九州パーフェクトツアー 6 不完全
島原半島の旅では、タウリンさんの案内で、とても興味深い旅になりました。
マニアックすぎて、かなりディープな古代史ファンじゃないと、意味がわからない内容だったと思います。
しかし、私たち一行は、そういう旅を求めていたので、もう最高に楽しかったです。
旅の途中で、「水原神社」という所にも立ち寄りました。
「素通りではもったいない」という文字に、反応しました。(笑)
家紋が、「平氏」の「揚羽蝶」でした。
この神社の近辺で、不思議なことが起こりました。
地元の古代史に精通しているタウリンさんが、道に迷うというトラブルが発生したのです。
おそらく、神々が、何らかの理由で、タイミングをズラしたかったのかもしれません。
その後、なんとか、目的地へ辿り着くことができました。
「山陰神社」という神社でした。
なぜか、「ウサギ」の像がありました。
近くの祠には、「アヌンナキ」の一族のシンボルマークである、「✕」がありました。
そして、「蝶」が三匹で組み合わさっている不思議なシンボルもありました。
「蝶」も、「アヌンナキ」のシンボルでしたね。
そして、この石像です。
この石像は、いつ、どこで作成されたのかも、わかならず、謎の石像だそうです。
ここでもまた、私の身にも不思議なことが起こりました。
「この顔、どこかで見たことあるな…?」
こう思った瞬間、思考が働かなくなったのです。
これには焦りました。
時間にすると、30秒~60秒くらいでしたが、しばらく、頭脳が働かなくなったのです。
まあ、その後、すぐに正常に戻りました。
ここには、何かを守るための強力な結界が、あるのかもしれません。
この顔です。
これは、東京都の上野にある国立博物館に、展示されていた縄文土偶です、
先ほどの石像の顔に、ソックリですよね。
「島原の石像」と「博物館の土偶」、この二体は、双子の魂をもった神様だったと思います。
「双子の神様」で、思い出しました。
それは、日本の神話の中における、「ヒルコ」の存在です。
いろいろな文献には、「ヒルコは、双子だった」
という記述があるそうです。
それぞれ、「ヒルコ」と「ヒルメ」というそうです。
その双子の正体は、シュメール文明では、「エンリル」と「エンキ」だったのかもしれません。
「阿の狛犬」と「吽の狛犬」ですね。
エジプトの「ツタンカーメン」のマスクです。
「コブラ」のような姿のヘビが、おそらく、「ヒルコ」の正体だと思います。
そして、隣にいる「アヒル」のような存在が、「ヒルメ」なのかもしれません。
すると、こういう仮説も出てきます。
〇「ヒルコ」=「エンキ」=「爬虫類の神様」=「亀」=「口の閉じた狛犬(吽)」=「出雲大社」
〇「ヒルメ」=「エンリル」=「鳥の神様」=「鶴」=「口の開いた狛犬(阿)」=「伊勢神宮」
上記の写真、「ツタンカーメン」のマスクは、もしかしたら、「ヒルコ」と「ヒルメ」が実態で、人の顔の部分は、中身は虚で、その中身は空っぽだったかもしれません。
つまり、擬態です。
よく、「葉っぱ」に化けた虫がいますよね。
ほとんどの虫が、「葉っぱ」の部分が、大きいのですが、そこは、天敵に食べられても大丈夫な「羽」などの部分で、大切な「頭」は、外れのほうに小さくあります。
仏像なども、よく、「小さい身体」と「大きな身体」が合体した仏様がありますが、これも、「大きな身体」のほうが「虚」で、「小さな体」のほうが「実」なのかもしれません。
これは、沖縄の首里城に展示してある、琉球王国の国王が使っていた印鑑です。
上記の「ツタンカーメン」の仮面にある、「アヒル」の姿にソックリですね。
これは、「ヒルメ」だと思います。
福岡県の沖ノ島で発見されたものです。
「ヒルメ」ですね。
これが、「ドラゴン」の原型でもあったかもしれません。
土で創った、「ドラゴン」と「人間」のハイブリッドの存在だったかもしれません。
一説によると、「ヒルコ」と「ヒルメ」の双子は、こういう系統になるそうです。
〇「ヒルコ」=「銅鐸の文化」=「出雲」=「スサノオ」
〇「ヒルメ」=「銅鏡の文化」=「伊勢」=「アマテラス」
おそらく、「ヒルコ」のほうが、九州を中心にした邪馬台国で、「ヒルメ」のほうが、関西を中心にした邪馬台国だったのだと思います。
そして、両者とも、しばしば人間の姿に変身して、「スサノオ」や「アマテラス」になったのだと思います。
ただし、この場合、あまり細かいことは考えなくもいいと思います。
「ヒルコ」と「ヒルメ」は双子で、ツインレイの魂なので、名前などは、どちらでもいいということです。
人間の悪い癖は、名前などでカテゴリー別に分けることに、執着することです。
「古事記」によると、「イザナギ」と「イザナミ」が、オノゴロ島に神殿を立て、最初に創った神が「ヒルコ」だと言われています。
ところが、このヒルコは、神としては不完全で、3年たっても足腰の立たないものだったようです。
そこで、「イザナギ」と」「イザナミ」は、このヒルコを葦船にのせて、海に流してしまいました。
「古事記」には、その後ヒルコが、どうなったのかについては、語られていないようです。
興味深いのは、旧約聖書に登場する、「モーゼ」が、生まれたばかりの時に、「ヒルコ」と似たように、川に舟で流れ着いたのを、その時に水遊びをしていた女性たちに助けられ、引き上げられたと言われています。
「モーゼ」とは、「水の中から引き上げた」という意味のヘブライ語「マーシャー」に由来するそうです。
もしかしたら、不完全な姿だった、「ヒルコ」が、時空間を越えて、当時のエジプトに飛んだのではないでしょうか?
それから、身体が完全な人間の姿に、シェイプシフトして、「モーゼ」という男の子として、生まれ変わったのではないでしょうか?
「神々」という存在たちは、人間のように、時間や空間や姿形などに束縛されないのです。
同じ時代に、別々の人間の肉体にも、魂を宿すこともできるそうです。
そういう複数の人間のグループを、「ツインレイ」や「ツインソウル」、それから、「ソウルメイト」や「ソウルグループ」と呼んだりもするそうです。
この世界において、全ての出来事から、完全に自由な存在なのです。
「モーゼ」は、時空間を自在に飛び回る、「パラレルワールド」の旅人だったのかもしれませんね。
こうやって考えると、古代史が、また楽しくなってきますね。
2019年2月に、同じく島原半島の旅で立ち寄った所です。
「温泉神社」という名前です。
お稲荷さんですね。
近づいて、よく見ると、普通のお稲荷さんではありません。
最初は、意味がわからなかったのですが、しばらくして、この石像の意味がわかりました。
ハイ!
つまり、このお稲荷さんは、シュメール文明における女神、「イナンナ」なのです。
「イナンナ」の姿です。
「聖母マリア」です。
詳しいことは割愛させていただきますが、こうなります。
「エンキ」=「イザナギ」
「ニンフルサグ」=「イナンナ」=「聖母マリア」=「イザナミ」
二体のお稲荷さんは、簡単に言うと、「イザナギ」と「イザナミ」なのだと思います。
そして、「氷の天使」と呼ばれる「クリオネ」に似た姿の二人の子供は、「ヒルコ」と「ヒルメ」なのだと思います。
だとしたら、「ヒルコ」は、「キリスト」でもあります。
すると必然的に、「ヒルメ」は、弟の「イスキリ」になります。
「イザナギとイザナミが、ヒルコとヒルメの双子の子供を生んだ」
この石像は、そういう意味なのです。
そして生んだ後に、二人の子供たちは、産道(鳥居)を通ってこの世界に出ます。
それが、この二人です。
ブサイクで可愛いですね。
身体が不完全なのに、注目してくださいね。
拝殿です。
この拝殿前の二体の狛犬は、「ヒルコ」と「ヒルメ」が成長して大人になった姿なのかもしれません。
「ヒルコ」→「エンキ」
「ヒルメ」→「エンリル」
こういうことです。
さらに、面白いことに気が付きました。
日本に来ていた「エンキ(宇賀神)」の姿です。
頭部は人間で、身体が蛇の神様ですね。
「ヒルコ」が成長して、「蛇神」になった姿でもあると思います。
「ヒルコ=蛇神」なのです。
そして、この絵は、古代の中国の伝説に登場する神様です。
二人の神様は、「伏羲」と「女媧」という兄妹です。
「エンキ」と「ニンフルサグ」だと思います。
日本では、「イザナギ」と「イザナミ」です。
「伏羲」と「女媧」
「エンキ」と「ニンフルサグ(イナンナ)」
「イザナギ」と「イザナミ」
これらの神様は、皆、「蛇神」なのです。
だとしたら、「ニンフルサグ(イナンナ)=卑弥呼」なので、「卑弥呼」も、「蛇神」だったということです。
そして、私は、「ヒルコ」は、「卑弥呼」でもあったと思っています。
名前の音も似ていますね。
いいですか?
ここからが、凄いですよ。
「魏志倭人伝」の中には、
「卑弥呼は、邪馬台国に居住し、鬼道で衆を惑わしていた」
という古代史上の謎があります。
今まで誰も解けなかったのですが、この神社の鳥居をくぐっていたら、わかりました。
そうなのです。
「鬼道」とは、熊本県の「トンカラリン」にある「地下トンネル」のことだったのです。
「鬼が通る道」という、そのままの意味なのです。
皆、難しく考えすぎていたのです。
鬼のような顔で、身体が蛇の姿の「卑弥呼」が、地下トンネルを通って、当時の人々を、いろいろな理由で、惑わせていたということです。
もしかしたら、当時、九州と関西の間を繋ぐ、巨大な地下トンネルもあったのかもしれません。
「卑弥呼は、戦の時などに、鬼蛇の姿になって、地下にある鬼の道を通って、敵を攻撃したり、逃げたりしていた」
こういう意味なんじゃないでしょうか?
熊本県の「トンカラリン」です。
実は、「鬼蛇」の神様は、現在でも、日本中の神社や寺で、私たちを出迎えてくれています。
ハイ!
「鬼瓦」です。
「鬼のような顔で蛇のような身体の神様」
この神様の正体は、「邪馬台国の卑弥呼」だったということです。
旅行記に戻ります。
今回の旅では、島原半島では、「ヒルコ」もテーマになりました。
海岸沿いをドライブしていたら、面白い石像がありました。
指し示している方向には、神社がありました。
皆で、いろいろ調べている場面です。
「貴船神社」という名前でした。
ここの石灯篭が、ユニークでした。
いろいろな彫刻が彫られていました。
狛犬も、面白いですね。
そして、これを見てください!
これも、どこかで見ましたね。
そうです。
青森県弘前市にある、「岩木神社」にもいました。
これに似たコンセプトの石像は、他にもあります。
それは、トルコ南東部にある、「ギョベクリテペ」と呼ばれている遺跡の中です。
地名は、トルコ語で、「太鼓腹の丘」という意味らしいです。
遺跡の復元想像図です。
これは、1万2千年前の遺跡だと言われていて、今の時点で発掘されている中では、世界最古の神殿だと言われています。
1万2千年前というと、日本では、「縄文時代」、外国では、「アトランティス時代」とも言われいていますね。
「シュメール文明」よりも、さらに古い時代です。
ここの遺跡には、壁に興味深い絵や石像が、たくさんあるようです。
これらの絵など、「恐竜」に見えませんか?
この時代、この場所で、人間と恐竜が共存していたかもしれません。
アヒルにも見えるので、「ヒルメ」かもしれません。
これなど、どう見ても、超長い尻尾を立てて、歩いている恐竜にしか見えません。
太古の時代、映画の「ジュラシックパーク」のようなものが、ここにあったのかもしれません。
このトルコの遺跡の柱に、こういう生物の石像があったのです。
「貴船神社」や「岩木山神社」の石像に、似ていませんか?
これだけ広い世界でも、これに似た遺跡は、あまり発見されていません。
ご存じのように、九州と青森とトルコは、かなり離れています。
人間の仕業であれば、この3つの場所を行き来していたというのは、考えにくいです。
でも、これらの文明の主役が、宇宙人たちだったと思えば説明がつきます。
「九州」⇔「青森」⇔「トルコ」
これらの距離は、スペースシップに乗れば、簡単に行き来できたと思います。
3つの石像の形の一致は、偶然だと思いますか?
それとも、この3つは、何か関係があると思いますか?
ちなみに、「ギョべクリテぺ」の遺跡が発見されたのは、比較的最近で、1994年です。
発掘作業は、まだ全体の5%しか進んでいないそうです。
この遺跡の全貌が解明されるのは、50年後だとも言われているそうです。
それくらい、巨大な遺跡みたいです。
島原の「貴船神社」、それから、青森県の「岩木山神社」に、この狛犬を造った人たちは、どうして、この形にしたのか、わかりませんが、1万2千年前のトルコの遺跡の生物を、知っていたのでしょうか?
「ギョべグリテぺ」の遺跡の近くには、「ノアの方舟」が辿りついた山と言われている、「アララト山」があります。
こういうことを考えると、またまた想像が膨らんできて、楽しいです。
島原の「貴船神社」と青森の「岩木山神社」、それから、トルコの「アララト山」何か繋がりがあるかもしれません。
「ノアの方舟」は、複数あったという説もあります。
もしかしたら、太古の時代に、島原の「貴船神社」や青森の「岩木山神社」にも、「ノアの方舟」が、漂着していたのかもしれませんよ。
「貴船神社」の「貴船」は、「ノアの箱舟」の意味かもしれません。
「貴船神社」の石灯篭の上には、さらに面白い彫刻がありました。
よくよく見てみると、「ヒルコ」と「ヒルメ」ではないですか~!
「ヒルコ」だと思います。
こちらは、「ヒルメ」でしょう。
そのあと、拝殿でも参拝しました。
これは、「世界樹」の意味じゃないかな?
本殿の横に彫られてる彫刻も、意味深でした。
いや~。最高に面白い旅でした。
繰り返しになりますが、「イザナギ」と「イザナミ」が、オノゴロ島に神殿を立て、最初に創った神が「ヒルコ」ですが、この「ヒルコ」という神は「不完全」で、3年たっても足腰の立たないものだったようです。
そこで、二人は、このヒルコを葦船にのせて、海に流したとのことです。
この話の中の「不完全な神」という単語で、思い出した話があります。
有名な木内鶴彦さんの講演会で聴いた話です。
ご存知のように、木内さんは、昔、臨死体験をされて、霊体になったときに、タイムトラベルをして、宇宙の始まりも見てきたそうです。
まず、宇宙というのは、「ひずみ」から、始まったそうなのです。
例えると、お風呂の湯船に浸かりながら、両手でお湯を胸の真ん中で、ぶつけようとすると、最初の波が、
タップン!
と音を立てて、ぶつかりますね。
ちょうど、そういうかんじが、宇宙の始まりだったそうです。
当初、「膨大な意識」というものから、「ひずみ」が生まれ、そこから、宇宙が始まったそうなのです。
この「膨大な意識」を、「神」と呼んでもいいと思います。
この存在が、本当の「創造主」ですね。
宇宙の始まりは、「アー」という音からだったと、木内さんは言っていました。
これは実は、「神」の「アクビ」の音だったそうです。
最初、「神」である膨大な意識は、「完全」だったそうです。
ただ、「完全」というのは、「停滞」のエネルギーを生むそうです。
そして、とても「退屈」だそうです。
そこで、膨大な意識は、自分自身を動かせ、進化させるために、「不完全」という状態にしたかったのだそうです。
そのために、ある時点で、「ひずみ」をつくりだし、「アー」とアクビをしながら、
「アー、よく寝たな…。そろそろ起きて、なにかを始めようかな? そうだ! まずは、この退屈な完全という状態を止めよう。まずは、不完全を創ろう」
というかたちで、宇宙が、始まったのだそうです。
「完全である神は、人間という不完全な存在を、あえて創った。その理由は退屈だったから」
ということです。
宇宙の始まりの最初の音は、アクビの音だったみたいです。
面白いですね。(笑)
「完全」や「ワンネス」の状態というのは、とても理想的で素晴らしいのですが、エネルギーを停滞させ、退屈をつくるみたいです。
「神」と「人間」の関係を、さらにわかりやすく図式化すると、下記のようになるみたいです。
〇「神」=「完全」=「停滞」=「退屈」
〇「人間」=「不完全」=「動き」=「感動」
ここで大事なのは、「人間」という存在は、「神」の進化系だということです。
「神」が、「感動」を体験したくて進化した存在が、「人間」だということです。
「神」→「人間」
ということです。
「神」という「完全な存在」は、対極の「不完全」である「人間」を創ることによって、
「完全とは、どういうことか?」
を認識しようとしているのだそうです。
逆に、「人間」という「不完全な存在」は、対極の「完全」である「神」を創ることによって、
「不完全とは、どういうことか?」
を認識しようとしているのだそうです。
こういう相互に学びあい、認識しあっているのが、「神」と「人間」の関係なのだそうです。
「完全」よりも、「不完全」なほうが、はるかに高度に進化しているということです。
わかりやすい例をあげますね。
「ドラえもん」という漫画に、「出木杉(できすぎ)君」という成績優秀で、スポーツ万能、性格もいいという男の子がでてきますね。
もしも彼が、主人公だったら、「ドラえもん」という漫画は、1話くらいで終わってしまいます。
それが、のび太君という劣等生で、スポーツ音痴、ドジ、怠け者、弱虫というキャラの男の子だから、話が何百話も続いたのだと思います。
「神」という存在は、「不完全」という存在を創りだせるほど、「完全」だということです。
もっと言うと、「不完全」という状態は、「神」でもなれなかった領域だということです。
「神が、唯一できなかったこと。それが不完全になるということだった」
ということです。
それを、今、「人間」が、「神」の代わりにやっているのです。
こういうことは、いろいろな宗教や精神世界でも、あまり言われてなかったことだと思います。
たまに、
「神=人間」
という話を聴くことはありました。
でも、
「人間>神」
という話は、あまり耳にしませんね。
私も、いろいろ考えてみたのですが、ある晩のこと、面白いことを思いつきました。
1980年代、「ニューエイジムーブメント」がアメリカで流行った頃、女優のシャーリー・マクレーンが、自分の映画、「アウト・オン・ア・リム」という作品の中で、シャーリー自身が、アメリカの海岸で、友人と二人で両手を水平に広げながら、
「アイ アム ゴッ~ド!」
と叫ぶシーンを、思い出しました。
これは私も、アメリカに住んでいた時に、マリブの海岸で、友人たちとやってみたのですが、とてもいい気持でした。
そこで、これの進化系で、
「アイ アム スーパーゴッ~ド!」
と、家のベランダから、星空に向かって呟いてみました。
すると、不快な感じがしないのです。
人にもよるでしょうが、もしもこの行為が、自分にとって、間違えている道であれば、魂の奥底から、不快な感情が湧き上がってくるはずなのです。
しかし、湧き上がってきたのは、とても居心地のいい、快適な感覚でした。
もしかしたら、これが人間の自然な姿なのかもしれません。
「人間」=「スーパーゴッド(超神)」
だということです。
ためしに、今、口に出してもいいし、頭の中で、呟いてもいいと思います。
私が、最強だと思う言霊です。
「アイ アム スーパーゴッ~ド!」
どうですか?
身体も心も軽くなり、とても浄化されるのを感じませんか?
大好きなシャーリーの本、「アウト・オン・ア・リム」です。
NHKの「ファミリーヒストリー」という番組のように、自分の先祖などの痕跡も調べて辿ってみると、どの人も生涯も、山あり谷あり、笑いあり、涙あり、怒り、憤り、悲しみ、楽しみ、喜びなど、「喜怒哀楽」の宝庫です。
創造主である「神」、それから、人間の進化系である「神々」、そして、「人間」というふうに、この世界の知的生命体は、大きく三つに分けられると思います。
その中の「人間」という存在が、「神」や「神々」よりも優れているのは、この「感情」を使って学んだことみたいです。
宇宙でも、多くの宇宙人たちから、地球人は、「感情のマスター」という称号が与えれていて、とても尊敬されているそうです。
「喜怒哀楽」こそが、「人間」という存在の醍醐味なのです。
全ての「人間」に共通する、人生のメインテーマは、「喜怒哀楽」を体験することなのです。
どんどん、失敗して、怒ったり、泣いたり、笑ったりしながら、人間くさく生きるのが、人間の本来のあり方なのです。
バカでいいのです。
アホでいいのです。
それが、人間なのです。
確実で強力に心の奥に「自信」を、植え付ける方法があります。
それは、前述したように、
「自分が神、もしくは、神以上の存在である」
ということに、気がつくことです。
それも、浅い部分で信じるのではなく、そのことを、心の底から理解することです。
私は、「精神世界」の勉強や体験を積んでいく意義は、このあたりにあると思うのです。
ねんのために、「精神世界」という分野の定義を、再確認しましょう。
ご存じのように、「精神世界(スピリチュアル、ニューエイジ)」は、「心」や「意識」を扱います。
でも、「心理学」や「哲学」でも、「心」や「意識」の問題は扱うのです。
これらの間に、どんな違いがあるのかというと、
「精神世界の分野は、死んだ後にも、心や意識が存在していると考えている」
ということです。
「死後の生を、認めているかどうか?」
というのが、「心理学」や「哲学」などの学問と、「精神世界」を分ける基準なのです。
これからは、「心理学」や「哲学」も、どんどん進化して変わってくると思いますが、基本的には、これらの学問は、「死後の世界」には、あまり言及しないというスタンスみたいです。
私は、大学生の頃、ある恩師の方と出会ったことによって、「死後の世界」を信じられるようになりました。
それまで、半信半疑だった、
「人間は、永遠の存在である」
という事実を、信じることができたのです。
これは、私の人生においての最大の贈り物でした。
その出会いが、キッカケになって、その後も、いろいろな勉強や体験を重ねていき、深く理解できるようになりました。
その時の大感動は、24年たった今でも、思いだすだけで、心が、じ~んとして温かくなります。
これも、シャーリー・マクレーンの本だったと思うのですが、彼女も、ある出来事を、キッカケに、「輪廻転生」を理解した後、しばらく夜眠れなくシーンがあります。
それで、夜中に、親友に電話をかけるのですが、親友が、
「シャーリー、こんな夜中に眠らないで、電話なんかかけてきて、どうしたの?」
と聞いたら、シャーリーが、
「だって、これから先、100万年以上も、生きていくということを考えたら、眠れなくなっちゃたのよー!」
と電話口で、叫ぶシーンがあります。
私も、24歳の頃に、「輪廻転生」を理解した時、そういう心境でした。
いろいろな友人たちに、
「ねえ、人生の秘密に気がついたんだけど、聞いてもらえるかな? 実は人間って、死なないんだよ。これから先、肉体は死んでも、魂は永遠に生き続けるんだよ。知ってた?」
と言ってまわりました。
でも、ほとんどの友人から、
「オマエ、何かのヤバイ宗教団体に入信したんだろう? 大丈夫か?」
とバカにされました。
しかし、
「まあ、いつかは、わかってくれるだろう…」
と思って、あまり気にしませんでした。
「永遠の存在」
これが、理解できたら、この世で、怖いものなどなくなるのです。
「神である私たちは、決して死ぬことはない」
という大原則を、基準に生きられるのです。
なんだかんだいっても、つきつめて考えたら、この世界での最大の失敗は、「死」です。
どんなに最悪の事態になっても、結局、死ぬだけなのです。
病気でも、事故でも事件でも、最終的には死ぬだけです。
でも、その「死」さえ、実は一時的なものであり、すぐに敗者復活戦である、「生まれ変わり」というシステムに入り、「来世」という「次回」が待っていると分かった瞬間、ほとんどの苦しみから、解放されるのです。
「永遠」という無限大の時間から考えた場合、現在の人生での「職業」や「財産」、「能力」、「容姿」、「成功」など、どれほどのものかということです。
「どんなに失敗しても、そして、最終的に、死んでしまっても、実は、まだまだやり直せるチャンスが、無限大に待っている」
私は、これを知った時に、自然に「自信」が湧いてきました。
「決して死なない、永遠の存在」には、「失敗」というものは無いのです。
あるのは、「経験」と「学び」だけになるのです。
そして、無限大の時間の中で、それらを繰り返していれば、いつかは必ず、「成功」できるということです。
これらのことは、人によって、理解する時期は違うと思います。
また、理解の仕方も、人それぞれだろうと思います。
それで、いいのです。
別に、これを早く知ったからといって、偉いわけでも、なんでもありませんが、自分の経験から、これを知った時点で、とても楽に生きられるようになります。
私たちが、「永遠の存在」であるということを、ぜひ、「精神世界」を学ぶことによって知ってください。
そうすれば、状況や結果に、左右されない、「揺るぎない自信」を見につけることができます。
私たちは、もともと心の奥底に、「神」を宿しているのです。
これは、完全な存在です。
神という存在は、
「完全ではない」
と思わせることができるくらい、完全な存在なのです。
そして、
「不完全を演じることができるくらい、さらに完全な存在」
これが、人間なのです。
もう少し書いておきます。
人間の記憶には、二種類あるそうです。
一つ目は、「脳の記憶」だそうです。
たとえば、小学校の算数の時間に、「平行四辺形の面積」を習うと、それは脳の記憶として、記憶されるようです。
でも、これは、すぐに忘れることが多いです。
ほどんどの人は、受験勉強が終わったら、ほとんど覚えていないでしょう。
「そういえば、平行四辺形の面積の出し方、習ったことが、あったな…」
くらいで、それ以上は、覚えていないのです。
それに対して、二つ目は、「心の記憶」になるそうです。
たとえば、先ほどの算数の時間に、「平行四辺形の面積」を習っている最中に、クラスの誰かが病気で倒れて、皆で、保健室まで連れていったことがあったら、これは、大人になってからも、覚えているものです。
何かの機会で、「平行四辺形」の図形を見るたびに、
「面積の出し方は忘れたけど、そういえば、この面積の授業中に、クラスのあの子が、病気で倒れて、皆で、保健室まで連れていったことがあったな。懐かしいな…」
というかんじで、いつまでも、そのことは覚えているものです。
「脳の記憶」は、どちらかというと、社会的なもので客観的なものでしょう。
それに対して、「心の記憶」は、個人的なもので主観的なものです。
さらに、前者は、「知識」として処理されるために、役目が終わったら、すぐに忘れてしまうものみたいです。
でも、後者は、「思い出」として、長いこと忘れずに持っておける財産みたいです。
おそらく、死んだ後にも、あの世や来世まで持っていけるのは、「心の記憶」のほうだと思います。
これからの時代は、だんだん、こういう時間のほうが大切になってくるし、価値を認められてくると思います。
「ゆたかさ」とは、「心の記憶」を、どれだけ創りだして、持っているのかで決まってくるような気がします。
量的な「時」よりも、質的な「とき」のほうが価値がでてくるのです。
人生に色どりを与えるのは、この質的な「とき」であり、「心の記憶」として残るものなのです。
九州の旅の後、面白いことに気が付きました。
なんと、「島原半島」は、「ヒルコ」の地上絵になっていたのです!
見てください!
「ヒルコ」ですね~!
左側を向いていますね。
そして、ちゃんと、「目」や「角」などもありますね。
「島原半島」に、ブサイクな形の狛犬が、たくさんある理由も、これで、わかりました。
この半島は、「ヒルコの島」だったのです。
そして、この土地は、御存じのように、昔から、「キリシタンの迫害」など、いろいろな苦難があった場所です。
失敗に失敗を重ねた、歴史のある土地なのです。
でも、だからこそ、神様は特に可愛がったのかもしれません。
旅行記の冒頭にも書きましたが、この半島は、「邪馬台国」である「台にのっている馬」の地上絵の「目玉」になります。
「馬の神様が、目の中に入れても痛くないほど、可愛がった土地」
こういうことです。
余談です。
先ほどの「イザナギ」と「イザナミ」に話を戻すと、この夫婦は、失敗作である「ヒルコ」を生んだ時、実はとても嬉しかったのではないでしょうか?
なぜならば、前述したように、
「人間は、不完全を体験するために、この世界に誕生したから」
なのです。
つまり、この夫婦が、この世界に誕生してから、真っ先にやりたかったこと、それこそが、「失敗」だったのではないでしょうか?
ふーっ、今回で、「九州パーフェクトツアー」は、最終回です。
いかがでしたか?
今回も、面白い旅行記になったと思います。
これを読んで、面白いと思ったところには、ぜひ直接行って、実際にその目で景色を見て、身体で感じてきてください。
そうやって、肉体を使って体験することが、魂が喜ぶことであり、この世界に生まれてきた意義であり、醍醐味なのですから。
では、いつものように、恒例の締めの言葉です。
「私は失敗したことがない。ただ1万通りのうまく行かない方法を見つけただけだ」
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