先月の早朝、リビングルームから、遠くの景色を撮影しました。
私の住んでいるマンションは、東京都大田区にあるのですが、最近は大田区も、わりと高いマンションが建設されるようになり、以前ほど、見晴らしはよくないのですが、それでも、晴れている日は、遠くまで見渡せます。
朝起きて、冷たい水を飲みながら、これらの景色を眺めながら、その日やりたいことを考えるのが、とても楽しいです。
私は、現在は、こういう自由で楽しい毎日を、生きています。
富士山です。
新宿方面です。
六本木方面です。
ある統計によると、日本のベンチャー企業の93%が、10年以内に潰れているそうです。
残りの7%も、かろうじて生き残っている状態だそうです。
起業して生き残るのは、だいたい100人に1人くらいだそうです。
起業について、たくさんの書籍で、いろいろなことが書かれていますが、まずは、こういう厳しい現実を直視することが、大切だと思います。
私の場合、1998年に起業していますから、今年で20年以上になります。
大成功しているわけではありませんが、生活していけるくらいの状態は、ずーっとキープしています。
今回は、脱サラして起業したいと思っている方に向けて、いろいろ書いてみようと思います。
現在、個人セッションでも、いろいろな方に、起業のアドバイスをすることも、ありますが、やはり、起業に向いている人と、向いていない人がいることは、事実みたいです。
ハッキリと言葉では、表現できませんが、なんとなく話していてわかります。
起業に向いている人は、何よりも、
「自分の頭で考えて、自分の言葉で語ることができる人。そして、勇気をもって行動して、その結果の全てを、自分が責任をとる覚悟ができている人」
ということです。
つまり、他人や世間からのお仕着せの知識で、行動したり、どこかで聞いたようなことばかり話したり、周囲の人の意見に振り回されて、なかなか最初の一歩が、踏み出せなかったり、失敗した後に人のせいにして、文句や悪口ばかり言う人は、起業に向いていないということです。
一言でまとめると、
「絶対的な自信をもっている人」
というのが、起業する人の絶対条件だということです。
自分に自信のない人は、起業して成功することは、難しいということです。
これからの時代は、起業だけではなく、会社勤めをしている人など、全ての職業に、「絶対的な自信」は、必要不可欠なものだと思います。
私も、20代の頃そうでしたが、プライドだけが高くて、実力が伴ってなくて、周囲から認められない状態というのは、とても苦しいものです。
こういう場合、現実的な対処法としては、プライドそのものを低くする、つまり、高い理想があったら、まず、それを手の届く所まで下げる。
または、プライドや理想は、高くてもいいから、それに向けて、毎日コツコツと地道に、その理想に向かって努力するということが、大切になってきます。
大言壮語ばかりで、何もしない状態だと、だんだん、周囲から相手にされなくなってきます。
そうやって、自分自身を追い込み、孤独になって、さらにどんどん苦しくなっていった人を、たくさん見てきました。
大きな夢を語るのは、素晴らしいことですが、目の前の小さな現実も、大切なものなので、日常の現実的なことも、面倒くさがらないで、真剣に向き合ってもらいたいです。
考えてみれば、私の場合、起業に関する、様々な書籍などを読んだり、たくさんのビジネスマンから、アドバイスを受けましたが、やはり、父親の影響が大きいような気がします。
私が、小学校の頃、父が、それまで勤めていた病院を辞めて、自分の病院を開業することを聞かされました。
何度か書いたこともあるのですが、初めて読む方のために説明しますね。
父は、南米のペルーで、生まれました。
祖父母が、沖縄からペルーに移民して、そこで生まれたのです。
それから、祖父母が亡くなり、沖縄に帰ってきたのですが、そこでも、戦争で酷い体験をしたそうです。
いろいろな逆境をバネにして、外科医になったのですが、しばらくは、那覇市内の病院で、勤務医として働いていました。
それから、一念発起して、一国一城の主になろうと決意したようです。
子供の頃は、わからなかったのですが、両親がいなく、教会で育てられ、戦争も経験して、外科医になるというのが、どれほど凄いことか、大人になった今では、よくわかります。
しかも、大学の学費などは、日本の政府が出したようです。
それくらい優秀だったそうです。
さらに、それから、自分の力だけで、病院を建てるというのが、どれほどのことなのかも、今ではよくわかります。
ある日、母が、私と二人だけの時に改まって、真剣な目つきで話したことを、今でもよく覚えています。
「イタル、これから、お父さんは、命懸けの仕事をするよ。自分の病院を建てるよ。これが、どういうことは、あなたには、わからないと思うけど大変だよ」
続けて、
「もし、経営が失敗したら、お父さんは、自分の命を懸けるつもりで、高額の生命保険に加入したよ。お母さんも失敗したら、体をはって、夜の仕事を始めるからね。あなたも、もしかしたら、学校に行けなくなって、朝から新聞配達など、やってもらうかもしれないけど、その時は覚悟してね」
こう言いました。
これは、長男である私だけに言ったのかもしれませんが、我が家が、大変な勝負に出ているということは、子供ながらにわかりました。
これは、大人になってから知ったのですが、父の病院は、那覇市から、10キロくらい北の宜野湾市にあったのですが、この場所は、太平洋戦争の頃に、米軍の海からの砲撃が凄かった場所で、たくさんの不発弾が埋まっていたそうです。
沖縄には、現在でも、たくさんの不発弾が埋まっていますが、父が一番恐れていたのは、実はこの不発弾だったそうです。
宜野湾市で、病院を建てる時に、もしも、この不発弾が出てきて、作業員が死んだ場合は、保険会社からの保険は適用外だったそうです。
現在はわかりませんが、不発弾で死亡事故があったら、その保証は、地主である父が、全て自己負担で、支払わなくてはいけなかったそうです。
おそらく、大変な額だっただろうと思います。
幸い、そういう事故もなく、しばらくすると経営も軌道にのって、ある程度成功したようでした。
落ちついた頃、いろいろな話を、また母から聞きました。
「お父さんは、自分の腕に絶対の自信があったみたいだよ。外科医として、抜群の腕さえあれば、必ず口コミで患者さんは、来てくれるという確信があったみたいだよ」
さらに、
「宜野湾市は、田舎だから、どのお医者さんも病院なんか建てようと思わなかったけど、お父さんが宜野湾市の選んだのは、琉球大学が那覇市から宜野湾市の近くに、引っ越すことが、確実に決まったことを、ある集まりで聞いたことが、キッカケだったみたいだね。お父さんは、これからは、宜野湾市がどんどん発展していく街だと判断したから、この街を立地に選んだみたいだよ」
こう説明してくれました。
他にも、父親から、
「イタル、商売などで、大手の競合が出てきたら、個人のお店は、どうすればいいと思う? それはね、大手ができないことをすれば、いいだけだよ。まずは専門化するんだよ。何でもやるのではなくて、これだけは負けないというもので、勝負するんだ。そうしないと、個人のお店は勝てないよ」
こういうビジネス上の戦略も、いろいろ教えてもらいました。
そういえば、父も、ただの「外科」ではなくて、「胃腸外科」というのを専門にしていました。
「胃腸の手術だったら、私に任せておけ!」
という自信があったのかもしれません。
他にも、ある程度、病院の経営が、うまくいきはじめたら、家族の生活を質素にしていました。
ある程度、儲かった時点で、生活を派手にするのではなく、地味にすることが大切だということも、子供ながらに戦略として、大切なのだということも知りました。
特に地方都市では、あまり目立つと、親戚や近所などから、妬まれたり、足を引っ張られたりするので、それを避けるために、なるべく、目立たないようにすることも、大切だということも、父から教わりました。
でも、私の誕生日などの記念日は、当時、沖縄で一番いいホテルの最上階のレストランで、家族で豪華なディナー料理を楽しむというような贅沢も、たまにやったりしていました。
父の病院の経営が、うまくいきはじめた頃、父が、仕事から帰ってきたら、母が玄関で三つ指をついて、
「お父さん、おかえりなさい。お疲れ様」
と言いながら、尊敬の眼差しで見上げていたのを、今でも覚えています。
父親が、命懸けの仕事をして、それを、母親と子供が尊敬する。
こういう家庭は、現在は、あまりないと思います。
私の家庭は、子供の頃、こういう昭和の時代の典型的な亭主関白でした。
これが、いいのかどうかは、わかりませんが、もしかしたら、現在、男女の仲が、うまくいかない根本には、こういう問題も、あるような気がします。
女性というのは、出産という命懸けの仕事をします。
だから、男性も同じように、何か命懸けの仕事をしないと、女性から、バカにされるだけなのではないかという気もするのです。
いつの時代も、男は戦争で、命懸けで戦って、女も出産で、命懸けで戦っていました。
それで、男女のバランスが、とれていたのかもしれません。
まあ、戦争がいいいなんて、思いませんし、何でも命懸けで、やるもんでもないと、思いますが、どこか、頭の隅っこにでも、こういうことは入れておいてもいいと思います。
私自身のことも、振り返ってみましょう。
大学を卒業して、東京の会社に最初勤めたのですが、どうしてもダメで、そこを辞めて、しばらく失業生活をしていました。
失業生活をしながら、趣味である、「パワーリフティング」をやっていました。
考えてみれば、自分に何が向いているかというのは、こういう時間が、たっぷりある時のほうが、見つけやすいと思います。
「自分が何を本当にやりたいのか? 自分が本当に好きでワクワクすることは何なのか?」
まずは、これからスタートするのが、自分のライフワークの見つけ方なのです。
そして見つけたら、今度は、
「それが仕事として、成立するのか?」
これを、考えなくてはいけません。
どんなに自分が、好きなことでも、世の中がそれに対して、対価であるお金を払ってくれなくては、「仕事」としては成立しないのです。
逆に、自分がそれほど好きじゃないことでも、世の中がそれに対して、お金を払うようなら、それは、「仕事」になるのです。
「自分が、世の中にやってあげたいこと」と「世の中が、自分にやってもらいたいこと」の二つが、見事に噛みあったら、それが、「ライフワーク」なのです。
1994年頃でしたが、失業しながら、パワーリフティングの専門のトレーニングジムに通っていたのですが、そこで面白いことに気がつきました。
失業手当しか、収入源がないので、毎日、お金が苦しかったのですが、そのトレーニングジムの先輩たちが、よく食事に誘ってくれたのです。
他にも、たくさんジムの会員がいるはずなのですが、私だけやけに誘われました。
練習が終わってから、一緒に食事するのですが、ほとんどの人が奢ってくれるのです。
不思議に思って、理由を尋ねてみると、
「トーマ君の話、最高に面白いよ! こんなに面白い話を聴かせてもらったら、タダというわけには、いかないよ。今夜は、ぜひここの食事代、奢らせてくれよ!」
こう言ってくれました。
失業していたので、同情してくれたのも、理由だと思いますが、やはり、私の話が本当に面白いと、思ってくれたんだと思います。
私は、当時から、バーベルが大好きで、熱心に練習していましたが、それ以上に、よく本を読んでいました。
筋トレの知識だけだったら、他にも知っている人は、たくさんいましたが、私は、日本の大正時代の筋トレの本を読んだり、19世紀のヨーロッパの力比べの歴史に詳しかったり、とにかく、筋トレマニアが喜びそうなネタを大量に持っていたのです。
さらに、世界中の格闘技や武道にも詳しく、いろいろな話をすると、パワーリフターたちは、目を輝かせて聴いていました。
他にも、パワーリフティングと同時平行に、腕相撲(アームレスリング)も、やっていて、こちらも、かなりの腕前でした。
この時期に腰を痛めて、上半身しか動かせなくなったのが、キッカケだったのですが、おかげで、これもかなり強くなりました。
パワーリフターの中には、、腕相撲は、あまり強くない人もいたので、こういう人に、腕相撲の技を教えてあげると、とても喜ばれました。
こういう話題に、さらに精神世界の本で読んだ知識を、ちょっとだけ混ぜて話すと大絶賛でした。
「面白~い! こんなに面白い話が聴けるなんて、今夜は嬉しいなー!」
なんて、大喜びしてくれました。
ほとんど、毎日、食事を奢ってもらえたので、食費がかなり助かりました。
それどころか、そのうち、
「あれっ? 今月は、ほとんど食費がかからなかかったぞ。もしかしたら、こうやって、毎日、ただしゃべっているだけで、これからずーっと食べていけるんじゃないかな?」
くらいに思っていました。
直接、現金を貰っていたわけでは、ありませんが、これはある意味、「ビジネス」です。
しかも、自分も話していて楽しいし、周囲も聴いていて楽しいという、理想的な「ライフワーク」になっていたのです。
それから、アメリカで留学生活していた頃にも、ある日本人の方と知り合ったのですが、その方は、バーの用心棒をされている方でした。
筋トレを熱心にやっていて、凄く力は強かったのですが、腕相撲の技を知らないために、腕相撲はそれほど強くなく、それが用心棒という仕事にも、悪影響を及ぼしていました。
バーなどで酔っぱらいから、腕相撲を挑まれることが多かったそうです。
それで、自信がないので、避けていたら、
「ヘイ! チキン(臆病者)!」
と、バカにされていたそうです。
私が、腕相撲の技に詳しいことを知って、
「ぜひ教えてください!」
と頼まれたので、この方にも、週に何回か、レストランのテーブルで教えていました。
そのたびに、食事を奢ってもらいました。
このようにビジネスというのは、何でもありなのです。
趣味や遊びは楽しければ、それでいいのですが、ビジネスは、その商品やサービスに、対価を払ってくれる人がいなくては成立しません。
これを逆に言えば、誰かがお金を払ってくれれば、それは立派なビジネスなのです。
私の場合は、もしかしたら、このアメリカで、バーの用心棒の方に、腕相撲を教えて、食事を奢ってもらったのが、最初の起業だったのかもしれません。
「誰かの役に立って喜んでもらい、それから、その報酬をいただく」
これを意識したのが、この時からだったからです。
この時期と同じくらいに、サプリメントの販売も始めました。
この販売から、少しづつ本格的に、ビジネスをやりはじめました。
それから、2002年に、アメリカ留学を終えて、日本に帰国する時に、その時に、お世話になっていた本間先生から、
「キネシオロジーを、仕事でやってみない? トーマ君だったら、面白い広げ方が、できると思うよ」
こう提案されて、これを日本で広げることを始めました。
それから、現在まで、これを本業にして生活しています。
このキネシオロジーですが、筋肉の反射を利用して、潜在意識を探るのですが、腕の押し方を、最初に知った時に、
「これって、腕相撲(アームレスリング)の力の入れ方に似ている!」
と思ったのです。
だから、すぐに上達しました。
私の場合、
「パワーリフティング」→「アームレスリング」→「キネシオロジー」
というかんじで、仕事に繋がったのです。
まさか、こういう繋がりになるとは、まったく予想していませんでした。
宇宙は、こういう面白いイタズラを、たまにやるみたいです。
ちょっと面白いのは、これらの3つに共通するのは、「腕の筋肉を使う」というこです。
「パワーリフティング」の選手時代、アメリカの大会に出場した時の写真です。
高重量のベンチプレスに挑む雄姿です。
「アームレスリング」の大会にも出場しました。
そして、現在の本業である、「キネシオロジー」のセミナーを開催している場面です。
「パワーリフティング」-「アームレスリング」ー「キネシオロジー」
これらの3つの点と点を繋ぎ合わせて、線にして、それらの線で絵を描いたのは、「宇宙」です。
「自分」であありません。
もしかしたら、人間の役割は、毎瞬、毎瞬、ワクワクすることだけをやるという、「点」だけを考えるだけで、いいのかもしれません。
「線」と「絵」は、「宇宙」や「神」に任せても、いいかもしれません。
まとめます。
これから、起業を考えている方は、心構えとして、まず何よりも、絶対的に誰にも負けないものを、見つけることを、第一に考えてください。
それには、ある程度の年月、コツコツと実力を積み上げていくような地道な努力も、大切です。
私は、20代の頃、週末などは、皆が、恋人とデートしている時に、自分だけ、パワーリフティングのジムや腕相撲の練習所で、ひたすら汗を流していました。
それから、汗を流していない時は、ファミレスで、ひたすら精神世界の本を、読みまくっていました。
それが、現在に繋がっているのです。
それから、もうひとつ。
一つのことを極めるのが理想ですが、そうじゃない場合、中途半端でもいいので、複数の特技を組みわせると、簡単にナンバーワンになれます。
失業時代のパワーリフティングのジムでも、私よりも、パワーリフティングが強い選手は、たくさんいました。
私が、人気があって、食事によく誘われたのは、パワーリフティング以外にも、腕相撲(アームレスリング)や精神世界にも、詳しかったからです。
この3つの知識をミックスすることで、ジムの中で人気者になったのだと思います。
冒頭の話と矛盾するようですが、起業というのを、あまり大げさに考えすぎないというのも大切です。
今日から、今いる場所で、ビジネスはできるのです。
私が腕相撲で起業したように、レストランや喫茶店などで、簡単に始められるビジネスは山ほどあります。
自分の身体一つで、始められるものは、リスクがないという、とても大きな利点もあります。
何かを販売する目的で、ちゃんとしたお店を開こうと思ったら、敷金や礼金を含む家賃に、もの凄いお金がかかります。
それで、お客さんが来なかったら、大変な額の借金を抱え込むことになるのです。
しかし、腕相撲での起業など、店舗を構えないビジネスは、もしも、お客さんが、1人も来なくても、借金などしていないので、収入がゼロになるだけです。
起業というのは、このようにリスクのないものから、スタートするのが理想なのです。
そうやって、少しづつ失敗しながら、自分に最適な仕事を見つけるのです。
そういう喫茶店で、気軽にできるものとしては、占い、カウンセリング、英会話のレッスンなども、いいと思います。
あまり、怪しく見れれないようなものなら、各種のヒーリングなどもいいと思います。
手かざしなどのヒーリングやフルトランスのチャネリングなどは、喫茶店などの公共の場では、周囲から、怪しい宗教だと思われることもあるので、要注意です。
歌などに、自信があるのであれば、カラオケボックスで、ミニライブをやっても、いいでしょう。
このように、リスクなしで、簡単に始めれらるビジネスなんて、たくさんあるのです。
加えて現在は、インターネット上にショップを開くことができます。
安い値段で、かなりいいサイトも開けるし、ブログなど無料で今日からでもできます。
起業して、生き残るのは、100人に1人だと書きましたが、これを逆に言うと、1人の人が、100種類の起業をやれば、必ず1回は成功して、生き残れるということです。
私など、起業して、20年以上になりますが、この間に、55以上のビジネスを、やりました。
ただし、ほとんどが、インターネット上でやったので、リスクがゼロだったのです。
リスクのないビジネスは、失敗がないのです。
「貴重な経験が、どんどん積み上がって、成功にどんどん近付く」
という学びの宝庫なのです。
これからの時代は、世界中が激動します。
政府や大企業などの組織も、あてにはできません。
こういう時、
「自分の身は自分で守る」
こういう意識が大切なのです。
それまで、動物園や家庭で飼いならされていた動物が、いきなり、野生の生活に戻るようなことが、これから、どんどん起こると思います。
野生は、とても厳しい世界ですが、そこで暮らす動物たちは、皆、神々しく逞しいです。
これからの社会は、こういう逞しい野生動物のような生き方が、求められてくるのです。
でも大丈夫です。
ちゃんと、宇宙の法則に従って、自分の魂のワクワクに従っていれば、宇宙がうまく導いてくれます。
私は、自分の経験から自信をもって、そう言い切ることができます。
「起業への道」
この厳しいながらも、とてもワクワクする道へ、ぜひ一歩踏み出してくださいね。
☆ ロサンゼルスで、ワクワクと、筋トレ三昧していた頃の写真です。
ゴールドジムの前です。
元ミスターオリンピア、ロニー・コールマンとのツーショットです。
伝説のボディービルダーの二人と、記念撮影しました。
右が、故・マッスル北村さん、左が、プロビルダー、石村さんです。
今では、かなり貴重な写真ですね。
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