靖国神社
先日、仲のいい友人たちと、「靖国神社」に行ってきました。
参拝に行ったというよりも、歴史の調査が目的でした。
ここには、幕末から太平洋戦争までの秘密が、たくさん隠されています。
5年くらい前から、本格的に始めた宇宙考古学や古代史の調査が、最近では、現代の世界情勢と直接結びついていることがわかり、毎日、大興奮の連続です。
現代の政治などは、10年や20年の短いスパンでは解けません。
100年や200年でもダメなのです。
最低でも、1000年や2000年の単位で、長期的な視点で眺めて考察しないと、その謎は解けないのです。
靖国神社に着きました。
前回は、東日本大震災の頃だったから、8年ぶりくらいですね。
待ち合わせの場所に行きました。
ここには、大きな銅像が建てられていました。
「大村益次郎」という人物だそうです。
この方は、近代日本陸軍の創設者で、靖国神社の創建に尽力されたそうです。
それで、ここに立派な銅像が立っているようです。
この銅像は、最初の西洋式銅像だそうです。
双眼鏡を持っています。
最近、わかったのですが、幕末で活躍した、勝海舟や坂本龍馬などの志士たちには、「妙見信仰」の持ち主が多かったそうです。
これは、北極星や北斗七星などの「星信仰」でもあったそうです。
「妙見」には、いろいろな隠された意味があるそうです。
その中の一つには、こういうのもあるそうです。
「妙」という文字は、「絶妙」や「妙案」という単語に見られるように、
「いうに言われぬほど優れていること」
というニュアンスがあるそうです。
「妙見」とは、「優れた視力」という意味があるようなのです。
さらに、その奥底には、
「善悪や心理を、鋭く見通すことのできる力」
「まだ見ぬ未来を見ることのできる力」
こういう意味もあるようです。
私は、個人的に、さらに深い意味、
「歴史を長いスパンで、見渡すことができる力」
こういう意味もあったと思います。
つまり、
「過去と現在と未来という時間軸の流れの中で、1000年や2000年という長いスパンで、世界全体のことを見渡すことができて、広い視点から、世の中を動かすことのできる能力」
これを身につけるための教えが、「妙見信仰」だったと思うのです。
だから、この像は、「大村益次郎」という人物ではなく、本当に重要なのは、さりげなく手にしている、「双眼鏡」なのです。
この小道具には、
「遠くの未来を見つめている目」
という意味が隠されているのだと思います。
幕末や太平洋戦争の時には、このように、1000年や2000年先の日本と世界の未来のために動いた人々が、水面下に、たくさんいたということです。
拝殿の前で、記念撮影です。
あちらこちらに、「菊の紋章」がありました。
古代史マニアの間では、有名な話ですが、実は、最近のグーグルマップなどで調べて、わかったことみたいですが、東京の「靖国神社」の参道の線を、東のほうへ真っ直ぐ伸ばすと、その延長線上には、大分県の「宇佐神宮」の参道を通り、本殿に突き当たるそうです。
「靖国神社」ー「宇佐神宮」
この二つの神社は、同じ神社で繋がっているそうです。
つまり、ここの拝殿で手を合わせると自然に、その手の方向は、宇佐神宮に伸びるということです。
宇佐神宮の鳥居と参道です。
宇佐神宮の拝殿です。
拝殿の近くから、奥宮のある山を眺めることができる窓があります。
そこに飾ってある、御神体の写真です!
宇佐神宮の奥宮に置かれています。
わかりましたか?
明らかに、UFOですね。
これが、UFOじゃなかったら、何なんでしょうか?
宇佐神宮の正真正銘、本物の御神体は、UFOだったのです。
このUFOの形をした石は、模して作ったものではなく、本物のUFOが役目を終えたので、石化したのだと思います。
興味深いのは、最近、これとそっくりな石が、ロシアでも発見されているのです。
スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが遭遇したUFOにも似ていますね。
「プレアデス系」の宇宙人グループですね。
太平洋戦争の時、「はやぶさ」という戦闘機を製作していたグループが、戦後、富士重工という会社を創設して、「スバル(プレアデス)」という車を製造しましたね。
ここまでを、まとめます。
靖国神社の拝殿に手を合わせると、その手は、自然に、遠く離れた大分県の宇佐神宮に向くので、この神社の奥宮に当たるのは、宇佐神宮ということになります。
さらに、その奥宮には、プレアデスの宇宙人グループのUFOが、御神体として置かれています。
つまり、靖国神社で祀られている、正真正銘の御神体は、このUFOだということです。
そして、そのプレアデスのグループの中でも、具体的には、「アヌンナキ」の一族が、正真正銘、この神社の御祭神だということです。
いや~、面白すぎますね!
靖国神社の境内には、美しい日本庭園もあります。
この後、境内に併設された、「遊就館」という建物内を見学しました。
館内では最初に、皆でランチとお茶をしました。
やはり、「海軍カレー」は、とても美味しかったです。
戦車や戦闘機、大砲などの武器も展示されています。
太平洋戦争時、「陸軍」が、神武天皇から始まる「神武派」のグループで、「海軍」が、イザナギとイザナミから始まる「天照派」のグループだという仮説を立てたのですが、館内の展示品を見ていて、この仮説が正しかったことを、確信しました。
詳しいことは、今月から始まるセミナー、「悪の根源」でお伝えしますね。
これは、有名な「回天」ですね。
「回天」というの言葉は、実は、冒頭の「妙見信仰」と関わっています。
つまり、
「一つの星を中心に、その周囲を、全ての星が回る」
という意味です。
「北極星」ということです。
これも、見てすぐにわかりました。
「海軍」である「天照派」の最重要な歴史である、「補陀落渡海舟」ですね。
現代に、再び蘇ったのですね。
参拝の最後には、私たちは、お目当ての場所に向かいました。
ここです。
あまり、人が訪れない、ヒッソリとした所です。
拝殿の裏側にあります。
二つの摂社があります。
手前が、「鎮霊社」という摂社です。
これは、戦争中、敵側の外国人たちだった霊団を祀っているのだそうです。
「元宮」です。
この看板に書かれている草書体の文字を読むと、「光宮」とも読めました。
「宮」は、「三八」でしたね。
イザナギとイザナミの38人の子供たちの意味ですね。
つまり、「天照派(海軍)」を祀っている所だということです。
これは、沖縄県にある「平和祈念公園」です。
この公園の敷地内にも、敵だったアメリカ兵のために、慰霊の石碑が建っています。
こういう見方も敵も、同じように供養するというのが、日本の「武士道の精神」です。
素晴らしい姿勢だと思います。
ここで、余談です。
小学校の時に、よく思ったことですが、クラスの男の子同士で、取っ組み合いの喧嘩になった場合、女性の先生に特に多かったのですが、詳しい状況など、まったくわからず、また双方の言い分も聞かずに、
「あなたち、喧嘩はやめなさい!」
と言って、すぐに止めに入り、その後、
「二人とも悪かった。喧嘩両成敗」
という結論に、すぐにしていまうというケースが、多かった思い出があります。
喧嘩が始まる前から見ていたら、だいたい、
「誰が一番悪いのか?」
「何が原因なのか?」
なども、周囲の生徒同士はわかります。
それを先生は、
「喧嘩は悪いことだ!」
という固定観念から、すぐに、
「喧嘩両成敗」
に、もっていくやり方は不自然で、かえって理不尽に思えました。
あと、子供ながらに気がついたのは、喧嘩にも大きくわけて、5種類の喧嘩があったような気がしました。
○絶対にやってはいけない喧嘩
たとえば、自分よりも、はるかに弱い相手、無抵抗の相手、病気の人などに、自分から、喧嘩をふっかける行為。
○やらないほうがいい喧嘩
理不尽ないいがかりをつけられて、喧嘩を売られた場合など。
逃げることによって、回避できる余地が残っている場合。
○やっても、やらなくても、どっちでもいい喧嘩
自分のプライドが、傷つけられたりした時。
黙って我慢すれば、その場は治まる場合。
ただ、喧嘩をすることによって、解決するかもしれない可能性が、感じられる状況。
我慢しても喧嘩しても、どちらでもいいような状況ですね。
○やったほうがいい喧嘩
自分の親兄弟、配偶者、子供などの家族が侮辱されたり、馬鹿にされた時。
○絶対にやらなくてはいけない喧嘩
自分や自分の愛する家族が、命の危険にさらされた時。
たとえば、家に強盗が入ってきた時など。
愛する人が襲われそうになり、逃げる余地がなくなった状況の時。
戦争にも喧嘩同様に、上記の5種類があるような気がします。
たとえば、丸腰で平和的な行進をしている無抵抗の人間を無差別に、虐殺したりするのは、仮、国家の命令だったとしても、絶対にやってはいけない戦闘なのです。
逆に、もしも目の前で、自分の家族や友人が虐殺されている場合は、これは絶対にやらなくてはいけない戦闘モードに、入ったほうがいいと思うのです。
これは難しい問題なので、答えはないと思います。
でも、もし、自分の家族が、目の前で、拷問を受けたり、虐殺されそうであれば、絶対に私は、その時は戦います。
それが、宇宙の法則など関係なく、人間の良心だと思うからです。
とりえず、目の前の敵をやっつけて家族を救う。
それから、倒した敵のことや哲学的な探求などは、落ち着いてから、じっくり考える。
これが人間としての、ごく当たり前の行為だと思います。
ガンジーなどが唱えた、「非暴力主義」などは、素晴らしい思想だと思います。
ただ、これは理想ではありますが、実際には、これが当てはまらない状況も、世界には、たくさんあるような気がします。
自分自身も、今回の人生は、53年目になろうとしています。
子供のころは、喧嘩したりしましたが、23歳をすぎてからは、なるべく、喧嘩はやらないようにしてきました。
それは、18歳から始め22歳くらいまでやった、「空手」からも、大きな影響をうけたような気がします。
沖縄の空手だったのですが、「剛柔流」という流派でした。
これは、宮城長順先生が体系化した空手でした。
以前にも書きましたが、この長順先生は、私の母方の曽祖父でもあります。
最近では、ジャッキー・チェンが、リメイク版で主演していますが、もともとの映画、「ベストキッド」の中に、沖縄出身の空手家、「ミスター・ミヤギ」という人物がでてきますが、この人物のモデルでもあります。
宮城長順先生の像です。
長順先生は、私の祖母の父だったのですが、祖母から、いろいろな武勇伝や怪力話を、よく、聞きました。
子供のころ、一番聞いて驚いたのは、祖母が銭湯で見せてもらったそうですが、空手の型をしながら、睾丸を身体の中に、腹筋の力で埋めて見せることができたそうです。
ほかにも、牛の肉を凄まじい握力で、握ってちぎり取った話など、興味深い話が、たくさんありました。
この長順先生は、当時の沖縄の人たちから、「ブサー・マーグスク(武士の宮城)」と、呼ばれていたそうです。
「武士(もののふ)」の心をもった、「武道家」だったようです。
沖縄に住んでいる方は、那覇市の那覇商業高校の隣に、松山公園という場所があり、そこの公園の中に、宮城長順先生の石碑が、建っているので、いつか、時間があったら、見てみてもいいと思います。
20歳くらいのころ、その石碑の除幕式があり、ひ孫である、私が幕を開けました。
大勢の人の見ている前で、とても誇らしかった思い出があります。
ただ先祖に、こういう偉人がいると、心理的にプレッシャーになるというのも事実です。
「よし自分も、ひいおじいさんに、負けないような男になるぞ!」
こう思った記憶があります。
「武」という文字は、
「戈を止める」
という意味だそうです。
「戈」というのは、「矛(鉾)」のことです。
「槍」や「銛」の意味も、あるみたいですね。
要するに、「武器」です。
つまり、
「武とは、理不尽な暴力や権力を止める行為」
という意味が、込められているそうです。
だから、「格闘技」と「武道」は、違うのです。
「格闘技」が、どちらかというと、ボクシングやレスリングのように、一定のルールのもとで公平に闘い、技や勝敗を競うことに対し、「武道」は、闘うことが目的ではなく、あくまでも、無法者や無礼者などの理不尽な横暴や暴力を、止めるための心構えや技を、磨くための道なのです。
自分や社会を、よくしていこうとする道だと、言ってもいいですね。
だから、空手などの武道では、昔から、
「空手に先手なし」
という言葉があるのです。
「なるべく、ギリギリのところまでは争いごとは、避けるようにする。そして、自分からは絶対、喧嘩など吹っかけない。だが、いざ闘わなければいけない状況になったら、なるべく、自分も相手も、被害を最小限にするようなかたちで、遺恨を残さないように、すみやかに戦いを終わらせる。そのためには、一撃必殺の技を普段から、身に着けるように稽古する。ただ、その技は、一生に一度使うことがあるかどうかである。使わないにこしたことはない。それを一度も使わないのが、いい人生である」
こういうニュアンスの意味だと思います。
格闘技が、勝負に勝つことを目的に訓練するのに対し、武道は、そもそも勝負自体を、人間の哀しい行為だと、考えるものなのだそうです。
だから、もし勝負で勝っても、ボクシングのように、
「アイ アム ア チャンピオ~ン!」
などと、ガッツポーズなどして叫ばずに、負けた相手にも礼をして、しっかりと礼儀をつくし、もし相手が、亡くなった場合も供養もするというのが武道なのです。
自分が空手をやっていたころは、こういう考えで稽古していました。
空手道場を辞めて、パワーリフティングの選手になってからも、やはり、自分はどこか、こういう武道的な気持ちを持ちながら、練習していました。
今でも、スポーツや格闘技なども大好きですが、やはり、「武道」という言葉には、どこか、特別な尊敬や哀愁を感じます。
宮城長順先生については、祖母から、いろいろ話は聴いていましたが、書籍などの記録には、特別に豪快な武勇伝は、残っていません。
若いころは、少しムチャをやったり、暴れたりしたこともあるみたいですが、武道家として、名前が売れてからは、喧嘩をしたりしたことが、ほとんどなかったみたいです。
ただ、長順先生の孫弟子に、極真空手の創始者、大山倍達などの達人がいることなどからも、相当な達人だったことは予想がつきます。
生前は、その強さから、「拳聖」などとも呼ばれていたそうです。
考えてみたら、若いころはともかく、武道家としてある程度の立場になったら、くだらない喧嘩などしないのが、本来の姿だと思います。
武道家で武勇伝が、たくさん残っているということは、もしかしたら、それだけ無益な争いが、多かったということではないでしょうか?
たとえば、居酒屋で、酔っぱらったヤクザに絡まれても、このヤクザをと喧嘩をして、やっつけるのは、同じようなチンピラだと思います。
格闘技の選手だったら、一発ぶん殴って、終りにするかもしれません。
ただ、これが武道家だったら、すぐにお辞儀をして、お詫びをして、その場からすみやかに立ち去るでしょう。
または、ニコニコ笑いながら、相手にも周囲にも、わからないように、痛くないように、やさしく技をかけて、眠らせるかもしれません。
ヤクザをぶん殴ってやっつけたら、武勇伝が残り、周囲から注目されたり、自慢ができるかもしれませんが、お詫びをして、その場から立ち去れば、目立たないし武勇伝は、残りません。
でも、本当の武道の達人は、こういう目立たない行為が、できる人たちばかりだったと思います。
さらに、本当に賢い武道家だったら、そもそも、そのようなヤクザが絡んでくるような居酒屋には、行かないと思います。
少し高くても、上品で礼儀をわきまえている人たちが集まるような店で、お酒を飲むかもしれません。
もしくは、酒場など行かずに、家で奥さんや娘と晩酌するかもしれません。
もっと凄い達人になると、健康に悪いと思ったら、お酒そのものを意志力でやめてしまうかもしれません。
こういう地味な強さは、わかりにくのです。
でも、私はこういう強さに憧れるし、これが本当の強さだと思うのです。
宮城長順先生は、
「人に打たれず、人打たず、事なきを、もととするなり」
という遺訓を残していますが、本当に、それが人間の生き方の理想だと思います。
祖母から聴いた話によると、長順先生は、空手の試合や稽古よりも、気をつけていたのは、なんと、「戸締り」だったそうです。
空手そのものよりも、家の戸締りに、一番注意していたそうです。
おそらく、当時、
「長順先生を負かして、有名になっってやろう!」
という喧嘩自慢や腕自慢が、たくさんいたためだと思われます。
そういう無益な争いを避けるため、家族に危害が及ばないために、一番気を配っていたのかもしれません。
これが、「武道」だと思います。
臆病さから逃げるのではなく、あくまでも無益な争いは、その3歩くらい手前で止める。
これができる人が、武道の達人なのだと思います。
昔からの諺でも、
「君子は、危うきに近寄らず」
と言いますね。
自分も、パワーリフティングをやっていた頃、武道家では、なかったのですが、いつも、「武道」の心構えが、頭から離れなかったです。
自分の場合は、
「なるべく、人間関係でもめごとが起こっても、強い腕っ節で解決しないようにする。できるだけ、穏やかな話し合いで解決するようにする」
こういうこだわりがありました。
なんか、一番得意な腕力で、問題を解決するのは、とても恥ずかしいことだという意識が、どこかであったのです。
「武道」というものを、別の言葉で、言い換えると、
「美学をもって、生きる生き方」
と言っても、いいかもしれませんね。
「ダンディズムのある人生」
と言ってもいいかな?
国で考えたみた場合、世界中のほとんどの国は、悲しい事に、まだ「チンピラ」の段階です。
発展途上国のほとんどは、「チンピラ」か「腕自慢」や「喧嘩自慢」です。
アメリカやヨーロッパなどの先進国は、「格闘家」のような気がします。
そういう中、日本という国は、唯一世界でも、「武道家」の国だと思います。
憲法第九条などの平和憲法は、「武道家の精神」を見事に表しています。
いろいろ改善点も多いかもしれませんが、これは武道家の心構えです。
よく否定的な意見で、
「口先だけで、平和が守れるか?」
という意見を聞きますが、そうではなく、憲法第九条というのは、
「口先だけで、平和を守ってみせる!」
という決意の表現なのだと思います。
逆に言えば、口先だけで平和を守るには、よっぽど強くなくては、難しいということです。
あと、ずば抜けた賢さも、同時に必要になってきます。
これは推測ですが、日本という国は、戦後、
「アメリカの属国だ! いいなりだ! 情けない国だ!」
と国民から、馬鹿にされながらも、74年間くらい、直接日本の土地を戦場にしなかったり、他国でも直接の戦闘をしなかったことは、もっと高く評価しても、いいのではないでしょうか?
たしかに情けなさすぎる一面もありますが、それは部分的なもので、もしかしたら、日本は、居酒屋でヤクザから、喧嘩を吹っかけられても、謝って潔く、その場を立ち去るような武道家の姿勢を、74年ちかくやっていたのかもしれません。
ただ、この強さは、わかりにくいです。
武勇伝も残りません。
もしかしたら、戦争が起こりそうな、3歩くらい前で、くい止めていたのかもしれませんが、地味な動きなので、歴史にも残らないでしょう。
この日本の姿勢や強さに、世界中が気がついて感動するのは、もしかしたら、100年後の22世紀になってからかもしれません。
「平和祈念公園」での記念撮影です。
旅行記に戻ります。
この二つの摂社の近くの門には、「エンリル」と「エンキ」の狛犬がいます。
本当の御祭神である、「アヌンナキ」の一族ですね。
そして、派手な金色の「菊家紋」ではなく、裏の意味を含む、黒っぽい「菊家紋」が扉に刻まれていました。
瓦にも、黒の「菊家紋」がありました。
そしてこれが、靖国神社の正体です。
まず、この角度から見ると、「ピストル」ですね。
左側の銃口の先に、「スコープ」のように、「日本武道館」が建っています。
「イナンナ(聖母マリア)」のシンボルである、「八角形」ですね。
そして、この地図は、
「このピストルは、あくまでも武道的な役割、つまり、護身としての武器である」
という意味だと思います。
こんなかんじのピストルですね。
さらに、靖国神社の拝殿と本殿のあたりです。
この形が、わかりましたか?
ハイ!
日本軍の戦車ですね。
この戦車の銃口に当たるのが、前述した二つの摂社なのです。
「鎮霊社」と「元宮」でしたね。
靖国神社は、他にも、ペルーの「ナスカの地上絵」の中心とも、繋がっているそうです。
ここは、ただ単に、日本のために死んでいった、英霊たちの魂を鎮めるための神社ではなく、地球にとって、とても重要な意味をもつ、凄い聖地だったのです。
神社参拝の後、皆で夕食を食べました。
「悪の根源」の話題で、大盛り上がりでした。
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