魂の再会
10月7日(日)の沖縄セミナーも、大盛況で終了しました。
参加された皆さん、ありがとうございました。
那覇市内にあるセミナーの会場です。
建物にリボンがかけられています。
「ここで、いろいろなギフトを、多くの人に提供する」
という意味ですね。
セミナーの案内です。
セミナーの様子です。
懇親会は、近くにある琉球料理のお店でした。
大きなシーサーと記念撮影しました。
夜遅くまで、いろいろなことを語り合いました。
今回の沖縄での滞在は、いろいろな意味で、私の人生の第二幕が始まったような気がしました。
それを知らせるかのように、まずは、素晴らしい「魂の再会」がありました。
大学四年生の頃の恩師と、再会することができたのです。
この先生は、私を、「精神世界」という摩訶不思議な世界に、導いてくれた方なのですが、生まれて初めて、「輪廻転生」という概念を、ハッキリと教えてくれた大恩人でした。
今回の滞在中は、お互いに忙しかったので、電話で会話しただけでいたが、懐かしい声を聞いて、思わず目から涙がでてきました。
最後に会ったのが、1997年にアメリカに留学する前でしたから、実に21年ぶりの再会でした。
お互いが生きている間に、また会えたことに大感動しました。
今回の沖縄滞在中は、台風も通り過ぎた後で、とてもいい天気に恵まれました。
沖縄での古代史の探求は、また今月中に、旅行記としてまとめて書ので、楽しみにしていください。
写真は、「斎場御嶽」の近くから「久高島」を眺めた景色です。
「♡(ハート)」の形の雲が、島の上空にポッカリと浮かんでいました。
今回の沖縄行きのメインの目的は、セミナーの開催と古代史の探求以外にもありました。
実は、親戚の間で、ちょっとした問題が起こり、そのために、長男である私も、実家を代表して、その問題に対して、どう対処していくのかの決断をしなくてはいけない状況になったのです。
いつもは、完全な自由人なので、「義務」などほとんどなく、自由気ままに生きているのですが、やはり、家族の問題は無視するわけにはいかないので、人生において初めて、「長男」としての仕事をしました。
今までは、父親がこういう決断をしてくたのですが、さすがに年を取って、寝ている時間が多くなっているので、必然的に、こういうことは長男の仕事になったのです。
簡単に書くと、ある親戚の方が亡くなったのですが、ある遺産が残ったそうです。
そこそこの大金なのですが、なぜか書類上の関係で、私の母がその遺産の相続をすることになったのです。
それほど、近い関係でもなかったのですが、私の母が法律上、それを貰うような流れになったのです。
これだけなら、喜ばしい話なのですが、実は続きがあり、その親戚の方は、遺産を残しただけでなく、それ以上の金額の借金も残していたようなのです。
那覇市内のレストランで、30年ぶりくらいに、親戚のお兄さんと会い、詳しい事情説明を聴きました。
事情は複雑で、その借金は40年以上前のものなので、貸した側の人も、おそらく高齢で、すでに亡くなっている可能性が大きいとのことでした。
しかし、その子供や孫は生きているので、もしもその遺産を相続すれば、その貸した側の子孫から、
「今までに返していない借金も、返してください!」
と言ってくる可能性もあるとのことでした。
その子孫が、良い人だったら、
「もう昔のことだから時効にしましょう、もういいですよ」
と言ってくる可能性もあるが、もしも悪人だったり、バックにヤクザがいたりすれば、
「借金に、ちゃんと40年分の利息もつけて、ちゃんと返せ!」
と言いながら、脅しに来る可能性もあるとのことでした。
すると、その結果として、裁判になり、これから先長い年月、法廷で争う可能性も出てくるとのことでした。
この時点で、相手の顔が見えないので、ほとんどギャンブルの賭けのようなものだとの説明を受けました。
つまり、簡単に言うと、
「大金を受け取るが、面倒なことに巻き込まれるリスクも取る」
「大金を受け取らず、面倒なことに巻き込まれるリスクも回避する」
この二択が、目の前に提示されたということです。
人生のおいて、ある意味、大きな選択肢を決めなければ、いけなくなりました。
しかも、この選択は、私一人だけでなく、両親や兄弟姉妹も巻き込むことになる、大事な選択です。
事情を全部把握した後、親戚のお兄さんから、
「さて、長男である君はどうするの?」
と言われました。
席を立って、トイレに行き、それから、飲み物を注文してから、席に戻りました。
その間、考えること約5分くらいでした。
私の答えは、すぐに決まりました。
「そんなお金、家には必要ありません。相続権を拒否します」
でしたあまりにも短い時間に即断したので、そのお兄さんは驚いたようで、
「ええ?! それでいいんですか?! かなりの大金が貰える可能性もあるのですよ?」
こう言いました。
しかし、私の考えは、その後もブレることもなく、
「大金も取らない代わりに、リスクも取らない」
という結論で、その話は終わりました。
最終的には、その親戚のお兄さんが、
「大金も取るけど、リスクも取る」
という決断をしたようです。
裁判にも慣れているようで、もしも裁判が長引いても、知り合いの弁護士の先生と、徹底抗戦するつもりみたいでした。
私の家族は、現在、父と母、それから、私を含めて5人の兄弟姉妹がいます。
皆、争いごとが苦手で、穏やかに生きることを望む主義です。
我が家には、争いごとは向いていないのです。
こういう問題は、人間の社会で生きていれば、何度も出てきます。
しかし、普段から、自分の人生哲学が決まっていれば、迷うことはありません。
具体的には、
「自分の人生の最終目的は、お金や権力や地位などではない」
私は、こういうポリシーをもっているということです。
沖縄に行く前には、
「この問題に巻き込まれたら、もしかしたら、5年~10年は、法廷闘争の巻き込まれるかもしれないな… すると、自分の本業にも支障をきたすし、最悪の事態もありえるな…」
こう思っていたのですが、それは杞憂でした、
この遺産相続をめぐる、面倒なトラブルは、蓋を開けてみれば、わずか、5分で解決したのでした。
今回のことで、「長男」という立場を意識させられました。
何かの本で読んだ話です。
日本において、戦前や戦後しばらくは、人々の間で常識だったり、暗黙の了解だったことでも、長い年月の間には、次第に忘れ去られてしまったことが、けっこうたくさんあるそうです。
最近では、スマホなどの普及により、ほとんどありませんが、昭和の時代には、田舎から都会に働きに出てきたサラリーマンたちに、仕事中に電報が届くことが、よくあったそうです。
たとえば、
「父危篤、すぐ帰れ」
などという短い文章で、田舎の父親が死ぬ間際だという連絡が、田舎から電報で届いたりしたそうです。
この知らせを知った子供たちは、全員、休みをとって、田舎にかけつけたのですが、ここからが問題です。
現在だったら、医療も発達しているので、いい治療をすれば、病気が快復して、元気になることもあるでしょう。
それから、飛行機や新幹線で、また都会の職場に戻ることも、十分可能です。
しかし当時は、汽車や船が交通手段でした。
往復に、凄い時間とお金がかかります。
そんなに何度も、田舎と都会を行き来できませんでした。
また、会社を頻繁に休むわけにもいきません。
そこで、父親の寝室では、あることをしていたのです。
これは、昭和の時代には、「8時だョ!全員集合」という番組で、ドリフターズのメンバーが、よく劇で演じていました。
寝室に、町医者の先生と病気の父親、それから、長男、それ以外の家族や親族が、神妙な顔つきで座っています。
すると、町医者の先生が、
「そろそろ、お人払いを…」
と、小さな声で呟き、そのあと、その先生と長男だけが寝室に残り、それ以外の人々は、神妙な顔で部屋から出ていきます。
そして、長男が、
「では、先生、そろそろ…」
と、また小声で呟くと、先生が、注射器を父親の腕に打つのです。
これは、血管に空気を入れて、安楽死させている場面だったそうです。
子供の頃、ドリフターズの劇で、この場面を見ても、意味がわからなかったのですが、今考えると、あれは、一種のブラックユーモアとして演じていたのですね。
あれを見ていた、当時の老人たちは、
「自分たちも、いつか、こうやって、安楽死のお世話になるんだな…」
こう思いながら、苦笑いしながら見ていたのだと思います。
つまり、「父危篤」という内容の電報の意味は、実際には、
「今回の帰省では、父を安楽死させます。皆、今から心の準備をしておくように…」
こういうニュアンスが、文章の陰に含まれていたということです。
これは、当時の日本の国民は、暗黙の了解で全員知っていたそうです。
ここで大切なことは、
「親の息の根をとめる」
という一番辛い仕事をやるのが、長男の役目だったということです。
この辛い役目をする引き換えに、土地や財産などは全部、長男が相続したのです。
それは、家族も親戚も全員、納得してのことだったそうです。
どうですか?
現代では、こういう大切なことは、もう誰も教えてくれないし、どこでも語られないと思いませんか?
これからは、日本だけでなく、世界中で、「老人介護」、それから、「安楽死」の問題が、頻繁に議論されてくると思います。
そういうときに、この話を、頭の隅っこに置いておくといいと思います。
愛する家族や友人との死別は、ある日、突然やってきます。
その時にショックを受けないように、普段から自分の死生観を、ある程度は、かためておいたほうがいいです。
冒頭で書いた、私の恩師の先生は、それをハッキリとしたかたちで、もっていた方でした。
ある時に、先生とお茶していた時に、先生が、ニコニコしながら、思い出い笑いをしているのを見て、不思議に思って質問しました。
「先生、ずいぶん楽しそうですね~、何かいいことでもあったのですか?」
すると、先生は笑いながら、
「おお! よく聞いてくれたね。実は、もうすぐ、父親が病気で死ぬんだよ!」
これを聞いて、私がびっくりして、
「ええっ? お父様が、お亡くなりになりそうなんですか? それのどこが、いいことなんですか?」
こう尋ねると、先生は、さらに笑いながら、
「私はね、今のお父さんが大好きなんだ。心の底から愛しているんだ。それでね。次回も、このお父さんの子供として生まれようと、もう決めているんだ。
続けて、
「でも、それだけだと芸がないから、赤ん坊として生まれた瞬間、『オヤジ! 久しぶりだな~!』こう言って、右手を挙げて、驚かしてやろうと思っているんだ! その時の驚いた父親の顔を想像したら、もう笑いがとまらないんだよ」
こう言ったのです。
「うわ~! 本当にスピリチュアルな世界を熟知して、悟りを開くと、こういう死生観になるんだな~!」
こう思って、感動しました。
精神世界を極めると、肉親の死まで、喜びに変えられるのです。
この世での死別の悲しみの裏には、
「もう再び会えない…」
こういう思い込みがあるみたいです。
でも、実際には、肉体はただの乗り物なので、その本質である、「魂」は永遠なのです。
そして、愛し合っている魂同士は、時空間を超えて、時代や土地に関係なく、何度でも再会するのです。
だいぶ前の話ですが、個人セッションの時に、大切な家族を、いきなりの交通事故で亡くした方がいました。
キネシオロジーを使って、いろいろな問題を探り、魂を癒そうとしたのですが、いつもならば、すぐに癒すことができるのに、その方の悲しみが、あまりにも深すぎて、何をやってもダメでした。
試しに、前世からのトラウマも、探ってみたのですが、それでもダメだったのです。
そこで、ふっと考えが浮かんできました。
「現在の心の状態も、癒すことができないし、前世もダメだとしたら、では試しに、未来、つまり来世に意識をもっていったらどうだろう?」
こう思って、いわゆる、「来世療法」というのを、初めてやってみたのです。
これは、誰かに教わったわけではなく、ひとりでにできたのです。
詳しいことは長くなるので、割愛しますが、キネシオロジーを使って、その方と亡くなった家族のことを、調べてみました。
すると、
「今から、120年後くらいの未来に、現在の地球、そして、今のスウェーデンの中学校のようなところで、次回は、男同士のクラスメイトとして再会して、それから仲良しの親友になる」
こういう未来が、「魂の設計図」として描かれていることが判明したのです。
すると、それまで暗い表情だった、そのクライアントさんの顔が、みるみる明るくなり、笑顔になったのです。
それから、目から涙を流しながら、
「また、会えるんだ~!」
こう思って、ニコニコ笑ったのです。
それを見ていた私まで、嬉しくなって、もらい泣きしたのですが、この時に、
「人間って、来世があることが、具体的にわかったら、ここまで魂に希望の灯がともるんだ…」
こう思いました。
そうなのです。
「魂の再会」
これからは、これを知ると、家族や友人の死別からの悲しみを、劇的に癒すことができるのです。
これを、別の言葉で言い換えると、「来世療法」になるのですが、これは、これからの医療やヒーリングにとって、とても大切なものになると思います。
PS 沖縄滞在中は、大好きな「ポークと卵の定食」をよく食べました。
それから、念願の「ジャーマンケーキ」も食べました。
これは、最高においしいケーキなのですが、沖縄でしか販売されていないようで、沖縄に帰省するたびに食べる、楽しみの一つです。
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