っている摂社が、東と西の両側にあり、合計で38人の神様を祀っています。
これが、「八百万の神々」の正体です。
最近、気がついたことです。
「徳川家康」の「徳」の文字は、元々の意味は、「十九(とく)」の意味だと思います。
それから、「徳川」の「川」は、「三」で、「三つ巴」の意味だと思います。
「天照派」ですね。
だから、「徳川」の意味は、
「イザナギとイザナミの19組の子供たち、つまり、38人の子供たちの子孫、そして、三つ巴のグループである」
こうなるのです。
そういえば、「浩宮殿下」、つまり、新天皇の「徳仁親王」の名前にも、「徳」が入っていますね。
この名前も、分解すると、
「徳」+「二」+「人」+「親」+「王」
つまり、
「十九組の子供たち、それから、二人の親(イザナギ&イザナミ)の子孫の王様」
の意味になります。
「天照派」の王様ということです。
大阪府堺市にある、日本最大の前方後円墳、「仁徳天皇陵(大山古墳)」も同じく、「仁徳」の文字が入っていますね。
何か関係あるのかな?
「令和」の時代の新天皇は、愛と平和のグループ、「天照派」だと思います。
以前に、熊野の補陀落山寺に行った時、お寺の壁には、新天皇になる浩宮殿下の独身時代の写真が飾られていました。
先ほどの「東郷神社」に祀られている「東郷平八郎」も、漢字を分解してみますね。
「東」という文字は、草書体にすると、「天」という文字に似ています。
だから、「東郷」という文字は、実は、「天郷」になり、「天が故郷」で、「天照派」の意味になります。
「平」という文字を分解します。
「三」+「十」=「平」
「八」は、そのまま、「八」の意味で、「郎」は、「男」の意味です。
全部をまとめると、こうなります。
「天照派であり、三十八の男」=「東郷平八郎」
つまり、「東郷神社」は、「東郷平八郎」という個人を祀っているわけではなく、「天照派」のグループの拠点だったということです。
さらに、「東郷」という名前には、「統合」の意味も含ませているのかもしれません。
「海の民(天照派)」と「陸の民(神武派)」の二つのグループの統合や和解を願って創建された神社かもしれません。
昔の軍人たちが、犬猿の仲だと言われている、「日本海軍(海の民)」と「日本陸軍(陸の民)」が、仲良くなるようにと願って建てた神社が、「東郷神社」なのかもしれません。
一説によりますと、「海の民(天照派)」は、「南朝」で、シンボルは、「月」と「星」だそうです。
「陸の民(神武派)」は、「北朝」で、シンボルは、「太陽」だそうです。
まとめると、こうなります。
〇「海の民(天照派)」=「南朝」=「月&星」
〇「陸の民(神武派)」=「北朝」=「太陽」だそうです。
そして、日本の天皇の中で、この両者を初めて、ある程度融合させた人物が、冒頭の「明治神宮」に祀られている、「明治天皇」なのだそうです。
「日と月、二つのグループを融合させて治めた天皇」=「明治天皇」
こういう意味みたいです。
私が、調べたかんじだと、「昭和天皇」は、どちらかというと、「海の民(天照派)」で、「平成天皇」は、どちらかというと、「陸の民(神武派)」だったような気がします。
「美智子皇后」は、「海の民(天照派)」とも言われています。
この二つのグループは、もしかしたら、時代が変わるごとに、交互に天皇の地位についているのかもしれません。
面白い記事を見つけました。
昭和3年11月10日の「昭和天皇の即位の礼」の時、身分の高い方達は、京都御所まで車で送迎されたようですが、その車のナンバーが、「乙 三八」だったようです。
これは、「昭和天皇」が、「海の民(天照派)」だったかもしれないという状況証拠になりますね。
「乙」は、蛇の意味もありますね。
「東郷神社」の境内にある池と鳥居です。
いや~!
古代を学ぶと、いろいろな発見があり、最高に楽しいですね~!
そして、明日から、新しい時代、「令和」ですね。
私は、新時代は、「愛と平和」の時代になると確信しています。
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