生まれ変わりツアー 5 星
5月21日(火)の早朝、羽田空港から高知に向かいました。
羽田空港は、大雨でした。
しかし、高知県に着くと、嘘のようにカラリとした晴天で、晴れわたっていました。
地元の方によると、その前日は、嵐のような風が吹き荒れていたそうです。
レンタカーを借りて、空港から足摺岬を目指しました。
龍の形の雲が出てきました。
途中で、どうしても寄りたい町がありました。
それは、高知県高岡郡中土佐町久礼です。
町の駅です。
高台から眺めた町並みです。
コンビニの横に、酒屋さんがありました。
お酒がありました。
現在、50歳以上の男性の中には、この漫画を知っている方も多いと思います。
そうです。
昭和の時代の名作、「土佐の一本釣り」というマンガです。
私は、高校を卒業して予備校で浪人暮らしをしてた頃に、マンガ喫茶でこのマンガに出会い、
「もう大学など行かずに、土佐の町に引っ越して、漁師になりたい!」
と、本気で思ったほどでした。
なんといっても、この作品で描かれる、この久礼の町の人たちの愛の大きさに、感動したのです。
一度も行ったことないのに、この土地が、魂の故郷のようにかんじました。
12年前にも、一度訪れたのですが、今回、2回目の訪問になりました。
港町なのですが、この風景を見ていていると、心が和みます。
港の近くにある神社でも参拝しました。
「八幡宮」という神社です。
拝殿です。
手水舎です。
「三つ巴」がありますね。
拝殿の横には、「プロビデンスの目」がありました。
「エンキ」であり、「イザナギ」でもありますね。
これが、この神社の御神体だと思います。
「知恵」の神である「エンキ」ですが、「高知」という県名は、もしかしたら、
「高度な知性をもった神様の土地」
という意味かもしれません。
この神社の近くに、「土佐の一本釣り」を書いた著者、青柳裕介さんの石像があります。
青柳さんの石像が見つめる先には、地元の久礼の海が広がっています。
「我が人生悔いなし」とは、いい言葉ですね。
こう言いきれる人は、最高の人生を生きた人だと思います。
記念撮影しました。
近くの市場を散歩しました。
ここで食べた、カツオの刺身が超美味しかったです。
「カツオって、こんなに美味しかったんだ~!」
と驚きました。
それから、「土佐の一本釣り」のポスターが張ってあるカフェに入りました。
店に入ると、店長もお客さんも、皆、著者の青柳裕介さんの知り合いばかりでした。
「土佐の一本釣り」の話題で、盛り上がりました。
店の壁には、青柳さんの絵も飾られていました。
マンガの中の登場人物にも、もしかしたら、霊魂は宿るのかもしれません。
ある霊能は、
「大ヒットするような漫画の登場人物たちは、皆、線に生命が宿っている」
と言っていました。
だとしたら、青柳さんの霊魂は、今でも、残した作品の登場人物として、生まれ変わっていて、読者の魂に、いろいろなメッセージを伝えづづけているということです。
そのお店のマスターから、足摺岬まで、丁寧に道順を教えていただきました。
あとで、道に迷って、もう少しで、「酷道」と言われている、日本一危ない道、「国道439号線」、別名、「与作」に入って大変なことになるとことだったのですが、この時のアドバイスのおかげで、危機一髪、難を逃れました。
もしかしたら、青柳さんが、読者である私のことを、天上界から助けてくれたのかもしれませんね。
久礼の町を出て、マスターから教えられたとおり、四万十川に沿って足摺岬に向かいました。
四万十川です。
前日、大雨だったので、水かさが増していました。
道中、お遍路の寺にも、いくつか立ち寄りました。
地方の町には、たまに、こういう昭和の香りのする景色があって、タイムトラベルしたような気持になります。
37番札所の岩本寺にも、立ち寄りました。
記念撮影しました。
本堂の中です。
天井には、たくさんの絵が飾られていました。
この瓦は、「ヒルコ」を表現していると思います。
「二本の大根」は、「日本のルーツ(根)」を表現していると思います。
つまり、日本人の始祖である、イザナギとイザナミです。
お寺の前では、オレンジジュースが売られていました。
やはり、四国は、「ミカングループ」、つまり、「橘」をシンボルにしている、「天照派」の拠点ですね。
道中、「星神社」をいくつか見かけました。
「星」を信仰している土地は、日本では、栃木県が一番多いそうですが、他にも、茨城県と高知県にも、たくさんあるようです。
四国では、高知県に集中していますね。
これは、「アヌンナキ」の一族のシンボルですね。
拝殿です。
屋根にも、「星」の文字がありました。
「妙見信仰」ですね。
この彫刻は、明らかに、「補陀落渡海」ですね。
ここで、「生まれ変わり」という現象を、さらに深く考えてみましょう。
前回までは、この現象を、「人間」だけに限定して考えたのですが、他の動物たち、植物、鉱物など、他の惑星の宇宙人などとの関係は、どうなっているのでしょうか?
「人生において、バランスをとるということが、大切な学びのひとつである」
という考え方があります。
これは、「楽」と「苦」や「光」と「闇」、「男性」と「女性」、「健康」と「病」、「生」と「死」のような「陰陽」のバランスを学ぶために、私たちのこの世界はあるのではないかという考え方です。
世界中が、「男性」だけだったら、自分が「男性」だということは認識できないし、「貧しさ」を知れば、「豊かさ」のありがたさを感じるし、「争い」を知れば、「平和」のありがたさを感じ、「病」を知れば、「健康」のありがたさがわかります。
これは、主に人間関係を通して、学ぶことが多いのですが、特に、男女、その中でも、「恋人同士」、「夫婦」という関係を通して学ぶことが、多いようです。この関係を、「精神世界」では、「ソウルメイト」と呼んだりします。
一説によると、「恋人同士」や「夫婦」は、お互いに認め合い、許しあうことができなければ、お互いに成長できないようです。
これが、真実なのかどうかは、ケースバイケースかもしれませんが、興味深いことに、「量子の世界」では、そのような現象が確認されているようです。
「真空」の中で、「ガンマー波」というものを照射すると、突然、「電子」と「陽電子」が現れるそうです。
何も無いところから、二つのものが出現するそうです。
そして、この二つが、何かの拍子に再び結合すると、「ガンマー波」を放出しながら、消えてなくなるそうです。
二つの状態の時は、「存在」として現れ、一つになると存在が消えるという面白い現象が見られるのだそうです。
「量子の世界」から、世の中の成り立ちを、伺い知ることができるかもしれません。
「電子」と「陽電子」の二つが、「ソウルメイト」を表現してるのです。
そして、「消える」のではなく、「一緒に別の高次元に行く」のだと思います。
さて、「人間以外の存在」ですが、これらの存在、動物なども、人間同様、「意識」をもっています。
特に、「イルカ」や「クジラ」などは、人間と同等か、学者によっては、「人間よりも賢い」という人もいます。
「イルカ」は、言語をコンピューターで分析すると、ネガティブな表現の言語が、全くないそうです。
また、どんなに人間から、酷い仕打ちをされても決して、「復讐心」をもたない存在だそうです。
「戦争」の問題を、完全にクリアしている存在だそうです。
確かに、人間より優れているのかもしれませんね。
また、最近の研究では、「植物」にも意識があることがわかっています。
これも、学者によっては、「人間よりも賢い」という人もいるようです。
理由は、「筋肉がないから」だそうです。(笑)
まあ、今のは半分冗談ですが、確かに、「アルカロイド系」といわれている「麻薬」の多くが、人間の脳に強い作用を与えます。
やはり、何か深い「知性」をもっていることは、間違いないようです。
他にも、「鉱物」にも別の形で、「意識」は存在しているようですし、最近は、「機械」、つまり、「車」、「コンピューター」なども、「意識」を持っているだろうと言われています。
たとえば、現在の令和の時代には、もう無いと思いますが、昭和の時代には、大蔵省の造幣局で、「お金」がつくられていたのですが、わずかの確率ですが、コインの穴がズレて開いたりすることがありました。
こういうコインは、マニアの間で、プレミアがついたりするのですが、これも機械が、「疲労」しているからではないかとか、「反抗」をしているのではないかという考えもあります。
つまり、微量ながら、「自由意志」を持っているのではないかという考え方です。
「無生物」というものも、私たちと同じような「素粒子」で構成されているので、やはり、究極レベルでは、それほど明確な境界線はないと思います。
では、「人間」が、他の生物から生まれ変わったり、他の生物に生まれ変わったりするのでしょうか?
これは人類史上、たくさんの宗教家たちが、ずっと議論してきたようです。
はっきりした結論はでないと思いますが、少なくとも、私が思い出した範囲では、「人間」であった過去生が、ほとんどです。
これは、やはり、自分の意識レベルと同じ存在とだけしか、繋がれないという、原則によるものだと思います。
人類史上で、私が知っている限りで、一番たくさんの過去生を思い出した人物は、やはり、お釈迦様です。
どの仏教の宗派の教科書にも、出てくる有名なお釈迦様の過去生に、雪山童子だった過去生があります。
これは、お釈迦様が昔、雪のヒマラヤ山中で、雪山童子という名前の少年で、その山中で鬼に会い、その鬼に自分の体を気前よく食べさせたそうです。
それが、よいカルマになり、その後、宇宙の天人になり、再び地球で菩薩になり、それから、お釈迦様として生まれたという話です。
しかし、ある宗派によると、雪山童子になる前にも、何回か生まれ変わり、別の国の王子だったり、多くの女性にもてるプレーボーイの商人だったり、寂しいホームレスだったりしたそうです。
その前は、ヒマラヤに住む熊で、その前は、その熊を狩る猟師、その前は、同じヒマラヤで、金色の鹿だったそうです。
さらにその前は、別の惑星で、水色の宇宙人だったと、いくつかの経典で語っている記述があるそうです。
そして、もっと面白いのは、まだ、日本語や漢文にあまり翻訳されていない「金剛経典」というものの中には、水色の宇宙人の前の過去生を、お釈迦様自身が語っている記述があるそうです。
真偽の程は、私にはわかりませんが、それによると、何万代、何十万代も前の過去生では、地球でヒマラヤ杉の祖先のような植物だったそうです。
また別の惑星で、シダのような草でもあったそうです。
それのさらに、何百万年前かの過去生では、地球上の大きな岩だったり、別の惑星の小さな岩だったりしたそうです。
そして、さらに昔では、なんとお釈迦様は、遠い宇宙に浮かぶ、小さな(約3.5メートル)ほどの星だったことがあると告白しているそうです。
仲間の多くの星屑と、宇宙空間を漂っていたそうです。
その時は、仲間の星屑とぶつかり、粉々になってしまい、その後は、半分植物で半分鉱物のような、鉄の木のようなものに、生まれ変わったそうです。
さらに、その鉄の木も、小さな星がぶつかり、砕けたので、別の星の今度は、やわらかい植物に生まれ変わったそうです。
その植物は、その星の鹿に食べられ、次には、その鹿に生まれ変わり、その星の宇宙人に飼われたのですが、ある時、交通事故に遭ったその主人の危機を、身をもって救ったため、その次は、その星のその宇宙人に生まれ変わったのだそうです。
この話を聞いていると、不思議な知識の広がりを感じるのは、私だけでしょうか?
もし、このような過去生を、お釈迦様が本当に思い出していたことがあったとしたら、楽しいですね。
壮大なスケールの物語です。
私は、この話を知ってから、夜空を見上げるのが、よりいっそう楽しくなりました。「過去生が星だった」
なんて、ロマンチックですねー
ちょっと前から、「ガイア理論」などといって、
「地球が生命体だ」
という考えがありますが、お釈迦様は、そのさきがけ、パイオニアだったのかもしれませんね。
夜見える星々の光が、自分の過去生からの光だと考えると、なんともいえない気分になります。
もしかしたら、私たちも一緒に、どこかの宇宙空間を、楽しく漂っていたことがあったかもしれませんね。
私も皆さんも、そして、お釈迦様も…
今回の旅では、足摺岬にあるホテルに泊まりました。
部屋からは海と星が、よく見えました。
ベランダからの眺めです。
日没の頃、空には、お月様が浮かんでいました。
次回から、いよいよ、旅行記も佳境に入ります。
お楽しみに!!
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