今回の熊野の旅では、拠点を、新宮市に決めました。
やはり、この街が、熊野のエリア内で、一番アクセスがいいみたいです。
熊野のどこにも、わりとスムーズに行けました。
新宮駅の近くには、徐福の公園もあります。
この人物については、今までに何度も書いていますが、知れば知るほど、不思議な存在ですね。
徐福の墓だそうです。
熊野では、熊野速玉大社にも行きました。
ここも、2回目の訪問でした。
手水舎の龍が、凄い迫力でした。
三つ巴に、二羽の八咫烏が描かれていました。
拝殿で、記念撮影しました。
拝殿の中です。
美しいですね。
熊野恵比寿神社という摂社が、境内の奥にありました。
ご存知のように、「恵比寿」は、「ヒルコ」が成長した神様だとも言われています。
だとしたら、太古の時代、ここにも、「ヒルコ」が、何らかのかたちで、関与していたということです。
瓦には、「恵比寿」の姿の神様もいました。
そして、恵比寿様は、「龍神」や「鬼」とも関係があります。
「金」の文字にも見えますが、私には、「プロビデンスの目」にも見えました。
シュメール文明の「アヌ王」の息子、「エンキ」ですね。
この後、速玉大社の近くの「阿須賀神社」にも立ち寄りました。
「阿須賀」の名前は、奈良県の「明日香」や「飛鳥」とも関係があると思います。
ここにも、徐福の痕跡がありました。
祠です。
「✕」の形は、「アヌンナキ」のシンボルでもあります。
だとすると、やはり、徐福も、この一族のメンバーだったということですね。
これは、「アヌ王」の息子である、「エンキ」が、人間たちに、占星術を教えている場面だそうです。
棚のような物に、「✕」のシンボルが、描かれていますね。
拝殿で記念撮影しました。
新宮市では、 周辺にある小さな神社にも立ち寄りました。
浜王子社です。
ここは、「補陀落渡海」に関係した神社ですね。
「補陀落渡海」については、旅行記の中で、後ほど詳しく書きますね。
これらの石碑は、実は小舟を表現しています。
そして、足元が黒いのは、「黒潮」の意味です。
神社や寺に置かれているものは、全てに深い意味があるのです。
「王」という文字が刻まれた瓦もあります。
拝殿にも、「王」の文字が刻まれています。
ここで、古代史における最大の謎だと言われている神様、「ヒルコ」について、もう一度、復習しておきましょう。
日本の神話の中には、
「ヒルコは、双子だった」
という記述があるそうです。
それぞれ、「ヒルコ」と「ヒルメ」というそうです。
これは、おそらく、その双子の正体が、シュメール文明では、前回紹介した、「アヌ王」の子供たち、「エンキ」と「ニンフルサグ」であり、日本では、「イザナギ」と「イザナミ」だったということだと思います。
これも面白いです。
有名なエジプトの「ツタンカーメン」のマスクを見てください。
「コブラ」のような姿のヘビが、おそらく、「ヒルコ」の正体だと思います。
そして、隣にいる、「アヒル」のような存在が、「ヒルメ」なのかもしれません。
別の解釈も可能です。
つまり、シュメール文明の神々である、「アヌ王」の二人の息子、「エンリル」と「エンキ」でもあるのです。
〇「ヒルコ」=「エンキ」=「爬虫類の神様」=「亀」=「口の閉じた狛犬(吽)」=「出雲大社」
〇「ヒルメ」=「エンリル」=「鳥の神様」=「鶴」=「口の開いた狛犬(阿)」=「伊勢神宮」
こうなります。
さらに、上記の写真、「ツタンカーメン」のマスクは、もしかしたら、「ヒルコ」と「ヒルメ」が実態で、人の顔の部分は中身は虚で、その中身は空っぽだったかもしれません。
つまり、擬態です。
よく、「葉っぱ」に化けた虫がいますよね。
ほとんどの虫が、「葉っぱ」の部分が大きいのですが、そこは、天敵に食べられても大丈夫な「羽」などの部分で、大切な「頭」は、外れのほうに小さくあります。
仏像なども、「小さい身体」と「大きな身体」が合体した仏様がありますが、これも、「大きな身体」のほうが「虚」で、「小さな体」のほうが「実」なのかもしれません。
これは、沖縄の首里城に展示してある、琉球王国の国王が使っていた印鑑です。
上記の「ツタンカーメン」の仮面にある、「アヒル」の姿にソックリですね。
これは、「ヒルメ」だと思います。
これも何度も紹介していますが、福岡県の沖ノ島で発見されたものです。
「ヒルメ」ですね。
これが、「ドラゴン」の原型でもあったかもしれません。
土で創った、「ドラゴン」と「人間」のハイブリッドの存在だったかもしれません。
一説によると、「ヒルコ」と「ヒルメ」の双子は、こういう系統になるそうです。
〇「ヒルコ」=「銅鐸の文化」=「出雲」=「スサノオ」
〇「ヒルメ」=「銅鏡の文化」=「伊勢」=「アマテラス」
おそらく、「ヒルコ」のほうが、九州を中心にした邪馬台国で、「ヒルメ」のほうが、関西を中心にした邪馬台国だったのだと思います。
そして、両者とも、しばしば人間の姿に変身して、「スサノオ」や「アマテラス」になったのだと思います。
ただし、この場合、あまり細かいことは考えなくもいいと思います。
「ヒルコ」と「ヒルメ」は双子で、ツインレイの魂なので、名前などは、どちらでもいいということです。
人間の悪い癖は、名前などでカテゴリー別に分けることに、執着することです。
「ヒルコ」だと思われる存在は、縄文土器や土偶にも、たくさん形作られています。
これも、そうですね。
さて、ここからが本番です。
ご存知のように、日本列島の神社や寺、それから、古墳など、主要なパワースポットを線で結ぶと、しばしば、面白い意味や解釈ができるラインを発見することができます。
新しい彗星などを発見したら、その発見者の名前を付けることができるように、新しいラインは、自分で勝手に名付けてもいいと思います。
2018年の12月に、私が個人的に新発見したラインです。
私は、このラインに、「不死身ライン」と名付けました。
「不死身ライン」は、北は北海道から南は、熊野地方まで伸びていました。
まず、北海道から解説していきましょう。
そもそも、「北海道」の形が、「ドラゴン」なのです。
つまり、形的に、「ヒルコ」のお母さんだということです。
北海道の正体は、「ドラゴン」、もっと具体的に言うと、「クッシー」です。
「目」の部分のあたりに、「八幡岳」という山があります。
「八幡」=「ヤハウェ」=「エンリル」
ですね。
さらに、「上ノ国」という名前の町もありました。
「神の国」
ですね。
「左手」になるのが、「室蘭」のあたりです。
そして、「右手」になるのが、なんと、今回の旅で訪れた、「神威岬」だったのです。
「背中」や「腰」の部分にあたるのが、この道内の中心部分ですね。
「左脚」が、「根室半島」になります。
「右脚」が、「知床半島」です。
「尾」になるのが、「国後島」と「択捉島」です。
最高に面白いのが、「厚岸湾」と「屈斜路湖」です。
クッシーが、「雌」だと仮定すると、この二つの部分は、「子宮」の両側の器官に当たる、「卵巣」になるのです。
こんなかんじです。
わかりますか?
だから、「屈斜路湖」から、クッシーの赤ちゃんが生まれているのです。
「クッシー(北海道)」が、子宮の卵巣で、クッシーの赤ちゃんを産んでいたのです。
もう一つの卵巣は、「厚岸湾(湖)」でしたね。
ここにも、数年前に行きました。
この湾にある、「厚岸神社」です。
このエリア内には、「龍王殿」という摂社もありました。
その近くには、男根型の石柱がありましたが、今考えると、これは、「ヒルコ」と「ヒルメ」の双子の意味だと思います。
この地上絵の解釈です。
もしかしたら、北海道で、「ヒルコ」と「ヒルメ」の双子は、生まれていたのかもしれないということです。
北側の「屈斜路湖」で生まれたほうの一匹は、「クッシー」になったということです。
南側の「厚岸湾(湖)」で生まれたもう一匹目は、南西に向かったのかもしれません。
これは、もう一つの卵巣から伸びているラインを、赤ペンで引いたものです。
北海道の「不死身ライン」を南西の方向に伸ばしていくと、面白いことに気が付きます。
「神倉神社」ー「伊勢神宮」ー「恵那神社」ー「ツチノコの土器の発掘場所」
これらの土地が、ライン上に、一直線に並んだのです!
全部、「イザナギ」と「イザナミ」、「ヒルコ」と関係ある聖地です。
解説しますね。
まず一番東側の点は、長野県の「富士見町」を通ります。
これは、「ツチノコの縄文土器」が発見された場所です。
そして、西側に、二つ目の点は、恵那山の近くにある、「富士見台」という地名を通ります。
この近くには、「恵那神社」があり、ここも、「イザナギ」と「イザナミ」に関係しています。
つまり、「ヒルコ」の両親と関わりの深い土地だということです。
2016年に訪れた時の写真です。
それから、そこのさらに西側には、問答無用の聖地、「伊勢神宮」があります。
ここも通ります。
そして、最後には、なんと、熊野地方の「神倉神社」の「ゴトビキ岩」に到達するのです。
今回の旅では、神倉神社にも立ち寄りました。
車を走らせていたら、遠くからでも、この巨岩が見えました。
空には、面白い形の雲が出ていました。
私には、「八咫烏」に見えました。
神倉神社に着きました。
鳥居の前です。
いろいろ迷ったのですが、結局、この階段は登りませんでした。
理由は、足首を痛めていたからです。
これは、テレビで見た画像です。
2018年12月に放映された熊野の特集番組で、ドローンからの撮影画像が流れてましたが、この岩の正体がわかりました。
ほとんどの岩は、このアングルからの撮影ですね。
この角度からでは、岩の正体は、わかりません。
ドローンでの撮影画像が流れました。
見てください!
いいですか?
いきますよ。
ジャ~ン!
なんと、この岩の正体は、「ヒルコ」、つまり、「ツチノコ」の親分だったのです!
これには、心底驚きました!
ちゃんと、両目がありますね〜!
「ゴトビキ岩」の意味は、「ヒキガエル」だそうですが、本当は、その子供の「オタマジャクシ」だと思います。
やはり、「ヒルコ=ツチノコ」だったということです!
前方後円墳の形でもありますね、
あとは、柄杓の形で、北斗七星ですね〜
見事に繋がりました。
このツチノコの親分は、まだ生きていると思います。
親分は、巨岩として、熊野の神倉神社の御神体、ゴトビキ岩として、鎮座していましたのです。
熊野地方を調べていて、最後まで理解できなかったのが、この岩だったのですが、ようやく意味がわかりました。
「ゴトブキ岩=ヒルコ=ツチノコ」
こういうことだったのです。
日本の神様の最大の秘密である「ヒルコ」、そして、その答えは熊野地方にありました。
ここまでの話を、全てをまとめます。
もちろん、私の仮説です。
「北海道=ドラゴン」の二つの卵巣から、双子である「ヒルコ」と「ヒルメ」が生まれ、一匹は屈斜路湖から、UMAである「クッシー」に変身した。
もう片方の一匹は、厚岸湾で生まれ、長野県富士見町や恵那山近くの富士見台などに、「ツチノコ」として出現してのではないでしょうか?
それが、昭和の時代の「ツチノコ騒動」だったのではないでしょうか?
他にも、その存在は、分裂したり姿を変えたりして、沖ノ島の土偶になったり、琉球王国の印鑑にもなったのかもしれません。
さらには、エジプト文明においては、「ツタンカーメン」の身体の一部にもなっていたのかもしれません。
「ヒルコ」は、その正体が神様なので、時空間や形に束縛されない、変幻自在の存在なのです。
そして、最終的には、神倉神社の「ゴトビキ岩」になったのではないでしょうか?
いや~、こうやって、いろいろ空想すると、最高に面白いですね〜!
次回に続きます。
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