精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

沖縄セミナー ~悪の根源~

いよいよ、6月9日(日)は、沖縄セミナーです。

あと2名様で、予約申し込みを締め切らせていただきます。

受講をご希望の方は、お早めにメールください。

 

 

ご存知のように、私の旅行は、いつも大まかなテーマは決めるのですが、あとは現地に行って、気の向くまま直観で行動する、「行き当たりバッチリ」が基本方針です。


ブログを書く時も、それと同じで、大まかなテーマを決めたら、あとは適当に書き進めていって、出来上がったら、最初に思っていたのと、まったく違っていたなんてことが、ほとんどです。

一種の「セミコンシャス・チャネリング」のような意識で、ブログは書いています。

だから、どういう旅行記が書きあがるのは、作者の私にもわからないのです。

知識と経験は、たしかに私のものですが、全体の構成や話の流れは、何か大きな存在が、導いているような気がします。

 

よく、「面白いブログの書き方」のような講座やセミナーが、たくさんありますが、そういうテクニックにはしるよりも、もっと根本的に大切なことがあります。

「面白いブログを書こうと思ったら、何よりも自分自身が、自分のブログの大ファンであること」

ということです。

次のブログ記事を、一番楽しみにしているのは、他でもない、作者の自分自身なのです。

「次は、どんな記事になるのかな?」

と、ワクワクしながら書き始めると、面白い記事が出来上がるのです。


義務感でビジネス目的だけで書いていると、面白くありません。

自分が面白く感じない記事は、読者はもっと面白くないのです。

あと、自分が理解できないような難しい内容だと、読者はもっと難しくて理解できないのです。

 


以前にも書いたのですが、私の父の話です。

NHKの番組、「ファミリーヒストリー」みたいな話になります。

 

父の祖父は、沖縄県の北部のあたりで生まれ育ったようです。

何回か引っ越ししたようですが、最終的には、本部町のあたりを拠点にしたようです。

昔、「沖縄海洋博覧会」があった所です。

 

戦前の沖縄は、とても貧しかったので、当時多かった、「移民」の道を選んだようです。

沖縄からは、ハワイやカリフォルニア、ブラジル、ペルー、ボリビア、アルゼンチンなど、たくさんの国へ、移民した人がいたようですが、私の祖父が選んだ新天地は、「ペルー」だったそうです。

 

写真は、沖縄の港から、南米に向かう船の様子です。

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祖父が、ペルーで土地の開拓や農業を始めて、しばらくしてから、祖母が、沖縄から、結婚する目的で、後を追うようなかたちで、沖縄からペルーに向かったそうです。

この話を、父から聞いて驚きました。

当時、沖縄からペルーに移り住むといったら、現代に例えると、地球から火星に移住するくらいの覚悟がいたと思います。

その時代には、「お見合い写真結婚」というものがあって、移民先の沖縄の男性が、故郷の沖縄に、自分の写真を送ったら、沖縄で、その写真を見て、気に入った男性がいた女性は、その移民先の男性の家に嫁いだらしいのです。

一度も会わずに、写真だけですよ!


父から、その話を聞いた時に、

「会ったこともない人に、写真だけ見て、結婚を決めて、それから、ペルーに向かったの?」

と訊いたら、

「その当時は、それが普通だったんだよ」

という答えが返ってきました。


現在の感覚では、信じられないですね。

「結婚」というものに対する認識や感覚が、現代とは根本的に違っていたと思います。

もしかしたら、昔の人は現代よりも、頭でゴジャゴジャ考えてなかったのかもしれません。

魂のレベルで、感じることのほうが得意だったかもしれません。

父の両親、つまり、私の祖父母は、現代風な表現をすると、もしかしたら、本当のソウルメイトだったのかもしれませんね。

 
これは、余談ですが、「ペルー」という土地は、ご存知のように、「宇宙文明」の痕跡が、たくさん残っています。

「マチュピチュ遺跡」もありますね。

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他には、「ナスカの地上絵」もあります。

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もしかしたら、祖父母も、宇宙的な存在たちに呼ばれて、ペルーに行ったのかもしれません。

そういえば、私が小学4年生の頃、初めてUFOを見たのですが、その時も、父が、

「UFO? 日本では、まだ珍しいんだね。ペルーでは、たくさんの人が見ているよ。南米では、あたりまえだよ」

こう言ったのを覚えています。
私の祖父母から、宇宙文明に関わっていた可能性もあると思います。

 

私が子供の頃、最初に見たUFOです。

最近では、集団で飛んでいるのが、よく動画で撮影されていますね。

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祖父母、それから、その親戚たちは、言葉も通じなく、荒れた大地の南米で奮闘していたようです。

沖縄から行った移民たちは、とても過酷な労働を経験した人も多かったようです。

特に、ペルーに行った人たちは、途中で病気などで亡くなる人も多く、大変だったそうです。

私の祖父母も、父が生まれて4年くらいしたら、病気で亡くなったようなのです。

 
父は、4歳の時に両親が亡くなったので、兄や姉と日本に帰ってきたそうです。

ペルーで生まれ育ったので、日本語もしゃべれず、スペイン語だけで、しゃべる子供だったそうです。


ペルーから、日本の東京湾に船で着いた時に、いきなり、ラジオ放送が流れて、

「この船は、日本に上陸できなくなりました。東京は、今、緊急事態になっています。だから、しばらく、東京湾で停泊します」

ニュースで、こう告げられたそうです。

父たちは、どうしていいかわからずに、ただオタオタしていたそうです。
「大雨の中で、船の甲板の上で、皆で、呆然としたのを、覚えているよ…」

父は懐かしそうに、こう話しました。


その緊急事態とは、有名な「二・二六事件」だったそうです。

1936年(昭和11年)2月26日に、、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校たちが、たくさんの下士官や兵を率いて起こした、クーデター未遂事件ですね。

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凄い時に、日本に初上陸したのですねー!

それから、東京で、当てもなく、皆で、ブラブラしていたら、親戚のオジサンが、

「ワシが、面倒をみてやるから、ウチヘ来い!」

と言って、自宅に泊めてくれたのだそうです。


後日談があって、私が大学を卒業して、東京の会社に勤めていた頃、立川営業所で、とても不快な体験をして、心身ともにボロボロだった頃、同じ苗字の先輩がいました。

この先輩だけは、親切でやさしかったので、いろいろ相談していました。

この人がいなかったら、あの頃、どうなっていたかわかりません。

もしかしたら、自殺していたかもしれません。


この先輩も、祖父が沖縄出身とのことだったので、二人で、

「親戚かもしれないねー!」

なんて話していたのですが、去年の夏、沖縄の実家で、家系図を見て驚きました。

なんと、その先輩の祖父が、ペルーから帰国したばかりの父たちを、東京の自宅に泊めてくれた親切なオジサンだったのです。

「うわー! 先祖からサポートされていたんだ…」

ビックリして、鳥肌が立ちました。

 

父は、その後、両親がいなかったので、孤児のようなあつかいになり、沖縄の教会で、親切な神父様に育てられたそうです。

沖縄に初めて本格的にできた教会があって、そこの第一期生のようなかんじだったそうです。

いろいろとコンプレックスがあったようですが、子供の頃から、負けん気が強く、勉学に励んだそうです。

それから、小学校高学年くらいの頃に、太平洋戦争がはじまり、沖縄でも地上戦が始まったそうです。

 

戦争中、親戚など10人くらいで、かたまって逃げたそうですが、リーダー的な存在に、「ノロ(沖縄の巫女さん)」の人がいて、その女性が、父たちのグループを導いていたそうです。

神様から、メッセージを受ける人で、

「ここの防空壕は、明日の朝、攻撃されるから、夜中にここを出ますよ!」

「あそこの防空壕は安全だから、3日間はあそこに滞在しましょう!」

などとアドバイスをしながら、逃げていたそうです。

不思議なことに、そのアドバイスは、100%の確率で当たったそうです。

 

戦争の末期には、父たちは本島南部の摩文仁ヶ丘まで、追い詰められていたそうです。

現在は、観光地にもなっている、沖縄平和記念公園のある場所です。
もう心も体も、限界まで疲れ果てていいて、何も考えられなくなっていたそうです。

人間は、究極まで追い詰められると、生死にこだわらなくなるそうです。

「夜は、隣の死体を枕にして、眠っていたよ…」

と、よく戦争の話をしてくれました。

 

父は、ある日、防空壕の中で、いつもなら、激しい爆撃の音がする外が、急に静かになったのを、感じたそうです。

それから、防空壕のすぐ上で、英語の話声がするから、

「ああ、アメリカ兵が、この上にいるんだな。味方の兵が、ここにいるから砲撃してこないんだな…」

と思ったそうです。

すると、

「ニホンノミナサン、センソウハ、オワリマシタ。デテキテクダサイ!」

という片言の日本語が聞こえたので、降伏して出て行ったそうです。

そこで、アメリカ兵たちが待っていて、それから、ボートに乗せられて海の沖まで、連れていかれたそうです。

父は、

「ああ… 自分たちは沖合で、機関銃で射殺されて、殺されるんだな…」

と、死を覚悟したそうです。

「不思議と恐怖感はなかったね… もう疲れ果てて、何も考えられなかったからね…」

と言っていました。


幸運なことに、父は射殺されないで、ある港で下船させられたそうです。

鉄骨で造られた、その仮説の港が現在、米軍基地移設で話題になっている、辺野古岬だったそうです。

「ニュースで、辺野古の映像を見るたびに、あの時のことを思い出すよ…」

数年前の夏、遠いところを見るような目で、私に話してくれました。

 


数年前の沖縄旅行では、父の体験した沖縄戦を、私も感じたいと思って、沖縄本島の南部をまわりました。

 

平和記念公園には、「平和祈念堂」という塔も建っています。

恒久平和を祈念して建造された、高さ45m、七角形の堂塔です。

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沖縄戦で亡くなった人々の名前が、人種、民族、敵・味方に関係なく刻まれた記念碑「平和の礎」です。

その氏名の数は、実に約24万人です。

現在も刻銘は続いているようです。

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こうやって改めて、「沖縄戦」を振りかえると、

「あの戦争は、本当は何だったのか?」

ということを、もっと知りたくなってきますね。

 


さて、父の話に戻します。
父は、戦争が終わった後、収容所で、しばらく暮らします。

これは、1945年7月に撮影された、現在の辺野古にあった捕虜の収容所です。

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ここでも、たくさんの方が、亡くなったそうですが、父は、逞しく生き抜きます。

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父が、戦争の話をするときには、不思議と悲壮感や暗さがないのです。

「脳が、自動的に楽しかった記憶だけを、残しているんじゃないかな?」

思ったこともあります。

人間の脳には、悪い思い出は、なるべく早く忘れて、いい思い出だけを、長く覚えていたいという特徴があると、何かの本で読んだことがあります。

「収容所では、米軍から支給された缶詰と辞書しかなかったから、その缶詰に書かれている英語の単語を、辞書で覚えるのが、楽しみだったよ、それで、英語を覚えて、収容所の大人たちから、重宝されたよ」

こんなことを、楽しそうに自慢するのです。

 

 

以前にも書きましたが、とても面白い話なので再掲載します。

「琉球王国」のトップシークレットです。

 

まず、沖縄本島を南北逆にしてみてみましょう。

これは、普通の地図です。f:id:tomaatlas:20181011024520j:plain

 

次は、ちょっとむき出しの地形の地図です。

これでも、まだよくわかりませんね。

よく見ると、現代になって埋め立てた土地、大昔から存在している古いサンゴ礁の島の土地と、大きく分けて2種類の土地があることがわかります。

大昔からある部分は、数千年前~数万年前にできたと思われますが、詳しい年代は、わかりません。

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さらに、細かい部分のわかる地図です。

これだと、むき出しの地形が、よくわかると思います。

この中の真ん中のあたりに、「地上絵」があるのが、わかりますか?f:id:tomaatlas:20181011023153j:plain

 

まだ、わかりませんか?

わかりやすいように、赤ペンで囲ってみますね。

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その部分を、さらに拡大します。

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さらに拡大して、黒ペンで囲ってみました。

ジャ~~~ン!!!f:id:tomaatlas:20181011024444j:plain

 

すっ、凄すぎるんじゃないですか~~!!

私が、これの第一発見者だと思いますが、これに気が付いた時に、

「うわ~~~~!!!」

と大声を張り上げてしまいました!

 

私の仲間内では、「マッチョマン」と名付けたのですが、この絵が、沖縄本島の中部に描かれていたのです。

まるで、アメリカのボディービルダーのような絵ですね。

 

この「マッチョマン」が、琉球王国の「守護神」だったのです。

超巨大な地上絵として、とうとう、現代の私たちの前に姿を現したのです。

 

ちなみに、これは若き日のシュワルツェネッガーが、「ダブルバイセップス」というポーズをしている写真です。

まさに、こんなかんじですね。

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しかも、顔は、「レプティリアン(爬虫類人)」です。

もう一度、「イナンナ=聖母マリア=稲荷」の写真です。

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奈良県の法隆寺にある石仏です。

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大阪市の「正圓寺」にある秘仏です。

世の中の終わりに、人類を救済しに来るといわれている救世主の姿だそうです。

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これも、もう一度、首里城にある、琉球王国の国王が使っていた印鑑です。

「マッチョマン」の地上絵に描かれている顔とソックリですね。

おそらく、同一神だと思います。

沖縄の守護神だと思います。

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琉球王国の守護神の姿、衝撃的ですね~!

まさに、龍神と人が合体したような姿です。

シュメール文明の神々の「アヌンナキ」の一族だと思います。

 

面白いのは、服装が思いっきりアメリカンなのです。

ジーンズに、Tシャツ姿なのに驚きます。

これにも、深い意味が隠されているのです。

 

ここからは、私の個人的な解釈になります。

おそらく、この「守護神」は、数千年~数万年前に、未来がわかっていたのだと思います。

つまり、第二次世界大戦の「沖縄戦」も、完璧に予測していたのだと思います。

 

見てください!

沖縄戦における、米軍の上陸地点です。

これも、わかりやすいように、南北を逆転させていますが、今だからわかることですが、米軍が、「鉄の暴風」と呼ばれている凄まじい艦砲射撃をやったのが、この「マッチョマン」なのです。 

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しかし、この「マッチョマン」は、そんなことを、あざ笑うかのように、存在しているように見えます。

まるで、

「カモ~ン、ベイビ~! アメリカ~♬」

と叫んでいるようです。

 

もう一度、「マッチョマン」の地上絵です。

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私は、この地上絵を見ていると、沖縄戦において、この琉球王国の「守護神」が、アメリカ軍も日本軍も、沖縄に呼んで、そこで戦争をさせたような気がするのです。

全てが、この神様の掌の上で転がされていたように感じるのです。

 

つまり、わざと沖縄本島を、一時的に地獄にしたのではないかと思うのです。

それは、人間の狭い了見では、とうてい推し量れない、地球規模の大いなる計画があったのかもしれません。

つまり、「地獄」を体験しないと、対極にある「天国」は、わからなかったのかもしれないのです。

 

そこで、とても魂が成熟していて、本当の愛と勇気と知恵をもった、琉球王国の末裔たちに、地球を天国にするために、この試練を与えたのかもしれません。

「この沖縄の地から、本当の地上天国をつくりはじめなさい! 沖縄から、世界平和を実現させるように動き始めなさい!」

こう言っているように思うのです。

 

そして、なんと、米軍基地の建設も、どうやら、この神様の想定の範囲内だったようなのです。

沖縄では、小学校の社会科の時間に、黒船で有名な「ペリー提督」が、日本の浦賀沖よりも先に、沖縄に来ていたことを習うので、沖縄の人からすれば、当たり前の話なのですが、沖縄以外の人に、その話をすると、

「えー? ペリーって、沖縄に最初に来ていたんですか?」

と、ビックリされます。

 

それどころか、日本の「幕末」というのは、沖縄から始まったと言っても過言ではないくらい、「琉球」が最重要地だったことを、歴史マニアの方も、案外知りません。

ちょうどいい機会なので、沖縄から始まった幕末の話を紹介します。
まず、この絵です。

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首里城の建物の中に掲げてある絵です。

ペリーが、黒船で沖縄に上陸して、首里城に登城した時の様子です。

ちなみに、このペリー提督は、当時のアメリカの「フリーメーソン」の最高位の人物です。


この時に、ペリーは沖縄本島を測量してまわっています。

その時から、米軍基地を置くことは計画していたのです。

現在の沖縄の基地問題は、戦後から始まっていたわけではないのです。

この頃からです。

江戸時代後期で西暦では、1853年です。

 

私は、いろいろ調べた結果、ペリーは、オリオンの宇宙人グループ、「ぺル」のエージェントのような人物だったと思っています。

音も似ていますね。

同時に、琉球王国の「守護神」からも、メッセージを受けて、動かされていたとも推測しています。

「ここに、普天間基地を建設しなさい!」

こう命令されていたように思うのです。

仲介役だった人物は、ジョン・万次郎です。

この人物については、別の機会に詳しく書きますね。

 

状況証拠になるかは、わかりませんが、紹介しておきます。

下記のエリアに、薄っすらと斜めに直線がありますが、これが、「普天間飛行場」の滑走路です。

驚嘆するのは、ちょうど、「マッチョマン」が履いているジーンズの布を継ぎ合わせている箇所が、そうなのです。

このことから、「マッチョマン」が、わざとここに、自分のファッションを完成させるために、基地を建設したように思うのです。 

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これは、オマケの話ですが、「マッチョマン」のイチモツの辺りに、現在はありませんが、「真栄原社交街」という赤線地帯がありました。

これも、興味深い事実です。

男性の神様って、やはり、秘め事が好きなのかな?(笑)

 

もっと面白い話をしましょう。

「マッチョマン」の顔の部分を拡大しました。f:id:tomaatlas:20181103070328j:plain

 

すると、目の部分に当たる所に、「沖縄県立博物館」があることに気が付きました。

建物の航空写真です。

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屋上の部分に、このような建造物があります。

通気口だと思いますが、何かに似てませんか?

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 ハイ!

「プレアデス星団」ですね。

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「プレアデス」の宇宙グループの中に、「二ビル」という星も含まれます。

つまり、「アヌンナキ」の一族の母星です。

いやー、見事にすべてが繋がりましたね。

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あと、これは、この博物館に展示してある石板です。

有名な「沖縄のロゼッタストーン」です。

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描かれている絵の中には、明らかにUFOだと思われるものがありますね。

スイスのコンタクティー、ビリーマイヤーが目撃したUFOですね。

これは、御存じのように、「神武天皇」のスペースシップでもありました。

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博物館の中に展示してある石像です。

「沖縄の守護神」だそうです。

「龍神」ですね。

「神武天皇」でもあり、「アヌ王」でもあります。

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これも、那覇市の壺屋で見かけた、シーサーです。

これも、「沖縄の守護神」だと思います。

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もう一度、地上絵です。

この地上絵は、おそらく、全長40キロくらいのエリアにまたがっています。

南は「那覇」から、北は「北谷」のあたりまでです。

簡単に40キロと書きましたが、これが石像で垂直に立てると、富士山の高さの10倍以上になります。

凄まじい建造物です。

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実は、この地上絵を発見したとき、直感的に、

「あっ! これは自分のことだ!」

こうも思ったのです。

つまり、私が学生時代に、筋トレを始めたばかりの頃、よくジーンズとTシャツ姿で、「ダブルバイセップス」のポーズをやっていたのです。

さらに、実家では、よくバカなことばかりやっていたので、母親から、「カバ!」と呼ばれていました。

この「マッチョマン」の顔が、「カバ」にも似ているので、笑ってしまいました。

 

さらに、私が、筋トレをやっていた場所が、宜野湾市と那覇市と中城村なのですが、この地上絵の中に、すっぽりと入るのです。

しかも、なんと、私が生まれたのは、那覇市の「開南」という所なのですが、ここは、ちょうど、「マッチョマン」の「脳」の部分なのです。

このことから、

「自分は、この守護神の申し子なのかな…?」

とも、思えてきました。(笑)

 

つまり、この「守護神」は、未来において、第一発見者が、私、トーマになるということまで、見通していたのかもしれないということです。

これに気が付いた時には、ゾ~ッとして、全身に鳥肌が立ちました。

 

「現代の現状は、古代の神々において、全て決められていたのだ!」

このことに気が付いたのです。

しかし、これは、運命に縛られるという意味ではありません。

逆説的ですが、

「運命は決まっていたとうことに気が付いた瞬間から、全ての運命から自由になれる」

こういうパラドックスになっているような気もするのです。

これは、科学的な根拠があるわけではなく、なんとなくの感覚からくるものです。

 

 

どうですか?

沖縄の歴史の凄さ、感じましたか?

その沖縄でも、「悪の根源」のセミナーを開催します!

沖縄在住の方、それから、この時期に沖縄旅行で滞在される方、ぜひ最高に面白い地球史の話を、聴きにきてくださいね。

 

 

<沖縄セミナー ~悪の根源~>

 

〇日時:2019年6月9日(日)13時45分(受付開始) 14時00分~17時00分

 

〇場所:「Brillian Port」 会議室 カサブランカ
〒900-0016 沖縄県那覇市前島3-25-2 泊ポートビル4階
http://brilliantport.com/


〇内容:この世界の悪について、古代史から現代までの流れを話します。
とてもユニークな戦争論になると思います。
「地球文明」というセミナーでは、宇宙人のたちの話がメインでしたが、このセミナーでは、闇の人類史を主に語ります。

〇定員:10名 深い話がしたいので、少人数とさせていただきます。
定員に達し次第、申し込み締め切らせていただきます。

〇受講料:2万円 
お振込み方法などはメールで、ご連絡いたします。

〇その他:セミナー終了後、懇親会も予定しています。
こちらも、時間や場所などはメールで、ご連絡いたします。


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最近、メールが返信できないことが増えています。
3日経っても、私から返信がない場合は、別のメルアドから送信してみてください。

トーマ
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