精神世界の鉄人

UFOやチャネリング、霊、輪廻、超古代文明などの不思議な話題から、ビジネス、経済、政治、歴史、文化などの社会問題、そして、恋愛や結婚、ダイエット、旅などの現実的な話題まで、幅広く、日々感じたことを、書き綴ってみますね。

島原半島ワクワクツアー 9 自分探し

島原の旅では、連日、美味しい物ばかり食べましたが、郷土料理も食べてみました。

いろいろな土地を訪れた時、その土地の料理を食べるのも、旅の醍醐味ですね。

 

これは、「具雑煮」という料理だそうです。

島原市で、松下先生とタウリンさんと一緒に食べました。

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ネットで調べると、こういう説明がありました。

この具雑煮は、寛永14年(1637年)の島原の乱の時、一揆軍の総大将であった天草四郎が、約37000人の信徒たちと籠城した際、農民たちに餅を兵糧として蓄えさせ、山や海から、いろいろな材料を集めて雑煮を炊き、栄養をとりながら約3ヶ月も戦ったといわれています。

材料は、山芋、ゴボウ、レンコン、白菜、椎茸、鶏肉、蒲鉾、焼きあなご、卵焼き、春菊、もち等10数種類の具が、ふんだんに使われています。

島原の雑煮というのは、昔は、大なべに近辺で取れる野菜や魚などを、大量に入れて煮込むのが特徴でした。

また、だしの取り方は、各家庭で違いますが、カツオだし、いりこ、かしわ、あご、こんぶなどがよく使われています。

料理自体は、きわめて単純なものですが、このだし汁にごぼう、しいたけ、かしわ(鶏肉)、焼アナゴなどの10数種類の具の煮汁がうまく調和し、うまみを出していきます。

 

とても美味しかったです。

次回に行った時も、食べたいですね。

 

 

 

2014年の春から、本格的に古代史や宇宙考古学を学び始めて、国内だけですが、ありとあらゆる土地に、直接行って、この目で、いろいろなことを、確かめて、検証してきました。

 

最初の頃は、純粋に歴史の裏側や古代史の奥深さに、感激していました。

それから、その歴史の裏側には、どうやら、宇宙人だとか神々だとか呼ばれていた存在がいたことを、確信して、その存在たちの正体を知ることにも、夢中になりました。

しかし、だんだん、それらの気づきを通り越した後、自分の内側に目を向けるようになってきたのです。

 

スピリチャルを学ぶ人たちは、いきなり、自分自身を深く知るために、ヒプノセラピーを受けたり、チャネリングやリーディングで、自分のガイドや前世を見てもらったりする人が多いと思いますが、なぜか、私自身は、そういうことは、あまり興味がなく、

「そういうことは、無理して思い出したり、教えてもらわなくても、必要な時に、完璧なタイミングでわかるだろう…」

こう思っていました。

 

宇宙存在である「バシャール」も、本の中で、こう説いていました。

「前世や来世を思い出すたったひとつの方法は、今この人生を、100%生きることである」

つまり、

「前世を思い出したら、この人生をより充実して生きられるのではなく、最高に充実した人生を生き切った時、本当のワクワク人生を生き始めた時、ご褒美のように、自然に自分の前世などを、思い出すことができる」

こういう意味なのだと思います。

 

 

私は、子供の頃から変わっていました。

そもそも、赤ちゃんの頃から、今のような大人の意識があり、なんでも知っていました。

0歳の頃からの記憶があります。

2歳の頃に、初めてUFOや宇宙人だと思われる存在とコンタクトしています。

それからも、いろいろな不思議な体験をたくさんやりました。

大人になってからも、夢などが簡単に叶ったり、とても面白い人生を生きています。

大変なことや苦しいことも、山ほどありましたが、それも、なんとか乗り越えて、幸せに生きています。

 

記憶力もよくて、子供の頃の家族や友人たちとの会話なども、細かいことまで、全部おぼえています。

しかし、この記憶力のよさも、たまに裏目に出て、嫌な思い出や傷つけられた言葉なども、忘れることができなかったいして、苦しむことがあります。

そういう時は、そのネガティブな出来事を、ポジティブに解釈して、こうやって、ブログ記事にして書き、たくさんの人たちと体験を共有すると、皆も喜ぶし、自分自身も癒されます。

私のブログを書き続けている原動力は、これだと思っています。

 

さて、こういう変わった男なのですが、子供の頃から、自分の魂の奥底に、もう一人の自分がいることに、気が付いていました。

その存在は、とても賢く、いろいろなことを見渡していて、ここぞという時に、的確なアドバイスを、さりげなく無意識化に送り込んでくれるのです。

 

今でも、こうやって、ブログを書く時やセミナーなどで語る時には、たまに、この存在が、「セミコンシャスチャネリング(半変性意識状態)」のようなかんじになって、的確な話をすることがよくあります。

普段の私は、直接会ったことがる方は、知っていると思いますが、冗談好きで面白い、ただの普通の男です。

ただし、たまに凄く賢い存在と繋がることもできるのです。

 

適切なたとえではないかもしれませんが、子供頃大好きだった、「ウルトラマンシリーズ」で、普段は、普通の地球人の男性が、いざという時には、ウルトラマンに変身するような、そんな感覚が、子供の頃からあったのです。

 

「この奥底にいる存在の正体は、誰なのだろうか?」

去年の秋あたりから、たまに考えるようになりました。

 

 

今回の島原半島の旅で、これがわかったのです。

 

それは、松下先生と、あるバーで食事をしていた時に、松下先生が、友人の凄い能力をもった方から、教えていただいたそうです。

松下先生いわく、

「トーマさんの前世は、聖徳太子だったそうですよ」

こう言われたのです。

 

今までにも、いろいろな霊能者から、たくさんの前世を教えていただいたのですが、それらの多くは、歴史上の有名人が多かったのですが、今一つピンときませんでした。

部分的には、モチロン、合っているとは思うのですが、なんとなくボンヤリと、

「そうかな…?」

と思う程度だったのです。

 

しかし、「聖徳太子」と言われた時に、素直に、

「やっぱり…」

と思えたのです。

実は、今年の春に、奈良県を旅していた時に、そのことに、薄々気が付いていました。

特に、「補陀洛山 松尾寺」を訪れた時に、

「昔、ここに住んでいたことがある」

と確信したのです。

その時に、なんとなく、聖徳太子の記憶と繋がったような気がしたのです。

 

ただし、以前に書いたように、私は、「前世」という単語は、狭い意味の表現になるので、あまり好きじゃありません。

実際には、「生まれ変わり」や「前世」という現象は、「アカシックレコード」というデータバンクのようなところがあり、そこに、過去に生きていた人、現在生きている人、それから、未来に生まれてくる人などの全ての情報があり、そこから、誰でも自由に必要なだけ、繋がることができるという認識をもっています。

だから、私以外にも、「聖徳太子」の情報を繋がっている人は、山ほどいるだろうと思います。

ためしに、キネシオロジーを使って、

「どの程度、聖徳太子と繋がっているかな?」

と思って調てみると、「83%」と出ました。

この結果は、私には納得の数値でした。

 

「前世」という単語は、「指導霊」や「ガイド」という表現に置き換えてもいいかもしれません。

自分を導いてくれている神霊ですね。

いずれにしろ、自分の魂の奥底にいる、「もう一人の自分」のことです。

 

考えてみれば、私のやっている活動、

「宇宙的な視点から人類史を見直し、さらにわかりやすい表現に変換して、たくさんの人々に届ける」

これをやっていた人物は、過去の歴史の中に、それほど多くはいません。

まさに、聖徳太子がやっていた仕事なのです。

 

現在は、教科書からも、「聖徳太子」の名前も消されそうになっていますね。

今は、「厩戸皇子」と呼ばれたりすることも多いそうですね。

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 もしかしたら、聖徳太子の霊が、学校の教科書から消されそうな真実の歴史を、私のブログを通して、広く日本人に伝えようとしているのかもしれません。

 

 

 

これらの写真は、今年になって行った旅行の時のものです。

振り返ってみると、やはり、無意識的に聖徳太子と縁のある寺や神社で参拝していました。

 

 茨城県取手市の「八坂神社」です。

「三つ巴」のシンボルですね。

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境内には、「聖徳太子神社」という摂社がありました。

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聖徳太子の石像です。

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ここから、車でちょっとの所に、「子安神社」がありました。

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ここにも、聖徳太子がいました。

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最近、神奈川県にある、「佐波神社」にも行きました。

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一説によると、実際には、聖徳太子はここで生まれて、その後、現在の奈良県に向かったそうです。

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 「サバジンジャ」とカタカナで書かれているのを見て、「サムハラジンジャ」と音が似ていると思いました。

つまり、「シャンバラ」です。

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この神社の近くには、「寒川神社」もあります。

ここも、カタカナ表記にすると、「サムカワジンジャ」ですね。

またもや、音が似ていますね。

これは、今年の冬に参拝した時の写真ですが、「三つ巴」がシンボルですね。

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まとめると、

「シャンバラ」=「サムハラ神社」=「佐波神社」=「寒川神社」

こうなるのです。

 

「佐波神社」の拝殿です。

ここでも、参拝しました。

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このシンボルを見てください!

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これは、 大阪府南河内郡太子町にある、「叡福寺」にある「聖徳太子御廟」の彫刻です。

上記のシンボルは、「雲の上の三体の仏様」を表現していたのですね。

「三つ巴」は、これを簡略化したものかもしれません。

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2017年12月に、この寺を訪れたのですが、その時に驚嘆しました。

なんと、「聖徳太子が世界樹の上を飛んでいる絵」が、本堂に置かれていたのです。

この時から、聖徳太子とは深い縁で結ばれていると、確信していました。 

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ここからは、最近の話です。

8月4日(土)に、東京都八王子市のお祭りに行ってきました。

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太鼓と笛の音が、街中に鳴り響いていました。

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旅行記の中でも書きましたが、聖徳太子が、「補陀落渡海」という大プロジェクトのリーダーでした。

そして、その後、「神輿」が全国のお祭りで作られて担がれるようになります。

神輿というのは、そもそも、補陀落渡海の小舟を形にしたものみたいです。

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補陀落渡海舟です。

四隅に、鳥居があるのがわかりますか?

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驚いたことに、この祭りのパンフレットによると、この祭りでは、19の山車が出てくるそうです。

そうです。

「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、19組で38人の子供たちです。

つまり、「八百万の神」が勢揃いして、その神々に感謝するのが、この祭りの本当の意味なのです。

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7月28日(土)には、仲のいい友人と一緒に、神奈川県真鶴町で、毎年開催される、「貴船まつり」にも行ってきました。

やはり、「神輿=補陀落渡海舟」ですね。

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太鼓と笛の音と共に、神輿が担がれ、たくさん人が祭りを楽しんでいました。

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興味深いのは、この祭りでは、いったん、この神輿を海に入れて、それから、再び、岸に上げるという行為をするのです。

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まさに、補陀落渡海を表現しているのですね。

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この石でできたオブジェも、補陀落渡海の舟を表現していると思います。

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記念撮影しました。

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祭りなので、身体に刺青を入れた、いわゆる「ヤンチャな人たち」もいたのですが、そういった、ヤクザだとかカタギだとか、性別や年齢、職業に関係なく、皆が、楽しそうに神輿を担いでいるのを、しばらく見てきたら、急に目から意味不明の涙が溢れてきました。

この光景が、「愛と平和」の象徴に心底思えたのです。

そして、意味不明の涙が出てくるときは、だいだいにおいて、前世のトラウマの解消であることが多いです。

 

日本という国家が、「天照派」と「神武派」という二つのグループに、真っ二つに分かれて、弾圧したり、いがみ合ったり、憎しみ合った歴史が、現代では嘘のように、消え去っています。

どこかで、

「この世界の出来事の全ての万能薬は、時間である」

という話も聞いたことがあります。

そうかもしれません。

 

1400年くらい前に、聖徳太子は、こういう世界を望んでいたのだろうと思ったら、涙が出てきたのです。

「もしかしたら、自分の心の奥底に隠れていた聖徳太子の意識が、嬉し涙を流したのかな?」

こう思ったら、私の心の中で、囁くような小さな声が、

「そうですよ…」

という言葉を発したような気がしました。

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今回の島原半島の旅は、このように、私にとって特別な旅でした。

古代史や宇宙考古学の探求の先には、いわゆる、「自分探し」があったということに、ようやく気が付きいたのです。

 

子供の頃から、私を導いてくれていたウルトラマンのような存在の正体は、聖徳太子だったのですね。

大感動でした。

今までの人生の中でも、ここまで感動したことは、あまりありません。

最近の出来事の中で、一番心が震えた出来事でした。

 

 

 

最後にもう少しだけ、聖徳太子について書いておきましょう。


「日本」という国は、政情不安定な諸外国に比べると、民主主義がまだ正常に機能していると思います。
そして、その根底には、
「日本国民の道徳や常識などが、流れているから」
というのが、理由の一つのような気がします。

 

ところで、この日本人の「道徳」や「常識」というものの正体は、なんでしょうか?
その根本的な核には、何が、あるのでしょうか?

これについて、考えてみましょう。

「道徳」と「常識」と一口に言いますが、もっと具体的に言うと、それは、ほんどの日本人が、

「こんなことは、あたりまえだよ。誰でも知っているよ。皆そう思っているよ」

とボンヤリと考えている、共通認識の思想だと定義しましょう。

「これが、いつ、どこで、誰が考えた思想なのか?」

ということです。

 

まず、社会学的な視点から考えると、「道徳」や「常識」というのは、その個人が、所属しているコミュニティの規則の影響を受けます。

会社だったら、「社則」などです。
会社であれば、その会社が、仕事をしている市や町や村などの「条例」の影響を受けます。
そして、その市や町や村は、もちろん、「法律」の影響を、受けるのです。
さらに、その法律の最上位にあるのが、日本の場合、「憲法」になります。

 

「憲法」→「法律」→「条例」→「社則」→「常識」→「道徳」

会社勤めをしている人だったら、こういう流れで、思想的な影響を受けているということです。

 

簡単に言うと、「道徳」というのが、日本人の心の根底に、根づいているのですが、その源流は、「憲法」だということになります。

小学校や中学校の頃、社会科の時間に習いましたが、私たちが、現在影響を受けているのは、それまでの「大日本国帝国憲法」に変わって、1946年から施行された、「日本国憲法」です。
ただ、これは、まだまだ、日本人の心の奥底までは、深く浸透していないようです。

 

ある本に書いてあったのですが、心の奥底、つまり、魂まで深く思想が浸透するには、1000年以上の長い年月が、かかるのだそうです。
だから、「道徳」、つまり、日本人の心の源流というのは、1000年以上前の昔の思想にあるということがわかります。

 

結論から先に言うと、私個人が、いろいろ勉強した中で、一番日本人の心に、魂レベルまで、深い影響を与えてる思想は、「十七条憲法」だと思っています。

実は、この「十七条憲法」、日本の歴史において、まだ一度も、法的に廃案になったことがなく、今でも、有効な「憲法」なのだそうです。

 

「大日本帝国憲法」は法的に、すでに無効になっているそうですが、なぜか、この「十七条憲法」は、現在の「日本国憲法」と同時並行で、動いていたのだそうです。

「十七条憲法」を、いちいち取り上げる学者や知識人は、あまりいませんが、それは、いちいちとりあげなくてもいいくらいに、日本人の心に浸透しているからなのです。
つまり、「道徳」というものに形を変えて、日本人の心に、根づいてしまっているのです。

 

ネットで検索したら、「十七条憲法」の面白い現代語訳を見つけました。
わりやすい内容なので、紹介しますね。

 

「十七条憲法現代語訳」

第1条 お前ら、仲良くしてる?
第2条 仏様とお経と坊さんは、大切にしろよ。
第3条 天皇陛下の詔勅は、謹んで受けろ。
第4条 役人は、礼儀と身分を、わきまえろ。
第5条 人を裁く奴は、賄賂とかに、惑わされんなよ。
第6条 DQN(非常識な人)は叩け。いいことしろ。
第7条 役人は、ちゃんと、自分の仕事をしろ。
第8条 役人は、朝早く出勤して、夜遅く帰れ。きっちり定時なんかに、帰るなよ。
第9条 信用は、大切だぞ。
第10条 他人が、何か間違ったことしても、あんまり怒るなよ。
第11条 功績や過ちは、ハッキリさせて、賞罰とかその辺、きっちりさせろよ。
第12条 役人は、住民から搾取しちゃ、ダメだろ。
第13条 役人ども、おまえらは、同僚が何やってるかは、きっちり知っておけよ。
第14条 役人は、他の市とかの方が、給料高いからって、妬んだりすんな。
第15条 役人どもは、自分のことばっかり考えてないで、国のために、働けよ。
第16条 国民に、何か課すときは、必ず、時期とか空気読んでやれよ。
第17条 重要事項は、会議して決めろ。ひとりで、コソコソやんなよ。

 

当時の役人向けに、書かれたものらしいのですが、私たち、現代の日本人が、

「こんなこと常識ですよね。こういうことは、皆、知ってますよね」

というようなことが、たくさん書いてあるのではないでしょうか?

 

この現代語訳に書かれている、
「第1条 お前ら、仲良くしてる?」
というのは、

「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
現代風に訳すと、
「和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい」

ですね。

「和の精神」です。

 

つまり、「日本の心」、いわゆる、「道徳」というものの源流を辿っていくと、そこには、今から、1400年以上前の「十七条憲法」があり、「聖徳太子」という人物の存在が、とっても大きかったことがわかります。

聖徳太子は、未来の日本のことを、真剣に考えた大思想家だったようです。
そして、日本人の生き方の指針となる書物を書こうと、世界中の思想を研究したようです。

仏教は、もちろんですが、キリスト教やイスラム教、ヒンズー教、バラモン教などの宗教から、グノーシス主義やギリシャ哲学なども、いろいろ研究した痕跡も、あるようです。
世界中の思想をとりいれて、日本独自の思想をつくりだそうと考えたようです。

 

現在、日本の「精神世界」がやっているようなことを、1400年以上前に、すでにやっていたのですね。

そして、日本人に一番いいのは、「仏教」だという結論になったようです。

 

それから、「十七条憲法」のもとになるような、「三経義疏(勝鬘経・維摩経・法華経)」という書物を、書いたようです。

これは、女性も悟ることができるという、「勝鬘経」と、在家も悟ることができるという、「維摩経」と、すべての人が悟ることができる、「法華経」の三つから成立している書物らしいです。

 

聖徳太子は、この中でも、「維摩経(ゆいまぎょう」という経典を最重視したそうです。

この経典は、だいたいこういう話だそうです。

 

昔、維摩という名前の在家の資産家が、インドにいたそうです。
出家したお坊さんではないのですが、仏教の真髄を知っていたようです。

維摩という人は、お金持ちでもあったのですが、毎日、大酒を飲んで、色街に行って、遊んだり、博打を打ったりもしていたそうです。
いわゆる、「遊び人」ですね。

 

当時、お釈迦様には、たくさんのお弟子さんがいたそうですが、その中でも、特に優れた能力をもつ弟子や知恵のある弟子などで構成されていた、「十大弟子」といわれる、10人の高弟がいたようです。

お釈迦様の十大弟子というからには、凄い能力者や知恵者ばかりだったようですが、この維摩と議論などをしても、皆、絶対に勝てなかったそうです。

智恵第一といわれていた、文殊菩薩という弟子でも、維摩とディスカッションして、敗れるくらいだったそうです。

 

十大弟子たちは、いつも不思議で、

「どうして、私たちは、あなたに勝てないのですか?」

と聞いていたようです。

その時に、維摩は、いつも、

「俺は、もう悟りを開いているから、遊びほうけてもいいんだ。オマエラは、まだ悟りを開いていない未熟者だから、そんな苦しい修行など、やっているんだ」

と笑って、答えていたそうです。

 

お釈迦様は、この維摩の位を、十大弟子たちよりも、高位に置いていたという説も、あるようです。

さらに、他の説によると、実は、維摩は、とても高い高次元から、たまたま、一時的にこの世界に、遊びにきていた存在だったという説も、あるようです。
神様が、ちょっと、維摩という人物の肉体を借りて、遊んでいたということですね。

 

聖徳太子は、おそらく、この維摩のライフスタイルを、未来の日本人の理想像だと、考えたのかもしれません。

つまり、

「もっと、人生を楽しみなさい。大いに遊びなさい。この世界は、基本的に、皆、遊びにきているんですよ。修業は、その過程にすぎないのですよ。ある程度、修業が終わったら、うんと遊びなさい。でも、世間からナメられるような弱くて、ダメな遊び人には、ならないでくださいね。たとえ、普段は遊んでいても、有事の際などには、それに対応でき、また皆からも慕われ、尊敬されるような、そういう遊び人を目指しなさい」

こういう願いを、未来の日本人に、託したのではないでしょうか。

 

この経典は、宗教団体は嫌がって、あまり信者に教えたがらないようですが、とても興味深い経典らしいです。

圧倒的な知恵や実力を、身に付けた上で、ひたすら人生を楽しむ。
そして、遊ぶ。
いいですね…。

 

日本人の心の奥底にある、「道徳」。
つまり、「日本の心」には、「十七条憲法」が、かなり大きな影響を、与えているようです。
そして、さらに、その奥には、聖徳太子が重視した「維摩経」があったようです。

その教えの核には、圧倒的な実力を身に付けた上での、「遊び心」があったようです。

「仕事もしっかりやって、大いに遊ぶ」

ということです。


考えてみれば、「遊ぶ」という行為の中には、すべてのヒーリングの要素が、入っています。
「癒し」の効果、「励まし」の効果、「学び」の効果、「発散」や「浄化」や「成長」の効果など万能薬です。

 

「日本の心」の奥底にある原動力は、どうやら、「遊び心」みたいです。

これを言い換えると、

「ワクワクすることをしなさい」
というバシャールと同じメッセージを、伝えているのです。



2016年の秋に、比叡山を訪れた時に見た「維摩居士坐像」です。

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2016年の秋に読んだ本の中に、面白いことが書かれていました。

前述したように、
「和を以って、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ(和を、なによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを、根本としなさい)」
という、「十七条憲法」の中でも、最重要な個所ですが、これの解釈が他にもあったという話です。

「和の精神」ですが、この冒頭の漢字である、「和」というのは、一般的には、「ワ」と読みますね。
これは、いわゆる、「音読み」であり、昔の「隋」や「唐」の文化に、合わせたニュアンスになっていると思います。

この本の作者は、その著書の中で、
「この漢字を、本来の日本語表現で、素直に発音したらどうか?」
と、提案していたのです。
具体的には、「やわらぎ」と読んでみよう。
こう書いてあったのです。
「当時の日本人は、おそらく、やわらぎと読んでいただろう」
というのです。
そうだと思います。

こちらの「訓読み」での読み方のほうが、日本人には、自然でしっくりくると思います。
「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」


書家で詩人の「相田みつを」の言葉にも、こういうのがありましたね。
「瀬戸物と瀬戸物がぶつかり合うと、すぐに壊れてしまう。しかし、どちらかが、柔らかければ、大丈夫だ。柔らかい心を持つことが大切である」
東日本大震災の時、テレビのCMでも、よく流れていましたね。

「硬いもの」と「硬いもの」がぶつかると、互いに力の逃げ場がなくなって、破損してしまいます。

人が、自分の意見や主張を、かたくなに守ろうとした時、目の前に、もう一人、同じように、自分の価値観を、かたくなに守ろうとする人間がいたら、お互いが、真っ正面からぶつかり合い、双方の力の逃げ場がなくなって、互いが互いを破壊しようとする力が、働くと思います。
口論、ケンカ、いわゆる、「争い」です。

 

争いに発展すると、お互いが、心身に大きなダメージを受けることもあるでしょうし、もしそれを免れたとしても、お互いの信頼は見事に崩れ去ることでしょう。
そして、その究極が、「戦争」なんだと思います。

でも、相田みつをさんが言うように、どちらかが、「硬い状態」ではなく、「柔らかい状態」だったとしたら、たとえ、ぶつかったとしても、力の逃げ場があることになるので、どちらも、大きな損傷を被らずにすむと思います。

だとしたら、真っ先に、自分の心を、その「柔らかい状態」になればいいのです。
そして、それができるのが、日本人であり、その延長線上に、「世界平和」があるのだと思います。
「聖徳太子」が、未来の私たちに向けて、本当に伝えたかった最重要メッセージは、これだったのだと思います。


「島原半島ワクワクツアー」、今回で最終回です。
この旅行記も、とても面白い内容になりました。


一緒に、いろいろな所をまわってくれた方々、ありがとうございました。

松下先生とタウリンさんに、スペシャルサンクスです。
また、おしゃべりしましょうね。

 

 


では、いつものように、恒例の最後の一言です。
以前にも、旧ブログで書いたのですが、もう一度、この一文で締めくくりますね。

 


「やわらぎをもって、貴しとなし、さからうこと無きを、むねとせよ」
by 聖徳太子

 

 

 

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