日本ピースツアー 6 薬師寺
前回の続きです。
とうとう、秘密の扉を開いてしまいましたね。
ここからも、後戻りはできませんよ。
急な衝撃に供えて、シートベルトの着用もお願いします。
数年前に、「東京大空襲」、それから、「広島」や「長崎」など、「太平洋戦争」を調べていて気が付いたことがありました。
空爆などの被害に遭わなかった建物に、「ペンキ」が、塗られていたものが多かったのです。
どうやら、「ペンキ」というのが、とても重要な意味をもっていることは、間違いなさそうです。
他にも、「レンガ造り」の建物が、被害を受けていなかったりしています。
戦前に、予め無事だとわかっていたかのように、しっかりと造られていたりします。
あとは、「十字架」がある所も、無事だったりしています。
それも、ただの十字架ではなく、「丸十字」みたいです。
たとえば、東京の「神田教会」も、東京大空襲の被害を受けていないようですが、ここも、「レンガ造り」だったり、「丸十字」のシンボルがあったりしています。
「3丁目29」という住所も、東京大空襲において、無傷だった所が多いです。
しかも、「稲荷神社」が、かなりの割合でありました。
「東京大空襲の被害を受けなかった、もしくは、他の大火事を免れた」
ということです。
いずれにしても、「火災から逃れた稲荷神社」というキーワードで、繋げてみました。
これらの神社は、全く受けないものもあれば、部分的な被害で済んだ所もあります。
また、元の場所から移されたものもあります。
〇「妙法衛護稲荷神社」
千代田区神田神保町3ー29−11
〇「下谷神社」
台東区東上野3-29-8
〇「砂原稲荷神社」
葛飾区西亀有3-29
〇「靍護稲荷神社」
台東区上野3ー29
全ての稲荷神社の住所が、「3-29」という数字になっているということです。
「ー」という横棒を、「3」という数字の左に移動させて、縦にしてみてください。
「B」というアルファベットになりますね。
そうです!
「B29」
こうなるのです~!
これに気が付いた時に、
「うわ~~~!!!」
と大声を張り上げて、全身がブルブル震えて、鳥肌が立ちました。
これらが全て、ただの偶然だと思いますか?
絶対に違いますね。
明らかにある意図をもって、綿密に計算されつくしているということです。
「東京大空襲」などの空襲などを調べているうちに、空襲で無事だった所に、いくつかの共通項があることが、浮かびあがってきたのです。
まとめると、こうなります。
〇建物にペンキが塗られている。
〇レンガ造りの建物である。
〇「丸十字」のシンボルがある。
〇「稲荷神社」が多い。
〇「3丁目29」という住所が多い。
これらの条件を満たしていても、空襲の被害に遭った所もあるので、この条件は絶対ではなく、こういう傾向があるということです。
その中でも、「ペンキ」に注目して調べてみました。
すると、ある祭が浮かびあがってきたのです。
そうです。
「過越しの祭」
ユダヤの祭である、この祭りが、地球の戦争の最重要な鍵だったのです。
ご存知の方も多いと思いますが、「過ぎ越し」というのは、ユダヤ人の祝祭で,西暦前1513年に、神がイスラエル人を、エジプトから解放したことを祝うものです。
「ウィキペディア」で調べると、だいだいこういう説明です。
「過越(英語: Passover)」とは、ユダヤ教の宗教的記念日。
家族が食卓につき、マッツァー等の儀式的なメニューの食事をとって祝う。
期間は、15日から一週間である。
手作りのマッツァーを、食べることが多い。
「マッツァー」とは、過ぎ越しの祝いで食べられる、酵母の入らないクラッカー状のパン。
イディッシュ語風の発音では、「マッツォー(matzo)」という。
イスラエル人がエジプトから脱出するとき、パンを発酵させ膨らませる時間がなかったため、マッツァーができた。
それを記念して、過ぎ越しの祝いの前には、酵母を入れないパン、マッツァーが作られる。
聖書の出エジプト記によると、古代エジプトで起こったとされる出来事に起源を持つ。
エジプトの地で、奴隷になっていたイスラエルの民が、モーゼの先導で、パレスチナの地に脱出した故事を記念する。
その時代、イスラエル人は、奴隷として虐げられるようになっていた。
神は、モーセを指導者に任命して、約束の地へと向かわせようとするが、ファラオがこれを妨害しようとする。
そこで神は、エジプトに対して、十の災いを臨ませる。
その十番目の災いは、「人間から家畜に至るまで、エジプトのすべての初子を撃つ」というものであった。
神は、「戸口に印のない家に、その災いを臨ませること」を、モーセに伝える。
つまり、この名称は、戸口に印のあった家には、その災厄が臨まなかった(過ぎ越された)ことに由来する。
これだけでは、よくわからないと思うので、この出来事を、 もう少しわかりやすく説明しますね。
古代エジプトで、イスラエル人たちは、奴隷の身分で、過酷な重労働をさせられていたそうです。
そこにモーセが登場して、救出劇が始まります。
まず神が、奴隷を解放しないエジプトに対して、10の災害を起こします。
これらです。
1.ナイル川の水を血に変える
2.蛙を放つ
3.ぶよを放つ
4.虻を放つ
5.家畜に疫病を流行らせる
6.腫れ物を生じさせる
7.雹を降らせる
8.蝗を放つ
9.暗闇でエジプトを覆う
10.長子を皆殺しにする
神は、モーセを通じて、イスラエルの人々に、
「1頭の子羊を殺して、それの血を家の前に塗り、そして夜にそれを食べなさい。そううすれば、その家は神が過越して、子供が殺されることはないだろう」
というメッセージを伝えます。
そこで、イスラエルの人々は、子羊を捕まえてから、それを殺します。
そして、言われたとおりに、その血を家の前に塗ります。
その夜、家族などが集まり、言われたとおりに、特別な食事をします。
すると、その夜、本当に神様は、その家を過越していきます。
この血が塗ってある家の子供は、殺さなかったのです。
一方で、この血が塗られていない、エジプト人たちの家の一番年上の子供は、翌朝、死んでいました。
たくさんのエジプト人たちは、それで嘆き悲しみました。
その後、モーセは、イスラエルの人々の前で、海を真っ二つにして逃げます。
以上が、出エジプト記に書かれている、「過越し」の出来事です。
凄いことが、古代にあったのですね。
そして、これが、上記の「マッツァー」というパンです。
「過越しの祭」では、このパンを食べるそうです。
これが、その時の特別な料理です。
「イエス・キリスト」が、弟子たちと食事をした、「最後の晩餐」も、実は、「過越しの祭」の食事をしているのだそうです。
そしてこの後に、キリストは、
「自分が、神の子羊になって、全ての人々を救う」
と言ったのだそうです。
それで、十字架にかけられて、血を流し、救世主となったのだそうです。
一連の出来事を、思いっきりシンプルに書くと、こういう流れになります。
ここで、とても大切なことは、現代でも、これは起きているということなのです。
昔の出来事で、現在は関係ないと思ったら、大間違いなのです。
例えば、横浜の「アメリカ領事館」などは、「ペンキ」が塗られていた建物です。
ここは、空襲の被害を受けていないのです。
「太平洋戦争」など、世界中の戦争で、これは行われていたのです。
旅行記に戻ります。
私たち一行は、「薬師寺」に着きました。
この日は、まだ桜が咲いていて、綺麗でした。
案内の地図です。
境内に向かいました。
見てください!
「朱い門」ですね。
朱い色のペンキが塗られていました。
東京の「東大赤門」を、思い出しました。
ちなみに、この門も、東京大空襲の時、爆撃されていません。
ここも、「過ぎ越しの祭り」の場所だったということです。
実際、戦争の被害は、ほとんど受けていないみたいです。
私たちは、「玄奘塔」という建物に向かいました。
記念撮影しました。
面白い石像がありました。
「玄武」ですね。
これの正体が、わかりましたか?
そうです。
前回の記事で書いたように、
「玄」=「猪」=「核爆弾」
こうなります。
だから、亀の背中に突き刺さっている、石碑の上の模様は、核爆発後の「きのこ雲」だということです。
側面には、龍神がいますね。
瓦の模様は、「原子核」の意味かもしれません。
敷地内には、「八角形」の建物もありました。
「不東」と書かれています。
これの意味は、
「決して東に戻ることはない」
こういう意味みたいです。
そうです。
「西の彼方の大陸に、補陀落渡海で亡命した後は、決して、東の日本には戻らない」
この意味だと思います。
中には、仏像がありました。
真っ赤な炎の中で、燃えているようにも見えますね。
この建物内には、不思議な絵が、いくつか飾ってありました。
壁一面、全部が絵なのですが、珍しい特徴がありました。
なんと、ここに飾られている絵は、「人間」や「動物」が描かれていないのです。
「植物」も、ほとんど無いです。
あったとしても、生き生きしていません。
つまり、ここの絵のテーマは、「砂漠」や「草原」であり、そこから感じるのは、「静寂」や「無」や「虚無感」なのです。
この絵もそうですね。
どこかの大陸の遺跡、その景色だと思いますが、すでに死に絶えた廃墟だと思います。
ここでは定期的に、僧たちが、「平和の祭典」のイベントをやっているそうです。
学生たちがやってきて、合唱したりするそうです。
これは、上記の絵を描いた方が、現地でスケッチしている写真みたいです。
「楼蘭」という国で、現在では、中国の「新疆ウイグル自治区」の辺りみたいです。
勘のいい方は、薄々、気が付いてきたと思います。
もう答えを言ってしまいますね。
「薬師寺」
この名前、どう思いますか?
私は単純に、
「この寺で、昔、薬草を栽培して、漢方薬でも、つくっていたのかな?」
こう思っていました。
しかし、境内のどこにも、薬草らしきものは、生えていませんでした。
漢方薬なども、どこでも販売していません。
そうだったのです。
「薬師寺」という名前は、
「やくしじ」⇒「焼く指示」⇒「焼く指示を与える司令塔」
この意味だったのです。
つまり、古代から、地球の各地で起こった戦争を終わらせる時に、「核爆弾」を投下するかうかを、最終的に決断する基地だったということです。
もちろん、私の仮説であり、証拠はありません。
しかし、いろいろな状況証拠から、私は、そうだったと確信しました。
境内には、「赤十字」の模様もありました。
レッドカーペットみたいですね。
この先には、「不動明王」が祀られていました。
背中には、炎を背負っています。
焼きつくす神様です。
「アヌンナキ」の一族の中では、「エンリル」です。
ユダヤ教の神、「ヤハウェ」でもあり、日本では、「八幡(やはた)」という地名の土地が拠点です。
戦争中は、「八幡製鉄所」でした。
ここで、「戦艦大和」や「戦艦武蔵」の鉄もつくられました。
「国会議事堂」の建物の鉄骨も、そうです。
さらには、911の「ワールドトレードセンター」の鉄骨も、ここの鉄骨でした。
日本では、大分県の「八幡神宮」が拠点でもあります。
この寺の主は、この神様だと思います。
地球では、「破壊」を担当する神様です。
「ノアの大洪水」も、「ソドムとゴモラ」も、この神様でした。
「東僧坊」という建物には、面白い銅像もありました。
このハンドサインは、「破壊神」のサインだと思います。
これも、念のために言っておきますが、悪い存在ではありませんよ。
境内で、パチリ。
「大講堂」のあたりです。
「釣鐘」がありました。
宇宙考古学的な解釈をすれば、この釣鐘は、太古の時代、インドで、核戦争をやった宇宙人グループが乗っていた、UFOの形と似ていることから、それを模した形の可能性も考えられます。
これも、「アヌンナキ」のグループみたいです。
この時の核戦争で、地球上に核爆弾を、108発投下したという説もあります。
大晦日に鳴らす鐘の音は、これからきているという話もあります。
「同じ過ちは、もう二度と繰り返さないぞ!」
こういう誓いを、毎年の最後に行う儀式が、「除夜の鐘」だということです。
わりと最近では、ナチスが、これと同じ形のUFOを製造していたみたいです。
「薬師寺」の地上絵も、探してみました。
わかりましたか?
左側を向いている、「牛」の絵ですね。
「牛」は、「エンキ」のシンボルです。
日本では、「牛頭天皇」でもあります。
「目」の位置に、「休ヶ丘八幡宮」がありました。
「九の丘」ですね。
「九」だから、「天照派(縄文)」ですね。
そして、「八幡宮」は、「エンリル」であり、「神武派(弥生)」です。
相反するグループが、ここでも、一体になっていました。
この神社の石灯篭の「三ツ星」が、私には、「ニコニコマーク」に見えました。
そして、ちょっとわかりにくいのですが、神社の奥に、小さな水色の鳥居がありました。
これは、珍しいです。
極めつけは、この地上絵です。
「薬師寺」の全体像です。
私には、何かの「起爆装置」に見えるのです。
上の方で、赤丸で囲ったのが、「玄奘塔」です。
前述したように、殺風景な絵が、飾られている建物です。
やはり、ここが、「起爆スイッチ」だったようです。
それから、導火線のようなラインを、赤線で描きました。
すると、「大講堂」を通過して、爆発する場所は、境内にある、
「西塔」ー「金堂」ー「東塔」
この三つの建物のあたりになります。
いや~、面白すぎますね~!
さらに、「起爆装置」の地上絵の隣には、「宇宙船」の絵もありました。
わかりやすいように、90度回転させました。
わかりにくいと思うので、また、赤ペンで補助線を引きました。
赤で囲った部分が、左側に向かって飛行中の「宇宙船」です。
まるで、「キャプテンハーロック」に出てくるような船ですね。
「皆天満宮」の近くの水色の池が、「旗」になります。
青色で囲んだ部分が、乗組員です。
「旗」の後ろ側の乗組員は、後方を向いているようにも見えます。
この地上絵に描かれている乗組員が、最初に、地球にやってきた宇宙人グループかもしれません。
「エンリル」と「エンキ」かな?
この地上絵にも、行ってきました。
これが、「旗(池)」です。
「皆天満宮」です。
「皆天」は、
「旗が回転している」
という意味の「回転」かもしれません。
参拝しました。
御神体は、「旗(池)」になります。
宇宙船の「乗組員」の絵のあたりです。
なんと、普通の住宅街です。
この祠の二人が、「乗組員」の意味かもしれません。
こういう視点で見ると、面白いですね~!
皆で、「宇宙船」の地上絵の周辺を、探索している場面です。
いい天気でした。
最高のピクニックになりました。
私たちは、この後、歩いてすぐの所にある、「唐招提寺」に向かいました。
そこにも、凄い秘密が待っていました。
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日本ピースツアー 5 神頼み
一説によると、古代において、まだ日本列島に、神社ができる前には、名前のついた神様は、とても少なく、「アラハバキ」と「イナリ」の二柱だけだったともいわれています。私は、この二つの存在は、同一神、もしくは、同じ神様のグループだと推測しています。
つまり、「アヌンナキ」です。
「リンゴグループ」であり、「弥生人」の神様です。
西洋の神様であり、聖書に登場する神々でもあります。
そして、これらの古代の神々は、「アラ」+「ハバク」、つまり、「荒く」+「掃く」
だったともいわれています。
「乱暴に掃除する神様」
こういう意味です。
わかりやすく言うと、聖書に書かれている、「ノアの大洪水」や「ソドムとゴモラ」のように、必要に応じて、地球の人間たちを、滅ぼしたりする怖い神様でもあったということです。
歴史の節目において、一旦、リセットする役目が、これらの神々だったということです。
日本列島には、無数の地上絵がありますが、関西から東北までのエリアには、「イノシシ」の絵があります。
「琵琶湖」が「目」です。
「紀伊半島」が「鼻」です。
「伊勢湾」が「口」です。
「伊豆半島」と「房総半島」が、「前脚」と「後脚」です。
「イノシシ」ですね。
「京都御所」は、内部に、「日本列島」の地上絵があります。
その隣に、天皇を護るための神社、「護王神社」があります。
なんと、そこには、「イノシシ」の地上絵があったのです!
つまり、天皇家は、この地上絵を、大昔から知っていたということです。
境内には、「原爆」の意味の「ヒョウタン」もありました。
古代の核戦争で被爆したと思われる石、「さざれ石」もありました。
古代から現代まで、日本を守護してきたのは、「核爆弾」だったということです。
「核」の文字には、「亥(猪)」が入っていますね。
京都の護王神社は、「亥」がシンボルです。
だから、日本を守っていたのは、「核爆弾」だということです。
そして、太古の時代から現代まで、「核」を管理しているのも、天皇家であり、同時に、核を使用することができるのも、天皇家だということです。
「kaku」は、並び変えると「ukka」で、「uka」になり、「宇賀」は、「宇賀神」で、「恵比寿」でもあり、「ヒルコ」です。
この神様は、「エンキ」でもあります。
「恵比寿様」の胸には、危険物を意味するシンボルがあり、これは、三菱のシンボルでもありますね。
さらに、「猪」という文字は、分解すると、「ケモノの者」の意味で、日本では、「獣」の代表のような動物ですね。
聖書のヨハネの黙示録に出てくる、「666の獣」は、「18の獣」の意味にもなり、「木の獣」になります。
「木」の漢字を分解すると、「十八」なので、「木の亥」になり、「核」になります。
だから、全てをまとめると、
「天皇家」=「666の獣」=「核」
こうなります。
「玄」という文字は、「ただの黒色」ではなく、「赤や黄みを含んだ深みのある黒色の」というニュアンスがあるそうです。
他にも、「天」や「はるか遠いところ」という意味もあるそうです。
意味深ですね。
この機会に、もう一度、「東京大空襲」について、深くつっこんで考えてみましょう。
この写真は、戦争直後、東京が空襲で焼け野原になった様子です。
現在のJR品川駅のあたりから、JR新宿駅や上野駅のあたりまで、見えたそうです。
そのくらい、何もなかったのだそうです。
10万人くらいの尊い命が、この空襲で奪われています。
この地図は、空襲の被害を表したものです。
赤い部分が、空襲で焼けた地域で、白い部分が、空襲の被害を受けなかった地域だそうです。
被害を受けなった所が、司令塔のあった場所、もしくは、アメリカ軍のスパイがいた場所だと思えば、わかりやすいですね。
たまたま偶然、無事だったという所は、少ないと思います。
場所によっては、1メートル単位で、正確に狙って破壊した所もあったように感じます。
諸説ありますが、ある研究者によると、下記の地域が、東京大空襲で空爆されなかった土地だそうです。
東大・上野・護国寺・巣鴨刑務所・早稲田・参謀本部・新宿御苑・皇居・丸の内・明治神宮・東宮御所・オークラ・青山霊園・赤十字・増上寺
枝葉末節なことは、あまり大切なことではありません。
重要なことは、日米のトップ同士は、グルだったということです。
八百長だったのです。
これを知ると、911の自作自演など、かわいく思えてきますね。
「太平洋戦争」こそが、壮大な八百長だったのです。
米国のメインターゲットになるべき、「皇居」や「国会議事堂」を避けて空襲する必要があるのでしょうか?
特筆すべきは、「国会議事堂」です。
これは、戦後すぐの写真です。
ほとんど無傷ですね。
本来ならば、ここだけをターゲットにして、爆撃してもいいはずです。
それを、ここだけを避けて、その周辺を焼け野原にしているのです。
戦後すぐの頃、ここが無傷だったので、人々は、ここの前で畑を耕して、芋などを栽培して食べていたそうです。
これは、いろいろな記録に、ちゃんと残っています。
当時から、
「おかしいぞ! これは、どういうことだろう?」
こう思っていた人たちも、たくさんいたと思います。
それをさらに拡大して、わかりやすくした、被害状況の地図です。
これを見ると、焼けている地域は、正確に狙ってることがわかりますね。
偶然に被害を免れた所など、ほとんどないと思います。
加害者側は、感情的になって、無茶苦茶をやったわけではなく、冷静に客観的に、未来を見据えて、事業として計画し、超巨大なプロジェクトを遂行していたことがわかります。
まさに、血も涙もない冷血漢の所業に見えます。
ただしそれは、人間の視点で捉えた場合の解釈です。
神様の目線で、高い次元から見ると、また別の解釈もできます。
具体的に、誰が何のために、どうやって、このような悪魔の所業を遂行したのでしょうか?
答は、人間ではなく、「アヌンナキ」のグループです。
ただし、それは、彼らなりの愛の表現だったようです。
その愛の表現方法は、私たち人間とは、あまりにも価値観が違いすぎて、今までに理解できなかったのです。
戦後76年くらいたった今だからこそ、知ることもでき、そして、スピリチュアルな視点だからこそ理解できる大きな愛が、そこにはあったのです。
数年前に、東京の下町を探索しました。
このエリアには、「東京大空襲」の被害を受けなかったところも、いくつかあります。
これは、台東区を探索していた時の写真です。
ちなみに、「台東区」とは、一説によると、戦時中、「大東亜共栄圏」の構想をもっていた日本軍のグループが、拠点にしていたともいわれています。
裏の意味は、「大東区」だったそうです。
JR上野駅の近くにある、区役所です。
このあたりも、焼けなかった地域が少しあります。
そういう場所には、今でも昔ながらの古い民家があったりします。
これらは、別の地域の写真ですが、同じく古い民家などが、残っていますね。
空襲で焼け残ったレンガですね。
これも古いですね。
何が言いたいか、だんだんとわかってきたと思います。
つまり、「東京大空襲」は、権力者たちのエゴや金儲けも、もちろんありますが、壮大なプロジェクトだったのです。
「復興」するためのビジネスも、目的の一つだったということですね。
「復旧」ではなく、「復興」というのが大切です。
「スクラップ&ビルド」という表現も、よく聞きますね。
破壊がなければ、再生もないという考え方です。
ウィキペディアでは、こういう説明です。
スクラップアンドビルドとは、老朽化して非効率な工場設備や行政機構を、廃棄・廃止して、新しい生産施設・行政機構におきかえることによって、生産設備・行政機構の集中化、効率化などを実現すること。
工場設備や行政機構などで、非能率的な設備や組織を廃棄して、新しい能率的なものに立て直すこと。
小売業界では、老朽化した店舗や小規模店舗を閉店し、同じ商圏で、大規模の新店舗に置き換えることを指す。
昔から言われてきたことですが、戦争の目的の一つには、こういう側面もあるのです。
昔から現在まで、
「こういう冷徹非情なことを、定期的にやらなければ、地球の文明は発展や進化をしない」
こう思っているグループがあるのです。
その一方で、
「今が幸せだったら、それでいい。人間は、自然との共生のほうが大切で、そこまでやってまで、文明を発展させる必要などない」
こう思っているグループもいます。
日本においては、前者が、「神武派(弥生)」であり、後者が、「天照派(縄文)」になります。
学校においても、受験勉強をガンガンにやって、競争して賢くなることが好きな生徒と、学園生活を楽しみ、異性とデートしたりして、青春を謳歌することが好きな生徒に、大きく二つに分かれますね。
サラリーマンでも、仕事をバリバリやり、出世して偉くなることが好きな人と、仕事は、生活費を稼ぐためだと割り切って、趣味を充実させて、ノンビリと楽しく毎日を生きたいという人に、分かれると思います。
会社の場合、前者のバリバリタイプが多くなると、殺伐として、金の亡者の集団になりやすいです。
反対に、後者のノンビリタイプが多いと、安定期はいいのですが、激動期や低迷期は、害悪になります。
こういうタイプが多い会社は、景気が悪くなったりすると、倒産してしまいます。
これは、どちらがいいという話ではなく、それぞれの生き方の問題なのです。
戦争などの大規模な話ではなく、私たちが、身近に見聞きすることでは、ニュースなどで報道される、「立ち退き」の問題があると思います。
ある町の商店街の人々が、その土地で、これから先も、ずっと商いを続けたいという主張に対して、政治家や大企業などの権力者たちが、
「ここは将来、駅ビル開発で、大型のショッピングモールを建設するから、数年以内に、立ち退いてください!」
こう命令して、その付近の住民たちと、裁判をしたりして争うことは、よくあります。
1980年代のバブルの頃は、地上げ屋という集団が、ダンプカーで、立ち退かない店などに突っ込んだりする、荒っぽい事件もよくありましたね。
基本的な話をしておきましょう。
中学生の頃、社会科の時間に、「日本国憲法」を学びます。
その時に、「基本的人権の尊重」も知りました。
つまり、
「この土地で、平穏無事に、いつまでも幸せに暮らしたい…」
こういう願いをもっている人々を、強制的に排除するという行為は、憲法違反になるのです。
一方で、当時の教師から、このことも同時に教えてもらいました。
「公共の福祉」
こういう考え方です。
憲法には、このことも明記されているのです。
「状況によっては、大人数の利便性のほうが、少数の人々の幸せよりも、優先することもある」
ということです。
大昔から世界中で、こういう問題は常にあったと思います。
どんなに話し合っても、議論が平行線になるという状況になり、その街の全てが硬直状態になるということです。
大切なことは、
「人々は、その時に、どうしていたのか?」
ということです。
もちろん、話し合いで円満に解決できれば、それが理想です。
しかし、どうしても、人間同士では、解決できない問題が出てきた時に、人々は、
「苦しい時の神頼み」
これをやっていたのです。
そしてその時、その神頼みを聞いて、実行に移していたのが、どうやら、「アヌンナキ」の一族だったようなのです。
彼らは冷静に客観的に、その状況を把握します。
そして、全ての人々の潜在意識や集合無意識を読み取ります。
それから、過去や未来の世界も、全て透視します。
最後に、最大多数の幸福を基準に、決断をして行動していたようです。
ほとんどの場合、その結果として、
「いったん、リセットする」
という結論になることが多かったようです。
つまり、ちゃぶ台返しのように、無茶苦茶にするのです。
そして、スクラップ&ビルドを、人間にやらせるのです。
人間ではなく、神々になったつもりで、視点を上げてみてください。
ここでいう神々とは、この世界を創造した究極の神ではありません。
そもそも、創造主はスケールが大きすぎて、いちいち、人間にかまってはいられないようです。
この神々の定義は、人間よりも、ちょっとだけ進化した先輩のような存在、「アヌンナキ」のことです。
ちょっとした、シミュレーションをしてみましょう。
「もしも、東京大空襲がなかったら、今頃、東京は、どんな街になっているのか?」
という脳内ゲームです。
私の個人的な推察です。
もしも、あの空襲がなかったら、今でも戦前のままの町並みが、多く残っていたと思います。
人情味のある、温かい町並みだったかもしれません。
しかし、とても不便ですね。
現在の東京の街です。
空襲で、いったん、全てが更地になったからこそ、戦後の高度経済成長ができ、急ピッチでの復興作業ができたのだと思います。
こういう視点から見た場合、空襲の弊害もありますが、もしも空襲がなかったら、戦前のまま、時間が止まったような街になっていた可能性もあります。
つまり、
「日本が、先進国の仲間入りができなかった」
この可能性もあるのです。
もっと言います。
「それほど、文明が遅れた国だったら、当時の近隣諸国、中国や旧ソ連に、簡単に侵略されて、アメリカの占領下よりも、もっと酷い地獄の社会になっていた可能性もある」
さらに具体的に言いますね。
「もしも、東京大空襲がなかったら、10万人どころか、100万や1000万人の日本人が、中国やソ連の軍事攻撃によって、殺されていたかもしれない」
こういうことです。
ここまで考えたことがある人は、あまりいないと思います。
私たちの集合無意識は、どちらの街を、心の奥底で願っていたと思いますか?
おそらく、前者の「温かみはあるけど、不便で遅れた町並み」よりも、後者の「冷たいけど、便利で進んだ街並み」のほうを、神様にリクエストしていたと思います。
つまり、現在の大発展した東京の街を、私たちは、「神頼み」したということです。
昔は、ビル解体技術が未熟でした。
だから、空襲などによる破壊しか、方法がなかったのかもしれません。
現在は、1980年代から世界中で、とても進んだ巨大ビルの解体技術がでてきました。
だから今は、空襲などやる必要がないのです。
しかしここで、さらに重要なことは、
「では、目的のためなら、手段は選ばなくてもいいのか? たくさんの殺された人々は、どうなるんだ?」
こういう素朴な疑問が出てきます。
これに対する明確な答えなど、いまだにありません。
世の中には、こういう答えのない問題が、山ほどあるのです。
もしかしたら、亡くなった人々の魂は、そのことに同意をして、完璧なタイミングで、亡くなったのかもしれません。
でもこれは、あくまでも、スピリチュアルな仮説であり、検証したり実証することはできません。
答えではありませんが、ヒントになるかもしれません。
「空襲も原爆も、やったのは人間ですが、これをさせていた存在は、人間ではない」
ということです。
これほど酷い所業は、「悪魔」にしかできません。
「悪魔」という名前の神々です。
ここでは、
「神々が、なぜそれほど、残酷なことが、平気でできるのか?」
これについて、書いておきます。
この問題は、とても大切なことなのですが、なぜか、これについて言及する人が、ほとんどいないので、この機会に書いておきます。
名前のついている神々のほとんどは、肉体をもっていません。
いわゆる、霊体だったり、意識体だったり、光の存在だったりします。
だから、高尚なことが言えるのです。
彼らのメッセージを聞いていると、
「すべては完全です」
「すべての人を愛しなさい」
こういうことを言います。
耳障りがよくて、聞いていて癒される言葉ばかりですが、でも、肉体をもった私たちは、そういうわけにはいきません。
歯が痛いときに、
「全ての状況は完全です」
と言われても、
「いいから早く、この痛みを治したいよ! そういうことは、治ってから考えるよ!」
嫌な相手から、顔面をガツンと殴られて、前歯を折られて、口から血がダラダラと流れている時に、
「全ての人を愛しなさい」
と言われても、
「この野郎!」
と叫んで、自分も相手に、一発殴り返さないと、腹の虫がおさまらないのが、人間なのです。
誰も言わなかったことを、ここで言いますね。
「神々は、時によっては、とても鈍くて鈍感である」
こういうことです。
もっと言いますね。
「高次元の存在ほど、人間よりも劣っていて、バカな部分もある」
どうして今までに、これを言う人がいなかったのか疑問です。
私は、スピリチュアルなことを学び始めて、30年以上になりますが、常に、こういう意見をもっていました。
どんなに凄い存在だろうが、その教えを鵜呑みにすることはなかったのです。
逆にだから、ここまで、活動が続けられたのかもしれません。
「神々の言うことは素晴らしいが、全てを信じなくてもいい」
ということです。
ここに、パラドックスがあります。
「それほど、鈍くてバカな存在だからこそ、人間にできないことを、汚れ役として、遂行することができた」
という側面もあるのです。
シンプルにまとめると、
「神々だからこそ、人間のできない、残酷な仕事をすることができる」
こういうことです。
これからの時代は、それまで神々がやっていたことを、人間もできるようになっています。
地震、火山の噴火、津波、台風、洪水、などなど。
現在は、人間の技術でもできるのです。
それほど、鈍感ではない人間には、ある意味、やる側の権力者たちは、苦痛なのかもしれません。
これからの時代は、
「その時に、どうするか?」
それは、人間が決めることになるのです。
また、前置きが長くなりましたね。
旅行記に戻ります。
京都の調査の翌日、奈良県に向かいました。
午前中に、近鉄奈良駅で、友人たちと待ち合わせしました。
なんと、駅のロッカーに、荷物を入れようと思ったら、「ニコニコマーク」があり、ビックリしました。
こういうシンクロは、調査旅行の間に、頻繁に起こります。
近鉄奈良駅の改札口の近くで、記念撮影しました。
今回の調査旅行に、同行してくれた女神たちです。
この後、私たち一行は、奈良市内にある、「薬師寺」に向かいました。
そこには、とてつもない秘密が、私たちを待っていました。
次回に続きます。
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日本ピースツアー 4 長岡京
2018年5月に、「補陀落渡海」の調査で、関西をまわりました。
関西では、大阪にも行きました。
基本的には、「補陀落渡海」は、和歌山県の那智から、始まっているのですが、そこだけでなく、四国の高知県足摺岬のあたりなど、複数の場所で行われていたようです。
大阪や奈良にも、その痕跡が残っているのですが、それらの痕跡は、補陀落渡海の出発地だった所もあれば、「黒潮ロード」には乗らずに、別の潮流で流れ着いた漂着地、もしくは、そもそも、補陀落渡海を計画していた陰のフィクサーである、聖徳太子の作戦会議室だった所もあると思います。
だから、私は関西地方には、これらの3タイプの場所があったと推測しています。
2018年に、「空海 KU-KAI 美しき王妃の謎」という映画を観たのですが、「遣唐使船」が、日本海で嵐に遭遇して、大変な航海をやっている場面が、目に飛び込んできました。
学生時代、授業で習ったのは、
「遣隋使船や遣唐使船は、日本海の荒波で遭難した船が多く、無事に日本に帰国できた船は少なく、帰還率は6割くらいだった」
という話でした。
しかし、この話は根本的におかしな話です。
そもそも、日本を代表するようなエリートであり、将来有望な若者を、沈没する確率が、4割もある船旅に行かせるでしょうか?
わかりやすく、現代風に言い換えると、
「海外留学に行きませんか? そのかわり、往復の飛行機は4割くらい墜落して、乗客は全員墜落事故で死にます。それでも日本の将来のために、留学してくれませんか?」
こう言われて、その海外留学に行く学生がいるかという話です。
誰もいないと思います。
これが、遣唐使船です。
けっこう頑丈にできていますね。
そうなのです。
「遣隋使船」や「遣唐使船」も、「補陀落渡海」だったのです。
「天照派」の多くが僧侶になり、お寺を住処にしていた時に、お隣の中国にも大量に亡命していたのだと思います。
「日本には、もう居場所がない。大陸に行って、新天地で生まれ変わって、人生をやり直そう!」
こう思った人々が、乗船したのが、これらの船だったのだと思います。
「空海」は、その当時の天皇に頼まれて、後から、大陸に渡った亡命者たちの安否を、確認しに行ったのだと思います。
関西の神社には、このための作戦会議室も、いくつか存在していたのだと思います。
ご存知のように、大阪は川が多いです。
だから、「補陀落渡海」に関係していたと思われる寺や神社も、たくさんあります。
大阪では、いろいろ調べた結果、大阪府堺市あたりにも、これに関係していそうな寺を、いくつか見つけたので、そこにも行ってみました。
その中の一つの寺を紹介しますね。
着いてすぐに、門の前で記念撮影しました。
名前にも感動しました。
「月蔵寺」ですね。
「月」+「蔵」+「寺」=「臓寺」
つまり、日本において、「臓器のような役割をしていた大切な寺」
という意味です。
さらに、「青陽山」という文字にも、注目してください。
「お日様の光」、つまり、「陽」の色は、普通は、黄色や白、もしくは、オレンジや赤のイメージだと思います。
それが、「青」だと書かれているのです。
そうです。
太陽の光が、青くなる瞬間がありますね。
「日食」の時の「ダイヤモンリング」です。
つまり、この寺こそ、古代において、「天の岩戸開き」の象徴である、「日食」を暗号とするグループが集まっていた所なのです。
「青陽山」の「山」は、「領地」の意味も含みますね。
つまり、「天照派」の拠点だった所だということです。
おそらく、ここで、「補陀落渡海」の作戦も、練っていたのだと思います。
さらに、ここから、小舟を出したり、和歌山などからの小舟を、受け入れたりもしていたのかもしれません。
門の上の彫刻を見て、大感動しました~!
見てください!
静岡県や栃木県の「東照宮」に刻まれているものと、同じです。
「司馬温公の甕割り」の絵ですね。
これは、「補陀落渡海」の小舟から、僧侶を救出している場面だというのが、本当の意味です。
こういうことが、わかってくると、お寺をまわるのが、何倍も楽しくなります。
門をくぐって、境内を探索しました。
庭には、「復活」の象徴である、「蘇鉄」もありました。
屋根の鬼瓦は、顔が鬼で、身体が蛇、つまり、「宇賀神」を表現していました。
「天照派」の始祖である、「イザナギ」ですね。
「小舟」の石碑も、目に飛び込んできました。
「この石碑があるところは、全て、補陀落渡海に関係している所である」
「天照派(縄文)」のグループは、あまり目立つことを好まなかったようです。
なぜならば、派手なことをやると、「神武派(弥生)」から、目を付けられて、また弾圧や迫害をされると思っていたからです。
だから、この「ミカングループ」の歴史は、ほとんど残っていなくて、わかりにくいのです。
わかりやすいように、地図を90度回転させました。
住宅街の白くて細い道に、注目してください。
ついでに、赤線で補助線を描きました。
右側を向いている「船」の絵が、わかりますか?
ハイ!
「遣隋使船=遣唐使船」ですね。
つまり、この道路で描かれた地上絵は、「遣隋使船=遣唐使船」 の絵だったということです。
「補陀落渡海」が、西暦600年~1700年くらいの期間に、行われていたようですが、「長岡京」という都が存在していたのが、西暦784年11月11日~794年10月22日だと言われています。
そして、「遣唐使船」が運航していた期間が、630年~894年で、回数は、20回だったという説が有力みたいです。
そうなのです。
期間が被りますね。
この都は、「天照派(縄文)」のグループが、「神武派(弥生)」のグループから逃げるための場所だったのです。
シンプルに言うと、
「大陸への亡命の準備をするための都」
「大陸への亡命」の痕跡は、日本各地にあります。
2020年、新潟県の佐渡島に行った時の発見です。
「黒木御所跡」に立ち寄りました。
佐渡市泉甲にあります。
この近辺も探索しましたのですが、その時に凄い発見がありました。
最後の最後に、地元の方の案内で、ここにフラリと立ち寄ったのです。
「国賓殿」と書かれていますね。
中に入って、驚嘆しました。
「オオ!!」
ここでも、大声をあげてしまいました。
わかりましたか?
「普陀落山(ふだらくさん)」と書かれていますね。
つまり、ここでも、「補陀落渡海」が行わていたということです。
「橘」のシンボルもありました。
「聖徳太子」ですね。
この写真を、Facebookに掲載した時に、長崎県の友人、タウリンさんが、
「補陀落渡海と普陀落渡海、補と普、この二つの漢字の違いは、なんでしょう?」
こういう問いかけのコメントが、投稿されたのですが、この質問には、凄い秘密が隠れているような気がして、それから悶々としながら、いろいろ思索していました。
こういう視点は、裏の日本史を、とことん知り尽くしていないと、出てこない疑問です。
私も以前から、この漢字が、二種類あることが、引っかかっていたのですが、この時、改めて再考するキッカケになりました。
いろいろ考えた結果、この時に、ある仮説が浮かび上がってきました。
それは、
「補陀落渡海は、国内における亡命で、普陀落渡海は、国外への亡命だったのではないだろうか?」
こういう仮説です。
2018年の8月に、長崎県の島原半島を調査した時に、大収穫がありました。
南島原市加津佐町本岩戸という所に、とても重要な土地が隠れていました。
ここに、「巌吼寺」という寺があります。
「普陀山」という山号がついています。
明らかに、「補陀落」の意味ですね。
これと同じ名前は、お隣の中国にもあります。
「普陀山」は中華人民共和国浙江省・舟山群島にある島と書かれています。
ここです。
中国四大仏教名山(仏教の聖地。五台山、九華山、峨眉山、普陀山)の一つで、観音菩薩が祀られているそうです。
年間360万人を超える観光客が訪れる、観光地でもあります。
ここも、「補陀落渡海」の場所だったと思います。
これは、タウリンさんが発見した石碑です。
これなどは、古代史マニアからすれば、世紀の大発見です。
「南補陀」という文字が刻まれていますね。
つまり、長崎県の島原半島でも、「補陀落渡海」が行われていたということです。
そして、それは、国内向けの「補陀落渡海」と国外向けの「普陀落渡海」、この二つがあったということです。
後者の「普陀落渡海」は、中国の舟山諸島にある、「普陀落山」に行ったのだと思います。
ご存じのように、中国という国は、現在でも、「黄河」と「揚子江」という大河が流れています。
位置的に、日本から流れ着いた舟は、主に、「揚子江」から、大陸の内部に向かったと思います。
その先には、当時の「長安の都」や「洛陽の都」などもありました。
さらには、最終的には、「チベット」まで行けたと思います。
このような所は、太古の昔、日本人である、「天照派」の人々が、亡命した先だったのです。
「一度、死んだふりをして蘇る」
これが、「天照派」でしたね。
「黄河」や「揚子江」という河は、行ったことはないのですが、「黄砂」でもわかるように、土地が、黄色の所があり、河の色も、黄色の所があるそうです。
そこで、思い浮かんだのは、
「天照派たちが、亡命する時、この黄色の河を通って、新天地に行き、生まれ変わって、新しい生活を始める。この時の河のことも、黄泉の河や黄泉の国と呼んだのではないだろうか?」
こういう仮説です。
いつか、これも調べに、中国やチベットにも行ってみたくなりました。
ちなみに、「普」という文字は、「普遍的」という表現にも使われるように、「広い世界」というニュアンスもあると思います。
語源を調べると、象形文字でもあるようです。
「太陽の光が、広くゆきわたる」
というのは、
「普く(あまねく)光」
これの意味でもありますね。
「天照派」のことですね。
太陽の上に、二人が立っているのは、もしかしたら、「イザナギ」と「イザナミ」かもしれません。
面白いですね。
さて、旅行記に戻ります。
「遣唐使船」の地上絵の中には、意味深な神社や寺もありました。
気になった所に、行ってきました。
「誕生寺」という寺がありました。
「新しく生まれるための寺」
この意味ですね。
かなり広いエリアなので、タクシーでまわりました。
着きました。
「誕生寺」の入口です。
本堂の前で、記念撮影です。
手水舎に、大感動しました。
見てください!
普通は、「龍」などの口から、水が出てきますね。
それが、観音様が一人で、立っています。
ハイ!
一人乗りの小舟、「補陀落渡海舟」ですね。
仮説を立て、現地に向かい、こういう状況証拠を発見する瞬間が、最高にワクワクします。
説明書きがありました。
この辺りでは、一番大きいと思われる神社、「久我神社」もありました。
ここにも向かいました。
日本史において、最重要なのは、
「日本には、絶対に戦わないことを誓ったグループがあった」
ということです。
そして、このグループは、「9」という数字を、シンボルマークにしています。
おそらく、勾玉の形を表現しているのだと思います。
子宮の中の「胎児」の形でもありますね。
「命を大切にする」
こういう姿勢なのだと思います。
「久我神社」の読み方は、「久我(こが)」と読むそうですが、私には、「久」は、「九」に見えました。
つまり、この名前の真意は、
「我らは九である」
こういう意味なのだと推測しました。
現在の「平和憲法」である、「憲法第九条」は、このグループの信条みたいです。
そして、これは、アルファベットの「Q」でもあるようです。
何がいいたいのか、だんだん、わかってきましたか?
前回の記事で、
「イザナギとイザナミには、38人の子どもがいた」
と書きましたが、これをもう少し説明しますね。
「イザナギ」と「イザナミ」の二人が、地球に、一番最初に降臨した神様であり、人間だったようです。
場所は、現在の丹後半島だったようです。
具体的には、「籠神社」の奥宮である、「眞名井神社」だったそうです。
最初の人間である、この二人の魂は、宇宙の創造主からの分け御霊であり、宇宙から地球にやってきたそうです。
地球に到着すると、そのまま風にふかれながら、ふらふらと漂い、この土地に、ふわりと舞い降りたそうです。
なんと、松の木の上にあった、「コウノトリ」の巣に、スッポリと入ったのだそうです。
「コウノトリ但馬空港」のロビーにあった、「コウノトリ」の巣」のレプリカです。
それから、二人の魂は、巣と一緒に海に落ちて、しばらく海を漂ったそうです。
その時に、何度も何度も脱皮を繰り返して、だんだん、人間の姿になっていったそうです。
その間、ずーっと、「コウノトリ」の群れが、外洋に流されないように見守っていたそうです。
昔から、世界中に、
「コウノトリが、赤ん坊を運んでくる」
という話がありますが、これが由来だそうです。
京都府の「舞鶴」という地名も、元々は、
「コウノトリが、舞い戻った」
ということから、できた名前だそうです。
最終的には、二人の入った巣は、舞鶴の丹生川の入江の辺に辿り着き、山羊の乳を与えられながら、洞窟の中で、動物たちに見守られながら育ったそうです。
丹後半島には、「コウノトリ」を神様として、祀っている神社もあります。
「久久比神社」という名前です。
こういう神社が、昔からあるということが、有力な状況証拠になるのです。
先ほどの「コウノトリ」の話が、まったくのデタラメであれば、こういう神社など、そもそも存在しないのです。
私が調べたところ、関西地方に住んでいた、「天照派」の人々は、出雲地方にも拠点を移したグループが、一部いたようです。
その痕跡が、現在でも「出雲大社」に残っています。
広い境内の中に、こういう細長い祠が二つあることに、気が付いた人も多いと思います。
これは、東に「十九社」あり、西にも「十九社」あるそうです。
ハイ!
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。
「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。
2018年に、「出雲大社」に行ったのですが、これを知って驚きました。
見てください。
「十九社」の御祭神が、「八百万萬神」と書かれています。
いわゆる、「八百万の神々」ですね。
つまり、旧暦10月に、毎年、全国の「八百万の神々」が出雲の国に集まり、他の土地では、神様が留守になるので神無月で、出雲では神在月になるのですが、ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。
このグループは、その後も、少しづつ日本中に散らばり、歴史の表舞台には出ないで、裏から地味な活動を続けていたようです。
38人の子供たち、つまり、「八百万の神々」の痕跡は、日本中に、たくさん残っているのですが、このグループは、とても地味でシャイで謙虚なので、あまり表舞台には出てきません。だから、あまり大きな観光地にデカデカと、その名前が掲げられていることも、めったにありません。
ひたすら、裏方に徹するグループなのです。
私は、このグループの魅力に魅せられて、2018年に、日本中を調査して、まわりました。
これは、福井県福井市にある町です。
「三十八社中」と書かれていますね。
奈良県御所市北窪にある、「高天彦神社」の境内社で、「三十八社」と書かれています。
こちらも、奈良県にある、「三十八柱神社」です。
滋賀県大津市にある、「石山寺」にも、「三十八社」があります。
「イザナギとイザナミ」、「八百万の神々(38人の子供)」は、いろいろなシンボルに隠されています。
このファミリー、そして、リーダーが合わさった名前が、実は、
「観音」
この名前だったのです。
まず、「観」という文字です。
わかりましたね。
「コウノトリ」+「人」=「観」
こういう意味だったのです。
つまり、
「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」=「観」
こういう意味です。
そして、「音」という文字です。
最初、この象形文字の意味が、わからなくて困ったのですが、ちょっと考えたら、すぐにわかりました。
古代史マニアの間では、わりと知られていることですが、
「聖徳太子=ダース・ベイダー」
という説があります。
つまり、「音」という象形文字は、逆さまにすると、「ライトセーバー」に見えるのです。
柄の上に、レーザー光線のような刃の部分があったと思えば、辻褄があいますね。
ブ~~~ン
という、「ライトセーバー」の独特の音が、「音」の意味だったのではないでしょうか?
まとめると、
「観」=「コウノトリ」+「イザナギとイザナミ」
「音」=「ライトセーバー(聖徳太子の剣)」
これらが、合わさった単語だというのが、私の仮説です。
つまり、「天照派」だということです。
「イザナギとイザナミ」のシンボルが、「目の赤いコウノトリ」だということです。
この人類全体の親は、子供を愛しているがゆえに、「悪い子」には罰も与えます。
「悪魔崇拝の人々」が悪さをやって、最初に、「目」で苦しむのは、もしかしたら、この人類全ての親からの罰であり、呪術かもしれません。
「出雲大社」の秘密が、「19組(38人)」の「八百万の神々」だと前述しましたが、実は、いろいろな仏像にも暗号として、この家族のナンバーが表現されています。
これは、「千手観音」ですね。
この仏像の手は、実は、前方で合掌している腕は、4本あります。
これは、「イザナギとイザナミ」の二人の腕みたいです。
そして、右側に19本、左側にも19本で、合計38本の腕があります。
「千手観音」=「イザナギとイザナミ」+「八百万の神々(38人の子供)」
こうなるのです。
これが、大昔から続いてる、「観音信仰」の秘密だったのです。
地球で、一番最初に誕生した家族のことだったのです。
ここで大切なことは、「良い子」と「悪い子」の両方の親だということです。
だから、「天使」と「悪魔」の両方の親だということです。
「善」も「悪」も、両方とも仕切っているということです。
最近の表現をすると、現在、地球上では、「Qアノン」と「ディープステート」と呼ばれている、「善のチーム」と「悪のチーム」がいるとされていますが、両方とも、「観音」が支配しているし、管理もしているということです。
「観音信仰」というのは、このように、地球人の全ての親を敬うということだったのです。
繰り返しますが、「イザナギとイザナミ」の魂は、最初は、「勾玉」の形をしていたようです。
だから、「9」や「6」という数字も、そのシンボルになるようです。
そして、アルファベットの「Q」も、同じように、そのシンボルだったようです。
裏の歴史を調べると、この家族の子供たち、「八百万の神々」が、いろいろな戦争なども、計画して実行していた痕跡が、たくさんあります。
「八百万の神々」が、計画して実行する戦争のことを、「八百長」というのです。
地球の歴史において、プロレスで言えば、「善玉レスラー」も「悪玉レスラー」も、両方とも管理して、筋書き通りに動かす、「プロモーター」や「マネージャー」のような存在だったのです。
静岡県の藤枝市に、「田中城」というお城があります。
ここは、お城マニアの間では、有名な城で、とてもユニークみたいです。
一つ目の特徴は、日本で唯一、たった一つしかない円形のお城であるということ。
二つ目は、武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、これらの4人が宿泊・滞在したことがあるお城であるということ。
三つ目は、徳川家康の死因となったと言われている、鯛の天ぷらを食べたのが、この城ということです。
この4人の武将が、ここの呼ばれていたということは、
「ここに、作戦本部があったかもしれない」
という仮説が立ちますね。
つまり、「日本史」というストーリーの筋書きが、ここで書かれて、この4人の武将、つまり、役者である、「プロレスラー」に、歴史を実行させた存在、「プロモーター」や「マネージャー」がいたかもしれないということです。
この城を見てください!
わかりましたね?
「Q」
このアルファベットの形になっていますね。
そうなのです。
現在でも、地球上で起こっている出来事、戦争を含めて、災害も疫病も、政治や経済も、全て、このグループが仕切っているのです。
「観音」→「カンノン」→「クワノン」→「キューアノン」→「Qアノン」
こうなるのです。
ちなみに、このグループは、自分いろいろな理由で、
「直接は自分で手を下すことはしない」
という絶対ルールがあります。
だから、有能で愛と平和な世界を実現させそうな人を、陰からサポートするという方法をとります。
その一人が、ケネディ大統領でした。
アーリントン墓地にある、彼のお墓です。
「Q」の文字が、わかりますか?
最近では、トランプを、陰からサポートしていましたね。
「観音」のチームは、「Qアノン」だけでなく、「ディープステート」、つまり、「カバール」や「悪魔教」の親分でもあるということです。
具体的には、「天皇」が、両方のグループのトップだということです。
つまり、「八百長」をやらせているのです。
だから、いいのです。
「プロレス」というショーは、ご存じのように八百長ですが、これがもしも、真剣勝負だったら、毎回の試合で死人が続出します。
現在の地球上の戦争も、すべて八百長ですが、だから、地球という惑星が粉々になって吹っ飛ぶような全面核戦争は、避けることができるのです。
「八百長」が地球を守ってるのです。
その守っているグループが、「観音」なのであり、「八百万の神々」でもあり、トップは、「天皇」だということです。
トランプは、若いころ、「プロレス」ともビジネスで関わっています。
ハルク・ホーガンとアンドレ・ザ・ジャイアントに挟まれている真ん中の人物が、若い頃のトランプです。
「マネージャー」として、リングにも上がっています。
つまり、「観音」のグループである、「八百万の神々」から、
「この政治家は、愛と平和のグループでもあるし、八百長も得意そうだから、この男に、地球の大掃除をしてもうらおう!」
こう期待されて、ヘッドハンティングされたのかもしれないということです。
オマケの話です。
1年以上前、「新型コロナウイルス」の感染拡大の騒動が始まったのは、どこでしたか?
「武漢」でしたね。
ここは、おそらく、「神武派」の拠点だったのだと思います。
「武の漢たち」が、たくさんいたと思います。
そして、「コロナ」は、「天照派」のシンボルである、「日食」の時に見える、太陽の妖しい光の意味もありますね。
だから、今回の世界的な「新型コロナウイルスの騒動」も、「神武派」と「天照派」の頂上決戦だということです。
そして、「新型コロナウイルス」のことを、「COVID19」こう書きますね。
一般的には、別の意味ですが、私はこう解釈します。
「COVID19」=「CO(一緒に)」+「V(勝利)」+「IDは19」
これを意訳しすと、こうなります。
「一緒に勝利しましょう! 大丈夫です! 私たち、19組(38人)の八百万の神々が、陰でサポートしていますよ!」
ここが、正念場なのです。
世界中に散らばっている、「天照派」の人々も、今懸命に、自分たちの得意な戦い方で、戦っています。
それは…
「Stay Home (ステイホーム)」=「引きこもり」
なのです。(笑)
もうすぐ、長い闇が終わり岩戸を開き、光の世界がやってきます。
新しい時代は、もう目の前です。
話を旅行記に戻します。
「久我人神社」から、タクシーで、ちょっと走った所に、「観音寺」もありました。
着きました。
シュメール文明の壁画に描かれているロケットです。
スペースシップというのは、その時代の人々が、ショックを受けないように、人々の集合意識が望んでいる姿で現れるので、この時代には、こういう形で、飛んでいたのだと思います。
「長岡天満宮」の地図を、あとから見て、驚きました。
なんと、このロケットが、地上絵としても描かれていたのです。
その前に、おさらいしましょう。
宇宙人ファミリー、「アヌンナキ」ですが、皆、自由自在に、身体を、アクセサリーのように、変化させることができたので、あまり容姿には、こだわっていなかったかもしれませんが、父親の「アヌ王」は、背中に羽を生やした姿を、好んだそうです。
「アヌ王」の姿だと言われているものです。
ゾロアスター教の「アフラ・マスダ」でもあります。
背中から、羽根が生えていますね。
息子の一人、「エンリル」も、こういう姿を好んだと思われます。
日本では、「天狗」と呼ばれているグループです。
「エンリル」の孫娘である、「イナンナ」も、背中から羽根を生やしている姿もありますね。
「アヌンナキ」たちは、背中から羽を生やす姿を好んだグループが、多かったということです。
昔のヨーロッパの宗教画に描かれる、「天使」なども、このグループの存在が多いと思います。
一方で、「アヌ王」のもう一人の息子である、「エンキ」は、母親が、「蛇(龍)」の宇宙人だったために、下半身は、「蛇(龍)」だったようです。
日本では、「宇賀神」ですね。
これは、「エンキ」が、人間たちに、知恵を授けている様子の絵だそうです。
聖書の中に出てくる、「エデンの園」で、アダムとイブに、知恵の実を食べさせた「蛇」は、「エンキ」だと言われています。
真ん中の木に、巻き付いている存在です。
これは、中国古い絵です。
「伏羲」などと呼ばれている存在です。
彼らも、「エンキ」のグループですね。
地球文明の歴史の中で、「エンリル」と「エンキ」という宇宙人の兄弟が、長いこと対立していたようですが、この二人の兄弟のシンボルが、二つに分けられるのです。
これは、私の独自の仮説です。
「エンリル」のグループ=「鳥(鳥類)」=「陸と空」
「エンキ」のグループ=「蛇(爬虫類)」=「海と湖(池)」
こういう流れです。
日本風にアレンジした、グループ分けです。
「エンリル」=「鶴」
「エンキ」=「亀」
つまり、「鶴」と「亀」のグループは、単純に、地球文明の発祥の時に分かれた、二人の兄弟グループのことだと思うのです。
一般的に言われている説で、
「伊勢神宮」=「鶴」
「出雲大社」=「亀」
というのもありますね。
これは、そういう意味だと思います。
「かごめかごめ」の歌に出てくる、
「鶴と亀がすべった」
という歌詞は、いろいろな解釈ができますが、その中に、
「鶴と亀が総べった」
といって、
「両者が、和解したり融合した」
という意味の解釈もあります。
両者が融合した姿が、わかりやすく描かれている壁画が、世界中にあります。
南米の壁画です。
「龍形のロケット」に、「人間型の宇宙飛行士」が乗船して、操縦しているように見えます。
この人間型(天使型)の「エンリル」、それから、爬虫類型の「エンキ」が、合体した姿だともいわれています。
つまり、「鶴と亀が統べった」というシンボルなのです。
これも、有名な壁画ですね。
このように、太古の時代、地球を訪れていた、「アヌンナキ」の一族は、「龍(スペースシップ)」と「人間(操縦士)」という姿で、登場することも多かったようです。
なっ、なんと、「長岡天満宮」には、この地上絵があったのです!
まず、普通の地図です。
これでは、よくわかりませんね。
まだまだ、「長岡京」は、奥が深そうです。
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日本ピースツアー 3 補陀落渡海
「補陀落渡海」の話も、再度、簡単に書いておきますね。
前回の記事で書いたように、古代の日本は、ある期間、二つのグループが存在していたそうです。
一般的な名称としては、「弥生人」と「縄文人」です。
もう一度、書いておきますね。
〇「リンゴグループ」=「弥生」
〇「ミカングループ」=「縄文」
「弥生人」は、大陸からやってきたグループであり、「聖書」に書かれている神様たちです。
「縄文人」こそが、ネイティブジャパニーズなのです。
生粋の日本人は、彼らなのです。
日本人の始祖である、「イザナギ」と「イザナミ」が、このグループの両親になります。
太古の日本においては、「イザナギ」と「イザナミ」が、最初に日本の国造りをしたそうですが、これは、絶対平和主義のグループで、本当に「愛の存在」だったそうです。
これが、「縄文」です。
それに対して、後から、日本の土地にやってきた、「神武天皇」は、大陸からやってきた渡来人や帰化人のグループと組んだ、「権力志向の存在」だったそうです。
これが、「弥生」です。
かなりの長期間にわたって、「弥生(リンゴ)」が「縄文(ミカン)」を弾圧したり圧政下におくということを、続けていたそうです。
「愛の存在」である「イザナギ」と「イザナミ」は後に、38人の子供を生んだそうです。
この子孫が、日本の古代史において、とても重要な流れなのです。
38人は、その後に、たくさんの子孫を増やしたそうです。
この一族の直系である、長男と長女の子孫は、「大丹生・皇」の称号を名乗り、後に、「天皇家」になったそうです。
ある時期に、この子孫の一人が、「初代天照(アマテル)」を名乗ったそうです。
この頃から、「天皇」という称号が、生まれたそうです。
念のために書いておきますが、この天皇は、古事記などに登場する、「アマテラス」とは別人で、意味も違うそうです。
「古事記」は、後の天皇などが、かなり歴史を湾曲して書いているそうです。
しかし、私が、いろいろ調べたところでは、まったく関係ないわけでもなく、こういう名前が似ている人物やグループなどは、同じ魂の仲間だと思っています。
「初代天照(アマテル)」の時代から、何百万年も経った後、新しい時代が始まったそうです。
その時代は、それまでの平和な時代ではなく、動乱の時代になったようです。
きっかけは、大和地方に、「神武天皇」がやってきたのが、始まりだったようです。
この天皇のグループは、権力志向だったようです。
「神武天皇」は、シュメール文明の神様の中では、「アヌ王」と「エンリル」の二人の魂が融合したような存在だったと、私は思っています。
「縄文」のグループは、「平和」が何よりも大切だと思っていて、「自由」や「知恵」、それから、「愛」のグループだったと思います。
そして後から、日本の歴史に登場した「神武天皇」が、「平等」を大切だと思っている神様だったようです。
さらに、「力」の崇拝者でもあったようです。
権力によって、人々を平等に統治するという考え方ですね。
私は、どのグループがいいとか、悪いとかの判断は、やらないほうがいいというスタンスです。
国政というのは、世の中の状況によって、穏やかに統治したほうがいいこともあれば、多少は荒っぽく、人々を弾圧しなくては、治まらない時もあるからです。
この二つのグループを、さらに、わかりやすく表現すると、
〇「弥生(リンゴ)」=「現実主義」
〇「縄文(ミカン)」=「理想主義」
こうなると思います。
現在の日本でも、これは、引き継がれていて、目まぐしく変化する国際情勢の中で、常に、「理想」と「現実」の問題で、政治は論争されますね。
具体的には、「平和憲法」と「自衛隊」の問題なのです。
これも、いろいろな見方ができるので、
「どの意見が正しいか?」
というのは、とても難しい問題なのです。
「弥生」の人々は、別名、「神武派」とも呼ばれています。
リーダーが、神武天皇だったからです。
彼らの書いた国史が、「古事記」や「日本書紀」であり、だから、日本の初代天皇は、「神武」になっているのです。
一方の「縄文」の人々は、別名、「天照派」とも呼ばれています。
「天照大神」とは、直接は関係ないのですが、性格が似ているのです。
つまり、このグループは、
「絶対に戦わない」
という共通の姿勢があるのです。
古事記には、「アマテラス」が、弟の「スサノヲ」の乱暴ぶりに、腹を立てる場面がありますが、その怒り方が、ユニークなのです。
ご存知のように、天岩戸に隠れるのです。
要するに、「引きこもった」ということです。
本来の日本人の怒りの表現は、これなのです。
たとえば、江戸時代なども、「鎖国」をやっていますが、あれは、当時の日本人たちが、西洋人たちが、「大航海時代」などと言って、世界中を植民地化して、残酷で酷い行いをしているのを見て、怒ったのだと思います。
「あんな野蛮な人たちとは、お付き合いできません」
こう思って、国内に引きこもったのが、あの時代だったのだと思います。
おそらく、現代の日本でも、「ニート」や「引きこもり」をやっている若者は、世の中に対して、怒っているのだと思います。
生粋の日本人の怒りの表現は、「引きこもる」のです。
それに対して、「神武派」は怒ると、相手を殺したり、殴ったり、怒鳴ったり、場合によっては、戦争をしたりします。
怒りの表現の仕方が、ストレートで、わかりやすいのです。
この視点から見ると、現在の日本人にも、「天照派」と「神武派」の二つのタイプの日本人がいるような気がします。
現代の日本の社会では、やはり、「天皇家」は、「天照派」だと思います。
そして、「内閣」に代表されるような政治家たちは、「神武派」が多いような気がします。
私は完全に、「天照派」ですね。
あなたは、どのタイプですか?(笑)
「縄文(天照派)」の話を続けます。
ツインレイとして、丹後半島に生まれ、38名の子供を産んで育てた二人は、「初代」の「イザナギ&イザナミ」です。
それから、1500代も、この系統は続いたそうです。
それぞれの平均寿命も長く、3000歳くらいまで生きたそうです。
そして、最後である、1500代目の「イザナギ&イザナミ」の子供が、「天照派」の初代になる、「天照天皇(アマテルカミ尊)」という男性だったそうです。
それにしても、「神武派」の弾圧は、いろいろな理由から、徹底的に酷くやったようで、「天照派」のグループは、ある時期は、生きていくのに最低限必要な、土地や仕事も奪われて、「ホームレス」のような身分になってしまったそうです。
部落差別の問題も、このあたりの歴史も関係しているそうです。
古事記の「天照大神」に代表されるように、生粋の日本人というのは、本来、争ったり、喧嘩したりすることが、とても苦手な民族みたいです。
とても愛に満ちていて、平和が好きな民族なのです。
何かに腹を立てて怒っても、相手に仕返ししたり怒鳴ったりせずに、静かに、その場を立ち去ったり、無言になったり、無視するという態度をとります。
本当に頭にきた時も、天岩戸に隠れるように、「引きこもる」という行動で、抗議するのです。
何かに対する怒りが、頂点に達しても、頭にきた相手を殺すのではなく、その怒りを、自分に向けたりして、自殺という抗議行動を選択する人も多いのです。
現代の日本において、多くの人々、特に感性が豊かで、敏感な若者たちが、引きこもったり、ニートになったり、登校拒否や出社拒否、それから、すぐに職場を辞めて、転職を繰り返したりするのも、静かな怒りの表現なのだと思います。
社会に対して、無言の抗議をしているのです。
ストレートな感情表現に慣れている大人たちは、これらの行動が、わかりません。
「どうして、学校に来なくなったんだろう?」
「どうして、入社したばかりの会社を、すぐに辞めたりするんだろう?」
「どうして、いつまでも親元にいて、社会に出て働かないんだろう?」
こう思っていると思います。
これが、彼らの怒りの表現の仕方なのです。
口に出して、反論したり、抗議したりしないのです。
「静かな怒り」
なのです。
これは、政府に対してもそうです。
あまりにも酷い政治をしても、生粋の日本人の多くは、大規模なデモなどの行動はしません。
ただ単に、
「投票に行かない」
という無言の抗議行動をします。
もう一度まとめますね。
「神武派(弥生)」に代表される、「武闘派」、それから、「天照派(縄文)」に代表される、「穏健派」、古代の日本には、この二つのグループが、存在していたようです。
「神武派(弥生)」は、「天武天皇」などのように、名前に、「武」が入っている天皇が、多かったみたいです。
文字通り、イケイケの武闘派が多かったようです。
このグループは、前述したように、「イザナギ」と「イザナミ」の「38人の子供」の直系の子孫である、穏健派の「天照派(縄文)」を弾圧していたようです。
調べてみると、古代の日本は、最終的には、
〇「リンゴグループ」=「京都」=「神武派(弥生)」=「北朝」
〇「ミカングループ」=「奈良」=「天照派(縄文)」=「南朝」
こうなったそうです。
そして、奈良を拠点にした、「天照派」が、リーダーとして選んだ天皇が、「後醍醐天皇」だったそうです。
「北朝」と「南朝」には、いろいろな複雑な流れがありますが、その根底には、この二つのグループがあったということがわかって、納得しました。
歴史に登場する、「空海」などは、この二つのグループの狭間で、苦しみながらも、「天照派」のグループをこっそりと助けていたようです。
「空海」は、うまく助けていたようです。
「天照派」の一部を四国に逃がして、四国八十ハ箇所に見張り番を置き、「神武派」から匿っていたそうです。
「天照派」の子孫たちは、その後、日本史の中で、途中から入ってきた外来の宗教である、「仏教」を隠れ蓑に活用したようです。
たくさんの人々が、僧侶になり、お寺に身を隠していたようです。
これらの歴史を、さらに突っ込んで考えてみましょう。
こういう話を知ると、なんとなく、「神武派」が、極悪非道の存在に感じますが、物事には、いろいろな解釈ができます。
もしも、日本の国土に、穏やかなグループである、「天照派」だけが、住んでいたら、その後の大陸からやってきた、「元寇」などの襲来には、とても対抗できなかったと思います。
「神武派」は、まだ、弾圧したりしただけですが、もしも、「元」の軍隊が、日本を支配していたら、「天照派」は、拷問さたり、虐殺されていたかもしれません。
日本にも、「神武派」のような武闘派は、必要だったのです。
「ドラえもん」という漫画に、「ジャイアン」というガキ大将が出てきますが、たまに、隣町の不良グループがやってきたら、彼が、率先して、その不良グループから、「のび太」などの町のメンバーを、守ったりするシーンが出てきます。
「蛇の道は蛇」
「毒を以て毒を制す」
こういう諺もありますね。
「悪」に対抗できるのは、やはり、「悪」なのです。
だから、私の中では、
「神武派」=「ジャイアン」
「天照派」=「のび太」
こういう解釈になっています。(笑)
大学時代、心理学の教授から、面白い話を聴きました。
その教授が言っていました。
「人間というのは、競争をすればするほど、賢くなるし、強くなる。しかし、同時に、自分さえよければいいという、利己主義になり、人格が悪くなる。嫌な人間になるのです。一方、競争を全くやらないと、誰にでも好かれるような、愛情深い人格になりやすいです。いい人になるのです。しかし、同時に、いつまでたっても、賢くもならないし、強くもなれないのです」
「競争」と「知能」と「人格」は、こういう関係にあるということでした。
つまり、「神武派」は、競争が好きで、どんどん賢く強くなって、権力を握ったいったグループだったのだと思います。
一方の「天照派」は、競争が嫌いで、ひたすら皆と楽しく、幸せに暮らすことに、主眼を置いたグループだったのだと思います。
どちらも偏っていたのです。
英語の「ライバル」という単語は、「川」を意味する「リバー」と、語源的に似ているという話を、ある本で読んだことがあります。
つまり、人間というのは、大昔から、よく、川を挟んで、「A」という村と「B」という村に、分かれたのです。
その川を境にして、村や町が生まれて、お互いに、土地や農作物などの問題で争うことが、多かったのです。
「ライバル」という単語が、それほど、悪いニュアンスだけではないことからも、わかるように、こういう争いによって、お互いに、切磋琢磨して、文明を向上させてきた面もあります。
日本風にいうと、「好敵手」ですね。
お互いに、戦争することもあれば、協力して、お祭りをしたり、いろいろと複雑な人間模様が、多く生まれたのが、「川沿い」という土地なのです。
「競争」という行為自体は、中立なのです。
それが、ネガティブに表現されたものが、「戦争」であり、ポジティブに表現されたものが、「祭り」であったり、「オリンピック」などのスポーツの祭典だったりするのです。
ここからは、私の想像ですが、おそらく、「神武派」が、あまりにも酷い弾圧をしたので、さすがの「天照派」も、いろいろな対抗策を考えたと思います。
それは時に、「働かない」というストライキだったり、究極の抗議行動として、「自害する」という人々も、たくさんでてきたのかもしれません。
考えてみれば、わかりますが、人々の上に立ち、威張りたい権力志向の人々も、下の人々がいるから、威張ることができるのです。
下の人々が、奴隷のように働いてくれないと、豊かな生活はできないのです。
そこで、ある時期に、
「まあまあ、そんなに怒るなよ。仲直りしようぜ。! そうだ! 一緒にお祭りでもやらないか?」
「神武派」のグループが、「天照派」のグループに、こうやって、下手に出るという懐柔策を、提案したことがあったそうです。
そこで、「神武派」が、真っ先にやったのが、京都の町に、「上賀茂神社」という神社を建てたそうです。
それから、「下鴨神社」という神社も建てたそうです。
そして、二つのグループの仲直りを兼ねて、盛大なお祭りをやったそうです。
それが、「葵祭」だったのです。
日本で最初の、全国的なお祭りだったそうです。
昔は、「祭り」といえば、「葵祭」のことを意味するくらい、「祭り」の代名詞になるくらいのイベントだったようです。
「向日葵(ひまわり)」という単語を見てもわかるように、「葵」には、本来、「ひまわり」の意味も含んでいたそうです。
つまり、
「向日葵」=「太陽」
ということです。
「葵祭」というのは、
「この世の中の全ての人々が、愛の光で、包まれますように…」
こういう願いを込めた儀式だったそうです。
数年前に京都に行った時、「上賀茂神社」の拝殿の前の「立砂」というのを見ました。
「盛砂」とも言うそうです。
「立つ」とは、「神様の出現」に由来する言葉らしいですね。
あとで知ったのですが、この二つのピラミッドは、「天照派(縄文)」と「神武派(弥生)」の二つのグループを表現しているそうです。
「これからは、二つのグループは協力して、仲よくやっていこう!」
ここで、そういう取り決めをしたのだそうです。
「神武派(弥生)」と「天照派(縄文)」が、京都の「葵祭」をキッカケに、急速に仲直りをしたのですが、しかし、いつの時代でも、どこの国でも、気が強い子供と気が弱い子供が、一緒に遊んだら、気が弱い方の子供は、毎回、ナメられて、イジメられ、不愉快な思いをするというのは、普遍の事実だと思います。
おそらく、穏健派の「天照派」の人々は、武闘派の「神武派」から、いろいろな圧力によって、精神的にも、肉体的にも、とても不自由な思いをしていたと思います。
そして、西日本を中心に、囲い込まれているような形になり、逃げ場のない状況で、閉塞状態になっていたと思います。
陸地は、おそらく、関所みたいな場所があり、要所には、見張りがいたと思います。
当時の東日本は、とても不便な場所だったし、大きな船を建造して、外国に逃げようと思っても、それもできなかったと思います。
「神武派」の天皇だった、「天武天皇」は特に酷い弾圧をして、「天照派」の人々には、
「土地をもってはいけない。職業についてもいけない。他の部族と結婚してもいけない」
こういう法律をつくり、乞食の立場に追いやったそうです。
それで仕方なく、お寺のお坊さんになって、そこで質素な生活を始めた人々も、多かったようです。
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供の子孫たちは、そうやって虐げられた状況の中、心の優しい、何人かの権力者たちに助けられながら、少しづつ移動していったようです。
特に、奈良県の吉野から、和歌山県の熊野の奥地に、逃げていたようです。
何度も「熊野」を旅していて感じたのは、「王子」という名前がつく神社が、たくさんあるということです。
「王子神社」というのは、大阪あたりから始まり、和歌山県の熊野まで、北から南に、広く分布しています。
それらは総称して、「熊野九十九王子(くまのくじゅうくおうじ)」と呼ばれていたそうです。
一般的には、「九十九」というのは実際の数ではなく、「数が多い」という意味で使われることが多いですね。
実際、最盛期には、99ヵ所くらいの「王子」と呼ばれる土地があったそうです。
ここからは、私の想像です。
おそらく、このエリアには、38人の子孫の末裔がいたのだと思います。
そして、99人の王子、つまり、天皇家のリーダーが、99人住んでいたのだと思います。
99のグループに、分かれていたのだと思います。
「99」というナンバーは、旅行記の最後にも、登場するので、よく覚えておいてくださいね。
その頃、絶対平和主義で、他人への攻撃ができないために、弾圧されたり、冷や飯を食わされていた、「天照派」の人々は、西日本で閉塞状態になっていたようです。
陸地から、東日本を目指そうと思っても、要所には、関所のようなものがあり、見張り番がいたと思います。
そもそも、仮に、東日本に行っても、荒れた僻地だったので、行っても、そこでは、過酷な生活が待っていることは、明白だったと思います。
それでも、西日本に住んでいても、これから先、永遠に苦しい生活が続くのは、目に見えていました。
「よし! 凄い冒険になるかもしれないけど、東日本に移住して、新しい土地で、新しい時代を築いていこう!」
ある時、こう決意したのだと思います。
海から、東日本を目指そうと思っても、そんなに遠くまで行こうと思ったら、大きな船を造船しないといけなし、そんな技術もお金もなかったので、途方に暮れていたようです。
そんなとき、一人の救世主が現れます。
「聖徳太子」
この人物が、助けたのです。
聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが、始まったのです。
救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。
私は、「聖徳太子=キリスト説」を主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。
聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。
彼らにとっては、「西日本」は、まるで監獄にいるように、不自由な土地でした。
そこで、新天地の「東日本」への脱出を試みたのです。
よいよ、ここから、「プリズンブレイク」の古代日本版が、始まったのです!
熊野地方には、日本史における、最重要な寺があります。
「補陀落山寺」という小さなお寺です。
「世界遺産」でもある重要な場所です。
「補陀洛山寺」は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで、知られているそうです。
私は、この渡海のことは、全く知りませんでした。
あるキッカケで知ったのです。
ネットで調べると、こういう説明が出てきます。
「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある、観音菩薩の住まう浄土のことをいい、「華厳経」には、インドの南端にあると、説かれているそうです。
「観音信仰」の流布とともに、チベットや中国にも、「補陀落」は、想定されたようです。
チベットでは、ラサ北西に建つ、観音の化身、「ダライラマ」の宮殿を、「ポタラ(補陀落)宮」と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を、「補陀落」としたようです。
日本においては、南の海の果てに、「補陀落浄土」はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して、船出することを「補陀落渡海」と言ったそうです。
そして、この信仰を広げたのが、聖徳太子だったのです。
日本国内の補陀落の霊場としては、那智の他に、高知の足摺岬、栃木の日光、山形の月山などがあったそうです。
記録に残された40件ほどの補陀落渡海のうち、半数以上が、この熊野那智で行われています。
熊野は、補陀落渡海の根本道場といってもよい場所だったようです。
聖徳太子の時代から、江戸時時代まで、これは行われていたそうです。
チベットの「ポタラ宮殿」とも関係してたのですね。
そういえば、チベットも絶対平和主義の人たちが多く、そのために迫害されていますね。
日本の「天照派」と、同じルーツだと思います。
「ポタラ宮殿」の地下は、地底王国の「シャンバラ」があると言われていますね。
「補陀落山寺」の本堂の中には、当時の様子を描いた絵もありました。
これもネットで調べると、こういう説明が出てきます。
那智の浜からは、25人の観音の信者が、補陀落を目指して船出したと伝えられています。
補陀洛山寺境内にある石碑に、それらの人々の名が刻まれています。
補陀落渡海の多くは11月、北風が吹く日の夕刻に行われたそうです。
渡海僧は当日、本尊の千手観音の前で、読経などの修法を行い、続いて隣の三所権現を拝し、それから船に乗りこんだとも伝わっています。
渡海僧は、30日分の食料と灯火のための油を載せて、小さな屋形船に乗りこんだそうです。
説明は、さらに続きます。
渡海僧が、船の屋形のなかに入りこむと、出て来られないように、扉には外から釘が、打ちつけられたそうです。
渡海船は、白綱で繋がれた伴船とともに、沖の綱切島あたりまで行くと、綱を切られ、あとは波間を漂い、風に流され、いずれ沈んでいったものと思われる。
渡海僧は、船が沈むまでの間、密閉された暗く狭い空間のなかで、かすかな灯火を頼りに、ただひたすらお経を読み、死後、観音浄土に生まれ変わることを願い、そして、船は沈み、入水往生を遂げたのでしょう。
船のしつらえや渡海の方法などは、時代により異なるのでしょうが、補陀落渡海とは、いわば生きながらの水葬であり、自らの心身、を南海にて観音に捧げる、捨身行だったのでした。
こう書かれています。
これが、一般的な認識です。
渡海僧が乗りこんだ船を復元したものが、境内にある建物のなかに展示されています。
奇妙な形をした小さな船です。
船の上には屋形が、作られています。
その屋形の前後左右を、4つの鳥居が囲んでいます。
人が、一人だけ入ることができる、テントのような小屋があり、ここに僧侶が一人だけ入り、外からは釘が打たれ、中から出られないようにしていたそうです。
もちろん、現在のようなスクリューなどはなく、櫂も帆もなかったそうです。
だから、一度、海に出たら、クラゲのように、ただ漂うだけだったのです。
ここからが、いよいよ本番です!
「補陀落渡海」は、このように、昔も現在も、狂信的でカルトっぽい儀式だったと、世間一般では思われています。
しかし、よく考えてください。
こういう、「即身成仏」の行為をやる意味は、何なのでしょうか?
ましては、何のために、わざわざ、海の彼方に行って、死ぬ必要があったのでしょうか?
ただ死ぬだけのために、これをやっていたとしたら、ただの馬鹿だと思います。
勘の良い方は、もうわかりましたね。
そうです。
「西日本」から「東日本」への脱出が、真の目的だったのです!
「空と海の彼方の極楽浄土へ行くために、舟に乗って、太平洋の彼方に行き、そのまま、沈没して、海の藻屑となり、即身成仏する」
というのは、「神武派」たちのグループの目を、ごまかすための偽りの儀式だったのです!
本当のことは、隠されていました。
実際には、こうだったようです。
途中まで、付き添いの数隻の舟が、綱を引っ張り、途中の小島から、突き放したようです。
「よ~し! 行ってこ~い!」
こう叫んだかどうかは、わかりませんが、沖の向こうまで、その小舟を流したそうです。
すると、浜辺から4キロくらいの所に、当時から、「黒潮」が流れていたのです。
そして、うまく、「黒潮」の乗れば、それは、大きな河のような流れで、「東日本」まで、運んでくれたのです。
ちなみに、黒潮の最大流速は、最大で4ノット(約7.4km/h)にもなり、軽くジョギングしているくらいのスピードなので、1週間以内では、確実に、「東日本」にある、どこかの浜に漂着したと思います。
そして、当時から、忍者のような存在たちがいて、秘密裏に、いろいろな手配をして、「東日本」の浜に漂着したら、事前に、その場所に着いていた人々が、打たれていた釘を外し、中から、その僧侶を助けたのだと思います。
そして、その背後で、この秘密の脱出劇を、計画して動かしていたのが、「聖徳太子」のグループだったというわけです。
黒潮です。
「西日本」 ⇒ 「東日本」
これを繋ぐメインストリートが、海だったというのは驚きですね。
しかも、大きな船ではなく、「小舟」だったというのも、ビックリです。
私たちは、歴史においては、「民族大移動」というと、大人数でのイメージがありますが、それは大陸の話です。
聖書には、そう書かれていますが、日本では、全く状況が違い、秘密裏に、一人づつ、長い年月をかけての移動だったようです。
その期間、聖徳太子の時代から、江戸時代にかけて、なんと、1100年間くらい続いていたそうです!
これだけの長い年月をかけて、少しづつ、「天照派」の僧侶、つまり、本当の天皇家の一族を、東日本に逃がし、そこで、おそらく、現地の女性と結婚して、子孫を広げていくという活動をしていたのだと思います。
目的は、「平和」と「愛」の遺伝子を、未来の日本に残すためです。
房総半島の痕跡です。
数年前に、「補陀落渡海」の僧侶たちが、「西日本」から、「小舟」で辿り着いた場所に行ってきました。
場所は、千葉県の「九十九里浜」です。
もうわかりましたね。
「九十九人の王子のグループが辿り着いた浜」
こういう意味だったのです!
着く場所が、どうして港ではなく、ただのビーチだったのでしょうか?
砂浜だからいいのです。
砂浜だと、大きな船は接岸できません。
沖に錨を下ろして、小舟で来ることになります。
砂浜という地形は、小舟じゃないと上陸できないのです。
大きな船が接岸できる港だったら、すぐに追っ手に見つかってしまいます。
このプロジェクトは、秘密裏の脱出劇だったことを、忘れないでくださいね。
昔、ここで、「天照派」の僧侶が、「小舟」から仲間によって救助されて、上陸したと思ったら、大感動でした。
「浜鳥居」という名前だそうです。
「九十九里浜」に上陸した後、僧侶たちは、このルートを歩いたようです。
「浜鳥居」→「神洗神社」→「神埼神社」→「玉前神社」
大まかな地図です。
房総半島においては、「玉前神社」のあたりに、一旦、落ち着いたグループもいたようです。
あるグループは、ここを定住の地に決めたようです。
拝殿で参拝しました。
黒色は、珍しいと思います。
いろいろ考えたら、この色は、漆黒の闇、つまり、「宇宙」を表現していると思います。
そう思いながら、拝殿の屋根のあたりを見て、
「うわ~~!!」
と、大声で叫んでしまいました。
「宇宙の源」から、ツインレイである、「イザナギ」と「イザナミ」の魂が、最初は、「繭」のような形から、二つに分かれて、それから、二人の男女になる様子が描かれています。
大感動でした~!
やはり、ここは、「イザナギ」と「イザナミ」の子孫たちの拠点だったのです。
房総半島の南端、館山市には、「那古寺」というお寺があるのですが、ここの山号が、「補陀落山」なのです。
明らかに、和歌山県の「補陀落山寺」と関係ありますね。
ここにも行きました。
ここでも、たくさんの痕跡を見つけて、感動しました。
このように、特に、「東日本」の海岸沿いに、「補陀落渡海」を思わせる名前の寺や神社が、たくさんあるのです。
おさらいを終え、ウォーミングアップで身体も温まったと思うので、次回からは、いよいよ、本格的な旅行記の始まりです。
お楽しみに!
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日本ピースツアー 2 リンゴとミカン
ここで、いつものように、おさらいしておきましょう。
私は現在、地球における古代史を、二つのグループに分けて考えています。
一つ目は、「リンゴ」をシンボルにしたグループです。
これは、シュメール文明から始まる、「アヌンナキ」のグループで、エデンの園で、アダムとイブにリンゴを与え、ニュートンに、万有引力の法則を、リンゴで気づかせ、資本主義の権化である、ビッグアップルというニューヨークの街をつくりあげ、アップルコンピューターを世界に広げています。
権力や支配のグループです。
拠点は、中近東から欧米諸国のエリアです。
「エデンの園」です。
「日の丸」は、実は、この「リンゴ」の象徴みたいです。
一般的には、「太陽」の意味だと言われていますが、私は、「リンゴ」の意味も含んでいると思います。
日本の天皇家では、「北朝」の系統で、どちらかというと、「山の民」であり、「弥生人」です。
「リンゴ」です。
「日の丸」です。
「太陽」の意味もあります。
このグループの生き方や人生観は、だいたいこうなります。
一言で、その特徴を言い表すと、「未来型」。
「成功型」と言っても、いいと思います。
未来に夢や目標をもって、それに向かって努力したり、がんばったりしながら生きていくやり方です。
どちらかというと、客観的な視点での生き方です。
これは、ポジティブシンキングの人に、多いと思います。
年齢で言えば、10代~20代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、まだまだ未熟だ」
と思って、がんばって成長する時期です。
あるアンケート調査によると、アメリカ人の90%は、このタイプだそうです。
二つ目は、「ミカン」をシンボルにしたグループです。
これは、日本の丹後半島から始まる、「イザナギ」と「イザナミ」のグループで、「補陀落山」を信仰しています。
この信仰は、インドやチベットや中国にもあり、「ポータラカ」などの名前のユートピアを夢見ています。
沖縄のニライカナイも、そうだと思います。
その理想郷は、八角形の建物があり、「橘(ミカン)」などの柑橘類の果物が咲き乱れていると言われています。
裏天皇だった、聖徳太子の家紋も橘ですね。
愛と平和のグループです。
拠点は、日本を始めとしたアジア諸国です。
「菊花紋」は、実は、この「ミカン」のグループの象徴みたいです。
一般的には、「菊の花」の意味だと言われていますが、私は、「ミカン」の意味も含んでいると思います。
日本の天皇家では、「南朝」の系統で、「海の民」であり、「縄文人」です。
「ミカン」です。
「菊花紋」です。
「月」や「星」の意味もあります。
生き方や人生観は、こうです。
「現在型」です。
「幸福型」と言っても、いいと思います。
特に、夢や目標など持たずに、現在に幸せを感じながら、肩の力を抜いて自然体で生きていくやり方です。
主観的な視点での生き方です。
これは、バランスのとれた人に多いと思います。
年齢で言えば、50代~60代の人たちは、これが多いと思います。
「自分は、ある程度成長したから、あとは人生を楽しもう」
と思って、肩の力を抜いて、自然体で生きていく姿勢です。
日本人の60%は、このタイプだそうです。
両者をシンプルにまとめると、こうなります。
〇「リンゴのグループ」=「日の丸」=「太陽」=「アヌンナキ」=「力と支配」=「弥生人」=「北朝」=「成功型」=「日本陸軍」
〇「ミカンのグループ」=「菊花紋」=「月&星」=「イザナギとイザナミ」=「愛と平和」=「縄文人」=「南朝」=「幸福型」=「日本海軍」
日本には、大昔から、2つの天皇家が存在していますが、この流れだと思います。
この2つのグループ分けは、私のオリジナルですが、この分類の方法で、現代の地球、そして、日本の社会が、スッキリと読み解けそうです。
「陰陽」のシンボルのように、この両者は、ハッキリと二分されているわけではありません。
「陰」の中にも「陽」があり、「陽」の中にも「陰」があります。
それは、自然界でも、神様が表現しています。
たとえば、「リンゴ」は、「太陽」の意味もありますが、そのリンゴをカットすると、その中には、「星」の形が出てきます。
「ミカン」は、「月&星」の意味もありますが、「太陽」が夕陽になる時、「オレンジ色」になります。
このように、この世界では、「光」と「影」、つまり、「陽」と「陰」は、表裏一体であり、分けられないことが多いのです。
「縄文人」は、イザナギとイザナミの子孫であり、絶対平和主義で愛のグループです。
このグループは、「橘」などの柑橘類をシンボルにした、「ミカングループ」です。
地球文明においては、アジアを拠点にしたグループで、ユートピア信仰です。
このグループは、「ミカン」が御神体なのです。
古代史においては、聖徳太子などが、リーダーだったみたいです。
聖徳太子の生誕地は、奈良県の「橘寺」とも言われています。
家紋は、「橘」です。
「橘」の紋です。
「リンゴ」と「ミカン」、この二つのグループについて、もう少し書いておきますね。
大切なことは、日本においては、この二つのグループは、全く違う国家だったということです。
日本という国家には、大昔から、二つの国が存在していたということです。
だから、「二本立て」の意味で、「日本(二本)」という名前なのです。
繰り返しますが、具体的には、「弥生」と「縄文」です。
「弥生」のシンボルが、「日の丸」です。
「縄文」のシンボルが、「菊家紋」なのです。
日本に、シンボルが二つあるのは、こういうことなのです。
二つの国家で構成されているのです。
詳しいことは、現在、全国で開催中の「悪の根源」でお伝えしているので、ブログでは割愛させていただきますが、結論だけ書きます。
幕末の時代の本質は、この二つのグループの内戦だったのです。
「海の民(縄文)」である、「天照派(南朝)」が、自分たちは戦わないで、裏から、アメリカの「ペリー提督の黒船」やイギリスの「グラバー商会」などと協力して、「山の民(弥生)」である、「神武派(北朝)」をやっつけて、お灸をすえたというのが、真相なのです。
当時の日本国内では、誰も逆らえないほうどの権力を握り、世界を支配しようとするほど傲慢になり、調子に乗りそうになった、「弥生」を、「縄文」のグループが、より強力な軍事力をもつ欧米人のグループを使って、叩きのめした。
これが、幕末の真実なのです。
傑作なのは、名前が暗号になっているということです。
「縄文」は、「海の民」でしたね。
その総大将は、「勝海舟」です。
ハイ!
「舟に乗って海を渡ったグループを勝たせた人物」
こういう意味です。
その側近が、「坂本龍馬」であり、「海援隊」です。
「海のグループを応援する部隊」
この意味です。
面白いでしょう~!(笑)
「太平洋戦争」も、実は、この二つのグループの内戦です。
日本が、この戦争の中心だったのです。
太平洋戦争も、日本が発祥の地です。
全て、日本が仕掛けていたのです。
幕末が終わって、しばらくは、大人しくしていた、「弥生人」が、また昭和の時代になって調子に乗ってきたのです。
そして、江戸時代の末期のように、日本国内では、絶対的な権力を握り、世界制覇を企んだのです。
それで再度、「縄文人」のグループが、より強力な軍事力をもつ「アメリカ軍」と組んで、「弥生人」のグループをを叩きのめした。
これが、太平洋戦争の真実なのです。
結果を見れば、それは文字通り歴然としています。
一番わかりやすいのは、「東京裁判」です。
ご存知のように、この裁判で処刑されたのは、ほとんどが、「陸軍」ですね。
そうです。
この裁判は、連合国側の理不尽な裁判なのではなかったのです。
日本人同士の殺し合いに、「連合国」を利用したのです。
「海軍が、連合国を使って、陸軍を処刑した」
これが、東京裁判の真実です。
ここでも、詳しいことは省きます。
だから、太平洋戦争というのは、全て、「海軍」と「アメリカ軍」が組んでやった、「八百長」だということです。
「真珠湾攻撃」なども、この両者が台本を見ながら、プロレスをやっていたということです。
ちなみに、「八百万の神々」のグループは、原則、「戦わないグループ」でしたね。
だから、このグループは、「戦略」や「戦術」は使いません。
その代わり、もっと凄い、「知略」で勝負してくるのです。
そして、彼らの得意技が、「八百長」なのです。
悪い意味ではありませんが、他にも、「嘘八百」とも言われている、頭脳戦が得意なのです。
「八百」という表現は、このグループの特徴をよく表しています。
江戸時代の江戸の町は、彼らの理想郷でしたね。
「八百八町」ですね。
他にも、昔は、野菜や果物だけでなく、現代のコンビニのように、なんでも売っていた、「八百屋」も、彼らが発祥だと思います。
「八百万の神々」=「八百長」=「嘘八百」=「八百八町」=「八百屋」
こうなるのです。
繰り返しますが、悪い意味ではありませんよ。
ここでは、いったん、善悪の判断はやめてくださいね。
「弥生」は、「武闘派の神々のグループ」なので、逆に、「戦略」や「戦術」を練りますが、案外、シンプルでわかりやすいのです。
「縄文」の戦い方のほうが、より高度で視野が広く、しかも陰に隠れるので、わかりにくいのです。
実は、世界中の陰謀や謀略は、彼らが仕掛けていることが多いのです。
「天岩戸」の「天照大神」の存在のように、陰に隠れたり出てきたり、神出鬼没なのです。
「愛と平和」のグループである、「縄文」が、この地球の本当の支配者であり、黒幕だということです。
誤解しないでほしいのですが、彼らは悪人ではありません。
それどころか、完全な善人であり、皆、良いひとたちばかりです。
だから、地球が滅びるようなことには、ならないのです。
ちょっと考えてみれば、わかると思いますが、もしも、地球で一番の支配者が、悪人であれば、とっくの昔に、この惑星は滅びています。
小さな紛争や国同士の戦争などは、「力と支配」のグループの「弥生」が、起こしています。
つまり、シュメール文明から発祥している中近東や欧米のグループです。
「アヌンナキ」の一族ですね。
一般的な陰謀論では、ここまでしか追及していません。
でも、第二次世界大戦のように、世界中を巻き込むような大きな戦争は、この「縄文」が、陰で動かしているのです。
これは、宇宙存在である、「バシャール」からの情報です。
太古に時代、火星と木星の間に、「マルベック」という名前の惑星が、存在していたそうです。
そこには、人間のような生命体が住んでいたそうです。
ある時期に、全面核戦争を起こして、木っ端微塵になり、現在のような「アステロイドベルト(小惑星帯)」になったそうです。
その時に、宇宙の根源的なシステムまで、悪影響を当たるような深刻な事態になり、大変なことになったようです。
それで、現在の地球は、「宇宙連合」と呼ばれるグループの管理下におかれ、「全面核戦争」だけは避けるように、指導がされているそうです。
これをやったのが、前述したように、「力と支配」のグループの「弥生」、つまり、「アヌンナキ」の一族だったそうです。
このグループは、このような前科があるのです。
そのために、彼らの暴走に歯止めをかけるために、宇宙の根源神から地球にやってきたのが、「愛と平和」のグループである、「縄文」、つまり、「イザナギとイザナミ」の子孫たち、「八百万の神々」だったというわけです。
こういうことを書くと、スピリチュアル業界の多くの人たちは、
「じゃあ、弥生がいなくなって、縄文だけになれば、地球は、素晴らしい惑星になるんじゃないですか?」
という意見を述べたりします。
そうではありません。
全ての歴史に言えることですが、長く存在しているものは、皆、意味があって存在しているのです。
たしかに、「戦争」の弊害は、たくさんあります。
しかし、メリットもあるのです。
それは、「文明が進化する」という利点です。
一方、あまりこれを指摘する人はいませんが、「平和」は利点も、もちろん多いのですが、地球にとって、致命的な弊害もあります。
それは、「文明がいつまでも進まない」ということです。
「縄文時代」は、1万2千年間だったといわれています。
その間、何か大きく進歩したかというと、何も進んでいません。
同様に、日本の「平安時代」や「江戸時代」も、文明の進化は、あまりありませんでした。
部分的に、文化的な発展はあったのですが、特に軍事力は、必要なかったせいもありますが、ほとんど進みませんでした。
しかし、明治時代になって、「文明開化」や「富国強兵」が始まってからは、日本の文明は、劇的に進化しています。
車に例えますね。
地球文明においては、こうなります。
「弥生」=「アクセル」
「縄文」=「ブレーキ」
だから、
「どちらが正しのか?」
ではなくて、
「状況に応じて、両者を適切に使いこなす」
これが大切なのです。
そして、この車で、適切な判断をして、ハンドル操作までする、「ドライバー」の視点をもつという姿勢が、これからの地球人類には、必要なのです。
次回に続きます。
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日本ピースツアー 1 ニコニコマーク
進化する人と停滞する人、この二つのグループが、交わることは、もうないのかもしれません。
いつの時代でも、進化というのは、
神様からの知能テストにより、選別が始まっているのです。
いろいろな分け方がありますが、その中の一つに、世界の民族を、三つに分けるという考え方があります。
一つ目は、「狩猟採集民族」、二つ目は、「農耕牧畜民族」、三つ目は、「牧畜民族(遊牧民族)」です。
この中で、最初の二つの民族は、古代から日本にもいました。
「縄文人」=「狩猟採集民族」
「弥生人」=「農耕牧畜民族」
こうなります。
「縄文人(狩猟採集民族)」は、生態系のバランスを保つという、自然との「調和」を大切にしたようです。
そして、「弥生人(農耕牧畜民族)」は、皆で力を合わせて働くという、「協調」を大切にしたようです。
「日本」という国は、この二つの民族で成り立っています。
だから、「二本立て」で、「二本=日本」というのです。
三番目の「牧畜民族(遊牧民族)」というが、日本にはいなかったようです。
なぜならば、この民族は基本的に、「砂漠と草原の民族」だからです。
「牧畜民族(砂漠と草原の民族)」は、世界観が全く違います。
彼らは、
「自分たちだけが人間で、ちょっと賢い動物、例えば、犬などは家来にする。そして、それ以外の賢くない動物は羊であり、毛皮を使おうが殺して食べようがかまわない。むしろ、そうやって、自分たちが支配してあげることが親切でもあるし、世界のためでもある」
こういう価値観をもっているようです。
だから、彼らにとって、一番大切なことは、「支配」なのです。
日本人には、どうしても、この感覚がわからないようです。
彼らは彼らで、先祖代々、これで生きてきたので、それが当たり前なのです。
特に、中近東を源流にした、「アヌンナキ」という宇宙人グループの流れ、聖書に登場する神々、「エロヒム」や「ヤハウェ」などは、この系統です。
他にも、人類の中でも、昔から現在まで、世界を支配してきた権力者たちは、この民族の子孫が多いということです。
現在の「ディープステート」や「カバール」、それから、「イルミナティ」、「ロスチャイルド」や「ロックフェラー」など、悪魔崇拝主義のグループも、この「牧畜民族」の子孫たちだということです。
世界の民族には、この三つがあり、日本には、二つだけしか存在しなかったために、もう一つの異質の存在である、「牧畜民族」の思考パータンが読めないのが、日本人だということは、頭の隅っこに置いておいてください。
彼らは、世界はもちろん、日本を支配しようとするときでも、「政治」や「メディア」や「教育」などのトップたちを、文字通り、「犬」にして、国民である「羊」を思のままに動かすというテクニックに長けているのです。
それは、数万年くらいかけて、構築したものなので、とても良くできています。
わかりやすい例をあげまますね。
「新型コロナウイルス騒動」が始まってから、政府が、いろいろな方針を発表しましたね。
「ステイホーム」
「GoToトラベル」
「GoToイート」
この中の「STAY」や「GO」という単語に、注目してください。
まさに、「犬」に命令する時の言葉ですね。
つまり、欧米人の権力者たちが、日本の政治家に、そう言えと命令して、「犬」である、日本の政治家たちが、「羊」である、日本国民に、メディアを通して、また命令する。
こういう構図になっているのです。
自分の頭で考える癖がある日本人は、これらの図式を見抜くことができますが、普段から、自分の頭で考える習慣のない日本人は、簡単に騙され、支配されてしまします。
そして、恐ろしいのは、本当に騙されて洗脳された人々は、自分が洗脳されているという自覚もないのです。
支配する方も悪いとは思いますが、同時に支配される方も悪いのです。
そもそも、支配している側には、罪の意識はないのです。
文句も言わず、従順にしている人々は、「家畜」や「奴隷」だとみなすのです。
それが、彼らの世界観なのです。
例え話ですが、支配者であり、「人間」である欧米人にとって、日本人の政治家や大企業のトップは、「犬」のポジションになります。
そして、日本国民やアジア人が、「羊」なのです。
だから、「犬」に、「羊」の世話をさせるという発想です。
そして、「犬」が、ご主人様である、「人間」に逆らったり、生意気な姿勢を見せると、「原爆」などで脅します。
これは、犬を躾ける時に、叩いたりする行為です。
そして、反省して従順になり、服従の行為であり、「お手」をすると、許してあげます。
これが、「ポツダム宣言」であり、無条件降伏になります。
すると、支配する側は、ニコニコしながら、笑顔で、
「オオ! グッドボーイ!」
こう言って、餌を与えるのです。
そうです。
戦後の、GHQ占領時代の日本の子どもたちが、
「ギブミーチョコレート!(兵隊さん、恵まれない僕たちに、チョコレートをください!)」
こう言うと、
アメリカ兵は、チョコレートやガム、キャンディーなどを与えましたね。
あれはまさに、
「服従した犬に、餌を与える」
という行為だったのです。
命令を聞かない犬、逆らう犬には、口輪をしますね。
それが、現在の「マスク」なのです。
「オマエたちは、静かに黙っていろ!」
こう命令しているのです。
まあ、全くの悪意でもありません。
善意も含まれています。
現在は、何度も繰り返し、書いているように、
「人類」 VS 「悪魔」
この最終戦争の真っ最中です。
だから、国民の安全のためにも、「戒厳令」のような状態にしておく必要もあるのです。
つまり、「真実」の情報を知った庶民が、勝手にデモをやったり、復讐の行為にはしると、戦闘のプロである軍隊の軍事作戦に、支障をきたす可能性もあるからです。
なるべく、一般庶民は、家の中で、特に夜間は、大人しくしてもらいたいため、この目的もあると思います。
では、ここからが本番です。
2019年の11月に、長崎県に「第二次世界大戦」の調査に行きました。
この旅では、大好きな土地、島原半島にも滞在しました。
友人の松下先生が、
「島原は、登竜門になっていて、ここに来た人たちは、その後、皆、運気が急上昇するのですよ」
と言っていましたが、たしかに、この土地には、6回ほど行きましたが、そのたびに面白い流れがやってきます。
島原では、友人のタウリンさんに、車でいろいろ案内していただきました。
たくさんまわったのですが、特に面白かったのが、この神社でした。
「玉峯寺」です。
この寺の隣に、「八雲神社」という小さな神社がありました。
ちなみに、「八雲(やくも)」という名前の真の意味は、「焼く者(やくもの)」みたいです。
つまり、「戦争などで、街を破壊する神様」であり、インドのシバ伸のような、「破壊の神」だと思います。
これは、旅行記の中で、詳しく解説しますね。
この神社の奥宮のような所に、階段を登っていきました。
古い神社がありました。
いつも、不思議に思っていたのは、
「どうして、こんな誰も来ないような神社が、取り壊されずに、残っているのか?」
ということです。
最近、この意味がわかりました。
「いつの日か、この神社の意味がわかる人が来るまで、待っていてくれた」
ということです。
つまり、かなり昔から、私たちが訪れるのを、ここで、ずーぅと待っていてくれたということです。
「神社の本堂や神社の拝殿、そこの90度の角度に、本当に意味のある御神体がある」
その時も、その法則をもとに、あたりを見まわしたのですが、近くには何もありませんでした。
しかし、遠くに面白いものを発見しました。
保育園があり、そこに、黄色の水タンクがあったのです。
「ニコニコマーク」のような絵が、描かれていました。
どうやら、この神社の御神体は、これみたいです。
必ずしも、境内にあるとは限らないのです。
タウリンさんと二人で、車で近くまで行きました。
この球体のタンクの表と裏に、二つの顔が描かれていました。
私には、これは、「両面宿儺」に見えました。
一説によると、これは、
「ある時代の権力者は、最初は、とても良い人だったのに、ある時期から、とても残酷で悪魔のような人物に豹変した。人間というのは、常に二面性をもっているから、気を付けましょう」
という教訓を忘れないように、土偶を作ったともいわれています。
私には、このタンクを見ていると、
「平和といのは、綺麗ごとだけでは維持できない。平和な時代でも、人々の見てないところで、その世の中を維持するために、物凄い努力が行われている」
こういうメッセージを受け取りました。
2018年から2020年にかけては、都内に滞在している時は、太平洋戦争、その中でも、「東京大空襲」の調査しました。
これを調べると、「戦争」というものの本質が、よくわかるからです。
その時期に、「東京大空襲・戦災資料センター」にも行ってきました。
場所は、都内の江東区です。
資料が充実していて、素晴らしかったです。
そこで、細かい地図を見たら、いろいろと意味深な場所も、ほとんど無傷だったことを知りました。
その中でも、「巣鴨プリズン」があった土地も、無傷だったことを知り、この日に、そこにも行ってきました。
場所は、池袋の「サンシャイン60」の隣です。
サンシャイン60です。
このビルの隣にある「東池袋中央公園」が、戦後、A級やBC級戦犯などが処刑された場所だそうです。
ちなみに、A級戦犯7名、BC級戦犯53名、合計60名が、ここで処刑されたため、「サンシャイン60」の「60」という数字は、この人数だともいわれています。
これは、初めて知りました。
その慰霊碑です。
この場所は、戦犯たちの処刑台があった場所だそうです。
ここからすぐの場所に、気になる所がありました。
ひっそりと静まりかえっていました。
直角に曲がっている道があるのが、わかりますか?
ここが、絞首刑の場所だったと思います。
その先には、ホースがありました。
おそらく、「縛り首の場所だった」という意味だと思います。
園内には、噴水もあります。
この裏が気になって、行ってみました。
緑色のペンキで塗られた絵が、石に描かれていました。
絵に気が付き、背筋が、ゾーッとして悪寒が走りました!
なんと、「ニコニコマーク」の絵が描かれていたのです!
アメリカでは、「スマイリーフェイス(Smiley face)」と呼ばれています。
一般には、黄色い円形で、笑顔の描かれたキャラクターグッズ用キャラクターです。
日本では、「ニコちゃんマーク」、「ニコニコマーク」、「スマイルマーク」などとも呼ばれていますね。
あとから調べてみると、この公園そのものが、「ニコニコマーク」の地上絵になっていました。
アメリカのテレビドラマシリーズ、「メンタリスト」で、「レッドジョン」という殺人犯が、このマークを使って、メッセージを送っていましたね。
島原半島で見た、「ニコニコマーク」は、ここに繋がっていたのです。
つまり、「ニコニコマーク」というのは、戦争を起こす神様、「破壊の神」のグループの中では、「処刑」の意味だということです。
気が付きましたか?
そうです。
今年の3月31日(水)に、東京の空に浮かんでいましたね。
テレビで見た方も多いと思います。
表向きの理由では、
「新型コロナウイルスの影響で、うつむきがちになる状況も多い中、空を見上げることで気分をリフレッシュし、少しでも明るい気分になってもらえたらという想いを込めて、曲技飛行パイロットが、東京の空にスモークで、ニコニコマーク」を描きました」
こう報道されていました。
しかし、真意は違います。
つまり、
「日本における、闇の側の人々の大量逮捕が、ひと段落して、特に東京においては、ある程度の処刑が終わった」
この意味だったのだと思います。
わかる人だけにわかるに、秘密のメッセージを、テレビで流していたのだと思います。
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